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私に似た人

 泉ピン子、一キロメートル先から見た本田美奈子、若乃花関のお嫁さんの栗尾美恵子、みなしごハッチ、工藤夕貴、可愛かずみ、紺野美沙子、川上麻衣子、中島はるみ、カメ、ヒラメ、エイ、ウーパールーパー、ネオンテトラ、エリマキトカゲ(敬称略)。
 以上は、私が過去に一回でも「似ている」と言われたことのある方々の名前である(まっ、なかには、異論を唱えたい人もいるでしょうが)。
 
 ウーパールーパーが、一躍アイドル動物としてもてはやされたときには、「ウーパーちゃん」とあだ名を付けられたりして、喜んでいいのか悲しんでいいのか、複雑な心境になったものだ。
 私がウーパールーパーの実物を初めて見たのは、ブームもとっくに過ぎた頃、旅行で行った温泉地のホテルでだった。玄関の隅の薄暗がりに、ひっそりと忘れられたように水槽に入れられたウーパーちゃんがいた。
 噂にたがわず、そのつぶらな目と目の間はしっかり離れていた。「菜桜子の目の間で待ち合わせをしたら、広すぎて相手と会えないらしい」というギャグまである私は、ウーパーちゃんに会ったとたん、なんだか離れ離れになっていた妹(弟?)を捜し当てたような気がした。私たちはジィーッと見つめ合ったまま、しばし身動きができなかった。
 
 最近、七十年代のファッションが流行っているせいか、奥村チヨさんをテレビでよく見掛けるようになった。
 すると急に周りから、彼女に「似てる! 似てる!」と言われ出したのだ。
 乗りやすい私は、カラオケで『恋の奴隷』や『終着駅』をマスターして、受けを狙っているが、この歌マネがけっこういいセンいっているらしい。音域も声質もピッタリで歌いやすいのが勝因だろう。
 そういえば、アニメや洋画でも、外見が自分とどこか共通しているキャラクターを配役されることが、なぜか多い。骨格が似ていると、声のイメージまで似てくるものなのだろうか。
 しかし逆に、まるで似ていないものを似せようとするのは、かなり骨が折れることである。
 もう何年も前の話だが、ナレーションの仕事で、有名人の物真似を要求されて、ほとほと困ったことがあった。
 それは「何とか博」とかいうイベントのラジオCMで、「○月○日、いよいよ開催です。皆さんのご来場をお待ちしてまーす!」なんていうコメントを読めばいいはずだった。
 スタジオのブースの中で、私が何回かコメントのテストをしていると、
「うーん、もう少し聖子ちゃんに似せて、読んでもらえないかなぁー」
 とディレクターが言って来たのだ。
「へっ?」。目が点になった。
 たしかに、その「何とか博」のイメージタレントとして松田聖子さんが起用されていて、テレビでイメージソングも歌ってはいたが……。
「あっ、聞いてない? 松田聖子ちゃんに声が似ている人をって、事務所に頼んだんだけど」
 ディレクターは怪訝(けげん)そうに言う。
 私は、事の次第を素早く察知した。うちの事務所のマネージャーは、「聖子ちゃんに声が似ている人」というディレクターからの要望に対して、「いつもカラオケで聖子ちゃんの歌を歌っている松井菜桜子」がポッと頭に浮かんだのだ。いや、きっとそうに違いない。
「あのぉー、よくぅ、カラオケでは歌ったりするんですけどぉ、でも、声なんて全然似てなくてぇ、彼女は少しハスキーボイスでしょう? 私はぁ、どっちかというとぉー……」
 グチグチいいわけをした。するとディレクターはとんでもないことを言って来たのだ。
「じゃあ、ちょっとここで一曲歌って、気分出してみてよ」
「なんで私が、そんなことまでせにゃならん! それじゃあ聖子ちゃん本人に頼めばいいじゃん」と言ってやりたかったが、そんなことを言えば、「予算とスケジュールがとれないんだよ」という悲しい答えが返って来るのは、容易に推測できた。これ以上ガックリきたくなかった私は、開き直って『青い珊瑚礁』を熱唱してやることにした。
 しかしやっぱりその歌も、そのあと読んだナレーションも、ちっとも似ていなかった。それでも「汗と涙と努力」だけは認めてもらえたようで、スタッフからねぎらいの言葉をいただいて、私は帰路についたのだった。
 
 私のように、いろいろな人に「似ている」と言われやすい人間もいれば、「その人って誰に似てるの?」と聞かれて、たとえがぜんぜん思い浮かばないタイプの人間もいる。どっちが得なのかはわからないが、その人に「似ている」ことで、なんだか自分のことのようにいい気持ちになれるときがあるものだ。
 表彰台のいちばん上で、うれしそうに金メダルをぶら下げている女の子が、ブラウン管に大写しになったとき、私は思わず、「あっ」と声を出してしまった。
 その子は、子供の頃の私に、うりふたつだったのである。それはもうっ、そっくりとか似てるとかいう次元じゃなくて、まるで若き日の私そのもの。北海道の両親からも「ねっ、見た? あんたにも水泳やらせておくんだった!」と、興奮してわけのわかんない電話がかかってくるくらいだったんだから。
 私が似てるのか、むこうが私に似てるのか。
 その人は、三年前のバルセロナオリンピックの女子平泳ぎの金メダリスト、岩崎恭子ちゃん、当時十四歳。
 その翌日、アニメの仕事で録音スタジオへ行くと、来る人来る人私の顔を見るなり、
「よおっ、いつスペインから帰って来た?」
「金メダルおめでとう」
「生きてるうちで、いちばん嬉しかったんだって?」
 ひどいのになると、
「おまえも昔は、あんなふうに初々しかったよなあ」。大きなお世話である。
「あのあとすぐ、バルセロナから専用機で帰って来たんですぅ」
 と、何人の人に答えたかしれない。
 
 お調子者の私も、さすがにそのネタに飽きて来ていた、ある日のこと。
 日曜日のせいか、ガラガラの総武線に乗って、私は仕事場へ向かっていた。両国あたりで、品の良い老夫婦が乗って来て、私の向かい側の席へ座った。
 しばらくすると、その老夫婦が何やらヒソヒソと内緒話を始めた。本人たちは内緒話のつもりでも、静かな車内のこと、向かいの席の私には丸聞こえ状態であった。
「ばあさんっほらっ、前に座っている女の子、何て言ったかなあ? ほらっ、あの子に似てるよ、あの子にほらっ、えーっと……」
「いやですよぉ、おじいさんたら、そんなにジロジロ見たら悪いですよっ」
「しかしよく似とる。ほらっ、何て名だっ? あのっ、ほれっ、こないだ平泳ぎで金メダルとった……んーーっ」
「あぁあぁっ、そういえばそっくりねえ」
「えーーっとっ、ほれっほれっ、んーーっ、んんんんっ、出てこんっ!!」
 こんなことを、目の前で延々やられてごらんなさい。
 私はお尻のあたりがムズムズしてきて、『えーーいっ、もう我慢できないっ!』
「それはもしかして、私が岩崎恭子さんに似てるというのではないですかあ?」
 とデカイ声で言ってしまったのだ。
 すると、おじいさんはえらく喜んで、
「そうだっ! 岩崎恭子だっ」
 どうしても思い出せなかった名前がやっと出て来たので、胸のつかえがとれたようだった。
 ここで黙ってしまうのも、なんだか気まずいので、
「よく似てるって言われるんです」
 と私が言うと、
「おじいさんっ、よくねっ、言われるんですってっ!」
 おばあさんは、嬉しそうに繰り返して言った。まるで「私たちは間違っていなかった」と言いたげに。
 老夫婦はその後、
「どうもありがとう」
 といく度もおじぎをしながら、お茶の水駅で降りて行った。
 私はなんだか、とても良いことをしたような気になった。


美人のつくり方

「鏡よ鏡よ鏡さん、世界でいちばん可愛い女の子はだぁれ?」
「それは、菜桜子さん、あなたです」
 今思えば図々しいにもほどがあるが、ある時期まで私は本気でそう信じて疑わないオメデタイ奴だった。えっ? 何を信じていたのかって? だからあ、世界一可愛いのは自分だと、マジで思っていたんだってば(キャ~、お願いっぶたないでえ)。
 テレビや雑誌を見ても私の自信は、どういうわけかこれっぽっちも揺らがなかった。どんな超一流のモデルや女優も「たいしたことはない」と感じていたのだ。
「化粧も濃いし、おっかない顔ぉぉぉ。やっぱり可愛さでは私にかなわないわ。ウフッ」
 私にとって、「プリティ」は、「ビューティフル」の上をいく、最上級の美を表現する言葉だった。
 
 根拠のないその確固たる自信に、陰りが射し込んできたのは、中学生になって、しばらくしたある日のことだった。
 クラスの男の子たちが「すっげ~色っぽい」とか「憧れちゃうよなあ」と噂していた三年生の北村先輩と、トイレの洗面所でその日偶然、初めてのご対面となった。
 私は対抗意識を丸出しにして背中をシャンと伸ばし、「フンッ」てな目付きで彼女を威嚇(いかく)した。ほらっ、この評判の先輩に、『世界一キュートな女の子の存在を、知らしめておく必要がある』と思ったのだあねえ。
 洗面所の鏡に映る彼女を、私はこの機会に観察することにした。
『ふんふん、まっ、スタイルがいいのは確かだわね』
 北村先輩は、ショートヘアの背の高いグラマーな女の人で、目はクリッと大きく、鼻もスッとしてて、彫りの深い、今思えばかなりの美人。にもかかわらず、私の結局の感想は、「なんだか老けてない?」であった。
 あんまりジロジロ見ていたので気がついたのか、鏡の中で視線を合わせた彼女がツカツカっとやって来て、すぐ隣で立ち止まった。
 そして、ニッコリと微笑み、私の頭を撫(な)でながら言ったのだ。
「まあ、可愛い子ねえ」
 私は身動きができなくなった。子供扱いされて怒ったのではなく、ライバルの意外な発言と、見上げたときに飛び込んできた彼女の包み込むような愛らしい笑顔に、びっくりしたのである。キラキラと輝く瞳が目に焼きついた。
 近くで見ると、髪は栗色で、肌は透き通るように白く、そしてふくよかな胸は優しく揺れている。クラスの男の子たちが騒ぐわけが、なんとなくわかった気がした。ショックであった。私と全然似てないのに、それでもこれほど魅力的な女の人が、こんなに身近にいたなんて。
 自分とは違う種類の「ビューティフル」もほんの少し認める気持になると、急に心配になってきた。『世の中には、北村先輩のように性格も良くて、きれいで可愛い女の人が、探せば大勢いるのではないだろうか』。
 私の心に、少しずつ謙虚な気持が生まれていくのがわかった(遅いんだよっ)。
『私は……』『私は、世界一可愛いのではなく、もしかして……日本一ぐらいなのかもしれない』(だめだこりゃ)
 
 家へ帰ってから、「私は、しょせん、日本一程度なのかも」と、今日の北村先輩の話を母と姉に伝えると、ふたりは大笑いするばかりである。私は憤慨した。
「何がそんなにおかしいのよっ」
 すると姉は、ピタッと笑うのをやめて、
「ねっ、菜桜ちゃん、あんたほんっきで、自分が世界一可愛いんだって思ってたの?」
 とあきれたように聞いてきたのだ。
「うん」。当然じゃないと頷くと、また姉は「ガハハハ」と笑い転げた。私はムキになっていた。
「だって、だって、だって、おかあさんが、いっつも『菜桜ちゃんは、世界一可愛い』って言ってるじゃないのよぉ」
 そう、年の離れた末っ子として生まれた私は、母から事あるごとに、
「可愛い、可愛い、あんたは世界でいちばん可愛いわあ」
 と十数年間言われ続けて大きくなったのだ。私はその言葉をただ信じて、これまで生きてきただけである。姉はまだ笑い続けている。
 しかし、母はもう笑ってはいなかった。かなり慌てた様子で、
「あのねっ、菜桜ちゃん、ちょっと誤解があったようなんだけど、おかあさんが『可愛い』って言ったのは、おかあさんにとっては、っていう意味なの。よその人がどう思おうと、おかあさんにとっては、菜桜ちゃんは世界一可愛いってことなのよ」
 母は諭すように言った。
「そうだったのぉぉぉー? よその人はそう思ってないのぉ~?!」
 青天のへきれきとはこういうことをいうのだろう。
「じゃ、ホントのところ私は、世界一どころか日本一ですらなかったのか?!」。私のアイデンティティがガラガラと音をたてて崩れて行くようだった。
「そうならそうって、最初から、言ってよね~」
 母は(そういう気はまったくなかったのだろうが)いうなれば「あんたは世界一可愛い」という洗脳を、日々私にしていたようなものである。
 そして長い年月かけてその言葉は、私の中にごく自然に浸透して、確固たる自信を築きあげていった。
「そうだ、私は世界一可愛いんだ」
 だから、テレビにどんなアイドルが出て来ても、都会からあかぬけた転校生がやって来ても、「ハンッ」と高ビーな態度で動じることなくいられたのだ。一分の疑問の入り込む隙もない、この鉄壁の自信、これを洗脳と呼ばずして何と言う。
 しかし、「教祖」である母は、
「そうではなくて……」
 と簡単に「教え」をひるがえした。
 どっかの宗教団体の末端信者のように「そんなはずはない」と、にわかには信じられない気持ちだった。
 私はその晩、寝込んでしまった。
 
 そして二十年経った今でも、マインドコントロールの恐ろしさを実感することがある。頭のどっかの片隅に「世界一可愛い自分」というフレーズが残っていて、それが日常生活のふとした拍子にひょっこり姿を現すのだ。
「これって、私のために作られた服のようだわあ」と、ブティックで鏡に映る我が身にうっとりしたり、「わあ、可愛い~」という声がどこからか聞こえると、「えっ、私ですか?」と思わず振り返ってしまう。そのたびに、そばにいた友人たちから「ねっ、菜桜ちゃん、その自信はどこから来るの?」とあきれられるのだ。
 しかし先日、三つ年上の従姉妹が電話で思わぬことを言い出して、私は自意識を満足させるとともに、なんだかくすぐったい気持ちになった。
「私ね、娘が菜桜ちゃんのように育ってくれたらって願っているの」
 彼女は、三歳になる我が子に毎日、
「おまえは世界でいちばん可愛いねえ」
 と呪文のように言い続けているというのだ。
「そう思い込ませて育てれば、もとはたいしたことなくても、きっと菜桜ちゃんのように明るくて、華のある子になってくれると思うのよねえ」
 その「もとは云々」というところが多少ひっかかったものの、私はたいそう感激した。なんだか、その子の成長が今からとっても楽しみな「初代・世界でいちばん可愛い私」である。


ヒールのサンダル

 銀座の「イタリー亭」ではなく、練馬の「イタリー亭」というスパゲティ屋さんで、養成所に通う十八歳からの二年間私はバイトしていた。
「アルバイト、ウェイトレス募集、時給四八〇円」の張り紙を見てふらっと入ったその店は、二十坪ぐらいのこぢんまりした、ひと昔前に流行った喫茶店のような感じの店だった(テーブル式のテレビゲームもあった)。
 なぜかいつも頭にスカーフを巻いて決して髪を見せない、三十代後半のママ(スナックでもないのになぜかこう呼べと言われた)と、商社に勤めていた元ラガーのマスターが、交替で出て来ていた。このふたりは妙にワケありふうで、ほんとのところ夫婦だったのかどうか未だによくわからない。だた、コーヒーは美味しかったし、スパゲティもアルデンテに茹であがって、けっこういける味だった。
 なかでも鉄鍋に入った「ミックススパゲティ」というやつは、スパゲティの上に二種類のソースが左右別々にかかっているもので、ミートソースに飽きてきたかなあっていう頃に、ホワイトソースで口直しをして、最後にミートとホワイトがぐちゃぐちゃに混じった微妙な味が楽しめるという、ひとつで三回美味しいスパゲティだった。
 
 さてバイト初日、ママさんの言いつけ通り、ヒールのサンダルとエプロンを持って出勤した。
 昼食時の忙しいピークも過ぎて、やれやれとカウンターで、出されたカレーライスを食べていると、たばこの煙をふかしながらママが話しかけて来た。
「でもさあ、あんたもよく東京に出て来たわよねえ。私もいろいろ知ってるけど、役者になりたいなんて、大変よぉっ。よっぽどキレイでもなくっちゃねえ」
 いきなりグサっとくることを言う。私は黙ってカレーを食べているしかなかった。
「親もよく北海道から娘ひとり出したもんねぇっ。心配してんだろうに。あたしが親なら、絶対東京なんて行かせないわね。函館だっけ? 実家? いいとこじゃないのよぉ。なにも好き好んで苦労することないって。人間分相応ってもんがあるんだから。あんたもそんな大それた夢、諦(あきら)めるなら早いほうがいいわよぉ。若いうちならいくらでも潰(つぶ)しがきくんだからさっ」
 食べてたカレーも辛かったが、「わかっちゃいるけどやめられないのよ、それを言っちゃお仕舞いよ」レベルのことを言われたのがけっこうきつくて、私の簡単に出てくる涙が、ジワジワを溢れてきた。
「やっぱり地道な仕事がいちばんよお、地道ってやつがさあ。ねぇ聞いてる?」
 私が黙っているのをいいことに、ママの話はどんどんリキが入ってきて、いつまでも続きそうだった。
 だんだん腹が立ってきた。『私の一度しかない人生なんだ。あんたの狭い了見と経験だけでケチつけられちゃたまらないっ』
 それに、毎日こんなこと言われ続けて働くのはイヤだった。カーッとなった私は、
「やめさせていただきますっ」
 ときっぱり言って扉の方へ走り寄ったのだが、慣れないヒールのサンダルを履いていたせいか、敷居の所で不様(ぶざま)にすっころんでしまったのだ。
 頭に来て、「こんなものっ!」とサンダルを脱ぎ捨てると、出だすと止まらない涙を流しながら、商店街の坂を駅の方へ駆け下りて行った。ハァハァ息を切らして立ち止まり足下を見ると案の定、私は裸足であった。
 落ち着いてよく考えてみれば、来るとき履いて来たスニーカーと、コートと鞄を店に置きっぱなしである。どんなにくやしくても一回は、取りに戻らなくてはならない。
「あーバカなことした」と私は思い始めていた。せめて靴を履いて出る思慮深さがあったなら……。裸足の寒そうな白い足が、自分自身の惨めさを一層深いものにしていた。
 とぼとぼと坂を戻りかけようとすると、ポンッと肩を叩(たた)く人があった。振り向くと、店のママが私のサンダルを手にして立っているではないか。
「びっくりするじゃないよぉ、いっきなり出てっちゃうんだもん。あんた走るの速いっちゃねぇーっ」
 ゼィゼィ言いながら、東北生まれのママはお国言葉を混じらせて言った。
 ママと私は、それから何も言わずに店へ向かって歩きだした。
 そして少し行くと、ショーウインドーの前で急にママは立ち止まって、
「あっこれ可愛い」
 と言うなり、ブティックの中に私を引っ張り込んだ。
「うんっこれがいい、あんたにはこれが似合うよ」
 あぜんとしている私に言葉を発する隙も与えず、茶色の熊の模様がいっぱい入ったセーターを、あっという間に買ってしまったのだった。
 
 この日の出来事はママと私の間で二度と語られることはなかったが、驚くべきことにそれ以来、彼女は私の応援団のように、叱咤(しった)激励を飛ばし支えてくれる存在になったのである。
「あんな前しか見えない子供っぽいときが、私にもあったなあ……」
 とママはみっともなくも必死な私の姿に、自分の若い頃を重ねてくれたのではないかと、今の私はしみじみ思うのである。


ハカナイ恋だったのねぇ

 事件は小学一年の夏、初めてのプール学習の日に起こった。
 私は、買ってもらった真新しいスクール水着が嬉しくて、朝から家中を水着姿で走り回ったり、絨毯(じゅうたん)の上にうつ伏せになって泳ぐまねをしてふざけていた。
 気がつけば、時計は学校へ行く時間を指しているではないか。
「遅刻するわよっ」と母に追い立てられて、私は慌てて身支度を始めた。
 そしてそのとき、ふと、イイことを思いついたのである。
「そうだっ、一時間目がプールなんだから、このまま水着の上に服を着ていけばいいじゃん」
 我ながらなんて頭がいいんだろうと感心してしまった。これなら、脱ぐだけですぐ水着になれるし、荷物も少なくてすむのだ。
 
 初体験のプール学習は何事もなくほとんど水浴び程度で、遊んでいるうちに終わった。
 みんなで更衣室へ戻ってシャワーを浴び、タオルで体を拭いて、さぁ、服に着替えるか、という段になって……私は愕然とした。
「パ、パ、パンツがない!」のだ。
 いくら探しても、それは出てこなかった。
 だいたい、もともとあるはずがない。よーく考えてみれば、最初っから、はいて来てないんだし、持って来てもいなかったのだから。この日の朝、ルンルンしながら水着の上に服を着た私に、プール学習のあとに必要となる「パンツ」のことを考える余裕はなかった。
 タオルにくるまったまま、しばし茫然と立っていた。お友達はとっくに着替え終わっている。
『どうしよう?』
 ここで私は、ある選択を迫られた。パンツの代わりに、脱いだ水着をもう一度着てからスカートをはくか、それとも思いきって、「ナシ」でいくかである。
 髪の毛からしずくがぽたぽたと肩に落ちて、それでなくとも寒気がしているのに、今更ぐっしょり濡れた水着を身につける気にはとてもなれなかった。
『ナシでいくしかない』
 私は悲壮なる決断をしたのだった。
 それからは極端に無言になった。どうも下半身がスカスカして落ち着かない。
 そしてみんなの視線がやたらと気になっていた。残された三時間の授業を、無事バレることなくクリアして、走って家へ帰りたかった。
「早く終われぇぇ、早く終われぇぇ」と念じて、授業などうわの空である。
 そうこうしているうちに、四時間目の終了を知らせるチャイムがやっと鳴った。やれやれとほっとした私は「先生さようなら」のご挨拶もそこそこに、誰よりも早くランドセルを背負い、校門へと駆け出した。
 外へ出て、今まさに我が家への直線コース数キロの道をダァッシュ! しようとしたとき、後ろから「なおちゃぁ~ん、待って~」という声とともに、バタバタとお友達のK子ちゃんとA夫くんが現れた。
「もうっ、なおちゃんなんで先に行っちゃうの?」
 K子ちゃんは私の気も知らず、プンプンである。三人は家の方向もお掃除の班も同じだったので、よくつるんで帰っているのだ。
 そして私は密かに、幼稚園から一緒だったこのA夫くんに対して、ほのかな恋ごころを抱いていたのだった。
 だからぁ、今日はひとりで帰りたかったのにぃぃぃ!
 私の心臓は爆発しそうなくらいドキドキしだした。『もし、ハイテイナイことがA夫くんにばれちゃったら……』。そう思うと、目の前が真っ暗になった。
「ねぇ、なおちゃん、なんでそんなに速く歩くの?」
 K子ちゃんはハァハァ言いながら私に歩調を合わせ、不審そうに顔を覗き込んできた。
 いつの間にか小走りになっていたらしい。
「えっ? ううん、何でもないよ」
 とうわずった声で答えたときだった。ダンプカーがすぐ横をもの凄いスピードでブッ飛ばして行った。
 一陣の風が私たちの間を吹きぬけ、短いフレアスカートを、思いっきりビューンとめくっていったのだ! それは強風で傘が裏返しになったときによくいう、おちょこ状態に近いものがあった。
 とっさに私はスカートをつかんで、しゃがみ込んだが、時すでに遅しの感はぬぐえなかった。ダンプの撒(ま)き散らした土埃の中で、シラ~とした空気が流れていた。
 それでも私はまだ、一抹の希望を捨ててはいなかったのだ。
『もしかしたら、あの猛スピードのダンプに気を取られて、ふたりとも、ハイテイナイ事実に気がつかなかったかもしれない』
 私は気持をやっとこさ立て直すと、さり気なくスカートをパンパンとはたいて、ふたりと目を合わせないようにおそるおそる歩き出した。
 しかしすぐに自分の考えが甘かったことを、思い知らされるのだ。
 心もとないひらひらスカートを手で押さえ、妙にギクシャク歩く私の後ろ姿に向かって、K子ちゃんはついに、言ってはならない最悪の質問を投げかけた。
「ねぇなおちゃん、どうしてパンツはいてないの?」
 ギャァァァー! やっぱり見られていた! 私はもうA夫くんの前でバラされたのが恥ずかしくて、カァーッと顔が熱くなっていくのがわかった。
「K子ちゃんなんか嫌いだぁ~」
 私はスカートの裾をしっかり足の間にはさんで、内股になりながらも脱兎(だっと)のごとく家へと駆け出したのであった。
 
 なんとも情けない話だが、私の「ハカナイ」思い出は、もうひとつある。
 北海道には珍しくもないある寒い雪の日の朝、私は紺のコートにマフラーに手袋、長靴という防寒態勢で、通い慣れた中学校へと向かっていた。
 学校へ着いて教室に入り、石炭ストーブの暖かさにホッとしながら、いつものようにコートを脱いだ。
 なんとなくスースーしている下半身を見ると……! ヒラヒラしてる真っ白いスリップが、いきなり目に飛びこんで来たではないか!
 な、なんと! 制服のスカートをはいていなかったのだぁ!!
 私は慌てふためいてコートを着直し、ゼィゼィ言いながらボタンを下までしっかりと留めた。念のためにもう一度、コートの襟の隙間から覗き込んで確認したが、やっぱりスカートは影も形もなかった。
 さぁ、それからが試練の始まりだった。
 急いで公衆電話へ走り、母に哀願した。
「昨日の晩、寝押ししとこうと思って布団の下に敷いたまま、はいてくるの忘れちゃったのよ~! すぐ持って来て~!」
「用事があるから昼までは無理」
 母の答えはつれなかった。ガクッ……。
 教室へ帰って目立たないように背中を丸めて机に向かっていると、何人ものクラスメートが心配そうに尋ねて来る。
「松井さん、コート着たままよ。どうしたの? 風邪でもひいたの?」
 そのたびにコソコソと耳打ちしなければならなかった。
「実は、スカートはいてくるの忘れたの」と。
 最悪だったのは、一時間目、二時間目、三時間目、四時間目と教科によって先生が変わるごとに、
「松井、教室の中では、コートぐらい脱げ!」
 と怒られ、
「スカートはいてくるの忘れちゃったんです。すいません」
 と毎回説明して、あやまらなくてはならないことだった。もちろん、そのたびに教室は、ドッとわいた。
 ふと横を見れば、憧れの君も大口を開けて笑っている。
 もうっ、やけくそになった私は、黒板にでっかく、
「松井は、スカートをはき忘れたため、コートを着用しています」
 とでも書いておこうかと思ったくらいだ。
 そして、やっと母から紙袋に入れられたスカートが職員室に届けられた昼休み、
「よかったなぁ」と先生たちに笑顔で送られて廊下へ出て、私はハタと気がついた。
「五、六時間目は、体育じゃないのよ!」
 なんだか、やたらと空しい、一日であった。


ミステリー「留守番電話」

 恋をしていると、無言の留守録がやけに気になる。
『ツーツーツー』としか聞こえないのに、どんな気配も逃すまいと耳を澄ませ、
「もしかしてこの音は、あのお方では?」
 と何の根拠もなく推理するのだ。
「今日こそ、彼から連絡があるはずだ」と急いで仕事から帰って来て、再生のボタンを押すと、
「ルスロク アリマセン デシタ」。表示板は、愛想がない。
 かといって、クタクタに疲れて帰宅したのに、
「ルスロク 十三ケン アリマシタ」
 というのも、ゾッとする。友人から『菜桜ちゃん、これを聞いたらすぐ電話ください』なんて入っていたら、無視するわけにもいかない。それが込み入った話なら、当然長電話になってしまうだろう。気が重い。「そのあとお風呂に入ってぇ、休むのは三時過ぎるな」と思ったら、なんだか再生するのがいやになり、「帰って来なかった」ことにして布団を被って寝てしまったときもある。
 しかし、こんな薄情な私が、友人のありがたみをつくづく感じた「忘れられないメッセージ」があった。
 ある夜のこと。いつものように真っ暗なひとり暮らしの部屋へ「ただいま」と戻って来て、再生のボタンを押すと、親友の声で「ハッピィバースデイ、トゥユー」の歌が録音されている。
「そうか、今日は、あたしの誕生日だった……」。時計は、もう次に日になりかけていた。
 この歳(とし)になると、誕生日はたいして意味をもたなくたってくる。子供の頃のように大騒ぎしてプレゼントをねだるということもない。ただ黙って何ごともなく、その日が過ぎてゆくだけである。
 友は底ぬけに明るい声で熱唱していた。
『ハッピィバースディ、ディア、菜桜ちゃぁぁぁぁん! おめでと~!』
「何がめでたいんだか」と照れながら、不覚にもちょっぴり泣けてしまった。
 反対に頭に来るのは、いわずと知れた「いたずら電話」である。男の低いあえぎ声が延々と続いていたり、『バーカ!』とだけ言って切れていたり、お菓子なんかをポリポリ食べている音のみが入っていたり、いろいろである。
 ところが、悪意のあるいたずらより私を困惑させた、とんでもない留守録メッセージがあったのだ。
 
 引っ越し先の新居に電話がついて一週間ほどしたある日、帰宅した私はその伝言を聞いて、首をかしげた。
『はい、松井菜桜子です。私はただいま留守にしています。恐れ入りますが……』とテープでフルネームを名乗っているのにも関わらず、その女の子はいきなり、
『もしもし、きみちゃん?』
 と呼びかけているのだ。
「へ?!」
『きみちゃん、元気ぃ? またかけまーす』
 と言って切れていた。
「あっ、なんだ、間違い電話か」
 そのときは、それ以上気にとめなかった。
 しかし、「きみちゃんコール」は、それからあとを絶たなかったのである。
 
『もしもし、もしもし、きみこ? ツヨシんとこのおばちゃんだけどぉ、あんたっ、何してんの?! 連絡もせんでぇ!』
「ごめんなさい」と思わずあやまりそうになった。留守電に入っていた二回目の「きみちゃんコール」である。
 そのおばさんは、猛烈に怒っていた。
『何度かけてもいやしねえ。みんな心配しとるよぉー。ほんとにもうっ、きみこ! ええかげんにしぃや!』
「だからっ、あたしは、きみこちゃんじゃないんだってば」と電話機に向かって言っても、しょうがない。
『そんで話っつうのはよお、あんた、驚くんでねえよ! 本家のカズオが死んだんだよぉ。それでぇ、あんたに電話してんのに、連絡がとれんで、もうっ……(泣きが入る)。あたしゃ、ほれ、なんつうの? ほれっ、この留守番電話? こいつがもう苦手だからよぉ、も~どうしようかって。…………それはそうと、これって、ちゃんと録音されてんの?』
 というおばちゃんの疑問が生じたところで『ピー』。制限時間いっぱいである。彼女はシステムをよくわかっていなかったのか、かけ直そうとは思わなかったようだ。「だから、あたしゃ、こんなもん嫌いなのよ!」というおばちゃんの怒りの声が聞こえてきそうであった。
 電話機の前で、私はどうしていいのかわからず、アタフタした。先日の女の子の、なんてことないメッセージならいざ知らず、今回は「本家のカズオが死んだ」のである。
「きみちゃんに、すぐ知らせなきゃー」と思った。
 しかし、「どこへ?」。だいたい、きみちゃんって「だれ?」。
 それにしても、同じ人あての間違い電話が二本続くということは、いったいどういうことなのだろう?
 その夜、私はベッドの中で考えた。答えは単純なことだった。
「そうか、きみちゃんは、この電話番号の、前の持ち主なんだ」
 住所が変わると、電話番号も変更になる。引っ越し魔の私は、何回も電話番号を変えていて、友人や親戚から「アドレス帳のあんたの欄が、もう書ききれなくなって真っ黒よぉ、いいかげんにして」と言われていた。
 今回の引っ越しで、NTTから私が指定された番号を、この区内に住んでいた「きみちゃん」がかつて使っていたのだ。これだけみんなが電話を持つようになれば、電話局が新しい番号を作るのにも限界があるだろう。一回使用された番号を渡されても不思議はない。
「あのおばちゃん、きみちゃんと連絡ついたのかなあ」
 そんなことを考えながら、いつの間にか寝てしまった。
 
 それからしばらくしたある日のこと、またまた「きみちゃんコール」が録音されていた。
『もしもーし、きみちゃーん、元気ですかあ?』
 若い女の人の声だったが、どうも前の女の子ではないようだ。
 何度も言うようだが、私は『はい、松井菜桜子です』としっかり最初に名乗っている。どいつもこいつも、人の言うことを聞いちゃあいない。揃いも揃っておっちょこちょいばっかりなのか? そんなに私の声はきみちゃんに似ているのか? 「いいかげん、誰だ気づけよ」と私はあきれた。
 そんなこっちの気も知らず、能天気なメッセージは続いていた。
『きみちゃんにずーっと会ってないので、どうしてるかなぁって、うちの人と話してたのー。じゃ代わりまーす。ほらっ、あなたあ、早く早く』
 今度は、夫らしき男が出て来た。
『あー、久しぶり、どうしてますか。ふたりで仲良くやっていますか? じゃ、タカシくんにもよろしく』
 タカシくん? 誰だそりゃ。初登場の男の名前に私は「ん?」となった。電話はまた奥さんに代わっている。
『あなたたちも暮らし出して長いんだから、もうそろそろ結婚したらあ? なんてね。(『おいっ、余計のこと言うな!』と奥から夫が怒っている声あり)。はいはい。それじゃ、今度ふたりで遊びに来てくださーい』
 とにぎやかに終わっていた。
「暮らしだして長い」「そろそろ結婚」。この奥さんの口ぶりからすると、少なくともこの電話番号の時分には、きみちゃんはタカシくんという人と同棲していたらしい。
「やるじゃん、きみちゃんも」
 何が「も」なのか自分でもよくわからなかったが、同世代であろう「きみちゃん像」の輪郭がぼんやり見えてきて、私は少しずつ「知り合い」のような気がしてきた。
 
 その後も、きみちゃんへの留守録はいろいろな人からあった。
『きみちゃん、今度のバレエの本公演はいつですか? チケット買いますから教えてね』
 これには、「えっ、彼女って、もしかしてバレリーナなの?」とちょっと驚いたものである。
 タカシくんあてのメッセージもあった。
『○○編集部のヤマシタです。原稿の締め切りについては、追って連絡いたします。それでは、きみこさんにもよろしくお伝えください』
「それじゃ、彼はライターなのか?」。ますますふたりに興味が湧いて来た。
 バレリーナとライターの横文字カップルなんて「チェッ、カッコイイじゃねえかよ」。
 
 そんなある日のこと。久しぶりの休日に私は寝坊を決め込んだ。こういうとき、必ず一本の電話が、気持のいい眠りをぶち壊すのである。
「もしもし」と電話に出ると、相手はうんともすんとも言わない。「なんだよ、いたずら電話か」と思い、切ろうとしたら、
「もしもしぃ? これ、留守番電話かあ?」
 というおばさんの声がした。
「いいえ、違いますけど。あの、どなた……?」と言うが早いか、そのおばさんは突然怒り出した。
「やっと捕まったか、きみこっ! おめえ、どこ行ってたんだあ?!」
 このめちゃくちゃ特徴あるしゃべりには、聞き覚えがあった。あのきみちゃんの田舎のおばちゃんである。
「きみこっ! なんで電話してこねえんだっ!」
 彼女は私をきみちゃんだと信じて疑わない。
「あの、あの、私、きみこさんじゃないんです」と口をはさむのがやっとだった。
「きみこじゃねえって、じゃ、あんた、だれ?」
 おばちゃんは拍子抜けしたようだ。
「えー、名乗るほどの者でもないんですけど、あの、きみこさんの、次の、電話番号の持ち主なんですよね、私。で、きみこさんは引っ越ししたらしくて、番号が変わっちゃったと、こういうわけなんですけど……」
「…………」。相手は無言である。
「あの、言ってる意味、わかりました?」。おずおずと尋ねてみた。
「そしたらぁ、あんた、きみこの引っ越し先の電話番号教えてちょうだいよ」
 案の定、ぜんぜんわかっていない。
「私は、それ、知らないんです。電話局に聞いてみたらどうですかぁ?」
 それでもおばちゃんは、引っ込まなかった。
「だってぇ、きみこは、そこに住んでいたんでしょうが!」
 あぁ、だめだこりゃ。
「あのですねぇ、電話番号が同じなだけで、住んでいた所は、違うわけです。えーわかりますか?」
 おばちゃんの理解の範疇(はんちゅう)はとっくに超えていた。
「そんじゃあんた、きみこから連絡があったら、本家のカズオ(出た!)の四十九日だから、こっちにもかけるように伝えてもらえんかねえ」
 と言って、彼女は一方的に電話を切った。
 私は、深いため息をついた。
 
 その夜、「きみちゃんコール」はまたかかってきた。今度は若い女の子である。
「きみちゃん?」との問いに、私もさすがにうんざりした。
「違います! こういう電話がしゅっ中かかってきて、も~すっごく迷惑してんですよね!」
 ヒステリー気味に言うと、その女の子は意外なことを呟いたのだ。
「そうですか。彼女、引っ越したんですね。じゃやっぱり、別れたんだわ」
 よせばいいのに、最後のひと言が引っ掛かった私はつい、話に首を突っ込んだ。
「あ、あの、別れたって、きみこさんとタカシくんが、ですか?」
「ええ、ずいぶん前に電話したときに、うまくいってないのよって。……えっ? どうしてあなた、タカシくんをご存じなんですか?」
 私も余計なことを言ったものである。この不審そうにしている相手に、いきさつを説明しなくてはならなくなった。ひと通り聞いた彼女は、
「そうだったんですか。そんなことってあるんですねえ」
 と気の毒がってくれた。そして、話し好きなのか、見ず知らずの私にやけに馴れ馴れしくしゃべり続けたのである。
「それでね、きみこったら、そんときの電話で、ひとり暮らしに戻るかもしれないって言ってたんです。だけど、その様子が、こう、なんとなく淋しそうでね。あの子、なんか困ったことがあっても人に頼らないタイプだから、ほんと、心配だわ、私」
「心配ですよね……」
「にわか友達」のふたりは、きみちゃんをめぐって妙にしんみりとした。
 彼女はそのあと、「あっ、これ長距離なんで」とバタバタと電話を切ってしまった。
 
 私には、ひとつ気になることがあった。それは、親戚の不幸を田舎のおばちゃんが知らせて来た、という点だ。『もしかしたら、きみちゃんの両親は、すでに亡くなっているのかもしれない』
 頭の中で、ありがちな三文ストーリィーが出来上がっていた。
 ……上京したきみちゃんは、子供の頃から習っていたバレエで身を立てる。そして、いくつもの苦労を重ねてプリマになった彼女は、ある日、雑誌の取材を受けるのだ。そのときの記者が、タカシくんであった。恋が芽生え、この都会の片隅で寄り添うように暮らし出したふたり。天涯孤独のきみちゃんは「この愛だけは失いたくない」と心から願うのだった。あぁそれなのに、きみちゃんが海外公演に行っている留守中に、タカシくんは……。
 私も、かなりヒマ人である。
 
 しかし、なぜ、きみちゃんは引っ越したことを、みんなに連絡しなかったのだろうか? せめておばちゃんぐらいには、知らせといてもよさそうなものである。そうしたら、こんな騒ぎにはならなかったのに。
 それにしても、バレリーナのきみちゃんと絵に描いたような田舎のおばちゃんは、親戚とは思えないほど、イメージにギャップがあった。きみちゃんは、そんな自分の故郷や生い立ちを嫌って、わざと疎遠にしているのかもしれない。
「いや、それとも……」。私は、ふと、いやな予感がしてきた。もしかして、きみちゃんには、連絡したくてもできない、なんらかの事情でもあるのではないか?
 私の想像はまたもや膨らんでいった。
 ……病気なのか? あるいは悪質な借金取りに追われているとか。いや、彼と別れたショックからまだ立ち直れないのかもしれない。それで、世をはかなんで……まさかね。……そうだ! 何かの犯罪に巻き込まれた可能性だってある! ……なーんて、ちょっと考えすぎか……でも……。
 一瞬、背筋がゾクッとした。間違いなくワイドショーとサスペンス劇場の見すぎであった。
 
 それからしばらくの間、「きみちゃんコール」はなぜかパッタリ途絶え、私はその名前も忘れかけていた。
 だから先日、『もしもし、きみちゃん?』というメッセージが聞こえて来たとき、なんだか懐かしい気すらした。
『今日の待ち合わせ、急な用事で行けなくなっちゃったのよ! ゴメン。この埋め合わせは後日、絶対するから、そいじゃね』
 良かった。きみちゃんはこの東京でちゃんと生きているようだ。
 女の子はひどく慌てていた。どうやら間違えて、前の番号にかけてしまったらしかった。
「ひでえなぁ、当日キャンセルかよ」
 ということは……きみちゃんは待ちぼうけをくらうってわけか?
 そうはいっても、例によって、私にはなすすべはなかった。
 どこかの街角で、来るはずのない友達を待ち続けるきみちゃんの淋しそうなシルエットが浮かんで、私は胸がキュンとなった。
 
 きみちゃんは今、幸せだろうか。一度も会ったことがない、この先一生会うことがないであろう彼女の行く末を、電話機を見つめながら案じる私であった。
 
P・S きみちゃん、お願いだから、田舎のおばちゃんには連絡してやって!



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