2007年 3月 さようなら
2007年03月02日 さようなら。
あれからニューヨークでは穏やかな日が続き、ここ何日かは気温も上がって青空になった。
僕は、やはりアリーの葬儀には呼んでもらえなかった。
アリーの両親に嫌われているので、呼んでもらえないだろうと思っていたので、それほどショックではないが、やはり、最後にもう一度アリーの顔を見たかった。
ただ僕には沢山の思い出があるので、今でも目を閉じれば色々な場面のアリーを思い浮かべる事ができる。
だから、棺に納まったアリーの死顔を見ないほうが良かったのかもしれない。
葬儀に呼んでもらえないほどだから、当然アリーに指輪をつけて埋葬をしてくれるはずもなかった。
一生懸命アリーのためにデザインをした、ピンクサファイアのピンキーリングとエンゲージリングが、一度もアリーの指に納まる事がないのは、切ない気持ちがしたけれど、僕は小さな箱に、アリーに渡すはずだった二つの指輪と、思い出の品を詰めて、綺麗にラッピングをしてリボンをかけ、アリーのことを思い出し、少しアリーに祈りを捧げてから、その箱をニューヨークの海に流した。
僕は箱が波間に沈んで行くまで、海を見つめていた。
天使のデザインの指輪。
さようなら。
アリーがつけたら似合ったかな?
アリーに指輪をプレゼントするのは僕があの世に行って、アリーと再会したときの楽しみに取っておこう。
指輪を海に流して、僕はベンチに腰を下ろし、やめていた煙草に火をつけた。
天気が良い事もあって、バッテリーパークにはかなりの人がいた。
自由の女神を見に来た観光客。
公園で楽しそうに自分達だけの世界に浸る恋人達。
犬の散歩にやってきた老人。
公園で元気一杯走り回る子供達。
僕はそういった人々を眺めていた。
それぞれの人にそれぞれの生活があり、泣いたり笑ったりしながら、一日一日を過ごしている。
そんな当たり前な事を考えていると、何故か、それらの人々がとても愛おしく思えてきた。
僕とアリーの思い出が沢山詰まったアリーのアパートも、今月一杯で引き払う事になった。
アリーの両親から、2週間以内に荷物を処分して鍵を返すように言われている。
今週末にでもアパートに行って、自分の荷物を片付けに行こう。
あそこには二人だけの思い出が沢山ある。
僕はあの部屋が大好きだった。
ポインセチアで一杯にしてしまった裏庭。
アリーが死ぬ直前に病院から外出許可を貰い、最後に夕食を食べた部屋。
小さな暖炉に灯を入れて、アリーを抱きかかえ、ずっと暖炉の灯を見つめたあの夜。
二人でふざけながら一緒に料理を作った小さなキッチン。
きっと片づけをするごとに、沢山の素敵な出来事をまた、ひとつずつ思い出すのだろう。
仕方がないことだけれども、やはり切なくなる。
2007年03月03日 心の整理
アリーに渡すはずだった指輪を海に沈め、僕もそろそろ気持ちの整理をしなければならないと思い始めた。
今週末には、アリーのアパートの荷物も運び出さないといけないので、僕はアリーと過ごしたこのアパートで、最後の思い出を作る為に、昨日からこのアパートに泊まっている。
まだ気持ちの整理はついていないけれども、僕には守らないといけない人達が沢山いる。
その人達のために僕はまた歩き出し、彼らを守る為に闘い続けなければいけない。
それがアリーの為でもあるのだと無理やり信じ込もうとしている。
アリーが死ぬ前日の取締役会で、ビリーの会社の新しいプロジェクトを発表したばかりだ。
既にビリーは一足先にヨーロッパに飛び、プロジェクトの下準備を始めている。
僕も来週早々ヨーロッパに行って、彼を助けてやらないといけない。
最年長のロベルトには、二年でケリをつけると約束したが、実は、僕はこのプロジェクトを一年でケリをつけようと思っている。
一年で完結させるのはクレイジー(狂信者)だと思うけれども、やってできない事はない。
チャンスはあると思う。
逆に、みんなが考えるような安全なスケジュールで動かしていたら、きっと後から追って来る大資本の競争相手に潰されてしまう。
僕らのような小さい所が生き残るには、奇策で先手を取って、全速力で逃げ切るしかない。
だから僕は一年で決着をつけようと思っている。
それが唯一の方法だと思っているから。
自分の命をかけるのに不足はないプロジェクトだ。
アリーのアイディアもたくさん入っているから。
アリーのアイディアを証明するためにも、僕はここで負ける事はできない。
アリーの名前のついた財団も本格的に動き出した。
経済的な事情で学校に行けない子供達に、教育を施す手伝いをするのがこの財団の目的だ。
アリーの至った結論は、
”子供に一番必要なものは、教育だ”と言う事だった。
他の人には他の意見もあると思うが、僕はアリーの結論を尊重し、アリーの遺志をついで、子供達に教育を施す手伝いをする事に全力を尽くしたい。
更正施設でのカウンセリングも再開した。
そこで彼らの話を聞き、彼らの痛みをともに感じる事が僕の仕事だ。
アリーがいつも僕に言っていたのは、
”子供達に何かを強制しても、彼らは決して心を開かない。子供達の心を開く為には、まず自分が子供達の話を聞き、痛みをともに感じて、子供達に愛をもって接しないと、子供達は、再び社会とのつながりを持とうとはしない。まずは自分が彼らを愛して、人から愛される事でどれだけ彼らの気持ちが救われるのかを理解できれば、はじめて彼らは、自分から社会とのつながりをもう一度築いてみようと思い、人を思いやったり、愛したり、人の話を聞いてあげたり、痛みを分かち合おうという気持ちが芽生えてくるはずだ。”
と言う事だった。
アリーは誰にでも惜しみなく愛を与えた。
そして、そうする事で愛を与えられた人達が、今度は別の人達に同じように愛を与える事を望んでいた。
僕は44歳のひねくれ者なので、本当の世界がそんなに簡単でないことは知っている。
でも少なくともアリーは、更正施設の子供達を愛していた。
そして、彼らをそんなに愛している人は他にいなかった。
彼らにだって愛は必要だし、誰かに心配されていると実感する事が必要だ。
だから僕は、ここでもアリーの遺志を継ぐことにした。
アリーほどは、高貴な愛を与える事はできないけれど、僕は僕なりに無骨な男の愛情を持って、彼らに接してみようと思う。
彼らがアリー同様、僕にも心を開いてくれるように。
来週からはまた忙しくなる。
涙に暮れていても陽はまた昇る。
そして僕は歩き出さないといけない。
アリーの為に、そして僕を必要としている人達のために。
2007年03月04日 独り
アリーのアパートを今月中に引き払う事になり、僕も仕事を再開し来週から忙しくなるので、今週末にアパートの荷物を整理する事にした。
沢山の素敵な思い出が詰まった、アリーのアパートだ。
決して豪華ではないけれど、二人で懸命に生きた思い出の場所だ。
二人で笑い、泣き、語り合い、ふざけ合い、愛し合い、思い出は尽きない。
僕は、指輪を海に沈めた段階で、心の整理はかなりついたので、もう心が迷う事はないけれど、このアパートを出る前に、せめて最後の週末くらいは、アリーの思い出に浸って独りでいたいと思った。
44歳の中年が思い出に浸って、センチメンタルに涙ぐむのは格好悪いけれども、これが最後だからアリーにはおおめに見てもらおう。
きっと、アリーも
『しょうがない人ね』と言って笑ってくれるに違いない。
ひとつひとつ思い出のものを手に取って、チャリティーに寄付するもの、捨ててしまうもの、自分で思い出に取っておくものに分けないといけない。
ひとつひとつの物を手にするたびに涙がこぼれて来る。
このアパートには僕一人だから、今日は泣いても構わない。
今日と明日はそうやって静かに時を過ごすつもりだ。
2007年03月05日 ドライフラワー
土曜日に続き、日曜の朝も青空が美しかった。
気温は土曜日よりも下がったけれど、僕は革ジャンを羽織って寒さに身震いをしながら、表通りのスターバックスに出かけて、チャイティを頼んだ。
このスターバックスにも、数え切れないほどアリーと来たものだ。
いつも頼むものはチャイティと決まっていたが、ここにも沢山の思い出がある。
このスターバックスに来るのも今日で最後だろう。
このアパートを引き払ってしまえば、このスターバックスに来る事もないと思う。
そう考えると、なんと言う事もないスタバですら、非常に懐かしく、名残惜しいものに思えるから不思議だ。
昨日から荷物の整理をはじめ、かなり整理もはかどった様な気がする。
一つ一つ残された物を手にとって、色々な事を思い出し、そのたびに手が止まり涙ぐんでしまうのだが、この作業は、これから先、僕が一人で前を向いて歩き出す為には、通らなければならない道のような気がした。
大きな段ボール箱を3つ置き、捨てるもの、寄付するもの、取っておくものに時間をかけて分類していった。
なかなか捨てる決心がつかないので、迷ったら、捨てる箱に入れるように心がけたが、やはり二人のものを捨てるのは、心が千切れるような気がする。
整理がかなり進んで、僕は、ドライフラワーの飾られた花瓶を手にして考えあぐねた。
アリーは、僕がアリーに花をあげた度に、その何本かを残して、ドライフラワーにして花瓶にさしていた。
アリーと付き合いだしてから、アリーが死ぬまで、僕は何十回と花束を渡したけれど、その全てを思い出に取っていたアリーの、意外に子供っぽいところを考えると、今でも微笑んでしまう。
そんな子供っぽいところも非常にかわいらしい女性だった。
僕は暫く考えあぐね、結局、花瓶からドライフラワーを抜き取り、その一本一本を手にとって、これは、あの時かな?これは、あの時かな?って考えながら、一本ずつに、”どうもありがとう”って言ってそれらを集め、静かに火をつけた。
僕とアリーの思い出が、煙になって空に消えていくような気がした。
僕は花が燃え尽きて灰になるまでそれを見つめていた。
部屋の整理が終わったら、何もないこの部屋で、僕はアリーを思いながら最後の夜を過ごし、明日の朝早くこのアパートを出て、鍵を両親宛に郵送する。
ここには、もう2度と戻ることはないだろう。
空に消えていく煙を目で追いながら、僕は全てのものに、”さようなら”、”ありがとう”と声をかけた。
2007年03月06日 冒険の旅へ
今朝は早く目を醒まし、空っぽになったアパートを見回して、感謝の気持ちを込めてドアに鍵をかけた。
鍵を封筒に入れ、アリーの両親に郵送をした。
これで僕とアリーが暮らしたアパートは、僕の心の中だけに残る思い出になった。
ちょっと切ない気持ちになったが、メソメソするのは週末までと決めていたので、空を向いて大きく深呼吸をして気分を変え、新しい一歩を踏み出す事にした。
自分の気持ちがどうあれ、仕事の方は僕を待ってくれない。
前を向いて歩き出すと決めた以上は、ちゃんと歩き出さないと、他の人にも迷惑をかけてしまうことになる。
ビリーは既に先週からヨーロッパに行って、新しいプロジェクトの準備をしている。
彼からヨーロッパに来るように乞われていたが、僕も彼を助ける為にオランダとイギリスに行く事になった。
その前に、全社員を集めて、今回のプロジェクトの説明をすることになった。
僅か35人の会社なので、全員にプロジェクトの目的を理解してもらい一丸になってあたらないと、とても大きな所に太刀打ちできない。
既にビリー含め、複数のメンバーが、世界中に散り、プロジェクトの下準備を始めていたが、とりあえず一度全員に帰って来てもらい、全員を一同に集めてミーティングを行った。
35人全員を食堂に集め、その前で、概略を僕が説明し、その後で細かい指示をビリーが出していく。
壇上に立ち、僕は、35人の同士に向かって語り始めた。
『今日から君達は、僕と一緒に新しい冒険に旅立つ事になる。 僕は君達がこの冒険に参加したことを誇りに思い、年を取った時に、自分の孫達に胸をはって自慢話が出来るほどのプロジェクトだと確信している。きっと、君の孫達は、自慢話の退屈さに居眠りをしてしまうだろう事は、確実だけれどもね』
本題に入る前に皆を鼓舞して、気持ちをひとつにさせるのが僕のスピーチの役目だ。
皆を笑わせながら、真剣にさせながら、気持ちを高めながら、僕は話を続けていった。
話をしながら、ふとアリーの顔が頭に浮かんだ。
優しそうに僕に向かって微笑んでいる笑顔だった。
頷いているようにも見えた。
きっと、僕がまた前を向いて歩き出した事を喜んでくれているのかな?とふと思った。
アリーの微笑みに後押しされて僕は話を続けた。
プロジェクトが非常にリスクを伴うことも説明した。
常識外れの目標設定と、常識外れのスケジュールで進めないと、大きな会社にやられてしまうであろう事も説明した。
会社の有り金を全てこのプロジェクトにつぎ込むので、このプロジェクトの失敗は、即、会社の死を意味する事も説明した。
その上で、僕はこう言って、自分のスピーチの結びにした。
『もしも僕らが、自分達の努力次第で、運命を変えられると証明できたら?
もしも僕らが、世の中にはお金以外に大事なものがあり、お金では買えないものがあると証明できたら?
その証明こそ、僕らが、闘い続ける目的ではないか?
その証明こそ、僕らが、命をかける意味があるのではないか?』
暫くは、食堂が水を打ったように静かになった。
誰も言葉を発しなかった。
その静寂を破って、一人の従業員が立ち上がった。
大柄の黒人でプログラマーのスミスだった。
スミスは、デラウェアの貧しい黒人家庭に生まれた天才プログラマーで、僕らが彼の才能にほれ込み、口説き落としてこの会社に連れてきた男だ。
彼の兄弟は犯罪に手を染め、現在刑務所に入っていて、彼は両親と刑務所にいる兄弟の世話をするために、デラウェアを離れる事ができない。
そこで僕らは、彼にデラウェアの自宅で働く事で構わないと彼に伝え、やっとの思いで会社に参加させることが出来た。
彼はそれに非常に恩義を感じ、それ以来、誰よりも勤勉に働き、驚くべきプログラムを量産している。
普段はデラウェアの家で働いている彼も、会社の一大転換期だからと言う事で、わざわざ会社までやって来ていた。
その彼が静かに立ち上がり、独特の低い声で、
『俺は冒険に参加します』と言った。
彼の言葉の後に、次々に従業員が立ち上がり、それぞれに会社の方針に身を委ねる事に賛成してくれた。
35人全員の意思が固まり、僕らは、またこの小さなブリキの船で、大海原に冒険に出かけることになった。
明日から、僕は35人の命運をかけてヨーロッパに行く。
僕らの旅のために。
2007年03月08日 コミットメント
アリーとは色々なところに出かけたが、アムステルダムにはくることがなかった。
昔、僕はアムステルダムに住んでいた事があったので、アリーを連れてくると約束をしたが、その約束が果たされる事がなかった。
今回は、アリーは僕について来ているのかな?と思い、あたりを見回したが、アリーの気配を感じる事はできなかった。
昼過ぎから本格的な仕事が始まる。
ここで先手を取れないと後がない。
ここで慌ててもしょうがない。
もうやるべき事はやったのだから、後は運を天に任せて、正々堂々と事に当たるしかない。
勝つにしろ負けるにしろ、悔いがないように思う存分闘いたい。
生きたくても生きられなかったアリーのことを思い、僕は残された日々を毎日、全力であたりたいと思う。
アムステルダムについて、午前中は気持ちを静めるために、街を散歩したりしてゆっくりと時間を過ごし、昼過ぎから第一回目の交渉を行った。
相手も必死なので激しい応酬があったが、僕はあくまでも強気に、かつ相手に敬意をもって自分のポジションを堅持した。
長い時間の会議になった。
交渉相手が自分達で話し合う時間を要求した。
僕はそれに応じて彼らに時間を与えた。
相手方が会議室から退席していき、僕は会議室に独り残された。
僕はコーヒーを片手に高層ビルから、アムステルダムの街並みを見渡した。
有名な話だが、オランダの沢山の土地は海面よりも低い。
のどかな田園風景の先には、民家の屋根よりも高い堤防がはりめぐらされ、その先には濃紺の北海の海が広がっていた。
美しい景色だった。
アリーとこの場所を訪れ、この景色を見せてあげたかったなと思った。
会議室の中は、相変わらず僕一人だったので、椅子に腰を下ろしテーブルに足をのせ、暫く外の景色を見つめ続けた。
コーヒーを片手に、カバンの中からアリーの写真を取り出して、僕はアリーに話を始めた。
別に取り留めのない話だが、僕はアリーの写真に語り続けた。
何となくアリーが近くにいるような感じがした。
アリーのブロンドの髪の毛が、僕の肩に触れているような気がした。
そんな感覚に、僕の気持ちは和まされ癒された。
アリーのおかげで、まだまだ強気で闘い続けられる気がした。
交渉相手が会議室に戻ってきて、また激しいやり取りが延々と続いた。
相手方もかなり疲れてきたようで、相手方の代表が、僕に真顔で、
『なぜ、そんなに自分のプランに自信を持っているんだ?』と聞いてきた。
僕は静かに微笑んで、
『自分に自信がなければ、ここにはいない。やる以上は、最後までプランをやり遂げる事に全力を尽くし、真剣になるのは、当然の事だ。自信を持たなければ、できることもできない』と答えた。
相手方は半ば呆れていたが、僕にとってコミットメントとはそう言う事だ。
僕は一人ではない。
2007年03月14日 こみあげる涙
アリーが死んでから、怒濤のように色々な事が押し寄せて来た。
アリーに別れを告げ、思い出を海に沈め、突然の雪に追い立てられるように、ヨーロッパに出かけ、今まで以上に過酷な仕事に関わり始めた。
週末は気分転換の為に、二人の思い出の場所のロンドンに出かけた。
思い出のホテルに泊まり、偶然アリーが好きだった部屋に案内された。
流石にアリーと泊まった部屋に案内された時には、僕も参ってしまい、独りになった後、暫く涙が止まらなかった。
なぜこんな苦難を背負わないといけないのだろうか?
なぜこんな思いをして、後悔をしながら、生きて行かなければならないのだろうか?
外では、僕が守らないといけない人達の為に、どこまでもやせ我慢をして、どこまでも突っ張り続けて、闘い続けているが、独りの時間が来ると、どうしても気持ちが挫けてしまう。
ロンドンでも幾つか仕事や、仕事関係の食事があったので、週末とはいえ遅くまで付き合いがあり、遅くに独りでホテルの部屋の鍵を開けた時に、どうしようもない寂しさ、悲しさに襲われてしまう。
ただどうしようもなくベッドの上に大の字になり、声を出して泣いてしまう。
夜中で恥ずかしいから、枕を顔の上にのせ、声を殺して泣いた。
でも次の日にはまた何もなかったように外に出て、熾烈な駆け引きを展開しなければいけない。
自分の名誉と、アリーの名誉と、僕を信じてついて来る人達を守る為に。
ヨーロッパで2ラウンド程仕事をこなして、昨日の夜中の飛行機でニューヨークに帰って来た。
空港にとめておいた自分の車に乗り、僕は車の窓を全開に開け、真夜中過ぎのターンパイクを独り、マンハッタンを目指して車を走らせた。
また意味もなく、涙が込み上げて来て止まらなかった。
気持の整理はとっくの昔にできているのに、闘う目標もとっくに定めてあるのに、孤独になった瞬間に、色々な気持が凝縮されて僕を襲って来るようだ。
僕は車の幌をおろして窓をおろし、風を全面に受けながら、車を走らせた。
そうしないと涙で前が見えないから。
今週はニューヨークで仕事をした後、来週は、西海岸によってから久しぶりに日本に行く。
2007年03月16日 更正施設の子供
ニューヨークは今日から天気も下り坂になる。
昨日は20度近くまで気温が上がったが、明日は最高気温が4度近くまで落ち、午後には雪になるらしい。
雪は先週降ったもので最後だと思っていたが、自然は気紛れだ。
僕は、今日もプロジェクトの立ち上げのために奔走をした。
一年でケリをつけるためには、半年で目鼻をつけなければならず、半年で目鼻をつけるためには、2ヶ月で最初の成果を出さないとならない。
だから僕には2ヶ月しか時間がない。
2ヶ月と言えば時間があるように聞こえるが、実働日数は、恐らく6~7週間だろうから、分刻みで動かさないと、色々なところに歪が出てきてしまう。
ビリーも含め35人は、全員僕を信じているので士気は高い。
僕も自信を持ってはいるけれど、綱渡りであることにはかわりないので、内心は、肝が縮むような思いで毎日を送っている。
しかしそれを外に見せることは、決してしない。
指揮官は、最後の最後まで自信を持って悠然と構えていなければならない。
その仕事の合間にアリーの財団の仕事をこなし、更正施設のカウンセリングにも時間を費やしている。
どんなに忙しくても、これは僕とアリーとの約束だから、最後までやりとおしたいと思っている。
今日も仕事の合間をみつけて更正施設に出かけ、子供のカウンセリングを行った。
そんな中でカウンセリングをしていた子供が、カウンセリング中に、突然アリーのことを聞いた。
その子供は家庭環境が原因で犯罪を犯した子供で、それ以来、社会に心を閉ざしている。
だからその子が、自分から何かを質問すると言う事に僕は非常に驚いた。
そして、なんて答えをしたら良いのか考えてしまった。
考えた結果、正直に事実を伝えるべきだと思い、僕はその子に、アリーは病気と最後まで闘い続け、力尽き死んだことを伝えた。
そして、最後の最後まで闘い続け、人を愛し続けた事を伝えた。
その子供は、びっくりした表情でそれを聞き、そして涙を流し始めた。
その子供が初めて僕に見せた憎しみ以外の感情だった。
アリーの愛は、沢山の子供たちにも惜しみなく与えられ、それは子供たちにもちゃんと届いていたようで、その子供が僕の前で初めて流す涙を見ながら、アリーの偉大さを改めて思い知らされた。
カウンセリングが終わり、僕は施設を出た。
僕は低い空を見上げ、アリーを想った。
そしてアリーに祈りをささげ、アリーへの永遠の愛を誓った。
僕が望んで入っていった新しい冒険の道だけれども、その険しさに押しつぶされることなく、人間としての心の機微を感じ続け、敬虔に謙虚に生きていけるのは全てアリーのおかげだ。
とかく派手な仕事をすると、自分が大きくなったかのように錯覚をし、不遜になる人が沢山いる。
昔は、僕もそんな一人だったと思う。
しかしアリーの遺志を引き継いだことで、僕は常にアリーの戒めを守り、自分が生かされている理由を問い続け、人の為に尽くし、人を愛する人間の本質を失わない灯火をアリーから貰ったと思う。
僕は、そのアリーの灯火に導かれて毎日歩き続ける。
僕が倒れ、呼吸を止めるまで。
どこまで歩き続けるのかはわからない。
どこに向かっているのかもわからない。
まだアリーの死を乗り越えたわけではないので、哀しいし、心は乱れているけれど、アリーが残した灯火を頼りに、アリーを信じて歩き続ける。
そう考えると、どんなに辛くとも自信を持って歩いていける気がする。
2007年03月19日 天は自ら助けるものを助く。
土曜日は、ニューヨークの街全体が少し飲みすぎたようで、日曜の朝はいつもより町が静かな気がした。
僕は朝早くに家を出て川辺を少し歩いてみた。
朝の光を浴びながら、少し大またで川辺をゆっくりと歩いた。
深呼吸をすると冷たい澄んだ空気が、肺の奥までしみこむようでなんとも気持ちが良かった。
ヨーロッパでの序盤戦を終え、仕事は次のフェーズに向かおうとしている。
兎に角、序盤戦で目に見える成果をあげて皆の肝を抜いて、一気に走り去る以外、僕らに勝ち目はない。
その目に見える成果が、僕は今、のどから手が出るほど欲しい。
最終的な成果は、ヨーロッパで動かしている仕事だが、そのドミノを倒すために、色々な場所で小さいドミノを仕掛けている。
その小さいドミノのひとつが倒れれば、事は動き出す。
兎に角、僕は今、その最初のドミノを倒さなければならない。
ヨーロッパでの仕事が、予想より少し時間がかかりそうなので、それは暫くビリーに任せて、僕はその間に西海岸と日本に行き、他のドミノを倒しに行くことにした。
明日の夜の飛行機でカリフォルニアに飛び、そこで仕事をこなしてから、週末に向けて日本に行く。
日本にいるのは2日ほどで、その後、アメリカにとんぼ返りして4月には、ヨーロッパ、日本、そして6月には中国を回る。
小さなところが大きなところに勝つためには、スピードしかない。
人より早く動く。
それしかない。
同業者によく冗談で、僕は実際一人ではなく、3人の人間が僕の役を演じているに違いないと言って笑う。
常識はずれのスケジュールで動いて、色々な場所に出没するからだ。
でも、別に僕に勝ち抜くための特別な秘策があるわけではなく、勝ち残るためには、人が休んでいるときに動くしかない。
別に神は、人に特別な才能を与えてくれるわけではない。
叶えたいと言う夢を持つこと。
夢を諦めないこと。
そして夢の実現のためには、全てを投げ出して努力すること。
当たり前だが、この3つしかないと思う。
だから僕は、僕とアリーの夢のために、僕の命が尽きるまで諦めることなく、その実現のためだけに全てを捧げれば良いのだ。
気持ちを静め、気持ちを無にして、後は行動あるのみだ。
天は自ら助けるものを助く。
自分の信じる道を進むだけ。
アリーも見ていてくれるだろうから。
2007年03月21日 新しい下着
今日一日、ニューヨークで仕事をこなしてから、今夜カリフォルニアに向かう。
明日の朝には、カリフォルニアで大事な仕事がある。
ヨーロッパで引き続き懸命に交渉を続けているビリーと電話で連絡を取りあった。
なかなか状況は厳しいようだ。
ここで僕がカリフォルニアでドミノを倒せれば、ヨーロッパの状況も楽になる。
兎に角、僕らは前に進まなければならない。
何があっても。
ニューヨークの仕事場を出る前に、僕は、仕事場に置いてある日本刀の手入れをし、新しい下着に着替えた。
昔の日本人は、決死の覚悟で挑むときには、死んだときに見苦しくならないよう、新しい下着を身に着けたと聞く。
自分が死んだ後にも、他人に気遣い、恥をかかないようにという昔の人の考え方だ。
僕も昔の日本人に敬意を示し、身繕いをして新しい下着を身に着けた。
心を無にして、死ぬ気でカリフォルニアに単身乗り込むことになる。
2007年03月22日 夜明けのキャッチボール
ニューヨークを夜の8時半に出て、サンフランシスコの空港に夜中の12時過ぎに着いた。
そこでレンタカーを借り、ハイウェイ101号線を南に走った。
真夜中過ぎのハイウェイを走る車は少なく、僕はヘッドライトをハイビームにして、漆黒の闇の中をひたすら南にむけて走った。
飛行機の中で睡眠をとったこともあり、また明日のミーティングの事で神経が高ぶっている事もあり、夜中の1時を回っていたが眠気がおきなかったので、僕はホテルに行かずにそのまま仕事場に行く事にした。
誰もいない仕事場で、朝が来るまでミーティングの作戦を練ろうと思った。
誰もいない駐車場に車を止め、事務所に入ると、例の黒人のプログラマーのスミスが、一人、コンピューターに向かってプログラムを書いていた。
僕が入ってくると、少なからず彼も驚いたが、
二言、三言、話をすると、彼はまたコンピュータに向かい、プログラムを書き始めた。
さして広くはないけれど、夜中の事務所に、黒人のプログラマーと、黄色人種の僕がたった二人、黙々とそれぞれの仕事を続けた。
二人ともやっている仕事は違うけれど、同じ夢を実現するために、こうやって夜を徹して働いている。
それぞれの夢を実現するために。
それぞれの責任を果たすために。
夜が明ける頃、気分転換のために僕はスミスを誘って、近くの野球場でキャッチボールをする事にした。
スミスは、ただ笑って僕についてきた。
誰もいない、まだ暗い野球場のライトに灯をともし、ふたりだけでグラウンドでキャッチボールをした。
彼の投げるボールをグラブで受け取るたびに、彼の思いを感じ取る事ができたような気がした。
無言のまま、僕に頑張るようにエールを送ってくれているような気がした。
キャッチボールを終え、事務所に戻り、僕はシャワーを浴びて着替えをし、ミーティング場所に向かった。
厳しい攻防が一日続いた。
ただ、僕は整然と自分の信念のもとに主張をし、引き下がる事はなかった。
また明日、一日ミーティングを行う事になった。
ここで、50億円を調達する事ができれば、それを梃子に、もうひとつの話を150億円でまとめる事ができる。
そうすれば、それを梃子に、本命のヨーロッパでの仕事で500億円調達する事も夢ではない。
と言うか、調達しなければいけない。
今年中に700億円調達するのが僕の計画だ。
その全ては、僕がカリフォルニアで最初の50億円を調達できるかどうかにかかっている。
負ける事はできない。
一日の仕事を終えて事務所に戻り、僕はスミスを連れ立って、近くのダイナーに夕飯を食べに出かけた。
仕事の話や家族の話を少ししたけれど、基本的に静かな食事になった。
僕とスミスは、もう7年間も一緒に働いているし、お互い尊敬をしているので、大事な場面で二人に言葉は要らない。
無言だけど、一緒にいるだけで彼の気持ちは、僕に十分伝わってくる。
明日も頑張って、彼らのためになんとか、この話をまとめたいと言う意欲が静かに沸いてくるし、彼の無言の信頼を感じると、失敗はできないと言う緊張感も高まってくる。
気持ちが萎えそうになると、僕は従業員とした約束を思い出す。
僕は自分のスピーチで、彼らに次のように約束した。
”僕は、君たちを冒険に連れて行くが、君たちに必ず成功すると約束する事はできない。
成功するように最善を尽くすけれども、失敗するかもしれない。
だから成功を約束する事はできないけれども、代わりに、僕は、誰よりも最初に現場に立ち、最後まで現場に残る事、そして、僕は、君らの誰も置き去りにしない事を約束する。”
それが、人間同士の信頼だと思うから。
スミスはきっと、僕を信頼してくれているのだろう。
だから夜を徹してもプログラムを書き続け、この緊張感が一杯の状況でも何も言わず、ただ無言のサポートを僕にくれるのだろう。
僕は、ただ、彼らの信頼と信念に感謝し、明日こそ、なんとか結果を出そうと心に誓った。
2007年03月24日 目標を一つ達成
カリフォルニアでの二日目の交渉が終わった。
二日目も一日目同様、厳しい展開だったので、結局ミーティングが終わったのは、翌日の未明になった。
僕は、自分の目的を達するまでは帰る事ができなかったので、ただただ粘り続け、結局夜を明かす事になった。
ミーティングが終わり、カリフォルニアの仕事場に戻った。
まだ夜の開けきれない高速を、僕は、レンタカーの幌を降ろして風を受けながら走った。
そのうち、シリコンバレー独特の禿山のあたりが、真っ赤に染まり、太陽が顔を出し始めた。神々しい朝日だった。
禿山も朝日に染められ、ラベンダー色に燃え上がった。
茶色い禿山が、朝日に照らされると、赤ではなく、ラベンダー色になると言う事を初めて知った。
あまりにきれいだったので、車を高速の路肩に止め、暫く朝日を見ながら、タバコに火をつけた。
そして、またアリーの事を思った。
今ここに、この場所に、アリーがいてくれたら、二人でこのラベンダー色の景色を一緒に眺める事ができたのに。
仕事場に戻ると、プログラマーのスミスが、また夜通しプログラミングをしていたようで、彼のPCにまだ灯がともっていた。
あたりを見回したが、スミスは見当たらなかった。
きっと、眠気覚ましに、外をジョギングでもしに行ったのだろう。。
丁度、ヨーロッパは夕方だったので、ヨーロッパで本命の案件を頑張っているビリーとビデオ会議をする事になった。
機材のスイッチを入れ暫くすると、画面の向こうに、相変わらず陽気だが、連日の仕事で少しやつれた感じのビリーが何人かの部下と一緒に現れた。
お互いの状況確認や、ヨーロッパでの仕事の進み具合、細かい修正や、方針の確認をした。
一通り話が終わったところでビリーが、聞きにくそうにカリフォルニアでの交渉の状況を聞いた。
やはりヨーロッパの状況は、厳しいのだろうと思った。
僕は、少し間を置いてから、彼らに、
『カリフォルニアのターゲットは、墜としたぞ。 これで、目標をひとつ達成だ!!』と言って彼らにウインクをした。
するとビデオ会議の向こう側の、彼らの顔が見る見るうちに明るくなり
『YES!!』と叫んでガッツポーズを見せる姿が、映し出された。
やはりヨーロッパは、一筋縄では行かなかったのだろう。
向こう側の騒ぎが一段落するとビリーが、満面の笑顔で、
『助かったぜ。兄貴』と言った。
僕は笑いながら二本指を立てて、
『後、二つ残っているからな』と言って
『おめでとう』と言い、また笑った。
これで最初のドミノは、倒れた。
ビデオ会議を終え、僕はまた仕事場に戻った。
スミスは、いつの間にかオフィスに戻っており、ヘッドフォンをつけ音楽を聴きながらプログラミングをしていた。
僕はスミスの肩を叩き、
『スクランブルエッグにベーコンでも食べに行かないか?』と誘った。
明日からは、日本だ。
2007年03月28日 最後まで日本人として
日本に来てから、ノンストップで2日間、働き続け、今、成田の空港のゲートでニューヨーク行きの飛行機の搭乗開始を待っている。
週末に日本に着き、久しぶりに成田エクスプレスに乗って、東京に向かった。
成田空港を出ると、千葉県の田園風景が目に入った。
日本独特の細長い田んぼ、典型的な農家、乾いた田んぼのあぜ道を犬が走り、その脇で焚き火に火をつけている老人の姿が目に入った。
あまりにもその日本的な風情に、涙があふれてとまらなかった。
僕は人生の半分以上を外国で暮らしているが、やはり僕は骨の髄から日本人だ。
あまりにもその懐かしくて切ない風景を目にし、長い間一人で外国で戦ってきたこともあり、その懐かしさ、切なさに涙があふれてしょうがなかった。
特にこの半年は色々な事がありすぎた。
そして僕は今、また一人、負ける事ができない闘いに挑んでいる。
最後の最後まで、日本人として恥ずかしくないように闘い続けたい。
僕に残された時間がそれほどない事は何となく、感覚的にわかっているつもりだ。
アリーが逝ってしまった後、いつ僕が息絶えたとしても後悔はない。
ただその時が来た時に恥ずかしくないように、準備をしておきたい。
ただそれだけだ。
僕としては、アリーのアイディアが沢山入った今のプロジェクトを成功させれば、この世の中での義理は果たせると思っている。
だから僕は、残りの人生をあと12ヶ月と考えて、それまでに全ての仕事にケリをつけるつもりで日々事にあたっている。
自分の残りの人生が、あと365日と思うと、一日一日をどう有効に過ごさなければいけないかと言う気持ちが、より切実に感じられる。
自分の知力と体力の全てを使って、豪快に、潔く、凛として、一日一日をすごして行きたい。
アリーと再会した時に恥ずかしくないように。
少しでも成長した僕をアリーに見せる事ができるように。
その心構えがあれば、ほとんど気合負けをする事はない。
これだけ景気が悪く格差社会が加速し、閉塞感のある日本でも、僕の業界では、まだ生ぬるい風が吹いているようで、ピンと張り詰めた空気をかもし出すような相手に、僕はこの二日間で会う事はなかった。
勝負は、最初の立会いでほとんど決まる。
切っ先が触れた瞬間に、この二日間、ほとんどの相手は気合負けをする。
ちょっと拍子抜けのするような二日間だった。
予定通り仕事をこなし、今日、僕はこれからニューヨークに帰るところだ。
カリフォルニアでの成功と、日本での仕事の結果を踏まえ、僕は二つ目のドミノを倒しにかかる。
夏までには、全てのドミノを倒すつもりだ。
今日ヨーロッパに残り、まだ戦っているビリーとビデオ会議をした。
カリフォルニアの仕事の成功で元気がついたらしく、厳しい状況でも活き活きとしているのがわかり、なんとも心強い。
ニューヨークに帰り次第、僕は二つ目のドミノに取り掛かる事になる。
兎に角、僕の全てをかけて、このドミノを倒す事に全力を傾けたい。