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鼎談解説

アユラ第三号鼎談を振り返る

「ロスジェネなんてぶっとばせ!」解説

マリン


一.鼎談当時の社会状況―リーマンショックと福田辞任―

この鼎談は二〇〇八年一〇月に行われたものである。まず本稿の緒言として、当時の社会状況を振り返り、この鼎談がどのような社会的文脈を背景に行われたのかを確認することから始めたい。

鼎談前後の社会的事件としては、いわゆる「リーマンショック」が筆頭に挙げられる。リーマンブラザーズが破綻したのは二〇〇八年九月一五日のことであり、その直前の九月一二日の日経平均株価は一万二〇〇〇円台前半であったが、翌年三月一〇日に七〇五四円の最安値を記録するまで、急速に下落していく。

さらに、二〇〇八年九月二四日には、福田康夫首相(当時)が突如辞任するという事件が起こる。福田は辞任について周囲にはほとんど漏らしておらず、突然の首相辞任で官邸の機能はストップし、与党自民党も大混乱に陥った。そして福田辞任の約一年後の八月三〇日には衆議院総選挙で民主党が勝利し、戦後日本では初めてとなる二大政党による政権交代が起こる。

このように、鼎談が行われた二〇〇八年一〇月は、まさに日本の政治および経済が混迷を極めていた時期だといえる。このような社会的背景と、我々が当時設定した「ロスジェネなんて、ぶっとばせ?」という鼎談テーマには関連があることは、読者諸賢もおわかりのことだろう。

二.鼎談の狙い

この鼎談のテーマを選択したのは、筆者(マリン)である。私がこのテーマを選択した背景には、当時の社会状況に関する一つの「通説」を批判したいという思いがあった。その「通説」とは、「小泉政権が格差を拡大させ、日本社会を危機に追いやった」というものである。このような議論は、その後急速に拡大し、リーマンショックとその後の自民党の衰退から民主党政権の誕生という時間的な流れを、一つの因果の流れとして捉える見方につながっていった。小泉改革⇒格差拡大&リーマンショック発生→民主党政権誕生という、「いかにも」なロジックが、多くの政治家、有識者のあいだで語られ、人口に膾炙していくことになったのである。

「ロスジェネ」問題は、いわゆる「格差」問題と結びつき、さらには民主党が社会民主主義的な分配重視の政策を打ち出したことで、「財界重視・分配軽視」という自民党イメージが形成され、ロスジェネ擁護→自民・小泉批判という論調が出来上がる。

他方で筆者は、ロスジェネ問題と小泉政権批判がただちに結びつくものではない、と考えている。ロスジェネ世代を擁護する論者たちには小泉政権に批判的な意見を持つ人が多く、逆もまた然り、ということに過ぎず、そこに論理的な必然性はないという立場である。 

しかし、筆者のこの立場は、あくまで「現在この文章を書いている段階でのスタンス」であって、「鼎談当時のスタンス」ではない。鼎談本文を読めば、少なからずの読者には、筆者が新自由主義の立場からロスジェネ世代を切り捨てるような議論を展開しているように見られることだろう。筆者は、ロスジェネ擁護=小泉政権批判、小泉政権擁護=ロスジェネ批判、という恣意的に引かれた論点に絡め取られてしまっていたのだろう。その意味で、この鼎談の論点も、すでに国会や論壇誌等で行われていた、ありきたりな議論の焼き直しに留まってしまったのかもしれない。

ただ、そのことがこの鼎談の価値そのものを低めてしまっているとは思わない。この鼎談に参加した深津氏、西嶋氏、筆者の価値観および政策的立場はそれぞれに異なっている。そのような三者が同じ議論の場に立ち、一つのテーマについて真正面から意見をぶつけ、議論のなかで歩み寄った部分もあれば、決裂したまま平行線を辿った論点もある。議論の前後で何が変わり、何が変わらなかったのか。この鼎談を見ることで、ロスジェネ問題を論じることの可能性と限界を見ることができるのではないだろうか。鼎談をさらっと読み、「つまんねー」と思った読者にも、このような視点でもう一度この鼎談を読みかえしてもらえれば幸いである。

三.『世論の曲解』のインパク

さて、鼎談の内容に話を戻したい。先に筆者は、「小泉政権が格差を拡大させ、日本社会を危機に追いやった」という「通説」をこの鼎談で覆したかったのだ、と述べた。実際には、「ロスジェネ」問題を論じることと、これらの「通説」の是非について論じることとの間には乖離があり、この鼎談において筆者の狙いは十分に成功したとはいえなかった。しかし、この鼎談後、小泉改革→格差拡大&リーマンショック発生→自民党政権批判の高まり→民主党政権誕生、というロジックに対する有力な「反論」が提出された。菅原琢『世論の曲解』(光文社新書、二〇〇九年)が、それである。

菅原は、選挙結果の統計的分析を専門とする政治学者である。菅原は前掲書で、二〇〇五年のいわゆる「郵政選挙」での自民党の圧勝、二〇〇七年の参議院選挙および二〇〇九年の衆議院選挙での自民党の惨敗の要因を明らかにするために、有権者の投票行動の詳細な分析を行っている。

 まず、二〇〇五年「郵政選挙」に関する菅原の分析を見ていきたい。菅原は、この選挙での自民党の大勝の要因を、「苦手な選挙区で集中的に得票を伸ばし、民主党に競り負けていた選挙区をひっくりかえした結果、自民党は大幅な議席増となった」と分析する(菅原二〇〇九・三七)。ここでいう「苦手な選挙区」とは、都市部の選挙区を指す。通常、自民党の得票率は農村部で高く、都市部で低いというのが通例であった。しかし、〇五年総選挙では、「自民党の農村偏重の得票構造が崩れ」、「民主党に押し負けていた都市部において、有権者の支持を急回復、急拡大したことが、前代未聞の圧勝を呼んだ」とされる(前掲書 三八―三九)。

 菅原の分析によれば、構造改革賛成の有権者は、〇三年では27・九%が比例区において自民党に投票していたが、〇五年にはその割合が四四・六%にまで拡大している。このような有権者層は都市部に集中しており、自民党がかつては他党に投票していたような構造改革賛成派をうまく取り込み、得票を伸ばした可能性が高いと菅原は指摘する。

 そして注目すべきは、〇三年では他党に投票していたが〇五年には自民党に投票した有権者の投票行動の分析である。菅原は、「〇三年他党投票者が自民党に投票変更する際に最も決定的な影響を与えたのは、郵政民営化を考慮したかどうかという争点認識」であり、「郵政民営化を考慮したかどうかには、テレビ報道を見たかどうかは影響せず、政権の政権放送、新聞報道、選挙公報という詳細情報を伝える媒体に接した人が、郵政民営化を争点として考慮していた」と指摘する(前掲書 四二)。さらに菅原はこの分析結果について、「郵政民営化の争点化は、有権者の能動的な情報摂取によってもたらされたものであ」り、「その意味するところは、郵政民営化だけでなく小泉政権の改革路線に対する賛意」であると述べている(前掲書 四二)。

 さらに続けて、〇七年参議院選挙における自民党惨敗に関する菅原の分析を見ていきたい。〇七年参議院選挙での自民党敗北の要因としては、「小泉改革の行き過ぎが格差社会を生み、地方票を大きく減らした」といういわゆる「逆小泉効果」説が有力である。

しかし、菅原の分析は、この「通説」を覆すものである。菅原は、自民党の敗因を、小泉政権時代の改革が逆行したことによって、都市部の改革支持層および若年層が自民党から離れたことにあると指摘する。菅原は〇五年総選挙で自民党に投票し、〇七年参院選では他党に投票した「離反層」への調査を分析し、〇五年時と〇七年時で評価が大きく変わった要因は、「首相の指導力」、「郵政造反組の復党」、「年金問題への対応」に関する評価が著しく低かったことあるとしている(前掲書 一〇六―一〇八)。

05年総選挙および〇七年参議院選挙の分析を通じて、菅原は、「小泉政権後の自民党は世論の読み取りに失敗し、政権の進路を世論とは逆の方向に取り、突き進んできていた。(中略)この惨敗は必然の結果であり、何ら驚くべきことではない」と結論づける(前掲書 二三七)。

四.むすびに代えて

 本題は、これらの菅原の分析結果から我々が何を読み取るのか、ということである。筆者は、菅原の研究が、小泉改革→格差拡大&リーマンショック発生→民主党政権誕生、という「通説」に対する有力な反論になっていると考えている。もちろん、菅原の分析は世論調査を元にしたものであるため、政策評価の観点から小泉改革と格差拡大の因果関係が棄却されたわけではない。しかし、民主党政権を誕生させた世論は、実は「小泉路線への反対」というものではなく、「自民党の反小泉路線への反対」であった、という可能性を示唆している。

この菅原の研究成果は、今後のいわゆる格差論争、小泉路線(≒ネオリベラリズム)論争において、欠かせない資料となるだろう。少なくとも、民主党政権の誕生を「世論による小泉路線の否定」としてナイーブに捉える見方に対しては、反論の余地が残されていることが示された。現在、やや低調となっているロスジェネ論壇においても、この菅原の研究の存在を前提としたうえで、政策と格差の問題についてさまざまな立場からの議論が展開されることを期待する。

民主党政権は、「国民の生活が第一」というスローガンを掲げ、過去に類を見ない財政拡大を行い、「分配」を加速させている。その結果、我々が何を得たのか。その分配路線≒反小泉路線に対する世論の評価が急務である。


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基調報告 ロスジェネなんてぶっとばせ?

基調報告

ロスジェネなんてぶっとばせ?

深津謙一郎

今回の特集として「ロスジェネなんて、ぶっとばせ!」という物騒な(?)題を掲げたが、個人的には、「ロスジェネ、いいぞ! もっとやれ!」という立場からこの鼎談に参加する。

「ロスジェネ」というのは、ロストジェネレーションの略語で、「バブル景気」がはじけたあと、「就職氷河期」に学校を卒業した(卒業を余儀なくされた)、現在二〇代後半から三〇代半ばまでの世代全体、そのなかでもとくに、正社員になれず(あるいは、正社員になったものの続かず)、低賃金かつ不安定な「フリーター」生活を強いられ、貧困から抜け出せない人たちを指す。ただし、今回の鼎談でいう「ロスジェネ」は、直接的にこの人たちのことを指す場合もあるし、この人たちをめぐる論壇の言説、たとえば雨宮処凛や赤木智弘などの言説を指す場合もある。先ほど書いた、「ロスジェネ、いいぞ! もっとやれ!」という立場は、どちらかというと後者、いわゆる「ロスジェネ」論壇への支持表明である。

これを支持する理由は、現代の貧困を、アイデンティティ(自尊心)の問題として捉えた点である。現代は不景気と言われながらも仕事はある。ただしその仕事は派遣の単純作業で、現場からは(交換可能な)機械の部品扱いされ、低賃金のまま昇給しない(あるいはキャリア形成できない)ばかりか、いつ馘首されるかわからない。つまり、自尊心をズタボロに踏みにじられる状況に置かれている。しかしそれは「あなたがキャリア形成の努力を怠ったから悪いんでしょ?」と言われればそれまでで、事実そうした状況の、ワーキングプアと呼ばれる人たちほど、この「自己責任」の論理を内面化しているといわれる。ゆえに自分を責め、「引きこもり」や「メンヘル」にも通じる「生き難さ」の問題が生じるわけで、そういうふうに精神的に追い込まれた人たちに対して、「ロスジェネ論壇」はとりあえずの自己肯定(自尊心回復)を与えた。「悪いのは社会で、あなたではない」、と。そのうえで、ワーキングプアを社会問題化し、ワーキングプアの人々を、権利保護を請求する利益集団に組織しようとした点は評価されてよい。とくに、生活保護の申請の仕方や団体交渉の仕方など、ハウツー的な知識をインフォームした意義はきわめて大きい。

 

ところで、「ロスジェネ言論」において「敵」役となるのが、規制緩和とその根底にある、「際限なき」市場万能主義、ネオリベラリズムである。たとえば、最近の自民党内閣は、支持基盤(スポンサー)である経団連の要求に従って、(大企業の国際競争力を確保するため)法人税を引き下げ、(企業の人件費を低く抑えるため)労働者保護の諸規制を取り払うか大幅に緩和した。

終身雇用体制下では、公認の人生進路は(男性の場合)正社員一本だったが、規制緩和以降、労働力(労働形態)を「正社員とスペシャリストと派遣労働(フリーター)」に峻別して、「このなかから「自分らしい」スタイルを「自由に」「自己責任」で選んでね」、ということにした。あとでふれるように、「自分らしい」スタイルを「自由に」「自己責任で」選べるのは限られた層でしかなく、実情は、「夢を見させて、絞り取る」という、ディズニーランドまがいのことでしかないのだが、ここで確認しておきたいのは、フリーターはもはや、体制からドロップアウトした存在ではなく、使い捨ての労働力、あるいは生産の調整弁としてあらかじめ体制の中に組み込まれている、という点である。企業側からしてみれば、注文が多ければ派遣会社からフリーターを雇い入れ、注文が減ればフリーターを切ればよい。正社員ではないから、容易に馘首できる。

労働市場の流動化というのは、このように、企業側が労働力を自由に使い捨てにできることの制度化である。こうしたシステムのもとで、企業は史上最高収益を上げるいっぽうで、「ネットカフェ難民」が増加し、日本もアメリカ並みの格差社会になった。市場万能主義者は、企業の国際競争力が高まれば経済は右肩上がりに成長し、「ネットカフェ難民」もそのおこぼれに与れる、と主張するかもしれないが、規制緩和前の経済力が「貧困層一対富裕層一〇」だったとして、規制緩和後の経済成長で、貧困層が「一→一・一」になったとしても、富裕層が「一〇→一〇〇」になっていれば、貧困層はより惨めになるだけで、むしろ社会に対するルサンチマンは増すのではないか。いちばん最初に触れたように、現代の貧困はアイデンティティ(自尊心)に関わる問題でもあるからだ。

そもそも、この鼎談の起点となった「西嶋&マリンマリン」による「素人の労働論」(「ゲンダイモンダイ」)では、「ロスジェネ」問題、ここでは若者のワーキングプア問題は、「就職氷河期」世代に固有の限定的なものという論調だった。たしかに、団塊世代が大量退職した現時点では、新卒の正社員就職率も小康を保っているかもしれない。しかしあとで触れるように、正社員といいながら、実体は派遣労働以下というところも数多くあるという。また、システムが生産の調整弁として派遣労働を内部に組み込んでいる以上、若者のワーキングプア問題は、これからむしろ慢性化するのではないか。

付言すれば、二人が「ロスジェネ」問題から切り離して議論していた「三年で辞める若者」問題も、市場万能主義の帰結と見ることができる。むろん、二人が指摘していたような、共同体(家族や上司など、仕事を辞めにくくさせる柵)の解体という問題もたしかにある。しかしそこまで共同体を弱体化させたのは、やはり市場万能主義である。ロスジェネ論壇の論調では、「三年で辞める若者」の多くは、企業から投資される(社員教育を受けることのできる)エリート候補でなく、使い捨ての正社員である。ロードサイドの量販店に多いパターンだが、毎日深夜帰宅で絞り取れるだけ絞り取っておいて使えなくなったら捨てればよく、しかも代わりはたくさんいる。つまり、企業の側も今は、すべての人材に手間暇かけて投資するわけではない。育てる正社員と、労働強化して、絞り取れるだけ絞り取る使い捨ての正社員を分けている。最近の若者は安易に「三年で辞める」と言われるが、規制緩和後の労働強化の現状で、今の若者の多くは「三年持たない働き方を強いられる」のが実情である。

今の若者は、ワーキングプアの実態を知っているからこそ、四〇代以上のフリーター第一世代(バブル世代)より正社員のへのこだわりが強い。にもかかわらず、フリーターに転落していくのであって、これは彼らの我慢の足りなさが問題なのではなく、市場万能主義的な社会システムの問題である。

 

「ロスジェネ論壇」によって、ことほどさように敵役を押し付けられた市場万能主義についてはその捉え方も含め異論があると思うので、鼎談での活発な議論を待ちたい。とくに、規制緩和を支持するマリンマリンマリン氏には十分意見を展開してもらいたいのだが、そのためのたたき台として、最後に、規制緩和=市場万能主義のもとでは、二人が話していた職業選択の動機、すなわち自己実現のためは、流動化どころか格差の固定化に繋がるのではないか、あるいはそれを正当化する体のよいイデオロギーとして機能するのではないか、という危惧をあらためて表明しておきたい(「素人の労働論」『ゲンダイモンダイ』のなかで、二人は職業選択(研究者志望)の理由に「自己実現」を挙げていた)。

たとえば、先に挙げた「正社員・スペシャリスト・派遣労働」の三タイプのうち、若者がどれを選べるか(どれしか選べないか)は、実はかなりの部分、親の年収や生活様式によってあらかじめ決められている。そこを隠して、「どれでも好きなのを選びな。でも結果は自己責任だからね。」というのが、市場万能主義を掲げるネオリベラリズムの詐術である。ネオリベラリズムは競争による流動化を強調するが、弱者保護の規制を取り払えば、「持てる者」が「持てない者」を駆逐するのは火を見るより明らかである。つまり結果的には、「持てる者」ばかりが保護される(ばかりか、さらに「持てる者」になる)。この意味で、ネオリベラリズムは、弱者を切る「自由」を正当化した強者保護のイデオロギーである。

ただし厄介なことに、ネオリベラリズムは、「持てない者」にとっても魅力がある。誰もが決定論的に無力である自分の姿は直視したくない。これはアイデンティティ=自尊心の問題に関わる。したがって、サラリーマン(正社員)生活は性に合わないからゴメンだ、というような理由を付けて、つまり、職業=自己実現という「幻想」を言い訳にして、少なくない数の若者が「自発的に」「自由な」(不安定な)派遣労働に組み込まれていく。しかし実際には、親の年収や生活様式に従って労働力の配分が行われているのである。

むろん、例外的なケースもあるだろう。「西嶋&マリンマリン」の二人からは、「貧困層でも努力すれば奨学金をとって勉強を続け研究職に就けるはずだ」と反論されるかもしれない。二人には、自分がいま、人並み以上の勉強をしている、という自尊心があることも分かる(ここでも、自尊心の問題!)。しかし近年(後期資本主義)の貧困の問題は、「個人の努力」という規律訓練パラダイムではとらえきれないところにきているようにも感じる。偏差値が下のほうの学校で授業をすると実感するが、親の生活様式と食習慣が子どもの身体(技法)を規定している。彼らの多くは集中して勉強するだけの息が続かない。『アユラ』2号掲載の「食のベーシック・インカム」で西嶋氏が危惧していること、つまりジャンクフードの問題がすでに現実になっているのではないかと勘繰りたくなる。貧困と不規則な生活習慣が安価で高カロリーなジャンクフードへの依存を生み出し、それによって作られた身体(技法)はもはや奨学金を得て階層上昇するような身体ではなくなっている。ひと昔前のヨーロッパでは、貴族階級と労働者階級で体格が明らかに違ったといわれており、「貧困大国」アメリカでは、エリート層に比べ貧困層は明らかに肥満だというが、同様のことが日本でも起きつつある。そう考えると、「自己実現」できる職業として研究職を目指せる二人は親に恵まれている。

だから、二人は自己批判しろ、ということではもちろんない。ただ、市場万能主義のもとでは、職業で「自己実現」できる自由、つまり、「正社員・スペシャリスト・派遣労働」の中から自分に適したものを選べる自由を享受できる層は限られているということ。いや、上記三形態には明らかな階層秩序(格差)が存在する以上、スペシャリストを選べる者が派遣労働を選ぶことはまずありえず、したがって労働の流動化は、流動化どころか階層秩序(格差)の固定化(再生産)しかもたらさないのではないか、ということを踏まえたうえで、では、どのようなシステム(条件)のもとでなら、職業選択と自己実現を結びつけることが(「持てる者」にのみ許される「利権」ではなく)誰にでも開かれたものになるのか、どのようなシステム(条件)のもとでなら、「自由」や「自己責任」という言葉を安心して使えるようになるのか、という問題を考える必要があるのではないか。

 

以下、そのための走り書き的な試案を提示するなら、市場万能主義が「持てる者」の保護主義である以上、公正な競争を実現するために、「持てない者」を保護し、底上げするための「規制」が必要である。具体的には同一労働同一賃金の原則、最低収入の保障が不可欠である。財源は法人税と富裕層への累進課税でまかなう。こう主張すると、大企業が海外移転し、日本の産業が空洞化するという批判を受けそうだが、片方で、ワーキングプアのルサンチマンは深刻である。秋葉原の連続無差別殺傷事件が代表的するように、それはまさにテロ(内戦)である。あるいは、「オレオレ詐欺」ですら、高度成長の恩恵を受けてきた世代に対するルサンチマンかもしれない(学歴のない二〇代~三〇代では、堅気の職業に就けないから、詐欺(まがいのこと)をしている、という開き直りの声を聞いたことがある)。

セキュリティの現代的モデルは、「いかに彼らを産み出さないか」ではなく、(生産の調整弁である)彼らを産み出し続けることを前提に、「いかに彼らから身を守るか」、もう一歩進めて、彼らが排除されているという事実を彼らに自覚させないまま、いかに彼らを排除するか、というところにあるのだろう。しかしこれは長い目で見るなら、国内の戦争(内戦)状態を激化させるだけである。そして、同様に長い目で見るなら、内戦状態の国で企業活動を行うのと、少なくともルサンチマンの滞留しない国で企業活動を行うのとではどちらが得なのだろうか。

消費社会論では前提だが、現代人はものを消費するだけでなく、イメージを消費する。自分がいま使っているデジカメやパソコンのプリンター(それは、正社員を使い捨てることで有名なロードサイド(郊外型)の量販店で安く買ったものなのだが……)が、派遣労働で働かざるをえないワーキングプアによって作られているという事実を知って、さすがに気持ちのよい者はいないはずである。

 


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00. ロスジェネから考える

二〇〇八年一〇月一七日、深津、西嶋、マリンの三者による鼎談がウェブサイト「相関言論空間アミノユラク」の掲示板上で行われた。西嶋とマリンがパーソナリティーを勤めるポッドキャスト「ゲンダイモンダイ」の、第四七回(二〇〇八年七月八日配信)から四回にかけてのテーマ「素人の労働論」をうけて、深津がブログに掲載した「ロスジェネなんてぶっとばせ?」という応答を踏まえて、改めて労働について三人で議論する。

 

深 津 では、九時になったのでそろそろはじめましょう。「散文」にアップした文章は、「ロスジェネ、ぶっとばせ」じゃなくなってる(笑)。いちばん重要な批判はマリンさんから出てくると思うけど、その前に、西嶋さんのほうでコメントがあれば、お願いします。

西 嶋 「終えて」というか、「鼎談から考える」みたいな感じかな。方向性としては。まぁ、結局変わらないかもしれないけど。

深 津 「から考える」だよね、やっぱり。

西 嶋 ロスジェネを「ぶっとばせ」じゃない、というのはそうですね。深津さんは、ロスジェネをきっかけに焦点が当たった非正規雇用を中心とする労働問題に全体の焦点をシフトしてるから、それは「ロスジェネ」をぶっとばせみたいな話にはならない。ロスジェネとロスジェネ論壇と現代の非正規雇用などの労働問題と、まずはそのあたりの用語の確認が必要かな、と思います。

マリン 用語の確認はいいでしょう。そのままだから。

西 嶋 用語というか、今回の話の取っ掛かりはどこなんだろうと。

ロスジェネ論壇について話すのか。現代の非正規雇用などの労働問題について話すのか。

深 津 そもそもの発端が、二人がポッドキャストで流した労働論だったから。それで、あのエッセイでは、現代の労働問題は、市場万能主義的な流れのなか、持てる者と持てない者の格差が拡大・固定化していく過程で自己実現のチャンスを奪われた持てない者たちのアイデンティティの問題である。それゆえ、社会的な富の再分配問題が重要ではないか、というのが骨子なんだけど。

 …それで、公正な(自己実現)競争の実現には、「規制緩和」でなく、「規制」が必要ではないか、という提案をした。「規制緩和」と「規制」。この部分が、マリンさんとの対立点になるね。

マリン 市場万能主義で格差拡大っていうのはレベルの低い小泉・竹中バッシングと同じロジックなんで、なんとか修正してもらいたいですが、「持てる者と持てない者の格差が拡大・固定化していく過程で自己実現のチャンスを奪われた持てない者たちのアイデンティティの問題である」というのには特に異論なしです。一つ確認しておきたいのが、これは先生の対談に向けての(僕との議論に向けての)あえてつくったロジックなのか、あるいはベタなのか。どちらなんでしょう? これを言ってしまったらネタばれ的ですが。

西 嶋 僕の立場は、非正規雇用の人を正規雇用に全員引き上げるのは不可能だろうから、非正規雇用を、「働き方」の一つとして社会的に承認して、そこでもしっかり生活していけるだけの法整備や企業努力が必要かな、と考えてるかな。非正規雇用でも、楽しく一生をおくれるだけの環境を整える、という立場かな。とりあえずだけど。

マリン いいね~その立場わりと賛成。

西 嶋 でも、結構、非正規雇用で楽しく暮らせるものに求めるものを多いつもり。その意味では、深津さんの言う「規制」を多くせざるをえない場合もあるので、そういう意味で、今回、深津さんとマリンさんの間に立てればと考えてます。

深 津 西嶋さんが言った問題はあとでもう一度議論しましょう。この鼎談は、マリンさんが引っ張らないと成り立たないから挑発している、というのはあるけど。でも、市場万能主義は社会的格差を固定・拡大する、というのは、ふつうの生活感覚(という言葉が適切かどうかわからないけど)で実感すること。まず、この辺が低レベルな議論であるなら、その辺から正してもらってもいいけど。

西 嶋 了解です。僕の発言はとりあえずの立場表明ということでお願いします。


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