目次
賢者様の仲人事情【第一部】
賢者様の仲人事情【第一部】
序章
序章~不幸は突然訪れる~
第一章 姫君の危機
第一章 姫君の危機【1】
第一章 姫君の危機【2】
第一章 姫君の危機【3】
第一章 姫君の危機【4】
第一章 姫君の危機【5】
第一章 姫君の危機【6】
第一章 姫君の危機【7】
第一章 姫君の危機~霊界通信~
第二章 傍らにいつも
第二章 傍らにいつも【1】
第二章 傍らにいつも【2】
第二章 傍らにいつも【3】
第二章 傍らにいつも【4】
第二章 傍らにいつも【5】
第二章 傍らにいつも【6】
第二章 傍らにいつも【7】
第二章 傍らにいつも【8】
第二章 傍らにいつも【9】
第三章 月の雫
第三章 月の雫【1】
第三章 月の雫【2】
第三章 月の雫【3】
第三章 月の雫【4】
第三章 月の雫【5】
第三章 月の雫【6】
第三章 月の雫【7】
第三章 月の雫【8】
第四章 姫君と近衛隊
第四章 姫君と近衛隊【1】
第四章 姫君と近衛隊【2】
第四章 姫君と近衛隊【3】~丘陵のエヴァンス~
第四章 姫君と近衛隊【4】
第四章 姫君と近衛隊【5】
第四章 姫君と近衛隊【6】
第四章 姫君と近衛隊【7】
第四章 姫君と近衛隊【8】
第五章 届かない声
第五章 死者達の晩餐
第五章 心を喪失した姫君
第六章 皇太子失踪
第六章 皇太子失踪【1】
第六章 皇太子失踪【2】
第六章 皇太子失踪【3】
第六章 皇太子失踪【4】
第六章 皇太子失踪【5】
第六章 皇太子失踪【6】
第六章 皇太子失踪【7】
第六章 皇太子失踪【8】
第六章 久遠に貴方を想う
終章
終章~最後のサクリファイス~

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賢者様の仲人事情【第一部】

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(読まなくても、物語の進行には支障のないページです)

 

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カンパ的な意味合いで、有料版をご購入頂ければ幸いですv(*^-^*)

 


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序章~不幸は突然訪れる~



 盛大な抗議の声が、皇宮に響いた。
 季節は初夏。山に行ったり海に行ったり川で水遊びしたり、ティリスの大好きな季節の始まりだ。
 そもそも、早速海に遠征しよう計画を立てていたところ、どうも、体調が思わしくない気がして、ティリスはカタリーナに連れられて、具合を診てもらいに来たのだった。来たのに。
「おやおや、何を驚かれるやら。おめでとうございます、姫君。二ヶ月というところですな」
 医師はあっさり言った。
「――何が、だ――」
 何が、めでたいんだ。
 何で、世間一般「おめでとう」なんだ。
「待ってよ先生、じゃあ、海は!? 山は!? 川は!?」
「もちろん、駆けて行ってはなりませんぞ。輿に乗せてもらってお行きなさい。あまり、体に負担をかけないように――」
「剣術の稽古はっ!!?」
「姫様、少し落ち着かれて下さい。こういったこと、覚悟なさっていなかったんですか!?」
 医師は無慈悲だった。
 少し驚いた様子のカタリーナも、無慈悲だった。

 

 姫君の災難は、とてもあっさり始まった。

※ 災難ではありません。妊娠したくなかったら、きっちり避妊しましょーね。

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第一章 姫君の危機【1】

「何で、何でオレ子供できてんの!? まだレオンと結婚してないのに!」

 ぶっ。

 午後のお茶を飲みながら(ティリスは手をつけていない)半泣きで言ったティリスの言葉に、品行方正小笠原流家元くらいのカタリーナともあろう者が、お茶を吹いた。
「姫様……?」
「オレ、知らないうちにレオンと結婚したの!? あいつ、また勝手にオレの知らないところで式挙げたの!? ひでえよ!」
 いやあな予感を覚えて、カタリーナは極めて沈痛に、こめかみを押さえた。
「姫様、一つお伺いしてもよろしいかしら」
「なに。」
 皇子に文句たらたら半泣きで、ティリスがカタリーナを見る。
「どうして、皇子と結婚するのを先延ばし、先延ばしになさっていたんですの?」
 皇帝辺り、大いに楽しみらしくて大乗り気なのだが、皇帝が話を進めようとする度に、ティリスが「まだいいよ」の一言で片付けてしまうのだった。
「どうしてって、だって、結婚したら子供ができるだろ?」
「――姫様、結婚しなくたって子供はできます」
「えっ……、ええ!? マジ!? どうや――」
 はっと、ティリスが息を呑む。サーっと、その顔から血の気が引いた。直感的に理解したらしい。
「そんな……だって、じゃあ、なんでオレ生まれてんの!?」

 ぶっ。

 不覚にも、カタリーナはまたしてもお茶を吹いた。
「そ、そうですわね……それについては、シグルド王国最大の謎と言われていますわ――」
 さすがお姉様。動揺を即座に押し隠した。
 シグルド国王ファーマイヤと、その王妃タスマニア。なるほど、二人は伝説的なまでに、成立したのが奇跡と呼ばれる組み合わせだった。あからさまに国王の片思いで、娘の目から見ても、それは揺るぎの無い事実だったようだ。
 
“ 結婚さえすれば、子供は生まれるわ ”
 
 そんな、ありがちな母親のたわごとを、娘が真実より遥かに説得力ある答えとして、この年まで信じてしまうくらいには。

 バンっ!

 乱暴にドアが開けられて、珍しく息急き切って駆けつけた様子のレオンが、顔を見せた。
「あ、レオ……」
 レオン皇子、開口一番。
「ティリス、おまえ、どうして子供がいるんだ。誰の子供だ!」
「だよなあ!? おまえもそう思うよな!?」
 ワナワナと握りこぶしを震わせて、バン! とカタリーナが机を叩く。
「あんったの子に決まってるでしょーが!」
「……僕の……?」
 怪訝そうにカタリーナを見て、次には眉をひそめて疑わしげにティリスを見て、レオン皇子。
「僕はティリスと結婚していない」
 ――ゴゴゴゴゴ……。
 お姉様の背後から、真っ黒な暗雲が立ち込めるように、殺意に近い怒気が立ち上った。
 折も折、浮かれた様子のゼルダ皇帝が顔を出してみたり。
「姫や、姫や~ わしの初孫とは本当かのう!?」
 振り向きざまの、お姉様の行き場のない怒りを込めた、激しい二段蹴りが炸裂した。
「ぐああぁっ」
「……初ひ孫でしょう……!? そんなことより!」
 地の底から響いてくるような、初めは、静かな声だった。
「一体、皇子にどういう教育をなさったんです……! 姫様が御懐妊と聞いて、この馬鹿皇子、言うにこと欠いて誰の子供とは何事なんですかっ!」
「う、うぬう……? カタリーナ姫や、姫のために若ぶりたいじじの気持ちを、わかっておくれでないかのう」
「どうでもよろしい! 教育は!」
「う、うぬぬぬ。『どうやるか』は教えたが、『どうなるか』は教えんかったかのう……」

 ドカ! バス! ゴキ!

 ……最後、何だか危険な音がしてました。

     *

「どういうことだ」
 いつにも増して不機嫌に、険しい表情で、レオンがティリスを問い詰める。
 たんたんたんと、床を打つ靴先までもが腹立たしげだ。
「ティリス、僕を騙したのか」
 ――実は、レオン皇子は初め、正しい認識を持っていたのだ。
「だ、騙したわけじゃねーよ!」
 ところが、これをティリスが自信満々改めさせて、あまつさえ、だからと求婚を断り続けてきたものだから、今、皇子は心底、ティリスを疑わしい、疑わしいと思うのだった。
「だって、仕方ないじゃんか! オレ、母上にそう教わって……し、信じてたんだから!」
 ティリスが泣きそうになっているのに気付いたレオンが、少し、首を傾けてティリスをのぞいた。
「な……、何だよ……」
「じゃあ、騙したんじゃないのか?」
 ティリスがこくりと頷くと、レオンがふいに、にやっと笑った。
「ふ、僕の言い分が正しかったな。あの時、僕も母上に教わったと言ったはずだ。おまえ『十の時なら、ガキ扱いされたんだよ。あしらわれたんだって』とか言ったが、子供扱いされてあしらわれたのは、おまえの方だったわけだな。僕は信頼されていた」
「――くっ……!」
 くそう、こいつ憎たらしい! 悔しい! 一言も言い返せねえっ!!
 手をワナワナ震わせて悔しがるティリスを、レオンがフフンと、余裕と優越感に満ちた顔で観察してくる。
「な、何だよ! 信じてたのに……! 母上なんて、母上なんて、大っ嫌いだーーー!!」
 泣いて駆け去ろうとしたティリスを、それまで傍観していたカタリーナが、無情にもぴしゃりと止めた。
「姫様、妊娠中の全力疾走はいけません」
「オレは駆け去りたいんだっ!!」
 いくら姫様のお望みでも、こればかりは聞けませんと、仁王立ちしてカタリーナが首をふる。
「それから、レオン皇子。あなたはいい加減、少しは姫様をいたわりなさいな! だいたい、知っていながら十五歳の姫に手を出したなど、言語道断! 恥を知りなさい!」
「……? どうしてだ」
 まあまあと、わかっていないレオンの代わりに、ゼルダ皇帝が仲裁に入った。
「カタリーナ姫や、もう十五歳の姫を、毎晩同じ寝所に眠っていながら無視するなど、失礼千万じゃ。ティリス姫は、王子と偽ってまでレオンを誘惑しに来たわけじゃしのう。据え膳されたら、食わねば男の恥と――」

 バキ! ガス! ゴキ!

 皇帝の各急所に、二人分の攻撃が決まった。
「来たくて来たもんか! だいたい、誰が誘惑したんだっ!!」
「あなたが男の尻を追いかけて、人質に連行したんじゃありませんの! この変態が!!」
「何と!? 誤解じゃ! わしが手を出してみたいと思った男は、後にも先にもセデスただ一人じゃ!」
「いるのかよっっ!!?」
 ティリスの盛大な突っ込みが入ったこの発言に、珍しくもレオンさえ、少しばかり引いた顔をした。
「う、うぬ? おお、安心せい、レオン。カトレアが女のカンで見張っておるものじゃから、最後まで、手出しはできなかったからのう。父は健全じゃ」
「……え……? と、セデスって誰?」
 何だか嫌な予感を覚え、思わず聞いたティリスに、レオンが淡々と答えた。
「僕の父上だ。――そうか……おじい様は、隙のある方術師が好みなんだな」
 ティリスは頭痛を覚え、沈痛にこめかみを押さえた。娘婿に手を出す舅って……。
「と、に、か、く! オレは誘惑なんてしてないからな!」
「……そうかのう?」
「そうだよ!」
 と、レオンが軽く指でティリスの肩先を叩き、振り向かせた。
「なに?」
 甘く笑って一言。
「誘った」
「な、ななな何言ってんだ、誘ってない!」
 くっくっくっと、うろたえるティリスをレオンがおかしがる。かと思えば、ふいにティリスを見詰め、どきっとしたティリスが退こうとするのを、上手に壁際まで追い込んだ。
「誘った」
「さ、誘ってないったら! ……や……あっ……!」
 口付けが、誘うように降りる。それでいて隙がない。
 ティリスがどう動くか知り尽くしたレオンは、あらかじめ、退路を断つのだ。
「ちゃんと、僕を求めて呼んだぞ」
「だ、だって! そんなの、おまえが死霊術使うからじゃないか……!」
「逃げられないようにしただけだ。呼ぶようには命じていない。おまえが、自分の意思で呼んだんだ。誘ったぞ」
 さっと、耳まで赤くなるティリスを、レオンがさらに追い込んだ。衣装の合わせから、上手に手を差し込んで、柔らかな胸のふくらみに指を滑らせる。
「やめっ……! て、何で誰もいなくなってんだ――っ!」

 姫君の危機は、まだまだ、始まったばかり。

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第一章 姫君の危機【2】

 ぴちょん。
 ぴっ ぴちょん。
 
 陽光が差すことはない、聖アンナ霊廟地下墓所。
 今そこに、小さな燭台(しょくだい)の灯に照らされた、数名の方術師の影が見えた。
「聖アンナの御遺体は、まだ見つからないのか」
「……エンヴァル大司教、恐れながら、御遺体はやはり、生贄に滅ぼされたのではないかと――」
「あり得ん。復活祭の日、この私が直に方術をかけ、生贄の自由を奪ったのだから。動くことすらできなかったはずだ」
 重い沈黙が、冷たい石室を支配した。
 カムラ帝国の方術師たち――
 聖アンナ神殿は今、大変な危機に直面している。
 建国からの永きに渡り、カムラ帝国には唯一無二の、聖アンナと呼ばれる本物の天使が存在し、その天使が方術師たちに力を貸してきた。
 ところが、天使を降ろし、その依り代となるはずだったサクリファイス(生贄)が六年前に暗殺されてより、歯車が狂い始める。
 サクリファイス不在のまま、翌年には、聖アンナまでもが命を落とした。
 そして、方術の効果が徐々に失われていく中で、神殿はついに真っ二つに割れてしまったのだ。
 死霊術師に支配された現皇室を滅ぼし、天使ではなく神の加護を取り戻そうとする一派。皇室断絶派。
 聖アンナにつながる唯一の手がかり、暗殺されたサクリファイスの遺児、レオン皇太子を生贄に、天使復活に賭ける一派。聖アンナ正統派。
 皇室断絶派が、皇帝の不在を狙って皇太子暗殺に出て、まさかの返り討ちにあった事件が記憶に新しい。
 その報告を聞いた時、聖アンナ正統派の筆頭であるエンヴァル大司教は慄然とした。
「猶予はあるまい。カムラ皇室は死の王朝だ。建国よりこの方、皇室はいつも血と死に支配されてきた。セデスが暗殺された今、その血を継ぐ者はレオン皇太子ただ一人。だが、その最後の希望も、いつ、死神につかまるか――何としても、愚かなる者に暗殺されたり、自害されたりする前に、皇太子には生贄になって頂かねばならん」
 大司教は時折、悪夢を見る。ついに聖アンナの亡骸を見つけ、儀式の準備も整い、皇太子を訪ねると、肝心の皇太子が血まみれになって倒れているのだ。もちろん息はない。最悪のシナリオだ。
 ――そこ。大司教はいったい皇太子を何だと思っているのか、とか、冷静な突っ込みは入れない方向で。
「大司教、この上は、皇太子に直に伺うのはいかがでしょうか」
「馬鹿な」
 聖アンナの亡骸がどうなったのか、確実に知っているはずの人物がいる。生贄となるはずだった、レオン皇太子その人だ。
 ――だが、しかし。
「なぜ生還されたのか、儀式を執り行った聖アンナ霊廟に安置されていた天使の御遺体はどうされたのかなど、聞けるはずがあるまいぞ。皇太子が、何故、我らを糾弾しないのかすら、霧の中だというのに」
 皇太子はかけられた方術の効果で意識も定まらず、夢だと判断したから何も言わないのではと、大司教は考えている。
「直にとは言っても、面と向かってではありません。皇太子が溺愛なさっている姫君に――『月の雫ライティルナ』に、力を貸して頂くのです」
「……『月の雫ライティルナ』だと? あの姫がか?」
「御意」
 月の雫ライティルナ
 それは聖別された人間だ。天使の寵を受ける者であり、本人が望まない限り、あらゆる方術の影響を受けないという。
「ロゼット司祭長、姫は、レダス司祭長の方術から皇太子を庇って重傷を負われたと聞く。月の雫ライティルナではあるまい」
「聞き及んでおります。ですが、むしろ、その時にこそ――姫君には『皇太子を庇って亡くなられた』という話もあるほど。姫君が月の雫ライティルナの資格を得たのはその時ではないかと、私は考えるのです」
 聞いていた誰もが、息を呑んだ。
 月の雫ライティルナ
 それは方術師の誰もが目指す魂の高み。しかし、カムラ帝国の建国より、数名しか確認されていない、半ば伝説と化した存在だ。
「……過去、息を吹き返して月の雫ライティルナとなった例はないが……」
 ロゼット司祭長が、ふっと、表情を緩めた。
「先日、姫君が私の元に、皇太子に神殿をどうこうする意思はない、殺そうとするのをやめてくれと、言いに来られました。自分には誰が一番偉いかわからない、それでも、十分偉そうな人に会えたから、一番偉い人に話を通してくれと――人に見つかったと気付くと、あわてて逃げて行かれましたが」
 逃げ去る姫君にかけられた方術が、光の欠片となって無効化されるのを、司祭長はまさに目の当たりにしたのだ。
 そして、皇太子や天使がなぜ、かの姫君に寵を与えるのか――
 司祭長には、わかる気がした。
 正面から、手続きを踏んで乗り込めば、姫君の身は安全で、話も確実だったのに。彼女はそうしなかった。なぜか。
 神殿を庇ったのではないかと、思われるのだ。
 息をするほど当たり前に。
 逃げる時、秘密だと、姫君は口元に指を一本立ててこう言った。
「中庭にいた人たちはみんな死んだ。レオンもそう言ってる。だから誰も『おまえも暗殺に加担したんじゃないか』とか、疑わないでやって」
 そして、追いかけっこを楽しむように逃げて行った。
 光そのものかのような、姫君。
 
“ 逃げ延びた者がいることは秘密 ”
 
 これほど無礼で奔放で、小さなものを救う密約を、知らない。
「大司教、方術も天使も必要だと、月の雫ライティルナなら、わかって下さるはずと、信じたい」
「……」
 皇太子についても、司祭長の考えは、大司教とは少し違う。
 死霊術師である前に、優れた方術師だったセデス司祭の息子だ。皇太子こそ、神殿を庇って何も言わないのではと、不吉な考えが脳裏をよぎる。
 不吉な、というのは、復活祭が失敗したのは皇太子が抵抗したからではなく、天使が死んでしまっていたからではと、神殿側が考えないようにしている可能性を想起させるからだ。
 復活祭とは名ばかり、儀式の際、天使が死んでしまっていたことは、かつてない。天使の依り代は、生命ある天使とサクリファイスの契約によって交代してきたのだ。
 同じ手順を踏んだとて、死んでしまった天使とでは、駄目なのかもしれない。本当は、その可能性を危惧しないわけでは、ないから――


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第一章 姫君の危機【3】

「う~……」
 何やら低いうなり声が、皇宮に響く。
「う~~~……」
 この世の不幸に押し潰されようとしているような、苦渋に満ちたうめき声だった。
「……皇帝陛下の……御威光を……、……よって? ご尊顔をみだりに……?」
 分厚い分厚い教本との戦い。ティリスは今まさに、カムラ宮廷作法やら、修めるべき豊かな教養とやらに、押し潰されそうになっていた。
「何だっけこれ……昨日、カタリーナに聞いたのに……。何で忘れてんだよ~、オレ!」
 泣きたい。泣きそうだ。泣いてるし。
 婚約披露宴での失態以来、さしものカタリーナさえ、指導中はティリスに厳しい。
 何があったかと言うと、カタリーナの熱心な指導をあざ笑うかのごとく、大切な席でティリスが失敗したのだ。いっぱい。百点満点の、平均六十点の試験で、二十点を取ったという感じだろうか。
 そんな中、妊娠を告知されてしまったティリスを待っていたのは。
「ティリス、具合が悪いのか?」
 政務を終えて戻ってきたレオンを、ティリスは心底うらめしげに見た。
「妊娠中で、動けないんだよ」
「ふうん。動けないとうなるんだな、おまえは。変な奴だ」
 バタンと、ティリスはやや乱暴に教本を閉じた。
「動けないから、どうせ修めなきゃなんないカムラ宮廷作法全21巻を今のうちに修めとけっていうのは正しいよな。正しいよ。でもさあ、やる方の身にもなってみろよ!」
 突然のことに、やや、レオンが驚いた顔をした。ティリスは構わず言い募った。
「好きな剣の一つもふれなくて、乗馬の一つもできないんだぞ!? 毎日毎日毎日毎日教本だぞ!?」
 レオンが訝しげに眉をひそめる。納得いかないようだ。
「まだ3日目だろう。1日多いぞ」

「だまれ。」

 訴えた自分が馬鹿だった。どうやったって、レオンにこの苦悩がわかるはずがない。
「くそう。おいレオン、これ、皇帝権力で修めなくていいことにできねーのかよ!」
「だめだ。皇帝だからと、何もかも勝手にしたら、国が乱れる。秩序は保つんだ」
 ティリスは目を見開いて、次には腹立ちに任せて教本を机に叩きつけた。
 何だよ、それ!
 正論だ。その通りだ。だけど、自分は!? レオン自身はいつだって、めいっぱい身勝手なくせに――!
「……っ……」
 だめだ、オレ、――泣く!
「ティリス?」
「風呂入って寝るんだっ!」
 レオンを振り切って風呂場に駆け込むと、ティリスは両手で顔を覆った。
 涙がどっと溢れた。
 悔しくて、たんたんたんと、風呂場の床を蹴って八つ当たりした。
 何でこんなに悔しいのか、悲しいのか。
 ――わけ、わかんねえ!!――

 泣くだけ泣いて涙も枯れると、ティリスはぼんやり、いつもと何も変わらない、浴室を見た。

 そうか。
 これが、俗にマリッジ・ブルーというやつなのだ。
 きっと、こういう時、妻は夫に殺意を抱くのだ。
 ……くそう……。

( 注・ちょっと違います。 )

 入浴の後、レオンに案外優しくしてもらっても、ティリスの気は一向に晴れなかった。


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