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食えないヤツ

 思い出すたび、口につばが溜まってくるほど美味しかった食べ物がある。
 北海道の厚岸の浜で、海水で洗って食べたプリプリした牡蠣、マウイ島のクラロッヂっていうところで焼いてる素朴で香ばしいパンケーキ、福岡で初めて食べたフグの唐揚げなど、言い出したらきりがない。

 しかし反対に、二度とお目にかかりたくない、思い出すたびに胸のあたりがムカムカして、腹がたってくるほどまずかった食べ物がある。私は今までに二回、遭遇している。

 ナマコだろうがホヤだろうが、タンだろうがハツだろうが、私はおかずとして食卓に出されたら喜んでいただきま―すっ、してしまう。ほとんど好き嫌いのないやつなのだ。しかしこの私が、どうがんばってもふた口目にチャレンジする気になれなかった世にも恐ろしい食べ物があった。
 それは、小学四年生の、とある日の給食にメインディツシュとして出された黄土色の紐状の不気味な食べ物だった。
 黒板の横に貼ってある「今月の給食献立」の紙には、その問題のおかずの名前が書いてあった。題して「切り千し大根のピーナツバター和え」
 聞いただけでなんだいそりゃ?!って感じでしょ。まぁ、文字通りてんこ盛りの切り千し大根をピーナツバターで和えてある単純な料理なのだが、戻しが足りなくて切り千しが異常に固い。その上、めちゃくちゃもったりと甘いぺ―スト状のビーナツパターが口に粘りついて、私は食べたとたん「ぐぇっ」となってしまった。
 いやっ、それは、私だけではなかった。教室のあちこちから、悲壮な声が次々と上がったのだ。
「何だよ! これは?」
 食べ盛りの男の子達ですら、カチャンッと、先割れスプーンを投げ出して怒っている。
 女の子は、 「やだぁ~、もう食べられないっ!」と泣きがはいっていた。それほど、言語道断に「オエェェェ!」だったのである。
 だいたい、こんなもんをどこの誰が考えだしたのか。切り干しとピーナツバターという、とうてい縁のなさそうな組み合わせは、どこをどうしたら思いつくもんなのか。私は不思議でしょうがなかった。
 さっき無理やり飲み込んだ切り千しがまだ食道を行きつ戻りつしているようである。私は胸が苦しくて身動きができないまま、アルミのボールに入ったこの得体の知れない物体を茫然と見つめていた。そこへ、
「おいっ、学級委員、なんとかしろよっ!」
 という、声が起こった。そして「そうよ、そうよ! なんとかしてよ」とみんなが賛同し始めた。
「え~?! なんとかしてったって。・・どうすりゃいいのよ?」
 なにを隠そう、その時の学級委員は私だったのである。
「だからぁ、先生のとこへ行って、こんなもの食べられないって言うんだよっ」
 当時、うちのクラスの担任は若い男の先生で、昼食は私達とはとらずに、職員室で愛妻弁当を食べていたのである。自分は食べないくせに、先生が作った「給食のきまり」はこまごまといろいろあった。その中に「一度よそったおかずは、残さずきれいに食べましょう」というのがあったのだ。
「全部食べるなんて、とっても無理」という結論に全員が(ひとりも欠くことなく)達していた。
 普通、味覚は人それぞれとか好きずきなどというが、これをみても「切り干し大根のピーナツパター和え」がいかに不評だったか分かろうというものである。
 私は先生に味見させるために持たされた、アルミのボールを抱え、 「頼むわよっ」「がんばれ」というクラスメートの励ましの声を背に、職員室へと向かっていた。
 廊下を歩きながら、 「いやっ、全部食べなきゃダメだ」とか言われたらどうしよう、なんて考えてずんずん気は重くなっていった。それでもクラスの代表として一致団結した意見を伝えに行くという、これぞ学級委員!の使命感に燃えてもいた。
 さて、愛妻弁当の箸をとめた先生は、私の説明を聞いた後でぶつぶつ言いながら一口食べると、「うっ」と唸ったまま黙り込んでしまった。
 そしてあんがいあっさりと、
「うん、半分食べればいい」
 と答えたのだった。
 いやしかし、その「半分」ですらけっこうシビアなもんだった。それを証拠に、 20年以上たった今でも、 「切り千し大根のピーナツバター和え」の味をはっきりと覚えていて、この文章を書きながら蘇る胸やけしそうな食感に、どんどん気持ちが悪くなってきたのだから。ウ~ッ、ムカムカする~!
 けれどもあれはたぶん、栄養学上はとてもバランスのとれた良い食物だったのだろう。食物繊維もたっぷりだし。
 だが、悲しいことに、ただそれだけ、ただそれだけだったのだぁねえ。

 二つ目は、5年前に神戸で出会った。
 翌日に控えた友人の結婚式に出席する為に、私は、三宮の酒落たホテルにチェックインした。
 新幹線の中で眠りこけてお昼を食べそこなった私は、猛烈にお腹が空いていた。
 しかし、夕食を新婦の御両親にご馳走してもらえることになっているから、今しっかり食べてしまうのは、非常にもったいなかった。
「よしっ、なんか軽いもんにしとこう」と、ホテルの中を散策したのだが、レストランも日本料理屋も値が張りそうだわ、ボリュウムがありそうだわで、敷居が高い。
 やっと可愛いパーラーを見つけて、喜びいさんで入っていくと、客は私一人であった。
 渡されたメニューには、オレンジジュースとかチョコレートパフェとかショートケーキなどといった飲み物やデザートは、ずらっと並んでいるのに、肝心の「軽食」が見当たらない。私はしょっぱいものが食べたかったのである。
 なんとなく今さらそこを出て他を探すっていうのも気がひけた私が、ぎりぎりの妥協をして注文したのは、その店唯一のごはんもの「フルーツカレー、1200円」であった。
「なんだ、探せばあるじゃん」やれやれとホッとしていると、ウェイトレスの「あのぉ~、フルーツカレーだそうです」と、なぜか遠慮がちに厨房にオーダーを伝える声が聞こえ、続いて奥から「えっ、フルーツカレー?!」ほんとかよ?という顔でコックさんがこっちを見ながら頭を出した。
 ウエイトレスは、仲間同志でなにやらとソヒソと話しをしている。切れ切れに分かった言葉は「珍しい」と「初めて」と「・・・おるんやねぇ」であった。
『なっ、なんだっていうのよォ~! フ、フルーツカレーってぇのは、カレーに、ただフルーツが入ってるヤツなわけでしょう? 違うのぉ?!』
 実際には食べてみたことのなかった私は、とたんに自信がなくなってきた。
 しばらくして、店中の視線を集めつつ問題の「フルーツカレー」が厳かにテープルヘ運ばれて来た。それはごく普通の銀色のソース入れに入ったカレーと、皿に薄く盛ってあるごく普通のライスのように見えた。
 しかし油断はできない。なにせ私は、興味深々といった面持ちの従業員全員の注目を浴びるほどのものを、注文したらしいのであるからして。
 器の中の大きいスプーンでカレーをかき混ぜてみて、わたしゃ、驚いた。色とりどりのフルーツで、ぎっしりうまっていたのである。
 想像していた「普通のカレーにちょっぴりバナナやりんごのはいったもの」というのとは、かけ離れた代物だった。
 いや、バナナもりんごも入っていたし、パパイヤ、西瓜、キウィ、苺、アボガド、メロン、オレンジ、巨峰、マスカットがひしめきあうように入ってはいたが、それしか入っていなかったのだ。くだものだけしか。
 おまけにそれらはカレーの中で煮込まれているというのではなく、今切ったばかりのフレッシュでジューシィーなやつをカレー汁であえたもの、といった感じであった。
 カレーソースの器を触ってみると、ひんやりと冷たい。
 中の具をスプーンですくって、ごはんにかけてみた。くだもの達は食べるのが気の毒なぐらい、カレーにまみれてグッタリとしている。どうみても、 「まずそぉ~」であった。
 おそるおそる一口食べてみると、思った通り「ゲェ~!」である。
 フルーツの甘く酸っぱい汁が、カレーソースと不気味な不協和音をかもし出している。いろんなものがごちゃまぜになった香りが、口いっぱいに広がった。
 一言でいえば、「生ゴミ」味、だ。 (「お前は生ゴミを食べたことあるのか?!と突っ込まれると困るけど)
 さて周りでは、いつのまにか現れた蝶ネクタイの支配人ふうの男の人まで加わって、無関心を装いつつ私の挙動に注目していた。なるほどこいつは「頼んだ奴の顔が見てみたい」食物である。 (そんなもんメニューに載せんじゃね―よっ…)
 しかしこういう時、私は悪いクセで、なぜか妙な見栄を張りたくなってしまうのであった。
「あのぉ~、こんなんだって知らなかったんです私」と、うろたえるのが、くやしくて、ただそれだけで訳の分からないファイトに燃えてしまうのである。
 ましてやここは、一応名の通ったホテルのお酒落なパーラーであった。口に合わないと残してしまうのは、イコール味オンチの田舎者と思われてしまうような気がしたのだ。くだらないって言っちゃぁ呆れかえるほど超くだらない行為なんだけど、私はなんだかテレビ東京の「テレビチャンピオン」 (大食い選手権とかゲテモノ食い選手権大会などをやってる)の挑戦者のような気分になっていた。
「よ~しゃっ! 東京もんの底力見せたろかぁ~い!」 (正確には北海道生まれだけど)
「フルーツカレーなんて、毎日のように食べてるざんす」
 というシチュエインョンで、(途中何度か、胃と食道の間で逆流現象が起こったものの)生ゴミ味のカレーを、私は笑顔できれいにたいらげたのだった。
 ウェイトレス達は、驚きの表情で私を見つめていた。
 だが実際には、もうそんなことはどうでもよくなりつつあった。気持ちの悪さが限界にまで達していたのである。
『はっ、早く、部屋に戻りたい』
 それでもこんな情けない状態になってるなんて、いまさら気取られたくなかった私は、極力軽やかな足取りでレジヘ行きお金を払った。
 そして「さあ、このドアを開けて、走って帰ろう」という時、後ろからそっと誰かがにじり寄ってきたのを感じた。
「お気に召していただけたでしょうか?」
 支配人がにこやかに立っているではないか。フルーツカレーを美味しそうに全部食べた数少ない、物好きな客の感想を聞いてみたかったのに違いない。
 私は、正直に「なんじゃい! ありゃ!」と、胸ぐらを掴みたい気持ちだったが、有終の美?を飾ろうと、グッとこらえて、
「えぇ、大変結構でした」
 と優雅に答えたのだった。たぶん顔面は蒼白だったと思うが。
 すると支配人は、
「お泊まりの方ですか? それではエレベーターまでお送りしましょう」
 と一緒に歩きだしたのだ。
 ここまでゲロゲロになっている私が、平静さを取り繕って笑顔で応対するのは、並大抵のことではなかった。
 エレベーターの扉が開まった瞬間、私はドサッと床に崩れ落ちてしまった。
 そして、駆けこむように部屋へ入って、ベットヘ倒れ込み、
「う~んっ、う~んっ、きぼぢわるいよぉぉぉぉぉぉぉぉ―!」
 と一時間以上も七転八倒するはめになってしまったのである。
 その夜の新婦の御両親との食事も、いまいち食欲がわかず、出されたデザートのメロンに至っては、ウッとこみ上げるものさえあった。
「あ~、バカなことした」
 と生ゴミのにおいを嗅ぐと、今だにこみ上げてくる、フルーツカレーの甘く苦い思い出である。



一杯のラーメン

 駅の立ち食いそば屋には、 「どんなに急いでてお腹が空いてても、ひとりではちょっと入りづらい」と言う女性が多いが、私は全然平気でガンガン暖簾をくぐってしまう。そして、
「おじさん! 天玉、うどんでお願いっ」
 などと注文して、サラリーマンの間に混じり、ふぅふぅ言いながら猛スピードで食べてしまうのだ。

 安い早いうまい系のお店は大の得意、どんと来いである。回転寿司はもちろん、立ち食い寿司(これがヘタな寿司屋よりおいしかったりする)、牛丼屋、スタンドカレーの店、屋台のラーメン屋に至るまで、私が気遅れしてひとりで入れない店はほとんどないと言っていいだろう(だからどうした? と言われると困るが)。

 それらの食べ物屋のいちばんのメリットは、なんてったって「出てくるのが早いこと」である。次の仕事への移動時間が少ししかなくて、なおかつ、お腹が空いてて死にそうなとき、ハンバーガーやサンドイッチじゃ物足りないなぁというときにも、力強い味方になってくれる。
 その辺の回転寿司に飛びこみ、お茶をすすり、二、三皿でも詰め込めば、それだけでずいぶんお腹が落ち着く。仕事への新たなパワーも出て来るというものだ。
 そしてまた、そういった類いの店は、女の子のひとり客は比較的珍しいらしく、バイトのおにいさんが牛丼の具をちょっびりふんばつしてくれたりして、 「ウフフ」と小さな幸せに浸れることも、ときにはある。

 今では、こんなに図太くなってしまった私だが、これでも東京へ出て来たばかりの頃は、周りの目を気にしながら緊張してひとり、食事をとることもあった。
 そんな若き日の食べ物にまつわる、懐かしい話がある。

 その店は立ち食いではないが、駅のガード下にある(やはりちょっと女性は敬遠しそうな)さびれた感じの中華料理屋だった。
 看板の「ラーメン250円」という文字に引かれて、扉を開けた瞬間、「あっ、入るとこ間違えたかもしれない」と私は後悔した。だってそこには、店構えよりもっと薄汚れた暗いムードが漂っていたのだ。
 それでも、カウンターの奥にいる調理場のおにいさんが、不似合いなほどの明るさで、
「いらっしゃいっ!」
 と威勢良く迎えてくれたので「まっ、お腹がいっばいになればいいや」と、私は気を取り直した。
 さて、席へ着こうと周りに目をやると、三、四人の作業服姿の男の人がまるで珍しい物でも見るように箸を止めて、こっちをジロジロ見ているのに気づいた。
「やっばりここに、ショートパンツとポニーテールといういでたちは不似合いだし、はっきりいって私はかなり浮いてる」
 しかし、今さら引き返す勇気もなかったので、なるべく端のテーブルヘ着くことにした。
 店の主と呼ぶにふさわしい不愛想なおばさんに「ラーメンください」と、蚊の鳴くような声で注文すると、オーダーを伝え聞いたおにいさんは、奥から、
「はいよっ、了解!」
 と相変わらず元気がいい。
 しばらくして、おばさんがラーメンを運んで来た。それは何の変哲もない、ナルトやネギや支那竹や焼豚が入った、ごく普通の醤油味のラーメンだったが、空腹の私には胃にジ~ンと染みるほど美味しかった。
 ところが、ズルズルと食べ進むうちに、丼の底に何かグニュッとした柔らかいものがあるのに気がついたのだ。箸でつついてみると、そこにはたしかに弾力のある不気味な物が潜んでいるようだった。
「ゲッ、ラーメンの中に何か入ってる!」
 ごく最近そば屋で、食べていたカレーうどんからゴキちゃんを発見した経験を持つ私は、嫌な予感でいっばいになった。
「変なものだったらどうしよう?」と。
 それでも一目見たいという誘惑には勝てず、丼の底からその物体をおそるおそる引っ張りあげた。
 すると……それは! 美味しそうな分厚いチャーシュウだったのである。
 ゆっくり箸で探ってみると、出るわ出るわ! チャーシュウの嵐! 丼の底にびっしりと隙間なく敷き詰められていたらしい。
 びっくりして私が顔を上げると、調理場のおにいさんがにっこり笑ってVサインを出している。彼の仕業に違いなかった。
 ラーメンを運んで来たおばさんはまったく気づいていないようで、さっきからずっとテレビにくぎづけである。そりゃそうよ! 見た目はごくごく普通に作ってあるんだから。
 どこかの地方の名物に「幽霊寿司」という名のちらし寿司があって、それは自いご飯のいちばん下に、いろいろな具がこっそり隠してあるものだという。その昔、賛沢な寿司を食べていると知られないように、庶民が考えついたらしい、というのを聞いたことがあるが、思えばこのラーメンと同じような発想である。幽霊寿司に対抗して、これは何と名づけよう? 「裏チャーシュウ麺」というのはどうだろうか。まんまやんか!
 当時、 一日の食費を「目指せ500円」で頑張っていた私にとって、チャーシュウ麺と普通のラーメンの200円の格差は、それは大きなものだった。タクシーに乗って帰ろうなどと思いつかないのと同じに、それを食べようなんて考えたこともなかった。
 汁をレンゲで口に運びながら、胸がいっばいで涙と鼻水が出てきた私は、顔を上げることができなかった。
 そして次から次へとまるで魔法の丼から出て来るようなチャーシュウで、お腹もいっばいになって来た。
 だが……、はっきり言って、それはあまりに多すぎた。
「もういいっ!」
 と思っても、まだまだ丼から噴きだして来るのだ。いくら憧れの「チャーシュウ麺」といっても、ものには限度がある。
「きっ、気持ちが悪くなりそう~っ」。感動の涙がいつしか、苦悩の脂汗へと変わっていった。
 しかし、ここで残しては「女がすたる」。あの明るくVサインを送ってくれたおにいさんの好意を無にすることになる。調理場でチャーシュウがいっばい残った丼を洗いながら、
「ケッ、人生なんてこんなもんよ!」
 と次の日から世をすねた暗い人間になられても困ってしまうではないか。私だってそれぐらいの、 一飯の恩義はわかっているつもりだ。
 私はガンバッた。他ではけっこういい加減なところも多いが、こういうときには踏ん張りがきくのだ。
 すでに喉元までチャーシュウで埋まっていたが、最後の一枚を無理やり水で押し込んだ。
 ふと見ると、奥からおにいさんがこっちを向いて、うれしそうに笑っている。口から飛び出そうなチャーシュウを手で押さえながら、私は精一杯の笑顔を作って会釈した。
 そしてふらふらとおぼつかない足取りで、ラーメンの代金250円をおばちゃんに渡すと急に、「チャーシュウ分は本当にいいのだろうか?」という気がしてきた。ちょっと申し訳なさそうに振り返ると、おにいさんは真面目な顔で大きく頷いた。それは「いいから早く行け」という意味のようだった。
 私はまた軽く頭を下げ(「ウッ、出そう!」になりながら)、店をあとにしたのであった。
 あれからもう何年も経つが、あんなにびっくりして感動させられた食べ物には、それ以来出会っていない。


菊池通隆のこんなはずじゃなかった

 ピー。
「こんばんは、松井菜桜子です。えー今日はちょっと御機嫌伺いの電話をかけてみました。また電話します」
 ピー。
 な、なんだ? 御機嫌伺いって? ……あ! ま、まさかエッセイ集の仕事が遅れていることがバレたのか!?
 なんでバレるんだ?
 あ、あたりまえか、そんなこと。
 菜桜子さんは今回の仕事の中心にいるんだから。
 な、なんか電話の向こうの菜桜子さんは明らかに笑っていなかったような……気がした。
 これはマズイっすよ。
 
 思えば松井菜桜子という人の文章を見たとき、口語体で読みやすく、なおかつオチが所々に効いているそのさまに、いたく感心させられたのを覚えている。
 楽しい文章を書くなぁ。
 その少し前からエッセイ集の企画が自分の中にあった。そこでこの人でいってみようと思い本人に聞いてみたところ快く承諾してくれたので、この企画は動きだすこととなった。
 実をいうとこの本に収められているエッセイのほとんどは、企画がスタートしてからかなりの短時間で書き上げられたような気がする。
 これには僕もそうだったが、担当の鈴木さんも驚いていた。
 よっぽどだったんですねぇ。
 なにが?
 
 そうこうしているうちに『電撃王』でも連載が始まったりなんかして。
 ある日ふと気がついた。
 たしか、この企画が始まったときは「オシャレで午後のティータイムなんかに女性のセカンドバッグからチラリと覗いている本」というものではなかったか?
 
「波乱万丈な人生を送っているんですねぇ」
 ある程度まとまった原稿を読んだ後の素直な感想が口からでる。
「そうでしょうか」
 と菜桜子さん。
 キョトンとしている。
 いやそうですよ、菜桜子さんの人生に比べれば僕のそれなんて平穏なものでしたよ。
 仕事に関していえば、超波乱万丈だけど。
 このエッセイを読むと思わず、口元が笑ってしまう。
 これほどまでにオチがちゃんとついているエッセイが今まであったろうか? いやない!!
 本当にこんなすばらしいオチが用意されていたんでしょうか。
 菜桜子さんの日常に。
 ただズラズラと起こったことを書き綴るエッセイは、この本を見て勉強したほうがいいね。
 なぜならオチは基本だもの。
 全てにおいて。
 クリエイティヴな仕事をしているならなおさらですよ。
 付け加えるなら、このエッセイのすばらしいところは笑いだけじゃなく、所々に見え隠れするペーソスで、それがいい味を出していると思う。
 たとえるならそれは、クレイジーキャッツの映画でドタバタの合間にふと見せる植木等の憂いを含んだ瞳であったり、『男はつらいよ』のなかで寅さんが見せる真剣な表情に、通じるものがあるのではないか。
 そうだとしたら、最初にあったオシャレな本なんて跡形もなく吹き飛んでしまう。
 人間の真実の生き様の前に、見栄えだけを気にかける飾り物になど対抗する術(すべ)はないのだ。
 これでいいのだ!!
 
「松井菜桜子です。おはようございます」
「あ、こんばんは」
「は? なに言ってるんですか。まだ、朝ですよ。そういえばエッセイ集の後書きができたそうで」
「え? あ、ああ。ええ。そうですねぇ。今やっているところです」
 こうなるとただの作家と編集の会話である。
「そうですか。楽しみにしています。出来上がったらファックスで送ってくださいね」
 電話の向こうの菜桜子さんは、おもいっきり顔に笑みを浮かべているような……気がした。


あとがき

「なんてこったい!?」を書いたのは、もう十数年前。
 当時、実はタイトルを「何様のつもり?!」にしたかったのだけれど、既にナンシー関さんの著作があるのを知り、変更したという経緯があります。
 書き上がってみたら、「何様?!」と言われるほどの内容ではなく、情けない「トホホ」な青春エッセイになっていたので「なんてこったい!?」にして良かったなぁと今は思っています。
 
「インタビュー形式にしては?」という出版社の提案を断り、執筆中は昼間はアフレコやナレーションの仕事をし、夜中はワープロに向かう日々を半年続けました。
 睡眠時間が削られて身体はしんどかったけれど、小学生の頃から書き溜めた日記をめくりながら「書きたいこと」が形になっていくのは楽しかったです。
楽しくて楽しくて、気がつけば規定ページをオーバーしていたほどでした。

 今回は、そんな事情で泣く泣く諦めた「食えないヤツ」「一杯のラーメン」「ハワイ親孝行旅行<日記編>」の未発表の3作も掲載していただきました。「一杯のラーメン」はその頃流行っていた「一杯のかけそば」を意識したものです。後者のお話と同様に感動物語のつもりだったのですが、何故か私の場合はラストに「トホホ」がもれなく付いてきます。

 
 そういえばこの「なんてこったい!?」を読んだ雑誌の編集長さんから「普通、エッセイを初めて書くと誰でも『人生の教訓や説教じみたもの』がどこかに必ず出 てきてしまうんだけど、これにはそれが全く無いのが凄い! 自分を俯瞰で見られないとなかなか出来ないのよ」と褒められたことがありました。(褒めてるの か?!(^_^;)
 元はといえば「トホホ」な日常のせいなのですが、かなり嬉しかったことを憶えています。
 だって、「こんなトホホなヤツがいるんだなぁ」と笑って、読者の方が日頃の憂さをひととき忘れる本が書きたい、というのがエッセイ集を書く目的でしたから。
 そして十数年の時を経て、この本がまた形を変えて明るい場所に置かれるかと思うと胸がいっぱいです。
 
 最後に、今回電子書籍版の話を推し進めてくださった大沼先生、掲載写真を探し出し提供してくださった麻宮先生、 諸々の許可を取り付けてくださった編集の鈴木さん、メディアワークスさま、ありがとうございました。この場を借りてお礼を申し上げます。

 そしてなにより、この本が読者の方々と再び出会えたことに、感謝感激です。最後までお読みいただきありがとうございました。
 
 実は私、また「書きたいこと」が溢れ出してきています……。今。
 
2010年12月 松井菜桜子


この本の内容は以上です。


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