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美人のつくり方

「鏡よ鏡よ鏡さん、世界でいちばん可愛い女の子はだぁれ?」
「それは、菜桜子さん、あなたです」
 今思えば図々しいにもほどがあるが、ある時期まで私は本気でそう信じて疑わないオメデタイ奴だった。えっ? 何を信じていたのかって? だからあ、世界一可愛いのは自分だと、マジで思っていたんだってば(キャ~、お願いっぶたないでえ)。
 テレビや雑誌を見ても私の自信は、どういうわけかこれっぽっちも揺らがなかった。どんな超一流のモデルや女優も「たいしたことはない」と感じていたのだ。
「化粧も濃いし、おっかない顔ぉぉぉ。やっぱり可愛さでは私にかなわないわ。ウフッ」
 私にとって、「プリティ」は、「ビューティフル」の上をいく、最上級の美を表現する言葉だった。
 
 根拠のないその確固たる自信に、陰りが射し込んできたのは、中学生になって、しばらくしたある日のことだった。
 クラスの男の子たちが「すっげ~色っぽい」とか「憧れちゃうよなあ」と噂していた三年生の北村先輩と、トイレの洗面所でその日偶然、初めてのご対面となった。
 私は対抗意識を丸出しにして背中をシャンと伸ばし、「フンッ」てな目付きで彼女を威嚇(いかく)した。ほらっ、この評判の先輩に、『世界一キュートな女の子の存在を、知らしめておく必要がある』と思ったのだあねえ。
 洗面所の鏡に映る彼女を、私はこの機会に観察することにした。
『ふんふん、まっ、スタイルがいいのは確かだわね』
 北村先輩は、ショートヘアの背の高いグラマーな女の人で、目はクリッと大きく、鼻もスッとしてて、彫りの深い、今思えばかなりの美人。にもかかわらず、私の結局の感想は、「なんだか老けてない?」であった。
 あんまりジロジロ見ていたので気がついたのか、鏡の中で視線を合わせた彼女がツカツカっとやって来て、すぐ隣で立ち止まった。
 そして、ニッコリと微笑み、私の頭を撫(な)でながら言ったのだ。
「まあ、可愛い子ねえ」
 私は身動きができなくなった。子供扱いされて怒ったのではなく、ライバルの意外な発言と、見上げたときに飛び込んできた彼女の包み込むような愛らしい笑顔に、びっくりしたのである。キラキラと輝く瞳が目に焼きついた。
 近くで見ると、髪は栗色で、肌は透き通るように白く、そしてふくよかな胸は優しく揺れている。クラスの男の子たちが騒ぐわけが、なんとなくわかった気がした。ショックであった。私と全然似てないのに、それでもこれほど魅力的な女の人が、こんなに身近にいたなんて。
 自分とは違う種類の「ビューティフル」もほんの少し認める気持になると、急に心配になってきた。『世の中には、北村先輩のように性格も良くて、きれいで可愛い女の人が、探せば大勢いるのではないだろうか』。
 私の心に、少しずつ謙虚な気持が生まれていくのがわかった(遅いんだよっ)。
『私は……』『私は、世界一可愛いのではなく、もしかして……日本一ぐらいなのかもしれない』(だめだこりゃ)
 
 家へ帰ってから、「私は、しょせん、日本一程度なのかも」と、今日の北村先輩の話を母と姉に伝えると、ふたりは大笑いするばかりである。私は憤慨した。
「何がそんなにおかしいのよっ」
 すると姉は、ピタッと笑うのをやめて、
「ねっ、菜桜ちゃん、あんたほんっきで、自分が世界一可愛いんだって思ってたの?」
 とあきれたように聞いてきたのだ。
「うん」。当然じゃないと頷くと、また姉は「ガハハハ」と笑い転げた。私はムキになっていた。
「だって、だって、だって、おかあさんが、いっつも『菜桜ちゃんは、世界一可愛い』って言ってるじゃないのよぉ」
 そう、年の離れた末っ子として生まれた私は、母から事あるごとに、
「可愛い、可愛い、あんたは世界でいちばん可愛いわあ」
 と十数年間言われ続けて大きくなったのだ。私はその言葉をただ信じて、これまで生きてきただけである。姉はまだ笑い続けている。
 しかし、母はもう笑ってはいなかった。かなり慌てた様子で、
「あのねっ、菜桜ちゃん、ちょっと誤解があったようなんだけど、おかあさんが『可愛い』って言ったのは、おかあさんにとっては、っていう意味なの。よその人がどう思おうと、おかあさんにとっては、菜桜ちゃんは世界一可愛いってことなのよ」
 母は諭すように言った。
「そうだったのぉぉぉー? よその人はそう思ってないのぉ~?!」
 青天のへきれきとはこういうことをいうのだろう。
「じゃ、ホントのところ私は、世界一どころか日本一ですらなかったのか?!」。私のアイデンティティがガラガラと音をたてて崩れて行くようだった。
「そうならそうって、最初から、言ってよね~」
 母は(そういう気はまったくなかったのだろうが)いうなれば「あんたは世界一可愛い」という洗脳を、日々私にしていたようなものである。
 そして長い年月かけてその言葉は、私の中にごく自然に浸透して、確固たる自信を築きあげていった。
「そうだ、私は世界一可愛いんだ」
 だから、テレビにどんなアイドルが出て来ても、都会からあかぬけた転校生がやって来ても、「ハンッ」と高ビーな態度で動じることなくいられたのだ。一分の疑問の入り込む隙もない、この鉄壁の自信、これを洗脳と呼ばずして何と言う。
 しかし、「教祖」である母は、
「そうではなくて……」
 と簡単に「教え」をひるがえした。
 どっかの宗教団体の末端信者のように「そんなはずはない」と、にわかには信じられない気持ちだった。
 私はその晩、寝込んでしまった。
 
 そして二十年経った今でも、マインドコントロールの恐ろしさを実感することがある。頭のどっかの片隅に「世界一可愛い自分」というフレーズが残っていて、それが日常生活のふとした拍子にひょっこり姿を現すのだ。
「これって、私のために作られた服のようだわあ」と、ブティックで鏡に映る我が身にうっとりしたり、「わあ、可愛い~」という声がどこからか聞こえると、「えっ、私ですか?」と思わず振り返ってしまう。そのたびに、そばにいた友人たちから「ねっ、菜桜ちゃん、その自信はどこから来るの?」とあきれられるのだ。
 しかし先日、三つ年上の従姉妹が電話で思わぬことを言い出して、私は自意識を満足させるとともに、なんだかくすぐったい気持ちになった。
「私ね、娘が菜桜ちゃんのように育ってくれたらって願っているの」
 彼女は、三歳になる我が子に毎日、
「おまえは世界でいちばん可愛いねえ」
 と呪文のように言い続けているというのだ。
「そう思い込ませて育てれば、もとはたいしたことなくても、きっと菜桜ちゃんのように明るくて、華のある子になってくれると思うのよねえ」
 その「もとは云々」というところが多少ひっかかったものの、私はたいそう感激した。なんだか、その子の成長が今からとっても楽しみな「初代・世界でいちばん可愛い私」である。


ヒールのサンダル

 銀座の「イタリー亭」ではなく、練馬の「イタリー亭」というスパゲティ屋さんで、養成所に通う十八歳からの二年間私はバイトしていた。
「アルバイト、ウェイトレス募集、時給四八〇円」の張り紙を見てふらっと入ったその店は、二十坪ぐらいのこぢんまりした、ひと昔前に流行った喫茶店のような感じの店だった(テーブル式のテレビゲームもあった)。
 なぜかいつも頭にスカーフを巻いて決して髪を見せない、三十代後半のママ(スナックでもないのになぜかこう呼べと言われた)と、商社に勤めていた元ラガーのマスターが、交替で出て来ていた。このふたりは妙にワケありふうで、ほんとのところ夫婦だったのかどうか未だによくわからない。だた、コーヒーは美味しかったし、スパゲティもアルデンテに茹であがって、けっこういける味だった。
 なかでも鉄鍋に入った「ミックススパゲティ」というやつは、スパゲティの上に二種類のソースが左右別々にかかっているもので、ミートソースに飽きてきたかなあっていう頃に、ホワイトソースで口直しをして、最後にミートとホワイトがぐちゃぐちゃに混じった微妙な味が楽しめるという、ひとつで三回美味しいスパゲティだった。
 
 さてバイト初日、ママさんの言いつけ通り、ヒールのサンダルとエプロンを持って出勤した。
 昼食時の忙しいピークも過ぎて、やれやれとカウンターで、出されたカレーライスを食べていると、たばこの煙をふかしながらママが話しかけて来た。
「でもさあ、あんたもよく東京に出て来たわよねえ。私もいろいろ知ってるけど、役者になりたいなんて、大変よぉっ。よっぽどキレイでもなくっちゃねえ」
 いきなりグサっとくることを言う。私は黙ってカレーを食べているしかなかった。
「親もよく北海道から娘ひとり出したもんねぇっ。心配してんだろうに。あたしが親なら、絶対東京なんて行かせないわね。函館だっけ? 実家? いいとこじゃないのよぉ。なにも好き好んで苦労することないって。人間分相応ってもんがあるんだから。あんたもそんな大それた夢、諦(あきら)めるなら早いほうがいいわよぉ。若いうちならいくらでも潰(つぶ)しがきくんだからさっ」
 食べてたカレーも辛かったが、「わかっちゃいるけどやめられないのよ、それを言っちゃお仕舞いよ」レベルのことを言われたのがけっこうきつくて、私の簡単に出てくる涙が、ジワジワを溢れてきた。
「やっぱり地道な仕事がいちばんよお、地道ってやつがさあ。ねぇ聞いてる?」
 私が黙っているのをいいことに、ママの話はどんどんリキが入ってきて、いつまでも続きそうだった。
 だんだん腹が立ってきた。『私の一度しかない人生なんだ。あんたの狭い了見と経験だけでケチつけられちゃたまらないっ』
 それに、毎日こんなこと言われ続けて働くのはイヤだった。カーッとなった私は、
「やめさせていただきますっ」
 ときっぱり言って扉の方へ走り寄ったのだが、慣れないヒールのサンダルを履いていたせいか、敷居の所で不様(ぶざま)にすっころんでしまったのだ。
 頭に来て、「こんなものっ!」とサンダルを脱ぎ捨てると、出だすと止まらない涙を流しながら、商店街の坂を駅の方へ駆け下りて行った。ハァハァ息を切らして立ち止まり足下を見ると案の定、私は裸足であった。
 落ち着いてよく考えてみれば、来るとき履いて来たスニーカーと、コートと鞄を店に置きっぱなしである。どんなにくやしくても一回は、取りに戻らなくてはならない。
「あーバカなことした」と私は思い始めていた。せめて靴を履いて出る思慮深さがあったなら……。裸足の寒そうな白い足が、自分自身の惨めさを一層深いものにしていた。
 とぼとぼと坂を戻りかけようとすると、ポンッと肩を叩(たた)く人があった。振り向くと、店のママが私のサンダルを手にして立っているではないか。
「びっくりするじゃないよぉ、いっきなり出てっちゃうんだもん。あんた走るの速いっちゃねぇーっ」
 ゼィゼィ言いながら、東北生まれのママはお国言葉を混じらせて言った。
 ママと私は、それから何も言わずに店へ向かって歩きだした。
 そして少し行くと、ショーウインドーの前で急にママは立ち止まって、
「あっこれ可愛い」
 と言うなり、ブティックの中に私を引っ張り込んだ。
「うんっこれがいい、あんたにはこれが似合うよ」
 あぜんとしている私に言葉を発する隙も与えず、茶色の熊の模様がいっぱい入ったセーターを、あっという間に買ってしまったのだった。
 
 この日の出来事はママと私の間で二度と語られることはなかったが、驚くべきことにそれ以来、彼女は私の応援団のように、叱咤(しった)激励を飛ばし支えてくれる存在になったのである。
「あんな前しか見えない子供っぽいときが、私にもあったなあ……」
 とママはみっともなくも必死な私の姿に、自分の若い頃を重ねてくれたのではないかと、今の私はしみじみ思うのである。


ハカナイ恋だったのねぇ

 事件は小学一年の夏、初めてのプール学習の日に起こった。
 私は、買ってもらった真新しいスクール水着が嬉しくて、朝から家中を水着姿で走り回ったり、絨毯(じゅうたん)の上にうつ伏せになって泳ぐまねをしてふざけていた。
 気がつけば、時計は学校へ行く時間を指しているではないか。
「遅刻するわよっ」と母に追い立てられて、私は慌てて身支度を始めた。
 そしてそのとき、ふと、イイことを思いついたのである。
「そうだっ、一時間目がプールなんだから、このまま水着の上に服を着ていけばいいじゃん」
 我ながらなんて頭がいいんだろうと感心してしまった。これなら、脱ぐだけですぐ水着になれるし、荷物も少なくてすむのだ。
 
 初体験のプール学習は何事もなくほとんど水浴び程度で、遊んでいるうちに終わった。
 みんなで更衣室へ戻ってシャワーを浴び、タオルで体を拭いて、さぁ、服に着替えるか、という段になって……私は愕然とした。
「パ、パ、パンツがない!」のだ。
 いくら探しても、それは出てこなかった。
 だいたい、もともとあるはずがない。よーく考えてみれば、最初っから、はいて来てないんだし、持って来てもいなかったのだから。この日の朝、ルンルンしながら水着の上に服を着た私に、プール学習のあとに必要となる「パンツ」のことを考える余裕はなかった。
 タオルにくるまったまま、しばし茫然と立っていた。お友達はとっくに着替え終わっている。
『どうしよう?』
 ここで私は、ある選択を迫られた。パンツの代わりに、脱いだ水着をもう一度着てからスカートをはくか、それとも思いきって、「ナシ」でいくかである。
 髪の毛からしずくがぽたぽたと肩に落ちて、それでなくとも寒気がしているのに、今更ぐっしょり濡れた水着を身につける気にはとてもなれなかった。
『ナシでいくしかない』
 私は悲壮なる決断をしたのだった。
 それからは極端に無言になった。どうも下半身がスカスカして落ち着かない。
 そしてみんなの視線がやたらと気になっていた。残された三時間の授業を、無事バレることなくクリアして、走って家へ帰りたかった。
「早く終われぇぇ、早く終われぇぇ」と念じて、授業などうわの空である。
 そうこうしているうちに、四時間目の終了を知らせるチャイムがやっと鳴った。やれやれとほっとした私は「先生さようなら」のご挨拶もそこそこに、誰よりも早くランドセルを背負い、校門へと駆け出した。
 外へ出て、今まさに我が家への直線コース数キロの道をダァッシュ! しようとしたとき、後ろから「なおちゃぁ~ん、待って~」という声とともに、バタバタとお友達のK子ちゃんとA夫くんが現れた。
「もうっ、なおちゃんなんで先に行っちゃうの?」
 K子ちゃんは私の気も知らず、プンプンである。三人は家の方向もお掃除の班も同じだったので、よくつるんで帰っているのだ。
 そして私は密かに、幼稚園から一緒だったこのA夫くんに対して、ほのかな恋ごころを抱いていたのだった。
 だからぁ、今日はひとりで帰りたかったのにぃぃぃ!
 私の心臓は爆発しそうなくらいドキドキしだした。『もし、ハイテイナイことがA夫くんにばれちゃったら……』。そう思うと、目の前が真っ暗になった。
「ねぇ、なおちゃん、なんでそんなに速く歩くの?」
 K子ちゃんはハァハァ言いながら私に歩調を合わせ、不審そうに顔を覗き込んできた。
 いつの間にか小走りになっていたらしい。
「えっ? ううん、何でもないよ」
 とうわずった声で答えたときだった。ダンプカーがすぐ横をもの凄いスピードでブッ飛ばして行った。
 一陣の風が私たちの間を吹きぬけ、短いフレアスカートを、思いっきりビューンとめくっていったのだ! それは強風で傘が裏返しになったときによくいう、おちょこ状態に近いものがあった。
 とっさに私はスカートをつかんで、しゃがみ込んだが、時すでに遅しの感はぬぐえなかった。ダンプの撒(ま)き散らした土埃の中で、シラ~とした空気が流れていた。
 それでも私はまだ、一抹の希望を捨ててはいなかったのだ。
『もしかしたら、あの猛スピードのダンプに気を取られて、ふたりとも、ハイテイナイ事実に気がつかなかったかもしれない』
 私は気持をやっとこさ立て直すと、さり気なくスカートをパンパンとはたいて、ふたりと目を合わせないようにおそるおそる歩き出した。
 しかしすぐに自分の考えが甘かったことを、思い知らされるのだ。
 心もとないひらひらスカートを手で押さえ、妙にギクシャク歩く私の後ろ姿に向かって、K子ちゃんはついに、言ってはならない最悪の質問を投げかけた。
「ねぇなおちゃん、どうしてパンツはいてないの?」
 ギャァァァー! やっぱり見られていた! 私はもうA夫くんの前でバラされたのが恥ずかしくて、カァーッと顔が熱くなっていくのがわかった。
「K子ちゃんなんか嫌いだぁ~」
 私はスカートの裾をしっかり足の間にはさんで、内股になりながらも脱兎(だっと)のごとく家へと駆け出したのであった。
 
 なんとも情けない話だが、私の「ハカナイ」思い出は、もうひとつある。
 北海道には珍しくもないある寒い雪の日の朝、私は紺のコートにマフラーに手袋、長靴という防寒態勢で、通い慣れた中学校へと向かっていた。
 学校へ着いて教室に入り、石炭ストーブの暖かさにホッとしながら、いつものようにコートを脱いだ。
 なんとなくスースーしている下半身を見ると……! ヒラヒラしてる真っ白いスリップが、いきなり目に飛びこんで来たではないか!
 な、なんと! 制服のスカートをはいていなかったのだぁ!!
 私は慌てふためいてコートを着直し、ゼィゼィ言いながらボタンを下までしっかりと留めた。念のためにもう一度、コートの襟の隙間から覗き込んで確認したが、やっぱりスカートは影も形もなかった。
 さぁ、それからが試練の始まりだった。
 急いで公衆電話へ走り、母に哀願した。
「昨日の晩、寝押ししとこうと思って布団の下に敷いたまま、はいてくるの忘れちゃったのよ~! すぐ持って来て~!」
「用事があるから昼までは無理」
 母の答えはつれなかった。ガクッ……。
 教室へ帰って目立たないように背中を丸めて机に向かっていると、何人ものクラスメートが心配そうに尋ねて来る。
「松井さん、コート着たままよ。どうしたの? 風邪でもひいたの?」
 そのたびにコソコソと耳打ちしなければならなかった。
「実は、スカートはいてくるの忘れたの」と。
 最悪だったのは、一時間目、二時間目、三時間目、四時間目と教科によって先生が変わるごとに、
「松井、教室の中では、コートぐらい脱げ!」
 と怒られ、
「スカートはいてくるの忘れちゃったんです。すいません」
 と毎回説明して、あやまらなくてはならないことだった。もちろん、そのたびに教室は、ドッとわいた。
 ふと横を見れば、憧れの君も大口を開けて笑っている。
 もうっ、やけくそになった私は、黒板にでっかく、
「松井は、スカートをはき忘れたため、コートを着用しています」
 とでも書いておこうかと思ったくらいだ。
 そして、やっと母から紙袋に入れられたスカートが職員室に届けられた昼休み、
「よかったなぁ」と先生たちに笑顔で送られて廊下へ出て、私はハタと気がついた。
「五、六時間目は、体育じゃないのよ!」
 なんだか、やたらと空しい、一日であった。


ミステリー「留守番電話」

 恋をしていると、無言の留守録がやけに気になる。
『ツーツーツー』としか聞こえないのに、どんな気配も逃すまいと耳を澄ませ、
「もしかしてこの音は、あのお方では?」
 と何の根拠もなく推理するのだ。
「今日こそ、彼から連絡があるはずだ」と急いで仕事から帰って来て、再生のボタンを押すと、
「ルスロク アリマセン デシタ」。表示板は、愛想がない。
 かといって、クタクタに疲れて帰宅したのに、
「ルスロク 十三ケン アリマシタ」
 というのも、ゾッとする。友人から『菜桜ちゃん、これを聞いたらすぐ電話ください』なんて入っていたら、無視するわけにもいかない。それが込み入った話なら、当然長電話になってしまうだろう。気が重い。「そのあとお風呂に入ってぇ、休むのは三時過ぎるな」と思ったら、なんだか再生するのがいやになり、「帰って来なかった」ことにして布団を被って寝てしまったときもある。
 しかし、こんな薄情な私が、友人のありがたみをつくづく感じた「忘れられないメッセージ」があった。
 ある夜のこと。いつものように真っ暗なひとり暮らしの部屋へ「ただいま」と戻って来て、再生のボタンを押すと、親友の声で「ハッピィバースデイ、トゥユー」の歌が録音されている。
「そうか、今日は、あたしの誕生日だった……」。時計は、もう次に日になりかけていた。
 この歳(とし)になると、誕生日はたいして意味をもたなくたってくる。子供の頃のように大騒ぎしてプレゼントをねだるということもない。ただ黙って何ごともなく、その日が過ぎてゆくだけである。
 友は底ぬけに明るい声で熱唱していた。
『ハッピィバースディ、ディア、菜桜ちゃぁぁぁぁん! おめでと~!』
「何がめでたいんだか」と照れながら、不覚にもちょっぴり泣けてしまった。
 反対に頭に来るのは、いわずと知れた「いたずら電話」である。男の低いあえぎ声が延々と続いていたり、『バーカ!』とだけ言って切れていたり、お菓子なんかをポリポリ食べている音のみが入っていたり、いろいろである。
 ところが、悪意のあるいたずらより私を困惑させた、とんでもない留守録メッセージがあったのだ。
 
 引っ越し先の新居に電話がついて一週間ほどしたある日、帰宅した私はその伝言を聞いて、首をかしげた。
『はい、松井菜桜子です。私はただいま留守にしています。恐れ入りますが……』とテープでフルネームを名乗っているのにも関わらず、その女の子はいきなり、
『もしもし、きみちゃん?』
 と呼びかけているのだ。
「へ?!」
『きみちゃん、元気ぃ? またかけまーす』
 と言って切れていた。
「あっ、なんだ、間違い電話か」
 そのときは、それ以上気にとめなかった。
 しかし、「きみちゃんコール」は、それからあとを絶たなかったのである。
 
『もしもし、もしもし、きみこ? ツヨシんとこのおばちゃんだけどぉ、あんたっ、何してんの?! 連絡もせんでぇ!』
「ごめんなさい」と思わずあやまりそうになった。留守電に入っていた二回目の「きみちゃんコール」である。
 そのおばさんは、猛烈に怒っていた。
『何度かけてもいやしねえ。みんな心配しとるよぉー。ほんとにもうっ、きみこ! ええかげんにしぃや!』
「だからっ、あたしは、きみこちゃんじゃないんだってば」と電話機に向かって言っても、しょうがない。
『そんで話っつうのはよお、あんた、驚くんでねえよ! 本家のカズオが死んだんだよぉ。それでぇ、あんたに電話してんのに、連絡がとれんで、もうっ……(泣きが入る)。あたしゃ、ほれ、なんつうの? ほれっ、この留守番電話? こいつがもう苦手だからよぉ、も~どうしようかって。…………それはそうと、これって、ちゃんと録音されてんの?』
 というおばちゃんの疑問が生じたところで『ピー』。制限時間いっぱいである。彼女はシステムをよくわかっていなかったのか、かけ直そうとは思わなかったようだ。「だから、あたしゃ、こんなもん嫌いなのよ!」というおばちゃんの怒りの声が聞こえてきそうであった。
 電話機の前で、私はどうしていいのかわからず、アタフタした。先日の女の子の、なんてことないメッセージならいざ知らず、今回は「本家のカズオが死んだ」のである。
「きみちゃんに、すぐ知らせなきゃー」と思った。
 しかし、「どこへ?」。だいたい、きみちゃんって「だれ?」。
 それにしても、同じ人あての間違い電話が二本続くということは、いったいどういうことなのだろう?
 その夜、私はベッドの中で考えた。答えは単純なことだった。
「そうか、きみちゃんは、この電話番号の、前の持ち主なんだ」
 住所が変わると、電話番号も変更になる。引っ越し魔の私は、何回も電話番号を変えていて、友人や親戚から「アドレス帳のあんたの欄が、もう書ききれなくなって真っ黒よぉ、いいかげんにして」と言われていた。
 今回の引っ越しで、NTTから私が指定された番号を、この区内に住んでいた「きみちゃん」がかつて使っていたのだ。これだけみんなが電話を持つようになれば、電話局が新しい番号を作るのにも限界があるだろう。一回使用された番号を渡されても不思議はない。
「あのおばちゃん、きみちゃんと連絡ついたのかなあ」
 そんなことを考えながら、いつの間にか寝てしまった。
 
 それからしばらくしたある日のこと、またまた「きみちゃんコール」が録音されていた。
『もしもーし、きみちゃーん、元気ですかあ?』
 若い女の人の声だったが、どうも前の女の子ではないようだ。
 何度も言うようだが、私は『はい、松井菜桜子です』としっかり最初に名乗っている。どいつもこいつも、人の言うことを聞いちゃあいない。揃いも揃っておっちょこちょいばっかりなのか? そんなに私の声はきみちゃんに似ているのか? 「いいかげん、誰だ気づけよ」と私はあきれた。
 そんなこっちの気も知らず、能天気なメッセージは続いていた。
『きみちゃんにずーっと会ってないので、どうしてるかなぁって、うちの人と話してたのー。じゃ代わりまーす。ほらっ、あなたあ、早く早く』
 今度は、夫らしき男が出て来た。
『あー、久しぶり、どうしてますか。ふたりで仲良くやっていますか? じゃ、タカシくんにもよろしく』
 タカシくん? 誰だそりゃ。初登場の男の名前に私は「ん?」となった。電話はまた奥さんに代わっている。
『あなたたちも暮らし出して長いんだから、もうそろそろ結婚したらあ? なんてね。(『おいっ、余計のこと言うな!』と奥から夫が怒っている声あり)。はいはい。それじゃ、今度ふたりで遊びに来てくださーい』
 とにぎやかに終わっていた。
「暮らしだして長い」「そろそろ結婚」。この奥さんの口ぶりからすると、少なくともこの電話番号の時分には、きみちゃんはタカシくんという人と同棲していたらしい。
「やるじゃん、きみちゃんも」
 何が「も」なのか自分でもよくわからなかったが、同世代であろう「きみちゃん像」の輪郭がぼんやり見えてきて、私は少しずつ「知り合い」のような気がしてきた。
 
 その後も、きみちゃんへの留守録はいろいろな人からあった。
『きみちゃん、今度のバレエの本公演はいつですか? チケット買いますから教えてね』
 これには、「えっ、彼女って、もしかしてバレリーナなの?」とちょっと驚いたものである。
 タカシくんあてのメッセージもあった。
『○○編集部のヤマシタです。原稿の締め切りについては、追って連絡いたします。それでは、きみこさんにもよろしくお伝えください』
「それじゃ、彼はライターなのか?」。ますますふたりに興味が湧いて来た。
 バレリーナとライターの横文字カップルなんて「チェッ、カッコイイじゃねえかよ」。
 
 そんなある日のこと。久しぶりの休日に私は寝坊を決め込んだ。こういうとき、必ず一本の電話が、気持のいい眠りをぶち壊すのである。
「もしもし」と電話に出ると、相手はうんともすんとも言わない。「なんだよ、いたずら電話か」と思い、切ろうとしたら、
「もしもしぃ? これ、留守番電話かあ?」
 というおばさんの声がした。
「いいえ、違いますけど。あの、どなた……?」と言うが早いか、そのおばさんは突然怒り出した。
「やっと捕まったか、きみこっ! おめえ、どこ行ってたんだあ?!」
 このめちゃくちゃ特徴あるしゃべりには、聞き覚えがあった。あのきみちゃんの田舎のおばちゃんである。
「きみこっ! なんで電話してこねえんだっ!」
 彼女は私をきみちゃんだと信じて疑わない。
「あの、あの、私、きみこさんじゃないんです」と口をはさむのがやっとだった。
「きみこじゃねえって、じゃ、あんた、だれ?」
 おばちゃんは拍子抜けしたようだ。
「えー、名乗るほどの者でもないんですけど、あの、きみこさんの、次の、電話番号の持ち主なんですよね、私。で、きみこさんは引っ越ししたらしくて、番号が変わっちゃったと、こういうわけなんですけど……」
「…………」。相手は無言である。
「あの、言ってる意味、わかりました?」。おずおずと尋ねてみた。
「そしたらぁ、あんた、きみこの引っ越し先の電話番号教えてちょうだいよ」
 案の定、ぜんぜんわかっていない。
「私は、それ、知らないんです。電話局に聞いてみたらどうですかぁ?」
 それでもおばちゃんは、引っ込まなかった。
「だってぇ、きみこは、そこに住んでいたんでしょうが!」
 あぁ、だめだこりゃ。
「あのですねぇ、電話番号が同じなだけで、住んでいた所は、違うわけです。えーわかりますか?」
 おばちゃんの理解の範疇(はんちゅう)はとっくに超えていた。
「そんじゃあんた、きみこから連絡があったら、本家のカズオ(出た!)の四十九日だから、こっちにもかけるように伝えてもらえんかねえ」
 と言って、彼女は一方的に電話を切った。
 私は、深いため息をついた。
 
 その夜、「きみちゃんコール」はまたかかってきた。今度は若い女の子である。
「きみちゃん?」との問いに、私もさすがにうんざりした。
「違います! こういう電話がしゅっ中かかってきて、も~すっごく迷惑してんですよね!」
 ヒステリー気味に言うと、その女の子は意外なことを呟いたのだ。
「そうですか。彼女、引っ越したんですね。じゃやっぱり、別れたんだわ」
 よせばいいのに、最後のひと言が引っ掛かった私はつい、話に首を突っ込んだ。
「あ、あの、別れたって、きみこさんとタカシくんが、ですか?」
「ええ、ずいぶん前に電話したときに、うまくいってないのよって。……えっ? どうしてあなた、タカシくんをご存じなんですか?」
 私も余計なことを言ったものである。この不審そうにしている相手に、いきさつを説明しなくてはならなくなった。ひと通り聞いた彼女は、
「そうだったんですか。そんなことってあるんですねえ」
 と気の毒がってくれた。そして、話し好きなのか、見ず知らずの私にやけに馴れ馴れしくしゃべり続けたのである。
「それでね、きみこったら、そんときの電話で、ひとり暮らしに戻るかもしれないって言ってたんです。だけど、その様子が、こう、なんとなく淋しそうでね。あの子、なんか困ったことがあっても人に頼らないタイプだから、ほんと、心配だわ、私」
「心配ですよね……」
「にわか友達」のふたりは、きみちゃんをめぐって妙にしんみりとした。
 彼女はそのあと、「あっ、これ長距離なんで」とバタバタと電話を切ってしまった。
 
 私には、ひとつ気になることがあった。それは、親戚の不幸を田舎のおばちゃんが知らせて来た、という点だ。『もしかしたら、きみちゃんの両親は、すでに亡くなっているのかもしれない』
 頭の中で、ありがちな三文ストーリィーが出来上がっていた。
 ……上京したきみちゃんは、子供の頃から習っていたバレエで身を立てる。そして、いくつもの苦労を重ねてプリマになった彼女は、ある日、雑誌の取材を受けるのだ。そのときの記者が、タカシくんであった。恋が芽生え、この都会の片隅で寄り添うように暮らし出したふたり。天涯孤独のきみちゃんは「この愛だけは失いたくない」と心から願うのだった。あぁそれなのに、きみちゃんが海外公演に行っている留守中に、タカシくんは……。
 私も、かなりヒマ人である。
 
 しかし、なぜ、きみちゃんは引っ越したことを、みんなに連絡しなかったのだろうか? せめておばちゃんぐらいには、知らせといてもよさそうなものである。そうしたら、こんな騒ぎにはならなかったのに。
 それにしても、バレリーナのきみちゃんと絵に描いたような田舎のおばちゃんは、親戚とは思えないほど、イメージにギャップがあった。きみちゃんは、そんな自分の故郷や生い立ちを嫌って、わざと疎遠にしているのかもしれない。
「いや、それとも……」。私は、ふと、いやな予感がしてきた。もしかして、きみちゃんには、連絡したくてもできない、なんらかの事情でもあるのではないか?
 私の想像はまたもや膨らんでいった。
 ……病気なのか? あるいは悪質な借金取りに追われているとか。いや、彼と別れたショックからまだ立ち直れないのかもしれない。それで、世をはかなんで……まさかね。……そうだ! 何かの犯罪に巻き込まれた可能性だってある! ……なーんて、ちょっと考えすぎか……でも……。
 一瞬、背筋がゾクッとした。間違いなくワイドショーとサスペンス劇場の見すぎであった。
 
 それからしばらくの間、「きみちゃんコール」はなぜかパッタリ途絶え、私はその名前も忘れかけていた。
 だから先日、『もしもし、きみちゃん?』というメッセージが聞こえて来たとき、なんだか懐かしい気すらした。
『今日の待ち合わせ、急な用事で行けなくなっちゃったのよ! ゴメン。この埋め合わせは後日、絶対するから、そいじゃね』
 良かった。きみちゃんはこの東京でちゃんと生きているようだ。
 女の子はひどく慌てていた。どうやら間違えて、前の番号にかけてしまったらしかった。
「ひでえなぁ、当日キャンセルかよ」
 ということは……きみちゃんは待ちぼうけをくらうってわけか?
 そうはいっても、例によって、私にはなすすべはなかった。
 どこかの街角で、来るはずのない友達を待ち続けるきみちゃんの淋しそうなシルエットが浮かんで、私は胸がキュンとなった。
 
 きみちゃんは今、幸せだろうか。一度も会ったことがない、この先一生会うことがないであろう彼女の行く末を、電話機を見つめながら案じる私であった。
 
P・S きみちゃん、お願いだから、田舎のおばちゃんには連絡してやって!


食えないヤツ

 思い出すたび、口につばが溜まってくるほど美味しかった食べ物がある。
 北海道の厚岸の浜で、海水で洗って食べたプリプリした牡蠣、マウイ島のクラロッヂっていうところで焼いてる素朴で香ばしいパンケーキ、福岡で初めて食べたフグの唐揚げなど、言い出したらきりがない。

 しかし反対に、二度とお目にかかりたくない、思い出すたびに胸のあたりがムカムカして、腹がたってくるほどまずかった食べ物がある。私は今までに二回、遭遇している。

 ナマコだろうがホヤだろうが、タンだろうがハツだろうが、私はおかずとして食卓に出されたら喜んでいただきま―すっ、してしまう。ほとんど好き嫌いのないやつなのだ。しかしこの私が、どうがんばってもふた口目にチャレンジする気になれなかった世にも恐ろしい食べ物があった。
 それは、小学四年生の、とある日の給食にメインディツシュとして出された黄土色の紐状の不気味な食べ物だった。
 黒板の横に貼ってある「今月の給食献立」の紙には、その問題のおかずの名前が書いてあった。題して「切り千し大根のピーナツバター和え」
 聞いただけでなんだいそりゃ?!って感じでしょ。まぁ、文字通りてんこ盛りの切り千し大根をピーナツバターで和えてある単純な料理なのだが、戻しが足りなくて切り千しが異常に固い。その上、めちゃくちゃもったりと甘いぺ―スト状のビーナツパターが口に粘りついて、私は食べたとたん「ぐぇっ」となってしまった。
 いやっ、それは、私だけではなかった。教室のあちこちから、悲壮な声が次々と上がったのだ。
「何だよ! これは?」
 食べ盛りの男の子達ですら、カチャンッと、先割れスプーンを投げ出して怒っている。
 女の子は、 「やだぁ~、もう食べられないっ!」と泣きがはいっていた。それほど、言語道断に「オエェェェ!」だったのである。
 だいたい、こんなもんをどこの誰が考えだしたのか。切り干しとピーナツバターという、とうてい縁のなさそうな組み合わせは、どこをどうしたら思いつくもんなのか。私は不思議でしょうがなかった。
 さっき無理やり飲み込んだ切り千しがまだ食道を行きつ戻りつしているようである。私は胸が苦しくて身動きができないまま、アルミのボールに入ったこの得体の知れない物体を茫然と見つめていた。そこへ、
「おいっ、学級委員、なんとかしろよっ!」
 という、声が起こった。そして「そうよ、そうよ! なんとかしてよ」とみんなが賛同し始めた。
「え~?! なんとかしてったって。・・どうすりゃいいのよ?」
 なにを隠そう、その時の学級委員は私だったのである。
「だからぁ、先生のとこへ行って、こんなもの食べられないって言うんだよっ」
 当時、うちのクラスの担任は若い男の先生で、昼食は私達とはとらずに、職員室で愛妻弁当を食べていたのである。自分は食べないくせに、先生が作った「給食のきまり」はこまごまといろいろあった。その中に「一度よそったおかずは、残さずきれいに食べましょう」というのがあったのだ。
「全部食べるなんて、とっても無理」という結論に全員が(ひとりも欠くことなく)達していた。
 普通、味覚は人それぞれとか好きずきなどというが、これをみても「切り干し大根のピーナツパター和え」がいかに不評だったか分かろうというものである。
 私は先生に味見させるために持たされた、アルミのボールを抱え、 「頼むわよっ」「がんばれ」というクラスメートの励ましの声を背に、職員室へと向かっていた。
 廊下を歩きながら、 「いやっ、全部食べなきゃダメだ」とか言われたらどうしよう、なんて考えてずんずん気は重くなっていった。それでもクラスの代表として一致団結した意見を伝えに行くという、これぞ学級委員!の使命感に燃えてもいた。
 さて、愛妻弁当の箸をとめた先生は、私の説明を聞いた後でぶつぶつ言いながら一口食べると、「うっ」と唸ったまま黙り込んでしまった。
 そしてあんがいあっさりと、
「うん、半分食べればいい」
 と答えたのだった。
 いやしかし、その「半分」ですらけっこうシビアなもんだった。それを証拠に、 20年以上たった今でも、 「切り千し大根のピーナツバター和え」の味をはっきりと覚えていて、この文章を書きながら蘇る胸やけしそうな食感に、どんどん気持ちが悪くなってきたのだから。ウ~ッ、ムカムカする~!
 けれどもあれはたぶん、栄養学上はとてもバランスのとれた良い食物だったのだろう。食物繊維もたっぷりだし。
 だが、悲しいことに、ただそれだけ、ただそれだけだったのだぁねえ。

 二つ目は、5年前に神戸で出会った。
 翌日に控えた友人の結婚式に出席する為に、私は、三宮の酒落たホテルにチェックインした。
 新幹線の中で眠りこけてお昼を食べそこなった私は、猛烈にお腹が空いていた。
 しかし、夕食を新婦の御両親にご馳走してもらえることになっているから、今しっかり食べてしまうのは、非常にもったいなかった。
「よしっ、なんか軽いもんにしとこう」と、ホテルの中を散策したのだが、レストランも日本料理屋も値が張りそうだわ、ボリュウムがありそうだわで、敷居が高い。
 やっと可愛いパーラーを見つけて、喜びいさんで入っていくと、客は私一人であった。
 渡されたメニューには、オレンジジュースとかチョコレートパフェとかショートケーキなどといった飲み物やデザートは、ずらっと並んでいるのに、肝心の「軽食」が見当たらない。私はしょっぱいものが食べたかったのである。
 なんとなく今さらそこを出て他を探すっていうのも気がひけた私が、ぎりぎりの妥協をして注文したのは、その店唯一のごはんもの「フルーツカレー、1200円」であった。
「なんだ、探せばあるじゃん」やれやれとホッとしていると、ウェイトレスの「あのぉ~、フルーツカレーだそうです」と、なぜか遠慮がちに厨房にオーダーを伝える声が聞こえ、続いて奥から「えっ、フルーツカレー?!」ほんとかよ?という顔でコックさんがこっちを見ながら頭を出した。
 ウエイトレスは、仲間同志でなにやらとソヒソと話しをしている。切れ切れに分かった言葉は「珍しい」と「初めて」と「・・・おるんやねぇ」であった。
『なっ、なんだっていうのよォ~! フ、フルーツカレーってぇのは、カレーに、ただフルーツが入ってるヤツなわけでしょう? 違うのぉ?!』
 実際には食べてみたことのなかった私は、とたんに自信がなくなってきた。
 しばらくして、店中の視線を集めつつ問題の「フルーツカレー」が厳かにテープルヘ運ばれて来た。それはごく普通の銀色のソース入れに入ったカレーと、皿に薄く盛ってあるごく普通のライスのように見えた。
 しかし油断はできない。なにせ私は、興味深々といった面持ちの従業員全員の注目を浴びるほどのものを、注文したらしいのであるからして。
 器の中の大きいスプーンでカレーをかき混ぜてみて、わたしゃ、驚いた。色とりどりのフルーツで、ぎっしりうまっていたのである。
 想像していた「普通のカレーにちょっぴりバナナやりんごのはいったもの」というのとは、かけ離れた代物だった。
 いや、バナナもりんごも入っていたし、パパイヤ、西瓜、キウィ、苺、アボガド、メロン、オレンジ、巨峰、マスカットがひしめきあうように入ってはいたが、それしか入っていなかったのだ。くだものだけしか。
 おまけにそれらはカレーの中で煮込まれているというのではなく、今切ったばかりのフレッシュでジューシィーなやつをカレー汁であえたもの、といった感じであった。
 カレーソースの器を触ってみると、ひんやりと冷たい。
 中の具をスプーンですくって、ごはんにかけてみた。くだもの達は食べるのが気の毒なぐらい、カレーにまみれてグッタリとしている。どうみても、 「まずそぉ~」であった。
 おそるおそる一口食べてみると、思った通り「ゲェ~!」である。
 フルーツの甘く酸っぱい汁が、カレーソースと不気味な不協和音をかもし出している。いろんなものがごちゃまぜになった香りが、口いっぱいに広がった。
 一言でいえば、「生ゴミ」味、だ。 (「お前は生ゴミを食べたことあるのか?!と突っ込まれると困るけど)
 さて周りでは、いつのまにか現れた蝶ネクタイの支配人ふうの男の人まで加わって、無関心を装いつつ私の挙動に注目していた。なるほどこいつは「頼んだ奴の顔が見てみたい」食物である。 (そんなもんメニューに載せんじゃね―よっ…)
 しかしこういう時、私は悪いクセで、なぜか妙な見栄を張りたくなってしまうのであった。
「あのぉ~、こんなんだって知らなかったんです私」と、うろたえるのが、くやしくて、ただそれだけで訳の分からないファイトに燃えてしまうのである。
 ましてやここは、一応名の通ったホテルのお酒落なパーラーであった。口に合わないと残してしまうのは、イコール味オンチの田舎者と思われてしまうような気がしたのだ。くだらないって言っちゃぁ呆れかえるほど超くだらない行為なんだけど、私はなんだかテレビ東京の「テレビチャンピオン」 (大食い選手権とかゲテモノ食い選手権大会などをやってる)の挑戦者のような気分になっていた。
「よ~しゃっ! 東京もんの底力見せたろかぁ~い!」 (正確には北海道生まれだけど)
「フルーツカレーなんて、毎日のように食べてるざんす」
 というシチュエインョンで、(途中何度か、胃と食道の間で逆流現象が起こったものの)生ゴミ味のカレーを、私は笑顔できれいにたいらげたのだった。
 ウェイトレス達は、驚きの表情で私を見つめていた。
 だが実際には、もうそんなことはどうでもよくなりつつあった。気持ちの悪さが限界にまで達していたのである。
『はっ、早く、部屋に戻りたい』
 それでもこんな情けない状態になってるなんて、いまさら気取られたくなかった私は、極力軽やかな足取りでレジヘ行きお金を払った。
 そして「さあ、このドアを開けて、走って帰ろう」という時、後ろからそっと誰かがにじり寄ってきたのを感じた。
「お気に召していただけたでしょうか?」
 支配人がにこやかに立っているではないか。フルーツカレーを美味しそうに全部食べた数少ない、物好きな客の感想を聞いてみたかったのに違いない。
 私は、正直に「なんじゃい! ありゃ!」と、胸ぐらを掴みたい気持ちだったが、有終の美?を飾ろうと、グッとこらえて、
「えぇ、大変結構でした」
 と優雅に答えたのだった。たぶん顔面は蒼白だったと思うが。
 すると支配人は、
「お泊まりの方ですか? それではエレベーターまでお送りしましょう」
 と一緒に歩きだしたのだ。
 ここまでゲロゲロになっている私が、平静さを取り繕って笑顔で応対するのは、並大抵のことではなかった。
 エレベーターの扉が開まった瞬間、私はドサッと床に崩れ落ちてしまった。
 そして、駆けこむように部屋へ入って、ベットヘ倒れ込み、
「う~んっ、う~んっ、きぼぢわるいよぉぉぉぉぉぉぉぉ―!」
 と一時間以上も七転八倒するはめになってしまったのである。
 その夜の新婦の御両親との食事も、いまいち食欲がわかず、出されたデザートのメロンに至っては、ウッとこみ上げるものさえあった。
「あ~、バカなことした」
 と生ゴミのにおいを嗅ぐと、今だにこみ上げてくる、フルーツカレーの甘く苦い思い出である。




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