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「以上のように、JRさんのE655系に準拠したデザインとし、北急・米田重工(YHI)によって建造する方向でお話を進めます。
 E655系の車両デザインの先生はちょっと道路が混んでいるために遅れていますが、まもなくいらっしゃると思います。
 ではお手元の資料をご覧ください」
 ここは相模大川の北急電鉄デザインスタジオに併設された会議室。
 そこでヒソヒソと「鉄道車両のデザイナーなんだから列車で来ればいいのに」と北急・YHIデザインチームの間で声がかわされる。

 建築もやっているエライ先生だってのは知っているけど、うちのBCX、日帰り旅行用ブラウンコーストエクスプレスの計画はうちの独自デザインのはずだったのに、なんでE655準拠になるんだよ。
 なんだかえらい人の間で決まったらしいから、どうにもならないさ。
 現在架鉄業界でもE655の製造が各社で進んでいる。北急も『倣えで』ということか。
 好きな鉄道に好きな車両をデザインして使ってもらえるから、この北急をえらんだんだぜ。まったく。
「おい!」
 米田重工のチーフデザイナー・神足(こうたり)がヒソヒソ声を叱った。
「失礼しました」
 チーフが謝ったとき、JRのスタッフが「先生がお着きです」と知らせた。

 みんな、現れたその先生の圧倒的なオーラに息を飲んだ。
 デザインの世界で知るひとぞ知る「先生」の武勇伝は皆知っていたが、それ以上のオーラだった。
 血で血を洗う打ち合わせ、デザイン会議をくぐり抜けてきた「先生」。

 どうやったらあんなオーラ出るんだよ。
 同じ人間じゃないよ。
 頭の上に陽炎がたってるよ。何から何まで格が違う。

 若きデザイナーたちは震え上がった。

「私のデザインである以上に、国賓貴賓の方々がお召しになる車両、E655系を、よろしくお願いします」
 先生の言葉に、皆頭を下げた。



「ちくしょう、なんなんだよ!」
 夜中、洒落たデザインオフィス家具で仕切られたブースがゆったりと並ぶ、YHIデザインルームで若きデザイナー・小野修也(おの・しゅうや)は没になったBCXのデザイン画を見ながら、ミネラルウォーターのペットボトルを投げ捨てていた。
 窓の外は相模大川の街並み。この部屋は相模大川のYHI工場が一部移転してできたスペースに建てられた高層ビル・YHIタワーの高層階にある。
「そう言うなよ。俺達どうやったって、あの重厚さには勝てないさ。経験の差がにじみ出てるんだもの。勝負にならないよ。そこらへんうちの社長もみきったんだろう」
 同僚がそう慰めるというか、あきらめの言葉を続けた。
「だってあのE655、マジョーラカラーは別にするとしても、顔が間延びしてないか? それにあのスポイラーみたいなスカートだってなんだか」
「そう言うなよ。不敬だよ」
「俺だったらこうしたいけどなあ」
 小野はサラサラとスケッチを描いた。
「ここの角が顔を強面にし過ぎだよ」
「お召なんて強面の極地だろ」
「いや、だからこそ親しまれる顔にも必然性があると思う。カラーを活かしてこうする理由がある」
「とはいっても俺達はまだまだ駆け出しだよ。勝てっこないって」
「デザインは勝ち負けなのか」
 と小野が言った時だった。
「まあ、優劣はあるな」
 とチームリーダーが入ってきた。
「何だまた小野か。会議で決まったんだから、仕方が無いだろ。それともあのときに異論を言えたか? 言えない以上どうにもならん。結局は負け犬の遠吠えだ。他のプロジェクトもあるんだから、負けた話にこだわりすぎるなよ」
「とはいえ、納得行かないんです」
「何熱くなってるんだよ。無理無理。絶対無理。格が違いすぎるさ。向こうは重厚な品格を出せる熟練の巨匠だ」
「でも」
「『でも』はなしだ。まず目の前の給料分働こう。な? 諦めることも大事な判断だ」
 小野はなおも言いたかったが、しかしその言語が浮かばなかった。



 次の日だった。
「小野です」
 電球色の温かみのある部屋の中、白色照明で浮かぶ検討用の大テーブルをもつ神足チーフの執務室。
 小野はノックしてそこに資料をかかえて入った。
「BCXのデザインを改善してE655とかけ合わせた私の案です」
 チーフは「そうか」というと、メガネを直し、その部屋でそれまでデザイン用のディスプレイを見ていた椅子から立ち上がった。
 そしてミネラルウォーターを一口のみ、歩いて、小野が資料を広げた検討テーブルにやってきた。
 その視線が鋭く資料に延びる。
「なるほど」
 こういう時のチーフの眼が、小野は大好きだった。
 変な話ではない。
 デザインを審査するときの真剣なデザインチーフ神足のその瞳は、いつも深い輝きを宿す。
 こんな駆け出しのデザイナーの自分の案でも、ちゃんと見てくれる。
 いくつものデザインをしてヒットさせてきたチーフ。
 まさに最前線の人間に審査される喜び。
 この瞬間は、今のところ小野にとっては一番の幸せだった。
「うーん」
 そのチーフのその瞳が曇った。
「小野くん、ちゃんとE655のデザイン、見た?」
「はい」
「でもねえ。これ、まだちょっと遮眼帯がかかってるかなー」
 チーフが唸った。
「いや、デザイナーとしての気持ちはよくわかる。僕もそういう時代からこうなったから。
 でもね、物事は自分で描くだけじゃダメだ、って言ってるよね。
 描くのと同じ以上に、読む力、読解力がいる」
 小野は頷いた。
「E655のデザインの読み方がちょっと浅いかな。
 君もまずロイヤルエンジン、EF58 61からの系譜は分かったとは思うけど、そこに至る文脈がはっきりしてないんじゃないかな」
「単なる流線型ではダメだとは思ったんです。そこでEF58の資料にあたりました。でもE655の顔は若干間延びしている気がします」
「そりゃ国旗掲揚の必要のために数%伸ばしてある、というのはわかるな」
「はい」
「まず、結論から言おう。
 君の案はあまりよくない。
 まずここのこの線が膨らんでいるのはどういうねらいで?」
「それは親しみを」
「膨らませれば親しみが表現できるというのは、ちょっと安直じゃない?」
 小野はぐっと言葉が詰まった。
「結果的に、全体が緩んでいるしね。
 これじゃ、まずお召し列車の運転士の緊張が伝わらない。
 お召は晴れ舞台であると同時に、運転士にとっては細心の注意をはらいながら、国賓貴賓を安心してご案内する心を込めた世界だ。
 運転士は常に心を配っている。車両だけでなく、軌道や信号、電力供給から駅務にいたるまで、鉄道員すべての丁寧で厳正な仕事がシンフォニーとなってこそ、鉄道の安全はかなでられる。
 その安全の極みが、安全なお召運転だ。
 かつてのお召ではお召運転のためだけに軌道保線作業で曲線カント角度を調整する作業すら行われた。
 そして露払い運転の列車、予備列車が用意され、車両運用はそのために苦労をいとわず心を込める。
 そして警備の警官が100メートルおきに線路脇に立ち、警戒する。
 運転の際には分岐器には封印がされて不測の分岐不良も排除される。
 その緊張の中、お召し列車がやって来る。
 その静寂は前面に掲揚された国旗のはためく音が聞こえるほどだという。
 それを十分理解しているかい?」
 小野は黙るしかなかった。
「君のデザインには、その風景が伝わってこない。
 デザインの読解力がまだ不足している。
 定められたものをそのとおりに読解して作るのも大事な力だ。
 自分勝手にいじくることと、デザインすることはちがう。
 デザインに意味のない要素はありえない。
 文脈があり、背後に必ず、そのデザインの世界がある。
 その世界に『なんとなく』はあってはならないんだ」
 小野は頷いた。
「まあ、ご苦労だったが、これではE655のデザインを覆せない。
 残念だが。君は君の顔つきのあるデザインにまだ達していない。
 まだまだがんばるしかないな」
 チーフは微笑んで、小野の背を叩いた。
 小野は頷き、「失礼しました」と礼をした。
「まあ、経験不足は皆同じだったんだ。へこむな。
 ちゃんと飯食って、風呂入って、寝て、体力を補充するんだ。
 気力が充実しないといいデザインは生まれない。
 それと、もっと深くデザインを読み解く力を養っていかなきゃな。
 チームリーダーの彼はその点、君に近いところでまた苦しんでいる。
 僕も苦しんでる。今でも正直。
 でも、その苦しみだけがデザインの引き出しを増やす力だ。
 描く以上にもっと読む。それだよ」
 小野は頷いた。

 小野は自分のデザインブースに戻って、チーフの言葉をかみしめていた。
 E655のデザインを見つめると、チーフの話と共に、それが大きな分厚い説得力となって自分の気持ちにのしかかった。
 貫禄負けか、と小野は思った。

 相模大川の夜の街並みが、そのYHIデザインスタジオのあるYHIタワーから輝いて広がっていた。



 翌日、『先生』をお呼びしてのBCXプロジェクト定例会議が開かれた。
「ではデザインデータはE655のものを東急車輛からいただくこととします。
 そして」
 その時、突然YHIのデザインチーフ・神足が手を上げた。
「なんでしょう」
「ちょっと見てもらいたいものがあるんですが」
 会議室がざわめきに満ちた。
「なにか提案ですか」
「ええ」
 神足チーフが微笑みながら口にした。
「まあ、なんというか、先生にはお時間を取らせてしまうのですが、ちょっと先生のご慧眼でご覧いただき、ご高評を賜れればと思いまして」
「しかし、このデザイン案に対抗する案を出すんですか」
「だめですかね」
 チーフはしれっとして聞いた。
「いいでしょう」
 先生がうなずいた。
「小野くん」
 小野はびっくりした。
「えっ」
「『えっ』じゃないよ。昨日君がスタジオに篭って作っていた資料を持ってきて。時間がない」
「本当ですか」
「ここで冗談言うわけ無いでしょ。さあ」
 小野は驚いたが、次の瞬間、走りだしていた。

 そして、そこからデザインのプレゼンテーションが始まった。
 小野は昨晩徹夜して作った資料を、驚きの中、説明した。
「あんな目の下にくま作ってたら、わからないわけないじゃない」
 チーフは笑った。
 そして、先生が評した。
「さすが北急ですね。気持ちがみな若い。
 E655の解釈とその派生型は今いくつもあるけど、どれも顔つきが違う。
 同じものを作ってもそれぞれの個性がでる。
 それがまた面白いところです」
 先生はそう頷くと、デザインコンセプトの違いを説明した。

 会議は終わった。
 結局、BCXの5号車側の前頭部は北急オリジナルデザインとなった。
 BCXはE655・Y編成と呼称されることも決まった。

 そして、会議が終わって、小野は燃え尽きた。
 もちろんデザインはすべて認められたわけではないが、燃えるような熱意でみなのアイディアが出され、先生のE655原案との文脈がつながれ、案はまたYHIチームでさらに磨くこととなったが、そのあとの脱力感は大きかった。
 しかし先生の懐の深さに、また圧倒されるものがあった。
 さすがだ。勝負にならない。
 でも、自分の気持ちは、理解してもらえた。

「小野君といったね」
 立ち尽くしていた小野が声に驚く。
 先生がいつのまにか、会議室に戻っていた。
 しみじみと、先生は皆で議論したスケッチを見ながら、話しだした。
「いいデザインは、見るものの心に火をつける。
 僕も火をつけられてここまできた。
 幼い頃のEF58へのあこがれでE655をデザインした。
 EF58 61のお召しの思い出もあるが、それ以前にEF58の全盛期の頃、鉄道黄金時代への憧れと、鉄道再生の期待を込めたが、君はそれをよく読みといてくれた。
 君がこれだけ情熱で応えてくれて、なんだか自分の若い頃を思い出したよ。

 君もデザインで、火をリレーしてくれ。
 デザインの魂を。人は、デザインする生き物だから。
 顔つき。違う顔でも、同じ血が流れている。
 可愛いお召し。これも時代だね。
 でも何かににてるんだよなあ。何かに」
 先生はそう言いながら、では、と去っていった。

 小野は、その後姿に、深い真の敬意とはこういうものか、と自分で感じる気持ちを思った。



 そしてE655Y編成が竣工し、試運転が始まることとなった。
 試運転前検査が、相模大川工場で行われた。
 小野が立ち会う。
 しかし、先生は何に似ていると言いたかったのだろう。
 その時、北急甲組運転士の来嶋が言った。

「この5号車の顔、キレンジャーの顔だよね。ぷっくりしてて」




<了>

この本の内容は以上です。


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