目次
第一章 愛するということ
天使の指輪 
プロローグ 序章
プロローグ 序章
2006年 6月 ニューヨークの魅力
2006年06月3日  友達の背任行為
2006年 7月 病 
2006年07月05日  独立記念日 
2006年07月07日  七夕
2006年07月24日  病気
2006年07月25日  検査結果  
2006年07月26日  生きる理由
2006年 8月 日本へ
2006年08月04日  手術
2006年08月08日  退院 
2006年08月12日  日本へ
2006年08月23日  赤いドレスの女性
2006年08月24日  狸寝入り 
2006年08月25日  雷雨 
2006年08月26日  祈り
2006年08月31日  時代のうねり
2006年 9月 天国への階段
2006年09月07日  ローズホール
2006年09月10日  泣きじゃくる彼女
2006年09月11日  ワールド トレード センター
2006年09月21日  闘うこと  
2006年09月23日  市民権
2006年09月25日  日曜大工
2006年09月26日  朝日 
2006年10月 一緒に生きる
2006年10月03日  メルトダウン   
2006年10月05日  夜のハーレム
2006年10月08日  助手席
2006年10月09日  買い物
2006年10月14日  友達からのメール  
2006年10月16日  1週間分のキス
2006年10月17日  一緒に生きる
2006年10月18日  雨の火曜日   
2006年10月19日  友達へのメール
2006年10月25日  天使が舞い降りた。
2006年10月29日  神のご加護がありますように  
2006年11月 誕生日プレゼント 
2006年11月01日  ハロウィン
2006年11月02日  誕生日プレゼント
2006年11月16日  セントラルパーク    
2006年11月19日  キティちゃんの指輪
2006年11月20日  Left Alone  
2006年11月22日  仏心
2006年11月23日  小さいウイスキーボトル
2006年11月24日  帰還兵
2006年11月25日  旅の終わり 
2006年11月26日  パリでパン屋さん
2006年11月27日  クリスマスの買い物
2006年11月28日  神にすがる時 
2006年11月29日  スノーフレーク
2006年11月30日  もう一度病院生活に・・・
2006年12月 瞳の中に貴方が見える
2006年12月01日  ポインセチア
2006年12月02日  男の手料理 
2006年12月03日  天気の良い週末  
2006年12月06日  大切な思い出
2006年12月07日  北欧紀行
2006年12月08日  君のもとに帰る
2006年12月09日  The Show Must Go On.
2006年12月13日  東京にて
2006年12月14日  Going Home
2006年12月15日  瞳の中に貴方が見える
2006年12月16日  子守唄
2006年12月18日  クリスマスの匂い
2006年12月19日  君が世の中の全て
2006年12月23日  幸せの総量
2006年12月24日  People Get Ready  
2006年12月25日  クリスマス プレゼント
2006年12月26日  願い事
2007年 1月 天使の指輪
2007年01月01日  スローダンス
2007年01月02日  20年ぶりの友達
2007年01月06日  誕生日
2007年01月08日  天敬愛人
2007年01月13日  両親
2007年01月14日  名こそ惜しけれ  
2007年01月20日  非常勤の顧問
2007年01月22日  ただいま。
2007年01月23日  天使の指輪
2007年01月24日  ホットチョコレート
2007年01月25日  パリ
2007年01月29日  雪のニューヨーク
2007年 2月 雪のバレンタイン
2007年02月01日  愛しい人  
2007年02月02日  あたらしい発見
2007年02月04日  お帰りなさい。
2007年02月09日  残された時間
2007年02月10日  ありがとう
2007年02月11日  テネシーワルツ
2007年02月12日  やせ我慢
2007年02月13日  君が残した優しい思い出
2007年02月14日  雪のバレンタイン
2007年02月16日  僕は信じている
2007年02月19日  愛の力
2007年02月22日  ある別れ
2007年02月23日  別れの季節
2007年02月24日  I'm in.
2007年02月25日   Wild Horses  
第二章 生きるということ
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2007年 2月 陽はまた昇る
2007年02月27日  アリーがいてくれれば
2007年02月28日  陽はまた昇る
2007年 3月 さようなら
2007年03月02日  さようなら。
2007年03月03日  心の整理
2007年03月04日  独り
2007年03月05日  ドライフラワー  
2007年03月06日  冒険の旅へ
2007年03月08日  コミットメント
2007年03月14日  こみあげる涙
2007年03月16日  更正施設の子供
2007年03月19日  天は自ら助けるものを助く。
2007年03月21日  新しい下着
2007年03月22日  夜明けのキャッチボール
2007年03月24日  目標を一つ達成
2007年03月28日  最後まで日本人として
2007年 4月 独り言
2007年04月29日  独り言
2007年 5月 天涯孤独
2007年05月14日  天涯孤独
2007年05月16日  ある家族
2007年05月28日  カタロニアの太陽
2007年05月31日  リスボンにて
2007年 6月 交渉
2007年06月02日  中国での交渉
2007年06月13日  皆で家に帰ろう
2007年06月22日  ベランダに咲く草花
2007年06月24日  あと半年
2007年 7月 人に優しくするという事
2008年07月05日  独立記念日
2007年07月24日  人に優しくするという事
2007年 8月 湊川(ミナトガワ)
2007年08月02日  馬鹿爆弾
2007年08月21日  霧雨
2007年08月29日  遺言
2007年08月31日  湊川
2007年 9月 男の値打ち
2007年09月25日  男の値打ち
2007年09月30日  天気のよい週末
2007年10月 自分の夢
2007年10月10日  自分の夢
2007年10月19日  結婚式の準備
2007年10月22日  妹の結婚式
2007年11月 天敬愛人
2007年11月01日  ハロウィン
2007年11月02日  誕生日
2007年11月16日  死の準備
2007年11月22日  愛情が宿った人形
2007年11月29日  古いもの  
2007年12月 幸せの値段
2007年12月08日   ディズニーランド
2007年12月16日  幸せの値段 
2007年12月18日  綺麗な心
2007年12月21日  大事な家族
2007年12月24日  君を想う気持ち
2007年12月25日  武器よさらば
2007年12月31日  生きるということ
2008年 6月 夢の実現
2008年 6月 夢の実現
アリーが教えてくれた事
アリーが教えてくれた事
晴耕雨読
晴耕雨読
愛のある日
愛のある日
あとがき
あとがき
補足
補足
感想&レビュー
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2007年08月21日  霧雨

僕は、確実に終わりに向かっている。 

自分の人生、自分の築き上げたもの、全てが終わろうとしている。

しかし、もう悪あがきはしないし、人を恨む事も無い。

自分の力ではどうにもならない運命に向かって、力の限り健気に努力を続けるのが、人間全てに平等に課せられた使命だと言う事を、肌に感じて理解する事ができたから。

僕一人ではないのだ。 

皆が程度の差はあれ、同じように力の限りを尽くしている。

2007年9月5日が、僕にとっての決断の日になる。

僕は決断の場所を、あの懐かしのアムステルダムに決めた。

僕の心は殆ど決まっている。

今週の金曜日に最期のチャンスがやってくる。 

そこで全力を尽くしても思いが叶わなかった時、僕は心を決める事になる。

最期まで諦めないが、自分の言葉には責任を持ちたいし、それが男だと思っている。

今日は、朝から雨模様だ。

霧雨に濡れるベランダに出て、湿った空に向かって僕はタバコの煙を吐いた。

2007年08月29日  遺言

8月も最終週になり、ちょっとした街の風景が、夏の終わりを感じさせるようになった。

僕は、9月1日、夜の便でイタリア、ローマに向かう。
 
ローマからミラノを回り、その後にアムステルダムに行く。

去年のアリーへのクリスマスプレゼントで、手放すものは全て手放してしまったので、僕には、もう失うものは何もない。

物質的なものに対する固執や未練も、もはやない。

自分の命に対する固執や未練もない。

あるのは、自分の大儀に殉じたいという気持ちだけ。

僕は、自分の命をかけるに値する大儀を見つけられて幸せだと思う。

それに出会うまでに時間がかかったけれど、まだ元気なうちに、自分が生まれて来た目的を見つける事ができたのは、本当にラッキーだったと思う。

僕は、若い人に、
『貴方は、自分が全身全霊をかけられる夢を見つけたから良いけれど、それが見つけられない私は、どうしたら良いのだろうか?』とよく聞かれる。

そう聞かれた時に、僕はいつも、こう答える事にしている。

『自分が命をかけられる夢を見つけられれば、それに命をかければ良い。自分が望んでいない事でも、自分の夢でなくても、自分がやらなければいけないと感じた事があれば、使命感を持って、それを成し遂げるべく努力をすれば良い。自分が命をかけられる夢も、自分がやらなければならない使命も見つけられない時には、ただただ、人の幸せの為に、自分の命をかければ良いと思う』

この話しをした時に、話を聞いた若い人達はだいたい胡散臭そうな顔をする。

それはその通りだと思う。
 
僕も若い時にそんなことを言われれば嫌な顔をしたと思う。

でも僕が、44年の人生で学んだ事は、まさにそういうことなのだ。

【自分を見失った時には、人の為につくせ】

【自分がやるべきものを見つけたら、それを自分の使命と思って命の限り闘い続けろ】

これが、僕の若い人たちへの遺言です。

 


2007年08月31日  湊川

先週、今取り組んでるプロジェクトの最後のチャンスがやってきたが、残念ながら思うような結果を残す事ができなかった。

この状況から判断して、投資家は、僕のオリジナルのプランを却下して、別のプランで事態の収拾にあたることになった。

僕はこの会社以外にも4つ会社を持っている。

ここで決定的な意見の違いがあり、僕の意見が排除されたのであれば、自分の持ち株を清算して、この会社から去ると言うオプションもある。

普通のアメリカの経営者であれば恐らくそうするであろう。

赤字累積で株価が一ドル以下に落ちたこの会社を立て直して、5年間で会社の価値を一時期10倍にまであげた。

 

その後は新プロジェクトの難航もあり、企業価値は当時の6倍前後を上下している。

アップダウンはあったけれども、5年間で投資金額を6倍にしたのだから、決して恥かしい結果ではない。

ただ僕は、本当の会社の再生は、会社に新しい企業理念と目標を掲げる事で、それに従業員が共鳴し、自信を持てるものでなければいけないと思っている。 

企業価値が10倍のままでも、会社に理念がなければ、その会社は5年で無くなってしまう。

会社に理念があれば、その理念の創出の為に、一時的に会社の価値が3倍に落ち込んでしまったとしても、理念が社会に受け入れられれば、20年、30年と生き続ける事が可能なのだ。

お金が全てではないのだ。

だけれども僕は経営方針の議論に負け、僕の提案は認められず会社は別の方向に進むことになった。

ここまで亀裂が広がると、従業員もそれを感じているようで、不安げな目で僕を見る事が多くなった。

この会社にはレバノン人のビリーをはじめ、中近東、東ヨーロッパ系の従業員の数が多い。

僕の秘書もトルコからの移民だ。
 
この会社に関わるようになって、僕はひとつの事に気がついた。
 
それは、東ヨーロッパ系の特に年配の人たちの”日本”に対するイメージが、予想以上に高いと言う事だった。

 

当時の東ヨーロッパはロシアに圧迫をされていたが、彼らは、それよりも遥か昔に、アジアの島国が毅然として立ち上がってロシアの圧力を押し戻した事を昔話のように聞き覚えていたからだったらしい。

 

僕は、そういった昔話で誇張された”日本人”感を彼らが語る時、
『今の日本人は昔の日本人と違う。そんな気概は持っていないよ』と言っていつも微笑んで見せた。

そんな彼らが、僕を不安そうな眼差しで見つめている。

自分の事を考えれば、ここに残って失敗のとばっちりを受け自分の経歴に傷をつけるよりは、キャッシュアウトをしてここから去った方が利口だ。

ただ、残される従業員の不安そうな目を見ると、僕にはそうする事はできなかった。

自分の望む道ではないけれど、負けるのはわかっているけれど、大儀の為にここに残って、ボロボロになるまで闘おうと思った。

僕は決心して、ビリーに
『湊川だ』と言った。

ビリーは
『ミナトガワ?』と聞き返した。

僕は彼に微笑んで
『そうだ、湊川だ。君は歴史がすきなんだから、いつか湊川の意味がわかる時がくるよ』と言った。

湊川は、南北朝時代の昔に、後醍醐天皇の南朝側と足利尊氏の北朝側が、天下分け目の戦いをした場所だ。

南朝側の武将、楠正成は、後醍醐天皇に、足利尊氏との和睦を勧めたが、後醍醐天皇はその献策を取らず、足利尊氏と戦うことを決めた。 

楠正成は、その時点で南朝側の敗北を感じたが、自分の献策を捨てられたにも関わらず、後醍醐天皇の命に従い、湊川に兵を進めて足利の大軍と衝突し、善戦しながらも最後は全滅をした。

自分を楠公に例えるのは不遜だが、自分の意思に反して、負ける事がわかっていても、大儀に殉じて闘う事を湊川と比喩する。

いつかビリーにも”湊川だ”と僕が言ったその意味を、わかってくれる日が来るだろう。

僕は明日からヨーロッパに向かう。

最後の決戦に臨むために。

可能性はなくとも僕は大儀の為に全力を尽くす。

吉田松陰の唄で、”かくすれば、かくなるものと知りながら、止むに止まれる大和魂。”と言う唄がある。

理屈では勝算がないとわかっていても、どうしてもやらなければいけない事が、日本人の魂にはあると言う唄だが、今の僕の心境を良く現している。

 

 


2007年09月25日  男の値打ち

僕は文字通り、背水の陣の覚悟でヨーロッパに向かった。

決戦の地、アムステルダムに向かう前に、僕は、アリーとの思い出の詰まったローマに立ち寄る事にした。

アリーがまだ生きていた頃、僕らは自分達の夢、将来設計を語り合った。

50歳になるまでに死に物狂いで働いて十分な資金をため、50歳になったらパリに移住して、パリをベースに人権問題、貧しい人たちへの食料供給の慈善事業をすると言うのが、アリーの夢であり、将来設計だった。

アリーはパリに恋をしていた。

そんなパリに、ちょっと僕は馬鹿げた嫉妬を感じたりしてた。

パリに恋をしていたアリーが、パリの次に好んだ街が、ロンドンとローマだった。

僕はパリに嫉妬をしていたし、どちらかと言うとローマに憧れていたので、アリーを頻繁にローマに連れ出して、アリーとゆっくりとした時間を過ごしたものだった。

自分の気持ちを整理したかったのと、少し独りきりになりたかったこともあり、僕は、そんなアリーとの思い出の詰まったローマに立ち寄る事にした。

アリーと一緒にローマに行った時に定宿にしていたホテルに泊まる事にした。

全てがあの頃のままで、変わったことといえばアリーがこの世にはもういないと言う事と、僕の白髪が増えた事くらいだった。

ホテルの最上階にはレストランがあり、最上階のテラスに並べられたテーブルに座り、ローマの夜景を見下ろしながら食事をすることが出来る。

僕はあの頃と同じように、二人がけのテーブルに座り食事をした。
 
まるでアリーが僕の隣に座っているような気がした。

僕にとって死は身近なもので、生と死の境は、ほんの僅かなものでしかない。

9月5日を僕自身の湊川と決めてから、僕の気持ちは落ち着いていた。
 
静かな闘志とアリーへの思いだけが、僕の気持ちを満たしていた。 

アリーに早く会いたい。

心の底からそう思った。

ローマを立ち去る最後の夜に、僕はローマの街並みをあてもなく歩いた。
 
気がつくと、トレビの泉の前を歩いていた。

アリーとここに来た時の事を昨日のように思い出した。 

アリーの面影を見たような気がした。

泉の前の石段に腰を下ろし、暫く僕は独り考え事をした。

 

やがて意を決して立ち上がり、僕はホテルに戻った。

気持ちの整理はついた。
 
清々しい気持ちになり、僕はローマを後にしてアムステルダムに向かった。

9月4日の夜にアムステルダムに着き、僕は9月5日の朝を静かな気持ちで迎えることが出来た。

孤独な最後の闘いが始まった。

相手側は、また1ダース以上のスーツ達が、仰々しく待ち構えていた。
 
それに立ち向かう僕は、ただ独り。
 
自分の始末は自分でつける。
 
人の助けは必要なかった。

ただ独り、アリーへの思いを胸に抱いて交渉を続けた。

手を削がれ、足を削がれ、万策尽きた時に、潔く決断をすればよい。

そう思った。



不思議な事に、夕方になってから、次第に相手方が押し込まれ譲歩し始めた。

首の皮一枚になりながら、ほんの少しずつ、僕は、相手方を押し戻し始めているような手ごたえを感じ始めた。

これは僕の力ではない。

そう思った。

何者かの力に支えられて、僅かながら押し戻し始めている。

そう感じられた。
 
僕はその力に自分をゆだね、流れのままに交渉を続けた。

結局、僕は潰されなかった。
 
最後の最後になりながら、生きながらえた。

2日間の攻防を終え、アムステルダムを後にしながら、”こんな事もあるのだな。”と謙虚に思った。

長い人生の中では、こんな事もあるのだろう。

生かされている自分を感じた。

生かされている間は、自分の責任を果たさなければならない。

そう思った。

今の僕は、たった独りだけれども寂しくはない。

今の僕の周りにあるものは、20年来の相棒のモナコの時計と、これまた20年来吸い続けているポールモールの煙草と、ゴルチエの香水と、アリーの写真だけだ。

僕の持ち物もずいぶん少なくなったなと思い、煙草に火をつけてちょっと独り、照れ笑いをした。

【男の値打ちは持ち物の多さではない】

【男の値打ちは生き様だ】

アリーが、昔そんなことを言っていたのを思い出した。

僕はこれからしばらく、ヨーロッパでのプロジェクトを完遂するために、ヨーロッパとニューヨークを行ったり着たりする生活を続けることになる。


 


2007年09月30日  天気のよい週末

久しぶりにニューヨークで過ごす週末は素晴らしい天気に恵まれた。

ニューヨークの秋は、一年のうちで一番素晴らしい時期だと思う。
 
15歳で初めて日本を離れて世界各地を放浪し、ニューヨークに腰を据えてから、既に20年近い時間がたっている。
 
ここで沢山の秋を過ごして来たけれど、それでも毎年秋になると、ニューヨークに改めて恋をする。

僕はニューヨークを愛しているのだと思う。
 
アリーが死んだ時に、僕はニューヨークを捨てる事も考えた。
 
あまりにも沢山の思い出がありすぎるから。 

それでも僕はニューヨークを離れる事はできなかった。 

やっぱり僕には、ここしか考えられないから。
 
そんなニューヨークでの久しぶりの週末を、僕は一人で満喫した。

掃除をしたり、草木の手入れをしたり、買い物に出かけたついでに近くを歩いたり、とりとめの無い事だが、秒刻みで動き回っている僕に取っては、心の休まる貴重な休日だった。

買い物袋を下げて、見慣れた街並を歩く。

ふと、アリーと同じ街並を歩いていた時の頃を思い出す。

アリーは僕の心の中に生きている。

今はアリーの温もりに触れられないだけ。

ただ、アリーの事を心の中で感じると、心がちょっと暖かくなる気がする。

きっとそれは、アリーの僕に対する優しさなのだろう。

温もりを与えられない代わりに、アリーは僕の心を温めてくれる。

『ありがとう』と、僕はアリーに呟いた。

僕は最期の最期まで諦める事無く、僕の愛するものの為に闘い続ける。

いつか想いは叶う。

そう信じて。

仮に途中で力つきたとしても、最期まで諦めず闘い続ける生き様を残す事が大事なのだ。

それが僕がこの世に生を受けた理由だから。

諦めない事。

自分を信じ続ける事。

生きると言う事は、そういうことなのかもしれない。

 



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