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平成2年、秋。

 

白内障で、ほとんど視力のなくなった父が、眼科での手術を目前に、体調を崩した。

風邪をこじらせたのか、長引く咳が止まらない。

症状が治まるまで、手術は延期ということになった。

その昔。

父は、新聞記者だった。

常日頃より「酒樽の上に腰掛けてきた人生だ」と豪語し、まさに、無頼の生き様を通してきた父。

そんな父に反発を感じ続けてきた私は、体調が崩れるのも当然のことだと、冷たかった。

ある日、原因不明の激しい痛みが、彼の背中を襲った。

母は、父が癌ではないかとの疑いを持った。

すぐに、自宅近くの大学病院で血液検査とレントゲン検査を受けたが、内科の医師による診断は、筋肉痛だった。

処方された痛み止めと、咳止めの併用を続けたが、一向に症状が治まる気配はなかった。

 心配した母の懇願で、父は、三カ所の大学病院の内科と整形外科を受診したが、痛みの原因はわからぬままだった。

一ヶ月余りが過ぎるころ、父は、癌治療で有名な、埼玉県内の総合病院、O病院を受診した。

 

 病院長でもあるR医師の診断結果は「末期の肺癌」だった。

 

CTスキャンが捉えた癌細胞はかなりの大きさで、脊髄の神経を圧迫していた。

背中の激痛は、そのせいだった。

 

「なぜ、今までの病院ではCTスキャン検査をしてくれなかったのでしょうか」

 

 私の問いに、R医師は、静かに、答えた。


「お父様の場合、とても、分かりにくい部分にある癌ですし、通常のレントゲン撮影では見つけるのが難しい箇所なんです。いずれにしても、以前のドクターは、癌を疑うことはなかったんでしょう。それで、CTスキャンの検査までは必要ないと判断されたのでしょうね」

 

 R医師は、さらに続けた。

 

「今後は、入院しての治療になりますが、ここでは、治療設備が不十分なので、他院を紹介しましょう」

 

 R医師は、かつて外科部長をしていたことがあるという都内の公立病院、K病院への紹介状を私たちに手渡した。

 

 闘病生活が始まった。

 

 治療は、放射線でガン細胞をたたき、その後、様子を見て肺切除の手術を行うというものだった。

 K病院の担当医師は、治療方針を父に告げた後、私と母だけを呼び、言った。

 

「手術をしても、再発の危険があります」

 

 医師は、再発すれば、余命はそれほどではないだろうと言った。

 それは、深刻な現実だった。

 だが、私も母も、父が死ぬという実感を抱くことができなかった。

 痛み止めが効いているときの父は、相変わらずの元気さだったし、末期の癌だと告知されても全く動揺せず、淡々とした父の様子に、私たちは、安堵さえ覚えた。

 

 入院から1週間がたった。

 朝7時。担当医師から私の自宅に電話がかかってきた。

 


「お父さんが激しい胃の痛みを訴えています。今、消化器外科の医師が診ていますが、おそらく緊急手術ということになりそうです」

 

「癌が胃に転移しているんですか」

 

「いえ、それは、今の時点では何ともいえません」

 

結果は、胃潰瘍と胃の穿孔による腹膜炎。

長期にわたる痛み止めの副作用で胃に穴があき、腹膜炎を起こしたのだった。

まだ、穿孔をともなう可能性がある潰瘍が数カ所にあるとのことだった。

6時間の手術。

胃の3分の2が切除された。

消化器外科の医師は、私達家族に切除した胃のポラロイド写真を見せながら、手術の経過を説明した。

 説明の後、医師が言った。

 

「今夜が峠です。何が起きても不思議はありません」

 

 その夜、父は、無事に心配した峠を超えた。

 経過は順調で、父は3日めに、一般病棟に移った。

 

手術から5日目の早朝。我が家の電話が鳴った。

 電話に出た母の応対から、父だと分かった。

 

「大丈夫よ。すぐにそっちに行くから」

 

 電話を切った母が、看病疲れの出始めた顔で私に言った。

このままでは殺される。父が、そう言ったという。そして、最初に父を癌だと診断したO病院に転院してR医師に診てもらいたいと何度も母に訴えたのである。

いったい、何が起きたのか。ともかく、取り急ぎ、母がO病院のR医師のもとに。私は、K病院の父のもとへと向かった。


病室に入ると、緊張した顔つきでベッドに横になっている父の姿が、私の目に入った。

父は、白内障のせいでグレーに濁った瞳を私に向けると、小さな声で「誰」と言った。

私だと分かると、父はほっとしたような表情になった。

「おまえか。今日は仕事じゃないのか」

「今日は、だいじょうぶ。仕事はないのよ」

 答える私に、父は声をひそめると言った。

「ここにいると、何をされるかわからない」

訳がわからず、何があったのか詳しく聞こうとしたときだ。看護士の女性が車椅子を押して現れた。

 彼女は、優しい口調で言った。

「大丈夫ですか。先生のお話があるので、あちらのお部屋にいきましょうね」

看護士に支えられながら車椅子に座った父は、ずいぶんと痩せたように見えた。

胃の3分の2が無くなると、こんなにも急激に痩せるものなのか。

父が重病なのだという実感が、初めて私の心を一杯にした。

 

会議室を思わせる、スチールの机とイス。

病室の向かいにあるその部屋には、父の手術を担当した消化器外科のY医師がいた。

Y医師は厳しい表情で、私と父を交互に見た。

 

「ご家族の方も一緒のほうがいいですね」

 

私は、にこりともしないY医師の固い表情と、その事務的な口調に、とまどいを覚えながら、父の隣に座った。

車椅子に座った父は、片手ですがるように点滴棒を握りしめ、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

Y医師は、父をじっと見ると、詰問するように言った。

「いったい、何があったんですか」

父がゆっくりと言った。

「殺されると、思ったんです」


Y医師の顔に、怒りに似た表情が浮かんだ。

Y医師と父の会話から、その日の朝に検温のため訪れた若いナースの髪の毛を、父が掴み、顔をひっかいたのだということが分かった。

それは、これまでの父からは考えられない仕業だった。

私は、驚きと恥ずかしさで胸がどきどきしたが、その一方で、なぜ、父がそのような事をしたのか確かめなくてはと思った。そのためにも、話を最後まで聞かなくてはならない。

私は、ただ黙って、医師の顔と父の姿、気の毒そうに父を見つめる年輩の看護士の顔を見た。

 

父が言った。

 

「大人げないことをしました。あの時、私は、看護士さんだと思わなかったんです。何か、魑魅魍魎に襲われたと、思ったんです。自分でも大変、申し訳ないことをしたと思っております」

 

Y医師は固く青ざめた表情のまま、強い口調で言った。

 

「私達がどんな思いであなたを助けたと思ってるんですか。あの時間に緊急手術となれば、スタッフの確保だって大変なんです。私が無理を言ってスタッフを集めてあなたを助けたんですよ」

「はい」

「それに、うちの病院のナースは、皆、いずれ偉くなって他の病院に行く人ばかりです。もし、これ以上、今日のようなことがおきて、我々の責任問題になっては大変なんですよ」

 

Y医師は、患者の事よりも、自分の責任の話しばかりしていた。

私はしだいに高まる感情をぐっと抑えて黙っていた。



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