目次
第一章 愛するということ
天使の指輪 
プロローグ 序章
プロローグ 序章
2006年 6月 ニューヨークの魅力
2006年06月3日  友達の背任行為
2006年 7月 病 
2006年07月05日  独立記念日 
2006年07月07日  七夕
2006年07月24日  病気
2006年07月25日  検査結果  
2006年07月26日  生きる理由
2006年 8月 日本へ
2006年08月04日  手術
2006年08月08日  退院 
2006年08月12日  日本へ
2006年08月23日  赤いドレスの女性
2006年08月24日  狸寝入り 
2006年08月25日  雷雨 
2006年08月26日  祈り
2006年08月31日  時代のうねり
2006年 9月 天国への階段
2006年09月07日  ローズホール
2006年09月10日  泣きじゃくる彼女
2006年09月11日  ワールド トレード センター
2006年09月21日  闘うこと  
2006年09月23日  市民権
2006年09月25日  日曜大工
2006年09月26日  朝日 
2006年10月 一緒に生きる
2006年10月03日  メルトダウン   
2006年10月05日  夜のハーレム
2006年10月08日  助手席
2006年10月09日  買い物
2006年10月14日  友達からのメール  
2006年10月16日  1週間分のキス
2006年10月17日  一緒に生きる
2006年10月18日  雨の火曜日   
2006年10月19日  友達へのメール
2006年10月25日  天使が舞い降りた。
2006年10月29日  神のご加護がありますように  
2006年11月 誕生日プレゼント 
2006年11月01日  ハロウィン
2006年11月02日  誕生日プレゼント
2006年11月16日  セントラルパーク    
2006年11月19日  キティちゃんの指輪
2006年11月20日  Left Alone  
2006年11月22日  仏心
2006年11月23日  小さいウイスキーボトル
2006年11月24日  帰還兵
2006年11月25日  旅の終わり 
2006年11月26日  パリでパン屋さん
2006年11月27日  クリスマスの買い物
2006年11月28日  神にすがる時 
2006年11月29日  スノーフレーク
2006年11月30日  もう一度病院生活に・・・
2006年12月 瞳の中に貴方が見える
2006年12月01日  ポインセチア
2006年12月02日  男の手料理 
2006年12月03日  天気の良い週末  
2006年12月06日  大切な思い出
2006年12月07日  北欧紀行
2006年12月08日  君のもとに帰る
2006年12月09日  The Show Must Go On.
2006年12月13日  東京にて
2006年12月14日  Going Home
2006年12月15日  瞳の中に貴方が見える
2006年12月16日  子守唄
2006年12月18日  クリスマスの匂い
2006年12月19日  君が世の中の全て
2006年12月23日  幸せの総量
2006年12月24日  People Get Ready  
2006年12月25日  クリスマス プレゼント
2006年12月26日  願い事
2007年 1月 天使の指輪
2007年01月01日  スローダンス
2007年01月02日  20年ぶりの友達
2007年01月06日  誕生日
2007年01月08日  天敬愛人
2007年01月13日  両親
2007年01月14日  名こそ惜しけれ  
2007年01月20日  非常勤の顧問
2007年01月22日  ただいま。
2007年01月23日  天使の指輪
2007年01月24日  ホットチョコレート
2007年01月25日  パリ
2007年01月29日  雪のニューヨーク
2007年 2月 雪のバレンタイン
2007年02月01日  愛しい人  
2007年02月02日  あたらしい発見
2007年02月04日  お帰りなさい。
2007年02月09日  残された時間
2007年02月10日  ありがとう
2007年02月11日  テネシーワルツ
2007年02月12日  やせ我慢
2007年02月13日  君が残した優しい思い出
2007年02月14日  雪のバレンタイン
2007年02月16日  僕は信じている
2007年02月19日  愛の力
2007年02月22日  ある別れ
2007年02月23日  別れの季節
2007年02月24日  I'm in.
2007年02月25日   Wild Horses  
第二章 生きるということ
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2007年 2月 陽はまた昇る
2007年02月27日  アリーがいてくれれば
2007年02月28日  陽はまた昇る
2007年 3月 さようなら
2007年03月02日  さようなら。
2007年03月03日  心の整理
2007年03月04日  独り
2007年03月05日  ドライフラワー  
2007年03月06日  冒険の旅へ
2007年03月08日  コミットメント
2007年03月14日  こみあげる涙
2007年03月16日  更正施設の子供
2007年03月19日  天は自ら助けるものを助く。
2007年03月21日  新しい下着
2007年03月22日  夜明けのキャッチボール
2007年03月24日  目標を一つ達成
2007年03月28日  最後まで日本人として
2007年 4月 独り言
2007年04月29日  独り言
2007年 5月 天涯孤独
2007年05月14日  天涯孤独
2007年05月16日  ある家族
2007年05月28日  カタロニアの太陽
2007年05月31日  リスボンにて
2007年 6月 交渉
2007年06月02日  中国での交渉
2007年06月13日  皆で家に帰ろう
2007年06月22日  ベランダに咲く草花
2007年06月24日  あと半年
2007年 7月 人に優しくするという事
2008年07月05日  独立記念日
2007年07月24日  人に優しくするという事
2007年 8月 湊川(ミナトガワ)
2007年08月02日  馬鹿爆弾
2007年08月21日  霧雨
2007年08月29日  遺言
2007年08月31日  湊川
2007年 9月 男の値打ち
2007年09月25日  男の値打ち
2007年09月30日  天気のよい週末
2007年10月 自分の夢
2007年10月10日  自分の夢
2007年10月19日  結婚式の準備
2007年10月22日  妹の結婚式
2007年11月 天敬愛人
2007年11月01日  ハロウィン
2007年11月02日  誕生日
2007年11月16日  死の準備
2007年11月22日  愛情が宿った人形
2007年11月29日  古いもの  
2007年12月 幸せの値段
2007年12月08日   ディズニーランド
2007年12月16日  幸せの値段 
2007年12月18日  綺麗な心
2007年12月21日  大事な家族
2007年12月24日  君を想う気持ち
2007年12月25日  武器よさらば
2007年12月31日  生きるということ
2008年 6月 夢の実現
2008年 6月 夢の実現
アリーが教えてくれた事
アリーが教えてくれた事
晴耕雨読
晴耕雨読
愛のある日
愛のある日
あとがき
あとがき
補足
補足
感想&レビュー
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2006年07月07日  七夕

日本には七夕の時に短冊に願い事を書くという風習がある。
 
七夕の話は切ない。

一年に一度しか会えないなんて残酷な話だ。
 
子供の時には何とも思わなかったが、日本の昔話は結構切ない話が多い。

小学校の時に授業で先生から七夕の話を聞き、皆で短冊に願い事を書いた。

クラスメートの優しい女の子が【彦星さんと織姫さんをもっと逢えるようにしてください】と短冊に書いてたことを思い出した。

しかし、自分が何を書いたのかは全く思い出せない。

 
自分の将来なりたい仕事?夢?なんかを書いたような気がする。

それから何十年もの月日が経ち、僕は異国の地でたった一人、なんとか生き延びている。

子供の時には、こんな事になるとは夢にも思わなかった。

あれから何十年もの月日が経ち、僕は生き残る為に、どんどんずるく汚くなり、僕の両手は罪で汚れ、嘘をつき人を騙した。
 
でもそれが大人になるという事なのかもしれない。

僕が、最後に七夕に短冊を飾ったのはいつだっただろう。

まだ日本に住んでいる頃、20代の前半だった気がする。

 

僕は当時、恋人のエリカという女性と一緒に暮らしていて、二人とも音楽で喰って行こうと苦闘している頃だった。
 
デモテープを色々なレコード会社に送り、ライブハウスを周り、楽器代と生活費を稼ぐ為にいくつものバイトをしている頃だった。

エリカは福生の基地の近くに住んでいた女の子で、親のいない子だった。

父親は米兵だったらしく、エリカは褐色の肌を持っていた。
 
唄が大好きで、唄が凄くうまくて、いつのまにか、東京の福生市界隈にたむろしていたゴロツキと一緒にバンドを始めた。
 
僕もそのゴロツキの一人だった。

PXをまわって基地のクラブで音楽をやっている頃が一番楽しかった。
 
でもいつしかもっと、夢を追いかけたいと思うようになり、PXまわりでは満足がいかなくなった。

僕はデモテープを聞いたあるレコード会社の人が、ボーカルの女の子はイケルけど、バンドはいらないと言っているのを聞いてしまった。

 

僕はエリカだけでも夢を掴んでほしくて、エリカには理由を言わずにバンドをやめ、音楽をやめた。

僕はエリカに、バンドをやめ音楽をやめた理由を決して言わなかったけれど、エリカは何となく感づいていたようで僕の事を随分せめた。 

僕は音楽以外の仕事を始め、エリカは音楽を続けながら、僕らは毎日冗談を言いながら楽しく暮らしたが、決して音楽の話をする事はなかった。

今から考えればお互いに引け目を感じながら、無理をしていたんだと思う。

ある時、僕が仕事でアメリカに出かけ日本に帰って来た時に、エリカが成田空港まで雨の中、車で僕を迎えに来てくれた。 

僕はエリカが乗って来た車(カマンギア)の助手席に乗り、雨の高速を横浜方面に向かったが、エリカはカーブでハンドルを切りそこね、事故を起こしてエリカは僕の目の前で死んでしまった。

僕は病院で生死の間を彷徨ったが生き残り、病院を退院して少しして、死んだエリカが妊娠していた事を知った。

エリカのお腹の中には、僕の子供がいた。

エリカは、愛の為に生きるという事がどれだけ壮絶なものかを僕に身を以て教えてくれた。

その後、僕は精神に異常をきたし、しばらく記憶をなくし、亡霊のようにヨーロッパを彷徨った。

それから僕は自分の罪の重さに耐えかねて、自暴自棄になり自分の命を縮めるような生活を送り続けた。

ただ、捨て身の人間がまわりに与える恐怖心のお陰で、僕は逆にいくつもの修羅場を奇跡的に生き延びた。

そんな中で僕はアリーに出会った。

アリーは、毎日死ぬのを待つかのように、あえて危ない橋を渡るような僕を、無防備な微笑みで、両手を広げ包み込んでくれた。

僕が最後にした七夕は昔の恋人のエリカと一緒に住んでいた東神奈川のアパートのベランダに竹を買って来て、短冊に願い事を書いたのが最後だった気がする。

あれから20年の月日がたち、僕も立ち直り大人になった気がする。

昔は辛かったけど時間が経つにつれて、自分が生きている理由がきっとあるはずだと思うようになった。
 
七夕の昔話では無いけれど、一年に一度ではなく、僕が死んだらあの世で会いたい人がたくさんいる。

その人達が僕の事を忘れずに待っていてくれればいいな。

 


2006年07月24日  病気

今日は朝のうちは曇っていたが、午後から青空ものぞき、気温も25度前後の非常に過ごし易い日曜日になった。

午前中はジムでトレーナーと2時間程汗を流した。
 
今のトレーナーを雇ってからそろそろ一年になるが、確かに筋肉はついたけれども全く痩せる気配がない。

今日、トレーナーを見ていて初めて気がついたけれど、彼女は少し太ったかもしれない。

僕のトレーナーのネルは26歳の歌手志望の若い女の子で、とても魅力的な子なのだが、ネルは絶対に太ったと思う。
 
体重が増えているトレーナーにトレーニングして貰っても痩せないのではないかと凄く不安になったけれど、そんな事をネルに聞ける訳もなく、今日も言われるがまま2時間みっちりと汗を流した。

トレーニングが終わってシャワーを浴び、僕はアリーの家まで車を走らせた。

アリーの家に着く頃には、青空が広がり、僕は車の幌を降ろして太陽と心地よい風を楽しんだ。

アリーをピックアップして、僕達は買い物の為にダウンタウンに行き、ウエストビレッジの店をのぞいたり、あたりをぶらぶらしたり、まるで自分たちが近々家でも買うかのように、界隈を歩き回り物件を見て回った。

歩き疲れたので、ウエストビレッジの一角にある、小さいビストロに入り、そこで食事をとった。
 
店は半地下になっているが、入り口付近にある4つのテーブルのエリアは全くのオープンエリアで、半地下の影響で、その奥のテーブルにも外の光が入り、奥のカウンターには、大小沢山のロウソクが灯されている大変雰囲気の良いビストロだ。 

ウエストビレッジらしく、入り口の近くのテーブル3つは、既にゲイのカップル達に占領されていたので、僕らは奥のテーブルに腰を下ろした。 

僕らはアルゼンチン産のソーベニオンのボトルをたのみ、シーフード料理とワインで、ゆっくりと食事をした。

 

アリーは、胸にできたしこりを切除するように医者に言われており、しこりが悪性だったらどうしようと気にしていたが、街を歩き回っている間に気分転換ができたようで、食事をする頃には、いつもの明るいアリーに戻っていた。
 
ワイングラスを2回空けた頃には、アリーの顔はピンク色になり、アリーの妹や弟の話、姉妹でネット上に店を出そうとしている話などで盛り上がり、アリーは始終独特の笑い方でケラケラと楽しそうに笑った。
 
僕も気持ちが和らぎ、幸せな気持ちになった。

外が暗くなって来たので店を出て、街をまた少し散策した後、アリーのアパートまで車で戻った。 

車の中からアリーは妹に電話をして、明日の病院の検査に妹にもついて行ってもらう事にした。
 
アリーの家族は複雑で血のつながっている兄弟や、血のつながっていない兄弟が沢山いる。

若い頃には色々あったようだが、今のアリーをみていると兄弟が多いというのは羨ましい。

今アリーは、僕の隣でテレビを見ながら寝てしまい、可愛い寝息をたてている。

アリーをベッドに移す事にしよう。
 
起こさないようにベッドに移すのは僕の特技かもしれない。

 

 


2006年07月25日  検査結果  

今日はアリーのしこりの検査結果が出る日だったので、気になってしょうがなくて、気を紛らわすために、自分の仕事場の写真を出したりしてふざけてたんだけど、やっぱりアリーは癌だった。

代れるものなら代ってあげたい。

2006年07月26日  生きる理由

昨日はちょっと予感はあったのだけれども、医者の診断の結果、アリーが癌だとわかってショックだった。

アリーも相当ショックだったので、昨日の夜は、アリーは実家に泊まる事にして妹やお婆さん達と夜を過ごした。 

僕は一人で眠れない夜を過ごし、色々悶々と考え事をした。 

一夜明けた今朝、僕は早くアリーを迎えに行き、ダイナーで二人で朝食を取った。

医者は早く手術をした方が良いと言っており、来週、手術をする事になり、現在バハマで休暇中のアリーの両親も、手術の為にニューヨークに戻って来る事になった。 

手術までには色々細々した準備はいるが、そういった必要な準備は別として、それ以外の時間でアリーに悶々と考えさせるのは酷なので、普通の時と同じように生活し、疲れない程度に色々忙しくした方が良いだろうと思い色々考えている。

その結果、僕はアリーをある場所に連れて行った。

今日は水曜日の平日だが、昨日の夜一人で家に帰って、少し落ち着いて来てから、3人の友達に電話をして、水曜日のヨットレースに出場しようと提案した。

なんで急にそんな事を言い出したのか理由は説明しなかった。

当然アリーの癌の話しも誰にもしていない。 

でも僕の友達は付き合いが長く、楽しい時も苦しい時も一緒に過ごして来た奴らなので、僕の性格を良く知っており、急に何か言い出した時は、それなりの理由があるに違いない事を皆知っているので、だれも理由を聞いたり、いやがったりせずに、3人全員、水曜日のレース参戦を承知し仕事をやりくりしてくれた。

 

僕はダイナーで朝食を取った後、アリーを連れて、ニュージャージーのヨットハーバーに車を走らせた。

天気は最高によかったし、普通の水曜日なので、マンハッタンの喧噪を抜けると道はガラガラで、気分よく1時間程でヨットハーバーまで到着した。 

僕らがヨットハーバーについた時には、僕の友達はヨットハーバーについており、小さなレース用のヨットを海に降ろして準備をしている所だった。 

昨日の今日と急だったのにも関わらず、訳も聞かずに仕事をやりくりして(あるいはさぼって)レースをやりにヨットハーバーまで来てくれた。

僕は彼らの姿を見た時に、あんまり嬉しくて涙がこぼれそうになった。

本当の友達はいざという時には、訳を聞く事もなく何かを察して集まって来てくれる。
 
一番大柄のジェイドだけが、僕らの姿を見つけると、
『お前の御陰で仕事がサボれて良かったぜ』と冗談を言って笑った。

僕らがヨットハーバーについたのは2時過ぎだった。

レースは6時からなので、友達3人と僕とアリーの合計5人は、帆の張り替えの練習とブイを回る練習の為にヨットを海に出した。 

ディンギーをやる人は良く知っているが、船の中では、風の状態によってタッキングといって、船を風上に向ける為に方向転換をしたり、ジブセイルと言って、マストより更に前にある三角帆を出したり、たたんだり結構忙しく、チームワークが要求される。
 
このメンバーでヨットを操るのは久しぶりなので、最初はぎくしゃくしたが小一時間も練習をしているうちに、勘を取り戻し、かなり早いタイミングで、帆の出し入れができるようになった。
 
アリーも元気に舵をあやつり、スキッパーとして男どもを叱咤し指示を出した。

沖合の灯台の近くでヨットを止め、僕らはビールを飲みながら、夏の日差しを楽しみ、色々つまらない話しをしたりして盛り上がった。

5時にヨットハーバーに戻り、レースに登録をした。

今日の出走者は20艘だった。 

レースの直前にコースが発表になり、銅鑼の音とともに20艘が走り出した。

 

僕らのヨットは、スタートで少し出遅れたが、タッキングを繰り返す事で徐々に調子をあげ、ブイを回る頃には、5番目につけた。

スキッパーであるアリーの声が小さなヨットの中に響き渡り、僕らはアリーの指示でジブセイルを出し入れしたり、他のヨットと衝突しそうになるのを避けながらレースを続けた。

接戦でそんな余裕はなかったのだが、僕は帆を揚げながらアリーの顔をちょっと見た。

アリーは僕に気づかないが、前を見つめ舵を操りながら大声で指示を出している。

辛いけれども、アリーには生き続けたいと思う強い気持ちを持ってほしい。

一瞬アリーの顔を見てそんな事が頭をかすめたが、次の瞬間に大きな波しぶきが僕にかかった。

僕らは3位でゴールを切った。 

僕が昨日考えたプランでは1位になる予定だったんだけど、そんなに現実は甘くない。

レースが終わりヨットをしまい、ヨットクラブで簡単な食事をして、9時半頃には友達は三々五々帰って行った。

 

最後まで何も聞かずに、ただヨットの話しだけで盛り上がり、ビールとハンバーガーで楽しい時間を過ごすと肩を叩いて、お互いの健闘をたたえて帰って行った。

みんなありがとう。

僕らもヨットクラブを後にして、夜の帳が降りたニュージャージーターンパイクを北に走り、マンハッタンへ向かった。 

平日の夜なので交通渋滞もなく、まるで車は滑走路を走る飛行機のように、何の障害物もなく滑るようにターンパイクを走って行った。

石油コンビナートのライトが、まるでライトアップされたお城のように見えた。

助手席のアリーは、運転している僕の方に頭をもたれかけて景色を見ていたが、小さな声で
『今日は、ありがとう』と言った。
 
声が震えていて、アリーが泣いているのがわかった。

僕はアリーが泣いているのに気づかないふりをして、
『君を忙しくするのが、僕の仕事だから』とおどけてみた。

僕も心の中で涙を流した。

 

手術までの間は、アリーは実家にいた方が良いだろうという事になり、今日からアリーは実家に戻ることになった。

 

 

昨日はヨットレースに行って僕の家に泊まったが、今朝僕は、アリーがまだ寝ている間に仕事に行ってしまったので、昨日彼女が眠りについてからは話しをしていなかった。

今日はアリーの実家で家族水入らずの食事会があるので、門外漢の外人である僕は遠慮をして、別行動を取る事になっていた。

明日の金曜日はアリーと一緒に過ごす約束をしていたので、昨日ヨットレースにいって仕事をしなかった穴埋めを今日しようと思っていた。

午前10時過ぎにアリーから僕の仕事場に電話があった。

丁度起き抜けに電話をしてきたようで、これから実家に帰る事、昨日の話、今日の家族の食事会の話等を話したあと、アリーからちょっとだけでも会いたいので、僕の仕事場に来て一緒にお昼を食べたいと言われた。

僕は丁度その時に仕事の会議が入っていたけれど、やりくりをして、2時半に僕の仕事場の近くのプラザホテル前の噴水の前で待ち合わせをした。

丁度プラザホテルの前には、アップルがアップルストアの2号店をマンハッタンに出したところで、大きな四角いガラスのオブジェクトの中にアップルのロゴの入ったオブジェクトができ、ニューヨークの新しい観光名所の一つになった場所だ。

仕事場があるビルディングを出て、夏の強い日差しに少し驚き、サングラスをかけて街を歩き出した。

ルイ ビトンの店を通り過ぎ、待ち合わせ場所の噴水の前に行くと、ショートパンツにローリングストーンズのタンクトップを着てサングラスをかけたアリーの姿がすぐに目に入った。

僕を噴水で待っている間にも、知らない観光客に話しかけられていたようで、僕がアリーを見つけた時にはちょうどその観光客に話しかけられ、首を振っているところだった。
 
アリーも僕を見つけて、まだ赤の信号を小走りにわたり、手を振りながら僕の所にきてキスをしてくれた。

昼間、仕事の合間にアリーと会うのも悪くないなと思った。

それよりも、わざわざアリーが僕に1時間程会う為に、30~40分の時間をかけて地下鉄に乗り、ミッドタウンまで来てくれた事が嬉しかった。

 

僕達はホームアローン2の撮影で使われて有名になったシュワルツ玩具店の向かいにあるアイリッシュバーに入り、ランチを食べた。

薄暗いアイリッシュバーのカウンターでは、昼間の2時半にも関わらず、ダークビールを飲んでいる客がカウンターにたむろっていたが、僕らは窓側のボックスシートに陣取り、フィッシュフライとポテトを注文して二人でほおばった。

僕は日本人だし、アリーの家の人にはあまり良く思われていないので、アリーの負担にならないように、アリーの家の人には関わらないようにしている。

アリーは、今、癌と闘い始めたばかりなので、余計な負担や悩みはアリーには必要ではない。

でもアリーは一部始終を話してくれるので、何がアリーの実家で起こっているのかについては、誰よりも判っているつもりだ。

唯一僕に好意的なのはアリーの腹違いの弟で、彼には僕は何回か会った事がある。
 
最近アメリカの放送局のNBCに就職した、将来映画監督希望の23歳の若者だ。

アリーから今日の予定を一通り聞きながら、フィッシュフライとポテトを平らげ、僕らのデートはわずか一時間ちょっとだったけれども、楽しい時間を過ごす事ができた。

僕も昨日ずる休みをした手前、長く仕事場を空けることもできないので、食事が終わると五番街を歩いて、地下鉄の駅のある53丁目まで一緒に歩き、アリーを地下鉄の駅で見送って僕は仕事に戻った。

僕は仕事場に遅くまで残り、自分を忙しくしようと一生懸命になっている。 

そうしないと頭がおかしくなってしまいそうだから。
 
僕は今まで生きて来た自分の過去を見返した時に、別に恋愛だけに留まらず色んな大事なイベントで、自分が本当に思っている事や、やりたいことを言わなかったり、やらなかったりして悔やんだ事が沢山ある。

僕はこの歳になって、やって悔やむよりも、やらないで悔やむ時の方が、後悔が大きい事がやっとわかって来たので、今度はどんなに格好悪くとも、みっともなくとも、自分が思った事をアリーの為に一生懸命やりたいと思う。

結果はどうあれ、後になって”ああしておけばよかった”と後悔する事だけはしたくないと思う。

 

アリーの手術は、来週の金曜日になった。

今日はゆっくり二人で過ごす事にした。

仕事をなんとか7時までに片付け、アリーをバイト先に迎えに行き、まずはアリーの家に着替えを取りに行った。

手術まではアリーは実家に帰っているので、着替えを取りに二人で久しぶりにアリーの家に帰った。 

荷物をまとめた後、それを僕の車の中に放り込み、ダウンタウンに車を走らせ、二人の行きつけのベトナム料理屋に出かけた。 

午後に雷雨になった事もあり、ダウンタウンの街並は、ホースで水をかけたあとのように、若干奇麗になったような印象を受けた。

空模様があやしく、また雷でも来そうな感じだったが、幸い天気が崩れる事もなく、二人は外に出されたテーブルに座り、センセアのボトルを傍らにおいて、ゆっくりとベトナム料理を楽しんだ。

僕は実際に幸せだったのだけれども、アリーの病気と手術の事、そういった状況の中で僕を心配させまいとして、精一杯の努力をしているアリーの事を考えると、何とも言えない哀しい気持ちをどうする事もできなかった。

ただ、アリーにそんな気持ちは察せられたくないので、アリーをテーブル越しに僕の方向に引き寄せてキスをした。

二人で来週以降の予定を色々たてた。 

僕は8月はアリーの為にできるだけニューヨークを動かず、二人で夏を一緒に過ごす決心をした。

アリーの手術後の状況によっては、アリーをナパバレーあたりに、ワインでも探しに出かけても良いが、あまり無理はせずに、兎に角、二人でニューヨークの夏を楽しみたいと思う。

その為には、アリーに手術を頑張ってもらって、元気になってもらわないと、二人の折角の計画が水の泡になってしまうので、僕はアリーに
『頑張ってね』と言った。

アリーは鼻に皺をよせる独特の笑い方で笑いながら、
『じゃあ、アタシが頑張ろうと思わせるように貴方が頑張ってね』と茶目っ気たっぷりに言った。

その通りだよね。
 
アリーをその気にさせるのは僕の仕事で、アリーがその気にならないと治る病気も治らない。
 
僕も笑いながら
『精一杯がんばるよ』とアリーに言った。

 

帰りがけに僕はアリーに、昨日わざわざ小一時僕と会う為に、地下鉄に乗って僕の仕事場まで来てくれた事が、凄く嬉しかったと素直に告げた。 

アリーは笑いながら
『それは、私がそうしたかったから』と言った。 

アリーは
『私はいつも周りを気にして、周りを傷つけたくなくて、自分のやりたいことを押さえて来たけど、そういうことはもうしない。私は自分のやりたい事をしたい。だから家族の人達には少し待っていてもらって、私は貴方に会いたかったから会いに行った』と僕に伝えた。

ちょっとした事だったが、僕はアリーの言葉が何よりも嬉しかった。

アリーを家に送り届け、僕は自分の家まで車を走らせた。

アリーには内緒にしているが、僕は9月7日のローズホールでのエルトンジョンのコンサートのチケットを2枚手に入れた。

手術の前でどうなるのかわからないのに、そんな事をするのは子供っぽいかもしれないけれども、僕はアリーの喜ぶ顔を見たいし彼女が絶対に治ると信じている。

でもエルトンジョンのチケットの話しは、アリーが無事に手術を終えて一段落するまで秘密にしておくつもりだ。

 


2006年08月04日  手術

今日、昼前にアリーから電話があった。 

手術を明日に控えてバハマで休暇中のアリーの両親が、わざわざアリーの手術の為にまたニューヨークに帰って来る事になった。

手術前日の今日は家族水入らずで過ごすと聞いていたので、部外者の僕は遠慮をしてアリーと会う事を諦めていた。

そんな時にアリーから突然の電話で、どうしても会いたいので昼間になんとか時間を都合して出て来てくれないかというお願いだった。

アリーの事が気になっていたので、気になったまま時間を過ごすよりは、仕事をやりくりした方が良いと思い、必死の思いで仕事をやりくりし、昼前にアリーの実家に向かった。

華氏100度を越える夏日の中、車を飛ばし、路肩に車を乗り捨て、僕はアリーのいるアパートへと急いだ。
 
建物のドアの前に僕の最愛の人は立っていた。

『仕事中に呼びつけてごめんね』とアリーが僕に語りかけた。

僕は無言でアリーのそばに行き、アリーを優しく抱きしめた。

二人でチェルシーのダイナーに車を飛ばし、少し遅めの昼ご飯を食べる事にした。 

そのダイナーは、アリーの両親が20年以上前に住んでいた頃からあるダイナーで、アリーは感慨深げにその椅子に腰を下ろした。

アリーの両親はアリーがまだ5歳頃に離婚をし、3人姉妹の長女は、父親に引き取られ、アリーと妹の二人は母親に引き取られた。

父親はニューヨークに住み、母親はフロリダに移り住んだ。

アリーは母親とともにフロリダに移り住んだが、父親は再婚し、事業に成功した事から、ニューヨークで父親と住む時間が増えてきた。

父親は再婚した後、一男一女をもうけ、アリーには弟と妹ができた。

アリーは、父親がいつも自分の異母兄弟の学芸会や運動会には出席するのに、自分の運動会には決して来てくれないなど、父親との関係に苦しんだ。

 

父親になんどか文句を言ったが父親はそれを真剣に受け止めず、ある日アリーの怒りが爆発した。

困った父親は、アリーとアリーの姉を家の近くのダイナーに連れ出した。
 
父親は彼女達を外のダイナーに連れて行けば、他人の目も気になり大騒ぎをすることはないだろうと目論んだらしい。

ところがアリーの怒りは収まらず、ダイナーで他人の目も気にならず、自分の怒りをぶちまけた。

そのとたんにダイナーの椅子が壊れて、アリーは床に尻餅をついてしまい、あまりの可笑しさにアリー自身が笑い始めてしまったらしい。

僕達は偶然、そのダイナーに入ってしまったようだ。

僕は当然そんな歴史は知る由もなく、アリーはダイナーに入ってから、笑いながらそのいきさつを説明してくれた。
 
そして自分が座っている椅子を懐かしそうにさすった。

僕も仕事があったので、アリーといつまでも外にいる事はできなかったけど、できるだけアリーと一緒にいたいと思い、長めの昼休みを取りアリーの昔話に聞き入った。

一通り話しが終わってしばし沈黙が続くと、アリーが僕の手を取って、
『本当は、怖くて仕方がない』と言った。

僕は”大丈夫”と言えば良かったのだが、僕自身も怖くてしょうがなかったので、”大丈夫”とは言えず
『何が起こっても、僕は君のそばを離れない』としか言う事ができなかった。


”きっと大丈夫だよ”なんて調子の良い事は僕には言えなかった。
 
僕も自分の頭がおかしくなってしまうような状況なのに、当事者のアリーに、どうして僕が”大丈夫”なんて言えるのだろう。

言えるわけないじゃないか。
 
唯一言える事は、どんな事があっても、僕のアリーに対する愛情は変わらないという事、それだったら自信を持って言える。

だから僕は、自分に正直に自分が自信を持てる事だけをアリーに伝えた。

アリーは暫く僕の手を握りしめたまま、下を向いて黙っていたが、そのうち意を決したように上を向き、
『貴方もそろそろ仕事に戻らないと』と言って席を立った。

僕はアリーを両親のアパートに送り届けた。
 
アリーは、僕に今までで一番美しい笑みをみせ、
『それじゃあ』と言って後ろを向き、振り返る事なくビルの中に消えて行った。

それが、僕が今日アリーを見た最後だった。

なんとも言えず寂しい気持ちがした。

 

夜中にアリーから電話があった。
 
眠れなかったようで、夜中過ぎの電話だったが、お互いに病気や手術の話しはせずに、他愛のない話しを色々とした。

かなり長い間話しアリーには、眠れなかったらいつでも電話をして良いからと諭して電話を切った。

電話を切っても僕も眠れる訳でもなく、色々と考え事をしているうちに東の空が明るくなってしまった。

朝になり、手術の時間が近づいて来た。
 
僕はアリーの電話を待ったが、電話がなかったので、こちらからアリーの携帯に電話をしようと思った瞬間に、アリーから電話がかかった。

手術に行く直前らしかったが、落ち着いた声で僕に
『おはよう。病院には両親と妹が来ているので心配しないでね』とアリーは言った。
 
『手術が終わったら、また電話をするから』とアリーは言うと電話は切れた。

僕は仕事をする気もしなかったので、一人、たまに通っているマンハッタンの剣道場を久しぶりに訪れ、そこの生徒達と手合わせをした。

平日の昼間だったので生徒の数は多くはなかったが、アメリカ人の学生が何人か練習をしていた。

やはり平常心を保てないのか、いつもより手荒になってしまい、つばぜり合いで体が触れると、相手を思い切り突き飛ばしてしまい、相手が床に転がる音で、周りが驚いて僕の方を振り返った。

気まずくなって、僕は練習をやめ剣道場を後にした。

 

アリーに会いたいが、今はアリーの周りには家族がおり、アリーの両親は僕の事を良く思っていない。
 
逢いたい人に逢えないのが、何とも理不尽に思えた。

でもこんな時に、そんな事でアリーの親と無用の争いをして、アリーを悲しませたりはできないので気にはなっていたけれど、病院には近づかずイーストリバーの川縁で一人ぼんやりと川面を見つめて過ごした。

 

夜になってアリーの携帯から電話があった。
 
電話の主はアリーではなくアリーの腹違いの弟だった。

彼は僕が気にしているだろうと思って、アリーの容態を電話で教えてくれた。
 
最後に
『8時過ぎに来れば、病室には誰もいないから』と言って電話を切った。

僕は弟に言われたように8時過ぎに病院に出かけてみた。

弟は僕に気を利かせてアリーの両親を食事に連れ出したようで、僕が病室に行くとアリーの他には誰もいなかった。

僕は眠っているアリーの手を握って、暫くアリーの寝顔を見つめていた。
 
暫くしてアリーはゆっくりと目をあけ、僕を見つけると微笑んだ。

僕もアリーの手を握ったままアリーに微笑んだ。

 



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