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引っ越して黄昏て …脅威の一目ぼれマンション編…

「ドッヒャ~!」
 そのマンションの五階の部屋に、不動産屋さんに案内されて初めて入ったとき、私は腰を抜かしそうなぐらい感動した。
 新築らしく室内は真っ白でピカピカ、床はマホガニー色のフローリング、リビングの大きな窓からはきれいな川が見渡せ、真鴨が親子で仲良く泳いでいる。
 そして何がびっくりしたって、とんがり屋根のようになっている、その天井の高さである。ここは教会か? と聞きたくなるくらいなのだ。声が「ワワ~ン」と反響する。引っ越し経験の豊富な私でも、これほど天井の高い部屋には、ついぞ巡り合ったことがなかった。
 壁の上の方にはステンドグラスにしたいような小窓も付いている。リビングだけではなく、和室の天井も同じ造りになっていた。
 おまけに、屋根裏部屋風の梯子で登るロフトもふたつあった。『ひとつは物置にして、もうひとつは秘密の隠れ家にしよう』。子供みたいなことを考えて私はワクワクしていた。
 もちろん(家賃が、ちと高い以外は)、こちらには何の文句もなかった。そのあとすぐ不動産屋さんと賃貸契約を結び、私は晴れてこの家の住人となったのだ。
 しかし……、そのマンションには住んでみなけりゃわからない、数々の問題点があったのだった。
 お化けが出るのではない(新築だってば)。
 真鴨が来なくなったわけでもない(彼らは毎朝一列になって家の前の川にやって来て、私の投げるパン屑を競って食べていた。ときおり素潜りも見せてくれて、いつまでも飽きずにそれを眺めていたものである)。
 騒音公害でもない(防音構造はしっかりしていた。各階のフローリングの間に厚い消音マットが入っていたくらいだ)。
 日当たりが悪いわけでも(三方向に窓があった)、隣に怖いお兄さんが住んでいるのでもなかった(お隣には、有名企業の重役のお嬢さんが三人で住んでいた)。
 ただ…………寒かった! ……ひたすら寒かったのである。
 真冬の朝、ファンヒーターを回して、ガス暖房を入れてもなかなか暖まらない。いく枚も着込んで、ダルマのような姿で歯を磨いたこともある。
 仕事から帰って来てもしばらくはコートを着たまま、ご飯の支度をしなければならなかった。それぐらいその部屋は、寒かったのだ。
 原因はもちろん、この天井の並外れた高さにあった。暖かい空気はどんどん上へ行って、足下はフローリングゆえにヒューヒュー底冷えがする。
 なおかつこういうコンクリート建築の欠点として、気密性が高いぶん、新築後何年間かは湿気と結露がすごい。このマンションは特別ひどくて、毎晩、ジメ~ッとした空気が立ちこめる寝室の、ジトッと重たい布団と冷たいシーツの間で寝なければならなかった。
 朝起きると、窓のカーテンは結露でジャブジャブに濡れていたし、柱や壁にはびっしりと水滴が付き、床まで水浸しだった。その上、寒いのである。
 夏は夏で、西側のブラインドを閉めて。クーラーの設定温度を十八度にしても、ぜんぜん冷えて来ない。これも天井が高すぎて、冷房の有効な許容範囲を超えてしまったからに他ならない。
 そして冬と同様、電気代の請求書を見て、私は目ん玉が飛び出るほど驚いてしまった。恐るべし、天井の威力!
 
 そんなこんなでやれやれと迎えた、秋のある日のこと。
 何の気なしに見た和室の天井近くの小窓に、小さなベージュ色の不気味な物がのっかっているのを発見した。下からみる限りそれは綿ゴミのようでもあったし、枯葉のようにも見えた。ほんとによく確認できないくらい小窓はかなり上の方に付いていたのだ。
 そのときは「何だろ?」と思いつつも、ロフトの梯子を立て掛けて掃除するもの面倒だったし、「あとでいいや」と私はほったらかしにしてしまった。
 何日かしてふと見上げると、その窓枠にへばり付いているベージュ色の物体が、初めて見たときよりなんとなく大きくなっているような気がした。
 ジィーッと見つめていると、それは、
「カサッ」
 と微かに動いたように見えた。
「ゲェーッ! いっ、生きてる?!」
 ということは、虫か? ネズミか?!
 どっちも遠慮したい私は、その部屋から急いで撤退し、ふすまをバンッと閉めた。何も見なかったことにしたいくらいだったが、そうもいかない。
「そうだ! 誰かに来てもらおう」
 こういうときは都内に住んでいる従兄弟に出動してもらうに限る。男なんだからさっさと片付けてくれるに違いない。
 夜になって早速電話すると、会社勤めの彼は「週末にならないと、体があかない」と言うのだ。週末まであと三日もある。
「そこをなんとか」とお願いしても、「ダメ」の一点張り。私は他に頼めるあてもなかったのでしょうがなく、従兄弟の来る日を指折り数えて待つことにした。
 しかし懲りない私は、自ら「あかずの間」にしたはずなのに翌朝になると、怖いもの見たさで、無性にその部屋を覗いてみたくなった。
「ちょっとだけよ」とソォーッとふすまを少し開けて片目で見上げると、その物はなんだかまた大きくなっているようなのだ。
「ゲェー! 育ってるぅ~?!」
 私の頭には、丸々太ったねずみの姿や巨大化した昆虫のさなぎが浮かんでいた。
「くわばらくわばら」とふすまを閉めて、その場で「早く週末が来ますように……」とお祈りをした。
 さて待ちに待った日曜日、従兄弟はやって来た。彼は問題の和室の小窓を見上げて、
「なんだよぉー、意気地ねぇーなぁ」
 と笑いながら梯子を立て掛け、上へと登って行った。
「気をつけてねえ」と私が声を掛けると、
「へーき、へーき」とヘラヘラしている。
 ところがその窓の所へ来ると、突然!
「ウワァー!」
 と叫び、ハァハァ言いながら慌てて降りて来たのだ。
「なっ、なによ、なんなのよ! その悲鳴は?!」
 私はもうすでに廊下へ走り出て、ふすまの陰で震えていた。『や、やっぱり、さっ、さなぎだったんだぁ!』
 彼は青い顔してうろたえている。
「キッ、キノコなんだよぉー」
「キノコォ?」
 私はホッとした。虫やねずみの類じゃないとわかれば、こっちはもう簡単に気を立て直してしまう。
 このマンションの異常な湿気が、実りの秋の気候と絶妙にマッチして、天井の窓に「キノコ」を生えさせてしまったのに違いない。
「それがダメなんだよぉ~、オレはっ。菌とか胞子で繁殖するヤツが苦手なんだ。おまけにあんなにいっぱい……グェッ! もうキノコなんて見るのもいやだぁ~!」
 そうだった! 彼と外で食事したとき、チャーハンに入っている椎茸をごく小さい物までレンゲできれいに選り分けているのを見て、感心したことがある。
「あぁーっ、気持わりぃ! キノコだったら平気だろ菜桜ちゃん、あとよろしく!」
 と言い残して、彼はお茶も飲まずあっという間に帰ってしまった。
 それから私は早速梯子をよじ登り、きのこ見物に出掛けた。
 これが長い間私を恐怖におののかせた物体か! と思うと憎たらしくなったが、お腹が空いていたせいか、
「色の悪い舞茸に見えるこのキノコは、果たして食べられるのだろうか?」と考えたりしていた。
 
 そして実りの秋が終わると、すぐにまたバカ寒い冬が来て、私は相変わらずの湿気と結露と電気代に悩まされたのだった。
 おまけに、二年ごとの更新料(再契約をするという意味で必ず払わさせられるもの)が家賃の一・五倍(普通は一ヵ月分)というのも気に入らず、私は一年と半年でその家を引っ越した。
 あとで知ったのだが、私の隣に住んでいたお金持ちのお嬢さんたちの何十万円もする着物や洋服が、あの湿気で黴(か)びて使い物にならなくなってしまい、頭に来たお隣さんは大家さんを相手に訴訟を起こし、今も係争中だという。
 私はキノコぐらいですんで良かったのかな? とも思うが、この一件で人と同じように家も、見かけや第一印象ではわからないものだとつくづく感じたのであった。
≪お引っ越し道≫って、本当に奥が深いのね。
 
 私が九回目のお引っ越しから学んだこと
 
一つ、天井の高さと、暖房・冷房費は比例するものと知るべし。
<必要以上にでかいワンルームにも同じことがいえます。だけど、そのほうがまだまし。だって横に広いぶんには物が置けますものね。天井はいくら高くても、けっこう使い道がないものです>
 
二つ、鉄筋コンクリートの新築は湿気の多い所と思うべし。
<対策としては、休みの日は窓を全部開け放ち、押し入れはできるだけ開けておくこと。それでもだめなら、除湿機を買いましょう。それともちろん、上の階に行くほど、被害の程度が少なくてすむこともお忘れなく>
 
三つ、ロフトというものは思っているより便利なものにあらず。
<物置にしようと思っても梯子では、大きい荷物は運び込めません。運良く押し込めても、下ろすときにまた一苦労です。一度だけそこで寝てみましたが、忘れ物を思い出すたびに、梯子を使わなくてはならなくてイライラした上に、夜中トイレに行きたくなって下を見ると、梯子が落っこちてしまってて、私はロフトの縁にぶら下がり、飛び降りるしかありませんでした。>
 
四つ、契約書は面倒くさくても、よく目を通すべし。
<敷金、礼金が普通より多い(関東は一般的に、それぞれ家賃×二ヵ月ずつ)のは、すぐわかるものですが、何年かしてその家を出ていく際の引っ越しの告知日(普通は一ヵ月前に大家に申し出る)までは気がつかなかったりします。私もそれが、二ヵ月前と書かれているのを見落としていて、一ヶ月間、元の家と新しい家の二件分の家賃を払うハメになり、自分の馬鹿さ加減にもの凄く腹が立ちました。更新料も気をつけてね>


昼下がりの団地妻

 昔から団体旅行のバスや電車の中で、誰が言い出すことなく始められるものの定番中の定番に「しりとり」がある。
「歌しりとり」「人名しりとり」「花の名前」や「食べ物しりとり」といろいろあるが、かつて業界で流行ったのは「いやらしりとり」という、とんでもないものだった。
 実は、これが意外に奥の深い、「知的ゲーム」だったのだ。
 文字通り、ただ単に「Hな言葉」をしりとりしていくわけなのだが、ストレートにいやらしいのは「芸がない」ゆえに認められないという、ファジーなルールがあった。判定は、そのつど参加者同士で行われる。
 たとえば「オッパイ」は、「まんまやんけ!」とか「あんまし、いやらしくないような気がする」などとケチをつけられ、ブ~ッと却下されてしまったこともあった。
 当然、下ネタは、ボツである。センスと品性が要求されるのだ。
「昼下がりの団地妻」は、文句なしにOK。「放課後」や「ボディピアス」っていうのも、「なかなかいいセンいってる」ということになる。ちょっとした、ひねりが必要なのだ。いうなれば、AV(アニメビデオではない)のおしゃれなタイトルを「しりとり」するって感じかもしれない。しかし以前に、なぜだか理解できないが「ナス」というのが通ったことがある(私が言ったんじゃないからね!)。
「イヤンバカンス」も笑いがとれたら合格だ。
 とにかくやってみればわかるけど、このゲームほど性格と感性とオツムの程度がバレバレになってしまうものは、他にはないだろう。ヘタなことは言えない。
「カマトトぶってんじゃないよ」
「あっ、松井さんてこの程度なのね」
 と思われるのもシャクだけど、
「すっげ~っ、オトナじゃぁ~ん!」
 と驚かれるのも困る。この加減が難しいのだ。
 順番が回って来るたびに、ドキドキハラハラ、お遊びとはいえ緊張したものである。
 前に、このしりとりで苦し紛れに、
「か~、か、かだろ? かぁ~、看護婦!」
 と言った男の人がいた。
「それのどこが、いやらしいのか?」
 みんなに責められた彼は、仕方なく自分の体験談を話すはめになってしまったのだった。
 ねっ、めったなことは言えないでしょ?
 おかげでその日から、私にとっても「看護婦」は、ちょっぴりHな言葉になってしまった。
 あぁっ、白衣の天使さん、ごめんなさいっ!


堕ちて行く私

 私の転落の歴史は、ここから始まった。
 今からおよそ三十年前の、ある晴れた日曜日のこと。
 当時小学五年生だった姉は、生後間もない赤ん坊の私を乳母車に乗せ、いつものように子守をさせられていた。
 この頃彼女は、キャーギャー泣き叫ぶひと回りも下の妹の面倒をみることに、ほとほと嫌気がさしていたらしい。
「あー、こいつさえいなければ……こいつさえいなければ、もっと自由に毎日遊べるのに……」
 そして姉の脳裏には、そのとき恐ろしい考えが浮かんだのだった。
 
 私の生まれた函館は、坂の多いエキゾチックな街である。
 坂の上から見る港の景色は、のどかで美しく、人を穏やかな優しい気持にさせてくれる…………はずっなのに! 私の姉ったら、坂の上から乳母車を、港めがけてつき飛ばしたのだ! 当然乳母車はガラガラと音を立て、次第にスピードをつけて勢いよく遠ざかって行ったらしい。
「まっ、あのとき道に大きな石でも転がってたら、今頃あんたはここにいないわねぇ」
 とその後、姉は煎餅を齧(かじ)りながら、しみじみと私に語った。
 しかし、通りかかった人は坂を転がるように落ちて行く暴走乳母車を見て、なんと思ったことだろう。
「ねぇ、どうやってそれは止まったの?」
 私はおそるおそる尋ねた。
「坂っていっても大したもんじゃなかったし、途中からすぐ平らになってたから、自然に止まったんじゃないの? それぐらい私も計算してるわよ」
 と姉は言ったが、最後のほうのセリフは怪しいものである。
 まっ、とりあえず生きてて良かった。
 
 こうして私の転落の日々への幕は、切って落とされた。
 乳母車の転がり落ちるスピードとスリルが癖になったわけではないだろうが、私はしょっ中階段から落ちたり(螺旋階段の上から下まで転げ落ちて気絶したこともある)、なんてことない道で転んだり、池へ落っこちたりする子供だったのだ。当然、生傷は絶えなかった。
 小学二年生のある朝のこと。
 私はランドセルを背負って、隣の同級生の家へ向かっていた。
「久ぅ仁ぃ子ちゃん、おっはぁよぉー」と、学校へ誘いに行くその途中、まだ舗装されていなかった自宅前のじゃり道で、私はどういうわけか突然スキップがしたくなった。
「スキップ、スキップ、ルンルンルン!」と、ひとり踊っていたら、その「ルン」のところで足が絡まり、前向きにバタッと転んで、大きな石の角に思いっきり頭を打ちつけてしまった。
「痛ぁ~いっ!」。倒れたままぶつけた額に手を当てると、ヌルッと生温かい感触がある。見れば手のひらは、真っ赤な血で染まっているではないか。そんなに痛くなかったのに、急に恐ろしくなった私は「ギャ~ッ!」とわめきながら自宅へ駆け込んだ。
 両親はびっくりするほど冷静に、そして迅速に私を抱えて車に乗り込んだ。
 しかし、一軒目病院では、早朝ということもあり「まだ外科の先生が来ていないので」と断られてしまった。
 母は車中で「ここの病院には二度と来ないっ」と、かなり怒っている。
 私は額に当てたタオルが血で染まっていくのを感じつつ、
「あぁ、これがテレビでよくやっている『たらいまわし』というやつなんだわ」
 雨の降る夜に、高熱を出した子供を抱いた母親が病院のドアを泣きながら叩(たた)き続ける映像が浮かんで、気が遠くなりそうだった。
 すると父が、運転席からこう言った。
「心配するな。たいした怪我じゃないんだから、頭は血が出やすいもんなんだ」
「そうなの?」。私は信じられない気持で呟いた。
 ほっとした反面、こんなに血が出てるのに「たいしたことない」なんて言われるのは、とても心外だった。『死ぬかもしれないと思ってたのに』。
 二軒目の病院で、私の傷口を見た先生は、
「んー、三針ぐらい縫ったほうがいいな」
 と、さらりと言った。
「縫う?! 針で?! 生地を縫うみたく?!」
 それを聞いた私が泣き叫ぶわ、大暴れするわで、手足を看護婦さんたちに取り押さえられつつ手術を受けたことは言うまでもない。
 病室のベッドで目が覚めると、母がニコニコして覗き込んでいるのが見えた。
「よかったねぇ、骨も異常ないみたいよ。もう帰っていいって」
 母はさっさと身支度を始めた。
「えっ? もう退院なの?!」。初体験の入院生活がたった数時間で終了してしまう!
「パパはどこにいるの?」
 と私が聞くと、
「会社に行ったに決まってるじゃない」
 とつれない返事。おまけに母は、
「けっこう近いから、家まで歩いて帰ろう」
 と言ったのだ。
『そんな! タクシーにさえ乗れないなんて! 三針も縫う大怪我をしたのに、あんなにいっぱい血が出たのに、誰も心配してくれないっ!』
 額に貼られた大きな絆創膏みたいなのも気に入らなかった。『なんで包帯じゃないのっ?』これでは、ただこぶが出来た程度に見えて、お見舞いに来たクラスメートに「なーんだ、たいしたことないじゃない」と、思われてしまうではないか。
 しかし、事はそれどころではなかった。母が追い討ちをかけるように言った。
「あっ、先生がね、おとなしくしてれば明日から学校に行ってもいいって」
「…………」
 怪我のショックからすでに立ち直っていた私は、「悲劇のヒロイン」になりそこなった自分をひしひしと感じていた。
 ところが、家で布団に横になっていると、母が思わぬことを言って来たのだ。母のこの発言が、ふたたび「悲劇のヒロイン」へのひとすじの光を私に与えることになった。
「病院の先生がね、『ただ転んだにしては傷がちょっと変だな』っておっしゃったのよねぇ。『どういうことですか?』って聞いたら、『誰かに石でもぶつけられた可能性はありますか?』って言うのよ。ねっ、菜桜ちゃんほんとのとこはどうなの?」
 母は、探るような目で聞いてきた。
 ほんとも何も、「調子にのってスキップしてたら足が絡まって転んだ」以外の何ものでもなかったが、そのあまりにお間抜けな答えを言い出しかねて、私はしばらく口をモゴモゴさせていた。
 すると、母はそれを『もしや石を投げた相手をかばってるのでは?』とでも思ったらしく、
「わかった、じゃ、パパに連絡して、ワタル君人形買ってきてもらうから、そうしたら、ほんとのこと、話してくれるかなぁ?」
 と言って来たのだ。これがいけなかった。母も罪なことをするものよ。
 その当時、リカちゃん人形のボーイフレンドである色黒でハンサムなワタル君は、お友達の間で欲しい玩具の人気NO・1であった。私も「みんなが持ってる」と言っては、母に何回かねだっていたのだ。
「ねっ、ワタル君がいいよね?」
 母は明るく念を押した。私は下を向いたまま、
「うん」
 と頷いた。
 夕方になって、姉と兄が学校から帰って来た。ふたりは母から事情を聞いたらしく、すぐに私の枕許へ飛んで来た。
「誰がやったか、言ってごらん! 近所の子なのっ?」
 かたきをとってやるとでもいうような剣幕である。
 もうすっかり私は「スキップをしてて転んだ単なるおばか」ではなく、「何者かに石をぶつけられた可哀相な被害者」になっていた。
「転んだんだってばぁ」というひと言によって、みんなにチヤホヤしてもらえるヒロインの座から引きずり下ろされることになるのは、目にみえている。そしてそう言ってしまうより、今の展開のままにしといたほうがはるかにドラマチックであった。
 それで私は、
「あのね、よく覚えてないの」
 と言って、お茶を濁すことにした。
 そうこうしてるうちに父が、珍しく早く帰って来た。もちろんおみやげのワタル君を持ってである。
 待望のワタル君を手にした私はもうそれに夢中で、すっかり他のことはどうでもよくなってしまった。
「石を投げられたのか? そうだとしたら、誰かを見たのか? 知ってる人か? 男か女か?」
 という矢継ぎ早の父の質問にも、
「ううん、誰も見てないよぉ」
 ほとんどうわの空で、人形をいじりながら、あっけらかんと答えていた。
 すると父は、
「じゃ、その石は遠くから来たのか、近くから来たのか」
 と聞いてきたのだ。
 こんなことから早く開放されて、リカちゃんハウスでワタル君と遊びたかった私は、思い悩んだあげく、少女マンガに出てくる記憶喪失の人のまねをしてみることにした。
「もしかして転んだのかもしれないんだけど、思い出そうとすると頭が痛くなるの」
 末恐ろしい奴である。
 父はそれ以上何も言わず、それから茶の間へ行って、
「菜桜子は転んだショックで少し混乱しているから、そっとしておくように」
 とみんなに告げたらしい。
 
 こんな傷だらけの子供時代を送った私も、中学生ぐらいになると、めっきりドジを踏まなくなり、
「あー、私も大人になったなぁ……」
 とかさぶたのない膝っ小僧を撫(な)でながら、妙に感傷的になったものである。
 それにしてもあんなに頻繁に、転んで頭を打ったり、階段を頭から転げ落ちたりという、私の転落の過去がなければ、もう少し学校の成績も良かったのではないかと思うと未だに残念でならない。


私に似た人

 泉ピン子、一キロメートル先から見た本田美奈子、若乃花関のお嫁さんの栗尾美恵子、みなしごハッチ、工藤夕貴、可愛かずみ、紺野美沙子、川上麻衣子、中島はるみ、カメ、ヒラメ、エイ、ウーパールーパー、ネオンテトラ、エリマキトカゲ(敬称略)。
 以上は、私が過去に一回でも「似ている」と言われたことのある方々の名前である(まっ、なかには、異論を唱えたい人もいるでしょうが)。
 
 ウーパールーパーが、一躍アイドル動物としてもてはやされたときには、「ウーパーちゃん」とあだ名を付けられたりして、喜んでいいのか悲しんでいいのか、複雑な心境になったものだ。
 私がウーパールーパーの実物を初めて見たのは、ブームもとっくに過ぎた頃、旅行で行った温泉地のホテルでだった。玄関の隅の薄暗がりに、ひっそりと忘れられたように水槽に入れられたウーパーちゃんがいた。
 噂にたがわず、そのつぶらな目と目の間はしっかり離れていた。「菜桜子の目の間で待ち合わせをしたら、広すぎて相手と会えないらしい」というギャグまである私は、ウーパーちゃんに会ったとたん、なんだか離れ離れになっていた妹(弟?)を捜し当てたような気がした。私たちはジィーッと見つめ合ったまま、しばし身動きができなかった。
 
 最近、七十年代のファッションが流行っているせいか、奥村チヨさんをテレビでよく見掛けるようになった。
 すると急に周りから、彼女に「似てる! 似てる!」と言われ出したのだ。
 乗りやすい私は、カラオケで『恋の奴隷』や『終着駅』をマスターして、受けを狙っているが、この歌マネがけっこういいセンいっているらしい。音域も声質もピッタリで歌いやすいのが勝因だろう。
 そういえば、アニメや洋画でも、外見が自分とどこか共通しているキャラクターを配役されることが、なぜか多い。骨格が似ていると、声のイメージまで似てくるものなのだろうか。
 しかし逆に、まるで似ていないものを似せようとするのは、かなり骨が折れることである。
 もう何年も前の話だが、ナレーションの仕事で、有名人の物真似を要求されて、ほとほと困ったことがあった。
 それは「何とか博」とかいうイベントのラジオCMで、「○月○日、いよいよ開催です。皆さんのご来場をお待ちしてまーす!」なんていうコメントを読めばいいはずだった。
 スタジオのブースの中で、私が何回かコメントのテストをしていると、
「うーん、もう少し聖子ちゃんに似せて、読んでもらえないかなぁー」
 とディレクターが言って来たのだ。
「へっ?」。目が点になった。
 たしかに、その「何とか博」のイメージタレントとして松田聖子さんが起用されていて、テレビでイメージソングも歌ってはいたが……。
「あっ、聞いてない? 松田聖子ちゃんに声が似ている人をって、事務所に頼んだんだけど」
 ディレクターは怪訝(けげん)そうに言う。
 私は、事の次第を素早く察知した。うちの事務所のマネージャーは、「聖子ちゃんに声が似ている人」というディレクターからの要望に対して、「いつもカラオケで聖子ちゃんの歌を歌っている松井菜桜子」がポッと頭に浮かんだのだ。いや、きっとそうに違いない。
「あのぉー、よくぅ、カラオケでは歌ったりするんですけどぉ、でも、声なんて全然似てなくてぇ、彼女は少しハスキーボイスでしょう? 私はぁ、どっちかというとぉー……」
 グチグチいいわけをした。するとディレクターはとんでもないことを言って来たのだ。
「じゃあ、ちょっとここで一曲歌って、気分出してみてよ」
「なんで私が、そんなことまでせにゃならん! それじゃあ聖子ちゃん本人に頼めばいいじゃん」と言ってやりたかったが、そんなことを言えば、「予算とスケジュールがとれないんだよ」という悲しい答えが返って来るのは、容易に推測できた。これ以上ガックリきたくなかった私は、開き直って『青い珊瑚礁』を熱唱してやることにした。
 しかしやっぱりその歌も、そのあと読んだナレーションも、ちっとも似ていなかった。それでも「汗と涙と努力」だけは認めてもらえたようで、スタッフからねぎらいの言葉をいただいて、私は帰路についたのだった。
 
 私のように、いろいろな人に「似ている」と言われやすい人間もいれば、「その人って誰に似てるの?」と聞かれて、たとえがぜんぜん思い浮かばないタイプの人間もいる。どっちが得なのかはわからないが、その人に「似ている」ことで、なんだか自分のことのようにいい気持ちになれるときがあるものだ。
 表彰台のいちばん上で、うれしそうに金メダルをぶら下げている女の子が、ブラウン管に大写しになったとき、私は思わず、「あっ」と声を出してしまった。
 その子は、子供の頃の私に、うりふたつだったのである。それはもうっ、そっくりとか似てるとかいう次元じゃなくて、まるで若き日の私そのもの。北海道の両親からも「ねっ、見た? あんたにも水泳やらせておくんだった!」と、興奮してわけのわかんない電話がかかってくるくらいだったんだから。
 私が似てるのか、むこうが私に似てるのか。
 その人は、三年前のバルセロナオリンピックの女子平泳ぎの金メダリスト、岩崎恭子ちゃん、当時十四歳。
 その翌日、アニメの仕事で録音スタジオへ行くと、来る人来る人私の顔を見るなり、
「よおっ、いつスペインから帰って来た?」
「金メダルおめでとう」
「生きてるうちで、いちばん嬉しかったんだって?」
 ひどいのになると、
「おまえも昔は、あんなふうに初々しかったよなあ」。大きなお世話である。
「あのあとすぐ、バルセロナから専用機で帰って来たんですぅ」
 と、何人の人に答えたかしれない。
 
 お調子者の私も、さすがにそのネタに飽きて来ていた、ある日のこと。
 日曜日のせいか、ガラガラの総武線に乗って、私は仕事場へ向かっていた。両国あたりで、品の良い老夫婦が乗って来て、私の向かい側の席へ座った。
 しばらくすると、その老夫婦が何やらヒソヒソと内緒話を始めた。本人たちは内緒話のつもりでも、静かな車内のこと、向かいの席の私には丸聞こえ状態であった。
「ばあさんっほらっ、前に座っている女の子、何て言ったかなあ? ほらっ、あの子に似てるよ、あの子にほらっ、えーっと……」
「いやですよぉ、おじいさんたら、そんなにジロジロ見たら悪いですよっ」
「しかしよく似とる。ほらっ、何て名だっ? あのっ、ほれっ、こないだ平泳ぎで金メダルとった……んーーっ」
「あぁあぁっ、そういえばそっくりねえ」
「えーーっとっ、ほれっほれっ、んーーっ、んんんんっ、出てこんっ!!」
 こんなことを、目の前で延々やられてごらんなさい。
 私はお尻のあたりがムズムズしてきて、『えーーいっ、もう我慢できないっ!』
「それはもしかして、私が岩崎恭子さんに似てるというのではないですかあ?」
 とデカイ声で言ってしまったのだ。
 すると、おじいさんはえらく喜んで、
「そうだっ! 岩崎恭子だっ」
 どうしても思い出せなかった名前がやっと出て来たので、胸のつかえがとれたようだった。
 ここで黙ってしまうのも、なんだか気まずいので、
「よく似てるって言われるんです」
 と私が言うと、
「おじいさんっ、よくねっ、言われるんですってっ!」
 おばあさんは、嬉しそうに繰り返して言った。まるで「私たちは間違っていなかった」と言いたげに。
 老夫婦はその後、
「どうもありがとう」
 といく度もおじぎをしながら、お茶の水駅で降りて行った。
 私はなんだか、とても良いことをしたような気になった。


美人のつくり方

「鏡よ鏡よ鏡さん、世界でいちばん可愛い女の子はだぁれ?」
「それは、菜桜子さん、あなたです」
 今思えば図々しいにもほどがあるが、ある時期まで私は本気でそう信じて疑わないオメデタイ奴だった。えっ? 何を信じていたのかって? だからあ、世界一可愛いのは自分だと、マジで思っていたんだってば(キャ~、お願いっぶたないでえ)。
 テレビや雑誌を見ても私の自信は、どういうわけかこれっぽっちも揺らがなかった。どんな超一流のモデルや女優も「たいしたことはない」と感じていたのだ。
「化粧も濃いし、おっかない顔ぉぉぉ。やっぱり可愛さでは私にかなわないわ。ウフッ」
 私にとって、「プリティ」は、「ビューティフル」の上をいく、最上級の美を表現する言葉だった。
 
 根拠のないその確固たる自信に、陰りが射し込んできたのは、中学生になって、しばらくしたある日のことだった。
 クラスの男の子たちが「すっげ~色っぽい」とか「憧れちゃうよなあ」と噂していた三年生の北村先輩と、トイレの洗面所でその日偶然、初めてのご対面となった。
 私は対抗意識を丸出しにして背中をシャンと伸ばし、「フンッ」てな目付きで彼女を威嚇(いかく)した。ほらっ、この評判の先輩に、『世界一キュートな女の子の存在を、知らしめておく必要がある』と思ったのだあねえ。
 洗面所の鏡に映る彼女を、私はこの機会に観察することにした。
『ふんふん、まっ、スタイルがいいのは確かだわね』
 北村先輩は、ショートヘアの背の高いグラマーな女の人で、目はクリッと大きく、鼻もスッとしてて、彫りの深い、今思えばかなりの美人。にもかかわらず、私の結局の感想は、「なんだか老けてない?」であった。
 あんまりジロジロ見ていたので気がついたのか、鏡の中で視線を合わせた彼女がツカツカっとやって来て、すぐ隣で立ち止まった。
 そして、ニッコリと微笑み、私の頭を撫(な)でながら言ったのだ。
「まあ、可愛い子ねえ」
 私は身動きができなくなった。子供扱いされて怒ったのではなく、ライバルの意外な発言と、見上げたときに飛び込んできた彼女の包み込むような愛らしい笑顔に、びっくりしたのである。キラキラと輝く瞳が目に焼きついた。
 近くで見ると、髪は栗色で、肌は透き通るように白く、そしてふくよかな胸は優しく揺れている。クラスの男の子たちが騒ぐわけが、なんとなくわかった気がした。ショックであった。私と全然似てないのに、それでもこれほど魅力的な女の人が、こんなに身近にいたなんて。
 自分とは違う種類の「ビューティフル」もほんの少し認める気持になると、急に心配になってきた。『世の中には、北村先輩のように性格も良くて、きれいで可愛い女の人が、探せば大勢いるのではないだろうか』。
 私の心に、少しずつ謙虚な気持が生まれていくのがわかった(遅いんだよっ)。
『私は……』『私は、世界一可愛いのではなく、もしかして……日本一ぐらいなのかもしれない』(だめだこりゃ)
 
 家へ帰ってから、「私は、しょせん、日本一程度なのかも」と、今日の北村先輩の話を母と姉に伝えると、ふたりは大笑いするばかりである。私は憤慨した。
「何がそんなにおかしいのよっ」
 すると姉は、ピタッと笑うのをやめて、
「ねっ、菜桜ちゃん、あんたほんっきで、自分が世界一可愛いんだって思ってたの?」
 とあきれたように聞いてきたのだ。
「うん」。当然じゃないと頷くと、また姉は「ガハハハ」と笑い転げた。私はムキになっていた。
「だって、だって、だって、おかあさんが、いっつも『菜桜ちゃんは、世界一可愛い』って言ってるじゃないのよぉ」
 そう、年の離れた末っ子として生まれた私は、母から事あるごとに、
「可愛い、可愛い、あんたは世界でいちばん可愛いわあ」
 と十数年間言われ続けて大きくなったのだ。私はその言葉をただ信じて、これまで生きてきただけである。姉はまだ笑い続けている。
 しかし、母はもう笑ってはいなかった。かなり慌てた様子で、
「あのねっ、菜桜ちゃん、ちょっと誤解があったようなんだけど、おかあさんが『可愛い』って言ったのは、おかあさんにとっては、っていう意味なの。よその人がどう思おうと、おかあさんにとっては、菜桜ちゃんは世界一可愛いってことなのよ」
 母は諭すように言った。
「そうだったのぉぉぉー? よその人はそう思ってないのぉ~?!」
 青天のへきれきとはこういうことをいうのだろう。
「じゃ、ホントのところ私は、世界一どころか日本一ですらなかったのか?!」。私のアイデンティティがガラガラと音をたてて崩れて行くようだった。
「そうならそうって、最初から、言ってよね~」
 母は(そういう気はまったくなかったのだろうが)いうなれば「あんたは世界一可愛い」という洗脳を、日々私にしていたようなものである。
 そして長い年月かけてその言葉は、私の中にごく自然に浸透して、確固たる自信を築きあげていった。
「そうだ、私は世界一可愛いんだ」
 だから、テレビにどんなアイドルが出て来ても、都会からあかぬけた転校生がやって来ても、「ハンッ」と高ビーな態度で動じることなくいられたのだ。一分の疑問の入り込む隙もない、この鉄壁の自信、これを洗脳と呼ばずして何と言う。
 しかし、「教祖」である母は、
「そうではなくて……」
 と簡単に「教え」をひるがえした。
 どっかの宗教団体の末端信者のように「そんなはずはない」と、にわかには信じられない気持ちだった。
 私はその晩、寝込んでしまった。
 
 そして二十年経った今でも、マインドコントロールの恐ろしさを実感することがある。頭のどっかの片隅に「世界一可愛い自分」というフレーズが残っていて、それが日常生活のふとした拍子にひょっこり姿を現すのだ。
「これって、私のために作られた服のようだわあ」と、ブティックで鏡に映る我が身にうっとりしたり、「わあ、可愛い~」という声がどこからか聞こえると、「えっ、私ですか?」と思わず振り返ってしまう。そのたびに、そばにいた友人たちから「ねっ、菜桜ちゃん、その自信はどこから来るの?」とあきれられるのだ。
 しかし先日、三つ年上の従姉妹が電話で思わぬことを言い出して、私は自意識を満足させるとともに、なんだかくすぐったい気持ちになった。
「私ね、娘が菜桜ちゃんのように育ってくれたらって願っているの」
 彼女は、三歳になる我が子に毎日、
「おまえは世界でいちばん可愛いねえ」
 と呪文のように言い続けているというのだ。
「そう思い込ませて育てれば、もとはたいしたことなくても、きっと菜桜ちゃんのように明るくて、華のある子になってくれると思うのよねえ」
 その「もとは云々」というところが多少ひっかかったものの、私はたいそう感激した。なんだか、その子の成長が今からとっても楽しみな「初代・世界でいちばん可愛い私」である。



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