目次
今年の干支、戌(いぬ)年
1月の天気
1月の星座 うさぎ座
北極星を探す目印「カシオペヤ座」
「ヨーロッパ」の由来、おうし座
冬将軍の正体
冬と天気と日本海
地上天気図と高層天気図
雲形で天気予報
平年値」と雪
世界の正月
門松と家康
「初夢」を楽しむ
冬のダイエットは老化を促進
成人式にネクタイを締めなおす  
「海のミルク」
白菜の効用
天然物信仰と食経験
難を転じる南天の実
水仙の花に注意
寒造り(かんづくり)
家庭の味が無くなってきた!
レンジde お餅
「今年の一皿」
「超簡単」--こうや豆腐
レンジ豚(ラーメンやチャーハンにもピッタリ)
おかゆの復権
あったか厚揚げのたたき
うま味調味料が中華料理を世界に広めた
即席めんを発明し世界の食文化を変えた男 安藤百福 ③
老化は足から来る
老死と料理
ハーブのすすめ
「飲むサラダ」マテ茶
関西人の体はでんぷんとソースでできている
油の特長を生かした調理
縁起のいい冬野菜「芽キャベツ」
聞いてビックリ!今時の若い人の食事
現代病の食養生 主食に玄米をとりいれる
愛煙家には厳しい時代に
焼き鳥の謎
ダイエットという食文化(後編)
正月後のお手当て
気血が足りない方の養生
先天の気(腎気)と後天の気(脾胃の気)
キレル子、ムカツク子をなくす食生活
風邪には「しょうがの練りチューブ」
へそ温灸のすすめ
ガメ(亀虫)の大量発生と、この冬の病気
お手当ての意義と順序
朝の便り
小寒からの養生法
長引く下痢症状
冬に多い中風(脳卒中)の防ぎ方
高齢者にもオススメ☆アロマセラピー
話し上手より聞き上手
江戸時代、標準語は無かった
「世間様」というものを憚る意識
多産は繁栄の象徴
タコの吸盤がロボットを進化させる?
レジのないお店
10のものを10発揮する努力
老人向け字幕表示
占いと迷信と星占い
敗北を免れる妙法
具体的に国民に提示する能力
3本の鼎(かなえ)
室町時代をみる縦と横 
明治150年と昭和100年 
老眼鏡と読書 
内戦と寛容
戦争を知らない時代の老武士が殺気を知る太平の世
ATMちょっと便利な利用法
『古事記』の神々(その10)
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朝の便り

 皆さんは、朝一番の排便を眺めてみられる習慣がありますか?
便とは、その名前の通り体からのお便りなんですね。昨日までの食べ物が、間違っていなかったか、体の中で正しく栄養になったり、解毒されているか・・・等全て、朝の便りから把握することができます。
 体調が万全な時の排便は
1,便がコロコロしたり、細かったりせず、しっかりとつながっていること
2,色が濃い黄土色で、単一(よくこなれていて、まだらな感じがない)
3,悪臭がない
4,トイレの滞在時間が短く、排便後に残便感がない等です。
1,便が気持ちよくつながらず、切れたり軟便気味である方は、食事につなぎとなる繊維質が足りないためです。パンや麺類などの小麦粉食は、腸のヒダに詰まりやすいので、玄米や雑穀を主食に切り替えてください。慣れない方は白米に混ぜるところから始めましょう。
2,便が黒っぽかったり、よくこなれていない方は、とにかくよく噛むことを心がけてください。そして毎回腹一杯食べないように!腹6分食を心がけると、腸の負担が減少します。
3,便に悪臭がある方は、動物性食品(肉、牛乳、卵、魚)を消化酵素の割合以上に摂りすぎている可能性があります。真夏にお肉を放置すれば、すぐに腐るように、日本人の腸は長く、腸内でのお肉の滞在時間が長いために、摂りすぎればどうしても腸内で腐敗しやすくなります。このような状態では、腸内の免疫が正しく働きません。
4,トイレの滞在時間が長く残便感がある方・・・冷たい物を摂りすぎて腸が冷えていたり、ストレスや時間に追われた食事により、腸がリラックスできていない状態にあります。ながら食いや、イライラしながらの食事は絶対に避けてください。
 いかがでしたか?これからは、朝の便りから体からの信号を受け取り、体をいたわってあげてくださいね!
 
(薬剤師、薬食同源アドバイザー 高田理恵/絵:そねたあゆみ) 2013-01

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小寒からの養生法

 あらためて、新年おめでとうございます。今年も一年、無病息災でありますように!!

 さて皆様お正月はいかがお過ごしでしたか? いつもは養生している方でも、お正月はついつい食べ過ぎて、体重も少し増えたのでは?

 私は、500ccのお弁当箱を用意して、お節もそこへ取り分けて、それ以上は食べな いように工夫していました。お弁当箱の半分が玄米ご飯、残りの半分の内の3分の2が野菜類、3分の1がお肉や魚や豆類と決めて取り分けました。(この詰め方を守ると500ccでほぼ500キロカロリ ーなんですヨ♪)

 お寿司の時も、すき焼きの時も、お弁当箱に取り分けていただきましたので、3が日で600グラムの体重増加にとどまり、2日で元のレベルに戻りました。

 お肉やお魚などの動物性タンパク質を摂りすぎた方、揚げ物などを多食してしまった方は、今が解毒のチャンスです。

 切り干し大根と干し椎茸のスープをいただいて、半身浴しましょう。

  作り方は簡単♪

切り干し大根3:干し椎茸1の割合で併せた量の4倍の水を入れ20分ほどコトコトと煎じます。この煎じ汁をお湯のみ1杯飲んで、半身浴しましょう。このスープの成分は油の代謝を高めて排泄してくれる他、水銀や鉛などの有害金属も体外に排泄します。

 腸内免疫を整える働きもあり、消化器系のガンや消化器に炎症がある方にお勧めです。 勿論、ダイエット効果もバッチリ!

しっかりと解毒をしつつ、体を補ってゆきましょうね。

(薬剤師、薬食同源アドバイザー 高田理恵/絵:吉田あゆみ) 
2012-01


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高齢者にもオススメ☆アロマセラピー

若い女性を中心に人気のアロマセラピー。キャンドルやアロマポットで芳香浴をしたり、入浴時にお風呂に入れたりなど楽しみ方はいろいろ。いい香りが好きだから、という理由でやっているという方もいらっしゃるかもしれませんが、実際、香りによって精神を安定させたり、元気になれたり、集中力が高まったり…と、いろんな効果があるんです。

そんなアロマセラピー。若い人だけのものにしておくのはもったいない!高齢者の方にもオススメなんです。香りは記憶に影響を与え、出来事と結びついて記憶に残ったりするので、痴呆症の防止にも役立ちます。

使い方としては、上で紹介したような基本的な使用法の他にも、例えば寝たきりの高齢者の方の介護をされている方が、手のひらに少しだけラベンダーのアロマオイルを塗って香りを付けて、高齢者の方の手などにそっと触れてみてください。ラベンダーは直接肌に塗っても大丈夫なオイルで、精神安定などの効果があるのでホッとして安らいだ気持ちになれます。介護者も同時に癒されるいい方法です。鎮痛作用などもあるので痛みのあるところなどをさすってあげるのもいいかもしれません。体を拭いてあげるときに温かいお湯に1~2滴ラベンダーなどのオイルを入れて、それをしみこませたタオルで拭いてあげたりしてもいいですね。

高齢者の方は不安になったり落ち込んだりしがちです。そんなときは素敵な香りで包んでみてはどうですか?

(※アロマポットやキャンドルなどを使用する場合、火の取り扱いに十分ご注意ください。火が気になる方はマグカップなどにお湯を張り数滴たらしておいて置くだけでも香りは広がりますのでお試しください。また、人によっては特定の匂いに対してアレルギー反応が出る方もいらっしゃいます。異常が現れたらすぐに使用を中止してください。)

(コラムニスト成宮わたる/絵:吉田たつちか)2006.1


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話し上手より聞き上手

一般に、「話し上手より聞き上手」と言われます。

 この点で、誰だったか明治期の人の回想記において、「話し上手であるけれど、同時に、聞き上手・・・という人は、意外と少ない」というものがありました。

 なるほど、「雄弁は銀、沈黙は金」と言いますが、確かに金銀併せ持っている人というのは、周囲を見回しても、そう多くはないようにも思います。(私の取引先にも、来訪してくるるのはいいけど、延々と話し続けて、著しく業務に支障が出る人がいますが、そういう人は、話すばかりで落ち着いて人の話を聞くことをしませんよね。)

 その意味で、この明治人は、その、数少ない、「話し上手にして聞き上手」の両方を持った人の代表として、福澤諭吉を上げておりましたが、この、「金」と「銀」の兼ね合いこそ、現代の日本人に求められる物ではないでしょうか。

 最近、よく、国際化時代に置いて、外国、特に、アメリカ人やラテン系の人などから、「日本人は自己主張がなさすぎる」というような指摘があります。

 先日も、フランス在住経験がある、知り合いの女性と話していたところ、彼女が居たのは、フランスはフランスでも、南仏だったようで、向こうの人たちは、映画「トスカーナの休日」などでも見られるように、 うかうかとは道も歩けないほどに「礼儀として口説いてくる」のだそうです。だから逆に、日本人男性と結婚して日本にきたフランス人の友人などは、まったく、声を掛けられないので、「私って、それほどに魅力がないのか」と落ち込んでしまう・・・のだとか。

 でも、そんなこと言われたって、こちとらは、「雄弁は銀沈黙は金」とか、「武士は片頬三年」(武士は、三年に一度片頬をかすかに動かす程度の笑いで十分。)などという言葉にこそ価値を置いて来たわけで、それを「日本人はおとなしい」とか、「もっと、積極的に」などと言われても・・・。

 それに、「本当にあなたたちの価値観で間違いないの?」って気もしないでもありません。実際、交渉ごとなどでは、話しすぎるのは相手につけ込まれる隙を与えるだけだし、中国の古典などには、「交渉の時には、表情を読まれないように目は薄開きで話すべし」などと述べられているくらいで、私に言わせれば、あのラテン系の無駄な明るさは、確かに、多民族社会では融和を促す面もあるのでしょうが、同時に、他民族につけ込まれる隙を与えていることにも繋がっているような気もします。

 だからと言って、我々の日常で笑いがないわけではないのですが、彼らから見ると、「日本人は日常のジョークやユーモアには不慣れ」であり、欧米人から、「日本人のサラリーマンを月曜日の朝笑わせるには金曜日の夕方ジョークをいえばいい」などというブラック・ジョークを言われるのも、ちと、心外な気もします。

 ガイジンの皆さん、もし、日本人の庶民の笑いを知りたければ、いつでも、私が一献、お相手仕りましょう。殆ど、何がおかしいのかわからないと思いますが・・・(笑)。

 

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2010-01


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タコの吸盤がロボットを進化させる?

 関西大学が研究開発したタコの吸盤を模した真空グリッパが話題になっている。
 海に潜ってタコを捕まえたのはいいが、手に巻きついて離すのに往生したことがある。また、韓国釜山の魚市場で、買ったばかりの小さいタコをその場で調理してもらい、生で食べたことがあったが、その時も口の中でタコの足が吸い付いて食べづらかった思い出がある。
 タコの吸盤機構は吸盤と漏斗部とで構成されており、まず漏斗部の筋肉を使い漏斗部が対象物に張り付き、密閉した空間ができたところで吸盤の筋肉を使い吸盤内部の空間を広げ負圧を発生させ、外部との大きな差圧により高い吸着力を実現していているのだという。
 この原理を真似て、薄膜状の吸盤をもつグリッパを作った。吸盤内部は真空ポンプへとつながっており,吸盤内部の圧力を下げることができる。そのため、吸盤を把持対象物に密着させ吸盤内部の圧力を下げると,大気圧との圧力差により対象物を把持できるというもの。
 これの何がすごいかというと、一般的な真空吸着と異なり吸盤内部の排気系と大気が膜によって遮断されているためリーク(漏れ)がないので、吸盤が対象物に接触していなくても、全ての吸盤内部の圧力を下げることができるので、凹凸のある対象物を把持できる。さらに吸脱着の制御が 1 つの真空計と 1 つのバルブの切り替えだけで済むので装置の設計が簡単。しかも、排気系が大気とつながっていないので,ごみが排気系に詰まることによる吸着力低下も無いのだという。
ハンドをシリコーンゴムなどの柔軟なもので作製することにより①凹凸があっても吸着できる②対象物が球面であっても、球面に沿って吸着できる③対象物が傾いていても吸着できるので、どんな形状のものでも吸着~移動出来ることになる。
 この、グリッパを使えば、ロボットアームにより人間に近い働きをさせることが可能になり、オートメーション装置が飛躍的に進歩することが期待できる。

 鳥を真似て飛行機を創り、蜘蛛糸や絹糸を研究してナイロンを発明するなど、人間は自然界に学んで、科学を進歩させてきた。すなわち、科学が進歩すれば進歩するほど神に近づいてきたといえる。
 近年、電子顕微鏡の性能が飛躍的に進歩したおかげで、動物や植物を研究してその不思議な能力を真似して発明品につなげようとする研究が盛んになっている。そんなことを思いながら、野山に出て、植物や動物を慈しみながらの散策は楽しい。
(ジャーナリスト 井上勝彦/絵:そねたあゆみ)


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10のものを10発揮する努力

 いつもの手前勝手な持論を言わせて頂くなら、「私の拙い経験の中での話で恐縮だが、企業の中で、10の力を10発揮しているところは少ない。多くが、10のうち7くらいの力しか出し切れていないように思う。であれば、10のものを12にしようと努力するよりも、7のものを9にしようとする努力の方が、よほど、実現が用意なのではないだろうか・・・」というものがあります。

 平たく言えば、「10のうち、7しか力を発揮してない組織に9の力を発揮させようとする努力」だと言えるでしょうが、そういうと、「じゃあ、具体的にどういうことを言うんだ!」とお叱りを頂戴するかも知れません。

 具体的に、その一例として挙げるのが、元帝国陸軍大本営参謀から、伊藤忠商事最高顧問に転身し、土光臨調の参謀長にまで登り詰めた瀬島龍三という人がいますよね。

 この人を「偶像化」したのが、山崎豊子氏の小説『不毛地帯』で、その主人公のモデルに擬されたことだと、保阪正康著 「瀬島龍三―参謀の昭和史」などでは言われています。

 この人は、伊藤忠入社後、帝国陸軍の参謀本部を模した「瀬島機関」と呼ばれる部署を作り、自ら、それを率いて伊藤忠を総合商社に育て上げていったことは周知の通りでしょうが、一方で、私が学生時代に大いに影響を受けた元陸軍参謀で兵法評論家として知られる大橋武夫氏は、当然ながら、氏とも交流があり、「不毛地帯」で描かれたところの第三次中東戦争における情勢分析について、その圧巻として述べておられました。

曰く、「①イスラエルが勝つ ②短期間で終わる ③スエズ運河は閉鎖される」と。

 当時、大方の予想は、すべて、その逆であったにも関わらず、瀬島氏はこれをすべて的中させたそうですが、中でも特に人々を驚かせたのが、③を的中させたことだったそうです。①と②は、ある程度、軍事的な知識を持った人なら、まあ、わからないでもないと言いますが、③は、さすがに、誰も予測出来なかったとか・・・。

 瀬島氏に、それが予測出来た秘密こそこの稿の本旨なのですが、それはむしろ、「人の気持ちなどわからない」と言う観があるエリート参謀の出で、伊藤忠入社後も、企業内参謀本部を作った男の発想とは思えない着眼点でした。

 氏は、伊藤忠商事に入ってすぐに、トントン拍子で出世していったわけですが、副社長になったとき、彼は、自ら世界中の伊藤忠の支店、営業所を廻ったのだそうです。

 中には、アフリカなど、あまりに辺鄙な場所で、存在自体、忘れられたかのような営業所などもあったそうですが瀬島氏は、ちゃんと、そこの駐在員を訪ねて廻ったと言います。

 でも、訪ねて来られた方としては、突然、そんなところへ、本社のお偉いさんが訪ねてくるなんて、「何かあるんじゃないのか!」と、当初、疑心暗鬼になって、これを迎えたそうですが、粗末な駐在所で共に夜を徹して話し込み日本から持ってきた酒を酌み交わすうち、段々と、皆、心を開くようになったとか。

 彼らにしてみれば、一番、耐えられないのが、「自分は忘れ去られている」と思えることだったでしょう。本社にどんな情報を送っても本社からは何も言っては来ないし、来るはずの交代要員も来ない・・・。

これでは、「俺は忘れられて居るんじゃないか・・・」という気持ちにもなろうというもので、それは即ち、商社にとって命綱とも言うべき情報の末端神経が機能不全を起こすことを意味するわけです。

 瀬島氏は、彼らに、「何を言ってるんだ!会社は、おまえを頼りにしているんだぞ!」と言い、あるいは、「心配するな!本社に、この瀬島が居る限りは・・・。」みたいなことも言ったでしょう。

 これで、奮い立った、これらの営業所から送られてきた情報を基に、瀬島氏は第三次中東戦争を分析し、伊藤忠に莫大な利益をもたらしたわけです。

 10のものを10発揮させる努力・・・、おわかり頂けたでしょうか。(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)

2013-01


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占いと迷信と星占い

  私は占いや迷信などという物は受容し難い人間なのですが、かといって頭から全否定したりもしません。
 自分なりに検証し、その上で、明らかにおかしい物、もしくは時代に適合していないと思える物については顧みる必要はないと思っているのですが、たとえば、昔から、「箸と箸で直接、食物の受け渡しをするのは死人が出たとき」などというのは「そういう不確実な形での食卓での受け渡しを戒めたもの」であり、「夜に笛を吹くと蛇が来る」などというのは、昔は今と違って日が暮れると寝るのが当たり前でしたから、笛なんか吹くとやたら響いて隣近所に迷惑になるということだったのではないかと。
 その意味では、占いもまた然り。占いの多くは、要は「その傾向がある」ということではないかと思います。
 たとえば、血液型にしても、以前、プロ野球前楽天監督の野村克也氏は「名球会は不思議とO型とB型ばかり」と言ってましたが、O型はともかく、人口比では日本人の2割しかいないはずのB型が多く輩出しているというのは、やはり、そこには何らかの「傾向」があるのかもしれません。
 ただ、これも行きすぎるとおかしなことになるようで、昔聞いた話で、ある会社では社長が常々、「O型以外の社員はダメだ」と言っていたことから、その会社の管理職は全員O型だったそうですが会社が吸収合併されて社長が変わったら、なぜか、昨日までO型だった人たちの殆どが別の血液型になっていたそうです。
 同様の本末転倒の話は、手相にもあるようで、韓国では手相の整形も流行っているそうです。でも、手相などというものは私的には、人間の生活の少なからぬ部分を占める手のひらの動きという物に着目した「傾向判断」であり、つまり、「力強く、積極的に掴んでいる人は成功しやすい」とか、「繊細なタッチでゆっくりとした動きをしている人は好かれやすい」・・・などという類のことなのだろうと思っております。(「手相は左手で見る」などというのは、右手は利き腕であることが多く、その意味では左手は手相が変化しにくい、つまり、その人の本来の気性が残っていることが多いということで、従って、右手は後天的、左手は先天的といえるでしょうか。)
 だから、手相を整形すれば開運、ひいては成功できるということではなく、日頃からそういう手のひらの動きをするように心がければ良いんです。
 この点では、以前、あるアメリカ人の専門家が血液型について聞かれ、「ばかげている」と言ってましたが、続けて、「でも、アメリカ人も人のことは言えない。アメリカ人は血液型は信じないけど星占いを妄信している」と言い、その筆頭が当時、退任して間もなかった「レーガン大統領夫妻だ」と。
 ちなみに、私が明らかにまったく理解できないのがその星占いでして・・・。だって、何千光年離れた天体がピンポイントで一定の人の運命に関係性を持つ・・・というのはどう説明されても理解できません。

(小説家 池田平太郎)2011.01


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敗北を免れる妙法

 良寬という人の名言に、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これが災難をのがるる妙法にて候」というのがあります。この点は、国家においても、同じ事が言えるのではないでしょうか?

 昨今の日本外交の閉塞感に伴い、感情論ばかりが先走る国内世論・・。これらの人たちは、論拠の是非以前に、対中・対米などのすべての関係でもしやするとすべてに勝とうと思っているのではないでしょうか?すべてに勝つなどというのは、日本のような小国にとって、普通に考えれば出来得る話はないのですが、そう言うと大体、返ってくるのは、「アジア諸国との連携を深めて中国を牽制すべきだ」、「EUと結んで、アメリカに対抗するべきだ・・。」などというような安直な意見です。

 日清戦争後の三国干渉の際も、ときの明治政府の選択肢としては
①拒否
②列強のバランスオブパワーをうまく利用して回避 
③受諾・・・の三つがあったと言われていますが、この中で、もっとも厄介なのが②だと思います。
②は、一見、良さ気に見えますが、国家間の利害というものは、確かに、自国の利益の為に第三国を排除してくれることもありますが逆に、「強きを助け、弱きをくじくことで利を得る」場合もあり、また、仮に排除してくれたとしても、その国も別にボランティアで排除してくれたわけではないのですから、その国が送り狼になってしまう・・・ということも無いわけではなく、実際に、そうなってしまったケースも決して少なくはなかったようです。

 無論、ナポレオン戦争後の「会議は踊る」で有名なタレーランの例もないわけではありませんが、これは、極めて苦肉の策的なイレギュラーなケースであり、あまり、国家指導者が取るべき対応としては現実的だとは言えないでしょう。(そもそも、日本は先の大戦に負けたときから、アメリカの軛の下に置かれているわけで、それから抜け出したいのなら、もう一度、戦争してアメリカに勝つか、アメリカの力が弱まるのを待つしかなくだとすれば、嫌な目にあわされようが、信長に我が子の首を差し出した家康よろしく、とにかく、我慢するしかないように思います。)

 そして、この点で、欧米列強の侵略に対して、独立を守ったタイの対応と並んで、好事例のひとつとして挙げられるのが、第二次大戦中のフィンランドの指導者、マンネルハイム元帥の「勇気ある妥協」です。

以下、我が敬愛する大橋武夫氏の著書「ピンチはチャンス」から一部、抜粋しますと、
<1939年9月1日、第二次世界大戦勃発とともに、ソ連はフィンランドに対し以下の条件を強硬に要求してきた。
①カレリア地峡の国境より40kmほどの部分の領土割譲。
②フィンランド湾内の四島の譲渡。
③ベツモア地区内の漁夫半島の譲渡。
④ヘルシンキ西方120キロのハンコウ湾にソ連海軍基地設置。
これに対し、当時、フィンランド軍を指揮していたマンネルハイム元帥は「承知せよ」と進言したが、政府はこれを拒否。そのため同年11月30日、ソ連は50万の大兵をあげて、フィンランドに侵攻してきた。フィンランド軍13万は、マンネルハイムの指揮のもとに、雪と複雑な地形を利用して善戦し、ソ連軍に20万もの損害を与えて大いに苦しめたが、頼みにしたスウェーデンの援助もなく、国際連盟の仲裁も実効がなくて、漸次苦境に陥り、衆寡敵せず、翌年2月、マンネルハイムの切なる進言を納れて、ついに無条件降伏した。このときの、ソ連側の和平条件は、
①カレリア地峡の割譲。
②ラドガ湖北岸地帯の割譲。
③ペツアモ地方の割譲。
④ハンコウ半島の譲渡。
という、当時のフィンランド大統領が発狂したほどの苛酷な条件を押しつけられた。結局は、無駄な血を流して、和平条件を厳しくしただけ・・・という結果に終わったわけで、開戦前に、マンネルハイムの進言に従うべきだったのである。
1941年6月22日、今度は独ソ開戦となるや、フィンランドは進攻してきたドイツ軍とともにソ連を攻撃することになり、フィンランド軍は8月末には1940年に失った領土を回復。マンネルハイムは将来のことを考え、「ここで停止する」と強硬に主張したが、ドイツ軍はこれを許さず、フィンランド軍は東カレリアを攻略してムルヤンスク~レニングラード鉄道に迫るという有利な態勢となった。
1944年1月、ドイツ敗退に伴いソ連軍は逆襲に転じ、6月、カレリア地峡の国境を突破したため、フィンランド軍は苦戦に陥り、8月1日、リーティ大統領は辞任し、後を受けたマンネルハイムは9月14日、ソ連と停戦協定を結んだ。
主なる条件は、
①ポッカラ地区(ヘルシンキ西南万)地区を50年間ソ連に租借させる。
②オーランド諸島(フィンランド湾出口)を非武装化する。
③ペツモア地区をソ連に割譲する。
④3億ドルの賠償金を6年以内に支払う。
⑤1940年の国境を認める。
9月19日、フィンランド国会は200人中108人の賛成をもって、涙をのんでこの降伏条件を受諾し、マンネルハイムは「神よフィンランドを救い給え」の末文で終る停戦命令を発した。フィンランドは勝てなかった。しかしマンネルハイムの「善戦をバックとする勇気ある妥協」によって、ソ連軍による軍事占領を辛くも避け、ともかく息の根をとめられることだけは免れた。小国のとるべき国家戦略として学ぶべきものが多い。>

 マンネルハイム元帥は、出来ないことをやらずに、出来ることの中で精一杯のことをやったと言えるのではないでしょうか。

 「天皇の世紀」というドラマの中で、薩英戦争後の御前会議において、強硬派の面々は、敗戦を認めることについて、「されば、薩摩の面目は如何する!薩摩の威信は地に落ちるぞ!」と迫る場面がありました。これに対しての、劇中での大久保利通の言葉こそが、すべてを総括しているように思えます。

「威信が地に落ちても良かとやごわせんか。最後に勝てば良かとやごわせんか・・・」これこそが、「敗北を免れる妙法にて候」ではないでしょうか、御同輩。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田あゆみ)
2011-01

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具体的に国民に提示する能力

「三国峠をダイナマイトでふっ飛ばせば新潟に雪は降らない。そしてその土を日本海に運んで佐渡と陸繋ぎにしよう」

これは、言うまでもなく、故田中角栄元総理の、初立候補の折の発言ですが、このことの現実性は別にして、私は政治家とはこういうふうに、たえず、国民に「具体的な形」で訴えていくべきものだと思うんです。

マキャベリは「民衆は抽象的なことには判断能力を有さないが具体的なことには割と的確な判断をくだす」と言いましたが、だからこそ政治家と名が付く立場の人たちがやるべきは、「どうせ言ってもわからないんだから、愚民に説明しても無駄」・・・ではなく(最近は随分、マシになってきましたよね。)、争点を極めて具体的な形にして国民に提示してやるべきだと思うのです。つまり、そこまでが民主主義国家に置ける政治家の仕事だ・・・と。

吉田 茂元総理の「戦争に負けて外交に勝つ」などは、それほど、具体的な形を有しているわけではないものの、敗戦にうちひしがれていた国民をハッとさせるには充分だったと思われ、その意味では、「具体的」な範疇に入れても良いものだろうと思います。(岸 信介元総理の「日米新時代」なども、その是非はともかく、その類に入れて良いでしょうか。)

逆に、池田勇人元総理の「所得倍増」などというのは一見、わかりやすそうに見えて、いざ、じゃあ、どうやったら俺たちの所得が倍になるの?という点では極めて曖昧模糊としており、それでは国民に提示する上では具体的なものだったとは言い難いでしょう。(さらに、村山富市元総理の「人に優しい政治」・・・などに至っては、もう、曖昧以外の何ものでもない)

この点で、小泉純一郎元総理のやりかたを「小泉劇場型」などという、単なる奇術、詐術の類いだと言わんばかりに批判・・・というより、見下すような有識者と名が付く人々が居ますよね。ですが、小泉さんの郵政解散などは、事の是非はともかく、極めて、主張が明確でわかりやすかったですよ。

「国の財政が破綻しかかっているときに、どうして、20万人もの郵便局員を公務員にしておかなければならないのか?」と。「民間に任せられる部分は民間に任せればいいじゃないか。どうして、国でやらないといけないのか」と。

その意味で言えば、郵政解散に置ける野党の大敗というものは、「ろくに自分で判断など出来ない愚民どもが劇場型政治に躍らされた結果」などと言うのではなく、野党には小泉さんほどに政策を具体的な形で提示できる人がいなかったがゆえの敗北・・・と見るべきでしょう。政治家は、課題というものを絶えず具体的な形にして国民に提示する能力が求められているのだと思います。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2009.01


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3本の鼎(かなえ)

組織を支えるには最低3本の鼎(かなえ)の足がいると思います。

国家に当てはめてみたとき、それは「軍事、経済、外交」となり、その中の軍事だけをあてはめてみたなら「作戦、補給、情報」となるのでしょう。

これを企業にあてはめてみると、「技術、経理、営業」となります。

ただ問題なのはこの3つの足は本質的に仲が悪くなるようになっているということです。

何故か?

それはひとえに視野の狭さからきていると思います。

営業は売れたら「俺達の営業力」、売れなかったら「こんなもの作った技術が悪い」。

一方、技術はその逆のことを言うし、経理は経理で、「自分達の資金繰りで支えているのに、我々には陽があたらない。」とこぼす。

これは、偏に色んなセクションを経験してないから起こることだと思います。

経理にも営業を経験させた方がいいし、技術屋ももっと経理のことがわかるようにさせるべきだ。よくある、入社以来、「何とか畑」一筋となどというのは、旧帝国軍人のような視野の狭い人間を生む要因となるのではないでしょうか?

「人、金、物」と言ってしまえばそれまでですが、この三本の柱がバランスよく立つ必要があり、どれか一本だけが突出したり、極端に短いとそのテーブルは安定せず、倒れてしまう可能性があります。

その意味で、戦前の日本は軍事のみが突出しており、戦後は経済のみが突出したいびつな形になっており、決して正常な形態をなしているようには思えません。

今日でも、経済で発展を謳歌しても、軍事的に無力では、外交的発言力も低下せざるを得ないし、外交の失敗は、経済にも影響し、国民の生活を直撃する。オイルショックがいい例でしょう。

にも関わらず、日本人は、誰も自国を防衛しようということを提唱しようとしないし、外交にも興味がない。人は、船が沈みかけても、いや、沈みかけているからこそ、自分の一等船室にしがみつくものなのでしょうか。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2007.1


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内戦と寛容

「我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば
            煙は薄し 桜島山」
 郷土、筑前福岡藩が生んだ数少ない勤王の志士、平野国臣の句です。聞いただけで勇壮な気分になるような、まさに名句と言っていい一句ではないでしょうか。
 さて、以前、福島県の友人と一緒に鹿児島へ行った折、「おまえら薩長は敵じゃないのか?」とからかったところ、彼ら曰く、「いや、薩摩はまだいいんだ。会津の恨みが激しいのは長州に対してなんだ」とのこと。
 これは私には少し意外で、「長州は最初から敵だったからまだいいけど、薩摩こそ途中から裏切った怨敵」と聞いておりましたので。その旨を言ったところ、「戊辰戦争における会津の恨み」というのは、戦争その物よりも、戦後、勝者である長州軍が、会津側戦死者の遺体を埋葬させなかったからだそうで、これこそは、即ち、戊辰戦争というものが「内戦」という意識が当事者間にカケラもなかった戦争だったと言うことだったと思います。
 内戦というものを戦う上では、忘れてはならない、一つの重要なキーワードがあります。それこそが、「寛容」というものです。
 これは、何も内戦に限ったことではなく、戦後も、そこを自国の領土として併合する意図がある場合などでも同じです。
 この点は、数々の内戦を繰り広げてきた古代ローマ人の戦いにこそもっとも、顕著に表れていると思います。
 即ち、異民族、蛮族など、自分たちに同化しようとはしない外敵には、見せしめというものが必要ですから、皆殺しなどの残酷な措置が必要ですが、同胞には、どのような抵抗があろうとも、「寛容」というものを忘れてはならず、ローマ人の歴史は、内戦においての寛容というものの重要性を、見事なまでに我々に教えてくれています。
 ローマ時代における最大のスーパー・スター、ユリウス・カエサル(シーザー)は、どれほどに抵抗が激しかろうと、戦後はすべてを忘れたかのように、敗者に対して恐ろしいまでに寛容でした。
 それは、ある意味、当然のことで、内戦が終わったら、元の通り、皆、同じローマ人として暮らしていかねばならないわけですから、自分が戦後、国をまとめていく立場に立つことを考えたならば、妙な遺恨を残してしまっては、逆に統治の妨げになるわけで・・・。
 となれば、寛容というものが、内戦を戦い抜く上においては、結果的には、もっとも有効にして、もっとも効果的、もっとも安上がりな政策となってくるわけです。
 この点では、現代の旧ユーゴスラビア紛争の指導者の一人であったミロシェビッチ氏が、元々、分離独立を許さないと言うことで内戦をスタートさせたはずなのにエスニック・クレンジング(民族浄化)などという一番愚かな手段を用いてしまったことを思えば一番わかりやすいでしょうか。
 ローマに話を戻しますと、ローマ帝国末期、帝国は四人の皇帝が分割統治する時代を迎えますが、ここで、さらに四人のうちに入れなかった先代皇帝の息子が一人、本来の本国であるイタリア半島で勝手に即位宣言したことから、時代は分割統治から群雄割拠の色合いを強くしていきます。
 即ち、誰がこの、「帝位を僭称した皇帝」を討つか・・・ということになり、最初に攻め込んだ皇帝は、諸都市の固い叛意の前に、逆に敗死・・・。次に攻め込んだ皇帝は、抵抗する城塞都市を殲滅し、見せしめとすることを選択しますが、逆にその情報はいち早く、イタリア半島全体に伝わり、他の都市を死に物狂いにしただけとなり、その皇帝は撤退を余儀なくされた・・・と。
 そして、最後に攻め込んだ皇帝は、叛乱に立ち上がった諸都市に対し、「罪は問わない」と宣言し、激しく抵抗した都市も撃破した後は誰一人、罪を問われなかったそうで、その結果、これが伝わるや、諸都市は戦わずして城門を開き、覇業に大きく前進したわけで、この皇帝こそが、後に大帝と呼ばれるコンスタンティヌスであった。
 次に、「内戦と寛容」というものについてですが、日本の戊辰戦争の時に、誰もその理屈に気づかなかったのかというと、そんなこともないわけで、西郷隆盛は賊軍でありながら、最後まで官軍相手に勝ち続けていた庄内藩の戦後処理に寛容を持って臨んだと言います。
(この藩だけは、結局、最後まで負けないままだったそうで、哀しいかな局地戦であったがゆえに、賊軍の本丸である、会津と仙台が降伏したことを知り、もはやこれまで!ということで、やむなく降伏したと。ちなみに、このとき、庄内藩に負け続けたのが新政府側に付いた秋田藩で、救援に向かいながら一緒に敗走を重ねたのが我が筑前福岡藩だったという・・・。)
 庄内藩士は、西郷のその温情に感謝し、その後、西南戦争勃発の時には、北の果てよりはるばる南の果ての南九州まで駆けつけ、西郷軍に合力したとか・・・。
 逆に、会津戦線では、新政府軍は、寛容を持って臨まなかったがゆえに、西南戦争の折り、旧会津藩士が多数、新政府軍として参戦したと言います。(5.15事件で暗殺される後の総理大臣・犬養毅は、このとき、従軍記者としてその胆力を大いに発揮し、両軍の前線兵士から多くのインタビューをとってきたとそうですが、その中に、ある会津出身の新政府軍兵士の言葉として、「会津人の剣、疾きか鈍きか!薩摩人に聞かん!」というのがあったと言います。)
 もっとも、古代ローマにても、必ずしも、カエサルやコンスタンティヌス大帝のように内戦というものの定義を理解した戦い方をした人物ばかりだったわけではなく、初代皇帝・アウグストゥスよりの皇統が途絶えた後に起こった内戦においては、勝った方の方面軍が破れた方の方面軍を辱めたそうで、となれば、次の内戦が勃発した際には、会津人の西南戦争参戦よろしく、負けた側の方面軍は勇んで参戦し、結果、勝者と敗者が逆転し、そしてまた、敗者に同じような辱めを与えてしまったとか・・・。
 内戦とは、外敵を撃退することよりもデリケートなものだということなのでしょう・・・。

(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)

 


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戦争を知らない時代の老武士が殺気を知る太平の世

昔、昭和48年(1973年)に放送されていたテレビドラマに、「大久保彦左衛門」というのがあったのですが、覚えておられますでしょうか。

このドラマは、主演の老旗本・大久保彦左衛門に進藤英太郎、魚屋で、その一の子分・一心太助に関口 宏という配役だったと思うのですが実はそれほど詳しく覚えておりません。

元々このドラマ自体、多分、祖父が見ていただけで私はそれほど熱心に見ていたわけではなく、この回にしても、風呂に入ったか何かでその場面だけを見ただけでしたが、30年以上経った今でもはっきりと記憶に焼き付いているある一場面があります。

それは、元武士上がりの魚屋、一心太助が、何かの話で、妻から「どうして、あんたにそんなことがわかるのさ!」と言われ、少し、詰まりながら

「そ、そりゃぁ、おまえ、あれだよ、殺気ってやつだ」と。

「ふん、あんたに殺気なんてわかるのかい!」

「俺だって、元は武士だ。いざって時には、殺気でピピーンとくるのさ」と。

で、その夜、太助の家に泥棒が入り、奥さんが気づいて、慌てて、大騒ぎして泥棒を撃退したところ、布団を見れば太助は高いびきで寝ており、怒った奥さんから、「なーにが、殺気だかねぇ」とつねりあげられると。

で、場面は変わって、同日同時刻の大久保彦左衛門の屋敷・・・。

物音一つしない、大きな座敷で独り寝ていた老武士・大久保彦左衛門が、突然、跳ね起きて、鴨居の上に掛けてあった槍を手に取るなり、障子を開けて、縁側に仁王立ちになる・・・。

「何事で御座りまするか!」と言って慌てて駆けつける家臣に、「わからぬ。わからぬが、そこに誰か居おった」と。

「誰もおりませぬが」という家臣に対し、汗を浮かべながら、「いや、殺気を感じたのじゃ」と、まあ、こういうシーンでした。

確か、このときの、その怪しい奴というのは、徳川家によって大阪夏の陣で滅亡させられた豊臣家の旧臣で、最後の豊臣家当主、豊臣秀頼の子供をかくまっているという設定だったと記憶しておりますが、それはさておき、思えば、このドラマの設定は、すでに、三代将軍家光の治世で、二代秀忠がすでに没していたことを考えると、おそらく、1635年頃の話だろうと考えられます。

となれば、この時代、最後の戦争となった大阪夏の陣からでもすでに20年、その前の、事実上の戦国最終戦争である関ヶ原の戦いからだと35年が経っていたわけで、人間の寿命が50歳と言われ、40歳になると隠居していた当時からすれば、戦争というのは遠い昔の出来事になっていたわけですね。

(関ヶ原当時、15歳だったとしても、ぎりぎり、生きているかどうか。)

無論、架空のドラマですから、一々、真に受けるわけではありませんが、ただ、考えさせられる話ではありました。

つまり、現代の日本と一緒で、戦争を知っている人たちというのは、皆、わずかな老人たちだけであり、本当に戦場を知っている侍というのは殆ど居なかったわけですね。

ちなみに、あるマンガで、夜中に、東京タワーを警備していた警官隊へのテロが行われたときに、付近の住宅で寝ていた老夫婦が、この、ただならぬ物音に目を覚まし、夫人が怯えた声で、傍らの夫に、「お父さん、あの音、何でしょうか?」と言うと、夫は寝たまま、「ああ、あれは機関銃の音だ。昔、南方で聞いたよ」と平然と答えるというシーンがありました。

平和は尊い物です。永遠に続く限りは。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2008.01


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ATMちょっと便利な利用法

何かと私達がよく利用することのあるATMですが、以外と便利な使い方があるようです。
まずよく私達が思うのが千円札で現金を引き出したい時。千円札だけ欲しい時もあれば、一万円札と千円札両方必要な時もあります。私もつい最近まで『4千円』とか『9千円』というようにATMのタッチボタンを押していました。

でもこれからは金額入力の時には『10千円』と入力してみましょう。

千円札が10枚出てきます。

一万円札が1枚と千円札が10枚必要な時は、『1万10千円』と入力しましょう。応用として硬貨が必要な時はどうでしょう。これも円単位まで入力すれば硬貨も別の所から出てきます。

次に現金で自分の口座に入金をする際に、入金したい金額は7千円なのに手元には一万円札しかないという場合。こんな時にも方法はあります。

紙幣を機械に入れた後に、「全額入金」「一部入金」のボタンが表示されるので、「一部入金」を指定します。その後に預入金額を7千円と指定すると、7千円が入金され、3千円がおつりとして返ってきます。

みなさんもご利用になってみてはいかがでしょうか?。

(コラムニスト ディック・ハンター/絵:吉田たつちか)2005.1 


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