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進路

2013年4月28日 新宿


 サークルの新歓活動は、出足が好調だったこともあり、結果として17人の新入生が入るという大成功を収めた。
 今日は新入生が正式にサークルの一員となる新歓コンパだ。
 通常通り練習をして、その後新歓コンパを行う。
 こういったイベントのない練習日でも練習後にアフター(食事や飲み会)に行くことはあるが、もともと練習自体に全員が参加できるわけではないし、アフターも行きたい人だけが行くという程度なので、今日のようにサークルのほぼフルメンバーが参加すると練習も活気があるし、親睦も深まる。
 その甲斐もあって、1年生も安心してサークルに入ることができるのだ。

 一方で、就活の状況は相変わらずだった。
 4月以降に始まったメーカーの採用にもエントリーし、徐々に面接に進んではいたが、まだ内定の兆しは見えない。
 そんな状況で僕がこの新歓コンパに来るには少し勇気が必要だった。

 新歓コンパのイベントについては、引退した4年生にも招待のメールが送られてきた。
 去年は招待メールを送る立場だったので、逆に送られると不思議な感触があった。
 参加可否の返事はすぐに返せなかった。
 ここのところ様々なメールの返信が以前よりも遅くなっている自覚はあったが、そういう傾向は無視しても容易に返信できるわけではなかった。
 以前のサークルオリエンテーションのように、自分ひとり就職活動中で参加するという状況は避けたかった。
 一方で、オリエンテーションで自分がサークル紹介をした1年生も入っているという話を聞いていたので、是非歓迎したいという思いもあった。
 一人で悶々と悩んでいたところ、共に「練習統括」を担っていた渡辺亮一から「参加しないか?」と誘いのメールが送られてきた。
 亮一が参加するならば参加しようかとは思ったが、平山にはまだ会いたくなかった。
 あのときのメールについては3日後くらいに返信した。
 内容は簡単だ。
「気を遣わせてごめん。僕も就活頑張るよ。」
 それしか書けなかった。
 その後平山からは再度応援する内容のメールをもらったが、返信していない。
 そんな状態で平山と会うのは気まずかった。
 さんざん迷った結果、亮一には悪いとも思ったが、少しでも今の不安を誰かに聞いてもらえるのであればという気持ちを優先することにした。
 参加するという返信をした後、なぜ亮一が参加する気になったのかが少し気になったが、 自分の話が聞いてもらえる、その期待ですぐに忘れてしまった。

 結局平山は来なかった。
 内々定者向けのイベントなど何か用事があったのかは不明だが、僕としては少しありがたかった。
 そうは言っても時期が時期だけに、例年就職活動に追われる4年生は、あまりこのイベントには参加しない。
 今年も僕と亮一、そして副会長をしていた田中紗智子(たなかさちこ)の3人だけだった。
 紗智子は「さっちゃん」の愛称で親しまれる副会長だった。
 同期に田中という苗字の女の子が2人いたこともそうだが、小柄な体格で大量のボールを運ぶ姿が家のお手伝いをする小学生のように見えることもあり、サークル全体から広く愛称で呼ばれるようになった。

 飲み会の前半は1年生と話をして過ごした。
 中には1人僕がきっかけでこのサークルに決めたと言ってくれた男の子がいた。
 高橋君だったか・・・。
 名前はあまり印象に残っていないのでうろ覚えだが、サークルオリエンテーションで回ったどのサークルよりも僕が親切に授業や大学の設備などサークル以外のことも教えてくれたと言っていた。
 僕にとっては大勢の中の一人だったので「あぁ、そういえば。」といった程度であったが、彼にしてみれば新しい生活の中に蔓延る様々な不安をかき消してくれたのが僕であったというわけだ。
 当然僕は4年生なので普段の練習には参加しないが、3年生も同様に親切であったことも助けて決意が固まったそうだ。
 経緯はさておき、そうしてサークルに入ってくれた1年生がいたのも、高橋君以外にも僕のサークル説明を受けた1年生が入っていたのも素直に嬉しかった。
 サークルオリエンテーションは僕にとって良い思い出ではなかったが、心なしか報われた気がした。

 1年生との会話も一段落したので、亮一の近くに移動した。
 1年生との会話で少し救われた気にもなったが、それでも僕は自分の悩みを誰かに話したかった。
 亮一はちょうどさっちゃんと話をしていた。
 後輩が話に加わっていなかったのは僕にとっても都合が良かった。
 就職活動のストレスを後輩にぶつけることはしたくない。
「お疲れ。」
 会も盛り上がっていて多くのメンバーが席を移動していたので、亮一の隣は空いていた。
「お!お疲れさん。」
「お疲れ~。就活はどう?」
 さっちゃんは早速僕の状況を知りたがった。
 もしかしたら僕が来るまでにそんな話をしていたのかもしれない。
 亮一にも僕の状況は言っていなかった。
「まぁ、やっぱり厳しいね。就職氷河期とはうまく言ったもんだよ。」
「そうなんだ。沖田君でも難しいのか。・・・あ、いきなりこんなこと聞いてごめんね。」
「いやいや。ここに来てる時点でそういう話になると思ってたしね。」
 さっちゃんは気を遣ってくれたが、僕にとっては好都合だった。僕は逆にうまく行かない悩みを話しに来たのだ。
「コンサルに行きたいとは思ってたんだけど、全滅でさ・・・。今はメーカーとかを回ってるよ。」
「そうなのか・・・。コンサル業界はかなり厳しいらしいしな。でも、それにしてもやっぱり大変なんだな。オレはやらなくて正解だった・・・。」
 ん?
 亮一が就職活動をしていないという話は初耳だった。
「あれ?亮一就活してないんだっけ?」
 亮一とは去年の年末の引退式以来だったので、確かに何をしているのか全く知らなかったし、誘いのメールが来たときも、状況が見えないだけに余計な詮索はしなかったのだ。
「オレ公務員目指してるんだ。」
 なるほど。
 そういうことか。
 引退するときは特にそういったことは言ってなかった気がしたが、とにかく留年が確定したからといった理由でなくて安心した。
「そうだったのか・・・。でも、昔から目指してるって言ってたっけ?」
「いや、引退する辺りからかな・・・。」
「そうだよね。亮一君も引退前企業説明会とか参加してたもんね。」
 さっちゃんも同じく知らなかったようだった。
「うん。でも、合同説明会とか、結構いろんな企業の説明会も参加したんだけど、いまいちピンと来なくてさ。」
 亮一の話は続いた。
「オレ実家が静岡じゃん?そりゃ北海道とか沖縄とかと比べたら東京にかなり近いけどさ、実家の方で就職するのか東京で就職するのかは結構悩んだんだよね。」
 僕にはない悩みだ。ずっと東京で暮らしてきて、転勤はあるとしても、当然のように東京で就職するものだと思い込んできた。
「確かに。結構就職は実家の近くでって言う人多いもんな。」
「そう。いつかは実家の近くに戻りたいと思っていても、仕事始めたら結局戻れるかなんて分からないだろ。それなら最初っから地元で就職してしまってもいいかなって・・・。」
「それでどうしたの?」
「地元の企業も含めて説明会に行ったんだけど、結局答えは出なかったよ・・・。どの 企業の話を聞いても将来自分が活き活きと働いている姿は想像できなかった。」
「そうなの?何で?1つくらい合う会社がありそうなのに・・。」
「確かにね。もしかしたら実はあったのかもしれないけど・・・。でも、行き詰ってもう一度オレ自身が何をしたいのかって考えたとき、やりたいことは別なんじゃないかって思えてきてさ。」
「うん。それで、何がやりたいって思ったの?」
「平たく言えば町興しってやつさ。何かこうやって話すのは恥ずかしいけど、地元に恩返しがしたくてさ。」
「へぇ。何で?言ったら悪いけど、亮一君っぽくない気がする。」
「はは。確かに・・・。まぁ、真面目に何がしたいのかって考えたら、昔の経験とか思い返すじゃん?オレ中学のときかなり好き放題やっててさ。今から考えると大分親とか学校の先生とかにも迷惑かけたなって思って。オレの実家って結構田舎だから、そういう子供がいると地域ぐるみで更正しようとするわけよ。古き良き日本?みたいな。かなりの人に世話になったってわけ。結果としてオレはすっかりまともになれたし、この大学にも入れた。だからこのまま何も恩を返さずに勝手に就職して、東京でのらりくらりと自分のための生活をするっていうのがいまいちしっくりこなかったってこと。」
 徐々に僕は会話に入れなくなってきていた。
 亮一が昔不良だったという話は以前本人から聞いていたので驚きはしなかったが、将来についてしっかり考えているということが意外だった。
 僕もそれなりに考えてコンサル業界を志望して就職活動をしていたつもりだったが、結局はコンサルの格好良いイメージへの憧れという側面が強かった気がする。
 亮一のように真剣に自分が何をやりたいのかなんて考えたことがなかった。
 そんな僕を置いて、亮一とさっちゃんの会話は進んだ。
「そういうことかぁ。亮一君って意外と義理堅いんだね。」
「意外と、ね。ただ、地元に恩返しするっていっても何をしたらいいかよく分からなくて、地元のやつに電話したんだ。まぁ、みんなが就職どうしてるのかも気になったし。そしたら、最近観光客も減ってなんか街全体の活気がなくなってきてるから、仲間内で盛り上げていかないかって誘われてさ。」
「それで、公務員?」
「そう。別に地元の企業でも良かったんだけど、こう言っちゃ何だけど地元の奴ら馬鹿ばっかだからさ。あいつら工場とかに就職は出来ても公務員は無理だし、町興しやろうと思ったら一人くらいそういう立場の人間がいてもいいかなって思って。」
「確かに。普通に働いている人たちだけでやるよりも、その方がいいかもね。でも、一生地元にいるってことでしょ?よく決心できたね・・・。」
「そりゃかなり悩んだよ。後で悔やむんじゃないかとか・・・。でも、やっぱり地元に恩返ししたいって気持ちが勝ったからかな。・・・ただ、なろうと思ったらやっぱり試験があるじゃん。オレスタートが遅かったら今大変でさ・・・。」
「じゃあ、何でこの飲み会に来たんだ?」
 やっと会話に参加できた。
「息抜きさ。正直久々に勉強ばっかしてるから滅入っちゃってさ。まぁ、ワタルを巻き込んで悪かったけど。」
「そっか。僕も1年生と話せて良かったし就活の予定もなかったし別にいいけど、てっきり内定もらったから参加しようって誘われたのかと思ってたよ。」
「はは。そしたら逆に誘えないだろ。ワタルの状況も知らないんだから。」
「まぁ、確かに。それで、さっちゃんは今日何で参加したの?」
「私?私も似たようなものよ。」
「確か、教職だったよね?」
「そう。4年生は教育実習とかもあるから、結構大変で・・・。1か月くらいはあけちゃうから大学の授業も考えなきゃいけないし。」
 なるほど。教育実習は大変だと先輩が言っていたが、実際の実習期間だけでなく、大学の授業もそれを見越して準備をしなくてはいけなかったりと他でもやらなくてはいけないことがあるのか。
 そんなことに納得しながらも、僕の興味は別のところにあった。
「それは大変だね・・・。でも、何でさっちゃんは教師になろうと思ったの?」
 先ほどの亮一の話を聞いてから気になっていた。
 みんな自分がやりたいことが明確にあるのだろうか。
 僕だけ具体的なことは何も考えずに就職活動しているのだろうか。
 そんな疑問が不安を呼び、僕の中で渦巻いていた。
 そして、自分だけになりたくないという不安からだろう、さっちゃんが自分と同じであることを密かに期待していた。
 しかし。
「私はね、高校生にもっと前向きになってもらいたいなと思って教師になろうと思ったの。」
 自分の期待はあっさり裏切られた。
 何も言えなかった。
 僕が唖然としていると、少し間を空けて亮一が合いの手を入れた。
「どういうこと?」
「私の妹が今年一浪で大学に入ったんだけど、何かやりたいからとかっていう訳じゃなくて、偏差値から自動計算みたいな感じで大学も選んでて・・・。何か夢とか持てないのかなって。妹に聞いてもみんなそうだって言ってる。実際今の社会って、高校生のイメージが良くないでしょ?犯罪に手を染める子がいたり、遊んでばかりで不登校の子がいたりして何かと新聞とかテレビとかで報道されてて、そういう子は一部なんだけど結局現代の高校生はみんなひどいみたいに言われているし。高校生も閉塞感みたいなものを感じてるみたい。教師になって現場に入ればそういう夢を持てない子たちのサポートができるかなって。一応私も塾講師して多少は鍛えられていると思うし。」
「そっかぁ。すげぇなぁ。でも、まぁ、お互いまずは試験に合格しないと、だな。」
「うん。まだ出発地点にも立ってないしね。」
 そう。2人は同類だ。
 まだ就職のための活動はしていないが、目標があり、夢がある。
 そのために努力する2人は自分とは別次元にいるように思えた。
「半年後はみんな決まってるといいな。ワタルも就活頑張れよ。」
「あ、ああ・・・。」
 半年後どころではなく、僕としてはすぐにでも内定が欲しかったが、突然の励ましに細かな否定は出来なかった。
 何よりも、亮一もさっちゃんも自分のやりたいことが明確なのに、僕だけ何も目標がないという状況が辛かった。
 まるでサークルオリエンテーションのときのようだ。
 もはや僕の悩み相談ができる雰囲気にはなりそうにない・・・。
 結局その後は他愛もない話をして飲み会は終わった。
 1年生と話した内容はもうほとんど覚えていなかった。

 僕は社会に出て何がやりたいんだろうか・・・。
 帰りの電車の中でもその命題が頭を離れなかった。
 自分のことなのに何も分からない。
 むしろ、別段やりたいことはないような気がする。
 なぜ就職するのかと聞かれたとき、みんな就職するし、生活をするためにお金が必要だからとしか僕は答えられないのだ。
 今まではそれでいい気がしていたが、亮一とさっちゃんの話を聞いて、どれだけ自分がちっぽけな人間であるかを思い知らされた。
 他ならぬ同期だからこそショックなのだ。
 平山のときもそうだった。
 僕だけが常に取り残されていく。
 サークルで運営をしていたとき、身を粉にすると言えば言い過ぎかもしれないが僕は周囲のメンバーの仕事もサポートするくらい働いた。
 だから、同期と比べて社会で通用する人間だと思ってきた。
 そもそも大学だって超有名校だし、SPIの結果だって悪かったとは思わない。
 他の大学の学生と比べてたって僕の方が勝っている部分が多いと思ってきた。
 しかし現実は冷酷だ・・・。
 こうして就職活動をしてみると、ふるい落とされるのは僕の方だった。
 様々なステータスが普通より良いだけに、人間として否定されているとしか考えられなかった。
 第一志望のコンサルに落ちて真紀と別れたあの日以来、僕の自信やプライドはズタズタだった。
 今まで21年間積み上げてきたものが容赦なく破壊されていく感覚。
 自分が自分でなくなっていくような気がする。
 怖い。そう恐怖だ。もう僕はこれ以上傷つきたくない・・・。
 でも、就職活動をやめることもできない。
 こんなにもボロボロになったあげく、どんどん味方が減っていく、そんな感覚に陥っていた。

 就活で傷つきたくない。でも就職活動はやめられない。
 こんな堂々巡りの思考のまま家に着いた。
 もちろん答えは出ていなかった。
 リビングのカレンダーを見る。
 赤い文字が多い。これからゴールデンウィークに入るのだ。
 幸いゴールデンウィークは面接が入らなかった。
 この期間にどうにか答えを見つけなくては・・・。
 そうすればもう一度自分を取り戻すことができる・・・。
 そうすればもう傷つかない・・・。
 そして、そうしなければ同期のみんなに追いつくことはできない・・・。
 そんな脅迫じみた焦燥感に支配され、しばらくぼんやりとカレンダーを眺めていた。


時間 -前編-

2013年5月10日 東京


 大手飲料メーカーの2次選考はグループワークだった。
 ゴールデンウィークは明けすっかり就職活動も再開している。
 連休前に感じた焦りは日々自分の中で大きくなっていた。依然として自分が何をしたいのかは分からないままだった。
 正直こんなにも遊んだりテニスをしたりしなかったゴールデンウィークは初めてだったかもしれない。
 就職活動を始めてからというもの、初めて出くわす問題があまりにも多かった。
 何もなかったかのように時間は日々過ぎていくものの、僕の中でそういった初めての体験を消化できている実感は全くと言っていいほどなかった。
 とにかく何とか内定をもらうためにも今は行動するしかない。
 そう思って、ゴールデンウィーク中も5月以降の採用を実施している会社のエントリーシートを作成していた。
 4月から残っている選考はこの大手飲料メーカーと中堅の外食産業の会社だけだった。
 金融業界にも手を出してみたが、結局最終面接の直前くらいで不合格となった。
 志望動機が明確にならないまま受験したのだから仕方ないとも思ったが、不合格と分かったときは決まって自分を否定されていると感じた。
 取りついて離れない不安をかき消すためにも、ゴールデンウィークは「弾込め」期間にすることを決意したのだ。
 結果的にさらに5社のエントリーシートを提出した。
 合否の連絡はまだないが、かなり会社を絞って労力をかけただけにエントリーシートでは落ちたくない。
 ただ、今の僕にはもう「これなら大丈夫」といった自信は持てなかった。

 指定された会場にたどり着くと、会議室が並んだ部屋の前に簡単な受付があった。
「こんにちは。沖田航です。よろしくお願い致します。」
「沖田さんですね。まだ時間があるので、右手の休憩室でしばらくお待ち下さい。時間になりましたら係のものが案内に参ります。」
「はい。ありがとうございます。」
 会釈をしながら出欠の紙を覗き見る。
 どうやらグループワークは5人で行うらしい。
 僕以外にも4人の名前が一つの枠の中に記載されていた。
 これまでの選考でも、グループワークは何回か実施していたが、1回も落ちたことはなかった。
 落ち着いて状況と課題を把握して臨めば何とかなると信じていた。いや、信じたかった。
 時間にも余裕があるようだったので、トイレに行って落ち着いてから休憩室に向かうことにした。

 休憩室の中では2人の学生が話をしていた。
 長身で髭の濃さそうな男の人と少しぽっちゃりとしたポニーテールの女の人だった。
「こんにちは。」
 同じグループワークのメンバーならば相手を知っておくに越したことはない。
 まずは挨拶をした。
「こんにちは。」
 ポニーテールの女性からまず返事が来た。
 一拍子遅れて男性からも返事が来る。
「どうも。グループワークの人?」
「はい。沖田です。よろしくお願いし・・・」
 僕の自己紹介が終わるか否かのタイミングで係の人がやってきた。
「はい。みなさん。時間になりましたので、会場までご案内します。」
 なんてひどいタイミングだ。
 中途半端な挨拶になった上、相手の名前すら分からなかった。
 ひとまず髭男(ひげお)君とポニーちゃんと認識した。

 細い通路の先に一つ空室の会議室があり、そこでグループワークは実施するようだった。
 学生3人に社員が2名。5人だと思っていたので、3名でグループワークになるのかと疑問を感じていたが、開始前にもう2人もやってきた。
 どうやらその2人は知り合いらしい。
 2人で話をしながら入ってきた。仲が良さそうだ。
 時間になると課題とメモ用紙が配布され、社員の方からグループワークの説明をもらった。
 流れはこうだ。
 まずは10分間個人ワークを行い、課題を認識して検討する。
 次に30分間5人で議論し、グループとしての結論を導き出す。
 最後に代表者が社員に向かって結論をプレゼンする。
 また、他にも明示的に議長や書記を決めないことなどの注意事項が説明された。
 説明に対する質問も特になく、早速個人ワークが開始された。
 僕もすぐに問題文に目を通す。
 非常に短い。
「社会人として必要なものは何か?以下の8つの中からより優先度が高いと思うものを3つ選びなさい。」
 8つの候補にも目を通す。
「行動力」「協働性」「論理的思考力」「熱意」等々・・・。
 どれも社会人として必要と思われる要素に思えた。
 どうやって選んだらよいかが分からない。
 これまで受けてきたグループワークでは、それなりに答えがありそうな内容、または答えがなくとも個々に答えを導き出すための情報が提供されているものばかりだった。
こんな問題は初めてだ。
 仮に僕の中で3つを選ぶことが出来たとして、この5人でどうやって3つに絞れば良いというのだろうか・・・。
 答えのない問題についてどう5人で結論を出せば良いのかが分からず困惑しているうちに5分が経過した。
 迷っている場合ではないと我に返り、自分なりの候補を3つ選ぶことに集中した。
 いろいろと悩みはしたが、最終的には感覚を頼りに3項目選択した。
 しかし、ここまで個人ワークの時間を有意義に使えなかったグループワークは初めてだった。
 10分経過を目前にして僕の中で不安が大きく膨らんでいた。
 果たしてうまく行くのだろうか・・・。
 そして自分はこの選考を通過できるような議論ができるのだろうか・・・。
「10分経過しました。それでは個人ワークをやめて議論を開始してください。」
 そんな僕の不安をよそに、社員の合図で強制的に議論の時間へ突入した。

 最初に口を開いたのは髭男だった。
「では、よろしくお願い致します。」
 慣れた口調で挨拶する。
「よろしくお願いします。」
 僕を含め、周りの4人もつられて挨拶する。
「まずはひとりひとり1分くらいで自分が何を選んだか、そしてその理由を発表していきませんか?」
「はい。そうしましょう。」
 ポニーが同意する。
 僕も頷いて同意した。
 一人ずつ自分が選んだ3項目とそれを選んだ簡単な理由を話していたが、偶然にもかなり偏りがあった。
 ほぼ全員が同じ2項目を選択していた。
 僕は8項目全部社会人に必要な項目であると感じたため、こういう結果になったのは意外だった。
「ほぼ全員が選んでいますし、2項目についてはチームの意見として決定してしまっていいんじゃないでしょうか?」
「そうですね。残り1項目をどうやって選ぶか考えましょうか。」
 全員の発表が終わった段階で、遅れてきた2人が一気に方向性を決定しようとした。
「はい。私も賛成です。」
 ポニーも賛同する。
 だが、僕は迷っていた。
 これで良いのだろうか・・・?
 これではただの多数決だ。
 もう1項目選ぶとしても、何も決め手がない・・・。
 残りの6項目でまた多数決をとることくらいしか出来ない。
 しかし、他に何か良い決め方を思いついているわけではない。
 そういえば、このグループワークでの発言回数は僕が一番少ないんではないか?
 発言回数が合否に影響する可能性はある。
 今まで僕が受けて合格してきたグループワークでは発言回数が多かった。
 何か発言するためにも賛成しておくか・・・?
 思考が徐々に本題から離れて行き収拾がつかなくなっていると、髭男が口を開いた。
「皆さんそれぞれで選んだ理由が違いましたし、この2項目を安易に決めてしまうのは良くないんじゃないですか?まずはどうやって3項目を絞るのかという軸を決めた方が良いと思うのですが、いかがでしょう?」
 自分たちのやり方を否定され、遅れてきた2人が嫌そうな顔をした。
 僕は髭男の言った通りだと感じた。
 軸を決めてその軸に沿って3項目を選択する。
 悪くない。
 多数決で決めるよりもより論理的に議論ができる気がする。
 多数決派からの反論がないため、髭男は続けた。
「今大体7分くらい経過しています。残り時間のうち、10分で選定軸を決めて、8分で3項目を選択、最後の5分で発表準備をする、という時間配分でどうでしょうか?また、選定軸についても、先ほど皆さんが発表してくれた内容を基にブラッシュアップしていけば良いと考えています。」
「賛成です。全員が選んでいた2項目も、最終的に選んだ3項目の中に入ってくるかもしれませんが、論理的な裏付けがあった方が良いですしね。」
 僕は髭男に賛同する形で発言した。やっとまともに発言できた。
 髭男が時間配分やこれからの話し合いの方針まで考えていたので、ついていって問題ないと感じたのは確かだ。
 遅れてきた2人は相変わらず良い顔をしていなかった。
 一方でポニーは簡単に寝返った。
「確かに、論理的な裏付けがあった方が良いですし、軸を決めた方が良いと思います。」
 あまりに簡単に意見をひっくり返したので僕はびっくりした。
 ただ、ポニーが寝返った結果多数決派が5人中2人になってしまったこともあり、残りの2人も「賛同する。」と意見を表した。

 実際に議論してみると、まさに髭男の時間配分プラン通りの議論となり、30分以内に僕たちは3項目を選定することができた。
 発表は自分たちで発表者を決めて良いといわれたので、髭男が発表した。
 そして、社員からいくつかフィードバックをもらい、解散となった。
 フィードバックは好評が多かったため、僕は少し安心した。髭男は合格だろうが、自分も合格できるかもしれない。
 会場の入り口まで5人で一緒に出てきたが、外に出ると、遅れてきた2人はそそくさと去っていってしまった。
「ここで会ったのも何かの縁ですし、さっきは自己紹介が中断されてしまいましたし、良かったらどこかでお茶でもしませんか?」
 髭男からの誘いだった。
「僕は空いているので、是非。」
 特にこの後予定もなかったし、グループワーク成功の立役者である髭男の話を少し聞きたいとも思った。
 選定軸を決めてから結論を導き出す。
 普通に考えれば誰でも思いつくような方法だが、今回の問題のように提供されている情報が少ない場合でもうまく行くとは思わなかった。
 それに、髭男は自分が立てたタイムスケジュールに則って議論が終わるようにうまく話を誘導していたのではないかとすら思い始めていた。
 僕自身進行方法が思いついていなかったし、あくまで髭男の作った流れに乗っかっただけで自分で何か進行に影響を与えたという実感はなかったのだ。
 髭男には敵わなかった。その思いは強かった。
 一方で、髭男なら就職活動で簡単に内定が取れるのではないかと思い、話を聞いて何か参考にしようと思った。
「私も大丈夫です。」
 ポニーも参加するようだ。
「良かった。では、行きましょうか。」
 僕たちは少し歩いてすぐ近くの喫茶店に入った。


時間 -後編-

2013年5月10日 東京


「オレは広田秀雄(ひろたひでお)って言います。」
 髭男の本名だ。
 髭男と秀雄、かなり似ていて僕は噴いて笑いそうになったが、明らかに失礼なので必死でこらえた。
「私は宮村友子(みやむらともこ)です。さっきはグループワークお疲れ様でした。」
「改めて、沖田航です。お疲れ様でした。しかし広田さん、的確な仕切りで感動しましたよ。」
 とにかく僕が聞きたいのは髭男のスキルや考え方だ。
 話が関係ない方向に飛ぶ前に聞いておきたかった。
「そうですよ!私ついて行くだけで必死でした。グループワークの対策とかってどうやってやっているんですか?」
「いや、特にこれといった対策はしていないかな・・・。ところで、お二人は大学生?」
「はい。そうですけど・・・。」
「私も学部生です。」
「そっかそっか。オレは大学院生なんだけど、まぁ文系だから理系みたいな実験とかもなくて、結構こういう討議を普段からやっているっていうのはあるかな・・・。」
 僕も文系だが、大学では基本的に講義形式の授業ばかりだ。討議をするというとゼミくらいだろうか。
 ただ、ゼミでもある程度答えが出るような課題についてしか議論していないので、髭男が大学院で勉強しているのは答えがないような困難な課題についてなのだろうかと疑問に感じた。
「大学院では今回の問題みたいにどれが答えでもおかしくないような問題について研究しているんですか?」
「そう。私もそれが気になったんです。」
「いやいや、そんなことないよ。大学院っていってもマスターだしね。ある程度自分なりに仮説を立てて検証しているだけさ。」
「だとしたら、よく今回の問題ですぐに議論の進行方法とか思いつきましたね。」
 そう。ここが気になっていた。
 僕の個人的なイメージだが、社会に出たらこれまでの勉強と違って答えのない問題が多くなるのではないかと思っている。
 バイトしている会社で、社員が日夜熱く議論を交わしているのを間近で見ているため、自然とそういう意識を強く持つようになっていた。
 そういった答えのない問いにいかに対応できるかというのも、社会人としての一つのスキルだと思うが、この点に関して髭男から盗めるところは盗んでおきたかった。
「別にあの場で瞬間的に思いついたわけじゃないよ。」
「え?どういうことですか?」
 ポニーが合いの手を入れた。
「個人ワークの時間があったじゃん?そこで進行方法についても考えていただけだよ。」
「なるほど。でもそうすると、自分の意見を考える時間が短くなりますよね?」
 迷って無駄にした時間もあったが、僕も今回のグループワークでは10分間全て個人の検討に使った。
「そうだよ。でも、どこのグループワークに行っても同じようにしてる。個人ワークの2、3割はどうやって議論していけばいいかについて考えているよ。そうしないと、討議が始まった後に何も出来なくなってしまうし、オレが情報不足でも、みんなが全部読んでいてくれれば、議論は出来るしね。」
 なるほど。
 僕のやり方が一般的かどうかはわからないが、恐らくほとんどの学生は個人ワークの時間を自分の時間として使っているだろう。
 今回であれば、10分間で自分の結論が出せれば良いと考える学生がほとんどだろう。
 実際に髭男以外の4人はそうだったに違いない。
 僕が自分の中で納得していると、ポニーが質問した。
「でも、7割の時間で個人ワークが終わらなかったら方針も立てられないんじゃないですか?」
「そうだね。実際そういうこともあるとは思うけど、極力そうならないためにも、配られた資料については最初に全部ざっと目を通すよ。そうするとある程度情報がまとまっている箇所とかがあるから、そういうところをしっかり把握しておけば問題ないかな。今回はそういうこともなかったけどね。まぁ、あとは当然議論して結果として何を導き出さないといけないかって言うことを外しちゃいけないけど・・・。」
「へぇ。凄いですね!私そんなふうに考えたことなかったです。」
 僕もそうだ。
 基本的に問題文は頭から読んで把握し、個人ワークの時間をフルに活用して結論を導き出す。
 これまで受けてきた会社のグループワークではそれで問題なかったが、今回は違った。
 今の髭男の話は非常に参考になった。
「いろいろと教えてくれてありがとうございます。」
 ポニーがお礼を言っていたので、僕も続いた。
「あ、ありがとうございます。」
「いやいや、こんなの大したことじゃないよ。それより、オレはこの会社結構志望度高いんだけど、2人はこの会社が第一志望なの?」
「私はここが第一志望っていう会社はないですけど、食品とか飲料のメーカーのどこかに入れればいいなって思ってます。そういう意味ではこの会社も第一志望群です。」
「そうなんだ。それで何で食品系なの?」
「私の父が食品メーカーで働いているんです。小さいときとかはよく父が企画した商品の話を聞かせてもらっていて、私もそういう仕事がしたいなって思って。何人か食品メーカーに勤めているOB・OGさんにも訪問して回ってみたんですけど、皆さん私はメーカーに向いてるって言って下さったのも大きいですね。」
「そうなんですか。沖田さんはどうなんですか?」
 少し黙っていた。
 何て言っていいかが分からなかった。
 正直もうどこでもいいから、片っ端から受けているというのも失礼な気がした。
 そうは言っても、この場を取り繕えるような理由も思いつかなかった。
 結局、正直に話すしかないのか・・・。
「僕は、今どこが第一志望とかっていうのはないんです。ここもたまたま目に入ったから受けたようなもので。」
「ん?どういうこと?」
「第一志望の会社はもう落ちてしまって、どこを受けたらいいのか迷いながらって感じです。」
「なるほどね!オレも2年前はまさにそんな感じだったよ。」
「えっ?」
 意外だった。
 そもそも髭男は普通に勉強しようと思って大学院に進学したものとばかり思っていた。
「大学生のときも就職活動していたんですか?」
「うん。してたよ。あの頃もすでに就職氷河期みたいなことを言われていて結構厳しくてね。そりゃ今から考えれば今年の方が厳しいけど、当時は当時で厳しくてね。落ちまくったなぁ。」
「広田さんがですか?意外です。」
「ありがとう、宮村さん。でも、あの頃のオレは落ちて当然だったと思う。何がしたいのか自分でわからないまま、ただただ大量にエントリーシートを出して失敗をしていたよ。気付いたらほとんど受けられる企業も残っていない状況でさ。親に頼み込んで『もう2年くれ』って。」
「それで大学院、ですか?」
「そう。ゼミの教授とも仲良かったし、筆記試験通ればその教授の研究室に入れてくれるって言うもんだから、一気に切り替えて勉強したって感じかな。」
「そうなんですか・・・。今の広田さんからじゃ考えられないですね。」
 髭男とポニーの会話を聞きながら、僕はまさに2年前の髭男と同じだと思った。
 自分で何がしたいのかよく分からない。
 とにかく1社でも多く受験すれば内定がもらえる確立は上がる。
 そんなことを考えていた。
 でも、現実は違う。
 受かるやつはどこでも受かるし、落ちるやつは何社受けても落ちる。
 この場で言うなら、髭男は多くの内定をもらえると思う。
 僕とポニーは後者だろう。
 僕にはポニーも結局自分が何をしたいのかはよく分かっていないように見えた。親や先輩の勧めで志望しているように見える。
 僕に至ってはもってのほかだ。
 志望する業界や会社すらない・・・。
 でも、大学院というのは今まで考えたことがなかった。
 このままでは就職浪人だとばかり思っていた。
 しかし、髭男は就職浪人という選択肢を考えなかったのだろうか。
 さっきの話では大学院に決めていたように見えたが。
「広田さんは就職浪人より大学院の方を選んだってことですよね?就職浪人は考えなかったんですか?」
「あんまり考えなかったかな。確かに就職浪人したとしても、同じように自分が社会で何がやりたいかを考える時間は増えるけど、結局ずっと就職活動をしていることになるし、そういうのは嫌だなって。それよりかは大学院に行って、仕切り直した方が気持ち的にも楽だったって言うか。そんなところかな。まぁ、大学院出ている方が初任給も違うじゃん。それなら2年間後でもいいかなとも思ったのもあったかな。」
「なるほど。確かに2年間も就職活動してるのは精神衛生上良くないですね・・・。」
「そうですね。早く内定欲しいですね。」
 その後は小一時間お互いの大学の話など他愛のない会話をして喫茶店を後にした。

 帰りの電車の中、結局2年間で髭男が社会人になって何がしたいのかという目標が見つかったのか、つまり大学院に行った結果を聞き忘れたことに気付いた。
 確かに話を聞けていればそれはそれで良かったのだろうが、極論を言えば関係ない。
髭男は髭男、僕は僕だ。
 とにかく、大学院という道に非常に魅力を感じていた。
 髭男はどうであれ、僕は2年間で自分がやりたいことを見つけられればいい。
 現状で就職活動しても受からないのであれば、2年間もう少し将来について考える時間をもらう。
 本来大学院は研究の道に進みたい人や大学の勉強では飽き足らず進学する人が行くところなのだろうが、今の僕にはそんなことはどうでも良かった。
 自分のやりたいことを見つけるために大学院に進む。
 そんなことができるならそうしたいと思った。

 まずはゼミの教授に聞いてみよう。
 髭男はゼミの教授と仲が良かったお陰で大学院入試の面接試験を簡単にパスしたと言っていた。
 僕もそれを確認しておいた方が良さそうだ。
 その確約が取れれば、後は筆記試験に向けて勉強するだけだ。
 現実がどうかはさておき、内定を取るより大学院に行く方が容易に思えた。
 希望の光が見えたような気がして心が少し軽くなった。

 電車から見える景色はいつもより開けているように感じた。


衝突

2013年5月14日 自宅


 いつだったか見たような番組が流れている。
 休日の昼間だからだろうか。再放送のようだ。
 僕はダイニングテーブルにつき、テレビを眺めている。
 普段は基本的にテレビのない自分の部屋で過ごすのだが、今日は両親と就職活動について話すことになっているので、昼食後リビングでテレビを見ながら時間を潰していた。
 母さんが台所で紅茶を入れようとお湯を沸かしてる。
 父さんは昼食後図書館に行ったが、そろそろ帰ってくるはずだ。
 チャンネルを変える。
 婚活、つまり結婚活動をテーマにした特集番組だ。
 多くのサラリーマンやOLが結婚相手を求めて婚活をするということで話題になっているが、僕としては就職できているだけ良いではないかと感じてしまう。
 婚活よりも就活の方が問題という気がする。
 現に僕の姉さんも来月結婚式を行う。順風満帆に人生を歩み、結婚相手も見つけている。
 僕もこれまで何も不自由なく生きてきた。
 大学受験だって、大手予備校に通って勉強した結果、現役で有名私立に合格した。
 しかし、ここにきて初めて壁にぶつかった。
 そんな状況であるため、何も障害がなく生きているように見える姉さんがうらやましかった。
 姉さんは結婚式の準備のために、5月末からこの家に一時的に戻ってくる予定だが、今はいない。
 勤務地が関西であるため、3年前就職と同時に引っ越していた。
 今この家で暮らしているのは両親と、僕と弟の4人だ。
 ただ、弟は大学受験生で、今日も予備校に通っているので日中帯は家にいない。
 両親と腹を割って話をするには都合の良い環境なのだ。

「ただいま。」
 水が沸騰し、電気ポットのスイッチがパタッと元に戻るのとほぼ同時に父さんが帰ってきた。
「おかえり。」
 いつも通り父さんを出迎えたが、手に持っている本が気になった。
 図書館で借りてきた本の一部に「自己分析の基本」や「面接の心構え」といった僕の就職活動に関わると思われる本が見えた。
 父さんは特に何も言わなかったが、僕の参考になればと思って借りてきたのだろう。
 なんというかタイミングが悪い。
 今更渡されたところで何かが変わるわけでもない。
「お帰り。」
 母さんが紅茶を持って台所から出てきた。
 僕と、両親がそろった。
 いよいよ、話すときがきた。

「僕、大学院に行こうと思ってるんだ。」
 ひとしきり他愛もない話をした後、僕は早速希望を告げた。
 当然だが、両親は驚いている。
「急にどうしたの?」
 先に口を開いたのは母さんだった。
「就職活動はどうするんだ?」
 父さんも続いて僕に問いかけてきた。
「就職活動は辞めて、大学院に行きたいんだ。」
「どういうことだ?もっとちゃんと話をしなさい。」
 父さんが少し強い口調になった。
「あ、うん。就職活動していたんだけど、自分が社会人になって何がしたいかが分からなくって・・・。大学の同期とか周りの就職活動生とかとも話をしたんだけど、みんな自分が何がしたいのかがはっきりしているんだ。それで、僕もそういうのを見つけようとしてゴールデンウィークとかもいろいろ探してみたんだけど見つからなくて・・・。」
 隠しても仕方ないので本心を言った。
 実際、何がしたいのか良く分からないのだ。
「それで、大学院、か?」
「いや、それだけじゃなくて、大学院生で就職活動をしている人に会って話を聞いたら、大学生のときに就職活動をしていたんだけど、何がしたいのか分からないから志望動機がしっかり言えずに内定がもらえない状況だったらしいんだ。それで、大学院に行って2年間かけてやりたいことを明確にしたって言ってて。その人と一緒にグループワークもやったんだけど、凄くてさ。僕もそういう状態になって自信を持って社会人になりたいって思ったんだ。」
 そう。髭男だ。
 髭男の話を聞いたあの日から、僕は大学院に行くこと決め、就職活動はただ面接に行っているという状態だった。そして、やはり結果はついてこなかったが、以前と比べて結果に落ち込むようなことはほとんどなかった。
 もちろん、ゼミの教授にも確認しに行き、研究室に歓迎してくれるという話も聞いた。
 実際に髭男はグループワークでも優秀だったし、そういう「できる」人間になりたいと思う。
 正直今の自分では社会に出て何がやりたいかという以前に、何もできないような気すらしているのも事実だ。
 だが、決して就職活動で一つも内定がもらえないから仕方なく大学院の道を選ぶのではない。
 自分を高めるために2年間もう少し勉強するとともに、その間にやりたいことを見つける。
 あくまでも前向きに大学院に行くことを考えている。
 だからこそ、お金の面倒はあるにせよ、両親が反対する理由はないはずだ。
 お金だって奨学金の制度を利用すればそこまで負担にはならないということ、僕の成績から見ても十分に権利を得られるであろうことは既に調べていた。
 父親の口調が強くなったのにはびっくりしたが、やはり反対されることはないと信じていた。
 しかし・・・。
「学生のうちに考えている社会人になってやりたいことなんていうのは大して重要じゃない。」
 父さんはむしろ賛成する気が微塵もないような様子に見える。
「えっ?」
「やりたいことなんていうのは、社会人になって実際に働いたら変わったり新しくできたりするもんだ。」
 今までの僕にはなかった新しい発想だったが、やりたいことがないと結局志望動機が不十分だといって落とされるのだ。その悔しさは今までに何度も味わっている。
「でも、やりたいことがないと志望動機とかが全然話せないから面接で落とされるんだよ。」
「それは、そもそも話している内容に問題があるんじゃないのか?父さんだって採用で面接したことがあるが、社会に出て何がしたいのかということよりも、本当にうちの会社を志望しているかどうかしか見ていなかったぞ。」
「父さんが採用活動していたのなんて、もう10年も前じゃないか。今、周りの就職活動生を見ていても、やっぱり将来やりたいことが明確なやつが内定をもらっているんだ。」
 ここまで反対されると思っていなかった。
 ただ僕が否定されているだけのように感じる。
「お前の周りって言ってもたかが数人や十数人の話だろう。父さんには、就職活動から逃げたくて言っているようにしか聞こえないな。」
 この一言にはカチンときた。
「別に逃げてるわけじゃない。もう少し大学院で勉強して自分を成長させてから社会に出たいってだけだ。さっき言った人みたいにしっかりと社会で通用するようになった上で働きたいんだって。」
 自分自身が前のめりになっているのを感じる。ここまで感情的になったのは久々だ。一方で、父さんは口調は厳しいものの、あくまで冷静のようだった。
「別にその人だって既に内定を取っているわけではないんだろう?」
「それは・・・、そうだけど・・・。」
 髭男の実力は社会人になっても通用するような気がしていたが、そういわれると返す言葉がない・・・。
「大体、今大手の会社ならどこだって新入社員の研修はやっている。別に即戦力じゃなくても徐々に力をつければ問題ないだろう。むしろ、一気に研修をして育成するためにそうやって新卒を一度に採用しているんだからな。」
 企業側の事情は初めて聞く話だったが、そんなことは僕にはどうでも良かった。
 少し間をおいて、父さんは続けた。
「今やりたいことが明確じゃないなら、とにかくどこでもいいから内定をもらって就職しろ。社会人として経験を積みながら将来のことを考えた方が実務経験も多くなるし有利だぞ。」
「でも、それじゃあ、やりたいことが見つかったときに、入った会社と関係がなかったらそれまでの時間が無駄になるじゃん。だったら、大学院で2年間考えた方が良いって。そもそも、今はとりあえず内定取っておけって言って簡単に取れるほど楽じゃないんだよ。」
「内定が取れないのはお前の頑張りが足らないからじゃないのか?友達にも内定取っている人はいるんだろう?」
 ふと平山の顔が浮かんだが、すぐにかき消した。
 あいつは来年から銀行で働くんだろうが、僕は違う。
 大学院に行って自分を磨くんだ。
「他の奴は関係ないだろ。僕は自分でまだ実力が足りないと思うから大学院に行きたいって言ってるんだ。」
「大学院に行ったら、社会で通用するようになって、やりたいことも見つかるのか?だいたい、お前は大学院が何をするところか分かって言っているのか?」
「・・・。」
 2年後に自分が成長しているか、やりたいことが見つかっているかなんて、先のことが分かるわけがない。
 分かるのなら、誰も苦労しない。
 不安がない訳ないじゃないか。
 それでも、僕はこのまま無駄に就職活動を続けるくらいなら、大学院の2年間にかけてみたいと思ったのだ。
 しばらく黙っていると、母さんが間に入ってきた。
「あなたも航も少し落ち着いたら?」
 僕がこんなにも父さんに食って掛かることは今までになかったからか、少しおどおどしているようにも見える。
「航もお父さんが今の時点でやりたいことがなくても大丈夫って言ってくれているんだし、もうちょっと就職活動頑張ってみたら?あなただって航が大学院に行きたいって言っているんだから前向きに聞いてあげたら良いじゃない?」
 言っていることはおかしい気がしたが、必死に間に入ろうとしているようだった。
 しかし、父さんはその仲裁も気にしなかった。
「いや。だめだ。今の航の話では大学院に行く方が無駄だ。」
 母さんの仲裁も気にせず頑固に断る態度だ。とにかく僕を否定しているのだ。
「何で無駄だって分かるのさ。僕の人生だ。僕の考えを尊重してくれたっていいだろ。父さんが反対しようが僕は大学院に行く。」
 とにかく僕にはその方法しかないんだ。
 反対されたのは予定外だったが、そんなの関係ない。
 父さんは少し黙っていた。
 母さんは結局仲裁はできないと思ったのか、黙って父さんの様子を窺っている。
「分かった。そんなに言うなら好きにしろ。だが、大学院に行くとしても一切学費は払わない。自分で何とかしろ。」
「あなた・・・。」
 そう言うならそれでいい。
 さっきも言ったが、自分の人生だ。
「分かった。自分で何とかする。」
 そう言って僕はリビングを去って自分の部屋に戻った。
 母さんが僕の名前を呼んでいる気がしたが、戻る気にはなれなかった。

 部屋に戻って、ベッドに横たわり、ぼうっと天井を眺めていると、少しばかりの後悔に駆られた。
 自分が最後の砦だと思っていた家族も敵に回したのではないか・・・。
 就職活動を始めてから何度もショックを受けたことはあったが、最後は家族が味方してくれるという安心感があった。
 しかし、その家族ももう僕の味方はしてくれないだろう。
 一方で、お金という現実的な問題も残った。
 奨学金をもらったとしても生活費と学費には届かない。
 大学院卒として就職活動するためには学費を納めることは必須だ。
 中退してしまっては意味がない。
 だが、今までやったことのないようなバイトをするのも、やりたいことを見つけるためには良いと思う。
 社会経験にもなる。
 大学院という道を見つけてから、少し前向きになれているのだろうか。
 細かい計算はしていないが何とかなるような気がした。

 寝る前も今日のことを考えていた。
 家族を敵に回し、大学院も入学が決まった訳ではない。
 状況としてはさらに窮地に追い込まれているのだが、就職活動から離れ、しばらくは絶望を感じることがないという安心感が何よりも僕の中では大きなウェイトを占めていた。
 なんだかんだ言って、僕は就職活動から逃げていただけなのだろうか・・・。
 前向きに大学院を考えているつもりだったが・・・。
 もしかしたら、自分が本当に何を考えているのかすら分かっていなかったのかもしれない。
 ただただ、大学院という藁にすがりたかっただけなのかもしれない。
 結局漠然としたモヤモヤは晴れていない・・・。
 もはや、大学院に行くといった以上後戻りはできないが、「これで良かったんだろうか」という疑問に対して、「良かったのだ」という確信が持てなかった。
 何度も言い聞かそうとしたが、やはりだめだった。
 思考が堂々巡りする。

 気付いたときには考え疲れて眠りについていた。


反感

2013年6月11日 代官山


 姉さんの結婚相手は大学時代に知り合った人らしい。
 就職を期に一度別れたという話は聞いていたが、いつの間にやらよりを戻していたらしい。
 就職してから姉さんはずっと関西で働いていたし、家に帰ってきても特にそんな話をするわけでもなかった。
 姉と弟の姉弟なんていうのはどこもそうなのかもしれないが、年齢を重ねるごとに、疎遠になっていったような気がする。
 別に仲が悪いわけではないが、そこまで深い話もしない。
 よく言えばお互いに干渉しない距離感が保てるようになっているということなのかもしれない。
 ただそのためか、今日の結婚式はどうしても家族の結婚式という感じがしなかった。
 僕もまだ大学生のため、友人の結婚式に呼ばれたことはなかったが、2回ほど親戚の結婚式には参加したことがあった。それと同じ感覚に思えた。

 結婚式場は代官山にあるゲストハウスだった。
 14時半から結婚式のため、弟と2人1時間前の13時半に式場に到着した。
 当事者である姉さんはもちろん、父さん、母さんももう1時間早く来ていた。
 日本の住宅街では考えられないような荘厳な入り口を通り、玄関へ向かう。
 まさに結婚式という雰囲気を感じる。
 家族の結婚式であって、何も後ろめたいことはないのに、進路が決まっていない自分がここに来るのが場違いな気がしてしまう。
 ここのところ大学院に向けた勉強もあまりはかどっていない。
 あのとき感じた大学院への魅力も日を追うごとに薄れている気がしていた。
 6月頭に大学院に行ったサークルの先輩に話を聞いてみると、勉強や研究、教授の手伝いなどが忙しく、あまり遊んでいる時間も取れないと言われた。
 大学院に行って、やりたいことを見つけようと思っていたが、自由な時間があまり持てないということを聞いて、本当に大学院で良いのかという疑問が生まれてしまった。
 髭男に話を聞いてみたいと思ったが、あいにく連絡先を交換し忘れていたため、どうしようもなかった。
 ただ、だからといって父さんと口げんかしてまで大学院に行くと言った手前、中途半端なこともできないという思いで毎日勉強は続けている。

 そういえば、ゲストハウスでの結婚式は少し前から流行っているらしい。
 基本的に貸切状態になるため、自分たちの好きなように装飾できたりと、自分好みでおしゃれな空間を作れることも大きな魅力のひとつらしい。
 最近の風潮として、自分の思い通りにできるということがひとつの「売り」になっているのだ。
 くしくも、コンサル業界に入ろうと思って本やインターネットでいろいろと調べていたときに、たまたまウェディングコンサルタントの記事を見つけて読んだのを覚えている。
 とはいえ、式場に来てみると、同じ日に3件も結婚式をやると案内があり、あわただしいものだと思った。
 実際、式場に到着したとき、式場の周りに前の時間帯で結婚式をしていた夫婦の親族と思しき人がまだ残っていた。
 自分好みの空間にできると言っても結局はすごく短い時間なのだという現実を感じてしまった。
 決して僕の結婚式ではないのだけれども、一生の記念に残る晴れ舞台で、大金をつぎ込んでもそれっぽっちの時間しか自分の思い通りにはできない。
 でも、そんな短い時間の自由でも欲しくなってしまうほど、世の中は自分の思い通りにはいかないものなんだと思う。
 だからこそ、自分の思い通りにできることが「売り」になるのだ。

 就職活動が自分の思い通りになると思っていた自分が少し恥ずかしくなったのも場違いだと感じた原因なのかもしれない。
 弟から少し遅れて式場の中に入った。
 少し豪華な家。
 それが第一印象だ。
 建物の外は、そもそもおしゃれな町であること、植物などが丁寧に整えられていたこともあってかなり豪華な印象を受けたが、建物の中はそこまでの違いを感じることはなかった。
 置いてある家具は非常に高価なものなのだろうと感じたが。

 既にスーツを着ていていたため、特に着替える必要はなかった。
 そのまま親族控え室に案内された。
 姉さんの旦那さんの親族がいたらどうしようかとも思ったが、控え室は分かれていた。
 久々に会ういとこたちと話をしていると、ウェディングドレス姿の姉さんが入ってきた。
 身内だからそう感じるのかもしれないが、とても綺麗だ。
 本当に姉さんが結婚するんだと思い、家族の結婚式だという実感が沸いてきた。
 今日は自分の状況だとかそんなことは忘れて、姉さんの結婚を祝おうと思った。
 少なくとも、この時点では本気でそう思っていた。

 結婚式は滞りなく進行した。
 ゲストハウスに隣接したチャペルで、訛った日本語で話す外国人神父の進行のもと、結婚式は執り行われた。不自然な話し方に笑いがこぼれそうになるのを我慢しつつではあったが、無事に終了した。
 最後の新郎新婦退場においても、盛大な拍手で姉さんたちは見送られた。
 姉さんはとても幸せそうだった。
 うらやましいという気持ちがなかったといえば嘘になるが、何よりも幸せそうな姉さんを見るこができて良かった。
 その後に親族紹介も行われたが、向こうの親族は大学生や高校生が多く、僕の大学4年生というステータスも特に浮いた様子はなかったと思う。

 そのまま予定時刻どおり披露宴が始まった。
 披露宴の冒頭では主賓の挨拶があった。
 主賓は新郎の会社の部長だった。
 新郎の所属を聞いて僕は少しはっとさせられた。

 人事部採用担当

 姉さんの旦那さんは採用に携わる人間だった。
 普通の人であれば、特に気にせずに聞き流すところなのだろうが、僕は違う。
 これまで、多くの会社の採用担当に会って面接をされてきた。
 そして、その多くのケースで不合格というレッテルを貼られてきたのだ。
 別に旦那さんの会社を受験したわけではなかったが、採用担当という存在に対して正直あまり良い印象を持っていなかった。
 自分たちは社会に出てしっかりと働いており、全うな人間ですよと看板を掲げて社会人を目指す学生を品定めする。
 彼ら採用担当は僕らが自分たちの御眼鏡にかなうかどうかを見極めるためにあの手この手を使ってふるいにかけているのだ。
 それも、一方的に上の立場から。
 卑怯だと思っていないと言ったら嘘になる。

 主賓の祝辞については何も頭に入ってこなかった。
 自分の中にこみ上げてくるもやもやした感情を抑え付けるので精一杯だった。
 姉さんをお祝いしたいという気持ちに変わりはなかったので、余計なことは極力考えないようにした。
 披露宴も乾杯を経るといくつかのイベントをはさみながら時間が過ぎていった。
 出てくる料理は非常に美味しかった。
 席は家族4人だけの席であったため、特に代わり映えのある会話はなかった。
 普段どおり弟と会話をしていた。
 父さんとはあれ以来あまり会話をしていなかったが、そもそも両親とも口数は少なかったため特に気を使うこともなかった。
 姉さんは第一子であるし、感慨深いものがあるのだろう。
 余計な口を挟まない方がいい。
 僕も弟もそういった空気を感じて二人で会話をしていた。

 中座をはさみ、装いも新たに和装で新郎新婦が入場すると、各テーブルで写真撮影を行った。
 気づくと新郎に一番近い席に座っていた人たちがいなくなっていた。
 どうやら余興をやるのだろう。
 これまで参加した結婚式でも、いつの間にか席を立っていた人たちがピアノを弾きながら歌を歌ったり、タップダンスを披露したりと余興を行っているのは見てきた。
 予想通り余興が始まるようだった。

 司会の紹介があり、6人の男たちが会場に入ってきた。
 全員丈の長い黒いコートを着ている。いや、まとっていると言った方が正しいか。
 おめでとうという言葉と、お祝いのダンスを踊るという簡単な挨拶をして、マイクを司会者に戻した。
 音楽が流れ始めたとき、僕は違和感を覚えた。
 てっきり本格的なダンスなどでもするのだと思っていたら、最近流行りの大人数女性アイドルグループの曲が流れたのだ。
「えっ?」
 思わず口をついて疑問の声が出てしまった。
 曲が流れ始めてから数秒後、6人の男たちはコートを脱ぎ捨てた。
 ブラジャーにパンツ。
 彼らの着ている衣類はそれだけだった。
 そして、音楽に合わせてそのアイドルグループのダンスをひたすら踊り続けた。
 僕は唖然としてそれ以降何も反応できなかった。

 会場はそこそこ盛り上がった。
 当然新郎の会社関係の席は大盛り上がりだった。
 一応笑顔を見せてはいたが、僕からは父さん、母さんもあまりいい気はしていなかったように見えた。
 恐らく、余興の細かい内容を知らされていなかったのだと思う。

 これまでの数少ない経験での認識でしかないものの、結婚式の余興というのは、特殊なスキルを披露するものだと思っていた。
 良い言葉ではないかもしれないが、文芸的というか、文化的というか、そういったものだ。
 これまでの結婚式で見てきたピアノなどはまさにそういったものだった。

 今目の前で繰り広げられているもの。
 去年の大学の忘年会でも似たようなものを見た。
 そう。
 宴会芸なのだ。
 確かに、結婚式のあり方も変わってきている。
 コンサルの勉強をしているときに市場の動向として知識は持っていた。
 ただ、なんとなく、基本的には人生に1度の晴れ舞台の祝福が宴会芸というのはあんまりではないかと感じた。

 とにかく胸が締め付けられるような苦しみを感じた。
 真紀に別れを切り出されたとき、自信のあったコンサル会社の面接結果が不合格だという連絡が来たとき、そのときと似た感触を思い出したかのように僕の心臓の鼓動は急激に変化した。
 姉さんの結婚式で宴会芸をされたのは嫌だった。
 だが、それは一番の理由ではない。
 決してそうではないのだ。
 それをやっているのが、社会人。
 そして、学生を見定める採用担当がやっている。
 僕にとってはそれが何よりも腹立たしいのだ。
 こんなやつらに不合格と決め付けられていたのか。
 人の結婚式で、大学生みたいな宴会芸しかできないくせに僕ら大学生を裁いていたというのか。
 余興が終わった後もとにかく怒りがおさまらなかった。

 別にどの会社の採用担当も同じようなことをしている訳ではないだろうし、僕が旦那さんの会社を受験して不合格になったわけではない。
 それに、姉さん夫婦が頼んだことかもしれないので、本人たちが望んでやっているとも限らない。
 だいたい、大学生がやっているような宴会と社会人がやっている宴会にどう違いがあるかも分からない。
 別にこういった余興をやる結婚式が一般的なのかもしれない。
 冷静に考えれば、現状の怒りを抑える材料はたくさんあったと思う。
 でも、僕の頭はそんなことは考えられなかった。

 就職活動でうまく行かず、大学院行きを決めたものの、そのモチベーションも高く維持できていないからか、いつの間にか就職活動がうまく行かないことが全ての原因であり、自分を不合格と判定しただろう全ての採用担当に憤りを感じるようになっていたのかもしれない。
 どうして自分が不合格なのか。
 どうして平山たちは合格なのか。
 今まで何度もその疑問と戦ってきたが、考えても考えても答えは出なかった。
 気付くと自分を追い込んで頑張るということができなくなっていた。
 大学院の勉強がうまく進まないのも、この心境の変化が原因かもしれない。
 鶏と卵の議論かもしれないが、僕はそう思っていた。
 頑張ろうと思っていても頑張れない。
 決して頑張るための手段が見つからない訳ではない。
 手段があってもそれをもって突き進めないのだ。
 なぜか。
 根本的な原因はなんとなく分かっていた。

 やはり、これ以上傷つきたくないのだ・・・。

 就職活動をしても、大学院の勉強をしても、うまく行かない気がする。
 結果的に前にも嫌というほど味わった絶望感を再び味わうことになる。
 だったら何も頑張らなくてもいいじゃないか。
 もちろん、頑張らないと何も得られないのは分かっている。
 でも、頑張れない。
 頑張れなければ結果は良くならない。
 やっぱり絶望する。
 結局思考のどうどう廻りだ。
 最近はずっとこんな感じだった。

 気付くと披露宴は終わりを迎えようとしていた。
 急いでデザートを平らげた。
 姉さんを精一杯祝おう。
 その気持ちをもう一度取り戻すため、溶けかけたシャーベットとともに心のモヤモヤも飲み込んだ。

 新婦からの手紙で泣きそうになり、最後の新郎新婦退場ではこれ以上ないほどの勢いで拍手をした。
 意外とすっきりした気分だった。
 結果的には姉さんのお祝いという名目で現実逃避していただけかもしれないが、気にしないことにした。



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