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呉さんの茶



橋本賢一




 帰宅するとどろどろに疲れていることに、いまさらながら気づかされる。手と顔を洗い、うがいをして、茶を飲むために湯を沸かす、その待ち時間にテレビをつける。上京して以来の習慣だ。もはやオートマティックに身体が動く。
 茶の缶を開けつつ、呉さんからもらったお茶は今日でおしまいであることを思い出した。忙しくて中華街に行く暇もないが、このあたりでも売ってるだろうか、最近は流行ってるからデパートにあるかなどと思いながら火を止めると、ニュースが始まった。
 早朝から富士山に多数の中国人が押し寄せ、夕方に一斉に踊りだしたため、地響きと岩の崩落が起き、死傷者が出たと流れる。画面に映る多数の中国人、皆が砂埃で汚れ、中には怪我をした者もいる。沸き立つ湯を注ぎ、急須の蓋をして目を戻した瞬間だった。
「あ」
 数名がアップで映る中に、紛れもない呉さんがいる。間違いない、おそらく涙を流しているのが目立ったのだろう、はっきり映っている。意図的に行われた可能性が強く、収容した怪我人に事情を聴取するとともに、多数の中国人を拘留したが、中国大使館からの抗議もあり、現在各方面に調整中、続報が入り次第また伝えるという。
 隣室の呉さんと話し始めたきっかけは、彼が私の宅配便を預かってくれたことだった。帰宅して鍵をあけたばかりの呉さんを、たまたま配達担当がつかまえて荷を預けていった。いまから思うと、荷物を隣人に預けること自体、普通じゃなかったと思うが。
 私の帰宅の瞬間を待っていたのだろう、鍵を開けようとしたところで、隣室から男性が出てきた。
「隣の呉です。荷物、預かってます」
 女性のような白く肌に、切れ長だが快活な光を宿す目。中国というより韓国の人に近い印象を持たせる彼の日本語は、イントネーションも自然なら、よどみない。テノールのよく響く声も爽やかだ。さっぱりしたパステルカラーの服と、あまりに流暢な言葉から、配達担当はきっと日本人と思い込んでいたに違いない。
「ありがとうございます」
 私が彼の手から荷を受け取ろうとした時だった。
「ポストに配達の紙も入っているので、念のために確かめたほうがいいですよ、配達間違いもありますし」
 なるほどと思いながらドアに挟んである不在通知の紙を見る。そういえば、不在通知は荷物そのものについては書いていない。
「間違いないでしょう」
「いや、番号が一致するです、念のために」
 呉さんは私の紙と荷物のIDを照合すると、やっと安心したように微笑んだ。
「だいじょうぶでした、すいません、私、前に間違えの配達を受け取ったことがあるので、つい確かめました」そういうと深々と頭を下げた「いや、ほんとにすいませんでした」
「そんな、あやまらないでください。ありがとうございます」
 その日はそれだけだった。その後廊下や街で会うたびに、お互いに挨拶を交わすようになった。自分もそうだが、いつも人が出入りしてバカ騒ぎするということもない。さっぱりした服で上品な物腰の彼は、単に日本人に見えるという以上に、上流階級出身という言葉がぴたりとはまる。おそらく肌や髪さえ違わなければ、イタリアやイギリスにいっても同じように適応できるんじゃないか。
 実家から多すぎる食材が届き、仕方ないので大量の玉葱やじゃがいもなどを煮込んだ。半分は冷まして冷凍し、残り半分から大量のカレーが出来上がった。翌日、いよいよおいしくなってきた瞬間、なぜか呉さんのことが頭に浮かんだ。ただのアパートの隣人と食事をしようなどと思い立つこと自体、今から思えば不思議だったが、そのときは何の疑問も持たずに隣のインターフォンを押し、彼はにこやかに応諾してこちらにやってきた。
 入ってきた瞬間、驚いた。呉さんもタッパーウェアを抱えていた。
「私の国の、牛の煮込みです。お口に合えばいいですが」
 そんな丁寧な言葉、どこで覚えたんだろう。いや、それどころではない。
「カレーと牛の炒め煮かぁ、どっちも煮込みですね」
「それぞれに持ち寄って、食べましょう、私のもまぁまぁおいしく出来たと思いますよ」
 本当においしい煮込みだった。こっちのカレーも悪くないが、完全に負けていた。呉さんはしかし、カレーをぺろりと平らげた上に、自分の持ち込んだ煮込みも食べている。このやせた身体のどこに入っていくのだろう。
「いやぁ、よく食べますねぇ」
「日本の人、あまり食べませんね。私、最初にきたとき、驚きました。遠慮しなければいけないようで、一緒に食べるとあとでお腹がすくんです。いまはもう遠慮せず、どんどん食べることにしてます。あ、もしかして、食べられすぎて困ってますか、言ってくださいね」
「いやいや、単に感心してるだけで、余ってるんで、どんどん食べてください」
「お礼にお茶も持ってきてるんですよ、あとで飲みましょう。カレーのあとはコーヒーもいいですけど、これもいいですよ」
 食事をしながらたわいもない話をしていたが、お茶になり、呉さんに本棚を見ていいよと言ったあたりから、自分のことを話し出した。日本の近代文学を学びに来ているのだが、来日してむしろ興味の範囲が広がったそうだ。歌舞伎にも驚いたし、雅楽をいまだに保存していることにも驚いたという。
「よく調べてるなぁ。僕はどっちかというと、ヨーロッパの文化ばっかりですね」
「さっきからかかっているのは、バッハですか」
「そうですよ、イギリス組曲」
「日本や中国の音楽はあまり聞かれないのでしょうか」
「うーん…そうだね、あんまり聞かない。なんだかこういう曲のほうが懐かしく感じるんですねぇ、なんでだろ」
「それを言うなら、私もそうですよ。日本は静かですね、人も国も。上海にしろどこにしろ、中国はすごくうるさい。生命力があるといえばいいですけどね。日本のような静けさは、すごく懐かしい。私、留学してほんとによかったと思ってます」
 なぜ日本の近代文学をやろうと思ったのかといえば、日本との掛け橋のような仕事をするには、近代文学を読むことで語学面でも精神的な面でも有利ではないかと考えたという。
「でも不思議、日本の人、あまり本を読まない。特に若い人。大学でもみんな、インターネットはよく見るけど、本は買わない。普通、その国の文学なりに触れれば、ずいぶんといろんなことがわかるんですけど、日本はちょっと違うように思います」
「でも、アメリカ人なんか、よほどアッパークラスにならないとやっぱり本を読まないっていいますよね」
 あははと呉さんは笑い出した。
「彼等は世界の田舎者ですよ。まだ国も若い。中国や、ヨーロッパや日本のように古く成熟した文化ももっていない。そのアメリカの人も、たとえば大学生は嵐が丘くらいは読んでます。日本の学生は、三島も夏目もあまり読んでいない。なぜでしょうね、私からみると三島の自殺などで日本の文化が断絶しているようには見えないんですけど」
 私の本棚に三島や開高健や大江健三郎など、さらに最近の作家の小説が少しずつあるのを見ているのだ。
「僕は理系だったけど、大学に馴染んでいたわけじゃないんで、よく図書館で暇つぶしに小説を読んでた。でもなぁ、単に生きられればいいだけなら、仕事に役立つ知識があればいい、多くの日本人はそうなっちゃったんでしょうね。日本の大学はあまり実践的な知識を教えないから、社会に出てもあまり役に立たない。だから、そういう場の空気を持った小説を読むくらいなら、まんがなどのほうがまだ実社会を写しているのかもしれない。でもね、日本は古くから民衆の中にファンタジックなお話がたくさんあって、それが下地にあるから、むしろそういうサブカルチャーのほうが本道かもしれませんね」
「日本のそういうファンタジックな文化は、中国の伝奇文学の影響なのでしょうか」
「それは僕にはわからないなぁ、今昔物語などは中国の怪しい小説以前、民話や伝説ですよね」
「ただ、近代になって、現実をとらえて考えることが習慣になってからは、それが中心にはならなかったと思うんです。いつ頃からそうなったんでしょう」
 お互いに思うところを述べると、それぞれが疑問をもち、話は際限なく広がって、気づくと0時前だった。帰り際、呉さんはいった。
「日本に来て、あまり真面目な話をしたことがなかったです。今日はとても楽しかった。今度は私のところでご馳走します、ぜひいらしてください」
 呉さんとの交流は、彼が隣にいる一年の間、月に一、二回はあった。その間、彼は再三富士山を好きだと言い続けた。好きなどと生易しいものではない、愛しているというほうが正確だった。彼の部屋には富士山の写真がいたるところに貼られ、それは当然のことながらトイレから風呂にも及んでいた。清く美しい香りの青茶を飲みながら、呉さんは言う。
「素晴らしいですね。中国にも素晴らしい景色はたくさんありますが、山自体が芸術作品のような造形はないです。あれだけは、きっと世界のどこにもないですよ。登ったことはありますか」
 満面の笑み。こんな屈託ない表情を、ここ数年見たことがない。
「登るどころか、ちゃんと見たこともあんまりないかもなぁ」
「それはもったいない! 一度ゆっくり見るといいですよ」
 富士山の形の美しさは、単に美しいというのを通り越して、気高く、清い。あの山を祖に持ち、他の山並みが連なる、これが日本という国の強さだろう、中国は確かにすごい底力がある国だが、日本も簡単にはやられない強さがある、それはあの山を見ればわかるとさえいう。
 呉さんは親しくなると、会うたびに富士山の話をした。酔うと、何度でも繰り返した、いつの間にか文化や文学の話は飛んで、富士山の話だけを続けた。稜線の美しさ、上から眺める円形の気高さ、朝日の神秘、雲とともに変わる表情、湖面の姿さえ素晴らしい。彼の富士賛美は尽きず、私はどんな日本人よりも愛しているとまで言う。絶対に口説き落とせないものへの恋慕に等しい目で何度でも反復する呉さんはある日、感極まってすすり泣いた。うまがあうことに国は関係ないと思っていたが、そのときだけは目前の呉さんにどう触れたらいいかわからなかった。理知的でありながら情のバランスを失わない彼の深淵は、日ごろ理性がとらえきれない何かを富士山に仮託しているようでもあるが、そんな分析的な判断を持ち出してもどうなるものでもない。ここまでまっすぐな人は、自分の周囲にはいない、それだけだ。もしかすると、呉さんはお国の中でも浮いた存在なのではないかとさえ思えたが、ただ泣くに任せるしかなかった。
 引越しのことを、呉さんは2ヶ月前に告げた。富士山のそばに引っ越すのだという。何度か呉さんに富士山に登る誘いを受けたが、ついに実現しなかった。
 引越しの手伝いをしようと思ったが、平日の勤務日であり、とても休みをとれるスケジュールでない。最後の日曜日、彼は借りた本を返しながら言った。
「美しい山並みが見えるところです。ぜひ遊びに来てください」
 ぜひとは応えたものの、そこに行くと富士山に確実に連れて行かれそうでもあり、山には特に興味がないせいか温度が低めの声だったのだろう。
「きっとですよ」
 珍しく真顔の彼は、返事を待たずに再び笑った。その日、私はすぐに外出しなければならず、もうゆっくり会える予定はなかった。呉さんは次の水曜日、出て行った。それから一ヵ月の間、電話や手紙のやりとりがあったが、結局まだ部屋には訪れていない。餞別にもらった中国茶だけが減っていき、それに比例して彼との間の距離が開くような感じに、そろそろこちらから出向いてみるかと思っていた。
 ニュースの続報は告げる。地響き自体はすごかったが、登山客らが巻き込まれて怪我をしただけで死者は幸いに出ず、むしろ事件の関係者達が岩の崩落で死亡した。地響きのことを、富士五湖近隣の住民が話す映像が流れる。熱狂的な排日論者達が集まり、富士山で全員一斉に飛び跳ねることで振動を起こし、富士山を噴火させることを目的にしていたという。皆がラジオを持ち、小さな出力の放送でリズムを一致させて、どすんどすんと飛び跳ねていたそうだ。ドーム球場で人々がウェーブをすると大きな揺れが起きる、それを富士山で行えば日本に打撃を与えることが出来ると話していたともいう。
 呆然とテレビを眺めながら、さっきのぼろぼろに泣く呉さんが蘇る。理知的な彼が、こんなことに関わっていたのだろうか。あれほど富士山を愛した彼が、自ら富士山を壊す行動に移るとも思えない。すすり泣いた夜を思い出す。彼はもともと富士山人工噴火を目的に来日して、逆に富士山を愛してしまったのだろうか。本来は現地調査のための登攀が、実は本当に楽しい登山になってしまい、引き裂かれていたのか。それとも、三島の「金閣寺」に出てくる小僧の心境なのか。ただ、呉さんから三島が好きだという言葉も出なかった。
 翌朝、この奇妙な事件のことは職場でも話題に上った。呉さんのことは誰にも話さなかったし、特に注意して見ていた人もいなかった。泰山鳴動して鼠一匹だったせいか、職場でのすぐに関心は薄れた。本当に噴火でもしていれば話は別だったろうが。
 五日後、警察が念のためと強調しながら事情聴取に来たが、それ以降は何もない。中国政府は迷惑をかけたと形式的な謝罪をし、事件に関係した人々の身柄は結局、国に帰されることになったという。週刊誌は様々な陰謀説を書きたてたが、それもすぐに消えた。
 呉さんの茶は中華街でもすぐには手に入らず、台湾から取り寄せることになった。彼は大陸出身と話していた。台湾の茶を、大陸の人々が普通に飲むのだろうか。
 呉さんとは連絡がとれないままである。


     あとがき


 「呉さんの茶」は二〇〇三年六月、作者のWebページで公開した創作です。その後、二〇〇四年十一月の第2回文学フリマで発売した新刊『繭玉』において、創作「繭玉」に併録しました。今回、電子書籍として改めて公開するものです。
 作中、宅配便の荷物を隣人が預かるところから、呉さんとの交流が始まります。個人情報保護に厳しい今日では考えられないですし、執筆時でもあまり行われなくなっていました。日本人と中国人の関係も、今とは異なる空気感に包まれていると感じられるかもしれません。書いている時は、二十世紀最後の十年もいくらか意識していました。二〇一〇年現在、日本と中国はさらに激しい変化のただ中にいます。ただ、当時感じていたことにもその時なりの、そして今も変わらぬ感じ方はあると思います。電子書籍化においても、手を加えず採録しました。お読みいただき、何か心に残るものがありましたら、たいへん嬉しく思います。

作者拝




初出:Webページ Studio KenKen
http://www.asahi-net.or.jp/~sn4k-hsmt/
で読み物として公開。
(電子書籍化したため、現在上記ページでは公開しておりません。)


    奥付



 著者     橋本賢一
 制作発行   Studio KenKen
 http://www.asahi-net.or.jp/~sn4k-hsmt/
 ken1.hashi@gmail.com

 印刷初版   2003年11月3日
 電子書籍初版 2010年12月5日


この本の内容は以上です。


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