目次
第一章 愛するということ
天使の指輪 
プロローグ 序章
プロローグ 序章
2006年 6月 ニューヨークの魅力
2006年06月3日  友達の背任行為
2006年 7月 病 
2006年07月05日  独立記念日 
2006年07月07日  七夕
2006年07月24日  病気
2006年07月25日  検査結果  
2006年07月26日  生きる理由
2006年 8月 日本へ
2006年08月04日  手術
2006年08月08日  退院 
2006年08月12日  日本へ
2006年08月23日  赤いドレスの女性
2006年08月24日  狸寝入り 
2006年08月25日  雷雨 
2006年08月26日  祈り
2006年08月31日  時代のうねり
2006年 9月 天国への階段
2006年09月07日  ローズホール
2006年09月10日  泣きじゃくる彼女
2006年09月11日  ワールド トレード センター
2006年09月21日  闘うこと  
2006年09月23日  市民権
2006年09月25日  日曜大工
2006年09月26日  朝日 
2006年10月 一緒に生きる
2006年10月03日  メルトダウン   
2006年10月05日  夜のハーレム
2006年10月08日  助手席
2006年10月09日  買い物
2006年10月14日  友達からのメール  
2006年10月16日  1週間分のキス
2006年10月17日  一緒に生きる
2006年10月18日  雨の火曜日   
2006年10月19日  友達へのメール
2006年10月25日  天使が舞い降りた。
2006年10月29日  神のご加護がありますように  
2006年11月 誕生日プレゼント 
2006年11月01日  ハロウィン
2006年11月02日  誕生日プレゼント
2006年11月16日  セントラルパーク    
2006年11月19日  キティちゃんの指輪
2006年11月20日  Left Alone  
2006年11月22日  仏心
2006年11月23日  小さいウイスキーボトル
2006年11月24日  帰還兵
2006年11月25日  旅の終わり 
2006年11月26日  パリでパン屋さん
2006年11月27日  クリスマスの買い物
2006年11月28日  神にすがる時 
2006年11月29日  スノーフレーク
2006年11月30日  もう一度病院生活に・・・
2006年12月 瞳の中に貴方が見える
2006年12月01日  ポインセチア
2006年12月02日  男の手料理 
2006年12月03日  天気の良い週末  
2006年12月06日  大切な思い出
2006年12月07日  北欧紀行
2006年12月08日  君のもとに帰る
2006年12月09日  The Show Must Go On.
2006年12月13日  東京にて
2006年12月14日  Going Home
2006年12月15日  瞳の中に貴方が見える
2006年12月16日  子守唄
2006年12月18日  クリスマスの匂い
2006年12月19日  君が世の中の全て
2006年12月23日  幸せの総量
2006年12月24日  People Get Ready  
2006年12月25日  クリスマス プレゼント
2006年12月26日  願い事
2007年 1月 天使の指輪
2007年01月01日  スローダンス
2007年01月02日  20年ぶりの友達
2007年01月06日  誕生日
2007年01月08日  天敬愛人
2007年01月13日  両親
2007年01月14日  名こそ惜しけれ  
2007年01月20日  非常勤の顧問
2007年01月22日  ただいま。
2007年01月23日  天使の指輪
2007年01月24日  ホットチョコレート
2007年01月25日  パリ
2007年01月29日  雪のニューヨーク
2007年 2月 雪のバレンタイン
2007年02月01日  愛しい人  
2007年02月02日  あたらしい発見
2007年02月04日  お帰りなさい。
2007年02月09日  残された時間
2007年02月10日  ありがとう
2007年02月11日  テネシーワルツ
2007年02月12日  やせ我慢
2007年02月13日  君が残した優しい思い出
2007年02月14日  雪のバレンタイン
2007年02月16日  僕は信じている
2007年02月19日  愛の力
2007年02月22日  ある別れ
2007年02月23日  別れの季節
2007年02月24日  I'm in.
2007年02月25日   Wild Horses  
第二章 生きるということ
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2007年 2月 陽はまた昇る
2007年02月27日  アリーがいてくれれば
2007年02月28日  陽はまた昇る
2007年 3月 さようなら
2007年03月02日  さようなら。
2007年03月03日  心の整理
2007年03月04日  独り
2007年03月05日  ドライフラワー  
2007年03月06日  冒険の旅へ
2007年03月08日  コミットメント
2007年03月14日  こみあげる涙
2007年03月16日  更正施設の子供
2007年03月19日  天は自ら助けるものを助く。
2007年03月21日  新しい下着
2007年03月22日  夜明けのキャッチボール
2007年03月24日  目標を一つ達成
2007年03月28日  最後まで日本人として
2007年 4月 独り言
2007年04月29日  独り言
2007年 5月 天涯孤独
2007年05月14日  天涯孤独
2007年05月16日  ある家族
2007年05月28日  カタロニアの太陽
2007年05月31日  リスボンにて
2007年 6月 交渉
2007年06月02日  中国での交渉
2007年06月13日  皆で家に帰ろう
2007年06月22日  ベランダに咲く草花
2007年06月24日  あと半年
2007年 7月 人に優しくするという事
2008年07月05日  独立記念日
2007年07月24日  人に優しくするという事
2007年 8月 湊川(ミナトガワ)
2007年08月02日  馬鹿爆弾
2007年08月21日  霧雨
2007年08月29日  遺言
2007年08月31日  湊川
2007年 9月 男の値打ち
2007年09月25日  男の値打ち
2007年09月30日  天気のよい週末
2007年10月 自分の夢
2007年10月10日  自分の夢
2007年10月19日  結婚式の準備
2007年10月22日  妹の結婚式
2007年11月 天敬愛人
2007年11月01日  ハロウィン
2007年11月02日  誕生日
2007年11月16日  死の準備
2007年11月22日  愛情が宿った人形
2007年11月29日  古いもの  
2007年12月 幸せの値段
2007年12月08日   ディズニーランド
2007年12月16日  幸せの値段 
2007年12月18日  綺麗な心
2007年12月21日  大事な家族
2007年12月24日  君を想う気持ち
2007年12月25日  武器よさらば
2007年12月31日  生きるということ
2008年 6月 夢の実現
2008年 6月 夢の実現
アリーが教えてくれた事
アリーが教えてくれた事
晴耕雨読
晴耕雨読
愛のある日
愛のある日
あとがき
あとがき
補足
補足
感想&レビュー
感想&レビュー

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2006年 8月 日本へ

2006年08月04日  手術

今日、昼前にアリーから電話があった。 

手術を明日に控えてバハマで休暇中のアリーの両親が、わざわざアリーの手術の為にまたニューヨークに帰って来る事になった。

手術前日の今日は家族水入らずで過ごすと聞いていたので、部外者の僕は遠慮をしてアリーと会う事を諦めていた。

そんな時にアリーから突然の電話で、どうしても会いたいので昼間になんとか時間を都合して出て来てくれないかというお願いだった。

アリーの事が気になっていたので、気になったまま時間を過ごすよりは、仕事をやりくりした方が良いと思い、必死の思いで仕事をやりくりし、昼前にアリーの実家に向かった。

華氏100度を越える夏日の中、車を飛ばし、路肩に車を乗り捨て、僕はアリーのいるアパートへと急いだ。
 
建物のドアの前に僕の最愛の人は立っていた。

『仕事中に呼びつけてごめんね』とアリーが僕に語りかけた。

僕は無言でアリーのそばに行き、アリーを優しく抱きしめた。

二人でチェルシーのダイナーに車を飛ばし、少し遅めの昼ご飯を食べる事にした。 

そのダイナーは、アリーの両親が20年以上前に住んでいた頃からあるダイナーで、アリーは感慨深げにその椅子に腰を下ろした。

アリーの両親はアリーがまだ5歳頃に離婚をし、3人姉妹の長女は、父親に引き取られ、アリーと妹の二人は母親に引き取られた。

父親はニューヨークに住み、母親はフロリダに移り住んだ。

アリーは母親とともにフロリダに移り住んだが、父親は再婚し、事業に成功した事から、ニューヨークで父親と住む時間が増えてきた。

父親は再婚した後、一男一女をもうけ、アリーには弟と妹ができた。

アリーは、父親がいつも自分の異母兄弟の学芸会や運動会には出席するのに、自分の運動会には決して来てくれないなど、父親との関係に苦しんだ。

 

父親になんどか文句を言ったが父親はそれを真剣に受け止めず、ある日アリーの怒りが爆発した。

困った父親は、アリーとアリーの姉を家の近くのダイナーに連れ出した。
 
父親は彼女達を外のダイナーに連れて行けば、他人の目も気になり大騒ぎをすることはないだろうと目論んだらしい。

ところがアリーの怒りは収まらず、ダイナーで他人の目も気にならず、自分の怒りをぶちまけた。

そのとたんにダイナーの椅子が壊れて、アリーは床に尻餅をついてしまい、あまりの可笑しさにアリー自身が笑い始めてしまったらしい。

僕達は偶然、そのダイナーに入ってしまったようだ。

僕は当然そんな歴史は知る由もなく、アリーはダイナーに入ってから、笑いながらそのいきさつを説明してくれた。
 
そして自分が座っている椅子を懐かしそうにさすった。

僕も仕事があったので、アリーといつまでも外にいる事はできなかったけど、できるだけアリーと一緒にいたいと思い、長めの昼休みを取りアリーの昔話に聞き入った。

一通り話しが終わってしばし沈黙が続くと、アリーが僕の手を取って、
『本当は、怖くて仕方がない』と言った。

僕は”大丈夫”と言えば良かったのだが、僕自身も怖くてしょうがなかったので、”大丈夫”とは言えず
『何が起こっても、僕は君のそばを離れない』としか言う事ができなかった。


”きっと大丈夫だよ”なんて調子の良い事は僕には言えなかった。
 
僕も自分の頭がおかしくなってしまうような状況なのに、当事者のアリーに、どうして僕が”大丈夫”なんて言えるのだろう。

言えるわけないじゃないか。
 
唯一言える事は、どんな事があっても、僕のアリーに対する愛情は変わらないという事、それだったら自信を持って言える。

だから僕は、自分に正直に自分が自信を持てる事だけをアリーに伝えた。

アリーは暫く僕の手を握りしめたまま、下を向いて黙っていたが、そのうち意を決したように上を向き、
『貴方もそろそろ仕事に戻らないと』と言って席を立った。

僕はアリーを両親のアパートに送り届けた。
 
アリーは、僕に今までで一番美しい笑みをみせ、
『それじゃあ』と言って後ろを向き、振り返る事なくビルの中に消えて行った。

それが、僕が今日アリーを見た最後だった。

なんとも言えず寂しい気持ちがした。

 

夜中にアリーから電話があった。
 
眠れなかったようで、夜中過ぎの電話だったが、お互いに病気や手術の話しはせずに、他愛のない話しを色々とした。

かなり長い間話しアリーには、眠れなかったらいつでも電話をして良いからと諭して電話を切った。

電話を切っても僕も眠れる訳でもなく、色々と考え事をしているうちに東の空が明るくなってしまった。

朝になり、手術の時間が近づいて来た。
 
僕はアリーの電話を待ったが、電話がなかったので、こちらからアリーの携帯に電話をしようと思った瞬間に、アリーから電話がかかった。

手術に行く直前らしかったが、落ち着いた声で僕に
『おはよう。病院には両親と妹が来ているので心配しないでね』とアリーは言った。
 
『手術が終わったら、また電話をするから』とアリーは言うと電話は切れた。

僕は仕事をする気もしなかったので、一人、たまに通っているマンハッタンの剣道場を久しぶりに訪れ、そこの生徒達と手合わせをした。

平日の昼間だったので生徒の数は多くはなかったが、アメリカ人の学生が何人か練習をしていた。

やはり平常心を保てないのか、いつもより手荒になってしまい、つばぜり合いで体が触れると、相手を思い切り突き飛ばしてしまい、相手が床に転がる音で、周りが驚いて僕の方を振り返った。

気まずくなって、僕は練習をやめ剣道場を後にした。

 

アリーに会いたいが、今はアリーの周りには家族がおり、アリーの両親は僕の事を良く思っていない。
 
逢いたい人に逢えないのが、何とも理不尽に思えた。

でもこんな時に、そんな事でアリーの親と無用の争いをして、アリーを悲しませたりはできないので気にはなっていたけれど、病院には近づかずイーストリバーの川縁で一人ぼんやりと川面を見つめて過ごした。

 

夜になってアリーの携帯から電話があった。
 
電話の主はアリーではなくアリーの腹違いの弟だった。

彼は僕が気にしているだろうと思って、アリーの容態を電話で教えてくれた。
 
最後に
『8時過ぎに来れば、病室には誰もいないから』と言って電話を切った。

僕は弟に言われたように8時過ぎに病院に出かけてみた。

弟は僕に気を利かせてアリーの両親を食事に連れ出したようで、僕が病室に行くとアリーの他には誰もいなかった。

僕は眠っているアリーの手を握って、暫くアリーの寝顔を見つめていた。
 
暫くしてアリーはゆっくりと目をあけ、僕を見つけると微笑んだ。

僕もアリーの手を握ったままアリーに微笑んだ。

 


2006年08月08日  退院 

僕は会社をいくつか掛け持ちしているので、今日はニュージャージーにある会社のオフィスと、ニューヨークの仕事場の両方に行かねばならず、結構忙しかった。

朝早く起きてジムに行こうと思ったのだけど、ちょっと寝坊をしてしまったので、ジムは諦め、普段は着ないスーツを着込み、まずニュージャージーの仕事場に出かけた。

午前中仕事をしていると、家に戻ったアリーから電話があった。

思ったよりも元気そうでちょっと安心した。

手術の後も、毎日何度も電話をしているが、やっぱり、アリーが退院して病院を出たというだけでちょっと嬉しい。

ニュージャージーでの仕事を切り上げ、夕方にニューヨークの仕事場に移動をした。 

ニューヨークの仕事場には着替えがおいてあるので、仕事場に着くなり着替えをして窮屈なスーツは脱ぎ捨てた。
 
いつものラフな格好に戻り、やっと生き返ったような気がした。

夕方アリーから電話があった。
 
家に戻ったばかりなので大事を取った方が良いと思ったが、アリーに死ぬほど会いたかったというのも正直な所で、仕事の後、ダウンタウンでアリーと待ち合わせをした。
 
アリーを実家の近くでピックアップし、そこからあまり離れていないニューヨーク大学のキャンパスの近くの小さなレストランに入った。

アリーと色々と話しをした。 

手術が終わって、アリーが一番最初に時間を作って人に会ったのが、僕だったというのも嬉しかった。

でも明日また病院に戻って検査をし、手術で除去した部分以外に癌が転移していないかどうか、広がっていないかどうかのテストがあるらしく、アリーは、手術をする前以上にナーバスになっていた。

 

なるべく自然にふるまって、アリーに負担をかけないように、またアリーの気持ちを乱さないように、精一杯神経を使って話しをしたけれど、僕がアリーの為にどれだけ役に立っているのか、正直言って全くわからない。 

何もできない自分が嫌になるし、とても不安になる。

俺って何の役にもたてていないなあという気持ちだけが、頭の中をぐるぐる回ってどうにもならない。

でもアリーの方がもっと混乱していて不安になっているはずだから、僕が全部飲み込んで然としていないといけないのはよくわかっている。

大変だけれども僕は逃げないし、決して自分の不安をアリーの前でみせるような事はしない。

伊達に今まで歳を取って来た訳ではないし、苦労をして来た訳でもない。

最愛の人の為に、見返りを求めない無償の愛を捧げられれば、僕の人生は少しは意味のあるものになるのだと思う。

僕は昔、自分のせいで自分の恋人を交通事故で殺してしまった。
 
あの時に自分も死んでいれば良かったと思ったけれども、惰性で生きていた僕に生きる理由をくれたのは、今、僕の目の前に座っているアリーだ。 

そんなアリーのために、僕はどこまでも行く覚悟はできているけど、やっぱりアリーのやつれた顔を見るのはつらい。


 


2006年08月12日  日本へ

今日は朝早くから仕事の打ち合わせがあったので、早めに仕事場に行って働いた。

9時半頃にアリーから電話があり、一緒に昼を食べたいと言われたので、仕事をやりくりして、アリーの指定したミッドタウンのダイナーで待ち合わせをした。

本当は、別のビジネスランチが入っていたんだけれど、その人にはお願いをしてランチをキャンセルして、アリーとのランチを優先した。

12時過ぎに6番街のダイナーに行ってアリーを待った。

10分くらい遅れてアリーが現れ、二人で奥の席を取り食事をした。

毎日会っているけれど、ここ何日かアリーは非常に機嫌が悪い。

仕方ない事だけど、アリーに
『何をしてもハッピーになれない。何も私を救えない。わずらわしいものを捨ててどこか逃避をしたい』というような事を延々と真顔で言われると、さすがに僕も存在の全てを否定されたようで辛い。
 
それでも色々と差し障りのない話をして、アリーの気を紛らわす。

アリーが話しに乗ってくれば、僕も少しほっとしてアリーに話をさせ、また会話が途切れると僕は他の話題を探す。

昼食を終え、アリーと6番街の角で別れて僕は仕事に戻った。

気持ちが暗くなったけど仕事に影響がしないように、一生懸命気分転換をして午後の仕事をこなした。

夕方になって雷と大雨が降りだした。
 
僕の心にも雷と大雨が降って欲しい。

全てを洗い流してくれたらどんなに楽になるだろう。

 

いつもはおろしている窓のシェードをあげて雷を眺めた。

明日からアリーはお姉さんのいるフロリダに、僕は仕事で日本に行く。

 

 

 

日本に着き、成田空港の建物を出たら雨が降っていた。

僕は夜中にアリーに電話をしたが留守電になっていたのでメッセージを残した。

今頃アリーは何をしているだろうか? 
僕の事を思い出したりしてくれているといいな。

次の日アリーに電話をして、お互いの一日についてそれぞれ報告をしあった。
 
ニューヨークは35度以上の熱帯夜で非常に熱いようだ。 

日本に着いたら雨が降っていたいう話をすると、
『貴方は雨男だから』と笑われた。
 
僕は自分が知らない間に雨男にされていたらしい。

今日は一日、六本木ヒルズで仕事をして、帰りに麻布十番の日本料理屋で食事をした。

麻布十番は金曜日からお祭りなので、商店街はもう祭りの準備が始まっていた。

僕は今回、ニューヨークからアメリカ人の弁護士を一人連れてきているので、彼を楽しませる意味でも、麻布十番の日本っぽい居酒屋に連れて行った。

明日には僕の古い弁護士仲間を含め、本隊が日本に到着する。
 
古い弁護士仲間のマイクは、僕とこの15年程苦楽を共にした仲だ。 

マイクは7年前に長年連れ添った奥さんを癌でなくし、一時は弁護士を廃業しフロリダに隠遁しようとしていたのを僕が無理やり仕事に引きずりだした。

あれから7年、彼は現役の弁護士として活躍する傍ら、僕と一緒に事業を行っている。

その後忙しくて彼と会っていなかったが、たまたま明日、日本で会うことになり、嬉しい反面なぜか不思議な感じがする。

明日仕事がうまく進めば、久しぶりに彼とゆっくり飲みながら、ここ7年お互いにおこったことについて話をしてみたい。

 

今日は仕事が終わってから、古い友達のマイクと食事に出かけた。 

どこに行こうか考えたが結局、麻布十番の中華にした。

久しぶりに会ったこともあり、話も盛り上がり、中華料理屋さんが閉まるまで、紹興酒を飲みながら色々と話をした。

マイクは7年前に奥さんをなくした後、暫く一人でいたが、今はカナダ人のガールフレンドと一緒に暮らしているようだ。

一年を、ニューヨークとフロリダとアスペンの3箇所にある自宅を、季節に応じて使い分けて、悠々自適の生活を行っているようだ。

マイクの仕事は、確かに電話一本とプライベートジェットを一機持っていれば、どこにいても出来る仕事なので、ゴルフと海とスキーをこよなく愛する彼からしてみれば、今の生活が仕事の面でも生活の面でも、一番良いのかもしれない。


友達の幸せそうな顔を見ているのは嬉しいし、僕のほうも元気になってくる。

僕がまだニューヨークに移って間もない頃、色々な仕事をマイクとやった。

昔話に色々花を咲かせて僕らは笑い続けた。

マイクはもともと貧しいユダヤ移民の子供だった。

彼はパン屋さんでトラックの運転手をしながら、夜学に通って勉強をして弁護士の資格を得た。
 
そして絶え間ない努力と独特の嗅覚で事件を嗅ぎわけ、今の大成功を手に入れた。

 

僕が3~4年前に、カリフォルニアの会社を買収する時、実質会社の決定権を支配するために、社外取締役になる投資者を探していた。
 
急な話だったので、僕は簡単に数億円を先の見えない会社にポンと出してくれる人を探さねばならず、切羽詰ってマイクに投資を依頼したことを思い出した。

マイクはその時にアスペンにいた。

僕から簡単に経緯を説明し、投資と社外取締役を引き受けてもらえないかマイクに切り出したときの、彼の驚いた声は今でも忘れられない。

マイクは2日間真剣に悩んだ結果、結局僕の依頼を申し訳なさそうに断った。

僕は自分の申し出が常識外れである事を十分承知していたので、そんな申し出を真剣に考えてくれたマイクに感謝こそすれ、彼を攻める気持ちは毛頭なかった。

僕は結局、他の投資家を何とか口説き落とし会社を買収し、その結果、買収した会社の企業価値を数倍に上げることに成功した。

マイクはその話に触れ、
『あの時に無理をしてでも金の都合をつけて会社に投資すれば、お前と一緒に、荒波をわたって仕事が出来て楽しかっただろうな。一緒に冒険できなかった事が、今でも残念だ』と言ってくれた。

僕は嬉しかった。
 
金儲けの問題ではなくて、一緒にリスクを負って冒険をする男のスリルを共有したいと言ってくれるこの友達の肩を叩きながら、
『次に仕掛ける時は必ず最初に相談に行くから』と笑って彼の肩を叩いた。

ありきたりの事だけれども、人の一番の財産は友達の存在かもしれない。

 

今日は午前中、マイクをはじめとする弁護士連中と東京のクライアントとの間でミーティングをし、午後にはアメリカ組は、僕以外全員アメリカに帰っていった。

僕もアリーがニューヨークにいれば、迷わず彼らと一緒にアメリカに帰ったのだが、アリーは現在フロリダで、暫くニューヨークへは帰ってこないので、月曜日の仕事を引き受け、週末は日本で過ごす事にした。

そんな事で、今日は急にぽっかり独りきりになってしまった。

東京の友達を誰か誘って何処かに行こうかとも考えたが、なんとなく億劫だったので、一人で麻布十番のお祭りに出かけた。

十番のお祭りはいつもの賑わいで、先に進む事ができないほどの人ごみだったが、僕は沢山の人ごみの中で、自分一人の孤独を満喫した。

周りに誰もいない時の孤独感もあるが、周りに沢山人がいる時の孤独感の方が僕は強い気がした。

お祭りを一回りした後でタクシーを拾い、ホテルに戻った。

ホテルの部屋の鍵を開け、十番の雑踏で感じたのとはまた違う孤独を満喫した。

 

 

今日はお祭りの最終日だ。

僕も明日、ニューヨークに帰る。

今度の日本行きは思いがけず長い滞在になり、ホテルに泊まったりと、いつもと違うものになった。
 
まあ僕としても、何か生活のパターンを変えたいと思っていたので、それはそれでよかったと思う。

自転車でヒルズの周りを散歩した。
 
六本木ヒルズのすぐ隣に、あまり知られていないが小さな神社がある。

櫻田神社と言う非常に小さい神社で、ヒルズの近代的な佇まいと非常にミスマッチだが、そこが何とも興味をひく神社だ。
 
僕は自転車をおり神社にお参りをした。

お参りの後に何気なくおみくじをひいた。

おみくじには、”普段、お参りもしないくせに、苦しい時だけ神頼みをしてはいけない”と書いてあった。

なるほどなあと思って一人で笑ってしまった。

予想以上に長く日本にいて、一人でいる時間が長かったので、日本の夏を楽しめたような気がする。

明日の朝、仕事を片付けて、夕方の飛行機でニューヨークに戻る。

 

 

 

夕方、ニューヨークに帰って来た。
 
迎えに来ていた車に乗り、ハイウェイをマンハッタンに向かった。

時間は夕方の4時を回っていたが、まだ空は抜けるように青く、アメリカ独特の乾いた風が心地よく、僕は車の窓を少し開け、久しぶりに見る見慣れた街並を眺めた。

日本から帰る時に、成田空港のラウンジで一人ビールを飲んでいると、後ろに騒がしい外人達がいるのに気づいた。

何人かの男と、何人かの女のグループで、高校野球の話しをしているようだった。

要は、日本人は、たかが野球で勝っても負けても、泣く。

良く泣く民族だ。

理解に苦しむというような話しを、若干軽蔑したような口調で話していた。

振り返って彼らを見ると、ハンバーガーしか食べた事のないような太ったアメリカ人の男が、仲間の男女に彼の”良く泣く”日本人感を語っていた。

彼の足下には、おそらく彼が所属しているのであろう会社のロゴ入りのバックが置いてあった。

その会社は有名なアメリカの禿鷹ファンドの一つだった。

僕は、
”ハンバーガーしか食べた事のないような無神経なお前には、繊細な日本人の心の機微は、わからんだろう”と思った。

こういった無神経な輩が、日本人を何も生産しないマネーゲームに駆り立て、心を荒廃させるのに一役買っているのだろう。 

古き良き日本人は、万の神が宿る自然を敬い、自然を恐れ、自然に跪いて、自然と調和して生きて来た。

アメリカ人は、自然と対峙し、自然を自分の思いのままにしようとして今の文明を築き、自分たちのスタンダードをグローバルスタンダードと称し、他人に押し付けようとする。

誤解のないように言っておくが全てのアメリカ人が、この男のように無神経な訳ではない。

僕が持っている会社の一つをきりもりするアメリカ人の友達は、優秀なエンジニアで、大企業に努めた実績を残した後、僕達のビジョンに共鳴をして、その大企業の会社を辞めて、僕の会社に来た。

奥さんは、年々筋肉が解けてしまう奇病で、昔は彼と一緒にテニスをすることもできたのに、ここ何年かは、車いすの生活になってしまったが、自分たちの運命を真正面から受け止め、運命に、自然に、跪き、これを恐れ、敬い、毎日真剣に生きている。

 

彼らには二人の子供がいるが、そういった家庭の状況もあり、長男は登校拒否になり高校をドロップアウトしてしまった。

彼が少しでも会社で集中して働けるように、僕はその長男を会社の社員として雇い、現在、彼はプログラマーとして成長し、来年にはニューヨークの大学に編入できるよう、現在勉強を続けている。

真剣に働き、敬虔な祈りを捧げても、彼らの運命は定められた方向に進んで行ってしまう。
 
僕の運命もそうだと思う。

努力や祈りが全て叶ったら、世の中に不幸はなくなってしまうだろう。 

ただ実際は、僕らはどんなに頑張っても祈りを捧げても、定められた運命に翻弄されて、転がって行くしかないような気がする。
 
でもそのなかで、自分にはどうにもならないものを自分を超えるものの力として素直に受け入れ、そのなかで自分が最善を尽くす事が、人間らしく生きるという事なのだと思う。

それこそ”諸行無常”だと僕は感じる。

そういった気持ちを持っているからこそ日本人は、季節の変わり目のちょっとした事に感動し、虫の声に耳を傾け、道端の花を愛おしいと思うのだと思う。
 
生きとし生ける全てのものが、どうにもならない自然のなかで、健気に凛としている姿に、自分を思い浮かべるのだと思う。

僕らには、そういった繊細な心の機微があるから、色々なものに感動をして涙を流す事ができるのだと思う。

僕のフライトの時間になったので、僕は立ち上がり、その太った男の方に歩いて行き、
『お前が自分の国に帰った後で、俺の国のことをどう言おうがお前の勝手だが、俺の国にいる間には、俺の国に敬意を示すのが礼儀というものだ』と言ってそこを後にした。

その男と彼の仲間達は、あんぐり口を開けたまま僕を見ていた。 

僕がそこを後にした時に、背後から、
『クレイジージャパニーズ(気が狂った日本人)』と言っている声が聞こえた。

クレイジージャパニーズで大いに結構だ。
 
僕はそう思いながら自分の飛行機に乗り込んだ。

そんな事を車のなかで思い出していた。


2006年08月23日  赤いドレスの女性

家に帰るとアリーから電話があった。

フロリダで、アリーの生みの親、育ての親、兄弟、その他と10日程過ごしたが、やっぱりニューヨークが恋しくなったので、帰ってきたいと、電話の向こうで懐かしい声が囁いた。

『空港まで迎えに行こうか?』と僕が聞くと、アリーは、
『甥っ子と一緒の飛行機で帰るので、タクシーで家まで帰る。帰ったら、朝に電話をかけるから』と答えた。

今朝、僕は早く目が覚めたのでジムに行き、一時間程みっちり汗を流した。 

日本にいる間は殆ど運動ができなかったので、ここ10日間の体の汚れを全て洗い流すように汗をかいた。

シャワーを浴びて軽く食事をとり、仕事場に向かった。

昼ちょっと前にアリーから電話があった。

思ったよりも元気そうな声だった。 

今日、僕の仕事が終わってから会う約束をしたが、その前に少しでも良いから会えないか?と言われ、2時に時間を見つけてちょっとアリーと会う事にした。

待ち合わせ場所は前と同じで、僕の仕事場から2ブロック先の、プラザホテル前の噴水で待ち合わせをした。 

前回はアリーの方が先に噴水で待っていたが、今日は僕の方が先に着いたようだったので、噴水の端の石段に腰を下ろして木漏れ日を見上げ、夏の終わりの風景を眺めていた。

暫くすると見慣れた女性が、深紅のサマードレスを来て現れた。

アリーは僕を見つけると小走りに僕の方にやってきて、大きく手を広げ僕の体のなかに飛び込んで来た。

あれからまた痩せて、やつれた感じがしたが、それは紛れもないアリーで、抱きしめると同じ髪の香りがした。

噴水で同じように待ち合わせをしている人達が、僕達を見て微笑んでいるが、そんな事は僕にとってはどうでも良い事だった。

アリーは3時に医者に行かないといけなかったので、一時間も時間はなかったが、二人で近くのダイナーに行って、お茶を飲みながらアリーの話しを色々聞いた。

アリーはフロリダで、両方の親との間でそれぞれ色々問題があったようで、それらを色々考えた上で、自分の生きる場所はニューヨークだと決めたようだ。

ただ、このような状況になっても、まだ大学に戻るか等、アリーの気持ちが揺れている所がかなりあり、前よりは少し元気になったとはいえ、かなり不安定で不安な感じがした。

 

ただ僕もあれから色々自分で考えて、僕はもっと強い人間になると決めたので、迷わず自分の気持ちを伝えた。

僕はどんな問題があったとしても、これから二人で向かい合って行くつもりである事、それが辛いか辛くないかは、僕にとって問題ではなく、自分の最愛の人と一緒にいたい事、その人の為に自分の全てを捧げたい事、僕は何ものからも決して逃げない事をアリーに伝えた。

アリーは僕の言葉を聞いて、母親が自分の子供を自分の胸のなかに抱きかかえるように、僕を自分の胸のなかに抱きかかえた。
 
アリーの両親はアリーの決心に怒っているようだったが、アリーの気持ちは決まったようだった。

アリーの医者の時間があったので、アリーを医者に送って行き僕は自分の仕事場に戻った。

7時前にアリーからもう一度電話があったので、仕事を切り上げ、ウエストビレッジのレストランで、アリーと待ち合わせをする事にした。 

車をダウンタウンに走らせ、待ち合わせ場所のレストランの前に行くと、同じ赤いドレスに身を包んだアリーが僕を待っていた。

僕はアリーに軽くキスをして、僕らはレストランに入った。

テーブルに案内される時に、アリーに
『一日に二度も逢い引きができるなんてラッキーだな』と冗談を言うと、アリーは
『良い子にしていたご褒美よ』と生意気な事を言って鼻に皺を寄せて笑った。

アリーは帰って来たばかりなので、あまり遅くならないように適当な時間で食事を切り上げ、僕らはアップタウンのアリーのアパートまで帰った。

僕は久しぶりにアリーとの時間を満喫した。
 
僕はもう40歳を過ぎていて、後、何年生きるかわからない。
 
アリーは僕よりも全然若いが、癌を患っている。
 
僕らの運命は、決して僕らが望むようにはならないかもしれない。
 
でも定められた運命のなかで僕は精一杯の努力をしたいし、その為に無駄に時間を失いたくない。
 
ようやく僕にも現実と対峙して、勇気を出して生きて行く準備ができたようだ。

僕の横で、アリーは何もなかったかのようにテレビを見ている。


2006年08月24日  狸寝入り 

ニューヨークにアリーが帰って来たのは良いけれど、アリーも学校に戻ったり仕事に戻ったり、色々生活を立て直さないといけないので、今日からアリーはバイトに戻った。

アリーのバイトが終わる8時まで仕事をし、8時にアリーのバイト先に迎えに行った。
 
アリーのバイト先は、アメリカの3大ネットワークの一つであるNBCのビルの中にあるので、僕はいつもNBCのビルの向いの通りに車を止め、アリーがビルから出て来るのを待っている。

ここはロックフェラープラザと言われる有名な場所なので、まわりには万国旗がはためき、街路樹もライトアップされている。

暫くすると、アリーはビルの回転ドアを開けて姿を現し、とても自然に僕の車の助手席に滑り込んだ。

助手席に座るやいなや、僕の方に体を伸ばしてキスをして、後はアリーの一日、何が起こったかの全てについて話しを始めた。

まるでこの一ヶ月が夢であったかのように、全てが昔のままのように、アリーは自分の一日を僕に話すのに夢中になっている。

別に現実に目を背ける訳ではないけれど、まるで少女のように口を尖らせて、色々な出来事に文句を言っているアリーの横顔を見ていると、可笑しくなって、僕は信号で少し大げさにブレーキを踏み、前のめりになったアリーにキスをした。

『貴方、わざとやったでしょ?』

アリーが少しいたずらっぽい目で僕を睨んで、暫くして笑い出した。

僕らは3番街の角にあるフレンチビストロで遅い夕食を取る事にした。

僕達は通りに出されたテーブル席に陣取り、マッスル(ムール貝の料理)とフレンチオニオンスープとステーキを、それぞれ2人でシェアした。

食事の間に、アリーの生みの親、育ての親との行き違いや、フロリダで何が起こったかについてアリーの話しを色々と聞いた。

アリーの話しを聞いたからと言って、僕に何ができるという訳ではないが、少なくとも僕はアリーの話しを聞いてあげる事ができる。
 
多分、アリーを愛する事の他に僕が今できる事は、アリーの話しを聞いてあげられる事だけかもしれない。 

でもそれでアリーの気が休まるのであれば、僕は何日でもアリーの話しを聞いてあげたい。

 

食事が終わり、家に帰る前にちょっと遠回りをして、二人で橋の近くに車を止め、橋の途中まで二人で夜景を見ながら歩いてみた。
 
夏の終わりの気持ちのよい風を頬に感じながら、僕らは手をつないで橋を渡り始めた。
 
マンハッタンの摩天楼の灯りを見ながら、ブルックリンの暗がりを見ながらゆっくりと歩いた。

僕は10年前にニューヨークで大きな訴訟を経験し、ブルックリン橋の反対側にある、連邦裁判所で1ヶ月間のトライアルを経験した事がある。

自分の全身全霊を込めて闘ったが、10年前のバレンタインデイに、陪審員の評決で有罪を宣告されて、数百億円の負債をクライアントに負わせてしまい、途方に暮れてブルックリン橋を一人で歩いて渡り、真ん中から川底を眺めて死んでお詫びをしようと思った事がある。 

一時は、僕のクライアントに対して有罪の評決が出て、クライアントに数百億円の損害を出すところだったが、その後、再審査請求をして裁判官は評決を覆し、結局、無罪が確定した。

僕の人生の中で忘れられない体験だ。

当初は、僕のクライアントの取り巻きを含めて何10人もいた弁護士団が、予想外に厳しい評決を得た事で、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなり、再審査請求を始めた時には、僅か5人に減っていた。

数百億円の評決を貰った後に、評決取り消しの再審査請求をする事は、当時無謀な事だと思われた。

でも、高裁で争った場合には、また何年もの月日がかかり、その間は、僕のクライアントは、暫定的に敗訴と思われ、アメリカでのビジネスもできずおそらく会社は潰れてしまうだろう。

評論家の批評はともかく、現場では死中に活路を見いだす方法しか残されていなかった。

それまでは、長年の友達のような顔をしていた人達が、櫛の歯が落ちて行くように、いつのまにか消えて行った。

僕らはその訴訟の間、ワールドトレードセンターの一角にあるホテルの一フロアーを借り切って、訴訟関係者の宿にしていた。

2001年の9月11日の惨劇で、そのホテルも倒壊してしまい、今はその面影もない。

僕は今でも覚えているが、評決が出た後に、今までいた関係者が蜘蛛の子を散らすようにいなくなった時に、ホテルの一室で、今後を協議する会議を開いた。

残った人間は僅かに5人だった。

 

評決取り消しを求める請求を出すという方針を表明して、周りを見回した。
 
そのとき集まった5人の男達は、誰も言葉を発せずただ黙って頷いた。
 
そしてそれから9ヶ月の死闘の後に、我々は評決の取り消しを勝ち取った。

逆転勝訴のニュースは、蜘蛛の子を散らすように去って行った人間までもまた呼び戻し、客船を借りきり、逆転勝訴を祝うパーティをやった時には、100人近い人々が集まった。

僕は敗訴の評決を貰った後の、暗いホテルの一室での会議を決して忘れない。
 
そしてあの時に残った5人の男達が、無言で首を縦に振った時の瞬間、表情を忘れない。 

まさに男が男に惚れる瞬間だった。

こいつらとであれば、地獄の底まで行けると思った。
 
苦しい時こそ、本物かどうかが分かる。

あれから月日が流れ、5人はそれぞれ異なった人生をあれから歩き始めた。

この訴訟は最終的に評決を覆して無実を勝ち取ちとり、死んでお詫びをせずにすんだが、無実を勝ち取るまでの約9ヶ月間は、全く生きた心地がしなかった事を思い出した。

今から10年以上前の話しだ。
 
アリーと橋を歩いていると急にその話しを思い出して、アリーに昔話しをした。

アリーは風に弄ばされる髪の毛に手をあてながら、僕の話しを聞いていたが、話しを聞き終わると僕の方を向いて、
『貴方が死ぬのは私の為だけで、その他の理由で死んじゃ駄目』と言って僕を見つめた。

その言い方が可笑しかったので、僕は思わず笑い出してしまった。

アリーもそれにつられて笑い出した。

『明日も早いから帰ろうか』と、どちらからともなく言い出して、二人は肩を抱き合いながら、もと来た道を戻って行った。

アパートに帰り、ソファに二人でねっころがり、暫くテレビを見て時間をすごした。

アリーはいつの間にかテレビを見ながら、僕の胸の中で寝てしまったようだ。

僕はアリーを起こさないように、自分の体をソファから引っ張りだし、アリーを抱きかかえてベッドに移した。 

やっとの事でアリーをベッドにうつし、アリーの寝顔にそっとキスをすると、アリーが目をつぶったまま笑って唇を突き出して来た。

狸寝入りしてたの??? 

明日は二人とも朝が早い。

ふざけていないで早く寝ないと。


2006年08月25日  雷雨 

今日は朝からひどい雷と大雨が降っていた。

やはり僕は誰かが言うように雨男なのかもしれない。
 
前も見えない程のひどい土砂降りだったので、雨が一段落するまで家で仕事をすることにした。

ここまで徹底した雨と雷は、潔い感じがして気持ちが良かった。

稲妻が走る以外は空も川面も地面も灰色で、大粒の雨で前も見えず、地上の全ての汚いものが洗い流されているようだった。

僕も、その汚いもの達と一緒に流され、消えてなくなってしまいたい心境になった。
 
ただ現実はそんなに簡単なものではなく、地上には沢山の汚いものが存在し、僕自身も色々悩みを抱えながらも簡単に消えてなくなってしまう事も無い。

暫く雷雨を見つめた後で、鈍った体を目覚めさせる為に、ジムに行き長めのトレーニングをした。

雨が一段落した所で、僕は車に乗り仕事場に向かった。 

仕事中に昔の古い友達のキャメロンから、ふいに電話がかかって来た。

たまたま近くに来ているのでちょっと会いたいという電話だった。

僕はキャメロンを長い間知っているのだが、お互い忙しくて、ここ何年かは会って話をするような事はなかった。

仕事が終わって待ち合わせ場所のバーに行くと、見慣れた後ろ姿がカウンターにもたれかかっているのがすぐわかった。

キャメロンに声をかけると、彼女は振り返り、昔と変わらない笑顔を僕に向けた。
 
かなり痩せたけれども、大きな緑の瞳は昔のままだった。 

久しぶりに僕らは昔話に花を咲かせた。

もうお互いに20年位の知り合いなので、気心は知れているけれど、ここ2~3年は別に喧嘩をした訳ではないのだが、忙しくて会っていなかったので、お互いの近況なんかを話し合った。

 

そんな話の中で、キャメロンはさりげなく、自分のパートナーの病気が進行し、治療に専念する為に、ニューヨークの自分のビジネスを売り払い、テキサスに移り住む決心をした事を話してくれた。

バリバリのキャリアウーマンだった彼女が、自分のパートナーの病気治療に専念し、できるだけ一緒の時間を過ごす為に、全てを投げ捨てて、ニューヨークを離れる決心をした事に、昔の仕事一本やりの彼女を知る僕としては、いささか驚きを隠せなかった。

キャメロンと別れた後、その後ろ姿を見送りながら、僕は、もう彼女に会う事は無いだろうという予感がした。

後ろ姿を見送っている時、キャメロンの姿が涙でかすんで見えた。


2006年08月26日  祈り

今日は昼前に突然の雷雨に見舞われたが、その後はめっきり涼しくなり、そろそろニューヨークも夏の終わりを感じさせる一日だった。

僕は雷雨が大好きだ。

子供の頃から雷がなると急いで窓の近くにかけてゆき、窓を開けて雷がなるのを眺めていた記憶がある。

あの空を引き裂く閃光と容赦のない雨には、地上の全ての汚れたものを押し流してくれるような、そんなイメージがある。

今日は終日、ダウンタウンのオフィスで会議があった。

このオフィスは、2001年の9月11日のあの時も僕がいた場所で、ワールドトレードセンターから100メートル足らずの所にある。
 
会議室の窓からはニューヨーク湾が一望でき、僕は雷雨にうたれる自由の女神を眺めながら物思いに耽った。

雨雲の為に空もあっという間に暗い灰色になり、灰色の海と灰色の空の隙間に、深緑色の自由の女神が雨に濡れて立っていた。

会議室のテーブルの反対側には、相手方の代表が5人程座っていたが、彼らの存在や彼らが発する言葉は僕には届かず、僕は彼らを通り越して窓の先から見える、雨に濡れて立つ女神の顔を凝視していた。

本当はいけないのだろうけれど、僕は直感で仕事をする事が多い。

仕事をする上での最初の直感は、相手方が信用できる人間かどうかと言うポイントだ。

相手方が信用できたり、相手方を好きになれば、話しは簡単に前に進む事が多いが、相手方が言葉は多くても、重みが無く信用ができない場合には、途端に僕の興味のレベルは下がってしまう。
 
先入観で判断をするのは良くないと思うが、僕の場合、最初の10分から15分の印象で、その人と仕事をするかどうかを決めてしまう事が殆どだ。

今日の会議の相手はそういった意味では、僕の心に全く響かず、それもあって僕は殆どの時間を、雨に濡れる女神を見つめて過ごしてしまった。 

何度も自分の哀しみや人の哀しみを見て来た人間としては、見せかけだけの態度は本当に虚ろに見える。

白州次郎の本を読んでいると、白州も吉田茂に請われて米国占領軍との折衝にあたる決心をしたのは、吉田の人となりが好きで、吉田を信じるに値する人間だと判断したからだというのがよくわかる。

人間の人生は短いのだから、僕はやはり本物の人間と一緒に、汗を流して生きて行きたいと心底思う。

 

見せかけの賢さや、優しさ、真意を伴わない言葉は、僕に取っては無価値だ。

また、人にそこまで求める以上は、自分も人に対して本物でありたいと思う。

そういった意味では今日のミーティングは、僕に取っては無意味だったのかもしれない。

あるいは、自分に対しても人に対しても真摯な姿勢で本物であれという反面教師だったのかもしれない。

ミーティングを終えて、雨の上がったダウンタウンから、ロックフェラープラザまでアリーを迎えに車を走らせた。
 
今日は金曜日という事もあり、アリーもバイト先の仕事を早めに切り上げ、6時半過ぎには、ビルの回転ドアをあけて僕の車に乗り込んで来た。
 
折角の金曜日の夜だったが、またいつ雨が降り出すか判らない空模様だったので、外で食事をするのは諦め、ダウンタウンのアルファベットシティに車を走らせ、こぢんまりとした日本料理店で食事をした。

日本料理店ではあるが、アルファベットシティという土地柄もあり、ファンキーな無国籍的なインテリアで、壁は全て水槽で魚が泳いでおり、奥の席はクラブのそれのようなソファがいくつも置かれており、それぞれのソファの周りには、モロッコのテントをモチーフにした布が、天井から床までかけられ、仕切りになっていた。 

そんなインテリアの店を、日本料理店などと呼んではいけないと怒る人もいるかもしれないが、まあニューヨークの事なので大目に見て頂きたい。

僕らは布で仕切られた店の奥のソファを選び、そこで色々な冷や酒を頼んで、利き酒をしながら日本食を摘んだ。

食事をしながら、いつものようにアリーの一日の話しを聞いた。

仕事の話、大学院の話、家族の話、癌の話。
 
いつもと同じような話しではあるが、今日のミーティングでの薄っぺらい話とは違い、アリーの話しには真実の重み、真実の残酷さ、真実の優しさがつまった本当の話であることがすぐ判った。

 

アリーの話を聞きながら、僕もアリーのような真摯で、正直で純粋な人間でありたいと思った。

言う事は簡単だけれども実行する事は難しい。

それが自然にできるから僕はアリーを人として尊敬し、誰よりも愛しているのかもしれない。

このか細くも自分の運命をしっかり受け止め、悩みながらも健気に凛として生き抜こうとしているこの女性に、どうか神様、幸せな人生を授けて下さいますように。 

今の僕にできる事はアリーのそばにいて、アリーの話を真剣に聞く事しかない。

後は一人になった時に、アリーに見つからないようにこっそりと、涙を流しながら神様にお願いをする事しかできない。

 

食事を終え、アパートに戻ると疲れたのかアリーはソファーの上ですぐに眠ってしまった。

 

アリーは僕の隣で静かな寝息をたてている。
 
僕はアリーの髪を撫でながら雨上がりの景色を窓から眺めている。 

テーブルに置かれたロウソクもかなり短くなり、ロウソクの炎は、その最後の命を燃やし尽くすかのように揺れている。 

僕は後で一人でアパートの屋上にあがり、神様にお願いする事にしよう。


2006年08月31日  時代のうねり

熱帯低気圧のせいで、相変わらずアメリカ東部は天気が悪い。 

今日も雨こそ降っていなかったが、空は厚い雲に覆われまるで冬が到来したかのような感じだ。

アリーは、大学院の選択科目受付の最終日だったことから、早く起きて学校に出かけた。
 
僕もいつもの通りジムに行き、1時間汗を流してから仕事場に出かけた。

アリーは大学院に行った後に病院に検査に行き、そのままバイトに行ったので、二人はそれぞれ別メニューで一日を過ごした。
 
僕は一日仕事場で電話をしたりメールをしたり、打ち合わせをしたり忙しく一日を過ごした。 

僕は音楽業界に関わっていた時に、たくさんのゴールドディスク、プラティナムディスク、ダブルプラティナム等のミリオンセールスに関わったので、仕事場の壁には、沢山のゴールドディスクが壁に飾ってある。

これは、僕ら音楽業界に携わったものの間では、古き良き昔の話で、最近はCDの売り上げが落ち込み、ゴールドディスクが出る事も少なくなった。

僕は運良く米国の音楽業界が傾く直前に音楽業界から足を洗ったので、影響を受けずにすんだが、僕の周りの友達にはその影響をまともに受けて、メインストリームから消えてしまった人が沢山いる。
 
僕の先輩で、昔アメリカで一緒に働き、僕より遥か前に、アメリカの音楽業界に見切りをつけ日本に戻り、現在は、日本でメジャーレコード会社の社長をしている人がいるが、日本の音楽業界は、例外的に儲かっているらしい。

でもそうやって生き延びている人はごく僅かだ。

 

僕のオフィスの壁には、いくつかの思い出の写真が貼ってある。 

その中の一枚は、僕と僕の古い友達のロンと一緒に、イタリアのモンツアのフェラーリのテストコースに行った時に取った写真が飾ってある。

ロンは僕より相当年上だが、昔、彼はDJという立場を活かして、数々のアーティストとのコネクションを作り、あるときDJをやめてアメリカのメジャーレコード会社に転身し、重役まで上り詰めた男だ。

しかし、音楽業界を巻き込んだデジタル化の新しい動きについていけずに、数年前に表舞台から姿を消した。

ロンは僕がアメリカに来た時に、右も左もわからないアメリカのマフィアビジネスのいろはを教えてくれたメンターの一人だった。

ロンをなくして今の僕はあり得ない。
 
しかし、時代は残酷なもので、時代の大きなうねりはロンを飲み込み、今となっては跡形もなく、ロンを思い出すのは、僕のように律儀に彼と一緒の写真を飾っているような人間だけなのかもしれない。
 
生き馬の目を盗むと言うが、まさにここでの仕事はそういうもので、情け容赦はなく、一瞬でも立ち止まったら、取り残され、過去の闇の中に葬り去られてしまう。 

ここまで来たら僕に立ち止まる事は許されない。立ち止まったら、彼と同じように時代の波に飲まれて過去の闇に葬られてしまうだろう。

僕には守らなければいけない大事な人がいる。

アリーの為にも僕には立ち止まる事は許されない。

写真の中でF40(フェラーリ)に寄っかかって満面の笑みを浮かべているロンに、僕は紙コップのコーヒーで乾杯の真似をして、暫く彼の写真を見つめた後、自分を奮い立たせて、次の会議に出かけて行った。

アリーのバイト先の仕事が7時半に終わったので、アリーをバイト先に迎えに行った。

ニューヨークの交通マナーは東京よりも悪いと思う。

自己主張をしないとどんどんおいていかれてしまい、前に進めないのは、いかにもニューヨークという感じだ。

やっとの思いで渋滞をかいくぐってアリーをピックアップし、食事に出かけた。

 

今日はニューヨーク大学の近くの行きつけのイタリア料理屋に出かけ、僕が一番気に入っているフランス産のセンセアのワインとスキャンピ(海老を使った北米料理)を食べた。

食事をしながら、アリーの大学院の色々な書類の準備や、アリーのクラスの予習を一緒にやった。
 
レストランで大学院の教材を広げて、勉強をしながら食事をするカップルというのもなかなか珍しいと思う。

勉強をした後に色々な話をしたが、アリーは摘出した癌が、他に転移していないかをひどく気にしており、首の近くのリンパ腺に腫れ物ができたので、また病院に戻る事に決めたと言った。

僕はアリーの手を握ったまま、
『用心にこした事はないから、ちゃんと病院に行った方が良い。それじゃないと安心して色々な所に遊びに行けないから』と言っていたずらっぽく笑ってみせた。

アリーも笑い出して僕の鼻を摘んだ。


”アリーは、癌がリンパ腺にとんでいる事をまだ知らない”


僕はアリーの弟からそのことを聞いていた。 

今は色々なこと全てが心配になるけれど、心配してもきりがないからお医者さんに任せるしかない。

今度の週末には、二人でいくつかの家を見に行こうという話になった。

僕は過去の恋愛での苦い経験があり、それ以来、同居というものをしないようにしてきた。

アリーが病気になったからという訳ではないが、ここに来て、アリーとだったら同居をしたいと思うようになり、今は二人であちこちを歩いて家を探している。

 
兎に角、僕は今、自分に悔いが残らないように毎日を生きたいと思う。
 
アリーにはアリーの問題があり、僕も色々な問題を抱えている。

ちょっと目をそらすとロンのように全てを失い、歴史の闇に捨てられる世界に身を置いて何年もの月日が経ち、僕自身がもう疲れてきているのも感じ始めている。

だけど今はアリーの為にできる事は何でもしたい。
 
自分が疲れたなどとは言っている暇はない。
 
アリーの幸せそうな顔と微笑みだけが、僕が明日という日を生き抜こうとする唯一の理由だ。