2006年12月15日 瞳の中に貴方が見える
ニューヨーク時間の夕方に、僕の乗った飛行機は、滑るようにニューヨークの空港に降り立った。
フライトは、ほぼ満席だった。
ニューヨークに帰る日取りを突然決めたので、僕のアシスタント達は、東京サイドもアメリカサイドもかなりてんてこまいだったようで、全ての飛行機会社に予約を入れてもキャンセル待ちのところがほとんどだったようだ。
最後に、幸運にもそのうちの一つのキャンセル待ちが取れたので、そのフライトに乗って帰る事ができた。
日本にいる間は殆ど寝ていなかったので、成田に着き、飛行機に乗り込むと、まだ飛行機がゲートを離れる前から、僕はそのまま寝てしまい、結局食事もとらずに11時間半、そのまま眠り続けたようだ。
目を醒ますと、ちょうど飛行機は既に着陸準備の為に高度を落としている所で、着陸10分前だった。
窓の下には見慣れたマンハッタンの風景が広がっていた。
僕はその中に、アリーのアパートを思わず探していた。
アリーは今病院に入院しているのに、思わずアパートを探していた自分に苦笑をした。
飛行機を降り、税関を抜け、迎えの車に乗り込んだ。
携帯のメールをチェックすると、アリーのお姉さんから、今日の夜は両親がアリーを見舞っているので、彼らが帰ったら僕に連絡をするとメッセージが入っていた。
今すぐにでもアリーの病室に飛んで行きたい気持は一杯だが、アリーの病室で、また彼らと喧嘩をする訳にもいかず、どうしようもない気持を抱えながら、僕は取り敢えず家に帰って、お姉さんからの連絡を待つ事にした。
いつもだったら、アリーと電話で話をしている車の中で、僕は鳴らない携帯を弄びながら、ニューヨークの灰色の空を見ていた。
家に戻った頃には、もうあたりは暗くなっていた。
誰もいない家に戻り荷物を置き、冷蔵庫から水を出して取り敢えず水を飲んだ。
そういえば昨日から何も口に入れていなかったので、水が胃袋の底に流れ込むのを感じ取る事ができた。
こうなっては、僕は待つ事しかできない。
街は買い物客や観光客で賑わっている。
街並は既にクリスマス一色で、様々なイルミネーションで飾られている。
そんな中で僕は一人電話を待っている。
こんなに近くにいても、まだアリーに会う事ができない。
ただ待っているものは一本の電話。
かなり遅くなってからお姉さんからメールがあった。
ようやく両親が帰ったので、面会時間はとっくに過ぎてしまったけれど、今からだったら病室に来ても大丈夫というメールだった。
僕はメールを見てすぐに病院に向かった。
病院に着いた時には、もう夜の11時に近かった。
街は相変わらずクリスマス一色で、タイムズスクウェアの店は、かなりの所が遅くまで営業をしており、観光客でまだ賑わっていた。
僕はそんな楽しそうな喧噪を抜け、一人病院に向かった。
アリーに会う事だけを考えて。
アリーの病室のドアを開けると、そこに僕が、ここずっと夢に見続けた天使が横たわっていた。
前よりも体にささっているチューブの数が増えてしまったけれど。
前よりも周りの恐ろしげな機械の数が増えてしまったけれど。
でも、アリーはそこにいた。
僕を見つけると、アリーは疲れた微笑みを浮かべ、
『こんな姿になっちゃったけど、ちゃんと死なないで待っていたでしょ』と消えそうな声で言った。
僕も微笑んで
『僕にとっては、君は誰よりも美しいよ』と言ってアリーの手を取った。
そしてもう一度微笑んで
『ただいま』と言った。
アリーも
『お帰りなさい』と言って微笑んでくれた。
その姿はさらにやせ細り、体中にさされたチューブや、青ざめた顔色が、病気の進行を物語っていたけれど、アリーは、僕との約束を守って僕を待っていてくれた。
僕は
『僕を待っていてくれてありがとう。もうどこにも行かないから』と言った。
アリーは
『急いで帰って来てくれてありがとう。こんな格好を貴方に見せたくはなかったけれど、でも貴方に会いたかった』と言った。
僕はアリーの隣にすわり、アリーの手をとったまま、ヨーロッパでの仕事や、東京の仕事の話をした。
アリーに会う前までは、僕は会社の乗っ取り屋のような仕事をしていた。
経営陣の無策で潰れる直前になった会社を安値で買い、不要な部分は容赦なく切り落とし、望みのある所だけを高値で売り飛ばしていた。
人に胸を張って言えるような仕事ではない。
アリーと会って、アリーから色々な事を学んで、僕は会社を乗っ取って切り売りするのではなく、買い取った会社を、何とかそのまま再生させることができないかと考えるのが、僕の仕事に変わった。
そのお陰で僕の収入はがた落ちしたけれど、僕は人としての自信を持ち直す事ができた。
ここ何年かやっていた仕事は、切り捨てるのではなく、アリーから学び取った、再生をするという精神で取り組んだプロジェクトだった。
僕の同業者は皆、僕をお人好しの馬鹿者だと嘲った。
それでも良かった。
僕はアリーのように、人として、その生き方に自信を持てる人間になりたかった。
そのプロジェクトをここ何年か続け、今回のヨーロッパと日本での仕事で、倒産寸前で買い取った会社を、切り売りや従業員を解雇する事なく、なんとか事業再生をさせ、黒字復活させ、もっと安定した会社に合併させる事になんとか成功した。
僕はアリーに、プロジェクトがうまくまとまった事を報告して、アリーにお礼を言った。
僕が自分に自信を持てる真っ当な人間になれたのは、他ならぬアリーのおかげだった。
アリーは、ただ微笑んだままそれを聞いて
『アタシも嬉しい』と言ってくれた。
僕と仕事で絡んだ人達は、僕がこのままいなくなってしまう事が、容認できないようで、どうかそのまま仕事を続けて欲しい。
いなくならないで欲しいと言ってくれる。
ありがたい事だ。
それもこれもアリーのおかげで、アリーに会う前の僕だったら、人に恐れられる事はあっても、求められる事はなかった。
人の気持ちはありがたい。
ただ僕は、もう自分のミッションを成し遂げた気がする。
『これから、どうしようか?』とアリーに聞いてみた。
アリーは、力なく笑って、
『アタシの近くにいて、アタシの面倒を見なさいよ』と言った。
僕も笑った。
僕は
『その為には元気になって、パリに行けるようにならないと。その前にこのチューブを取り去って、僕が、君を抱きしめる事ができるようにしてくれないと』と言って笑った。
アリーも笑った。
もう夜中をまわり、かなり夜も更けて来た。
このままアリーを起こし続けるのも良くないと思い、僕は帰る事にした。
帰り際にアリーは、僕の頭を両手で掴み、自分の胸に抱きかかえるようにして、
『貴方は、アタシに何があっても死んじゃ駄目よ』と言った。
僕は一瞬言葉を失ったけれど、何か答えなといけないと思い、
『君はそんなに簡単に死なないよ』と答えた。
アリーは僕の頭を自分の胸に抱えたまま母親のように笑った。
そして
『今、アタシの瞳の中に、貴方が見える。それがとっても嬉しい。貴方がいない間ずっと貴方の事を考えていたけれど、やっぱり自分の目で貴方を見たかった』と言って小さく笑った。
【 瞳の中に、貴方が見える 】
僕はアリーのフレーズを繰り返して呟いてみた。
2006年12月16日 子守唄
今週はハニカ、来週はクリスマスと、もうニューヨークは、年末ムード一色だ。
僕は、時差ボケでだるい体を起こす為にジムに行き、久しぶりに汗を流した。
ここ暫くジムにも行っていなかったので、随分痩せたなと思いつつ、せめてジムにいる時は、色々な事を考えないですむので、ただ無心にマシンに向かった。
ジムが終わって、たまった洗濯物を片付け、アリーのかわりに約束したボランティアのカウンセリングに出かけた。
犯罪を犯して服役中の子供達の更生施設でのカウンセリングだ。
彼らの目を見ていると、昔の自分を思い出すような気がする。
簡単に結論めいた事を言うのは、良くないけれど、やはり、周囲の愛に飢えているのかな?という気がしたのは僕だけなのだろうか。
カウンセリングをしながらも、心は常にアリーの事を考えていた。
僕はこれを、あくまでもアリーのかわりにしているに過ぎない。
だから、アリーのボランティアをしようと思った気持ちが妥協されないように、アリーだったら何がしたかったのだろうと考え、今日のボランティアをこなした。
ボランティアの後は仕事場に行き、色々と雑務をこなした。
気がついたら夜の8時を回っていた。
お姉さんからメールを貰ったので、アリーの病室にアリーを見舞いに行った。
アリーはいつも通りのアリーだったけれど、すこし疲れていて気が立っていた。
僕は、だから両親も早く帰ったのだな?と勝手に想像をしながら、ベッドの隣の椅子に座り、アリーの話を聞き続けた。
アリーのそういった話を聞くのは辛いけれど、何もできない自分自身はもっと辛かった。
ただ僕にできる事は話を聞くだけ。
だから僕はアリーの話を聞き続けた。
ただ、アリーの話を聞く。
それが今の僕にできる唯一の事。
悲しいけれど、それが現実だ。
一通りアリーの話を聞いてると、アリーも話し疲れたのか、僕の手をとり、目を閉じて暫く黙っていた。
小さい病室に静寂が訪れ、アリーの周りに並べられた機械の不気味な電気音だけが部屋に響いた。
その音だけが部屋中に響くのに耐えかねて、僕が話を始めた。
どうでも良い僕の一日についてだった。
独り言とも、アリーに話しているともつかない小さな声で、ボランティアに行った時にあった子供達の事、その時に僕が話した事、感じた事、そんな事を話し続けた。
僕の手を握るアリーの手に、少し力が入ったような気がした。
アリーを見ると、目を閉じたまま涙を流していた。
僕はそのまま、独り言ともアリーに話しかけているとも、はたまた子守唄を唄っているともつかない小さな声で、アリーが眠りに落ちるまで、そうやって話を続けた。
話す事が見つからなくなると、自分の知っている昔話までした。
自分の子供を寝かしつけるように、ずっと話を続けた。
アリーの寝息が聞こえるまで。
アリーを寝かしつけ、僕はそっとアリーの手を離し病室の窓から外を見た。
病院の周りはアパートが建ち並んでいる住宅街だが、そのアパートの窓にも、クリスマスの飾り付けやイルミネーションが思い思いに飾られていた。
僕は窓から見える外の景色と、窓に反射して見えるアリーの姿を重ねて、暫く外を眺め続け、アリーの事を考えた。
時間がかなり遅くなっていたこともあり、病院の人に、いい加減に帰ってくれと言われたので、僕は病室を出て病院を後にした。
風に吹かれながら暫く夜の街を彷徨い、目に留まったバーに入り、ウイスキーを注文した。
そして僕自身を飲み込むように、ウイスキーを飲み込んだ。
2006年12月18日 クリスマスの匂い
僕は今日も、相変わらず良く眠れなかったので、朝早いうちにベッドを出て、ジムで2時間程汗を流した。
僕のパーソナルトレーナーのネルは、今日が今年最後で、今週、家族とクリスマスをフロリダで過ごすそうだ。
僕は彼女に早めのクリスマスプレゼントを渡した。
ネルは、愛くるしい目をくりくりさせながら、
『どうもありがとう。ちゃんと休みの間もストレッチを忘れないでね』と言って去って行った。
僕は実は、ジムの運動は好きなのだが、ストレッチは大嫌いなのだ。
どうもあのストレッチというのは、運動をやっている気がしない。
僕は貧乏性なので、重いウェイトとかを大汗をかいてあげたりしていないと、運動をしている気がしないのだ。
ただ、トレーナーのネルによると、僕のような人間が歳を取った時に、畳の縁に躓いて骨折をしたりするらしい。
『そんな歳になるまで、生きているつもりはないから、余計な心配をしないでくれ。』と僕はネルに言って笑った。
ジムでの運動が終わり、シャワーを浴びて、着替えをし、アリーの見舞いに出かけた。
アリーのお姉さんから、12時くらいに来て欲しいと言われたので、その通りに病院に行った。
天気の良い日だったので、アリーの病室の中にも柔らかな冬の光が差し込んでいた。
僕はアリーの隣に座り、アリーの手をとって、求められるままに色々な話をした。
日本の里子から気の早いクリスマスカードが来ていたので、アリーにそれを見せた。
最近の日本では、小学校でも英語の授業があるらしい。
今年のクリスマスカードには、子供達が一生懸命英語で書いてきたものが幾つかあった。
アリーは嬉しそうにそれを眺め、鉛筆で書かれた下手くそだが、一生懸命書かれた文字を、細い指でなぞっていた。
僕達は日本の里子の話をし、アリーの姪っ子の話をし、アリーの代わりに僕が行っているボランティアの子供達の話をした。
暫くしてアリーは、眩しそうに目を細めて、外からさす冬の光を見た。
そして
『貴方ともう一度、手を繋いで外を歩いてみたい』と言った。
僕は黙ったまま、握っていたアリーの手を僕に近づけて、手に口づけをした。
『直ぐに良くなって歩けるようになるから』なんていい加減な事を言う事はできなかった。
だから僕の思いを一杯込めて、アリーの手に口づけをした。
アリーは、ただ笑みを浮かべて僕を見つめた。
3時にはアリーの両親が見舞いに来るので、僕は彼らが来る前にアリーの病室を出た。
この期におよんで、アリーの両親と議論をしたりするのは意味がない。
僕が我慢をすれば良いのだ。
病院を出て、僕はあてもなく歩いてみようと思い街を歩いた。
ジャケットのポケットに手を突っ込み、人気の少ないストリートから公園をいくつか抜け、普段は見落としている風景に立ち止まりながら、たまにすれ違う人達と声をかけ、歩き続けた。
暫く歩いて、教会の前で足を止めた。
丁度、そこでは午後のサービスが行われている所だった。
僕はどこの宗教にも属していないけれど、なんとなく開け放たれたままのドアから中に入り、遠巻きにサービスを眺めていた。
別にそれに参加する訳でもなく、ただ遠くから眺めているだけだったが、何となく気持ちが落ち着いたのでサービスが終わるまでそこに立ち止まっていた。
サービスが終わり、そろそろ外に出ようと思っていると、暗い中から一人の年配の男性に声をかけられた。
『アンタもここに来ていたのか。私はアンタを良く見かけるからね』と言われたので、どこの誰かと思っていると、アリーの病院の掃除夫の一人だった。
いつも僕が面会時間を過ぎた後に、忍び込むようにアリーの病室に行くのを見ていたようだ。
ちょっと恥ずかしくなって照れ笑いをしていると、その老人は象のような窪んだ目を僕の方に向け、
『神のご加護がありますように』と言って外に出て行った。
サービスが終わって教会の外に出ると、街にはかなりの人通りがあった。
僕はその人混みの中をまた歩き出した。
少し暖かくなった心を、そのまま大事に両手で包み込むように。
2006年12月19日 君が世の中の全て
今日もまた暖かい日だった。
僕は午前中はアリーの代わりに、更生施設でカウンセリングのボランティアをした。
強姦で服役中の男の子と、麻薬と傷害で服役中の女の子とそれぞれ話をした。
彼らと話をすると、本当にスポンジに水分を取られてしまうような疲労感を感じる。
それだけ、色々と貪欲なコニュニケーションが要求されるという事だ。
やはり彼らは、人とのつながり、コミュニケーションに飢えているという事なのだろうか。
彼らと2時間も話していると、こちらは疲弊してヘロヘロになってしまう。
癌を患っていながら、こんなことまでしようとしていたアリーの心意気には、今更ながら驚かされた。
アリーに対する愛情から、発作的にこんな事を引き受けてしまったが、本当に僕のような人間が話し相手になって彼らの為になるのか?等と色々悩みは尽きない。
ボランティアを終え、僕は自分の仕事に戻る前に、アリーの病室にちょっと顔を出した。
アリーには訪問を告げていなかったので、アリーはドアを開けた僕を見つけると、予想以上に喜んでくれた。
僕は素直にそれが嬉しかった。
今日は夜にアリーを見舞う事になっていたので、ほんの15分位立ち寄っただけだったが、わざわざ15分の為に時間をかけて来た事が、アリーはなりより嬉しかったようだ。
僕はいつものようにアリーのベッドの隣に腰をかけ、アリーの手を握って、今日のこれまでの出来事を色々と報告をした。
僕はアリーに正直に、更生施設の子供達とどう接していいかわからなくて、いつも帰る時には、自分自身が空っぽになってしまうと伝えた。
アリーはただ微笑んで僕の顔を撫で、
『それは貴方がそれだけ真面目に取り組んでいるって言う事』と言った。
そしてまた微笑んだ。
最近アリーと話す時には、アリーがまるで悟りを開いた行者のように見える事が多い。
アリーの言葉とその全てを悟ったような微笑みに、僕はただ、そんなものかな?と半ば感心しながらアリーの顔を見た。
そんな僕の考えにおかまいなしに、アリーは優しい微笑みを僕に投げかけている。
僕はアリーの手を握りながら、昨日起こった事や今日する事に着いて更に話をした。
アリーは僕の手の上で軽くリズムを取りながら、
『貴方の話を聞いていると、アタシがここで寝ている間も地球は、何の変わりもなく一日一日動いているっていう感じがするね』と言ってかすかに笑った。
確かに世界に取ってはアリー、一人の問題など取るに足らない問題だけれども、僕に取ってはこの世で一番大事な問題だ。
アリーが笑えば僕の世界は明るくなるし、アリーが泣けば僕の世界は闇で包まれる。
僕はアリーに
『僕に取っては、君が世の中の全てだから』と言うと、アリーは笑って
『貴方は、いつも優しいね。アタシにとっても貴方が世の中の全てだから』と言ってくれた。
僕らは二人で顔を見合わせて笑った。
冬の柔らかい日差しが病室の窓に差し込んでいた。
『もう行かなくちゃ』と僕はアリーに告げ、アリーの手にキスをして立ち上がった。
『また、後でね』とアリーは微笑んで手を振った。
アリーの病室を出て僕は自分の仕事場に戻った。
もう何処にも行かないと決めた後でも、色々と残務整理はあるので、色々と忙しく午後を過ごした。
仕事の合間に、今度のクリスマスの、アリーへのサプライズも準備をしなければならない。
今年のクリスマスプレゼントは、物ではない。
色々とその準備に時間がかかった。
でも、今週中に片付けないと間に合わないので、ちょっと焦り気味に作業を続けた。
仕事を片付け、夜の8時過ぎにまたアリーの病室に戻った。
先ほどと同じようにアリーのベッドの隣に腰を下ろして、アリーの手を握ると、
『外も寒くなって来たんだね。貴方の手が冷たくなっている』と言って、僕の手を自分の口に持っていき、自分の息で手を温めてくれた。
僕はアリーが眠りに落ちるまで色々な話をした。
アリーが眠ったのを確認して、僕はアリーの手をほどき病室を後にした。
アリーが言ったように外の気温は下がり始めていた。
僕はジャケットの襟をたてて、冬のニューヨークの街を歩きながらアリーへのクリスマスプレゼントの事を考えた。
元々は、アリーのクリスマスプレゼントに色々な物を準備していた。
それはそれで、アリーにプレゼントするのだが、退院の目処がつかない入院中のアリーに、そんな、物だけをプレゼントしてもしょうがないと思い、僕は何か他のアイディアを探し始めた。
病室で寝たきりでも、貰って嬉しいプレゼント。
病気と闘って、頑張って生きようと思ってくれるようなプレゼント。
アリーが、この世の中で生きて来た証を確認できるようなプレゼント。
アリーが死んでも、皆がアリーの事を思い出すようなプレゼント。
花束とか、装飾品とか、車とか、家とか、結婚指輪とかじゃなくて、アリーの生き様を伝えるようなプレゼント。
僕は、このところそれだけを考えている。
夜も昼も時間があれば、その事だけを考えている。
これが最後のクリスマスかもしれない。
二人に取って悔いのないクリスマス。
何となくアイディアが浮かんで来た。
問題は、25日までに間に合うかどうか。
頑張らないと。
僕がこの世の中で一番大切にしているアリーの為に。
2006年12月23日 幸せの総量
今年はなかなか厳しい一年だったけれど、僕の会社の人たちは皆頑張ったので感謝をしている。
来年の事を考えると鬼が笑うけど、僕としては、会社で働いてくれている人達を路頭に迷わさない為に、どう道筋をつけるかを真剣に考えないといけない。
僕は一人、仕事場のデスクで仕事をしている。
夜の7時半過ぎだけれども、仕事場には僕以外はもう誰もいない。
ビルの掃除の人達が、入ってきてフロアの掃除をしていたので、彼らに一足早いクリスマスプレゼントをあげた。
プレゼントと言っても、お金を包んで渡すだけだけれども、彼らは一応にニッコリと笑い、グラシアスと言ってくれる。
僕はどうしてもこういった人達のことが気になってしまう。
色々な環境で真面目に頑張っている人達。
陽気にスペイン語の唄を歌いながら、誰もいなくなったビルで掃除をする人達。
彼らにも彼らの家庭があり、その人達の為にこうやって一生懸命働いているのだろう。
一方、僕の仕事関係では、お金をお金とも思わない人も一杯いる。
今年のアメリカの大企業のトップのボーナスは55億円だったそうだ。
55億円なんて何に使うんだろう?
僕だって、アリーの入院費用や保険の効かない色々な薬等の費用は結構高いし、お金は欲しいけれど、どうも僕の周りにいるお金持ちは幸せそうに見えない。
今日、僕の仕事関係のパートナーが、休暇で家族をつれてフランスに発った。
彼もボーナスは10億円ほど貰っているけれど、いくらはなしを聞いても、決して幸せそうには思えない。
僕のやっかみもあるのだと思うが、最近は、人間の幸せは絶対量が決まっていて、どこかで恵まれすぎている人は、他の部分で辛い事があり、相対的には、全ての人間の幸せの総量は、あまり差がないのではないかと思うようになってきた。
そんな中で僕は、ビルを掃除に来ているような人達と5分でも、話をして、ホリデイを互いに祝う方が、よっぽど楽しく気持ちが癒される気がする。
今日は10時頃までここで働いて、アリーの病室に見舞いに行く。
今日の昼ごろにアリーのところに行き、1時間ほどアリーと話をしたけれど、最近、一日に二回見舞いをするのが習慣になってきてしまった。
流石に40歳を過ぎると、サンタクロースも来てくれなくなるけれど、もしもプレゼントをくれるんだったら、アリーに元気な体をあげて下さい。
僕の寿命を半分にしても、アリーがもう一度元気になってくれれば、僕はサンタクロースの為に、ニューヨーク中の煙突掃除をしても良いと思う。
世界中の人に心の優しくなるクリスマスがきますように。