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プロローグ  昼下がりのコール(1)

「車、買ったんです」

 という順次の言葉に、麗子は「はっ」と緊張が、走るのを覚えた。
  
「乗ってくれますよね?」

「ええ、そうねえ」

 麗子は、くちごもった。

 サンドイッチにティー、フルーツという昼食を済ませたすぐ後の、電話だった。
 
 しばらく前に、
「今、免許をとりにいってるんです。車、買ったら一番に乗ってくださいね」
「あら、あたしでいいの?」

 そう、軽口で答えたのを思い返した。

 

 順次は、長女の由真の家庭教師である。
 
 小学校三年の由真は、大手進学塾の「プレ・スクール」に通わせている。
 
「家庭教師もつけよう」
 と言いだしたのは夫である。
 
 義姉(アネ)に頼んで紹介された「順次」に、いっぺんで惚れ込んだのも、夫である。
 義姉の長男の後輩で、名門の国立大学に「現役」で合格した秀才。
 その肩書きが気にいったのだろう。
 すぐその日に、採用を決めた。

 


プロローグ  昼下がりのコール(2)

 麗子には、まだ18歳の「順次」が「子供っぽく」見え、頼りなく思えたのだが。

 順次は「優秀」な家庭教師だった。
 
 由真の信頼もすぐに勝ち取ってしまった。


「軽ですけれど、新車なんですよ」
「新車なの?すごいわ」
「・・・塾の講師もやってますし。けっこう稼ぐんですよ。可愛い車です」

 順次は、たたみかけるように、

「今から、お迎えにいきます」
 そう言った。

「え?これからすぐに?」

 麗子は「戸惑い」を覚えた。

「初めて乗せるのに、ガールフレンドでも誘ったら?」

「・・・約束したじゃないですか」

「・・・」
 言葉に、つまった。

「何か、ご都合があるんですか?」
 順次の明るい声が、少し曇った。
 
 黙ってしまった麗子に、不安を感じたらしい。
 その気配に、針で心を刺されるような痛みを感じた。

「・・・特別の用はないけれど」
 そう麗子は、答えていた。

「それなら、いいでしょう?今日は由真ちゃんを見る日だから、それまで」
「そうねえ。由真が帰ってくるまでなら」
「・・・じゃあ、はりきって出発しますね」
 順次の弾むような声が、耳にひびいた。

 受話器を置いた麗子は、右手の中指で、額を押えた。


プロローグ  昼下がりのコール(3)

 麗子は、他のボーイフレンドも持たずに、お嬢さん学校在学中、半分「お見合い」のようにして紹介された今の夫と「結婚生活」にはいってしまった。

 ろくにデートの経験も持たぬ麗子に、心の「動揺」があった。
 ・・・けれど、湧いてくる「心のたぎり」もあった。

「仲の良い弟の車に乗ってあげる」
 そう思えばいいわ。

 と、麗子は、心を納得させた。

 順次の住む横須賀からなら、麗子の「磯子台」の家までは、小一時間はかかるだろう。
 
 麗子は、ドレッサーの前に座った。

(第一章に続く)

第一章 赤い目(1)

「あ!ショートケーキみたいですね」
 と、透明なセロファンで包まれた一輪の赤バラを、麗子に渡しながら、順次は、少し照れたようにいった。

 
 アイシャドーもルージュも、いつもより濃い目に引いた。
 順次の「言葉」は、そのせいだったろう。


「厚化粧しちゃった」
「とっても華やかですよ」
「ふふ。ほめてくれたの?」
 わずかな微笑で答えた。
 麗子は、「年上の女」として、余裕をもってふるまいたかった。
 

 花を一輪差しに活けた。
 
 
 玄関に立ったままでいる順次に、
「お花、ありがとう。お茶でも飲む?」
 そう声をかけた。
「・・・」
 順次は、部屋にあがってこなかった。


「そうね」
 麗子は、うなずいた。
「車に、のせてもらいましょうね」

 
 順次の表情が、陽がさしたように明るく、輝いた。
「若い人はいいな」
 と、思った。

第一章 赤い目(2)

 麗子が使っている車は赤のBMW320である。
 夫のベンツと比較すると、小柄なスポーツ・セダンだが、玄関先に置かれた「空色」のキャロルは、おもちゃの車のように可愛かった。


「けっこう性能いいんですよ」
 順次は、車を眺めている、麗子に言って助手席のドアを開けた。
 麗子はできるかぎり「優美」に見えるように「気」を使って、車に乗り込んだ。
 皮革シートのドイツ車とは違う、新車の香気が漂っていた。
 重厚で少し「陰鬱」な高級車とは違う明るい内装が、麗子の心を浮き立たせた。


「中は案外ひろいのね」
「ええ」
 ステアリングを握った順次が、生返事をした。
 

「ご自慢の車」
 を、「別の車」と比較されたと思ったのかしら?
「『案外広い』なんて、悪いこと言ったかな?」
 そんな風に思って、順次の横顔を、ちらっと見た。

 順次は、少し口をとがらせている。
「気を悪くした」
 わけではなさそうだった。
 ただ慣れぬ運転に、気持ちを集中しているだけのようだった。


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