2006年12月16日 子守唄
今週はハニカ、来週はクリスマスと、もうニューヨークは、年末ムード一色だ。
僕は、時差ボケでだるい体を起こす為にジムに行き、久しぶりに汗を流した。
ここ暫くジムにも行っていなかったので、随分痩せたなと思いつつ、せめてジムにいる時は、色々な事を考えないですむので、ただ無心にマシンに向かった。
ジムが終わって、たまった洗濯物を片付け、アリーのかわりに約束したボランティアのカウンセリングに出かけた。
犯罪を犯して服役中の子供達の更生施設でのカウンセリングだ。
彼らの目を見ていると、昔の自分を思い出すような気がする。
簡単に結論めいた事を言うのは、良くないけれど、やはり、周囲の愛に飢えているのかな?という気がしたのは僕だけなのだろうか。
カウンセリングをしながらも、心は常にアリーの事を考えていた。
僕はこれを、あくまでもアリーのかわりにしているに過ぎない。
だから、アリーのボランティアをしようと思った気持ちが妥協されないように、アリーだったら何がしたかったのだろうと考え、今日のボランティアをこなした。
ボランティアの後は仕事場に行き、色々と雑務をこなした。
気がついたら夜の8時を回っていた。
お姉さんからメールを貰ったので、アリーの病室にアリーを見舞いに行った。
アリーはいつも通りのアリーだったけれど、すこし疲れていて気が立っていた。
僕は、だから両親も早く帰ったのだな?と勝手に想像をしながら、ベッドの隣の椅子に座り、アリーの話を聞き続けた。
アリーのそういった話を聞くのは辛いけれど、何もできない自分自身はもっと辛かった。
ただ僕にできる事は話を聞くだけ。
だから僕はアリーの話を聞き続けた。
ただ、アリーの話を聞く。
それが今の僕にできる唯一の事。
悲しいけれど、それが現実だ。
一通りアリーの話を聞いてると、アリーも話し疲れたのか、僕の手をとり、目を閉じて暫く黙っていた。
小さい病室に静寂が訪れ、アリーの周りに並べられた機械の不気味な電気音だけが部屋に響いた。
その音だけが部屋中に響くのに耐えかねて、僕が話を始めた。
どうでも良い僕の一日についてだった。
独り言とも、アリーに話しているともつかない小さな声で、ボランティアに行った時にあった子供達の事、その時に僕が話した事、感じた事、そんな事を話し続けた。
僕の手を握るアリーの手に、少し力が入ったような気がした。
アリーを見ると、目を閉じたまま涙を流していた。
僕はそのまま、独り言ともアリーに話しかけているとも、はたまた子守唄を唄っているともつかない小さな声で、アリーが眠りに落ちるまで、そうやって話を続けた。
話す事が見つからなくなると、自分の知っている昔話までした。
自分の子供を寝かしつけるように、ずっと話を続けた。
アリーの寝息が聞こえるまで。
アリーを寝かしつけ、僕はそっとアリーの手を離し病室の窓から外を見た。
病院の周りはアパートが建ち並んでいる住宅街だが、そのアパートの窓にも、クリスマスの飾り付けやイルミネーションが思い思いに飾られていた。
僕は窓から見える外の景色と、窓に反射して見えるアリーの姿を重ねて、暫く外を眺め続け、アリーの事を考えた。
時間がかなり遅くなっていたこともあり、病院の人に、いい加減に帰ってくれと言われたので、僕は病室を出て病院を後にした。
風に吹かれながら暫く夜の街を彷徨い、目に留まったバーに入り、ウイスキーを注文した。
そして僕自身を飲み込むように、ウイスキーを飲み込んだ。
2006年12月18日 クリスマスの匂い
僕は今日も、相変わらず良く眠れなかったので、朝早いうちにベッドを出て、ジムで2時間程汗を流した。
僕のパーソナルトレーナーのネルは、今日が今年最後で、今週、家族とクリスマスをフロリダで過ごすそうだ。
僕は彼女に早めのクリスマスプレゼントを渡した。
ネルは、愛くるしい目をくりくりさせながら、
『どうもありがとう。ちゃんと休みの間もストレッチを忘れないでね』と言って去って行った。
僕は実は、ジムの運動は好きなのだが、ストレッチは大嫌いなのだ。
どうもあのストレッチというのは、運動をやっている気がしない。
僕は貧乏性なので、重いウェイトとかを大汗をかいてあげたりしていないと、運動をしている気がしないのだ。
ただ、トレーナーのネルによると、僕のような人間が歳を取った時に、畳の縁に躓いて骨折をしたりするらしい。
『そんな歳になるまで、生きているつもりはないから、余計な心配をしないでくれ。』と僕はネルに言って笑った。
ジムでの運動が終わり、シャワーを浴びて、着替えをし、アリーの見舞いに出かけた。
アリーのお姉さんから、12時くらいに来て欲しいと言われたので、その通りに病院に行った。
天気の良い日だったので、アリーの病室の中にも柔らかな冬の光が差し込んでいた。
僕はアリーの隣に座り、アリーの手をとって、求められるままに色々な話をした。
日本の里子から気の早いクリスマスカードが来ていたので、アリーにそれを見せた。
最近の日本では、小学校でも英語の授業があるらしい。
今年のクリスマスカードには、子供達が一生懸命英語で書いてきたものが幾つかあった。
アリーは嬉しそうにそれを眺め、鉛筆で書かれた下手くそだが、一生懸命書かれた文字を、細い指でなぞっていた。
僕達は日本の里子の話をし、アリーの姪っ子の話をし、アリーの代わりに僕が行っているボランティアの子供達の話をした。
暫くしてアリーは、眩しそうに目を細めて、外からさす冬の光を見た。
そして
『貴方ともう一度、手を繋いで外を歩いてみたい』と言った。
僕は黙ったまま、握っていたアリーの手を僕に近づけて、手に口づけをした。
『直ぐに良くなって歩けるようになるから』なんていい加減な事を言う事はできなかった。
だから僕の思いを一杯込めて、アリーの手に口づけをした。
アリーは、ただ笑みを浮かべて僕を見つめた。
3時にはアリーの両親が見舞いに来るので、僕は彼らが来る前にアリーの病室を出た。
この期におよんで、アリーの両親と議論をしたりするのは意味がない。
僕が我慢をすれば良いのだ。
病院を出て、僕はあてもなく歩いてみようと思い街を歩いた。
ジャケットのポケットに手を突っ込み、人気の少ないストリートから公園をいくつか抜け、普段は見落としている風景に立ち止まりながら、たまにすれ違う人達と声をかけ、歩き続けた。
暫く歩いて、教会の前で足を止めた。
丁度、そこでは午後のサービスが行われている所だった。
僕はどこの宗教にも属していないけれど、なんとなく開け放たれたままのドアから中に入り、遠巻きにサービスを眺めていた。
別にそれに参加する訳でもなく、ただ遠くから眺めているだけだったが、何となく気持ちが落ち着いたのでサービスが終わるまでそこに立ち止まっていた。
サービスが終わり、そろそろ外に出ようと思っていると、暗い中から一人の年配の男性に声をかけられた。
『アンタもここに来ていたのか。私はアンタを良く見かけるからね』と言われたので、どこの誰かと思っていると、アリーの病院の掃除夫の一人だった。
いつも僕が面会時間を過ぎた後に、忍び込むようにアリーの病室に行くのを見ていたようだ。
ちょっと恥ずかしくなって照れ笑いをしていると、その老人は象のような窪んだ目を僕の方に向け、
『神のご加護がありますように』と言って外に出て行った。
サービスが終わって教会の外に出ると、街にはかなりの人通りがあった。
僕はその人混みの中をまた歩き出した。
少し暖かくなった心を、そのまま大事に両手で包み込むように。
2006年12月19日 君が世の中の全て
今日もまた暖かい日だった。
僕は午前中はアリーの代わりに、更生施設でカウンセリングのボランティアをした。
強姦で服役中の男の子と、麻薬と傷害で服役中の女の子とそれぞれ話をした。
彼らと話をすると、本当にスポンジに水分を取られてしまうような疲労感を感じる。
それだけ、色々と貪欲なコニュニケーションが要求されるという事だ。
やはり彼らは、人とのつながり、コミュニケーションに飢えているという事なのだろうか。
彼らと2時間も話していると、こちらは疲弊してヘロヘロになってしまう。
癌を患っていながら、こんなことまでしようとしていたアリーの心意気には、今更ながら驚かされた。
アリーに対する愛情から、発作的にこんな事を引き受けてしまったが、本当に僕のような人間が話し相手になって彼らの為になるのか?等と色々悩みは尽きない。
ボランティアを終え、僕は自分の仕事に戻る前に、アリーの病室にちょっと顔を出した。
アリーには訪問を告げていなかったので、アリーはドアを開けた僕を見つけると、予想以上に喜んでくれた。
僕は素直にそれが嬉しかった。
今日は夜にアリーを見舞う事になっていたので、ほんの15分位立ち寄っただけだったが、わざわざ15分の為に時間をかけて来た事が、アリーはなりより嬉しかったようだ。
僕はいつものようにアリーのベッドの隣に腰をかけ、アリーの手を握って、今日のこれまでの出来事を色々と報告をした。
僕はアリーに正直に、更生施設の子供達とどう接していいかわからなくて、いつも帰る時には、自分自身が空っぽになってしまうと伝えた。
アリーはただ微笑んで僕の顔を撫で、
『それは貴方がそれだけ真面目に取り組んでいるって言う事』と言った。
そしてまた微笑んだ。
最近アリーと話す時には、アリーがまるで悟りを開いた行者のように見える事が多い。
アリーの言葉とその全てを悟ったような微笑みに、僕はただ、そんなものかな?と半ば感心しながらアリーの顔を見た。
そんな僕の考えにおかまいなしに、アリーは優しい微笑みを僕に投げかけている。
僕はアリーの手を握りながら、昨日起こった事や今日する事に着いて更に話をした。
アリーは僕の手の上で軽くリズムを取りながら、
『貴方の話を聞いていると、アタシがここで寝ている間も地球は、何の変わりもなく一日一日動いているっていう感じがするね』と言ってかすかに笑った。
確かに世界に取ってはアリー、一人の問題など取るに足らない問題だけれども、僕に取ってはこの世で一番大事な問題だ。
アリーが笑えば僕の世界は明るくなるし、アリーが泣けば僕の世界は闇で包まれる。
僕はアリーに
『僕に取っては、君が世の中の全てだから』と言うと、アリーは笑って
『貴方は、いつも優しいね。アタシにとっても貴方が世の中の全てだから』と言ってくれた。
僕らは二人で顔を見合わせて笑った。
冬の柔らかい日差しが病室の窓に差し込んでいた。
『もう行かなくちゃ』と僕はアリーに告げ、アリーの手にキスをして立ち上がった。
『また、後でね』とアリーは微笑んで手を振った。
アリーの病室を出て僕は自分の仕事場に戻った。
もう何処にも行かないと決めた後でも、色々と残務整理はあるので、色々と忙しく午後を過ごした。
仕事の合間に、今度のクリスマスの、アリーへのサプライズも準備をしなければならない。
今年のクリスマスプレゼントは、物ではない。
色々とその準備に時間がかかった。
でも、今週中に片付けないと間に合わないので、ちょっと焦り気味に作業を続けた。
仕事を片付け、夜の8時過ぎにまたアリーの病室に戻った。
先ほどと同じようにアリーのベッドの隣に腰を下ろして、アリーの手を握ると、
『外も寒くなって来たんだね。貴方の手が冷たくなっている』と言って、僕の手を自分の口に持っていき、自分の息で手を温めてくれた。
僕はアリーが眠りに落ちるまで色々な話をした。
アリーが眠ったのを確認して、僕はアリーの手をほどき病室を後にした。
アリーが言ったように外の気温は下がり始めていた。
僕はジャケットの襟をたてて、冬のニューヨークの街を歩きながらアリーへのクリスマスプレゼントの事を考えた。
元々は、アリーのクリスマスプレゼントに色々な物を準備していた。
それはそれで、アリーにプレゼントするのだが、退院の目処がつかない入院中のアリーに、そんな、物だけをプレゼントしてもしょうがないと思い、僕は何か他のアイディアを探し始めた。
病室で寝たきりでも、貰って嬉しいプレゼント。
病気と闘って、頑張って生きようと思ってくれるようなプレゼント。
アリーが、この世の中で生きて来た証を確認できるようなプレゼント。
アリーが死んでも、皆がアリーの事を思い出すようなプレゼント。
花束とか、装飾品とか、車とか、家とか、結婚指輪とかじゃなくて、アリーの生き様を伝えるようなプレゼント。
僕は、このところそれだけを考えている。
夜も昼も時間があれば、その事だけを考えている。
これが最後のクリスマスかもしれない。
二人に取って悔いのないクリスマス。
何となくアイディアが浮かんで来た。
問題は、25日までに間に合うかどうか。
頑張らないと。
僕がこの世の中で一番大切にしているアリーの為に。
2006年12月23日 幸せの総量
今年はなかなか厳しい一年だったけれど、僕の会社の人たちは皆頑張ったので感謝をしている。
来年の事を考えると鬼が笑うけど、僕としては、会社で働いてくれている人達を路頭に迷わさない為に、どう道筋をつけるかを真剣に考えないといけない。
僕は一人、仕事場のデスクで仕事をしている。
夜の7時半過ぎだけれども、仕事場には僕以外はもう誰もいない。
ビルの掃除の人達が、入ってきてフロアの掃除をしていたので、彼らに一足早いクリスマスプレゼントをあげた。
プレゼントと言っても、お金を包んで渡すだけだけれども、彼らは一応にニッコリと笑い、グラシアスと言ってくれる。
僕はどうしてもこういった人達のことが気になってしまう。
色々な環境で真面目に頑張っている人達。
陽気にスペイン語の唄を歌いながら、誰もいなくなったビルで掃除をする人達。
彼らにも彼らの家庭があり、その人達の為にこうやって一生懸命働いているのだろう。
一方、僕の仕事関係では、お金をお金とも思わない人も一杯いる。
今年のアメリカの大企業のトップのボーナスは55億円だったそうだ。
55億円なんて何に使うんだろう?
僕だって、アリーの入院費用や保険の効かない色々な薬等の費用は結構高いし、お金は欲しいけれど、どうも僕の周りにいるお金持ちは幸せそうに見えない。
今日、僕の仕事関係のパートナーが、休暇で家族をつれてフランスに発った。
彼もボーナスは10億円ほど貰っているけれど、いくらはなしを聞いても、決して幸せそうには思えない。
僕のやっかみもあるのだと思うが、最近は、人間の幸せは絶対量が決まっていて、どこかで恵まれすぎている人は、他の部分で辛い事があり、相対的には、全ての人間の幸せの総量は、あまり差がないのではないかと思うようになってきた。
そんな中で僕は、ビルを掃除に来ているような人達と5分でも、話をして、ホリデイを互いに祝う方が、よっぽど楽しく気持ちが癒される気がする。
今日は10時頃までここで働いて、アリーの病室に見舞いに行く。
今日の昼ごろにアリーのところに行き、1時間ほどアリーと話をしたけれど、最近、一日に二回見舞いをするのが習慣になってきてしまった。
流石に40歳を過ぎると、サンタクロースも来てくれなくなるけれど、もしもプレゼントをくれるんだったら、アリーに元気な体をあげて下さい。
僕の寿命を半分にしても、アリーがもう一度元気になってくれれば、僕はサンタクロースの為に、ニューヨーク中の煙突掃除をしても良いと思う。
世界中の人に心の優しくなるクリスマスがきますように。
2006年12月24日 People Get Ready
昨日は、夜10時に仕事を終えてアリーを見舞いにいき、僕はそのまま病院に泊まった。
病院の堅いベンチで横になり寝ていたが、まだ外が薄暗いうちに目をさました。
朝の6時過ぎ頃だったと思うがアリーの病室に戻ると、アリーはもう目を醒ましており、僕を見つけると、ほっとしたように小さく笑った。
僕もアリーに笑いかけ、アリーの頬にキスをした。
病室の窓のカーテンをあけると、まだ外は薄暗かった。
花瓶の水を取り替えて、僕はまたアリーのベッドのとなりに置かれたパイプ椅子に腰を下ろし、アリーの手を握って、アリーをもう一度見て笑った。
アリーは小さな声で、
『おはよう。また新しい朝を迎える事ができて、目を開けると貴方がいて幸せだね』と呟いた。
僕は黙ったまま、アリーの手を握っていたその手に力を入れた。
アリーはそれを感じ取って微笑んだ。
二人で手を繋いだまま、話をするでもしないでもなく、そのまま夜があけるのを見ていた。
静かでゆっくりとして、少し神々しい時間が二人を包んだ。
僕はアリーの手を握りながら、パイプ椅子にもたれかかり、完全に夜があけたニューヨークの曇り空を眺めていた。
何となくカーティス・メイフィールドの”People Get Ready”(ピープル・ゲット・レディ)を口ずさんでいた。
<People Get Ready ー 訳詞>
用意はいいかい。
列車がやって来る。
荷物なんかいらないよ。
ただ列車に飛び乗れば良いんだ。
ディーゼルの音を聞いて、ただ信じる気持ちさえあれば良い。
切符なんていらないよ。
ただ感謝する気持ちがあれば良い。
用意はいいかい。
このヨルダン行きの列車に乗ろう。
街から街へ、人々を乗せながら。
信じる事が全てだよ。
ドアを開けて、人々を乗せてあげよう。
神を信じる全ての人々に望みがありますように。
誰でも乗れるけど、自分の事しか考えないで、その為に他人を傷つけてしまうような人は、乗れないよ。
用意はいいかい。
ほら、お迎えが来たようだ。
<People Get Ready>
呟くでもなく、唄うでもなく”People Get Ready”を口ずさみながら、アリーとの色々な楽しい思い出が浮かんでは消えた。
アリーの言うように、新しい朝を二人でまた迎えられた事を心から感謝した。
今まで当たり前だと思っていたが、実は大変な事で、当たり前だと思っていた事に、心から感謝ができるのは、僕の心が少し大人になったからかな?などと思った。
本当は全てアリーのおかげで、僕自身はちっとも成長していない。
どんどん先に大人になってしまうアリーを、僕は後から懸命に追いかけているだけだ。
僕ら二人に迎えの列車がくるまで、汽笛が聞こえるようになるまで、僕は自分の荷物を、がつがつトランクに入れて列車を待つのではなく、全てを手放して、体一つで列車に乗れるような、心の綺麗な人間になるように努力をしないと。
アリーが乗れて、僕が乗れないなんて事になると困るから。
僕は用事があったので、アリーにまた夜に見舞いに来ると告げてアリーの病室を後にした。
明日はクリスマスだ。