2007年10月 自分の夢
2007年10月10日 自分の夢
最近はカーテンを開けたまま寝ているので、自然に朝日が昇ると目が醒めるようになっている。
僕の寝室は東側に窓があり、丁度陽が昇ると、川面に照らされた朝日の反射で、天井に波模様が浮かび上がるので、その波模様がキラキラ光る。
今朝もその光で目を醒ました。
午前中は仕事の打ち合わせをした。
年配の人と、中年の人と、若い人たちのグループで、仕事の合間にその人たちのやり取りを聞いていると、なぜか面白いなあと思った。
午前中の仕事が終わり、僕はその人たちを昼食に連れ出した。
半日一緒に過ごした事もあり、昼を食べる頃には、彼らも僕に慣れてきたようで色々と仕事以外の話しをするようになってきた。
特に若い人たちから見ると、僕は不思議な存在のようで、いつからこんな仕事をしているのか?
いつから外国で働いているのか?
いつからニューヨークにいるのか?
今まで他には、どんな仕事をしてきたのか?
とか、矢継ぎ早に質問攻めにあった。
レールに乗って、その社会の中で上を目指している若い人達には、レールを外れてしまった一匹狼の僕が不思議な存在に映ったようだった。
僕は微笑みながら彼らの話の聞き役にまわって、自分の話はあまりしなかった。
レールに乗っていようが、レールを外れていようが、大きな会社の一員だろうが、自分ひとりで働いていようが、日本で働いていようが、外国で働いていようが、それは生きていくうえでは大した違いにはならないと僕は常々考えているが、その話しはしなかった。
年寄りが若い人にそんな話しをすると、説教臭く聞こえて格好悪いと思ったからだ。
悔いのない人生を送れるかどうかが、僕にとっては、唯一のポイントなのだ。
僕にとっての悔いのない人生とは、自分の夢のために命をかけて、最後まで全力で努力を続けると言う事だ。
だから僕にとっては、夢さえ見つかれば、あとは愚直に最後まで諦めずに努力を続ければ、悔いのない人生になるわけだ。
他の人にとって人生は、もっと複雑なものかもしれないが、僕にとって人生とはそれほど単純な事なのだ。
だから若い時に、自分が命を張れる夢をどうやって見つけるか?と言うことが、目標を定めるにあたって一番悩むところだと思う。
少なくとも僕は自分が若い頃に、自分が何をすべきかがわからずに、かなり悩んだ事がある。
その時に、悩みぬいた末に僕がたどり着いた結論は、自分の夢が見つかるまでは、自分の周りにいる人を幸せにする為に尽くすと言う事だった。
周りの人の事を考えて、その人たちの幸せのために、全力で努力を続けていく過程で、新たな発見や出会いがあり、それが自分の夢に繋がったり、周りの人たちの夢が、いつの間にか自分の夢になったりするものだと言うのが、僕が経験から学んだ事だ。
天を敬い、人を愛する。
その中で自分の夢が広がっていき、自分が命をかけられるものが、見えてくるのではないかと思う。
僕は、相変らずレールに乗っているか、レールから外れているかと言う視点で話しをしている日本から来た人たちの話を聞きながら、ただ微笑んで相槌を打ち続けた。
相槌を打ちながら、こういう気持ちを感じてしまう自体、自分が年老いたと言う事なのかな?と思い、ちょっと自分が恥かしくなり、周りに気付かれないように照れ笑いをして頭を掻いた。
天敬愛人。
他人を愛する事で自分を見つめなおす事ができる。
本来の天敬愛人とは意味が異なるけれど、それが44年生きてきた僕の生きざまだ。
生きている間に、自分の生きざまを確信する事ができると言うことは、ある意味では幸せなのかもしれないと思った。
2007年10月19日 結婚式の準備
アリーの妹の結婚式が、3日後に迫って来た。
僕は、色々悩んだけれど、結局、妹の結婚式に出席する事にした。
妹の結婚式用に、新しい服を一式新調した。
寸法取りを1週間前に行い、明日洋服を取りに行く。
目立ってはいけないので地味な服にしたが、古びた格好をする訳にもいかないので新調する事にした。
その他に、妹とその旦那さんにプレゼントを準備してカードを探し、いざ結婚式に出席するとなると、色々準備が忙しい。
そんな事を、忙しい仕事の合間にやるのだから、周りの人間は、僕を半ば呆れ気味で眺めている。
でも僕としては、自分を忙しくしている方が、気持ちが落ち着いて良い。
ふとした時間があくと、どうしてもアリーの事を考えたり、どうもネガティブになってしまう。
どんなに自分を忙しくしていても、ふとした瞬間に、ぼーっとした時間ができ、アリーの面影を探して一人涙ぐむ事がある。
そんな情けない僕を見て、きっとアリーはあの世から笑っているに違いない。
でも僕はそんな情けない男なんだよ。
もうすぐアリーの誕生日がやって来る。
今年はアリーが死んで初めての誕生日になる。
僕はアリーのいない誕生日を、どうやって過ごすのだろうか。
2007年10月22日 妹の結婚式
湖のほとりでの野外結婚式だったので、天気を気にしたが、雲ひとつない青空が広がり、素晴らしい結婚式になった。
妹達親族に会うのは、アリーが死んで以来だった。
式場には、アリーが満面の笑みを浮かべた写真が、イーゼルに立てられ、参列者の列の中に飾られていた。
写真の中で微笑むアリーを見つめ、流石に僕はアリーを思い出したけれど、泣き出したい気持ちを懸命に抑え、妹を祝福すべく皆と会話をして微笑みを浮かべた。
式は、新郎がクリスチャンで新婦がユダヤ教なので、宗教色を薄めたジューイッシュ(ユダヤ系)のスタイルで行われた。
式がつつがなく終わり、その後、屋外でそのままカクテルパーティになり、場所を湖にせり出したホテルのレストランに移して、披露宴とダンスパーティが夜遅くまで続いた。
イーゼルに立てられたアリーの写真は、式の後も披露宴席で妹達に微笑を浮かべ続けていた。
めでたい席なので、久しぶりに会った妹達と、踊ったり話をしたりして、努めて陽気に時間を過ごした。
披露宴もようやくお開きになった時に、僕は妹のところに行き、また結婚のお祝いを言った。
妹は僕に一際大きなハグをくれ、
『今日は、来てくれて本当に有難う。私達は皆、貴方の事を心配しているから強く生きてね。私達は貴方の事を今でも愛しているから』と優しく言ってくれた。
僕はもう一度微笑んで、
『ありがとう。そしておめでとう』と言った。
帰りがけにアリーの写真に目をやり、周りの人に気づかれないように投げキスをした。
皆に別れを告げ、一人夜風に吹かれながら、駐車場に停めてある自分の車に向かった。
歩きながらネクタイを緩め、煙草に火をつけて煙をはいた。
周りに人もいなくなり、僕を照らす明かりも無かったので、我慢していた涙が頬をつたって流れた。