目次
今年の干支、戌(いぬ)年
1月の天気
1月の星座 うさぎ座
北極星を探す目印「カシオペヤ座」
「ヨーロッパ」の由来、おうし座
冬将軍の正体
冬と天気と日本海
地上天気図と高層天気図
雲形で天気予報
平年値」と雪
世界の正月
門松と家康
「初夢」を楽しむ
冬のダイエットは老化を促進
成人式にネクタイを締めなおす  
「海のミルク」
白菜の効用
天然物信仰と食経験
難を転じる南天の実
水仙の花に注意
寒造り(かんづくり)
家庭の味が無くなってきた!
レンジde お餅
「今年の一皿」
「超簡単」--こうや豆腐
レンジ豚(ラーメンやチャーハンにもピッタリ)
おかゆの復権
あったか厚揚げのたたき
うま味調味料が中華料理を世界に広めた
即席めんを発明し世界の食文化を変えた男 安藤百福 ③
老化は足から来る
老死と料理
ハーブのすすめ
「飲むサラダ」マテ茶
関西人の体はでんぷんとソースでできている
油の特長を生かした調理
縁起のいい冬野菜「芽キャベツ」
聞いてビックリ!今時の若い人の食事
現代病の食養生 主食に玄米をとりいれる
愛煙家には厳しい時代に
焼き鳥の謎
ダイエットという食文化(後編)
正月後のお手当て
気血が足りない方の養生
先天の気(腎気)と後天の気(脾胃の気)
キレル子、ムカツク子をなくす食生活
風邪には「しょうがの練りチューブ」
へそ温灸のすすめ
ガメ(亀虫)の大量発生と、この冬の病気
お手当ての意義と順序
朝の便り
小寒からの養生法
長引く下痢症状
冬に多い中風(脳卒中)の防ぎ方
高齢者にもオススメ☆アロマセラピー
話し上手より聞き上手
江戸時代、標準語は無かった
「世間様」というものを憚る意識
多産は繁栄の象徴
タコの吸盤がロボットを進化させる?
レジのないお店
10のものを10発揮する努力
老人向け字幕表示
占いと迷信と星占い
敗北を免れる妙法
具体的に国民に提示する能力
3本の鼎(かなえ)
室町時代をみる縦と横 
明治150年と昭和100年 
老眼鏡と読書 
内戦と寛容
戦争を知らない時代の老武士が殺気を知る太平の世
ATMちょっと便利な利用法
『古事記』の神々(その10)
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

71 / 75ページ

試し読みできます

内戦と寛容

「我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば
            煙は薄し 桜島山」
 郷土、筑前福岡藩が生んだ数少ない勤王の志士、平野国臣の句です。聞いただけで勇壮な気分になるような、まさに名句と言っていい一句ではないでしょうか。
 さて、以前、福島県の友人と一緒に鹿児島へ行った折、「おまえら薩長は敵じゃないのか?」とからかったところ、彼ら曰く、「いや、薩摩はまだいいんだ。会津の恨みが激しいのは長州に対してなんだ」とのこと。
 これは私には少し意外で、「長州は最初から敵だったからまだいいけど、薩摩こそ途中から裏切った怨敵」と聞いておりましたので。その旨を言ったところ、「戊辰戦争における会津の恨み」というのは、戦争その物よりも、戦後、勝者である長州軍が、会津側戦死者の遺体を埋葬させなかったからだそうで、これこそは、即ち、戊辰戦争というものが「内戦」という意識が当事者間にカケラもなかった戦争だったと言うことだったと思います。
 内戦というものを戦う上では、忘れてはならない、一つの重要なキーワードがあります。それこそが、「寛容」というものです。
 これは、何も内戦に限ったことではなく、戦後も、そこを自国の領土として併合する意図がある場合などでも同じです。
 この点は、数々の内戦を繰り広げてきた古代ローマ人の戦いにこそもっとも、顕著に表れていると思います。
 即ち、異民族、蛮族など、自分たちに同化しようとはしない外敵には、見せしめというものが必要ですから、皆殺しなどの残酷な措置が必要ですが、同胞には、どのような抵抗があろうとも、「寛容」というものを忘れてはならず、ローマ人の歴史は、内戦においての寛容というものの重要性を、見事なまでに我々に教えてくれています。
 ローマ時代における最大のスーパー・スター、ユリウス・カエサル(シーザー)は、どれほどに抵抗が激しかろうと、戦後はすべてを忘れたかのように、敗者に対して恐ろしいまでに寛容でした。
 それは、ある意味、当然のことで、内戦が終わったら、元の通り、皆、同じローマ人として暮らしていかねばならないわけですから、自分が戦後、国をまとめていく立場に立つことを考えたならば、妙な遺恨を残してしまっては、逆に統治の妨げになるわけで・・・。
 となれば、寛容というものが、内戦を戦い抜く上においては、結果的には、もっとも有効にして、もっとも効果的、もっとも安上がりな政策となってくるわけです。
 この点では、現代の旧ユーゴスラビア紛争の指導者の一人であったミロシェビッチ氏が、元々、分離独立を許さないと言うことで内戦をスタートさせたはずなのにエスニック・クレンジング(民族浄化)などという一番愚かな手段を用いてしまったことを思えば一番わかりやすいでしょうか。
 ローマに話を戻しますと、ローマ帝国末期、帝国は四人の皇帝が分割統治する時代を迎えますが、ここで、さらに四人のうちに入れなかった先代皇帝の息子が一人、本来の本国であるイタリア半島で勝手に即位宣言したことから、時代は分割統治から群雄割拠の色合いを強くしていきます。
 即ち、誰がこの、「帝位を僭称した皇帝」を討つか・・・ということになり、最初に攻め込んだ皇帝は、諸都市の固い叛意の前に、逆に敗死・・・。次に攻め込んだ皇帝は、抵抗する城塞都市を殲滅し、見せしめとすることを選択しますが、逆にその情報はいち早く、イタリア半島全体に伝わり、他の都市を死に物狂いにしただけとなり、その皇帝は撤退を余儀なくされた・・・と。
 そして、最後に攻め込んだ皇帝は、叛乱に立ち上がった諸都市に対し、「罪は問わない」と宣言し、激しく抵抗した都市も撃破した後は誰一人、罪を問われなかったそうで、その結果、これが伝わるや、諸都市は戦わずして城門を開き、覇業に大きく前進したわけで、この皇帝こそが、後に大帝と呼ばれるコンスタンティヌスであった。
 次に、「内戦と寛容」というものについてですが、日本の戊辰戦争の時に、誰もその理屈に気づかなかったのかというと、そんなこともないわけで、西郷隆盛は賊軍でありながら、最後まで官軍相手に勝ち続けていた庄内藩の戦後処理に寛容を持って臨んだと言います。
(この藩だけは、結局、最後まで負けないままだったそうで、哀しいかな局地戦であったがゆえに、賊軍の本丸である、会津と仙台が降伏したことを知り、もはやこれまで!ということで、やむなく降伏したと。ちなみに、このとき、庄内藩に負け続けたのが新政府側に付いた秋田藩で、救援に向かいながら一緒に敗走を重ねたのが我が筑前福岡藩だったという・・・。)
 庄内藩士は、西郷のその温情に感謝し、その後、西南戦争勃発の時には、北の果てよりはるばる南の果ての南九州まで駆けつけ、西郷軍に合力したとか・・・。
 逆に、会津戦線では、新政府軍は、寛容を持って臨まなかったがゆえに、西南戦争の折り、旧会津藩士が多数、新政府軍として参戦したと言います。(5.15事件で暗殺される後の総理大臣・犬養毅は、このとき、従軍記者としてその胆力を大いに発揮し、両軍の前線兵士から多くのインタビューをとってきたとそうですが、その中に、ある会津出身の新政府軍兵士の言葉として、「会津人の剣、疾きか鈍きか!薩摩人に聞かん!」というのがあったと言います。)
 もっとも、古代ローマにても、必ずしも、カエサルやコンスタンティヌス大帝のように内戦というものの定義を理解した戦い方をした人物ばかりだったわけではなく、初代皇帝・アウグストゥスよりの皇統が途絶えた後に起こった内戦においては、勝った方の方面軍が破れた方の方面軍を辱めたそうで、となれば、次の内戦が勃発した際には、会津人の西南戦争参戦よろしく、負けた側の方面軍は勇んで参戦し、結果、勝者と敗者が逆転し、そしてまた、敗者に同じような辱めを与えてしまったとか・・・。
 内戦とは、外敵を撃退することよりもデリケートなものだということなのでしょう・・・。

(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)

 


試し読みできます

戦争を知らない時代の老武士が殺気を知る太平の世

昔、昭和48年(1973年)に放送されていたテレビドラマに、「大久保彦左衛門」というのがあったのですが、覚えておられますでしょうか。

このドラマは、主演の老旗本・大久保彦左衛門に進藤英太郎、魚屋で、その一の子分・一心太助に関口 宏という配役だったと思うのですが実はそれほど詳しく覚えておりません。

元々このドラマ自体、多分、祖父が見ていただけで私はそれほど熱心に見ていたわけではなく、この回にしても、風呂に入ったか何かでその場面だけを見ただけでしたが、30年以上経った今でもはっきりと記憶に焼き付いているある一場面があります。

それは、元武士上がりの魚屋、一心太助が、何かの話で、妻から「どうして、あんたにそんなことがわかるのさ!」と言われ、少し、詰まりながら

「そ、そりゃぁ、おまえ、あれだよ、殺気ってやつだ」と。

「ふん、あんたに殺気なんてわかるのかい!」

「俺だって、元は武士だ。いざって時には、殺気でピピーンとくるのさ」と。

で、その夜、太助の家に泥棒が入り、奥さんが気づいて、慌てて、大騒ぎして泥棒を撃退したところ、布団を見れば太助は高いびきで寝ており、怒った奥さんから、「なーにが、殺気だかねぇ」とつねりあげられると。

で、場面は変わって、同日同時刻の大久保彦左衛門の屋敷・・・。

物音一つしない、大きな座敷で独り寝ていた老武士・大久保彦左衛門が、突然、跳ね起きて、鴨居の上に掛けてあった槍を手に取るなり、障子を開けて、縁側に仁王立ちになる・・・。

「何事で御座りまするか!」と言って慌てて駆けつける家臣に、「わからぬ。わからぬが、そこに誰か居おった」と。

「誰もおりませぬが」という家臣に対し、汗を浮かべながら、「いや、殺気を感じたのじゃ」と、まあ、こういうシーンでした。

確か、このときの、その怪しい奴というのは、徳川家によって大阪夏の陣で滅亡させられた豊臣家の旧臣で、最後の豊臣家当主、豊臣秀頼の子供をかくまっているという設定だったと記憶しておりますが、それはさておき、思えば、このドラマの設定は、すでに、三代将軍家光の治世で、二代秀忠がすでに没していたことを考えると、おそらく、1635年頃の話だろうと考えられます。

となれば、この時代、最後の戦争となった大阪夏の陣からでもすでに20年、その前の、事実上の戦国最終戦争である関ヶ原の戦いからだと35年が経っていたわけで、人間の寿命が50歳と言われ、40歳になると隠居していた当時からすれば、戦争というのは遠い昔の出来事になっていたわけですね。

(関ヶ原当時、15歳だったとしても、ぎりぎり、生きているかどうか。)

無論、架空のドラマですから、一々、真に受けるわけではありませんが、ただ、考えさせられる話ではありました。

つまり、現代の日本と一緒で、戦争を知っている人たちというのは、皆、わずかな老人たちだけであり、本当に戦場を知っている侍というのは殆ど居なかったわけですね。

ちなみに、あるマンガで、夜中に、東京タワーを警備していた警官隊へのテロが行われたときに、付近の住宅で寝ていた老夫婦が、この、ただならぬ物音に目を覚まし、夫人が怯えた声で、傍らの夫に、「お父さん、あの音、何でしょうか?」と言うと、夫は寝たまま、「ああ、あれは機関銃の音だ。昔、南方で聞いたよ」と平然と答えるというシーンがありました。

平和は尊い物です。永遠に続く限りは。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2008.01


試し読みできます

ATMちょっと便利な利用法

何かと私達がよく利用することのあるATMですが、以外と便利な使い方があるようです。
まずよく私達が思うのが千円札で現金を引き出したい時。千円札だけ欲しい時もあれば、一万円札と千円札両方必要な時もあります。私もつい最近まで『4千円』とか『9千円』というようにATMのタッチボタンを押していました。

でもこれからは金額入力の時には『10千円』と入力してみましょう。

千円札が10枚出てきます。

一万円札が1枚と千円札が10枚必要な時は、『1万10千円』と入力しましょう。応用として硬貨が必要な時はどうでしょう。これも円単位まで入力すれば硬貨も別の所から出てきます。

次に現金で自分の口座に入金をする際に、入金したい金額は7千円なのに手元には一万円札しかないという場合。こんな時にも方法はあります。

紙幣を機械に入れた後に、「全額入金」「一部入金」のボタンが表示されるので、「一部入金」を指定します。その後に預入金額を7千円と指定すると、7千円が入金され、3千円がおつりとして返ってきます。

みなさんもご利用になってみてはいかがでしょうか?。

(コラムニスト ディック・ハンター/絵:吉田たつちか)2005.1 


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格100円(税込)

読者登録

atecさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について