目次
第一章 愛するということ
天使の指輪 
プロローグ 序章
プロローグ 序章
2006年 6月 ニューヨークの魅力
2006年06月3日  友達の背任行為
2006年 7月 病 
2006年07月05日  独立記念日 
2006年07月07日  七夕
2006年07月24日  病気
2006年07月25日  検査結果  
2006年07月26日  生きる理由
2006年 8月 日本へ
2006年08月04日  手術
2006年08月08日  退院 
2006年08月12日  日本へ
2006年08月23日  赤いドレスの女性
2006年08月24日  狸寝入り 
2006年08月25日  雷雨 
2006年08月26日  祈り
2006年08月31日  時代のうねり
2006年 9月 天国への階段
2006年09月07日  ローズホール
2006年09月10日  泣きじゃくる彼女
2006年09月11日  ワールド トレード センター
2006年09月21日  闘うこと  
2006年09月23日  市民権
2006年09月25日  日曜大工
2006年09月26日  朝日 
2006年10月 一緒に生きる
2006年10月03日  メルトダウン   
2006年10月05日  夜のハーレム
2006年10月08日  助手席
2006年10月09日  買い物
2006年10月14日  友達からのメール  
2006年10月16日  1週間分のキス
2006年10月17日  一緒に生きる
2006年10月18日  雨の火曜日   
2006年10月19日  友達へのメール
2006年10月25日  天使が舞い降りた。
2006年10月29日  神のご加護がありますように  
2006年11月 誕生日プレゼント 
2006年11月01日  ハロウィン
2006年11月02日  誕生日プレゼント
2006年11月16日  セントラルパーク    
2006年11月19日  キティちゃんの指輪
2006年11月20日  Left Alone  
2006年11月22日  仏心
2006年11月23日  小さいウイスキーボトル
2006年11月24日  帰還兵
2006年11月25日  旅の終わり 
2006年11月26日  パリでパン屋さん
2006年11月27日  クリスマスの買い物
2006年11月28日  神にすがる時 
2006年11月29日  スノーフレーク
2006年11月30日  もう一度病院生活に・・・
2006年12月 瞳の中に貴方が見える
2006年12月01日  ポインセチア
2006年12月02日  男の手料理 
2006年12月03日  天気の良い週末  
2006年12月06日  大切な思い出
2006年12月07日  北欧紀行
2006年12月08日  君のもとに帰る
2006年12月09日  The Show Must Go On.
2006年12月13日  東京にて
2006年12月14日  Going Home
2006年12月15日  瞳の中に貴方が見える
2006年12月16日  子守唄
2006年12月18日  クリスマスの匂い
2006年12月19日  君が世の中の全て
2006年12月23日  幸せの総量
2006年12月24日  People Get Ready  
2006年12月25日  クリスマス プレゼント
2006年12月26日  願い事
2007年 1月 天使の指輪
2007年01月01日  スローダンス
2007年01月02日  20年ぶりの友達
2007年01月06日  誕生日
2007年01月08日  天敬愛人
2007年01月13日  両親
2007年01月14日  名こそ惜しけれ  
2007年01月20日  非常勤の顧問
2007年01月22日  ただいま。
2007年01月23日  天使の指輪
2007年01月24日  ホットチョコレート
2007年01月25日  パリ
2007年01月29日  雪のニューヨーク
2007年 2月 雪のバレンタイン
2007年02月01日  愛しい人  
2007年02月02日  あたらしい発見
2007年02月04日  お帰りなさい。
2007年02月09日  残された時間
2007年02月10日  ありがとう
2007年02月11日  テネシーワルツ
2007年02月12日  やせ我慢
2007年02月13日  君が残した優しい思い出
2007年02月14日  雪のバレンタイン
2007年02月16日  僕は信じている
2007年02月19日  愛の力
2007年02月22日  ある別れ
2007年02月23日  別れの季節
2007年02月24日  I'm in.
2007年02月25日   Wild Horses  
第二章 生きるということ
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2007年 2月 陽はまた昇る
2007年02月27日  アリーがいてくれれば
2007年02月28日  陽はまた昇る
2007年 3月 さようなら
2007年03月02日  さようなら。
2007年03月03日  心の整理
2007年03月04日  独り
2007年03月05日  ドライフラワー  
2007年03月06日  冒険の旅へ
2007年03月08日  コミットメント
2007年03月14日  こみあげる涙
2007年03月16日  更正施設の子供
2007年03月19日  天は自ら助けるものを助く。
2007年03月21日  新しい下着
2007年03月22日  夜明けのキャッチボール
2007年03月24日  目標を一つ達成
2007年03月28日  最後まで日本人として
2007年 4月 独り言
2007年04月29日  独り言
2007年 5月 天涯孤独
2007年05月14日  天涯孤独
2007年05月16日  ある家族
2007年05月28日  カタロニアの太陽
2007年05月31日  リスボンにて
2007年 6月 交渉
2007年06月02日  中国での交渉
2007年06月13日  皆で家に帰ろう
2007年06月22日  ベランダに咲く草花
2007年06月24日  あと半年
2007年 7月 人に優しくするという事
2008年07月05日  独立記念日
2007年07月24日  人に優しくするという事
2007年 8月 湊川(ミナトガワ)
2007年08月02日  馬鹿爆弾
2007年08月21日  霧雨
2007年08月29日  遺言
2007年08月31日  湊川
2007年 9月 男の値打ち
2007年09月25日  男の値打ち
2007年09月30日  天気のよい週末
2007年10月 自分の夢
2007年10月10日  自分の夢
2007年10月19日  結婚式の準備
2007年10月22日  妹の結婚式
2007年11月 天敬愛人
2007年11月01日  ハロウィン
2007年11月02日  誕生日
2007年11月16日  死の準備
2007年11月22日  愛情が宿った人形
2007年11月29日  古いもの  
2007年12月 幸せの値段
2007年12月08日   ディズニーランド
2007年12月16日  幸せの値段 
2007年12月18日  綺麗な心
2007年12月21日  大事な家族
2007年12月24日  君を想う気持ち
2007年12月25日  武器よさらば
2007年12月31日  生きるということ
2008年 6月 夢の実現
2008年 6月 夢の実現
アリーが教えてくれた事
アリーが教えてくれた事
晴耕雨読
晴耕雨読
愛のある日
愛のある日
あとがき
あとがき
補足
補足
感想&レビュー
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2006年08月26日  祈り

今日は昼前に突然の雷雨に見舞われたが、その後はめっきり涼しくなり、そろそろニューヨークも夏の終わりを感じさせる一日だった。

僕は雷雨が大好きだ。

子供の頃から雷がなると急いで窓の近くにかけてゆき、窓を開けて雷がなるのを眺めていた記憶がある。

あの空を引き裂く閃光と容赦のない雨には、地上の全ての汚れたものを押し流してくれるような、そんなイメージがある。

今日は終日、ダウンタウンのオフィスで会議があった。

このオフィスは、2001年の9月11日のあの時も僕がいた場所で、ワールドトレードセンターから100メートル足らずの所にある。
 
会議室の窓からはニューヨーク湾が一望でき、僕は雷雨にうたれる自由の女神を眺めながら物思いに耽った。

雨雲の為に空もあっという間に暗い灰色になり、灰色の海と灰色の空の隙間に、深緑色の自由の女神が雨に濡れて立っていた。

会議室のテーブルの反対側には、相手方の代表が5人程座っていたが、彼らの存在や彼らが発する言葉は僕には届かず、僕は彼らを通り越して窓の先から見える、雨に濡れて立つ女神の顔を凝視していた。

本当はいけないのだろうけれど、僕は直感で仕事をする事が多い。

仕事をする上での最初の直感は、相手方が信用できる人間かどうかと言うポイントだ。

相手方が信用できたり、相手方を好きになれば、話しは簡単に前に進む事が多いが、相手方が言葉は多くても、重みが無く信用ができない場合には、途端に僕の興味のレベルは下がってしまう。
 
先入観で判断をするのは良くないと思うが、僕の場合、最初の10分から15分の印象で、その人と仕事をするかどうかを決めてしまう事が殆どだ。

今日の会議の相手はそういった意味では、僕の心に全く響かず、それもあって僕は殆どの時間を、雨に濡れる女神を見つめて過ごしてしまった。 

何度も自分の哀しみや人の哀しみを見て来た人間としては、見せかけだけの態度は本当に虚ろに見える。

白州次郎の本を読んでいると、白州も吉田茂に請われて米国占領軍との折衝にあたる決心をしたのは、吉田の人となりが好きで、吉田を信じるに値する人間だと判断したからだというのがよくわかる。

人間の人生は短いのだから、僕はやはり本物の人間と一緒に、汗を流して生きて行きたいと心底思う。

 

見せかけの賢さや、優しさ、真意を伴わない言葉は、僕に取っては無価値だ。

また、人にそこまで求める以上は、自分も人に対して本物でありたいと思う。

そういった意味では今日のミーティングは、僕に取っては無意味だったのかもしれない。

あるいは、自分に対しても人に対しても真摯な姿勢で本物であれという反面教師だったのかもしれない。

ミーティングを終えて、雨の上がったダウンタウンから、ロックフェラープラザまでアリーを迎えに車を走らせた。
 
今日は金曜日という事もあり、アリーもバイト先の仕事を早めに切り上げ、6時半過ぎには、ビルの回転ドアをあけて僕の車に乗り込んで来た。
 
折角の金曜日の夜だったが、またいつ雨が降り出すか判らない空模様だったので、外で食事をするのは諦め、ダウンタウンのアルファベットシティに車を走らせ、こぢんまりとした日本料理店で食事をした。

日本料理店ではあるが、アルファベットシティという土地柄もあり、ファンキーな無国籍的なインテリアで、壁は全て水槽で魚が泳いでおり、奥の席はクラブのそれのようなソファがいくつも置かれており、それぞれのソファの周りには、モロッコのテントをモチーフにした布が、天井から床までかけられ、仕切りになっていた。 

そんなインテリアの店を、日本料理店などと呼んではいけないと怒る人もいるかもしれないが、まあニューヨークの事なので大目に見て頂きたい。

僕らは布で仕切られた店の奥のソファを選び、そこで色々な冷や酒を頼んで、利き酒をしながら日本食を摘んだ。

食事をしながら、いつものようにアリーの一日の話しを聞いた。

仕事の話、大学院の話、家族の話、癌の話。
 
いつもと同じような話しではあるが、今日のミーティングでの薄っぺらい話とは違い、アリーの話しには真実の重み、真実の残酷さ、真実の優しさがつまった本当の話であることがすぐ判った。

 

アリーの話を聞きながら、僕もアリーのような真摯で、正直で純粋な人間でありたいと思った。

言う事は簡単だけれども実行する事は難しい。

それが自然にできるから僕はアリーを人として尊敬し、誰よりも愛しているのかもしれない。

このか細くも自分の運命をしっかり受け止め、悩みながらも健気に凛として生き抜こうとしているこの女性に、どうか神様、幸せな人生を授けて下さいますように。 

今の僕にできる事はアリーのそばにいて、アリーの話を真剣に聞く事しかない。

後は一人になった時に、アリーに見つからないようにこっそりと、涙を流しながら神様にお願いをする事しかできない。

 

食事を終え、アパートに戻ると疲れたのかアリーはソファーの上ですぐに眠ってしまった。

 

アリーは僕の隣で静かな寝息をたてている。
 
僕はアリーの髪を撫でながら雨上がりの景色を窓から眺めている。 

テーブルに置かれたロウソクもかなり短くなり、ロウソクの炎は、その最後の命を燃やし尽くすかのように揺れている。 

僕は後で一人でアパートの屋上にあがり、神様にお願いする事にしよう。


2006年08月31日  時代のうねり

熱帯低気圧のせいで、相変わらずアメリカ東部は天気が悪い。 

今日も雨こそ降っていなかったが、空は厚い雲に覆われまるで冬が到来したかのような感じだ。

アリーは、大学院の選択科目受付の最終日だったことから、早く起きて学校に出かけた。
 
僕もいつもの通りジムに行き、1時間汗を流してから仕事場に出かけた。

アリーは大学院に行った後に病院に検査に行き、そのままバイトに行ったので、二人はそれぞれ別メニューで一日を過ごした。
 
僕は一日仕事場で電話をしたりメールをしたり、打ち合わせをしたり忙しく一日を過ごした。 

僕は音楽業界に関わっていた時に、たくさんのゴールドディスク、プラティナムディスク、ダブルプラティナム等のミリオンセールスに関わったので、仕事場の壁には、沢山のゴールドディスクが壁に飾ってある。

これは、僕ら音楽業界に携わったものの間では、古き良き昔の話で、最近はCDの売り上げが落ち込み、ゴールドディスクが出る事も少なくなった。

僕は運良く米国の音楽業界が傾く直前に音楽業界から足を洗ったので、影響を受けずにすんだが、僕の周りの友達にはその影響をまともに受けて、メインストリームから消えてしまった人が沢山いる。
 
僕の先輩で、昔アメリカで一緒に働き、僕より遥か前に、アメリカの音楽業界に見切りをつけ日本に戻り、現在は、日本でメジャーレコード会社の社長をしている人がいるが、日本の音楽業界は、例外的に儲かっているらしい。

でもそうやって生き延びている人はごく僅かだ。

 

僕のオフィスの壁には、いくつかの思い出の写真が貼ってある。 

その中の一枚は、僕と僕の古い友達のロンと一緒に、イタリアのモンツアのフェラーリのテストコースに行った時に取った写真が飾ってある。

ロンは僕より相当年上だが、昔、彼はDJという立場を活かして、数々のアーティストとのコネクションを作り、あるときDJをやめてアメリカのメジャーレコード会社に転身し、重役まで上り詰めた男だ。

しかし、音楽業界を巻き込んだデジタル化の新しい動きについていけずに、数年前に表舞台から姿を消した。

ロンは僕がアメリカに来た時に、右も左もわからないアメリカのマフィアビジネスのいろはを教えてくれたメンターの一人だった。

ロンをなくして今の僕はあり得ない。
 
しかし、時代は残酷なもので、時代の大きなうねりはロンを飲み込み、今となっては跡形もなく、ロンを思い出すのは、僕のように律儀に彼と一緒の写真を飾っているような人間だけなのかもしれない。
 
生き馬の目を盗むと言うが、まさにここでの仕事はそういうもので、情け容赦はなく、一瞬でも立ち止まったら、取り残され、過去の闇の中に葬り去られてしまう。 

ここまで来たら僕に立ち止まる事は許されない。立ち止まったら、彼と同じように時代の波に飲まれて過去の闇に葬られてしまうだろう。

僕には守らなければいけない大事な人がいる。

アリーの為にも僕には立ち止まる事は許されない。

写真の中でF40(フェラーリ)に寄っかかって満面の笑みを浮かべているロンに、僕は紙コップのコーヒーで乾杯の真似をして、暫く彼の写真を見つめた後、自分を奮い立たせて、次の会議に出かけて行った。

アリーのバイト先の仕事が7時半に終わったので、アリーをバイト先に迎えに行った。

ニューヨークの交通マナーは東京よりも悪いと思う。

自己主張をしないとどんどんおいていかれてしまい、前に進めないのは、いかにもニューヨークという感じだ。

やっとの思いで渋滞をかいくぐってアリーをピックアップし、食事に出かけた。

 

今日はニューヨーク大学の近くの行きつけのイタリア料理屋に出かけ、僕が一番気に入っているフランス産のセンセアのワインとスキャンピ(海老を使った北米料理)を食べた。

食事をしながら、アリーの大学院の色々な書類の準備や、アリーのクラスの予習を一緒にやった。
 
レストランで大学院の教材を広げて、勉強をしながら食事をするカップルというのもなかなか珍しいと思う。

勉強をした後に色々な話をしたが、アリーは摘出した癌が、他に転移していないかをひどく気にしており、首の近くのリンパ腺に腫れ物ができたので、また病院に戻る事に決めたと言った。

僕はアリーの手を握ったまま、
『用心にこした事はないから、ちゃんと病院に行った方が良い。それじゃないと安心して色々な所に遊びに行けないから』と言っていたずらっぽく笑ってみせた。

アリーも笑い出して僕の鼻を摘んだ。


”アリーは、癌がリンパ腺にとんでいる事をまだ知らない”


僕はアリーの弟からそのことを聞いていた。 

今は色々なこと全てが心配になるけれど、心配してもきりがないからお医者さんに任せるしかない。

今度の週末には、二人でいくつかの家を見に行こうという話になった。

僕は過去の恋愛での苦い経験があり、それ以来、同居というものをしないようにしてきた。

アリーが病気になったからという訳ではないが、ここに来て、アリーとだったら同居をしたいと思うようになり、今は二人であちこちを歩いて家を探している。

 
兎に角、僕は今、自分に悔いが残らないように毎日を生きたいと思う。
 
アリーにはアリーの問題があり、僕も色々な問題を抱えている。

ちょっと目をそらすとロンのように全てを失い、歴史の闇に捨てられる世界に身を置いて何年もの月日が経ち、僕自身がもう疲れてきているのも感じ始めている。

だけど今はアリーの為にできる事は何でもしたい。
 
自分が疲れたなどとは言っている暇はない。
 
アリーの幸せそうな顔と微笑みだけが、僕が明日という日を生き抜こうとする唯一の理由だ。


2006年09月07日  ローズホール

今日は仕事が終わってから、アリーを連れてタイムワーナービルディングに新設されたローズホールというコンサートホールに、エルトンジョンを観に行った。

ローズホールは、収容人数は、数千人の小さいホールで、エルトンジョンクラスのタレントは、一万人以上収容可能なマディソンスクウェアガーデンみたいなアリーナでコンサートをするのが普通だが、今回のコンサートは、エイズ撲滅の為のチャリティーコンサートだったので、一夜限りのショーという事で、ローズホールで行われた。

エイズ撲滅のチャリティで、ファッション業界のバックアップがあったので、観客の多くは、ファッション業界の人が多く、ブライアン パークで行われるファッションショーのような趣があった。

アリーには粧し込んで来るようにだけ伝え、どこに何をしに行くか言わなかったので、どこに行くか伝えた時にはちょっと面喰らっていたが、アリーを驚かす事には成功したようだ。

タイムワーナービルディングは、3年程前に、セントラルパークの南側のコロンバスサークルに新しくたてられたガラス張りの高層ビルだが、その5階が、リンカーンセンターのジャズのコンサートホールになっている。

今日はチャリティイベントという事もあり、玄関には赤絨毯が敷かれ、TV局のクルーが、赤絨毯の上を歩く有名人の取材をしているのにまぎれて、僕とアリーも会場に入った。

まわりには、カクテルドレスを着ている女の人も結構いたので、一応フォーマルな格好をしていたアリーも、ちょっと気後れがしたようで、
『前もって教えてよ』とちょっと怒られたが、ニコニコしていたので、僕のサプライズはどうやら成功したようだ。

 

コンサートは、夜の8時から11時まで新旧色々な曲を取り混ぜて3時間行われた。 

最後のメドレーは観客も総立ちで、ローズホールはダンスフロアになってしまい、かなり盛り上がったコンサートだった。

11時過ぎにコンサートが終わり、僕らはタイムワーナービルを後にして、僕の車がとめてある駐車場に二人で手をつなぎながら歩いて帰った。

コンサートの最後の方に、エルトンジョンは、新曲の”Bridge”(ブリッジ)を演奏する前に、新曲の”Bridge”に関して少し話をした。 

エルトンジョンは、39年間芸能活動をして来年から40年目に入るそうだ。

その中で紆余曲折があり、色々先の事について悩んだ時に、彼は、結局自分がやりたい事をするという基本に立ち戻り、唄を作り、唄をうたうことが一番自分のやりたい事だと再確認したそうだ。


新曲の”Bridge”の歌詞は、誰もが人生を生きて行く節目節目で、ある決断をするか、そこから去って行くかの決断を迫られる時があり、人はその都度に決断をしなければいけないというもので、彼は40年目に入るにあたって、新たにこの道を突き進むという決断をしたと語った後に新曲の”Bridge”を唄い始めた。

駐車場から車を出し、アリーのアパートに向かって車を走らせている中でアリーがその話を始めた。

そしてアリーは、
『過去の自分は人に気兼ねをして、自分を押し殺してきたけれども、エルトンジョンが言うように、自分が好きな事をする為に、今までの生活を清算し、大学に戻り、これからは、自分の為に生きて行きたい』と僕にぼそりと言った。
 
そして僕の方を向き、
『今日はありがとう』と言って優しくキスをしてくれた。

 

偶然にもカーラジオからは、エルトンジョンの”Bridge”が流れて来た。

アリーの決断を応援するように、エルトンジョンが、
『誰もが節目、節目で決断をしなければいけない。橋を渡って行くか、そのまま逃げていくのか』と唄っている。

僕は今日、夜中に仕事があるので、アリーの睡眠を邪魔しないように自分のアパートに帰る事にした。

アリーのアパートの前に車を止めて、車の中で暫く二人で話をした後に、僕は車から降り、助手席のドアを開けアリーを車から降ろした。
 
おやすみのキスをして、アリーと別れる時に、車のバックシートに隠しておいた花束をアリーにあげた。

アリーは花束を見ると言葉を失った。

アリーは過去に色々あって、自分らしさを取り戻す為に勇気を出して全てを捨て、原点に戻って頑張ろうと思った矢先に、癌を告知されてしまった。 

現実はそんなに甘いものではないという事くらい、僕も百も承知しているが、アリーにはそんなに思い詰めて欲しくない。 

まだ30そこそこの女の子なんだし、たまには歯が浮くような甘い日があっても良いと思うし、ほんのちょっとでも日常の辛さを忘れさせる事ができれば。

アリーの微笑みがちょっとでも見る事ができればと僕は心の底から思っている。 

僕にはこういう愛し方しかできないのかもしれない。

 

 

 

昨日のエルトンジョンのコンサートから一夜明けて、また平凡な毎日が僕を待っていた。

朝6時前に起きジムに行き1時間汗を流した後、朝の7時過ぎにヨーロッパとビデオ会議をして、軽い食事を食べた後、僕は仕事場に車を走らせた。

仕事場につき仕事を始めて暫くすると、目を覚ましたアリーから電話がかかって来た。 

今朝のビデオ会議の結果を話したり、アリーは自分の予定を話したりし電話を切った。 

アリーは午前中に病院に行って検査をし、その後で大学に行った。
 
授業は8時半に終わるので、僕はそれまでに仕事を一段落させて、車を飛ばし大学までアリーを迎えに行った。

アリーをピックアップし、二人で軽く食事をした後に、近くのホテルのバーでちょっと酒を飲んだ。

二人で暗いバーの止まり木に腰を下ろし、アリーの大学の話、生みの親とのいさかいの話など、とりとめのない話を続けた。

アリーから色々と悩みを打ち明けられ相談にのった。

 
厳しい顔で色々な問題について色々話をした後、アリーは暫く沈黙した。
 
どうしたのかなと心配に思ってアリーの方を覗き込むと、アリーは
『貴方に愚痴って、あーすっきりした』と涼しい顔をして僕に微笑んだ。

僕もアリーの顔を見て微笑んだ。

バーテンが一瞬こちらの方を見たけれど、何もなかったように向こうを向いて、またグラスを磨き始めた。

ニューヨークで一番美しい季節の秋が、もうすぐそこまで来ている気がした。



 


2006年09月10日  泣きじゃくる彼女

アリーは今日の10時の電車でニュージャージーに行き、親戚の伯母さんの法律書面の公証をしにでかけた。

日本では、文書の公証は公証人役場と言う所に出かけると、おおむね隠居した元裁判官みたいな人が、小さな事務所を構えていて、文書の公証をしてくれるのが一般的だが、アメリカは印鑑がなく、サインが全てなので、公証人の数も多く、別に引退した裁判官でなくても公証をしてもらえる。
 
アリーも公証人の資格を取っているので、伯母さんの法律書面の公証は、人に頼むより、身内のアリーに頼んだ方が安上がりという訳だ。

僕はアリーに、必要以上に人に優しくしないように言っているのだが、どうもアリーは嫌とは言えない性格のようで、唯一の休みである日曜日に早く起きて、電車に1時間揺られて親戚の書類の面倒をみに出かけてしまった。

3時には帰るとアリーは言っていたが、話は長引いたようで、6時過ぎにアリーから、これからバスに乗るという電話があった。
 
バスは30分でニューヨークのポートオーソリティに着くという事だったので、42丁目まで迎えに行ったが、アリーの乗ったバスは、ニュージャージのジャイアンツスタジアムで開かれていたフットボールの影響で大渋滞に巻き込まれ、アリーが、ポートオーソリティに帰って来たのは8時近くになった。

アリーは薄着をしていたので、バスの冷房ですっかり凍えてしまい、僕の車に入って来た時には氷のように冷たかった。 

渋滞のバスの中で、自分の病気の事を色々考えたようで、僕の車の中でアリーは泣き出してしまった。
 
アリーはどうやら、癌がリンパ腺に転移しているのを感じ取っているようだった。

 

アリーは、僕の手を握りながら、何も知らないで怯えているのが一番辛いので、転移しているのか、していないのかを教えて欲しいと泣きながら僕に訴えた。 

普段涙を見せない気丈なアリーが泣くのを見るのは、なによりも辛い。
 
僕はなんと言っていいのか言葉も見つけられないまま、アリーの手を握ったまま車を走らせた。

本当は、今日はアリーが手料理を振る舞ってくれる約束だったが、予想外に帰りが遅れたので、何処か外で食事をすませることにした。
 
ただアリーは薄着で凍えていたので、一度家に帰って着替えをする事にした。

とりあえずアパートに帰り、アリーの着替えを待っていると、アリーが僕の座っているソファに近づき、僕の胸の中に顔を埋めて号泣をした。

アリーが泣きじゃくるのをはじめた見た。

アリーは泣きながら、
『死にたくない。死ぬのが怖い』と何度も言った。

僕はアリーを抱きしめた。

安易な言葉はかけられず、アリーを抱きしめる事しかできなかった。

『僕は賢くないので、気の効いた言葉で君を慰める事はできないけれど、僕は常に君の隣にいることは約束できる。良い時も、悪い時も、楽しい時も、辛い時も君の隣にいる。君を一人だけ哀しみのふちにおきざるような事はしない』僕はそう言ってアリーを自分の腕のなかで暖め続けた。


 

 


2006年09月11日  ワールド トレード センター

今朝、早くに起きて式典が始まる前に、ワールドトレードセンター跡に行って来た。

僕は式典とは別に僕なりの方法で、あの日死んでしまった6人の友達と、2人のアリーの親族と、あの事件をきっかけに迫害をされたアラブ人の人々の為に祈りを捧げた。

僕は式典が始まる前に、ワールドトレードセンターを後にしたが、それでも既に沢山の人が弔問に訪れていた。

あれから既に5年が経った。

本当に時間が経つのは早いものだ。



2001年9月11日のあの日、僕はワールドトレードセンターから100メートルほど離れたビルにおり、あの惨劇の一部始終を目撃した。

僕の当時のアパートは、ワールドトレードセンターと目と鼻の先にあり、僕のアパートの壁にもひびが入り、当局がビルの安全性の確認検査を行い、安全性が確認されるまで、僕を含めビルの住人全員に退去命令がでた。
 
今でもあのビルの屋上から、当時の犠牲者の骨や遺留品が見つかる事がある。 

僕はあの日、丁度朝から大きな会議をしており、何人もの部下を連れてあの場所にいた。
 
彼らの殆どは対岸のニュージャージーから来ていたが、交通網は崩壊し、タクシーもいなくなってしまった。 

僕は彼らを束ねる人間として、彼らを無事に彼らの家族のもとに返さないといけないと思い、夕方まで状況を見守り、彼らをつれてハドソン川にあるフェリー乗り場まで歩いて彼らを連れて行った。

ハドソン川沿いには、僕らと同じようにニューヨークを脱出しようという人々が群れをなしてフェリー乗り場を目指していた。 

たくさんの人々が虚ろな表情のまま、ただフェリー乗り場を目指して夢遊病者のように列をなして歩いていた。 

その中には、ワールドトレードセンターを振り返り、跡形無く崩壊した後も、天高く巻き上がっている灰色の煙を見て泣いている人もいたが、多くの人はその驚きと絶望のあまり涙も出なかった。

ハドソン川には、ニューヨークから対岸に逃げて行く人を搬送するために、たくさんのボランティアが集まった。

すでにフェリーでの搬送は破綻しており、ゴミの運搬船、タグボート、豪華客船、ありとあらゆる船が、人々をニュージャージー側に搬送する為に集まって来た。

 

僕は自分の部下達をゴミの運搬船に乗せた。
 
そのうちの一人が僕の手を握り、涙を目に一杯ためながら、一緒にニュージャージーに退避してくれと言った。

既に、マンハッタンに入ってくる全ての交通手段が、軍の指示により閉鎖され、外部からマンハッタンに入って来る事はできないという噂が流れていた。

僕は彼らの他にも、無事を確認しないといけない人達がいたので、僕の手を握りしめる部下に、できるかぎりの笑みを浮かべて、早く家族のもとに帰るように諭し、彼の手を振りほどいて、彼らがのるゴミ運搬船が遠くになるまで、僕は手を振って彼らを見送った。

後で知ったのだが、僕の友達の数人がボストン発の飛行機に乗っていて犠牲になり、何人かの友達が、ワールドトレードセンターで命を落とした。

アリーの伯父さんも、ワールドトレードセンターで命を落としている。

その伯父さんには一人息子がいたが、小さい頃に病気になり、医者から余命何年と言われた。

彼はその後も生き続け、現在も生きているが病院を出る事はできず、声も出せず筆談でしか話しをすることはできず、延命装置によって今日も生かされている。

アリーはあの後に、教会や病院に設置された身元確認所をまわり、その伯父さんの消息を探し求めた。

しかし伯父さんを見つける事はできなかった。

伯父さんは、ベッドで植物人間のような生活を強いられている息子を残し、二度と帰ってこなかった。

今から考えても地獄のような一日だった。

空から死んだ人が沢山ふって来るのを見た。

沢山の体の破片がふって来るのを見た。

あれだけの死人を一日で見たのは初めてだった。

僕はコソボ紛争や東ヨーロッパの紛争に行き、戦争を経験しているので、目の前で人が殺されたことは何度でもある。

僕を守るために、僕の周りにいた兵隊が敵を殺したのも目の当たりにし、なんともいえぬ罪悪感に浸った経験もある。

だから、普通の人よりは死に対して覚悟があるはずだけれども、あの日の地獄に比べたら、僕が東ヨーロッパで経験した戦場の方が、まだましだったかもしれない。

 

あれから5年がたち、あの事件を題材にした映画まで、できるようになった。

僕は人々があの事件を題材にして映画を作ったり、音楽を作ったりすることは全く否定しない。

ただ、あれは僕に取っては生々しい事なので、僕自身が、今それらを見たり聞いたりする事はないと思う。

あの事件の後に知り合いの日本人から、アメリカも、長崎、広島に原爆を落としたわけだから、やっとこれで人の痛みがわかっただろうと言われた事がある。
 
僕はそういう考え方も否定はしない。

アメリカの独りよがりなグローバルスタンダードの考え方が、世界の歪みを大きくしている事も事実だからだ。

だけれども、僕は同時にそういった意見に賛成もしない。

僕は国や国の主導者達と言ったものと、一般の人々の個々の生活は別のものだと思っている。
 
そして僕がそういった意見を否定しないけれども、賛成もしないのは、僕自身が、一般の人々の個々の生活が、いつもその犠牲になるのをいろいろな場面で自分の目で見て、知っているからだと思う。

最近アメリカのドキュメンタリーで興味深いものを見た。 

イラク戦争を、立場の異なる3人の目から取材したドキュメンタリーだった。

一人は、使命感をもってイラク戦争に志願し、現地に行った20代のアメリカ人軍曹で、自爆テロにあい、全身に大やけどを負い、右手と左足を失って帰ってきて、自分の判断が正しかったのかどうか嘆きながら現在病院でリハビリをしている兵士とその家族の視点。

もう一人は、イラク戦争に連れて行かれたが、戦場で、この戦争の意義に疑問を抱き、軍を脱走してカナダに亡命したが、まだ政治亡命者としての認定がカナダ政府から受けられず、脱走兵として強制送還ー逮捕されるのではないかとおびえて暮らしている米脱走兵とその家族の視点。

そして最後は、家族を殺されたイラク人の若者の視点。 

 

それぞれが、それぞれの理由を持ち、それぞれが、その結果、抱えきれない程の代償を背負い込み、
そこに勝者はいない。

友達を失ったり自分の命を絶ったり、人との関係を壊したりする事は簡単だ。

一方、友達や愛する人を元気づけ鼓舞し、前向きに生きて行く事は非常に難しい。 

壊すのは一時だけれども、作り育むには、こつことと絶え間ない努力をしなければいけない。

9月11日の事件で多くの友達を失った僕は、今、愛する人を勇気づけるという小さな努力を毎日こつこつと積み重ねる作業に僕の全てをかけている。
 
その途方もない作業に一喜一憂し、自分の小ささを身にしみて感じ、あまりの力のなさに涙を流しながら、ただただ愛する人の為に、僕は毎日歩き続けている。

それがある意味で壊れてしまったものたちに対する、僕なりの供養なのではないかと感じている。

僕は5年前のあの日のことを色々考えながら、ハイウェイを北に、マンハッタンを目指して車を走らせた。

暫くするとマンハッタンの灯りが見え始めた。

ワールドトレードセンターがあった場所に、二本の白い光線が、天空高く照らし出されていた。

まるで昔の風景を見るように白い光線は、昔のワールドトレードセンタービルのように見えた。

また、それは、低い雲の中に吸い込まれて行く天国への階段のようにも見えた。

そのままその階段を上がって行けば、死んでしまった6人の友達にもう一度逢えそうな気がした。

ふと車をハイウェイの路肩に止めて、霧雨が降るなか路肩に立って、白い光線を眺めた。



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