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引っ越して黄昏て …胸騒ぎのアパート編…

 引越し貧乏とは、まさしく私のことである。なにせ、二年以上同じ所に住んだためしがない。数えてみれば、上京してから、通算十回もお引っ越しをしていることになる。私が飽きっぽいせいもあるのだが、それだけじゃなく、やむにやまれぬ事情で引っ越しをせざるをえないケースもいくつかあったのだ。
 そして最短在住記録には、「たったの一ヶ月半」という輝かしくも、もったいない記録も残している。
 
 七回目の引っ越し先であったそこは、世田谷の二階建てアパートの二階の一室だった、はずであった。「はずであった」というところに、このアパートで最短在住記録作ってしまった理由があった。
 引っ越したときから、『このアパートはどこか怪しい』と私は思っていた。
 ひとつめの謎は、「ドアの数」である。二階は、二〇一、二〇二、二〇三、二〇四と四部屋しかないはずなのに、よおく数えてみるとドアが、五つあるのだっ。キャー!!怖いっ。おまけに、そのひとつ余計な「座敷わらしドア」は、私の部屋のドアの隣にあったのである!
 そして夜ごと隣の座敷わらしドアの辺りから鳴り響く「コツッ、コツッ」と階段を上がるような音。部屋の天井をポルターガイストのごとく震わせる激しい地響きと音楽。
「こ、ここは、お化け屋敷だったんだぁ~」
 あまりに鮮明な怪奇現象に、眠れない日々が続いた。不眠症になりそうになって、一階の大家に相談に行くと……。
 なんのことはない。その座敷わらしドアの奥は三階への階段になっていて、私の部屋の真上にあるペントハウスには、ダンサーをやっている大家のひとり娘がすんでいるのだという。あの地響きと音楽は、その娘がダンスの稽古をしているときのものだった。
「……えっ? ペントハウスぅ?!」。まさに「そんなの聞いてないよ~」である。私は、二階建ての二階、つまり最上階ってことで入居して来たんだから。
 このペントハウスは、下からちょっと見上げたぐらいじゃわからないようにうまく隠して作ってあって、五十メートルぐらい離れて背伸びしてやっと屋根が見えるという、忍者屋敷のような代物だった。
「本当はここ、建築法で三階建てってダメなのよねーっ。そこをなんとかって、大工さんに無理言って、ねぇ大変だったのよぉ、わかるでしょ?」
 大家のおばさんは甘えた声で言ったが、そんなこと私には関係ないっ。
「三階があるなんて契約と違うし、とにかく、夜中のダンス稽古はやめてください!」
 ときつくお願いしてその日は帰ったのだが、事はそれで終わらなかった。
 数日後、私の部屋の真下に住むその大家からの「夜中に風呂場で歌うのは、やめてください。近所迷惑です」という手紙が郵便受けに入っていたのだ。
 それからまた何日かして「勉強している学生さんが迷惑しています」という一通目の続きのような手紙が来た。
 ここでちょっといいわけをさせてもらえば、たしかに昼間は私も大きな声で歌うことがあったかもしれないが、夜中に口ずさんだ覚えがあるのは鼻歌ぐらいの可愛いもので、決して勉学にいそしむ学生さんを邪魔するほどではなかったはずである。
 たぶん大家は、「うちの娘をとやかく言う前に、あんただってけっこううるさいのよっ」てなことを言いたかったんだと思う。
 下には口やかましい大家、そして上にはドンドコ騒々しい大家の娘にサンドされた私は、間借人の弱さをつくづく感じてしまった。
 おまけに、三階のダンスは恋人のダンサーも加わって、前にも増して一層激しくなっていったので、「ここも安住の地ではなかった」と早々と悟り、私は一ヵ月半で撤退することにしたのである。
 
 しかし養成所の頃、ここ以上に上の階の騒音に悩まされた部屋があった。
 それは三番目の我が家であった、練馬区のアパートの一階に住んでいたときのことである。
 入居して一年ぐらいで、二階に若い夫婦者が引っ越してきた。一見感じの良いカップルだったこのふたりの、深夜の喧嘩がそれはそれはもの凄かった。
 ある夜のこと、私が「さて寝ようかな」と布団に入ると二階から突然、悲鳴が聞こえた。
「ギャー助けてぇ! 殺されるぅー! イヤァァァァ!」
 女の叫び声とともに、ドーンッ、ズズズーッと、人が倒れて引きずられているような音がした。続いて、
「この野郎! ふざけんじゃねえっ!!」
 と男の怒鳴り声がする。ガッシャーンとガラスが割れた音が響いたかと思うと、
「堪忍してっ、堪忍してっ」
 女が泣きながらわめいている。安普請のアパートでは一階と二階の天井という仕切りはあってもないに等しく、ちょっと大きな声を出せばぼとんど筒抜け状態であった。
 私の頭の中には、「髪を引きずり回されて泣き叫んでいる血だらけの女を、鬼のような形相で殴り続ける男の図」が生々しく出来上がっていた。
 こっ、これはえらいことだ。警察に電話を! と、私は受話器に手を伸ばした。
 すると上の声が急にピタッと、静かになったのだ。あんな大騒ぎのあとだけに、あまりにシーンとなるのも不気味なものである。私は椅子の上へのり、背伸びをして耳を澄ませた。
 しばらくすると微かに、
「う~んっ、う~んっ」
 と女の苦しがっている声が聞こえてくるではないか!
 これはいよいよいけないっ、警察っ警察っ! と、ダイヤルを回しかけたら今度は、
「キャッキャッキャッ」
 と女の笑い声がする。そしてまた「う~んっ、う~んっ」と、息も絶え絶えのかすれ声。
「…………」
 うら若き乙女の私にも、次第に様子がわかってきた。二階の奥さんは、本当に苦しくてその声を出しているのではないと……。
 夫婦喧嘩は犬も喰わない、今鳴いた鳥がもう笑った、嫌い嫌いも好きのうち、男と女の間には暗くて深い河がある? という人騒がせな事件であった。
「しっかし、男と女ってやつはわからない」と、そのとき私はつくづく思ったものである。
 
 そんなはた迷惑な喧嘩が何回も続いて(飽きもせず毎回同じパターンであった)、「あぁ、ここも安住の地ではなかった」と、私は四回目のお引っ越しを決意したのであった。
 
 私が三回目と七回目のお引っ越しから学んだこと
 
一つ、外観や広さにこだわるより、防音構造は買ってでも欲しい宝であると知るべし。
<特に、私のように声出して稽古をしなければならない仕事の人、ミュージシャン、落語家、浪曲師、バナナの叩(たた)き売りの人などにとっては必須条件と言えるでしょう。そして大騒ぎするのが大好きな友人がたくさんいる人も。また電車や車の音といった騒音には意外にすぐ慣れるものですが、隣や上の人の生活音はいつまでも気になったりします。だから私は、選べるものなら「最上階・角部屋」をおすすめします>

二つ、大家の上には住むべからず。
<騒音のことだけじゃなく、たとえば「下の階に水漏れしちゃった!」という場合にも、大家が相手だとそれじゃなくても分が悪いのに、なお一層住みづらくなってしまいます。大家が下にいるから「心強い」と、大家が近くにいないから「気が楽」を比べたら断然、「気が楽」のほうに軍配を挙げたい>


引っ越して黄昏て …恐怖の庭付き一戸建て風編…

「女のひとり暮らしに一階は勧めないよ!」
 と不動産屋さんに言われたが、私はこの庭付きアパートの一階の部屋がとても気に入ってしまっていた。
 庭といってもほんのちっぽけなものだ。それでもステンレスの格子の門を開けて庭を通って玄関にたどり着くのは、まるで「一軒家みたーい」だった。四回目の引っ越し先の家のことである。
 友人たちも口を揃えて「一階はなにかと危ないよー」と言ってくれたが、耳を貸さなかった。
「前も一階だったもん」と、私は強気だった。
 その庭で、犬を飼いたかったのだ。午後の光を浴びて子犬と戯れる私の姿。しかし、その夢は不動産屋さんの「あっ、もちろん動物はダメだからね」のひと言で、シュワ~っと消失してしまったが、心密かに「よしっ、家ん中で猫飼ってやる」と思っていた。
 そこに引っ越して一ヶ月くらいした頃、私は友人から待望の尻尾が黒くてお腹が白い日本猫をもらい受けた。名前は、昔好きだったNHKの人形劇の主人公からとって「プリンセス・プリン」にした。そのプリンの顔には口髭のような黒い模様があって、メスのくせに「風と共に去りぬ」のレッド・バトラーのように凛々しい容貌の猫だった。そいつは、はいたばかりのストッキングを爪ででんせんさせたり、布団におしっこをひっかけたりはしたが、それはそれは平穏な猫と私の生活だった。
 ある夏の日、そんな日常を壊す出来事があった。家の近くでバッグの置き引きに遭ったのである。
 電気屋さんの店先に、ポンッと布製のトートバッグを置いて、ちょっと目を離した隙の数十秒間のことだった。
 すぐに「バッグがないっ」と気がついた私は、慌てて通りへ出た。
 すると、チェックの赤いシャツを着た若い男が、三メートルぐらい先でのんきに私のバッグの中を覗いているではないか!
「あのぉー、ちょっとぉー」
 と話しかけてみた。私も相当のんきである。まだこの時点では、『彼が自分のバッグと間違えたのかもしれない』と思っていたのだ。いや、そう思いたかった。
 しかしというか当然というか、その赤いチェックシャツの男は私の声に一瞬ビクッとして、バッグを持ったまま、いきなり通りを走り出したのだった。
 あとを追う私。「泥棒ぉーっ」と叫びたかった。「その人泥棒ですっ、捕まえてくださぁーい」と大声で言いたかったのだが、そのとき情けないことに、震えて声が出なかったのだ。
 それでもとにかく、追いかけて一本道を走っていた。心の中では『ドロボーだドロボーだドロボーだドロボーだ』と繰り返し叫んでいるのに、声が出ない。『なんでなんでなんで? ドロボーって言えないのっ?!』。走りながら私は自分が歯がゆかった。
 若い男の足にかなうはずもなく、住宅街に入った所で、その赤シャツの犯人を見失ってしまった。
 どこかの家の軒下にでも隠れてしまったんだろう。一見何ごともなさそうにシーンとしているこの家々のどこかに、私のバッグを抱えて息を殺している泥棒がいる、と思うと他人事のように不思議な感じがした。
 しかし、それから警察に行って、問われるままにバッグの中身を話し出してから私は青ざめた。
 現金五千円入りの財布(ラッキー? なことに当時学生だった私は、カードという贅沢なものは持ってなかった)、ハンカチ、ドロップキャンディまでは良かったが、スケジュール帳(日記も兼ねていた)と実力以上に撮れているオーディション用のポートレート、そして最悪なことに、生理用品と、アパートの住所入りのキーホルダーに当然付いている「部屋のカギ」が入っていたのだ。
 お巡りさんは、あきれて言った。
「あのねぇ、カギに住所書いたキーホルダー付けてどうすんの? 仮に落としたんだとしたってよ、親切な人が届けてくれりゃいいけど、そうは世の中いないからねぇ。普通、カギと住所は、通帳と印鑑ぐらい別々にしといていいもんだと思うよーっ」
「まったくその通り」であった。犯人は置き引きするぐらいの悪い奴なんだから、カギがあって住所がわかれば、きっと私の家へ泥棒に入ろうと思うに違いなかった。
 おまけに、小首をかしげて「ウフッ」と思いっきりブリッコしている私の写真と、ひとり暮らしを容易に察することができるであろう日記の中身(「今日はお金がなかったのでご飯にチーズとおかかを混ぜてお醤油をかけて食べた。明日には仕送りが来るだろう」なんてことが書いてあった)、それから生理用品とくれば、まるで若い男の人を「おいでおいで」しているみたいではないか!
 私は焦った。
「すぐに電話して、ドアの取っ手ごと鍵を取り替えなさい」
 とお巡りさんは言った。それにかかる費用がとても気になったが、私にはそれよりもっと、わからないことがあった。
「電話って、どこへ?」
 ドアの取っ手がどこで売っているのか、見当がつかなかったのである。
「金物屋さんだろ、やっぱり」
 お巡りさんは親切に教えてくれた。
 それから私は急いで大家からカギを借り、家へ戻った。電話で事情を話すと、金物店のおやじは飛んで来てくれた。
「かわいそうに、まったく物騒だよなぁ」と言いながら、押しボタン式のドアのノブを、違う鍵穴のと取り替えてくれたのだが、しっかり代金八千円は受け取って帰って行った。
 あの泥棒のせいで、財布の五千円と合わせて一万三千円も損したことになる! と思うと、私はやり場のない怒りでいっぱいだった。
 数日経った深夜に、やっぱりその赤シャツ男(と思われる)はやって来た。やっぱりというわりには、ドアの鍵を取り替えたぐらいで、何の対策もとっていないことに、私はこのとき気づいたが、あとの祭りであった。
 おそるおそるドアの覗き穴から見ると、犯人であろうそいつはガチャガチャと乱暴にノブを回している。
 街灯の明かりを頼りによーく目をこらすと、なんと! 後ろにもうひとり仲間を連れているではないか! そいつは、大きな紙袋を提げていた。
「ギャーッ、あ、あの中に、ナ、ナイフとか、てっ、手袋とか、ひっ、紐とか、いっいろいろいろいろいろ、はっ、入ってるんだぁー!」
 と勝手に想像して卒倒しそうになりながらも、這(は)うように電話機の所へ行き、必死の思いで一一〇番通報した。
 それから
「あっ、窓の鍵!」と急に不安になり、戸締りを一個一個確かめることにした。
 そうっ、ここは一階だった。ドアだけじゃなく窓の心配もしなくてはならない。もしふたりが裏へ回ってこの大きい窓をぶち破って入ってきたら?! そう思うと恐ろしくて、私は猫を抱き布団を頭からかぶって、ガクガクと震えていた。
 それは、ジャングルの中で猛獣に囲まれているような、孤立無援といった絶体絶命の気分だった。友人たちの「一階はやめときー」という意味がこのとき、身に染みてわかった私であった。
 どれくらい経ったのだろう。そいつらふたりは、しばらくの間ドアをガチャガチャさせていたが、まさか鍵が替えられているとは思っていなかったのか、いくらやっても開かないので諦(あきら)めて帰って行ったようだった。
 そのあとやって来たお巡りさんも結局、「それらしい人はいませんねぇ」とほどなく帰ってしまった。
 
 それから一ヶ月ぐらいは図太く住んでいた私であったが、事件を機になぜか次々起こる出来事に、身も心も疲れきってしまった。
 暑いからと小窓を開けていると、いつの間にか男の人がジーッと覗いていたり、酔っぱらいに家の壁をドンドン叩かれたり、干していた洗濯物を盗まれたりと、次から次へとひどいことが起きたのだ。
 そしてやっぱり、「一階はやめときゃ良かった」と五回目の引っ越しを決意するのに至ったのである。
 
 私が四回目のお引っ越しから学んだこと
 
一つ、女の人は、一階に住むべからず。
<しかし、二階三階だからといって安心して窓を開けられる、というわけではありません。私の友人は四階に、それも家族と住んでいたのに、配水管を伝って登って来た泥棒と遭遇したことがあります。でも一階よりは、上の階のほうが人目を気にせず伸び伸び暮らせるのは確かです>
 
二つ、動物を飼っても良い部屋はそうそうないと知るべし。
<次の引っ越しで、「動物可」の部屋が見つからず、結局私も猫のプリンを知人に預けることになって辛い思いをしました。内緒で飼うとバレたときが大変です。壁紙や柱の引っ掻(か)き傷がひどいと、部屋を出るとき、敷金がほとんど返って来なかったりします>




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