目次
第一章 愛するということ
天使の指輪 
プロローグ 序章
プロローグ 序章
2006年 6月 ニューヨークの魅力
2006年06月3日  友達の背任行為
2006年 7月 病 
2006年07月05日  独立記念日 
2006年07月07日  七夕
2006年07月24日  病気
2006年07月25日  検査結果  
2006年07月26日  生きる理由
2006年 8月 日本へ
2006年08月04日  手術
2006年08月08日  退院 
2006年08月12日  日本へ
2006年08月23日  赤いドレスの女性
2006年08月24日  狸寝入り 
2006年08月25日  雷雨 
2006年08月26日  祈り
2006年08月31日  時代のうねり
2006年 9月 天国への階段
2006年09月07日  ローズホール
2006年09月10日  泣きじゃくる彼女
2006年09月11日  ワールド トレード センター
2006年09月21日  闘うこと  
2006年09月23日  市民権
2006年09月25日  日曜大工
2006年09月26日  朝日 
2006年10月 一緒に生きる
2006年10月03日  メルトダウン   
2006年10月05日  夜のハーレム
2006年10月08日  助手席
2006年10月09日  買い物
2006年10月14日  友達からのメール  
2006年10月16日  1週間分のキス
2006年10月17日  一緒に生きる
2006年10月18日  雨の火曜日   
2006年10月19日  友達へのメール
2006年10月25日  天使が舞い降りた。
2006年10月29日  神のご加護がありますように  
2006年11月 誕生日プレゼント 
2006年11月01日  ハロウィン
2006年11月02日  誕生日プレゼント
2006年11月16日  セントラルパーク    
2006年11月19日  キティちゃんの指輪
2006年11月20日  Left Alone  
2006年11月22日  仏心
2006年11月23日  小さいウイスキーボトル
2006年11月24日  帰還兵
2006年11月25日  旅の終わり 
2006年11月26日  パリでパン屋さん
2006年11月27日  クリスマスの買い物
2006年11月28日  神にすがる時 
2006年11月29日  スノーフレーク
2006年11月30日  もう一度病院生活に・・・
2006年12月 瞳の中に貴方が見える
2006年12月01日  ポインセチア
2006年12月02日  男の手料理 
2006年12月03日  天気の良い週末  
2006年12月06日  大切な思い出
2006年12月07日  北欧紀行
2006年12月08日  君のもとに帰る
2006年12月09日  The Show Must Go On.
2006年12月13日  東京にて
2006年12月14日  Going Home
2006年12月15日  瞳の中に貴方が見える
2006年12月16日  子守唄
2006年12月18日  クリスマスの匂い
2006年12月19日  君が世の中の全て
2006年12月23日  幸せの総量
2006年12月24日  People Get Ready  
2006年12月25日  クリスマス プレゼント
2006年12月26日  願い事
2007年 1月 天使の指輪
2007年01月01日  スローダンス
2007年01月02日  20年ぶりの友達
2007年01月06日  誕生日
2007年01月08日  天敬愛人
2007年01月13日  両親
2007年01月14日  名こそ惜しけれ  
2007年01月20日  非常勤の顧問
2007年01月22日  ただいま。
2007年01月23日  天使の指輪
2007年01月24日  ホットチョコレート
2007年01月25日  パリ
2007年01月29日  雪のニューヨーク
2007年 2月 雪のバレンタイン
2007年02月01日  愛しい人  
2007年02月02日  あたらしい発見
2007年02月04日  お帰りなさい。
2007年02月09日  残された時間
2007年02月10日  ありがとう
2007年02月11日  テネシーワルツ
2007年02月12日  やせ我慢
2007年02月13日  君が残した優しい思い出
2007年02月14日  雪のバレンタイン
2007年02月16日  僕は信じている
2007年02月19日  愛の力
2007年02月22日  ある別れ
2007年02月23日  別れの季節
2007年02月24日  I'm in.
2007年02月25日   Wild Horses  
第二章 生きるということ
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2007年 2月 陽はまた昇る
2007年02月27日  アリーがいてくれれば
2007年02月28日  陽はまた昇る
2007年 3月 さようなら
2007年03月02日  さようなら。
2007年03月03日  心の整理
2007年03月04日  独り
2007年03月05日  ドライフラワー  
2007年03月06日  冒険の旅へ
2007年03月08日  コミットメント
2007年03月14日  こみあげる涙
2007年03月16日  更正施設の子供
2007年03月19日  天は自ら助けるものを助く。
2007年03月21日  新しい下着
2007年03月22日  夜明けのキャッチボール
2007年03月24日  目標を一つ達成
2007年03月28日  最後まで日本人として
2007年 4月 独り言
2007年04月29日  独り言
2007年 5月 天涯孤独
2007年05月14日  天涯孤独
2007年05月16日  ある家族
2007年05月28日  カタロニアの太陽
2007年05月31日  リスボンにて
2007年 6月 交渉
2007年06月02日  中国での交渉
2007年06月13日  皆で家に帰ろう
2007年06月22日  ベランダに咲く草花
2007年06月24日  あと半年
2007年 7月 人に優しくするという事
2008年07月05日  独立記念日
2007年07月24日  人に優しくするという事
2007年 8月 湊川(ミナトガワ)
2007年08月02日  馬鹿爆弾
2007年08月21日  霧雨
2007年08月29日  遺言
2007年08月31日  湊川
2007年 9月 男の値打ち
2007年09月25日  男の値打ち
2007年09月30日  天気のよい週末
2007年10月 自分の夢
2007年10月10日  自分の夢
2007年10月19日  結婚式の準備
2007年10月22日  妹の結婚式
2007年11月 天敬愛人
2007年11月01日  ハロウィン
2007年11月02日  誕生日
2007年11月16日  死の準備
2007年11月22日  愛情が宿った人形
2007年11月29日  古いもの  
2007年12月 幸せの値段
2007年12月08日   ディズニーランド
2007年12月16日  幸せの値段 
2007年12月18日  綺麗な心
2007年12月21日  大事な家族
2007年12月24日  君を想う気持ち
2007年12月25日  武器よさらば
2007年12月31日  生きるということ
2008年 6月 夢の実現
2008年 6月 夢の実現
アリーが教えてくれた事
アリーが教えてくれた事
晴耕雨読
晴耕雨読
愛のある日
愛のある日
あとがき
あとがき
補足
補足
感想&レビュー
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2006年11月20日  Left Alone  

今朝も天気が良かったが、その分気温が冷え込み、秋の終わりを感じさせるようになった。

今日はアリーは実家で過ごす事になっていたので、僕も自分の家に帰る事にした。

アリーのアパートを二人で出て、車の助手席のドアを開けてアリーを助手席に乗せ、アリーの荷物をバックシートに放り込んだ。

ストリートの街路樹は殆ど葉を落とし、僕の車のボンネットの上に乗っていた枯れ葉が、エンジンをかけると踊りだした。

赤いボンネットの上で舞う枯れ葉に少し目をやり、僕は助手席のアリーを見て微笑み、いつものようにアリーの手を取り車を走らせた。

アリーの実家は、ダウンタウンのユニオンスクエアの近くにある。 

アパートから実家までは、渋滞がなければ20分程の道のりだ。

途中で薬局に立ち寄り、アリーの薬を買った。

アリーは急に
『お茶飲みたい?』と僕に聞いて車を飛び降り、スターバックスにチャイティーを買いに出かけた。
 
暫くしてアリーは、両手にチャイティーのカップを大事そうに抱え戻って来た。

助手席に戻り、僕にとびきりの微笑みを一つくれて、チャイティーのカップを僕に渡してくれた。

僕は微笑んでそれを受け取り、一口飲んで、甘いジンジャーを味わって、アリーにキスをした。

日曜の昼で道も空いていたので、ほどなくアリーの実家に到着した。
 
僕は助手席のドアを開け、アリーを助手席からおろし、アリーの荷物を取って手渡した。

アリーは
『ありがとう』と微笑んで、僕に大きなハグをくれた。
 
アリーがビルの中に消えるまで、僕はそこに立ち尽くしてアリーを見送った。

僕は車に戻り、一人ニューヨークの街を流した。

助手席との間にはチャイティーのカップが二つ。
 
僕は、少しぬるくなった自分のチャイティーを飲み干した。
 
まっすぐ家に帰ろうと思ったが、何故か車のハンドルを反対方向に切り、僕はイーストリバーサイドに向かった。

車を止め、僕はイーストリバー沿いの遊歩道を歩き、マンハッタン橋を眺めるベンチに腰を下ろし、マンハッタン橋を眺めた。
 
手には、空になったチャイティーのカップを持ったままだった。

暫くすると、黒人の青年が一人やって来てサックスの練習を始めた。

なかなか良い音を出す青年だった。

周りには僕ら以外誰もいなかった。

 

イーストリバーの川の音と、ハイウェイからこぼれる車の音、彼のサックスと風の音だけが、僕の周りを舞っていた。

他に人がいなかった事もあり、何となく僕はその青年と言葉を交わし始めた。
 
彼は、僕がジャズが好きだとわかると嬉しくなったようで、色々と話をしてくれるようになった。 

彼が
『どの曲が一番好きか?』と聞いたので、

僕は
『Left Alone(レフト・アローン)』だと答えた。

そうすると彼は僕に背を向け、イーストリバーを向いたまま”Left Alone”を吹き始めた。
 
背を向ける時に彼は、
『人の方を向くと緊張するから、川の方を向かしてもらうよ』と言って笑った。

その青年の”Left Alone”は、なかなかの物だった。

僕は彼の”Left Alone”を聞きながら、その歌詞を口ずさんだ。


<Left Alone ー 訳詞>

心を満たしてくれたあの愛は、どこに行ってしまったのだろう?

決して別れる事はないと言ってくれたあの人は、どこに行ってしまったのだろう?

人は、皆、私を傷つけ、そしてその場を立ち去ってしまう

私は置き去りのひとりぼっちで、他に誰もいない

私には、自分の家と呼べる家などどこにもない

私が、彷徨わない場所などどこにもない

街の雑踏もただ虚しく、私は、一人置き去りにされるだけ

他に誰もいない

探し求め見つけなさいと人は言うけれど、今まで、それが叶った事はない

きっと運命が彼を去らせたのだとするならば、

もしかしたら私が死ぬ前にもう一度彼に出会えるかもしれない

きっと彼にまたあえる時には、私の心が、放たれると願っているけれど、

その時までは、私は、ずっとひとりぼっちで、他に誰にもいない

<Left Alone>


ジャズは夜に聞くものだと思っていたが、昼間に外で聞くジャズも悪くない。
 
僕は晩秋の風にあたりながら、イーストリバーを眺め彼の音楽に耳を傾けた。

何曲か彼の音楽を聴いた後、僕はベンチから立ち上がり、彼にチップを払って車に戻った。

車に乗り、一人でさっきアリーと二人で走った道を走った。

カーステレオのラジオチャンネルをジャズのチャンネルに変えた。

車の中には アリーが飲み残したチャイティーのカップが一つ残っていた。


2006年11月22日  仏心

僕の大好きなミュージシャンの一人である、トムウェイツの新譜”Orphans”(オーファンズ)が発売された。
 
2004年の”Real Gone”(リアルゴーン)以来の新譜だが、なんと3枚組という大作だ。

早速CDを買い、仕事場で一日中かけ続けた。

音的には、昔の時代に少し戻ったような感じがあるけど、相変わらずぶっ飛んだ楽器でぶっ飛んだ唄を唄っている。

たまにトムウェイツの朗読みたいのも入っていて”息子がいなくて寂しいです”って朗読が面白い。

ネタばらしちゃいけないのかもしれないけど、


男が夜中にスーパーマーケットに行ったら、老婆がいて、自分の子供がずっと行方知らずでその男に似ているので、一度で良いから、
『ママ さようなら』って言ってくれって頼むんです。
 
男は、その老婆が可哀想になって、そういってやることにするんです。

老婆は、まず、スーパーの買い物をすませて、スーパーの前のバス停で、バスに乗り込む時に男に向かって
『息子や、元気でね』って手を振るんです。 

男も感極まって、老婆に、
『お母さん! またね』って手を振るんです。

それでバスは去っていき、男も買い物を済ませてキャッシャーに行くと、店員が、
『全部で$400です』って言うんです。
 
ツナフィッシュとミルクを買っただけで、$400って事はないだろうって、男は反論すると、店員は、
『貴方の前に買い物をした貴方のお母さんが、支払いは息子さんがするって言ってました』って言うんです。

男は、
『あれは、俺のお袋じゃない』って言うんだけど、

店員は、
『さっき、大きな声で、”お母さん、さようなら”って 言ってたじゃないですか』って言うんです。


話には続きがあるんだけど、本当にトムウェイツは、こういうのが上手いなあと思って僕は思わずニヤッとした。

午前中は、トムウェイツの御陰で快調に仕事を続ける事ができた。

午後になって、突然、僕はある人の来客を受けた。
 
それは、会社のお金を横領したことが発覚して解雇したが、逆に僕らを不当解雇で訴えた例の元社長、山藤だった。

 

既に僕らは訴訟の手続きが始まっており、立場上は、山藤が原告で、僕が被告なので、裁判外で訴訟の当事者は、弁護士抜きであうべきではないのは、日本でもアメリカでも常識だ。

最初は、ビルの警備員に追い返すように言ったが、山藤は外から携帯で僕の所に電話をかけてきて、ちょっとでも良いから会って話がしたいと哀願をした。

山藤に哀願されても心は動かなかったが、ちょっと話を聞いてやろうという気になり、僕は山藤を部屋に通して話をする事にした。

10分程して山藤は僕の仕事場に現れた。
 
山藤と会ったのはもう何ヶ月も前の事だ。

僕の目の前にたっている山藤は、僕が知っている時から比べると随分やつれ、精気のない感じに見えた。

僕のオフィスの壁には、写真が沢山貼られているが、その中に、会社を創った頃に資金集めで立ち寄ったフィリピンのマニラのバーで撮った二人の写真が飾ってある。

山藤はその写真には気づかなかったが、僕は山藤と、どうでも良い話をしながら、その写真にふと目をやった。

写真の中の山藤はもっと精悍で精気に満ちていた。

二人とも若かったというのもあるのだが、今、僕の前にたっている山藤は、だらしなく太り、冬なのに汗をかきながら、僕に愛想を売っている中年男で、昔の面影のかけらもない。

僕は山藤の話を聞きながら、この男をこのまま訴訟で潰してしまうか、ある程度の金を掴ませて僕の前から消えて行ってもらうか、どちらにするかを考えていた。

昔の山藤は僕の良き理解者で、ともに夢を実現しようとする同士だった。

山藤の方が年長という事もあり、僕は山藤を兄貴のように尊敬し、彼をたてた。

山藤が僕らの成功を全て自分の手柄にしても僕は、別に何とも思わなかったし、自叙伝をゴーストライターに書かせ始めた時にも、僕は別に何も言わなかった。

 

 僕も年長者の山藤を顔として利用した事は事実なので、彼が成果を自分のものにするのは、尤もな事だと思っていた。 

しかし山藤は、だんだん僕らに相談をせずに勝手に自分で色々な事を決めるようになった。

昔は毎日のように電話で連絡を取り合っていたのに、電話の回数が減っていった。

だんだん山藤は僕らを避けるようになり、最終的には、会社のお金を横領するようになってしまった。
 
横領が発覚した時に、山藤は久しぶりに僕に電話をかけてきて、横領の疑惑を彼の部下に全て負わせ、即刻その部下を解雇し、僕らとの関係を回復して事態を闇に葬ろうとした。

僕はその時には流石に何かがおかしいと感じていたので、会社の内偵を続けており、罪を負わされそうになった部下も内偵をしていた僕の身内であったこともあり、事態が発覚したその日に、当時の社長だった山藤を即刻解雇した。
 
その時にそのまま何処かに消えてくれれば、僕は過去の山藤の貢献に対して、それなりの対価を支払って、人目につかないように消えて行く段取りを考えるつもりだった。
 
それが、武士の情けだと思った。

ところが山藤は何を血迷ったのか、不当解雇を理由に僕らを裁判所に訴えた。 

僕らを訴えた事で今回の事件が明るみに出て、今となっては山藤にもう再就職の道はない。

自分で闘う道を選んでおきながら、かつて僕が尊敬していたその男は僕に取り入ろうと、なりふり構わず脂汗を流しながら語り続けている。

 

山藤の話を上の空で聞きながら、適当な時間に山藤を追い返した。

山藤が去って行った後で、僕は壁にかけられた僕と山藤の写真を暫く眺め、それを壁から外してゴミ箱に捨てた。

それから僕の弁護士に電話をかけ、山藤が訴訟を取り下げるのであれば、山藤にある程度のお金を渡して僕の前から消えさせるように指示をした。

この男を裁判で社会的に殺すまでの価値はない。
 
僕には、そんなことに付き合う時間もない。
 
このまま僕の前から消えてくれればという思いが大半だったが、裁判をして山藤を社会的に抹殺するのではなく、ここで訴訟を取り下げさせる事により、山藤にもう一度真っ当な人生を送って欲しいという気持ちもあった。

何となく嫌な気持になったので午前中に聞いていたトムウェイツをもう一度聞き直した。

こうやって友達をなくすのは哀しい。

男の傷心にトムウェイツの唄声は優しく響いた。
 
人間はみな孤独だ。
 
でもトムウェイツの曲のように、唯我独尊、自分の信じる道を歩んで行くしかない。 

僕は、僕の道を行く。
 
トムウェイツの唄を聞きながら僕はただ当たり前にそう思った。

アリーのアパートに帰ると、アリーは、具合がまだ良くないので、もうベッドに入って寝ていた。

そっと部屋に入るとアリーは目を醒ました。
 
僕はだまってアリーにキスをして、服を脱ぎ顔を洗ってアリーのベッドに滑り込んだ。
 
アリーの胸に子供のように僕は、抱きすくめられた。

アリーは目を閉じたまま、
『何かあったの?』と小さな声で僕に聞いた。

僕はアリーの勘の良さに驚きながら、
『ちょっと仏心が出て、とどめを刺すのをやめた』と答えた。 

アリーは僕の頭を彼女の胸に抱いたまま、
『あなたは、心の優しい人。アタシは、あなたのそういう所が好きよ』と目を閉じたまま言い、僕を優しく包み込んだ。



 


2006年11月23日  小さいウイスキーボトル

アリーは最近具合が悪いので、アリーの両親の強い要求もあり、数日、病院がすぐ近くにあるアリーの実家に帰る事になった。 

僕は早めに仕事を切り上げ、アリーのアパートに戻った。
 
僕がアパートに戻ると、アリーはベッドに横たわり目を閉じて休んでいた。

静かにドアを開けたつもりだったが、僕がドアを開けるとアリーは目を開け、僕の方を向き微笑んで
『おかえり』と言った。 

僕はコートを着たままベッドサイドに向かい、横たわったままのアリーにキスをして、ベッドの端に腰を下ろし、僕の一日についてアリーに話をした。
 
アリーは微笑みながら僕の一日の話を聞いてくれ、幾つか質問をしたり、コメントをしたりしてくれた。

アリーの顔が青白かったので、僕はお湯を沸かせてレモンを入れ、それをアリーに飲ませた。
 
まだ湯気を上げているカップをアリーに渡した。

アリーはカップを両手で持ち、お湯を冷やす為に息をかけた。
 
アリーの息で、カップから上がる湯気が揺れた。

外は雨が降っていたので、
『あまり遅くならないうちに出かけた方が良い』と僕はアリーに言った。
 
アリーは軽く頷き、起き上がり簡単な用意を始めた。

ほんの数日の事なので、必要な物だけをバッグに詰め込み、僕らはアパートを後にした。

僕はアリーの両親に嫌われているので、たまにアリーを実家に帰さないといけない。

アリーの両親は、僕が日本人だという事も気に入らないし、婚約が破談になったのも僕のせいだと誤解しているし、大体外人の僕がやくざな商売で羽振りが良いのも気に入らないらしい。

アメリカは明日、感謝祭で、日本で言えば正月のようなものがあり、その性格上、親戚一族が集まる事が多いので僕のような部外者が、アリーを隔離しているよりは、アリーを潔く家族に引き渡すべきだとも思った。

こんな事でアリーを板挟みにはしたくないので、ここは僕が引いて数日我慢すれば良いのだと自分に言い聞かせた。

 

車の中で、アリーは僕の手を握り、
『アタシは自分の病気の事よりも、貴方の事の方が心配だわ』と僕を見つめて言った。

アリーの実家に行くまでの車の中で、僕は酒を飲み過ぎるなとか、ちゃんと野菜を食べろとか、珍しくアリーに一連の生活指導を受けた。

僕はアリーに
『大丈夫。全部ちゃんとするから心配しないで』と言って笑ってみせ、アリーにキスをした。
 
『嘘ついちゃ駄目よ』とアリーは僕の顔を両手で押さえて目を見つめて言い、アリーも微笑んで、僕にキスをした。

アリーの実家に着き、雨の中をアリーを助手席から下ろし、アリーの荷物を下ろして、ビルのドアマンに渡した。 

別れ際にアリーは、とびきり大きなハグを僕にくれた。

そして
『アタシがいない間、アタシのアパートに泊まっていてね』と言った。

僕は、なぜアリーがそんな事を言ったのか理解できなかったが、言われた通りに、アリーのアパートに一人で帰った。

 

いつもはアリーがいるアパートはがらんとしており、僕が一人だけでいると異様に寂しく思えた。
 
僕はキッチンに行きウイスキーを探した。

いつも置いてあるウイスキーの大きなボトルはそこになく、小さなウイスキーボトルが置いてあった。
 
ボトルには、小さなカードがついていた。

カードをあけるとアリーの字で、
”アタシが帰って来るまではあまり飲み過ぎないように、この瓶だけで我慢してね”と書いてあった。

僕はそのカードを丁寧にボトルからはがして、ベッドサイドのテーブルの上に置いた。

いつもはアリーと一緒にいるベッドに寝そべり、小さなウイスキーボトルを抱え窓から外の景色を眺めた。
 
ボトルが半分程空になった頃に、アリーから携帯メールが送られて来た。

メールを読むとそこには、ただ”貴方を愛してる”と書いてあった。
 
僕はそれを読んで少し微笑み、”僕も君を愛してるよ”と返信をした。


 


2006年11月24日  帰還兵

昨日は結局、アリーのベッドで小さなウイスキーボトルを抱いて寝てしまったようで、夜明け前に閉め忘れた窓から吹き込む冷気で目を醒ました。

 

折角の感謝祭なのに、空は暗いままで雨が冷たい音を立てていた。

 

僕はベッドに入ったまま、枕を重ねて背中の後ろにおき、テレビのスイッチを入れてニュースを見た。
 
今日は、感謝祭だ。
 
どこのニュースも感謝祭のパレードについて、賑やかにニュースを流していた。

 

生憎の雨模様だが、各州からやってきた鼓笛隊が、綺麗な衣装をずぶ濡れにしながら、パレードの準備をしている模様が映された。

 

一方では、バグダッドで最大規模のテロがあり、160人が殺されたらしい。

 

この世の中は、多くの喜怒哀楽を巻き起こし、混沌としながらも確実に時を刻んでいる。

 

暫くして、携帯電話がなった。
 
アリーかなと思って電話を取ると、僕のベネズエラ人の友達のサムソンからの電話だった。

 

サムソンは2度目のイラクから帰ってきたようだ。

 

サムソンは、ニューヨークの北にある田舎町、オルタモントで大工をしている僕の古い友達に、引き取られ彼らに育てられた。

 

サムソンの実の親は、僕の古い友達の兄夫婦だったが、実の親が酷い家庭内暴力をふるい、結局、家庭は崩壊し、離婚等の一連の問題がおきたことから、それを見かねた弟(=僕の友達)が、サムソンを引き取り、自分の息子として育てる事にした。

 

サムソンは、育ての親を誰よりも愛している。

 

決して裕福ではないが、礼儀正しい若者に成長した。

 

ただ、サムソンは高校を卒業したが、満足な仕事もなく、家計が厳しかったこともあり大学には行かず、高校を卒業すると軍隊に志願した。

 

育ての親に負担をかけまいとするサムソンなりの配慮だったのだと思う。

 

そして戦争が始まり、彼はイラク戦争に先兵として駆り出された。 

 

一度だけではなく二度もイラクに送られた。
 
僕は戦争は嫌いだし、アメリカ政府の政策は間違っていると思う。

 

でも実際に戦場に行った人には、そういった政策とは無関係の別次元で、やむにやまれぬ事情がある。

 

人間とはある意味、悲しい性の生き物だ。

 

アメリカは実は貧富の差が激しい国で、田舎の街に行けば失業率も高くなり、特にそれが、黒人やメキシコ系の階層になると更に失業率があがり、そういうところに軍のスカウトマンは奇麗な軍装で着飾って、志願兵の勧誘に行く。

 

軍に入れば、大学の費用を軍が負担してくれる制度とかもあり、あの手この手で勧誘をする。

 

汚い仕事は下層階級にやらせるという、アメリカの醜いひずみを僕は嫌というほど垣間みてきた。

 

イラク戦争に国を巻き込んだアメリカの主導者は間違っていても、サムソンのように家族のために軍に入り、疑問を持ちながらもイラクに行かざるおえない人もいる。 

 

戦争の現実は、個人にとっては重過ぎる影を投げかける。

 

それでも僕らは、生き抜かなければならない。

 

電話のサムソンはいつもどおりの明るい声だったけれども、彼の声は、やはり疲れており、凄く年を取ったような感じがした。

 

やはりイラクで戦争の意義に疑問を感じながらも、自分の生活と家族の生活を守るために戦い続かざるを得ないサムソンの複雑な心境と悩みが、痛いほど伝わってきた。

 

僕にできる事は、サムソンのそういった板ばさみの心境を理解し、彼がその心境をぶちまけたい時に、そばにいて話を聞いてやる事だけだ。

 

友達とはきっとそういうものなのだろう。

 

サムソンは2度目のイラクから無事に帰還し、感謝祭の休みを、オルタモントの育ての親の家で過ごしていると言った。

 

僕らはその昔、よく感謝祭を一緒に祝ったので、それを思い出して、サムソンは電話をしてくれたようだ。

 

オルタモントは、マンハッタンから車で2時間程の距離にあるが、僕は雨の中車にのり、久しぶりにサムソンに会いに行く事にした。

 

僕はマンハッタンを離れ、北に向かって車を走らせた。

 

ハドソン川を右手に見ながら、どこまでもどこまでもまっすぐに伸びて行く高速道路を走った。

 

周りの景色は紅葉の時季は過ぎ、既に冬山の様相を呈しいており、水墨画のように荒涼とした灰色の山々が連なっていた。

 

一人で車を飛ばしながら色々な事が、僕の頭の中に浮かび消えて行った。

 

僕はオルタモントに着いた。

 

この前ここに来たのはもう何年も前だったのに、その時から時間が止まっているかのように、周りの景色や空気までもがそのままだった。

 

僕は雨が降り続ける砂利道の端に車を止め、途中で買ったビールのケースを両脇に抱えて、僕の古い友達の家のドアを叩いた。

 

中から懐かしい顔がドアを開け、僕を迎えてくれた。
 
僕はビールケースをドアの所におき、サムソンを力一杯抱きしめた。
 
『しばらくぶりだね』と長い抱擁の後にサムソンが言った。
 
『本当にしばらくぶりだ。無事に帰って来てくれて嬉しいよ』と僕は言って彼にビールを渡した。

 

僕らは暫く、色々な昔話をした。 

 

サムソンはイラクの話はしなかったが、イラクでの生活が、過酷なものであった事は、彼を一目見ればすぐに分った。

 

サムソンは以前よりも無口になり、時々見せるその笑顔も哀しげなものになっていた。

 

彼らの家で七面鳥を食べ、その後に場末のバーに行って、ビリヤードをして遊びバーカウンターに座り、酒を飲みながらまた暫く話をした。

 

あまり遅くまでいると帰れなくなってしまうので、僕は何杯目かのウイスキーグラスを空けたところで立ち上がり、サムソンに別れを告げた。
 
別れ際にもう一度、彼を抱きしめて、
『何かあったら相談に乗るから、電話をして来て欲しい』と告げた。

 

サムソンは、寂しげな顔で微笑んで、
『ありがとう、おじさん。また電話をするよ』と言った。

 

僕はサムソンを彼の家の前で降ろし、雨の中を一人マンハッタンに戻った。

 

帰りの車の中でも、色々な思いがよぎった。

 

この世の中は沢山の喜怒哀楽をのせて、混沌としたまま動いている。

 

そして誰の為に立ち止まる事もせず、時間は、誰に対しても無情にその時を刻んで行く。

 

全ての人には、それなりの喜怒哀楽があり、それぞれの問題と向かい合って、なんとか生き続けようと努力をしている。 

 

そこには、正しいとか間違っているとかは存在しない。

 

ただ、皆、目の前の問題をなんとかしようと必死に生きているだけだ。

 

車のラジオが、今日のバグダットのテロで160人死んだ事に関してまた論調を加えていた。
 
共和党の敗北で、イラク戦争の終結が早まる事を皆が期待している。 

 

民主党の議員は、政府が間違った戦争をなかなかやめようとしないのは、戦争を貧困層や少数民族に押し付けて、議員の家族や、議員の選挙地盤の支持層の子供達が、戦争に駆り出されて死ぬ危険性がないからだと指摘し、徴兵制を復活させれば、不用意な戦争はしなくなるはずだと主張していた。

 

乱暴な主張だとは思ったけれど、そういう側面もあるのかもしれない。
 
サムソンのように、真面目に生きていても日々を生きるのが精一杯で、彼を救ってくれた育ての親に負担をかけない為にやむを得ず軍隊に志願をした者もいる。

 

そういった人達が実際には戦地に送られ、議員の子供達が、志願をしてイラクに行った等という話は聞いた事がない。

 

僕はこの国の政治には興味がないが、ただサムソンのような境遇にいて、必死に生きている人達が、少しでも報われ、普通で静かな生活を送る事ができるように祈るだけだ。

 

マンハッタンに近くなった頃に、アリーから今日何度目かの電話があった。 

 

僕はアリーに今日の出来事を伝えて、オルタモントまで車を飛ばして、帰還したサムソンを見舞った事を伝えた。

 

雨は相変わらず降り続き、対向車のヘッドライトをイルミネーションのように輝かせていた。

 

僕はアリーと話を続けながら、闇のように暗い一本道の高速を南に走り続けた。


2006年11月25日  旅の終わり 

オルタモントから帰って来ても色々と考え事を続け、僕は眠る事ができなかった。

アリーのベッドに一人で潜りこみ、電気を消したまま色々な事を考え続けた。
 
アリーの事、友達の事、仕事の事、僕の過去に起こった様々な事、次から次へと頭に浮かんでは、消えた。

僕は今度の誕生日で44歳になる。
 
若い頃は音楽で生きて行こうとした。

最初の彼女(エリカ)と出会い、二人で音楽を目指し、僕は才能のあるエリカの夢を潰さない為に自分は音楽から身を引いた。

エリカは、ほそぼそと音楽の仕事を続け夢をつないだ。 

エリカの夢が僕の夢だった。 

ただエリカは僕を成田に迎えに来てくれた帰りに、交通事故を起こし、車を運転していたエリカは、僕の目の前で焼け死んでしまい、助手席に乗っていた僕は生き残った。

病院でエリカが妊娠していた事を聞いた。

僕は薬に溺れ、手首を切り、何度も死の衝動にかられた。
 
それでも死ぬ事ができず、結局僕は日本を捨て海外に逃げた。
 
海外に移り住んでからも、僕はその思いから逃げ出す事ができず、いつも危ない仕事だけを引き受け、死ぬ事を望んでいた。

エリカを失い、子供を失った事から、自分が生きている間に、何か罪滅ぼしをしたいと思い、東南アジアから来るジャパ行きさんが、日本に来て日本人の男に騙され、日本人とハーフの子供を生んでしまい、途方に暮れる人達の里親になった。

子供にちゃんとした国籍を与え、保険の手当をして、ちゃんとした義務教育を受けさせるのが、僕のボランティアの内容だった。 

 

いざ始めると僕はのめり込む方なので、そういった子供達が、他の日本人の子供に学校で苛められないように、子供達に満足な教育を施したいと思い、自分の私財を投げ打った。

自分の助けている子供達が、何の苦労も知らない、生意気な心ない日本人の子供達に差別されるのが許せなかった。

その子供達のプライドは、僕のプライドだった。

その子供達は、僕をアメリカの伯父さんと呼び、学校で書いた絵や手紙を未だに僕に送って来てくれる。

僕は人を助ける事で、自分が生きて来た意味をなんとか見つけようとした。
 
そして死んでしまった、エリカと自分の子供への償いをしようとした。

その後にも何度か恋愛をして、出会いと別れを繰り返したが、僕の心が一度も満たされる事はなかった。

2001年にアラブ人の友達と命をかけた大博打をうち、血を吐き、地べたをのたうち回るような死闘を3年続けた。
 
そのアラブ人の友達は僕に
『男が男に惚れた』と言い、二人は義兄弟になった。

3年の死闘の末、その事業は2004年に大当たりをし、会社は一生使いきれない程の富を得た。

他の役員が全員相当の配当を受けたが、僕は自分の配当分を放棄し、僕がいなくなっても従業員が生きて行けるように、従業員40人にそのお金を均等に分け与えた。 

2004年に、その会社の実権をアラブ人の義兄弟に譲り、僕は別の会社を幾つか買って、それらの会社の更正の為に、命を削る事にした。
 
それが、僕が生き残る理由だと信じようとした。

そして僕は運命の女性と恋に落ちた。 

今の彼女、アリーだ。

 

アリーを知れば知る程、その心の美しさ、純粋さに胸を打たれた。 

こういう人に自分もなりたいと思った。

アリーと生きて行く事で、僕の心から死亡願望が無くなっていった。

僕はアリーの為に、アリーと一緒に生きたいと思った。

そうする事で僕の魂も、アリーの魂のように、純粋に美しいものになるかもしれないと思った。 

そうなりたいと思った。

アリーの癌が発覚したのが今年の7月だった。
 
それから4ヶ月、坂を転がり落ちるような毎日だったが、運命を凛として受け入れ、それでも無垢で純粋な心を持ち続け、周りの人に愛を与えるアリーの生き方を目の当たりにした。

僕はこの人と添い遂げようと思った。

アリーの命が尽きるまで、僕はアリーの傍にいて、アリーを守ろうと思った。
 
そしてアリーの命が尽きた時に、僕のこの世での使命も終わると思った。

そんな事を延々と考えていたら、結局一睡もする事ができなくなった。
 
僕はカーテンの隙間から、夜明け前の澄んだ空を見つめていた。

気がついた時にはベッドから出て身支度をして、銀色のヘルメットを手に取り、アリーのアパートを後にしていた。

感謝祭の翌日で、街はまだ死んだように眠りについていた。
 
僕は一人、鉄の馬にまたがり、夜明け前のハイウェイを西に目指した。
 
別に行くあてなどなかった。 

その昔、開拓民が西を目指したように、僕も一人鉄の馬にのり、西を目指した。

このままカリフォルニアまで走って行けそうな気がした。

ニューヨークを抜けニュージャージーを横断し、ペンシルバニアに入った。 

ニュージャージーを横断している間に日が昇ってきた。

このまま全てを忘れて、カリフォルニアまで走ったら、どんなに気持いいだろうと思った。

 



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