目次
第一章 愛するということ
天使の指輪 
プロローグ 序章
プロローグ 序章
2006年 6月 ニューヨークの魅力
2006年06月3日  友達の背任行為
2006年 7月 病 
2006年07月05日  独立記念日 
2006年07月07日  七夕
2006年07月24日  病気
2006年07月25日  検査結果  
2006年07月26日  生きる理由
2006年 8月 日本へ
2006年08月04日  手術
2006年08月08日  退院 
2006年08月12日  日本へ
2006年08月23日  赤いドレスの女性
2006年08月24日  狸寝入り 
2006年08月25日  雷雨 
2006年08月26日  祈り
2006年08月31日  時代のうねり
2006年 9月 天国への階段
2006年09月07日  ローズホール
2006年09月10日  泣きじゃくる彼女
2006年09月11日  ワールド トレード センター
2006年09月21日  闘うこと  
2006年09月23日  市民権
2006年09月25日  日曜大工
2006年09月26日  朝日 
2006年10月 一緒に生きる
2006年10月03日  メルトダウン   
2006年10月05日  夜のハーレム
2006年10月08日  助手席
2006年10月09日  買い物
2006年10月14日  友達からのメール  
2006年10月16日  1週間分のキス
2006年10月17日  一緒に生きる
2006年10月18日  雨の火曜日   
2006年10月19日  友達へのメール
2006年10月25日  天使が舞い降りた。
2006年10月29日  神のご加護がありますように  
2006年11月 誕生日プレゼント 
2006年11月01日  ハロウィン
2006年11月02日  誕生日プレゼント
2006年11月16日  セントラルパーク    
2006年11月19日  キティちゃんの指輪
2006年11月20日  Left Alone  
2006年11月22日  仏心
2006年11月23日  小さいウイスキーボトル
2006年11月24日  帰還兵
2006年11月25日  旅の終わり 
2006年11月26日  パリでパン屋さん
2006年11月27日  クリスマスの買い物
2006年11月28日  神にすがる時 
2006年11月29日  スノーフレーク
2006年11月30日  もう一度病院生活に・・・
2006年12月 瞳の中に貴方が見える
2006年12月01日  ポインセチア
2006年12月02日  男の手料理 
2006年12月03日  天気の良い週末  
2006年12月06日  大切な思い出
2006年12月07日  北欧紀行
2006年12月08日  君のもとに帰る
2006年12月09日  The Show Must Go On.
2006年12月13日  東京にて
2006年12月14日  Going Home
2006年12月15日  瞳の中に貴方が見える
2006年12月16日  子守唄
2006年12月18日  クリスマスの匂い
2006年12月19日  君が世の中の全て
2006年12月23日  幸せの総量
2006年12月24日  People Get Ready  
2006年12月25日  クリスマス プレゼント
2006年12月26日  願い事
2007年 1月 天使の指輪
2007年01月01日  スローダンス
2007年01月02日  20年ぶりの友達
2007年01月06日  誕生日
2007年01月08日  天敬愛人
2007年01月13日  両親
2007年01月14日  名こそ惜しけれ  
2007年01月20日  非常勤の顧問
2007年01月22日  ただいま。
2007年01月23日  天使の指輪
2007年01月24日  ホットチョコレート
2007年01月25日  パリ
2007年01月29日  雪のニューヨーク
2007年 2月 雪のバレンタイン
2007年02月01日  愛しい人  
2007年02月02日  あたらしい発見
2007年02月04日  お帰りなさい。
2007年02月09日  残された時間
2007年02月10日  ありがとう
2007年02月11日  テネシーワルツ
2007年02月12日  やせ我慢
2007年02月13日  君が残した優しい思い出
2007年02月14日  雪のバレンタイン
2007年02月16日  僕は信じている
2007年02月19日  愛の力
2007年02月22日  ある別れ
2007年02月23日  別れの季節
2007年02月24日  I'm in.
2007年02月25日   Wild Horses  
第二章 生きるということ
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2007年 2月 陽はまた昇る
2007年02月27日  アリーがいてくれれば
2007年02月28日  陽はまた昇る
2007年 3月 さようなら
2007年03月02日  さようなら。
2007年03月03日  心の整理
2007年03月04日  独り
2007年03月05日  ドライフラワー  
2007年03月06日  冒険の旅へ
2007年03月08日  コミットメント
2007年03月14日  こみあげる涙
2007年03月16日  更正施設の子供
2007年03月19日  天は自ら助けるものを助く。
2007年03月21日  新しい下着
2007年03月22日  夜明けのキャッチボール
2007年03月24日  目標を一つ達成
2007年03月28日  最後まで日本人として
2007年 4月 独り言
2007年04月29日  独り言
2007年 5月 天涯孤独
2007年05月14日  天涯孤独
2007年05月16日  ある家族
2007年05月28日  カタロニアの太陽
2007年05月31日  リスボンにて
2007年 6月 交渉
2007年06月02日  中国での交渉
2007年06月13日  皆で家に帰ろう
2007年06月22日  ベランダに咲く草花
2007年06月24日  あと半年
2007年 7月 人に優しくするという事
2008年07月05日  独立記念日
2007年07月24日  人に優しくするという事
2007年 8月 湊川(ミナトガワ)
2007年08月02日  馬鹿爆弾
2007年08月21日  霧雨
2007年08月29日  遺言
2007年08月31日  湊川
2007年 9月 男の値打ち
2007年09月25日  男の値打ち
2007年09月30日  天気のよい週末
2007年10月 自分の夢
2007年10月10日  自分の夢
2007年10月19日  結婚式の準備
2007年10月22日  妹の結婚式
2007年11月 天敬愛人
2007年11月01日  ハロウィン
2007年11月02日  誕生日
2007年11月16日  死の準備
2007年11月22日  愛情が宿った人形
2007年11月29日  古いもの  
2007年12月 幸せの値段
2007年12月08日   ディズニーランド
2007年12月16日  幸せの値段 
2007年12月18日  綺麗な心
2007年12月21日  大事な家族
2007年12月24日  君を想う気持ち
2007年12月25日  武器よさらば
2007年12月31日  生きるということ
2008年 6月 夢の実現
2008年 6月 夢の実現
アリーが教えてくれた事
アリーが教えてくれた事
晴耕雨読
晴耕雨読
愛のある日
愛のある日
あとがき
あとがき
補足
補足
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2006年11月24日  帰還兵

昨日は結局、アリーのベッドで小さなウイスキーボトルを抱いて寝てしまったようで、夜明け前に閉め忘れた窓から吹き込む冷気で目を醒ました。

 

折角の感謝祭なのに、空は暗いままで雨が冷たい音を立てていた。

 

僕はベッドに入ったまま、枕を重ねて背中の後ろにおき、テレビのスイッチを入れてニュースを見た。
 
今日は、感謝祭だ。
 
どこのニュースも感謝祭のパレードについて、賑やかにニュースを流していた。

 

生憎の雨模様だが、各州からやってきた鼓笛隊が、綺麗な衣装をずぶ濡れにしながら、パレードの準備をしている模様が映された。

 

一方では、バグダッドで最大規模のテロがあり、160人が殺されたらしい。

 

この世の中は、多くの喜怒哀楽を巻き起こし、混沌としながらも確実に時を刻んでいる。

 

暫くして、携帯電話がなった。
 
アリーかなと思って電話を取ると、僕のベネズエラ人の友達のサムソンからの電話だった。

 

サムソンは2度目のイラクから帰ってきたようだ。

 

サムソンは、ニューヨークの北にある田舎町、オルタモントで大工をしている僕の古い友達に、引き取られ彼らに育てられた。

 

サムソンの実の親は、僕の古い友達の兄夫婦だったが、実の親が酷い家庭内暴力をふるい、結局、家庭は崩壊し、離婚等の一連の問題がおきたことから、それを見かねた弟(=僕の友達)が、サムソンを引き取り、自分の息子として育てる事にした。

 

サムソンは、育ての親を誰よりも愛している。

 

決して裕福ではないが、礼儀正しい若者に成長した。

 

ただ、サムソンは高校を卒業したが、満足な仕事もなく、家計が厳しかったこともあり大学には行かず、高校を卒業すると軍隊に志願した。

 

育ての親に負担をかけまいとするサムソンなりの配慮だったのだと思う。

 

そして戦争が始まり、彼はイラク戦争に先兵として駆り出された。 

 

一度だけではなく二度もイラクに送られた。
 
僕は戦争は嫌いだし、アメリカ政府の政策は間違っていると思う。

 

でも実際に戦場に行った人には、そういった政策とは無関係の別次元で、やむにやまれぬ事情がある。

 

人間とはある意味、悲しい性の生き物だ。

 

アメリカは実は貧富の差が激しい国で、田舎の街に行けば失業率も高くなり、特にそれが、黒人やメキシコ系の階層になると更に失業率があがり、そういうところに軍のスカウトマンは奇麗な軍装で着飾って、志願兵の勧誘に行く。

 

軍に入れば、大学の費用を軍が負担してくれる制度とかもあり、あの手この手で勧誘をする。

 

汚い仕事は下層階級にやらせるという、アメリカの醜いひずみを僕は嫌というほど垣間みてきた。

 

イラク戦争に国を巻き込んだアメリカの主導者は間違っていても、サムソンのように家族のために軍に入り、疑問を持ちながらもイラクに行かざるおえない人もいる。 

 

戦争の現実は、個人にとっては重過ぎる影を投げかける。

 

それでも僕らは、生き抜かなければならない。

 

電話のサムソンはいつもどおりの明るい声だったけれども、彼の声は、やはり疲れており、凄く年を取ったような感じがした。

 

やはりイラクで戦争の意義に疑問を感じながらも、自分の生活と家族の生活を守るために戦い続かざるを得ないサムソンの複雑な心境と悩みが、痛いほど伝わってきた。

 

僕にできる事は、サムソンのそういった板ばさみの心境を理解し、彼がその心境をぶちまけたい時に、そばにいて話を聞いてやる事だけだ。

 

友達とはきっとそういうものなのだろう。

 

サムソンは2度目のイラクから無事に帰還し、感謝祭の休みを、オルタモントの育ての親の家で過ごしていると言った。

 

僕らはその昔、よく感謝祭を一緒に祝ったので、それを思い出して、サムソンは電話をしてくれたようだ。

 

オルタモントは、マンハッタンから車で2時間程の距離にあるが、僕は雨の中車にのり、久しぶりにサムソンに会いに行く事にした。

 

僕はマンハッタンを離れ、北に向かって車を走らせた。

 

ハドソン川を右手に見ながら、どこまでもどこまでもまっすぐに伸びて行く高速道路を走った。

 

周りの景色は紅葉の時季は過ぎ、既に冬山の様相を呈しいており、水墨画のように荒涼とした灰色の山々が連なっていた。

 

一人で車を飛ばしながら色々な事が、僕の頭の中に浮かび消えて行った。

 

僕はオルタモントに着いた。

 

この前ここに来たのはもう何年も前だったのに、その時から時間が止まっているかのように、周りの景色や空気までもがそのままだった。

 

僕は雨が降り続ける砂利道の端に車を止め、途中で買ったビールのケースを両脇に抱えて、僕の古い友達の家のドアを叩いた。

 

中から懐かしい顔がドアを開け、僕を迎えてくれた。
 
僕はビールケースをドアの所におき、サムソンを力一杯抱きしめた。
 
『しばらくぶりだね』と長い抱擁の後にサムソンが言った。
 
『本当にしばらくぶりだ。無事に帰って来てくれて嬉しいよ』と僕は言って彼にビールを渡した。

 

僕らは暫く、色々な昔話をした。 

 

サムソンはイラクの話はしなかったが、イラクでの生活が、過酷なものであった事は、彼を一目見ればすぐに分った。

 

サムソンは以前よりも無口になり、時々見せるその笑顔も哀しげなものになっていた。

 

彼らの家で七面鳥を食べ、その後に場末のバーに行って、ビリヤードをして遊びバーカウンターに座り、酒を飲みながらまた暫く話をした。

 

あまり遅くまでいると帰れなくなってしまうので、僕は何杯目かのウイスキーグラスを空けたところで立ち上がり、サムソンに別れを告げた。
 
別れ際にもう一度、彼を抱きしめて、
『何かあったら相談に乗るから、電話をして来て欲しい』と告げた。

 

サムソンは、寂しげな顔で微笑んで、
『ありがとう、おじさん。また電話をするよ』と言った。

 

僕はサムソンを彼の家の前で降ろし、雨の中を一人マンハッタンに戻った。

 

帰りの車の中でも、色々な思いがよぎった。

 

この世の中は沢山の喜怒哀楽をのせて、混沌としたまま動いている。

 

そして誰の為に立ち止まる事もせず、時間は、誰に対しても無情にその時を刻んで行く。

 

全ての人には、それなりの喜怒哀楽があり、それぞれの問題と向かい合って、なんとか生き続けようと努力をしている。 

 

そこには、正しいとか間違っているとかは存在しない。

 

ただ、皆、目の前の問題をなんとかしようと必死に生きているだけだ。

 

車のラジオが、今日のバグダットのテロで160人死んだ事に関してまた論調を加えていた。
 
共和党の敗北で、イラク戦争の終結が早まる事を皆が期待している。 

 

民主党の議員は、政府が間違った戦争をなかなかやめようとしないのは、戦争を貧困層や少数民族に押し付けて、議員の家族や、議員の選挙地盤の支持層の子供達が、戦争に駆り出されて死ぬ危険性がないからだと指摘し、徴兵制を復活させれば、不用意な戦争はしなくなるはずだと主張していた。

 

乱暴な主張だとは思ったけれど、そういう側面もあるのかもしれない。
 
サムソンのように、真面目に生きていても日々を生きるのが精一杯で、彼を救ってくれた育ての親に負担をかけない為にやむを得ず軍隊に志願をした者もいる。

 

そういった人達が実際には戦地に送られ、議員の子供達が、志願をしてイラクに行った等という話は聞いた事がない。

 

僕はこの国の政治には興味がないが、ただサムソンのような境遇にいて、必死に生きている人達が、少しでも報われ、普通で静かな生活を送る事ができるように祈るだけだ。

 

マンハッタンに近くなった頃に、アリーから今日何度目かの電話があった。 

 

僕はアリーに今日の出来事を伝えて、オルタモントまで車を飛ばして、帰還したサムソンを見舞った事を伝えた。

 

雨は相変わらず降り続き、対向車のヘッドライトをイルミネーションのように輝かせていた。

 

僕はアリーと話を続けながら、闇のように暗い一本道の高速を南に走り続けた。


2006年11月25日  旅の終わり 

オルタモントから帰って来ても色々と考え事を続け、僕は眠る事ができなかった。

アリーのベッドに一人で潜りこみ、電気を消したまま色々な事を考え続けた。
 
アリーの事、友達の事、仕事の事、僕の過去に起こった様々な事、次から次へと頭に浮かんでは、消えた。

僕は今度の誕生日で44歳になる。
 
若い頃は音楽で生きて行こうとした。

最初の彼女(エリカ)と出会い、二人で音楽を目指し、僕は才能のあるエリカの夢を潰さない為に自分は音楽から身を引いた。

エリカは、ほそぼそと音楽の仕事を続け夢をつないだ。 

エリカの夢が僕の夢だった。 

ただエリカは僕を成田に迎えに来てくれた帰りに、交通事故を起こし、車を運転していたエリカは、僕の目の前で焼け死んでしまい、助手席に乗っていた僕は生き残った。

病院でエリカが妊娠していた事を聞いた。

僕は薬に溺れ、手首を切り、何度も死の衝動にかられた。
 
それでも死ぬ事ができず、結局僕は日本を捨て海外に逃げた。
 
海外に移り住んでからも、僕はその思いから逃げ出す事ができず、いつも危ない仕事だけを引き受け、死ぬ事を望んでいた。

エリカを失い、子供を失った事から、自分が生きている間に、何か罪滅ぼしをしたいと思い、東南アジアから来るジャパ行きさんが、日本に来て日本人の男に騙され、日本人とハーフの子供を生んでしまい、途方に暮れる人達の里親になった。

子供にちゃんとした国籍を与え、保険の手当をして、ちゃんとした義務教育を受けさせるのが、僕のボランティアの内容だった。 

 

いざ始めると僕はのめり込む方なので、そういった子供達が、他の日本人の子供に学校で苛められないように、子供達に満足な教育を施したいと思い、自分の私財を投げ打った。

自分の助けている子供達が、何の苦労も知らない、生意気な心ない日本人の子供達に差別されるのが許せなかった。

その子供達のプライドは、僕のプライドだった。

その子供達は、僕をアメリカの伯父さんと呼び、学校で書いた絵や手紙を未だに僕に送って来てくれる。

僕は人を助ける事で、自分が生きて来た意味をなんとか見つけようとした。
 
そして死んでしまった、エリカと自分の子供への償いをしようとした。

その後にも何度か恋愛をして、出会いと別れを繰り返したが、僕の心が一度も満たされる事はなかった。

2001年にアラブ人の友達と命をかけた大博打をうち、血を吐き、地べたをのたうち回るような死闘を3年続けた。
 
そのアラブ人の友達は僕に
『男が男に惚れた』と言い、二人は義兄弟になった。

3年の死闘の末、その事業は2004年に大当たりをし、会社は一生使いきれない程の富を得た。

他の役員が全員相当の配当を受けたが、僕は自分の配当分を放棄し、僕がいなくなっても従業員が生きて行けるように、従業員40人にそのお金を均等に分け与えた。 

2004年に、その会社の実権をアラブ人の義兄弟に譲り、僕は別の会社を幾つか買って、それらの会社の更正の為に、命を削る事にした。
 
それが、僕が生き残る理由だと信じようとした。

そして僕は運命の女性と恋に落ちた。 

今の彼女、アリーだ。

 

アリーを知れば知る程、その心の美しさ、純粋さに胸を打たれた。 

こういう人に自分もなりたいと思った。

アリーと生きて行く事で、僕の心から死亡願望が無くなっていった。

僕はアリーの為に、アリーと一緒に生きたいと思った。

そうする事で僕の魂も、アリーの魂のように、純粋に美しいものになるかもしれないと思った。 

そうなりたいと思った。

アリーの癌が発覚したのが今年の7月だった。
 
それから4ヶ月、坂を転がり落ちるような毎日だったが、運命を凛として受け入れ、それでも無垢で純粋な心を持ち続け、周りの人に愛を与えるアリーの生き方を目の当たりにした。

僕はこの人と添い遂げようと思った。

アリーの命が尽きるまで、僕はアリーの傍にいて、アリーを守ろうと思った。
 
そしてアリーの命が尽きた時に、僕のこの世での使命も終わると思った。

そんな事を延々と考えていたら、結局一睡もする事ができなくなった。
 
僕はカーテンの隙間から、夜明け前の澄んだ空を見つめていた。

気がついた時にはベッドから出て身支度をして、銀色のヘルメットを手に取り、アリーのアパートを後にしていた。

感謝祭の翌日で、街はまだ死んだように眠りについていた。
 
僕は一人、鉄の馬にまたがり、夜明け前のハイウェイを西に目指した。
 
別に行くあてなどなかった。 

その昔、開拓民が西を目指したように、僕も一人鉄の馬にのり、西を目指した。

このままカリフォルニアまで走って行けそうな気がした。

ニューヨークを抜けニュージャージーを横断し、ペンシルバニアに入った。 

ニュージャージーを横断している間に日が昇ってきた。

このまま全てを忘れて、カリフォルニアまで走ったら、どんなに気持いいだろうと思った。

 


2006年11月26日  パリでパン屋さん

今朝もまた美しい日になった。

僕は前の晩、ペンシルベニアの一晩$40の小さなモーテルに泊まった。 

モーテルにつき、着替えを幾つかを詰めたサイドバックをバイクから外して、肩にかけ、僕はモーテルのオフィスに行き、お金を払い、大きなキーチェーンのついた鍵を貰った。

部屋は赤い蛍光灯のイルミネーションが、所々切れていて、誘蛾灯のようにブーン、ブーンという独特の音をたてていた。

その晩も寝られなかったので、翌朝、夜があける前にモーテルを引き払い、ハイウェイに戻った。

前方にそびえる山脈を見ると、山の頂の方は既に雪化粧をして白くなっていた。山に入る前にハイウェイ沿いのダイナーに入り、紅茶を頼んだ。 

紅茶をすすっていると、携帯がなった。

電話を取るとアリーからだった。
 
アリーには何も言っていなかったのだが、いつものアリーの感で、開口一番、
『今は、どの辺を走っているの?』とアリーは言った。

僕は笑いながら、ペンシルバニアを抜ける所で、山は、もう雪化粧をして美しい事をアリーに伝えた。

アリーは、空気が澄んでいて美味しいのかとか、山の気温は冷たいのかとか、いくつか僕に質問をして、
『それで、貴方は何をしてるの?』と聞いた。

僕はまた笑ってアリーに
『西部劇のまねごと』と答えた。 

アリーもその答えは結構予想外だったらしく、久しぶりにケラケラと声を立てて笑った。

暫く冗談を飛ばしあったが、急にアリーの声が真面目になり、どうしても会って話がしたいので、ニューヨークまで戻って来てくれないかと言われた。

アリーも具合が良くないので、長い間一緒にいる事はできないけれど、1時間でも良いから会って話がしたいとアリーは言った。

最初は、山を越えてウエストバージニアからケンタッキー位までは行きたいと思っていたが、アリーの話を聞く為に、反転をしてニューヨークを目指した。

 

ニューヨークが近くになってから、アリーの携帯に電話をし、実家の近くの小さなカフェで待ち合わせる事にした。
 
そのカフェは、小さくて暗いので、ローカルの人以外は殆ど立ち寄る事もなく、片隅に暖炉と座り心地のよいソファがあるので、僕らがよく隠れ家として使っているカフェだ。

僕は待ち合わせの時間より少し遅れてカフェの前についた。

バイクをカフェの前にとめ、サイドバックを外して肩にかけ、カフェのドアを開けて暗い室内に入った。
 
僕の最愛の人は、暖炉の前のソファに腰を下ろし紅茶を飲んでいた。

アリーはドアの音でこちらに振り向き、僕を見つけると微笑んで立ち上がり、僕を出迎えてくれた。

僕をハグしながらアリーは、
『カウボーイがヒロインを助けに来てくれたのね』と言って笑った。

僕も笑った。

僕とアリーはソファに一緒に腰を下ろし、暖炉を見ながら二人で紅茶を飲み、話をした。

アリーは治療の方法に関して医者から提案を受け、僕がどう思うかを聞きたいようだった。
 
僕は医者の提案する方法を、アリーが試してみたいのであれば、僕もそれに賛成すると答えた。

アリーは、暫く考えて、
『もしも上手く行かなかったら、どうしよう?』と僕に聞いた。
 
僕はアリーに
『そうしたら僕も仕事をやめて引退し、二人だけでパリにでも引っ越して、小さなパン屋でもやって余生を送ろう』と言った。 

アリーは、僕の答えが気に入ったようで、何度か僕が言った言葉を繰り返して呟いた。

『パリでパン屋さん』『パリでパン屋さん』と繰り返して呟き、そのうちアリーは決心がついたようで小さく笑い出した。 

そして
『アタシは貴方のそういう所が好き』と言ってキスをしてくれた。

 

カフェは感謝祭あけという事もあり、他に客はおらず閑散としていた。 

僕らは暖炉の火を眺めながら、いつものとおり色々な話をした。

アリーがふと、
『このまま、アタシを何処かにさらってくれないかな?』と呟いた。 

『どこに行きたい?』と僕が聞くと、

アリーは僕を見つめて小さな声で、
『天国に行きたい』と呟いた。

僕は
『あそこは、こっちから行きたいと思っても、迎えが来ないと行けない所だからね』と答え、
『でも、もしも君に迎えが来たとしても、君一人では行かせないから、僕も一緒について行くよ。でもその前にまず、パリでパン屋だ』と言って微笑んだ。

アリーも微笑んで
『ありがとう』と言った。

 

そして
『まずは、パリでパン屋さんね』と呟いた。

あまり長い時間、アリーを外に出しておく訳にもいかないので、後もう一杯紅茶を飲んだら、帰ろうとアリーを諭した。

夜になると冷えるので、僕はアリーの肩を抱いて、すぐ近くの実家までアリーと一緒に歩いた。

実家の建物の入り口でアリーに別れを告げた。 

店の前にとめてあったバイクにサイドバックを取り付け、またがろうとしたら、アリーから携帯メールが届いた。

メールには、ただ、
『ありがとう』と書いてあった。

 

 


2006年11月27日  クリスマスの買い物

ここ何日か一人で色々と考え抜き、大体、今後の自分の身の振り方について考えをまとめた。

また昨日、思いがけずアリーと会って話をして、アリーの気持ちも、僕の気持ちとずれはない気がしたので、短い時間ではあったけど、アリーと時間を共有できたのは嬉しかった。

これで僕の心に曇りはなくなった。
 
あとは今までのように目標に向かって突き進むだけだ。
 
僕にはそれをやり遂げる自信が有る。

今までそうやって生きて来たから。 

一夜明けて、今日はまた素晴らしい天気になった。

僕はアリーに電話をして、午後のまだ暖かい時間に1時間程外に出て来れないか聞いてみた。
 
それはアリーに子供服の見立てをしてもらう為だった。

アリーは、過去に強姦事件に巻き込まれ、子供を産む事ができない。
 
その為も有り、姉の一人娘を自分の子供のように可愛がっている。

僕にも、里親ならびに保証人になっている子供が東京に何人もいる。
 
アリーとあってから、僕のその子供達へのクリスマスプレゼントは、アリーが見立てた洋服と決めている。
 
けっこうアリーの見立てた洋服は子供達に評判が良く、クリスマスが終わるとその洋服を着た笑顔の子供達の写真などが送られて来ることがある。

そうするとアリーは、さも嬉しそうに、
『やっぱりアタシのセンスが良いからね』と自画自賛をしながら、写真を冷蔵庫に貼って嬉しそうに眺めている。

今年もそんな季節がやって来た。
 
アリーの具合を考えて、今年は自分で適当にプレゼントを選ぼうかなとも思ったが、そうするとアリーの楽しみが一つ減るような気がして、アリーに電話をして聞いてみた。

 

アリーに電話をすると、
『確かに貴方が見立てをしたら、子供達から写真は送られてこないだろうからね』と憎まれ口を聞いて小さく笑った。

僕も笑った。

アリーは、何か言い逃れを作って、その為に1時間程外に出て来てくれた。
 
アリーを遠くに引っ張り回す訳には行かないので、近くのユニオンスクエアの子供服屋に二人で出かけた。

僕達はアリーの姪っ子の服と、僕が里親をしている子供達の服を沢山買った。
 
去年の写真を見ながら、どのくらい大きくなったかを適当に想像して、サイズを選び、洋服を選んでいった。

自分の子供に洋服を選んでいるようにアリーは幸せそうな顔をして服を選び、僕にコメントを求めた。

とても幸せな時間が過ぎた。
 
僕を幸せにするのはとても簡単だ。

ただ最愛の人と、当たり前な事をする。

どんなに沢山お金をだしても買えない幸せ。
 
人から見れば何でもない時間だが、僕にとっては、かけがえのない幸せな時間だった。

プレゼントを買い、今度はクリスマスカードを買う為に、僕らは近くのカード屋さんに向かった。 

店の中はすっかりクリスマスモードで、緑や赤のリボンがいたるところに飾られていた。

アリーは散々迷った挙げ句、まずアリーの姉さんと姪っ子にカードを選んだ。

そして姪っ子から、姪っ子のお母さん(アリーのお姉さん)に渡させるカードを選んだ。

それが終わって、僕が里親をしている子供達にカードをそれぞれ選んだ。

僕達は目的の買い物を済ませ、大きな紙袋を僕は両手に抱え、アリーは僕の腕を掴み、二人でゆっくりとユニオンスクウェアを抜けて帰路についた。

アリーは実家の建物の前で、別れ際に、
『楽しかった。どうもありがとう』と言って小さく笑った。
 
僕も
『今日は、手伝ってくれてどうも有り難う。おかげでまたセンスの良い服が選べたよ』と言って笑った。

アリーと別れ、僕は車にたくさんの紙袋を詰め込み、アリーのアパートに戻った。
 
いつもは、クリスマスプレゼントのラッピングは、アリーと二人でやるが、今年は僕一人でラッピングをした。

子供達に配るクリスマスカード、ひとつひとつに、それぞれの顔を思い浮かべながら丁寧に、
『お母さんに感謝をして、心の優しい人になってください。メリークリスマス』と書いた。

 

やっとラッピングが終わった時には、もう外は暗くなっていた。
 
赤や緑、銀や金のきれいなラッピングペーパーに包まれたプレゼントで、アリーのアパートは一杯になった。

僕も少し心が温かくなった。
 
僕は子供達を助けているつもりでいるけれど、結局助けられているのは僕の方かもしれないなと思い、少し照れくさくなった。

アリーと一緒にプレゼントを選べるのは、今年で最後かもしれない。
 
でもその時はその時だ。
 
今この瞬間を精一杯生きていれば、この先何が起こっても、きっと分ってくれる人は分ってくれるだろう。

僕は、まだ二つ、アリーに言っていないサプライズがある。

これから僕はまた忙しくなる。

 


2006年11月28日  神にすがる時 

今日もまた素晴らしい日だった。

僕は朝早くから仕事場に行き仕事をこなした。

午前中の仕事をこなし午後の仕事が始まる前に、僕は街を散歩する事にした。

街に出た理由の一つは、アリーのクリスマスプレゼントを探す事だった。 

僕がストーカーだったら、完璧なストーカーになれると思う。

僕はアリーと立ち寄った店は全て覚えていて、全ての店の店員を覚えている。

今回、アリーが通っている店の中から4件選び、それぞれの店の店員をひとりずつ捕まえて、彼らにチップをはずみ、アリーが最近手に取った商品や、探していたものに関する情報を全部集めた。

そういった店の店員は、男女間のプレゼントが日常茶飯事なので、イベント性の高いものには喜んで協力してくれるような気がする。 

前回、アリーの誕生日で活躍した、グッチのゲイの店員のピーターを始め、今回も各店舗からひとリづつピックアップして、アリーの欲しがっているものをリサーチした。

面白いのは、それぞれの店員は、当然自分の店の品物を推薦するだろうと思っていたのだが、各店舗の店員さんは、本当に僕とアリーの為に、店の売り上げを別にして色々情報を提供してくれた。

 

今回もアリーを驚かす準備は着々と進んでいる。

アリーは誕生日に
『貴方は色んな所にスパイを隠しているのね』と冗談で言っていたが、それはなまじ冗談ではない。 

仕事もそうだが、どうやって情報を正確に早く掴むかは、ニューヨークで生きて行く重要なスキルの一つだ。 

ピーターの店を出て何となく僕の足は、セントパトリック大聖堂に向かっていた。

僕は信心深くないので、普段教会などに足を止めた事はないが、10年に一度位の頻度で、教会やお寺、神社に足を向ける事がある。

前に教会に行ったのは、今から5年前の9月11日、同時多発テロの後だったと思う。

あの時に、僕は6人の友達を一度に失った。
 
最初にWTCに突っ込んだ飛行機に2人の友達が乗っており、残りの4人はWTCの倒壊と一緒に命を落とした。

沢山の人間が空から降って来るのをこの目で見た。
 
一日で何百という死体や体の部分を見た。
 
それだけたくさんの死骸を見ると、神を信じない僕でも自然と足が教会に向いていた。

でもそれから僕が教会に足を向ける事はなかった。
 
あれから5年経って、最愛の人が病魔と闘っている時に、僕の足は自然に教会に向かっていた。

開け放たれていた教会のドアをくぐり、暗い聖堂の中に入ってろうそくに火を灯した。

周りにいる人はまばらで、皆お互いに有る程度の距離を保ち、お互いに干渉をしないように、それぞれに祈りを捧げていた。

僕も見よう見まねで教会の椅子にひざまずき、手を合わせてアリーの事を祈った。

少し前にアリーが、キティちゃんの指輪をしているのを見つけた時、僕はアリーにエンゲージリングを渡そうかどうかで悩んだ。

 

あの時は、僕には迷いがあった。
 
僕がエンゲージリングをアリーに渡す事で、アリーが病気の自分に求婚をする僕に、自分が死んだ後の事を考え、僕を不憫に思って僕のエンゲージリングを受け取らないのではないかと思った。

あと、アリーの親は僕のことが嫌いなので、僕がエンゲージリングを渡す事で、アリーに不必要な親との軋轢を与える事にならないかと心配した。

僕にとってはアリーに求婚するのは、当然の事でアリーがいなくなった後の、僕の人生などを考える必要はない。 

アリーがあっての僕で、僕は今までで十分幸せな時間をアリーから貰った。
 
僕には、アリーがいなくなった後の事などを考える必要はない。

その点についてアリーが、僕と同じ考えかどうかがわからなかったので結構悩んでいたのだが、先日アリーと会って話をして、二人とも考え方に違いがない事がわかったので、僕の悩みも解消した。

僕はエンゲージリングを渡すタイミングを色々考えた。

クリスマスには他のサプライズをもう仕込んであるので、バレンタインにアリーに渡そうと今は考えている。

エンゲージリングは、ダイアモンドと相場が決まっているようだが、アリーのイメージはサファイヤなので、アリーにはサファイヤの指輪を渡したいと思った。
 
そして友達に相談した時に、ダイアの脇にサファイヤを入れるというアイディアを教えて貰った。
 
そのアイディアをベースに、これからリングのデザインをするところだ。
 
友達にはジュエリーのプロもいるから、色々な人の意見を聞いて、僕ならではのエンゲージリングを作るつもりだ。

それまではアリーに元気でいてもらわないと。

暫く教会の中で時間を過ごし、丁度昼の1時になって賛美歌が流れ始めた時に僕は教会を後にした。


 



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