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序章

2014年3月31日 品川駅喫茶店


 眼下に帰宅ラッシュでごった返した人ごみが見える。
 時刻は18時を回ったところだ。定時で仕事を終えたサラリーマンがそそくさと家路についている。
 明日から僕もその中の1人になるのだと思うと、少し不思議な気分だ。
 僕は沖田航(おきたわたる)大学4年生。
 大学4年生といっても既に卒業式を終え、もう学生という身分でもない。
 明日は入社式。いよいよ社会人だ。
 入社式を明日に控え、会社に指定されたホテルに泊まるべく本社がある品川に来ている。
 入社式前日にホテルなんてどういう囲い込みだろうか。それとも同期で前日くらい飲んでこいという隠れたメッセージなのだろうか。
 実際、入社を控えた内定者同士で飲み会がある。
 飲み会は19時からだ。ホテルのチェックインで何かあってはいけないと心配になったこともあり早めにきてチェックインを済ませ、空いた時間をこうして喫茶店で時間をつぶしているのだ。

 もう1度眼下に目をやると、就職活動中とおぼしき学生が見えた。
 きょろきょろと周囲を見渡しながら携帯電話を開きメールを見る。
 大きなため息をついて首をうなだれた・・・。
 おそらくお祈りメールだったのだろう。
 企業からの不合格通知をお祈りメールと呼んでいた。
 最後に不合格者の活躍を祈る文面が記載されているからだ。
 学生は肩を落としながら去っていった。
 思わず心の中で「頑張れ。」と応援してしまう。
 1年前自分はあの立場だった。

 就職氷河期などと呼ばれ、卒業が近づいても内定がもらえない学生が増え、社会問題にもなっている。一時期よりかはましになったとも言われているが、実体験としてそんなことはなかったと思っている。
 求人数は学生の人数よりも多いものの、限定された学生がいくつもの内定を確保してしまい、その結果多くの学生が内定ゼロという状態になって苦しんでいるというのが実態だ。
でも、実際に就職活動をしている学生の身になれば、そんな数字での実態把握など関係なく、過度のプレッシャーや焦り、不安で苦しい思いをしているのだ。
 ごく一部の内定ゲッターの影で苦しむ圧倒的大多数。
 僕もそうだった。

 自分で言うのも恥ずかしいが、全国的に超有名な私立大学に所属していた。
 テニスサークルでは中学高校での部活経験を活かして練習を統括する役職についた。
 アルバイトでは社会人に混じって事務作業を経験した。
 サークル離れ、部活離れが進む今日の学生に比べたら正直言って様々なことを経験してきたと自負している。
 だからこそ、就職活動を始めるまでは自分も内定ゲッターになるものだと、半ば勘違いな夢を見ていた。
 でも現実は甘くない。
 何通のお祈りメールを受信しただろうか。
 不合格の場合は連絡のない企業だってあり、もう可能性がないと思いながら夜中24時まで結果を待っていたこともある。
 そのたびに僕という人間が否定された気持ちになって落ち込んだものだった。

 だからだろうか、先ほどの学生は過去の自分にも見えた。
 自分も同じように一つ一つの合否に一喜一憂していたのだ。
 コーヒーを口に含み眼を閉じた。
 社会人になるということで、初めてブラックコーヒーを飲んでみた。
 ドラマの影響だろうか。社会人はブラックを飲むというイメージが強い。
 正直苦い。
 でも、あのときは、ミルクを入れても苦いコーヒーだった。


別れと祈り

2013年3月31日 下北沢喫茶店


 1年前。

 いったい何がどうなってしまっているんだ・・・。

 このところ毎日就職活動で説明会や面接、グループワークとバタバタしていた。
疲れていたが、久々に1日ゆっくり時間が取れるということで、お茶でもしようと彼女である篠田真紀(しのだまき)を誘ったのだ。
 だが、事態は僕の想定しない方向に進展した。

 ホットコーヒーにミルクを落として混ぜる。
 真紀は珍しく何も注文しなかった。席に座ってもうつむき加減で黙っている。
 そして唐突に口を開いた。
「就活始めてからのワタル、愚痴ばっかだし、わたしの話にだって聞く耳持ってくれないし・・・。正直もう重荷でしかないよ。」
 さっき会ったときから雰囲気がおかしいと思っていた。今まで1年近く付き合ってきて、彼女がこんなふうに不満を漏らすのは初めてだった。
 これはまるで別れ話を切り出されているみたいじゃないか・・・。
 何でこんなに唐突に・・・。一方的に・・・。
 確かに愚痴はこぼしていた。
 話を聞いてあげられなかったこともあった。
 でも、昨日だって電話でサークルの話とか聞いてあげたじゃないか。
 とはいえ、ここで対立しても溝が深まるだけだ。
 僕は今後も付き合っていきたいと思っているし、2か月前には家にだって招待した。
 多分彼女が取り乱してしまっているだけだ。まずは体裁を保って落ち着いてもらうのが一番だ。
「確かに就活で余裕なくてマキには迷惑もかけたし、寂しい思いもさせた。それは申し訳なかったと思っているよ。でも、就活だってもうすぐ終わるはずだし、また元通りの関係に戻れるって。」
 昨日受けた最終面接には正直手応えがあった。第一志望のコンサル会社で、面接官の反応も上々だった。
 早ければ今日にも内定の連絡が来るはず。
 他の選考だってまだ可能性がある会社がいくつかあるけど、ここで内定をもらえばもう就職活動も終わりだ。
 電話でも話したけど、昨日のとこは面接うまくいったんだ。大丈夫だよ。」
「そんなこと言って、前もうまくいってなかったじゃん。それに就活が終わったとしても、またワタルの余裕がなくなったら今みたいになっちゃうって不安を抱えながら付き合うのは嫌だよ。」
 真紀はうつむき加減で表情はよく見えなかったが、泣いているようだった。
 恐らく昨日まで悩み抜いた上での宣告なのだろう・・・。
 待て、いつの間にそんなに決意が固まってしまっていたんだ。
 正直突然の告白に焦りでいっぱいいっぱいだ。もはや僕には苦し紛れの言葉しか思いつかなかった。
「大丈夫今回はうまくいくって。今後だって何とかするから・・・。」
「そういう適当にごまかそうとするのワタルの良くないとこだよ。もういいよ・・・。」
「え、あ、だから・・・・。」
「ごめんなさい・・・。別れよ・・・。今までありがとう・・・。」
 彼女は鼻をすすりながら伝票を持って立ち上がり、そのまま去っていってしまった。
 僕は立ち上がることすらできず、そのままぼう然と正面の窓ガラスに映る自分の姿を眺めていた。
 窓に映る自分は人生で初めて出会った人間に見えた。

 夢なんじゃないか。
 その思いは拭いきれないが、このままぼう然としていても仕方ない。とりあえず家に帰ろう。そう思えるまでに既にかなりの時間が経っていたのだと思う。
 電車の時間を確認しようと思い、携帯電話を手に取るとメールを受信していることに気がついた。
 恐らく、昨日の面接の合格通知だろう。あの会社はいつもメールで詳細なフィードバックを送ってくれていた。
 喜々としてメールを開いてすぐに確認した。
 だが・・・。
 メールの内容は僕の予想に反するものだった・・・。

  沖田 航 様
  このたびは弊社の選考を受験していただきありがとうございます。
  さて、選考の結果につき慎重に協議いたしましたが、
  誠に残念ながら、今回は採用を見送らせていただくことになり、
  貴意に添えぬ結果となりました。
  ご期待に応えられず申し訳ございませんが、ご了承の程を
  お願い申しあげます。
  今後の沖田様のご健勝・ご活躍をお祈りしております。

 いわゆるお祈りメールというやつだ。不合格・・・。
 お祈りされても仕方ない。
 お祈りするくらいなら、おたくの会社で雇ってくれよ・・・。何でだよ。
 あんなに僕の話に共感して聞いてくれていたじゃないか。
「なんで・・・、う・・・ぅ・・・。」
 声にならない声が漏れた。
 第一志望の会社だったこと。
 面接の手応えがあったこと。
 就職活動が終わるのだと期待してしまっていたこと。
 理由は何でもいい。
 とにかく、何をしていいのか、どこにこの気持ちをぶつけていいのか分からなかった。
 静かな喫茶店で喚くことができないというギリギリの理性だけを保ってとにかく涙をこらえていた。
 窓に映る自分はもう見られなかった。

 どれくらい時間が経っただろうか。
 携帯電話を確認すると、16時だった。彼女が去ってから1時間くらい一人でいたようだ・・・。
 気持ちの整理は全くついていなかったが、ここにいても仕方がない。携帯電話のメール画面を閉じて帰路についた。
 最後に飲み干したコーヒーは今までに飲んだどんな飲み物よりも苦いと思った。
 帰りの電車はまだ通勤ラッシュ前で座れはしないものの、立っている人はほとんどいなかった。
 電車のドア横の手すりをつかんで立ち外を眺めていると、彼女に言われた言葉が思い返された。
「そんなこと言って、前もうまくいってなかったじゃん。」
 まさにその通りだ。あんなに手応えを感じたのに、結局内定はもらえなかった。
 真紀は年も学年も一つ下だったが、僕よりもよっぽど冷静に状況を見ていたのだろう。
 そういえば、出会った頃もそうだった。
 思い出すとまた目頭が熱くなり涙がこぼれそうになったが、必死にこらえた。
 涙でにじんだ視界に真紀と出会った頃の思い出が映っているような気がした。


出会い

2012年2月25日 新宿


 さらに1年前に遡る・・・。
 所属するテニスサークルの練習を終え、僕は急いで新宿に向かっていた。
 今日は別の大学のテニスサークルに所属する学生との顔合わせがあるのだ。
 向こうはわざわざ横浜から来てくれるのだが、サークルの練習は新宿区の公園。すぐ近くで練習している自分たちが遅れてはいけない。
 電車に乗るよりも走った方が早いと思い、荷物は自転車にのった同期の渡辺亮一(わたなべりょういち)に任せて、僕はとにかく走った。

 僕と亮一はサークルで「練習統括」という役職についていた。
 サークルでは大学2年の1月から3年の12月まで運営役として、「会長」や「副会長」といった役職につく。
 3年の12月で運営を手放すのは就職活動に専念するためだ。
 僕が担当する「練習統括」は、練習のメニューを考え、実際に練習が始まるとその場を仕切るのが役割だ。
 僕も亮一も中学、高校とテニス部だったから、サークルの中ではテニスがうまい方だった。
 所属するサークルは数あるテニスサークルの中でも真面目にテニスの練習をする部類のサークルだったので、例年そういった経験者が練習を組み立てるという風習があった。

 今回の別大学との顔合わせも、今度実施する合同練習に向けての打ち合わせを兼ねたものだ。
 サークルとしても別の大学との合同練習自体が初めてだったので、その事前準備といったら勝手が分からないことだらけだった。
 もともと大学内だけで数十のテニスサークルが存在する上、所属しているテニスサークルは交流メインでもない。
 そんなサークルでなぜ別の大学と合同練習する話が持ち上がったのかというと、小さな偶然が重なったことがきっかけだった。

 そもそも、学内に数十のサークルが存在するため、基本的には学内サークル同士での合同練習は盛んに行われていた。合同練習と言ってもそのほとんどが交流会メインだが、実施される時期は運営担当が交代したときと、新入生歓迎のときだった。
僕らも2012年1月に新体制となったため、いくつかのサークルと合同練習の話が持ち上がった。
 例年そうやって合同練習をやってきたし、その中で他のサークルにも友人ができている。
しかも、同期で「会長」になった平山はもともと外交的な人間であったし、誘いはほとんど全て断らなかった。
 だが、1月の終わりに、一つのサークルから練習はせずに飲み会だけにしようと提案されたのだ。
 普通ならばその申し出を断る理由はないのだが、平山はこの提案を破棄した。
何年か前に飲み会だけのサークル交流で1年生の女の子が交流先の会長に泥酔させられ、暴力を振るわれそうになる事件が起きた。
 うちのサークルはテニスを真面目に楽しみたい学生が集まっているため、いわゆるテニスサークルのコンパに免疫のある学生が少ない。
 その結果、総じて女の子もおとなしい。
 交流をメインに活動しているサークルからするとターゲットにしやすいのだろう。
 平山は会長になるに当たり、諸先輩方からかなり釘をさされていたようだったし、この提案の破棄については僕も賛同するところだったが、その伝え方が良くなかったらしい。
 練習もして飲み会もするといった形になると思っていたが、全てなくなってしまったと連絡を受けた。
 結局大人数で予約した練習場だけが残ってしまった。

 ほぼ同時期にインゼミがあった。
 インゼミというのは、ゼミの活動を他のゼミと一緒に行うものだ。
 お互いの研究成果を発表しあったり、ディベートなどを行ったりする。
 僕の所属するゼミでは、教授同士のつながりで横浜の大学と毎年インゼミを行っていた。
 研究発表を終え、飲み会の席で隣に座った学生は庄司美貴(しょうじよしたか)という風貌に似合わない名前の男だった。
 話をしてみると、彼もテニスサークルに所属しており、1月から会長になったばかりということだった。
 俄然親近感が沸いて話を続けると、サークルの雰囲気も僕のサークルと似ているし、庄司も同じく中学・高校とテニス部に所属して体育会系で揉まれた人間だった。
 あえて違いをあげるとすれば、体格だろうか。
 僕は痩せ型でひ弱そうに見られがちだが、庄司はどう見ても筋骨隆々のマッチョだった。
酒の力もあってすっかり意気投合した僕らは今度プライベートででも一緒にテニスをしようという約束をして分かれた。

 学内の合同練習を断ったと平山から話を受けたとき、ちょうど僕は庄司とメールをやり取りしていた。
 偶然マナーモードにし忘れていた僕の携帯がなったため、平山は興味を示して相手を聞いてきた。
「誰からだよ?」
 大方彼女でもできたのかと聞きたかったのだろうが、相手はマッチョ男である。
「この前インゼミで知り合ったやつ。」
「何だよ。彼女じゃねぇのかよ。」
 平山は残念そうなそぶりを見せた。
 取り繕うわけではないが、平山も合同練習を断った件で心なしか落ち込んでいるようだったし、庄司には悪いが、笑いのネタにさせてもらおうと思った。
 インゼミの後の飲み会で撮った写真を探して携帯の画面に表示する。
 そこには庄司と、庄司と肩を組んでいる、いやヘッドロックをされている僕が笑顔で写っていた。
「でも、こいつ美貴って名前なくせにマッチョだし、そんな体型してテニサー(※)だぜ。」(※:テニスサークル)
「ふっ。」
 平山は微笑したが、すぐに真面目な顔になると、「よし」とつぶやいて続けた。
「じゃあ、そいつのサークルと合同練習しよう!」

 大変だったのはその後だ。
 当然平山のその意見に僕は賛成した。
 お互い真面目に練習するサークルなので、学内のサークルと比べても合同練習するには相性が良いと思ったし、今までになかったイベントなので、後輩も喜ぶと思った。
 問題は平山がほとんど手を貸してくれなかったことだ。
 庄司との連絡役は良かったが、その他学校への申請や練習場への連絡といった事務作業のほとんどを僕がやることになった。
 他のサークルとの連絡は会長、それに伴う事務作業は副会長の仕事のはずではないかという疑問はあったが、2人とも学内の交流会の作業に追われていたため、手が空かなかった。
 僕はとにかく必死に調整を行った。

 そういった雑多な作業に比べれば、今日の顔合わせは楽しみが多かった。
 そもそもの「練習統括」という役職の通りの仕事でもあるし、1か月ぶりに庄司にも会える。

 予約していた店には待ち合わせ5分前に着いた。
 まだ庄司たちは着いていないようだった。
 肩で息をしながら「良かった・・・。」と僕は漏らした。
 店の前で庄司たちを待つと、5分ほどで通りの向こうに見覚えのある体格の人間が見えた。
 待ち合わせぴったりの時間だ。
「久しぶり。遠くからありがとう。」
「いやいや。こちらこそ何から何まで準備してもらってありがたいよ。」
 そんな形式的な会話をしながら店に入った。
 こちらは僕と亮一の2人だが、向こうは庄司と可愛らしい女の子の2人だった。
 庄司が大学生離れした風貌をしているからというのもあるのだろうが、その子は大学生というよりも高校生か中学生にも見えた。
「初めまして。篠田真紀、1年です。よろしくお願いします。」
 席について自己紹介すると、彼女が1年生であることが分かった。
「篠田は1年生だが、テニス経験者で、サークルではオレの次にうまい!今日は練習の打ち合わせもするっていうんで連れて来たんよ。」
「そうなんだ。1年生なのに、運営にも携わるなんて凄いね。こちらこそよろしくお願いします。」
 庄司との面識があるのは僕だけだし、この合同練習の話を持ちかけたのはこちらのサークルからなのだから、自分が話し合いを仕切っていくしかないと思っていた。
 実際最初は僕と庄司二人の会話で会が進んだ。

 多少お互いに打ち解けてくると、亮一もお互いのサークルの話や、ちょっと前のウィンブルドンの話をして盛り上がった。
 こういったところの適応力というのは凄いと思う。僕がいきなり初対面の人に囲まれて打ち合わせをしたらこうはいかない。
 一方で篠田さんも僕と同様なのか、あまり発言は見られなかった。
 打ち合わせのほとんどは庄司が話をしていた。

 会も終盤になると、亮一と庄司はすっかり意気投合していた。
 店を出ても肩を組んで街をうねり歩いていた。
 結果的に僕は篠田さんと二人で並んで歩くことになったが、ほとんど会話をしていなかったので、気まずい空気が流れていた。
 亮一の自転車を押しながら、しばらく無言で歩いた。
 無言の時間が長くなればなるほど下手な会話はできないような気がした。
 こういうときは先輩の僕から話を振らなくては。
「今日はわざわざ遠くからありがとね。」
 差しさわりのない会話を、と思い出たのがこの言葉だった。後から考えるとひどいものだ。
「いえ。わたしの家豪徳寺なんで、近くなんです。庄司さんはああ言って持ち上げてくれたんですけど、多分新宿に家が一番近いのが私だったから声をかけられたんだと思います。」
「そっかぁ。あいつもあの格好して意外と気が利くんだね。」
 正直な感想だった。気が利かない自覚のある僕としては、少し劣等感のようなものも感じたが、そんなことよりも今この会話を成立させることに必死だった。
 でも、この言葉が共感を生んだのか、彼女から少し笑みがこぼれていた。
「ふふっ。サークルでも同じこと言われてますよ。庄司さん。」
 やっと会話が広がりそうだと安心したそのとき、ネタにした庄司から呼びかけられた。
 すでに新宿駅は目と鼻の先だった。
「お~い。帰るぞ~。篠田ぁ。」
 篠田さんは手を振って応えると、振り返って僕の方を向いた。
「今日はありがとうございました。一生懸命盛り上げてくれて楽しかったです。練習当日も楽しみにしていますね。」
 いきなりの賛辞と、会の盛り上げに必死だったことがばれていた事実に気付き、僕があっけに取られていた。
 彼女は僕の返事を待たずに笑顔で一礼すると、走り去っていってしまった。
 庄司は亮一と握手して、こちらに大きく手を振ると、追いついてきた篠田さんと並んで帰っていった。

「お疲れさん。最初うまく取り持ってくれてサンキュー。庄司君いい人だし、合同練習うまくいきそうだな。」
 亮一は今日の僕をねぎらってくれた。
 やっぱり亮一から見ても今日の僕は必死だったように見えたのだろうか。
「ありがとう。僕今日明らかに頑張ってた?」
 亮一は怪訝そうだった。
「いつも通りだったけどな。どうした?」
「いや、何でもない。疲れたからさ。」
「まぁ、初めての企画だしな。当日も頑張ろうな。」
「だね。じゃあ、今日はお疲れ。」
「ああ。あ、チャリありがとう。」
「いやいや。はい。」
 チャリを亮一に返した。亮一は大学近くで一人暮らしなので、自転車で帰った。
 僕は電車に乗り、今日の顔合わせを振り返っていた。
 庄司とも会ったのは一度だけだったし、不安もないわけではなかったが、とにかくうまくいきそうで安心した。

 そして、何よりも、彼女が最後に見せた笑顔が印象的だった。


追い討ち

2013年4月7日 大学


 新しい春を迎え、僕は4年生になった。
 今学期受講する講義を申請するために大学に来た。
 今日は面接もないし、サークルの新入生歓迎イベントでも手伝っていこうと思った。
 真紀と別れ、お祈りメールをもらったあの日からおおよそ1週間が経っていたが、完全に立ち直っているとは言いがたかった。
 せわしなく新入生歓迎の作業に取り組めば気がまぎれるとも思ったのは確かだ。
 それだけではない。
 4月4日に受けた2次面接の結果がそろそろ来るはずだった。
 ただでさえ不安定な状態なので、何もせずに結果を待つという気にはなれなかった。
 僕は3月までコンサル系の会社をメインに就職活動してきたが、もうこの企業しか生き残っているところはなかった。
 テニスサークルで練習統括としてサークルの同期や後輩を指導してきた経験から、コンサルになって様々な企業が抱える問題を解決する仕事に就きたいと思ったのがきっかけだ。
 でも、コンサル業界に入れるとしたら、もう残された選択肢は一つしかない。
 この2次面接をパスすれば、あとは最終面接だけだが、第一志望で味わったあの手応えと結果から不安は募るばかりだった・・・。
 その思いから、僕は昨日、一昨日と大手金融機関の面接に臨んでいた。
 もうコンサルに絞って就職活動をしている場合ではない。
 志望していない業界であっても受けていくしかなかった。
 とにかく拾ってくれたところに入るべきなのでは・・・。あの日を境にそんな考えに至っていた。

 サークルの看板が見えた。
 そういえば、顔を出すのは久々かもしれない。
 今年も行われた庄司たちとの合同練習以来だった。約1か月ぶりだ。
 真紀と付き合うきっかけとなったあの合同練習には、今年も参加した。
 真紀も今では副会長を担っているので、今年は仕切る立場だった。
 引退した身で同じく参加した庄司をはじめ、サークルのメンバーたちも温かい眼で僕らのことを見守ってくれていたのが今となっては懐かしい。

 普段よりも人であふれた学内を歩いて、サークルオリエンテーションが行われている建物に向かう。
「あ、沖田さん!」
 建物の入り口付近で、聞き覚えのある元気の良い声が聞こえた。
「おう太郎ちゃん!」
 現会長中村太郎(なかむらたろう)だった。
 テニスの腕はいまいちだが、平山と同様明るく社交的な性格が買われ会長に選出された。
 実際こういった新入生歓迎のイベントではイキイキと活躍しているように見える。
「どう?けっこう新入生捕まってる?」
「まずまずです。ただ、やっぱり最近はサークル離れもひどくなってきて、全体的にオリエンテーションに来ている1年生が少ない感じがしますよ・・・。」
「そっかぁ・・・。結構ダブルスクールとかする人も増えてきてるしね。まぁ、でもうちのサークルはもともとそんな大所帯じゃないし、3年生になって運営が出来るくらいの人数が集まれば上々でしょ。」
「そうですね。最低限10人くらいは入れたいですね。」
 中村からはもっと1年生を集めたいという野心めいたオーラを感じたが、10人という人数は例年の傾向を考えたとしても妥当な数字だった。
 例年1年生は10人から15人程度だ。
 大学に入ってテニスサークルに入る1年生は多いが、そのほとんどは交流メインのサークルに入る。うちのサークルのように真面目にテニスをするサークルに入る1年生は稀だ。
ここだけの話、実際3年間活動してみるとうちのサークルの方でよかったと断言できるが、入学したばかりの1年生にしてみれば、交流メインでコンパが頻繁に開催されているサークルの方が魅力的に映るのだろう。
「まぁ、僕も手伝うよ。何したらいい?」
「あ、ありがとうございます!ブースで説明してもらってもいいですか?」
 新入生歓迎のサークルオリエンテーションでは、参加してきた1年生に声をかけて教室に設置したブースに来てもらい、サークルの紹介をする。
 ブースではお菓子やジュースなどを振る舞いながら、前年の活動写真や映像を見せて興味を持ってもらうと共に、しっかり1年生の連絡先を聞き出すのだ。
 僕としてもブースでの説明の方が気が楽だ。
「オッケー!場所は?」
「2階の201教室です。」
「は~い。じゃあ、太郎ちゃんどしどし連れて来てよ。」
「了解です!頑張ります!」
 太郎ちゃんは入り口に向かって駆けていった。が、すぐに立ち止まって振り向いた。
「沖田さん!そういえば、今日は平山さんも来てますよ!」

 教室に入ると3人の1年生に対して後輩が1対1でサークル説明をしていた。
 結構興味を持って聞いてくれている気がする。人数としても常に3人くらい1年生がいれば安心だ。
 先ほど太郎ちゃんは1年生の人数が減っていると言っていたが、このブースだけ見ていると僕には去年と同等くらいなんじゃないかと感じてしまう。
 後輩が頑張っているのだろうと少し微笑ましくなった。
 ふと目を移すと、教室の端で平山と後輩二人が話をしていた。
 1年生が3人なので、余ったメンバーで話をしているようだ。
 一生懸命魅力を伝えようとしている後輩の邪魔をするのも気が引けたので、ひとまず平山たちのそばに行った。
「おう!沖田。お前も来たのか。」
「あぁ。別に午後も予定がないからね。」
 特に何かを意識したわけではなかったが、含みのある言い方に聞こえたらしい。
「あ、お前もか!!」
 平山は笑顔で近くの席に座った僕の肩を叩いた。後輩も笑顔を見せている。
「え?何がだよ?」
 僕には彼の言わんとすることが分からなかった。
「何がって何だよ。内定取ったんじゃないのか?」
 なるほど。そういうことか。
 僕は変な期待をさせてしまったらしい。
 慰めて欲しいくらいの気持ちだったが、丁寧に訂正した。
「あぁ、そういうことね。残念ながらまだだよ。今日はたまたま午後に用事がなかっただけさ。」
 平山たちは一瞬固い表情をしたが、すぐに笑顔を取り戻して僕を励ましてくれた。
「まぁ、でもお前ならうまく行くだろ。」
「そうですよ。沖田さんを採用しない企業の方がおかしいですよ。」
「いよいよ面接ラッシュっていう話も聞きますし、頑張って下さいね!」
 少し目頭が熱くなる感じがした。
 日々企業に不採用通告をされていただけに、自分のことを信じてくれている人の存在はありがたかった。
「あ、・・・ありがとう。何かそんなこと言われるとプレッシャーかかっちゃうな。」
「なぁに言ってんだ。就活なんかさっさと終わらせてまた一緒にテニスでもしようぜ。」
 ありがたい誘いだ。
 平山は嘘が言えない男だ。おそらくこれも本心だろう。
 就職活動に対して明らかに後ろ向きになっていたが、少し前を向ける気がした。
 とにかくここに来て良かったと思った。
「あぁ。頑張るよ。」
 そう答えて、まだ手に持っていたかばんを荷物置き場に置きに行った。

 僕がかばんを置くと同時に1年生がどっと教室に入ってきた。
 太郎ちゃんだ。
 一気に5人も連れてきた。
 教室の端で話をしていた平山たちもすぐに立ち上がり、歓迎ムードで1年生を出迎えた。
 僕も人手が足りないと思い、ブースでのサークル説明を行った。
 それからしばらくは1年生の足は絶えなかった。

 夕方になって一段落すると、ぱったりと1年生は来なくなった。
 だが、結果を見れば大成功だったのは明らかだ。
 1日で80人ほどの連絡先を聞き出せたのだ。
 その中でも5人は既に「入りたい」と宣言してくれている。
 10人以上の新入生確保は確実に思えた。
 この結果には太郎ちゃんも満足のようだった。
 そんな太郎ちゃんをねぎらい、安心して役目を終えた僕は再び平山に声をかけた。
「じゃあ、今日は帰るよ。」
「おう!またな。決まったら連絡くれよ。」
「ああ。平山もな。」
「えっ・・・。」
 平山の驚きに、僕もあっけにとられて止まってしまった。
 平山は「あ、そうか。」といいながら気まずそうにして口を開いた。
「いや、俺、昨日内定もらってさ。」
 あまりの驚きに僕は凍りついたまま動けなかった。
 そういえば、今日会ったとき「お前もか」といって喜んでいた。
 そういうことだったのか。
 自分のことでいっぱいいっぱいで気づいていなかった。
 今更気付いた事実に恥ずかしくなると同時に、先ほどの励ましも優越感からの一言だったのではないかと感じ、急に胸が苦しくなった。
「そうだったんだ。どこ?」
「銀行。メガバンクさ。」
「そうか・・・。おめでとう!」
「ありがとう。」
 そっけない祝辞になってしまったもしれないが、これが今の精一杯だった。
 そんな僕の状況を平山も感じ取ったのか、それ以上何も言わなかった。
「じゃ。」
 そういって僕は教室を後にした。

 帰りの電車の中で平山からメールが来た。
 自分の結果をはっきり伝えていなかった結果僕を傷つけてしまったことに対する謝罪。
 コンサル業界という難関に挑んでいる僕が苦労しているのは当然なのに配慮できなかったこと。
 それでも僕ならば内定がもらえると言ったのは本心であること。
 そして、最後はこう括られていた。
「終わったらまた一緒にテニスやろうな。頑張れよ。」
 複雑な気持ちだった。
 以前の自分なら素直に喜んでいただろう。
 教室で言われたときも嬉しかった。それは本当だ。
 でも、平山が内定を取ったという事実を知る前と後では決定的に何かが変わってしまっていた。
 言葉にしたくないが答えは明白だった。
 平山は確かに社交的で自然に周囲に人が集まるが、いわゆる「デキる」タイプの人間ではなかった。
 サークルの会長職もその人望で成り立っていたが、普段の練習の統率や事務作業は周りでカバーしていたのは明らかだった。
 だからこそ、僕は平山が自分よりも先に内定を取るなんて思いもしなかった。
 負けると思っていなかった。
 悔しかったのだ。
 なぜ自分が苦労しても内定が取れないのに、平山は楽に内定を取っているんだ。
 そんな思いが頭から離れなかった。
 1年間一緒にサークルを運営してきた同士をはっきりそんな風に思える自分も嫌だった。
 心の奥底に眠って気付かない思いが洪水のようにあふれ出てくる。
 そして、本心からの励ましや信頼が素直に受け止められなくなっているという自覚も拍車をかけて僕を追い詰めた。
 正気じゃないと思いながら、どうしていいのかは全く分からなかった。
 もやもやとした何かだけが胸の中に残って僕という自我が奥底へ消えてしまった気がした・・・。

 家に帰ると、メールが1通届いた。
 平山ではない。
 平山のメールには返信できなかった。
 今のまま返信してはいけないと思った。
 企業からだ。
 もう覚悟は出来ていた。
 そう。お祈りメールだ・・・。
 4月4日に受けたコンサル企業からだった。
 身体から力が抜けていく気がした。
 僕はまっすぐ自分の部屋に向かい、電気もつけずにベッドに倒れ込んだ。
 テニスで疲れて帰ったときも同じようにベッドに倒れこんだが、今日のそれは明らかに違った。
 もう動く気力すら起きなかった。
 真っ暗な部屋で枕に顔をうずめた。
 見えるのは暗闇のみだ。
 自分の将来と同じだと思った。
 出口の見つからない先の見えない迷路。
 もう何も考えられなかった。
 悔しいという気持ちすら沸いてこなかった。
 ただひたすらに呼吸だけを続け、気付いたら眠っていた・・・。

 夢と現の狭間で「もう起きなくていい」と思った。


進路

2013年4月28日 新宿


 サークルの新歓活動は、出足が好調だったこともあり、結果として17人の新入生が入るという大成功を収めた。
 今日は新入生が正式にサークルの一員となる新歓コンパだ。
 通常通り練習をして、その後新歓コンパを行う。
 こういったイベントのない練習日でも練習後にアフター(食事や飲み会)に行くことはあるが、もともと練習自体に全員が参加できるわけではないし、アフターも行きたい人だけが行くという程度なので、今日のようにサークルのほぼフルメンバーが参加すると練習も活気があるし、親睦も深まる。
 その甲斐もあって、1年生も安心してサークルに入ることができるのだ。

 一方で、就活の状況は相変わらずだった。
 4月以降に始まったメーカーの採用にもエントリーし、徐々に面接に進んではいたが、まだ内定の兆しは見えない。
 そんな状況で僕がこの新歓コンパに来るには少し勇気が必要だった。

 新歓コンパのイベントについては、引退した4年生にも招待のメールが送られてきた。
 去年は招待メールを送る立場だったので、逆に送られると不思議な感触があった。
 参加可否の返事はすぐに返せなかった。
 ここのところ様々なメールの返信が以前よりも遅くなっている自覚はあったが、そういう傾向は無視しても容易に返信できるわけではなかった。
 以前のサークルオリエンテーションのように、自分ひとり就職活動中で参加するという状況は避けたかった。
 一方で、オリエンテーションで自分がサークル紹介をした1年生も入っているという話を聞いていたので、是非歓迎したいという思いもあった。
 一人で悶々と悩んでいたところ、共に「練習統括」を担っていた渡辺亮一から「参加しないか?」と誘いのメールが送られてきた。
 亮一が参加するならば参加しようかとは思ったが、平山にはまだ会いたくなかった。
 あのときのメールについては3日後くらいに返信した。
 内容は簡単だ。
「気を遣わせてごめん。僕も就活頑張るよ。」
 それしか書けなかった。
 その後平山からは再度応援する内容のメールをもらったが、返信していない。
 そんな状態で平山と会うのは気まずかった。
 さんざん迷った結果、亮一には悪いとも思ったが、少しでも今の不安を誰かに聞いてもらえるのであればという気持ちを優先することにした。
 参加するという返信をした後、なぜ亮一が参加する気になったのかが少し気になったが、 自分の話が聞いてもらえる、その期待ですぐに忘れてしまった。

 結局平山は来なかった。
 内々定者向けのイベントなど何か用事があったのかは不明だが、僕としては少しありがたかった。
 そうは言っても時期が時期だけに、例年就職活動に追われる4年生は、あまりこのイベントには参加しない。
 今年も僕と亮一、そして副会長をしていた田中紗智子(たなかさちこ)の3人だけだった。
 紗智子は「さっちゃん」の愛称で親しまれる副会長だった。
 同期に田中という苗字の女の子が2人いたこともそうだが、小柄な体格で大量のボールを運ぶ姿が家のお手伝いをする小学生のように見えることもあり、サークル全体から広く愛称で呼ばれるようになった。

 飲み会の前半は1年生と話をして過ごした。
 中には1人僕がきっかけでこのサークルに決めたと言ってくれた男の子がいた。
 高橋君だったか・・・。
 名前はあまり印象に残っていないのでうろ覚えだが、サークルオリエンテーションで回ったどのサークルよりも僕が親切に授業や大学の設備などサークル以外のことも教えてくれたと言っていた。
 僕にとっては大勢の中の一人だったので「あぁ、そういえば。」といった程度であったが、彼にしてみれば新しい生活の中に蔓延る様々な不安をかき消してくれたのが僕であったというわけだ。
 当然僕は4年生なので普段の練習には参加しないが、3年生も同様に親切であったことも助けて決意が固まったそうだ。
 経緯はさておき、そうしてサークルに入ってくれた1年生がいたのも、高橋君以外にも僕のサークル説明を受けた1年生が入っていたのも素直に嬉しかった。
 サークルオリエンテーションは僕にとって良い思い出ではなかったが、心なしか報われた気がした。

 1年生との会話も一段落したので、亮一の近くに移動した。
 1年生との会話で少し救われた気にもなったが、それでも僕は自分の悩みを誰かに話したかった。
 亮一はちょうどさっちゃんと話をしていた。
 後輩が話に加わっていなかったのは僕にとっても都合が良かった。
 就職活動のストレスを後輩にぶつけることはしたくない。
「お疲れ。」
 会も盛り上がっていて多くのメンバーが席を移動していたので、亮一の隣は空いていた。
「お!お疲れさん。」
「お疲れ~。就活はどう?」
 さっちゃんは早速僕の状況を知りたがった。
 もしかしたら僕が来るまでにそんな話をしていたのかもしれない。
 亮一にも僕の状況は言っていなかった。
「まぁ、やっぱり厳しいね。就職氷河期とはうまく言ったもんだよ。」
「そうなんだ。沖田君でも難しいのか。・・・あ、いきなりこんなこと聞いてごめんね。」
「いやいや。ここに来てる時点でそういう話になると思ってたしね。」
 さっちゃんは気を遣ってくれたが、僕にとっては好都合だった。僕は逆にうまく行かない悩みを話しに来たのだ。
「コンサルに行きたいとは思ってたんだけど、全滅でさ・・・。今はメーカーとかを回ってるよ。」
「そうなのか・・・。コンサル業界はかなり厳しいらしいしな。でも、それにしてもやっぱり大変なんだな。オレはやらなくて正解だった・・・。」
 ん?
 亮一が就職活動をしていないという話は初耳だった。
「あれ?亮一就活してないんだっけ?」
 亮一とは去年の年末の引退式以来だったので、確かに何をしているのか全く知らなかったし、誘いのメールが来たときも、状況が見えないだけに余計な詮索はしなかったのだ。
「オレ公務員目指してるんだ。」
 なるほど。
 そういうことか。
 引退するときは特にそういったことは言ってなかった気がしたが、とにかく留年が確定したからといった理由でなくて安心した。
「そうだったのか・・・。でも、昔から目指してるって言ってたっけ?」
「いや、引退する辺りからかな・・・。」
「そうだよね。亮一君も引退前企業説明会とか参加してたもんね。」
 さっちゃんも同じく知らなかったようだった。
「うん。でも、合同説明会とか、結構いろんな企業の説明会も参加したんだけど、いまいちピンと来なくてさ。」
 亮一の話は続いた。
「オレ実家が静岡じゃん?そりゃ北海道とか沖縄とかと比べたら東京にかなり近いけどさ、実家の方で就職するのか東京で就職するのかは結構悩んだんだよね。」
 僕にはない悩みだ。ずっと東京で暮らしてきて、転勤はあるとしても、当然のように東京で就職するものだと思い込んできた。
「確かに。結構就職は実家の近くでって言う人多いもんな。」
「そう。いつかは実家の近くに戻りたいと思っていても、仕事始めたら結局戻れるかなんて分からないだろ。それなら最初っから地元で就職してしまってもいいかなって・・・。」
「それでどうしたの?」
「地元の企業も含めて説明会に行ったんだけど、結局答えは出なかったよ・・・。どの 企業の話を聞いても将来自分が活き活きと働いている姿は想像できなかった。」
「そうなの?何で?1つくらい合う会社がありそうなのに・・。」
「確かにね。もしかしたら実はあったのかもしれないけど・・・。でも、行き詰ってもう一度オレ自身が何をしたいのかって考えたとき、やりたいことは別なんじゃないかって思えてきてさ。」
「うん。それで、何がやりたいって思ったの?」
「平たく言えば町興しってやつさ。何かこうやって話すのは恥ずかしいけど、地元に恩返しがしたくてさ。」
「へぇ。何で?言ったら悪いけど、亮一君っぽくない気がする。」
「はは。確かに・・・。まぁ、真面目に何がしたいのかって考えたら、昔の経験とか思い返すじゃん?オレ中学のときかなり好き放題やっててさ。今から考えると大分親とか学校の先生とかにも迷惑かけたなって思って。オレの実家って結構田舎だから、そういう子供がいると地域ぐるみで更正しようとするわけよ。古き良き日本?みたいな。かなりの人に世話になったってわけ。結果としてオレはすっかりまともになれたし、この大学にも入れた。だからこのまま何も恩を返さずに勝手に就職して、東京でのらりくらりと自分のための生活をするっていうのがいまいちしっくりこなかったってこと。」
 徐々に僕は会話に入れなくなってきていた。
 亮一が昔不良だったという話は以前本人から聞いていたので驚きはしなかったが、将来についてしっかり考えているということが意外だった。
 僕もそれなりに考えてコンサル業界を志望して就職活動をしていたつもりだったが、結局はコンサルの格好良いイメージへの憧れという側面が強かった気がする。
 亮一のように真剣に自分が何をやりたいのかなんて考えたことがなかった。
 そんな僕を置いて、亮一とさっちゃんの会話は進んだ。
「そういうことかぁ。亮一君って意外と義理堅いんだね。」
「意外と、ね。ただ、地元に恩返しするっていっても何をしたらいいかよく分からなくて、地元のやつに電話したんだ。まぁ、みんなが就職どうしてるのかも気になったし。そしたら、最近観光客も減ってなんか街全体の活気がなくなってきてるから、仲間内で盛り上げていかないかって誘われてさ。」
「それで、公務員?」
「そう。別に地元の企業でも良かったんだけど、こう言っちゃ何だけど地元の奴ら馬鹿ばっかだからさ。あいつら工場とかに就職は出来ても公務員は無理だし、町興しやろうと思ったら一人くらいそういう立場の人間がいてもいいかなって思って。」
「確かに。普通に働いている人たちだけでやるよりも、その方がいいかもね。でも、一生地元にいるってことでしょ?よく決心できたね・・・。」
「そりゃかなり悩んだよ。後で悔やむんじゃないかとか・・・。でも、やっぱり地元に恩返ししたいって気持ちが勝ったからかな。・・・ただ、なろうと思ったらやっぱり試験があるじゃん。オレスタートが遅かったら今大変でさ・・・。」
「じゃあ、何でこの飲み会に来たんだ?」
 やっと会話に参加できた。
「息抜きさ。正直久々に勉強ばっかしてるから滅入っちゃってさ。まぁ、ワタルを巻き込んで悪かったけど。」
「そっか。僕も1年生と話せて良かったし就活の予定もなかったし別にいいけど、てっきり内定もらったから参加しようって誘われたのかと思ってたよ。」
「はは。そしたら逆に誘えないだろ。ワタルの状況も知らないんだから。」
「まぁ、確かに。それで、さっちゃんは今日何で参加したの?」
「私?私も似たようなものよ。」
「確か、教職だったよね?」
「そう。4年生は教育実習とかもあるから、結構大変で・・・。1か月くらいはあけちゃうから大学の授業も考えなきゃいけないし。」
 なるほど。教育実習は大変だと先輩が言っていたが、実際の実習期間だけでなく、大学の授業もそれを見越して準備をしなくてはいけなかったりと他でもやらなくてはいけないことがあるのか。
 そんなことに納得しながらも、僕の興味は別のところにあった。
「それは大変だね・・・。でも、何でさっちゃんは教師になろうと思ったの?」
 先ほどの亮一の話を聞いてから気になっていた。
 みんな自分がやりたいことが明確にあるのだろうか。
 僕だけ具体的なことは何も考えずに就職活動しているのだろうか。
 そんな疑問が不安を呼び、僕の中で渦巻いていた。
 そして、自分だけになりたくないという不安からだろう、さっちゃんが自分と同じであることを密かに期待していた。
 しかし。
「私はね、高校生にもっと前向きになってもらいたいなと思って教師になろうと思ったの。」
 自分の期待はあっさり裏切られた。
 何も言えなかった。
 僕が唖然としていると、少し間を空けて亮一が合いの手を入れた。
「どういうこと?」
「私の妹が今年一浪で大学に入ったんだけど、何かやりたいからとかっていう訳じゃなくて、偏差値から自動計算みたいな感じで大学も選んでて・・・。何か夢とか持てないのかなって。妹に聞いてもみんなそうだって言ってる。実際今の社会って、高校生のイメージが良くないでしょ?犯罪に手を染める子がいたり、遊んでばかりで不登校の子がいたりして何かと新聞とかテレビとかで報道されてて、そういう子は一部なんだけど結局現代の高校生はみんなひどいみたいに言われているし。高校生も閉塞感みたいなものを感じてるみたい。教師になって現場に入ればそういう夢を持てない子たちのサポートができるかなって。一応私も塾講師して多少は鍛えられていると思うし。」
「そっかぁ。すげぇなぁ。でも、まぁ、お互いまずは試験に合格しないと、だな。」
「うん。まだ出発地点にも立ってないしね。」
 そう。2人は同類だ。
 まだ就職のための活動はしていないが、目標があり、夢がある。
 そのために努力する2人は自分とは別次元にいるように思えた。
「半年後はみんな決まってるといいな。ワタルも就活頑張れよ。」
「あ、ああ・・・。」
 半年後どころではなく、僕としてはすぐにでも内定が欲しかったが、突然の励ましに細かな否定は出来なかった。
 何よりも、亮一もさっちゃんも自分のやりたいことが明確なのに、僕だけ何も目標がないという状況が辛かった。
 まるでサークルオリエンテーションのときのようだ。
 もはや僕の悩み相談ができる雰囲気にはなりそうにない・・・。
 結局その後は他愛もない話をして飲み会は終わった。
 1年生と話した内容はもうほとんど覚えていなかった。

 僕は社会に出て何がやりたいんだろうか・・・。
 帰りの電車の中でもその命題が頭を離れなかった。
 自分のことなのに何も分からない。
 むしろ、別段やりたいことはないような気がする。
 なぜ就職するのかと聞かれたとき、みんな就職するし、生活をするためにお金が必要だからとしか僕は答えられないのだ。
 今まではそれでいい気がしていたが、亮一とさっちゃんの話を聞いて、どれだけ自分がちっぽけな人間であるかを思い知らされた。
 他ならぬ同期だからこそショックなのだ。
 平山のときもそうだった。
 僕だけが常に取り残されていく。
 サークルで運営をしていたとき、身を粉にすると言えば言い過ぎかもしれないが僕は周囲のメンバーの仕事もサポートするくらい働いた。
 だから、同期と比べて社会で通用する人間だと思ってきた。
 そもそも大学だって超有名校だし、SPIの結果だって悪かったとは思わない。
 他の大学の学生と比べてたって僕の方が勝っている部分が多いと思ってきた。
 しかし現実は冷酷だ・・・。
 こうして就職活動をしてみると、ふるい落とされるのは僕の方だった。
 様々なステータスが普通より良いだけに、人間として否定されているとしか考えられなかった。
 第一志望のコンサルに落ちて真紀と別れたあの日以来、僕の自信やプライドはズタズタだった。
 今まで21年間積み上げてきたものが容赦なく破壊されていく感覚。
 自分が自分でなくなっていくような気がする。
 怖い。そう恐怖だ。もう僕はこれ以上傷つきたくない・・・。
 でも、就職活動をやめることもできない。
 こんなにもボロボロになったあげく、どんどん味方が減っていく、そんな感覚に陥っていた。

 就活で傷つきたくない。でも就職活動はやめられない。
 こんな堂々巡りの思考のまま家に着いた。
 もちろん答えは出ていなかった。
 リビングのカレンダーを見る。
 赤い文字が多い。これからゴールデンウィークに入るのだ。
 幸いゴールデンウィークは面接が入らなかった。
 この期間にどうにか答えを見つけなくては・・・。
 そうすればもう一度自分を取り戻すことができる・・・。
 そうすればもう傷つかない・・・。
 そして、そうしなければ同期のみんなに追いつくことはできない・・・。
 そんな脅迫じみた焦燥感に支配され、しばらくぼんやりとカレンダーを眺めていた。



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