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プロフィール


西嶋一泰@souryukutsu

一九八五年、大分生まれ、東京育ち、現在は京都で独り暮らし。立命館大学先端総合学術研究科の大学院生。専門は民俗芸能の現代史。主な論文は「一九五〇年代の文化運動のなかの民俗芸能 原太郎と「わらび座」の活動をめぐって」 『コア・エシックス』六号、二〇一〇年。サブカル・デジモノも大好物。アユラでは編集を担当。


深津謙一郎

一九六七年三月、東京生まれ。専攻は日本近代文学。好きな作家は村上春樹。現在は共立女子大学で「日本文学演習」や「卒業論文ゼミナール」などを担当。共著書に、『村上春樹と小説の現在』(和泉書院・近刊)、『日本文学からの批評理論』(笠間書院)、『表象の現代』(翰林書房)などがある。


マリン(@marinx)

慶應SFCの大学院生(M2)。西嶋&深津先生とは高校時代からの「幼なじみ」で一〇年来のお付き合い。政治学、政策分析、世論調査などで論文書いてます。二〇一〇年は本厄&大殺界(笑)で大変な年でしたが、残すところもあと少しってことで、がんばりまーす。


イラスト Wreath of Laurel 浅乃ミサキ

http://hinah.fc2web.com/


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鼎談解説

アユラ第四号鼎談

「アカデミック・サバイバル」解説

西嶋一泰


 


 アユラ第三号の鼎談「ロスジェネなんてぶっとばせ!」を読むと流れがつかみやすいが、この第四号の鼎談「アカデミック・サバイバル」は、第三号で語られた非正規雇用などを中心とした「働く」という問題を、西嶋、深津、マリンが現在いる場所、アカデミズムというフィールドでよりつっこんで、自らの問題として考えてみようという趣旨である。

 一年前のことだが、それなりに変化があるとすれば、深津氏が常勤の研究職に就き、日本学術振興会特別研究員という研究者にとっては大きな補助金にあたる募集に、西嶋が書類選考で落ち、マリン氏が面接へと進んだということがある。マリン氏にはぜひ学振をもぎとってほしいが、落ちた私としては研究者としていかにサヴァイヴするかという問題はこのときよりさらにシビアに考えなければならない問題になってきている。私は現在修士課程(相当)の二年で、そのまま博士課程へと進学する。学費は年額五〇万に下がり、大学の奨学金にも申し込むつもりではあるが、それでもこの年で収入がないのは辛い。大学で研究関係のバイトを回してもらいながら、奨学金をちびちび使って生活する。無論、学振にも再度応募はするし、民間の奨学金も狙ってみるつもりだが、しかし、研究者という職業は大学や補助金という心細い命綱をよろよろと渡る期間が非常に長い。そして、その綱渡りは場合によってはゴール(大学や研究機関に正規雇用されること)がないという、まぁ、とんでもないものだ。

 鼎談の中のスタンスでは、深津氏はこの綱渡りを続けてとりあえずゴール(むしろ研究者としてはここから本腰を入れるということになるかもしれないが、とりあえず非常勤の綱渡りな状況は脱したということ)ができたという典型的な大学人の道を歩んでいる。鼎談の中のスタンスも、アカデミズムとして実用一点張りのすぐさま役に立つ研究のみならず、ある研究の幅が確保されていることがある種の公共性を持つという態度をとっていた。そのことはあるいは、文学が相手にしているコミュニケーションの問題(を扱う自分の研究)が、学生たちや人びとにとって何らかの意味がある、ということを信じていた。それが続けられるのであれば、たとえ多少、安定しない状態でもかまわない。私たちが思い描く研究者のスタンスであり、またそうであってほしい研究者像でもある。その深津氏が常勤の職を獲得できたのは本当に喜ぶべきことである。

 だが、そのアカデミズムの神話、あるいは清貧的な研究姿勢を真っ向から信じきれないのが西嶋とマリンなのである。無論、アカデミズムという市場論理や現場主義とは異なる独自の論理の重要性は西嶋もマリンも多いに理解しているのだが、さて自分はそのアカデミズムというフィールドだけで食べていくのか、どうか。豊かな時代があるとするなら、あるいは古代ギリシャの貴族的な生活にのっかれるのなら、学問というジャンルを社会が一定のコストを払って保っておくことはできるのかもしれない。だが、今のリアリティーはそこにはない。アカデミズムの視覚は必要だ、必要であるからこそ、市場論理の中でも自活できる場を確保していくべきではないのか。それは自らのサヴァイヴにとって必要であるばかりでなく、自らが重要だと思っている学問のサヴァイヴにこそ必要なのではないか、少なくとも私は現在もそう考えている。

 鼎談の中でアカデミズムではない場所で生き残る研究者の手法を深津氏は「ゲリラ的」と評したが、私は今、その研究者のゲリラ的サヴァイヴ術について考えている。鼎談の中でも出てきた東浩紀はついに「コンテクチュアズ」という会社を立ち上げ、定期刊行物などを通じて自らの読者を育ててその批評のフィールドを維持することをはじめている。荻上チキの「シノドス」、西田亮介の「.review」、あるいは宮台真司の「マル激トークオンデマンド」。独立系のメディアを持とうとする研究者が気鋭の社会学者であることには、必然性があるだろう。自らが研究対象とする社会に、自らの研究成果を問うていく。あるいは、社会学者たちの興味関心の幅が、多くの読者をひきつけている。彼らのサヴァイヴ術は、これからの研究者に多いに参考になるだろう。

 ならば、私はどのようなゲリラ戦を闘うか。それが今の課題である。私の専門は民俗芸能研究だが、その中でも青森県の津軽半島の先っぽに伝わっている荒馬踊りが対象である。この研究に何の公共性があるというのかという問いに対してはアカデミズムの論理で答えはみつかるかもしれないが、この研究でどうやって食べていくのかという問題はかなり厳しい。従来のスタンスでは、対象が荒馬踊りでも文化人類学やカルチュラルスタディーズなどの隣接する領域の最新の議論と結び付けることでアカデミズムを生き残ろうと考えていたが、最近は少し方向転換をしようと考えている。民俗芸能というニッチなフィールドに真正面から取り組むという戦略である。民俗芸能というジャンルは狭いながらさまざまな人がかかわっている。民俗芸能の実践者や、その民俗芸能を呼んで舞台をやらせるイベンター、太鼓や祭り用品を扱うメーカー、民俗芸能の愛好者や観客、民俗芸能を学校教育に組み入れようとする先生、そして民俗芸能を研究対象に扱う研究者である。現在は、この民俗芸能に関わるそれぞれの人々がジャンルとしてまとまり、民俗芸能を考える場を構築するということはほとんどなかった。そんな面倒くさい作業をやることができるのが、研究者という存在ではないか、と最近考えている。その自分が生きる場を構築するためのコストはまだ支払う必要があるかもしれないが、そういう一時期にこそ補助金がほしいところでもあるが、なくてもやりようはある。私はまだゲリラ戦を諦めてはいない。

 


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