目次
No.118~
No.118副住職ごあいさつ
No.119かんかんのう
No.120~129
No.123東北地方太平洋沖地震回向その2
No.122東北地方太平洋沖地震回向
No.121あるの、ないの、それとも……
No.120『断捨離』のすゝめ?
No.124飯を食え、食い終わったら茶碗を洗っておけ!
No.125お施餓鬼では僧堂生活について話します
No.126あちら側とこちら側
No.127気づくこころが美しい
No.128無常
No.129「物欲は世界を救う」か?
No.130~139
No130.ドジョウ
No.131「それでも人生にイエスと言う」
No.132ご祈祷
No.133お祝いの言葉の交換
No.134年頭に……
No.135福は外、鬼は内
No.136東日本大震災1周忌回向
No.137悲しみの木
No.138団体参拝・すなお
No.139魚は水を出づれば忽(たちま)ち死す
No.140~149
No.140我性(がせい)
No.141無事是れ絆
No.142名前
No143畏敬の礼の心
No.144「こわれゆくもの」
No.145平成二十四年度ご祈祷と演芸会無事円成・年忘れ
No.146花となって咲き、山となってそびえ、川となって流れる
No.147聞く力
No.148赤い風船 ~ 東日本大震災三回忌によせて
No.149陽岳寺 本尊『十一面観世音菩薩(じゅういちめん かんぜおんぼさつ)』
No.150~159
No.150 Have(ハヴ) A(ア) Nice(ナイス) Day(デイ)!
No.151ノアの方舟(はこぶね) 
No.152じぇ!じぇ!じぇ!
No.153盂蘭盆経~目蓮尊者の伝説
No.154在りし日の 背を洗うごと 墓洗う
No.155縁に随って、心法を忘ず
No.156代えがたいもの
No.157物語を信じる
No.158和をもって貴となす
No.159あなたが好き
No.160~169
No.1604年目
No.161はだかの王様
No.162お施餓鬼会

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No.141無事是れ絆

陽岳寺護寺会便り平成24年8月1日 No.141

  皆様にお送りしている小冊子「花園」は、臨済宗妙心寺派の宗務本所が編集発行しているものです。
  鎌倉にある円覚寺も小冊子を編集発行しております。わたしのもう一人の師匠、管長・横田南嶺師が寄稿していました。
  平成二十四年うらぼん号の全文を掲載します。
(中略~読みたい方は~お寺にお越しください~)  

  無事是れ絆

  前にも書いた記憶がありますが、この護寺会便りが皆様のお手元に届くまで、寺族によるチェックがあります。
  この141号は書き直して、三回目。まったくオッケーをもらえません。
  えーこんな文章を載せるの?ちょっと重いんじゃない?話の筋が通ってない!本の目次を見ているようだよ!
  ひどい言われようです。ごめんなさい。
  それならばと、老師のお言葉を紹介することとしました。
  
  円覚寺の夏期講座での、老師の言葉です。
  『よく自殺の問題があると「いのちの尊さ」「いのちの大切さ」が声高に叫ばれます。けれども、ああいう言葉は、残念ながら叫べば叫ぶほど無力に思われるのです。』
  
  昨年の震災や、今年のいじめと、「いのちの大切さ」が問われます。
  しかし問われれば問われるほどに、叫ばれれば叫ばれるほどに、本質がどこか置いていかれている様な気がします。
  横田南嶺老師は、「無事是れ貴人」という言葉を紹介してくださいました。平素な言葉で分かりやすくです。
  何かがあったとしても、ああよかった、無事だった。また、まわりの人のそんな思いに気づくことができれば。
  すでにそもそも自分も皆も貴い人間なのだと。感謝の気持ちを手を合わせることで確かめます。 (副住職)
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│ お知らせ                          │ 
│ 円覚寺管長 横田南嶺老師のDVD      │ 
│が出来ました。                      │ 
│ インタビュー・私がいた修行道場    │ 
│の風景も紹介されています。          │ 
│(検索「臨黄ネット御用達市場→禅    │ 
│文化研究所」)                      │ 
│                                    │ 
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│                                    │ 
│http://shop.rinnou.net/shop/A125    │ 
│/QSgyt6ZbX/syoinfo/692              │ 
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最終更新日 : 2013-07-20 15:51:44

No.142名前

陽岳寺護寺会便り平成24年9月1日 No.142

  名前

  仏教の開祖である「お釈迦様」は、いろいろな名前をお持ちでした。
  
  「ガウタマ・シッダールタ」は、出家前の名前。
  「仏陀(ブッダ)」は、サンスクリット語で、目覚めた人・体解した人・悟った者などの意味が、個人名化したもの。
  「釈迦牟尼(しゃかむに)仏」は、釈迦族の聖者という意味の尊称。
  「釈尊(しゃくそん)」「釈迦如来」「世尊(せそん)」など。
  
  仏教という視点を外してみれば、彼は「(シャーキャ族の)王子」でしたし、「(妻子持ちの男)夫・父」でした。
  
  なぜ彼はこのように色々な名前で呼ばれたのでしょうか。
  それは彼が、私たちと同じ人間だから、縁という世界に生きる者だからです。
  
  どんなものにも、名前や呼び名があります。
  しかし、その名前や呼び名は、状況によって変化します。
  たとえば、私は副住職ですが、「副住職」「新命(しんめい)さん」と呼ばれます。
  住職は、「ご住職」です。
  陽岳寺の和尚への視線のなかで、違いを探ろうとすると・・こうした違いが呼び名にあらわれます。
  
  しかし、和尚という視点を外してみれば、二人とも「向井さん」でもあり、「父と息子」ともなります。
  
  名前や呼び名は、状況によって変化します。
  相手を結びつきのなかで認識することによって、私も、相手も、お互いの存在が具体的になるからです。
  相対することによって、はじめて名前が付けられるといえます。
  会社なら、部下がいて上司がいる。店員やバイトがいて、店長がいる。
  
  役割が名前となるもの。
  さいたるものは家族の一員としての自分でしょう。
  人は、親と出会えば息子・娘となり、祖父母と出会えば孫となり、兄と出会えば妹・弟となり、子どもと出会えば父親・母親となり、と名前や呼び名を変えていきます。
  しかし、その関係性にある自分を見れば、親の前では息子・娘でしかなく。息子・娘の前では父親・母親でしかない。
  
  夫婦も同じことがいえます。
  妻と夫の関係はお互いがいてこそ、夫婦として認められます。
  お互いを尊敬し、感謝をせずに、夫婦というかたちを取り続けることは難しいことです。
  
  うつりかわる自分という存在を、確固たるものとして持ち続けることは大変なエネルギーのいることです。
  尊重しあい、支え合うことは、その誰かと生きることを楽にしてくれるかもしれません。
  韓国の法頂和尚の詩「存在に向かう生き方」、はじめの部分です。
  
命をあたかも所有物のように思いなすから
われわれはその消滅を恐れる。
命は所有物ではなく
瞬間瞬間にあることだ。
  
  自分の名前。自分の役割。自分の命。
  たしかに名付けられはしたが、世間の人は母親はこうあるべきだ父親はこうあるべきだとそう言うけれど。
  命をあたかも所有物のように思いなすから、その消滅を恐れる。
  
  このことは、私たちがある癖を持っていることを教えてくれます。
  自分が自分であることを疑わないために、なんでも自分中心に考えてしまう癖です。
  その癖とは、私たちと自然はどうやって共存してきたか、今日の私たちの歴史から地球の歴史を考える等の行為を断じます。
  
  いろいろな名前や呼び名を持つということ。
  生きるということは、姿や形を変えていくことです。
  そのことに気付けば。
  世間の言う、こうあるべきだという言葉に振り回されたりしないでしょう。
  しかし、母親として父親として、自分として。瞬間瞬間あるように、なすことができるのではないかと。
  
  思ったことがあります。
  夫は朝行ってきますと仕事に出かける。妻は子育てに忙しく家にいる。夜、お腹はペコペコで、疲れて家に帰ってくると、ご飯の用意がない。
  こんなとき。妻は家にいるのだから、外で仕事をしていないのだから、夫のためにご飯くらい作るべきだ・・と非難するか?と。
  子育ては大変です。家事も大変です。週に数日くらいなら仕方ないか?出前でも取るか?でも、ご飯くらい用意してくれよ・・。そう思うのは人情でしょう。
  でも、私たちは生きています。人情に動かされるのも私たちですが、考えることができるのも私たち。
  さらに、そんな思いも超えることができるのも私たちです。
  
  その命、役割、名前は、所有物ではない。あたかも所有物のように思いなすことを止めよと法頂和尚は教えてくれます。
  
  私たちが自然にひかれるのは、こういう点なのだと思います。
  風は「風の存在意義は云々」と思って吹いているわけではないでしょう。それでも、風は風自身ビュウビュウと吹く。風は風に没入しながらも、風としてあらねばならない姿にくらまされていない。
  自然はもともとひとつです。
  風によって種が運ばれ、雲がわき、雨を降らす。そよ風、はげしい風、冷たい風と徹します。
  だから、その名前や役割に固執しても、無関係だと意気込んでも、自分ではない。
  風は「自分は風だ」と思わないように。
  
  名前は、物事を区別すると同時に、結びつけることでもあります。世界は一つ。
  名前や役割を拠り所とするなかで、置かれた場所に徹することが自分となる。
  
  名前や呼び名に没入しながらも、「こうあらねばならない姿」に自身を振りまわされない。「生きるわたし」でいたいと思います。      (副住職)

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最終更新日 : 2013-07-20 15:52:55

No143畏敬の礼の心

陽岳寺護寺会便り平成24年10月1日 No.143

  お彼岸の月(三月と九月)の護寺会便りには、お彼岸の期間はいつですよというお知らせを入れるのですが。先月号は忘れてしまいました。
  
  今年の秋のお彼岸は、お中日が二十二日でした。
  例年秋分の日は二十三日なわけですが、今年は百年以上ぶりに九月二十二日がお中日だったわけです。
  みなさん、よくお参りいただきました。墓地は色とりどりの仏花により、お花畑のようでした。もちろんお参りいただけなかった方もいらっしゃいます。ご安心を。代参いたします、ご連絡ください。
  みなさんがお参りされるのは、なんとはなしに・・という方もいるかもしれません。でもきっと、畏敬の念からかと思います。その畏敬の念とは。

  畏敬の礼の心

  言い間違えてしまう言葉ってあると思います。
  私がよく言い間違えてしまうのは、「お見舞い」と「お参り」。
  「ちょっと病院へお参りに行ってくるよ」なんて、言ってる側としては笑い話になりますけれど、言われる側としては笑えませんね。
  全然違うものではないか。どうやっても間違えないだろう。とおっしゃる方もいるでしょう。
  でも、私はよく言い間違えてしまう。どうにか直せないものかと。ここは一つちゃんと考えてみましょう。
  「お見舞い」と「お参り」の違いって?
  
  お見舞いにも色々あります。挨拶としてのお見舞い(暑中見舞など)、選挙の陣中見舞い。
  一般的には、災難や事故などによる怪我を負った人・病人のところを訪れて、慰めることでしょう。「ちょっと病院へお見舞いに」という具合で。
  お参りは、神社・寺院・教会・墓廟などの宗教施設を訪れて、神仏や先祖に拝んだり、祈ったりすることです。
  
  慰めたり、拝んだり、祈ったり。その行為の違いもあるのでしょうけれども、ここで注目してほしいのは、その行為の向かう相手です。
  お見舞いは、生きている人間に対する行為です。お参り・参詣・参拝は、神仏や先祖に対する行為です。
  向かう相手が生きている人間か、神仏・先祖かというのは、大きな問題です。
  後者は一方的な行為であり、相手の返事がないことがいえます。
  かえって前者は、双務的で、お見舞いにたいして「あぁよく来てくれたね」などと必ず返事があることが特徴です。
  この点が、お見舞いとお参りの大きな違いでしょう。
  
  行為から向かう相手を考えましたが、作法を考えてみます。作法とは、礼です。
  
  礼や儀礼といった形式的な行為には、おおよそ二種類があります。一つは畏敬の礼、一つは和平の礼です。
  畏敬の礼とは。
  強いものや恐れおおいものに対する畏敬・尊敬の思い。この思いが形となったものが尊敬の礼です。たとえば、平身低頭し、三拝九拝したりする。神仏に対しても行いますし、人間に対しても行います。
  和平の礼とは。
  敵対する二者のあいだのものです。そして、休戦や平和協定をむすぶ。意見交換、交易をするというかたち。たとえば、警戒をゆるめている表現として、かぶとを脱いだり、頭を下げる作法。
  そしてこの畏敬の礼と和平の礼は、時代を経るとともに、相互に交流し、同一になり別れては、発達していきます。
  
  礼といえば孔子『論語』です。
  孔子は『論語』のなかで礼の大切さを述べています。また、しきりに礼はその形よりも心が大切であるとも話しています。
  あるとき弟子が孔子に聞きました。礼の心がけとは何ですか?と。孔子こたえていわく。
  礼は、それ奢らんよりはむしろ倹め。喪は、それ易まらんよりはむしろ戚しめ。(八佾篇)
  礼といい礼という。玉帛をいわんや。楽といい楽という。鐘鼓をいわんや。(陽貨篇)
  人にして不仁ならば礼をいかにせん。人にして不仁ならば、楽をいかにせん。(八佾篇)
  礼儀が大切だと言うのは、祭礼に用いる玉や織物のことではない。礼儀に付随する音楽もそうで、りっぱな楽器も太鼓を用意すればいいというわけでもなく、うまく演奏できればいいというわけでもない。
  心がけのなっていない人ならば、礼をしたって無意味であり。すばらしい音楽を奏でても無意味である。
  
  謙虚な心が肝要であること。心がけのなっていない人は何をしても無意味である。と。
  祭礼を重んじることで敬虔の心をそだてることが大切なのだと言うのです。
  
  孔子のいう「礼」は、畏敬の礼としていました。人間同士の関係。君主と臣下との関係であってもです。
  君主は臣を使うに礼を以てする(八佾篇)
  ただそれは、畏敬の礼を君主は持つべきだということではなく。君主が自分を律するためのものでした。
  孔子は礼は形よりも心であること。その心とは、「畏敬」であることを述べています。
  
  後世、礼にとっての最要はなにか、と相互に交流し発達していきました。
  礼は心が大事である。その心は和平の礼だ。いやまずは形あってのことだ。孔子にしか本当のところは分からないのだから、形だけしていればいいのだ。など。
  そもそも孔子の礼楽尊重は、形ばかりにとらわれる政治から、文化的・徳治的政治を盛行するためでした。
  肝心なことは、自分を律するためにも、祭礼をおこなう心は畏敬の礼であることです。また、人間同士においても、やりたい放題にならないように、敬の心をもつほうがいい。自分のためにと。
  
  礼の第一は、天と宗廟に対してです。恐れおおいもの、神や精霊や霊魂に対する畏敬の念です。
  畏敬や感謝の気持ちの大切さを、孔子が述べてくれているような気がいたします。
  そう考えると、お見舞いもお参りも、たいして違いはないのではないかとも思うのですが・・。でも、病院へのお参りはちょっと変ですね。(副住職)

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最終更新日 : 2013-07-20 15:54:37

No.144「こわれゆくもの」

陽岳寺護寺会便り平成24年11月1日No.144

「こわれゆくもの」

 私の母は、父が元気だった頃から、洋裁に刺繍や編み物など、手もとで黙々と進む針を見つめながら日々を過ごしていました。私が幼かったころ着ていたものは、みな母の手作りでした。
 その頃、私は、陽が落ちるギリギリまで原っぱや河で遊んでいたことを思い出します。 中学校の国語教師をしていた父の帰りを待つ家族にとって、それは普通のことだったと記憶しています。母は、料理に掃除とこなしながらも、家計を助けるためもあり、洋裁で親しかった方の洋服も含めて、ミシンを踏む音が、母がいることの安らぎそのものでした。幼かった頃、その母のそばで、寝転びながら洋裁雑誌や本などを読む私がいました。もっとも和服だけは、母の妹の幡屋と染め屋から、姉が仕立てたものを母は着ていました。
 母の姉や妹が来ると、長い時間、お茶を飲みペチャクチャ、ペチャクチャ話に切れのなかったことを思い出します。そんな母の兄弟姉妹も、父の兄弟姉妹もすでにいません。
 そして父や母も居なくなり、今年は前住職の宗直和尚の27回忌、母八重子の13回忌に当たります。私の姉たちと家族だけの法事となります。
 母が父を亡くしてから、刺繍や編み物の縫い針の一目一目に、時間が進む日々を過ごしていました。編み物は、ほどいては編み直しの、その一目一目は、編み物が出来上がって時間と共に、父と遠くなっていく時間だったことを、母のメモを見てハッとした、私の時間でもあります。一目一目、ほどく時間は一瞬ですが、思いだして見ればアッという間の時間です。
 そのアッという間の時間は、今「こわれゆくもの」考える時間でもあります。そしてその「こわれゆくもの」は考えることは創造の時間でもあります。
 何が人を動かすのか、動かされた私から考えて思うことは、文章を書き出した私は、今日は副住職が鎌倉円覚寺に出かけたことが動かしたのか、すでに2回、副住職が陽岳寺便りを書いたことによるものか、父母の思いが、今を書かせるのか、すべてがつながって今を動かせる縁起を考えるのです。
 その縁起からいわせると、今モノがここに有るということ、この事実は疑いようもない事実なのですが、父や母がいなくなって見えてくることは、「こわれゆくもの」として有ることが在るということです。
 言葉を変えれば、滅びるもの、砕けるもの、傷むもの、消耗するもの、現在するすべてのものは移りゆくことにおいてある。だから、こわれた時にこわれたのではなく、こわれることを含んで今ここに在るということが、有ることの在るという気づきです。
 思い出そうが、思い出さなくても、世界の時間はこうして、一針一針の動きに世界という空間を織りなしていますが、そのことが、こわれることに於いて、創造を成り立たせていることも見えてきます。
 10月半ば過ぎ、27年ぐらい前でしょうか、お会いしたことがあったのは。93歳にして亡くなった女性の訃報を頂きました。そして息子さんの奥さんに、93歳で亡くなられ方の話を聞きながら、お話しの内容は、義理の母への感謝の言葉ばかりでした。
 葬儀の内容の一部を記します。
《 関東大震災では芝で、三河島に転居し、錦糸町の家のあるじに嫁いだものの、三月十日の東京大空所は、リヤカーに荷物を満載して、錦糸公園に逃げ、火の粉を払いながらも生き抜いた強さをひそめています。
 この生き抜いた芯の強さは、この頃の年代にとっての青春とは、貧しさと震災と戦争の中にあったことを忘れてはならないと思うのです。
 そんな義理の母にとって、戦災の記憶は、「母にはないのです」と奥さんいいます。「憶えていないのです」と。
 焼けただれて真っ黒になった死体がゴロゴロと転がっていたり、戦火に逃れたものの亡くしたものを探して漂う人々、炎がおさまっても煙や灰、匂い、河に漂う悲惨な風景など……
 ひどかったのだろうか、憶えていないと。あえて記憶を消そうとして消したのか。友達は、戦火の惨状を語るが、お母さんは話さない。
 三月十日と言うけれども、それ以前、日本は十五年にわたり戦争をしていました。新聞は戦争を勝った、進んだと報道するけれど、庶民の生活は苦しくなるばかりでした。
 そして戦火に焼かれて、浜松に疎開して、ご主人の復興への踏ん張りと、お母さんの支えがなかったら、今の子ども達や孫たちひ孫達の運命はどう変わっていたでしょうか。
 そして、あっという間に、三十九年が経ち、ご主人が亡くなりました。当時六十九歳でした。
 お母さんは、きっと心の中で「ずるい」と思っていたに違いない。その時、お母さんは六十五歳でしょうか。子ども達も成長して、孫たちにも囲まれていても、これから老後を二人で、楽しく過ごせると思っていたのではないでしょうか。
 あの関東大震災、そして十五年にわたる戦争、戦後と、日本が復興へと歩むなか、二人はがむしゃらに働いてきました。
 たとえ大勢の家族に囲まれても、寂しさは表裏一体に影をひそめていたはずです。
 ご主人亡き後、お母さんは、家族の中で自分の居場所を定めて、やさしく、家族を見守るとことに、自分に課したのでしょうか。それが、ご主人亡き後の自分の勤めだと。
 時は、五年、十年、二十年と休みなく進みます。家族にかこまれての生活が続きます。あれから二十八年です。
 お嫁さんが言いました。「お母さんは、本当にやさしく、子ども達や孫達、曾孫達が集まると、ニコニコ、ニコニコ、楽しそうに見つめていました」と。》
 お母さんは、そのご主人を亡くしてから、家族の中であらためて自分の居場所を探しました。その場所は、お嫁さんを活かす場所だった。そして亡くなってみれば、活かされたお嫁さんの口から、感謝ばかりが口に出ます。
 そんな家族の孫たちやひ孫達の子ども達に、この祖母がいて、祖父がいて、今の君たちの命があることを伝えたかったし、人は、ほろび、こわれるものを含んでいるから、力強く生きることができると伝えたかったのです。お母さんは奥さんを活かすことにおいて、、新たな命を与えられ、生ききったといえないでしょうか。過去と未来からの縁起という贈り物を真摯に受け止めることで、人は輝くと……。こわれゆくものを自覚した美しさは活かされて生きるという姿なのだと、つくづくと思うのです。  (和尚)  
◎ご祈祷会は、平成24年11月25日(日)午後2時から法要です。その後、落語となり ます。お寺はお檀家さんの喜捨により成り立っています。よろしくお願いします。

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最終更新日 : 2013-07-20 15:55:27

No.145平成二十四年度ご祈祷と演芸会無事円成・年忘れ

陽岳寺護寺会便り平成24年12月1日 No.145

平成二十四年度 ご祈祷と演芸会無事円成

  ご祈祷と演芸会(三遊亭円橘師匠による寄席)、今年も皆様のおかげで無事円成の運びと相成りました。本年の感謝と、来年の無事とご多幸を祈念して、法要を行いました。
  十一月最終日曜のご祈祷と、五月第三土曜日のお施餓鬼は、陽岳寺にとりまして大切な行事です。
  
  大勢のお檀家様がお集まりいただきましたこと、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。有り難うございました。
  
  一家に一冊ということで、「いろはにほへと」をお土産にお持ち帰り頂きました。
  わたしのもう一人の師匠である、鎌倉 円覚寺管長・横田南嶺師が毎月第二日曜にしている説教、在家の方向けの坐禅会での講座の内容等をまとめたものです。円覚寺山内の様子や、僧堂の風景を写真でも紹介しています。

  年忘れ

  もういくつ寝るとお正月~♪
  十二月に入りました。あと一ヵ月で二〇一二年も終わります。
  年末、会社や地域の忘年会に参加される方もいらっしゃるかと思います。
  忘年会には、家族や仲間と、この一年の労をねぎらったり。仕事納めの納会的な意味合いがあるようです。無礼講といって、羽目を外しすぎてしまうことも。
  
  禅宗の寺院には、玄関にこういった文字が書いてあることが多いです。
  『照顧脚下(しょうこきゃっか)』
  『看脚下(かんきゃっか)』
  陽岳寺の本堂にも、この言葉の書いてある板が置いてあります。この言葉には、ひとつの逸話があります。
  
  とある老師と弟子たちが、夜道を歩いていました。
  灯していた明かりが風によって消えてしまい、どうしたことか。老師は弟子達に「さぁ、どうする!」と詰め寄ります。
  一人、また一人と答えますが、老師は認めてくれません。この暗闇に満ちた世界をどうやって歩んでいくか。
  そして最後の一人。彼はただ「看脚下」と言ったのでした。暗いのだから、足下をちゃんと見て歩いていけばいいではないか、と。老師は、その答えに頷いたのでした。
  後に、この弟子 圜悟克勤禅師は、『碧巌録』という書物の第一則に、
「知らず、脚跟下に大光明を放つことを」
  と著わしました。
  
  この逸話。なにを当たり前なことを、と思うでしょう。
  頼りになる明かりが消えてしまったのなら、つまずかない様に気をつければいいだけじゃないかと。
  
  お天道様のもとでなら、そう思うことができるかもしれません。
  人間は暗闇を恐れます。知らない、分からないという闇です。
  お先真っ暗とはよく言ったものです。
  昨年の三月におきた震災、原発や日本の行方。また、悲しみにあふれ、一体これからどうすればよいのかと途方にくれるような時。立ちすくんでしまうこと、身動きがとれなくなってしまうこと。多々あるはず。応分にして、こういう事は忘れたころにやってくる出来事です。
  そしてそれは、必ずやってくる出来事でもあるのです。それが今・このタイミングでやってきたということ。
  そんな時。今・ここですべきことは何か?立ち止まって考えるべきことは、つまずかないように気をつけて行くということです。今しかないことです。
  『照顧脚下』、足下を照らし顧みる。
  この足下とは、今、ここ(に立っている)、わたしです。そこから、今・この場所までの歩んできた道のりをも指します。そして、これからの道についても。
  足下だけを指さないのです。足下ばかり見ていてはダメで、世界全体を指す。
  
  年忘れ・忘年会。忘れることで人間は生きていくことが出来ます。忘れることは力にもなり、忘れないことの大切さも力となります。
  しかし、大事なことを忘れてしまうことだってあるはずです。
  即今只今、足下を見よ!と。禅宗は、日常の中で真理を具体的に見ます。
  べつに年末になったからといって、一年を振り返らなくてもよいわけです。いつの間にか、もう年末。そんな時、せめて年忘れを、という願いなのかもしれません。
  今年一年を振りかえり、したこと・したかったこと。ちょっと待てよ、と・・立ち止まる。そうして、心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。
  来年もよい年でありますよう、祈念申し上げます。(副住職)
  
◎ご祈祷会にて祈願した御札と、来年の年回忌のお知らせを、後日郵送します。

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最終更新日 : 2013-07-20 15:56:55


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