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愚かなあやまち

 かつて、「思い込み間違い歌シリーズ」というのが、ある雑誌の読者ページでえらく流行ったことがある。
 有名なのは、童謡の『赤い靴』の話だ。歌詞に「異人さんに連れられて行っちゃった」というところがあるが、それを「ひい爺さんに連れられて行っちゃった」とか「いい爺さんに連れられて行っちゃった」と、勘違いして覚えてしまった人がけっこう大勢いて、「ひい爺さんやいい爺さんが連れて行ったのなら、そんなに暗くなることもないのに」と、内心思っていたというのだ。その投稿コーナーを読むたびに大笑いしたものである。
 私の友人も子供の頃、堺正章さんの『さらば恋人』の冒頭の歌詞「さよならと書いた手紙」というのを「さよなら東海、たてがみ」と、「そりゃ、JRのCMか?」と言いたいようなわけのわからない思い違いをしていたにもかかわらず、何の疑問も持たず歌っていたという。だから未だにこの歌を聞くと「ライオン」の姿が頭に浮かぶらしい。なんとなくわかる気がする。
 この間テレビで「懐かしのフォークソング」というようなタイトルの番組を見ていたら、さだまさしさんが歌う『精霊流し』がかかって、その下にグループ名として「レーズン」とテロップが出た。悪意はなかったにしろ「グレープ」を、カサカサにしぼんだ「レーズン」と間違えるなんて、あんまりである。しかし、おかしかった。あははは。
 人のことを笑っている場合ではない。最近私も愚かな間違いを指摘されて、赤っ恥をかいてしまった。
 それは、歌詞ではなく、漢字の読み間違いだった。
 ある共通の知人のお葬式のことが話題に上がったときに、私が暗く沈んだ声で、
「残された奥さまは『ゴウナキ』してました」
 と言うと周りはなぜか、キョトンとした顔をしている。中のひとりが、
「それを言うなら号泣(ゴウキュウ)でしょ」
 と笑いながら訂正してくれたのだが、すごいショックを受けてしまった。だって、恥ずかしながら私はこの年まで「号泣」は「ゴウナキ」だと信じて疑わなかったのだから。あ~、穴があったら入りたい。
 しかし、わが身をかばうわけではないが、こういった類の思い違いは、毎日のように「台本を読む」という仕事をしている都合上、よく目の当たりにする出来事なのである。
「突如(とつじょ)」というのを「とっきょ」だと今の今まで思っていたとか、「詳細(しょうさい)」を「くんさい」あるいは「ようさい」と読んでいたとか、意外に皆ひとつくらいは愚かな思い違い「漢字」を持っているものである。
「お侍(オサムライ)さ~ん」という台詞を「お侍(オマチ)さ~ん」と読み違えた声優さんもいて、そのときはスタジオにいた全員が爆笑してしまった。
 先日もこんなことがあった。
 私はスタジオの中で数人の先輩の役者さんと、風邪対策についての雑談をしていた。
「やっぱり、栄養を摂らないといけない」と、いつしか話は「精のつく食べ物」へと移行していった。
 誰かが「鰻はいいよね、きも吸いのキモも元気が出るしね」と言ったのを聞いて、私はかねてから感じていたあることを、思いきって口に出してみたくなった。「皆もそうでしょ? ウフフ」という気持ちを込めて。
 「だけど、あれって、食べるときちょっと恥ずかしくないですか? ねえ」
 すると、そこにいた人たち全員から、
「なんで?!」
 と一斉に聞き返されてしまったのだ。詰め寄られた私は、
「エッ? エッ?」
 と一抹の不安を感じながらも、
「だって、きも吸いの『キモ』って、鰻のオ○ンチ○じゃないんですかぁ?」
 またもや、愚かな思い込みを大公開したのであった。
 当然スタジオはドッと湧いて、なかには笑いすぎてお腹を押さえ苦しがっている人もいる。
「えーっ! 違うんですかあ? でっ、でも、形もそんなふうだし、うちの母が声をひそめて『精がつくから我慢して食べろ』って言うからてっきり。それに、あのぅ、キモっ玉って言いません?」
 私は苦し紛れに余計なことを口ばしっていた。
「それじゃあ、キモっ玉かあさんは、オ○ンチ○のついてるような(下ネタばかりですいません)威勢のいいおっかさんってことかぁ?」
 先輩はあきれながら突っ込んできた。
 そう、だから私は、「キモのすわった」とか「キモに命じて」「キモを潰(つぶ)す」っていう言葉を、なんて男っぽい表現だろうかと……、いやっ、これ以上、何も言うまい。
「あのねぇ、鰻のきもの『キモ』は、肝臓の『カン(肝)』って書くのよ」と、このとき教えられて、私は初めて、きも吸いの「肝」の正体を知ったのである。
「じゃなに、松井ちゃんは鰻の肝臓を毎回、ドキドキしながら食べてたってわけ?」
 という問いには、返す言葉もなかったが、
「ハイ、鰻重のきも吸い付きに出会ってから十数年、赤い顔して、手で隠しながら、味わわないように無理やり飲み込んでました……」
 と正直に答えると、またまたドッと笑いが起こってしまった。
 そしてしばらくの間そのスタジオで、私の名前は「鰻のキモ」になったのだった。悲しすぎるぅぅぅ。

<後日談>
「私のように、鰻の肝をオ○ンチ○だと思い込んでいる大バカヤローが、絶対に他にもいるはずだ!」と確信した私は、『愚かな仲間』探しを開始した。そしたら、いた! いた! ギャハハハハ! 周りになんと、三人も! みんな一様に、顔を赤くして「えっ?! ち、違ったの……?!」と、あぜんとしていた。ウッシッシッ。私だけじゃなかった、良かったあ!
 しかし、この話を北海道の母に電話で伝えたときに返ってきた発言も「えっ?! ち、違ったの……?!」であったのにはさすがに私も驚いたが、この子にしてこの親あり? だと妙に納得してしまった。



怒りの電車

 ここんとこ電車についていない。
 ケチのつき始めは、ある朝、「やったぁ、セーフ!」と駆け込んだ地下鉄の扉に、ショルダーバッグの紐がはさまってしまったことだった。
 いくら引っ張っても、バックルがしっかりストッパーの役目をして、ストラップが外れない。
 そうこうしているうちに、電車はそのまま出発してしまった。
 アタフタしている私を尻目に若いサラリーマンが、ボソッと呟いたのだ。
「そっちのドア、終点まで開かねぇんだよなぁ」
 いきなり後頭部にガツンとパンチをくらったような衝撃を覚えた。
「そりゃあないよぉ。わたしゃ次で降りたいのに~」という嘆きも虚しく、鎖でつながれた犬のように身動きできないまま、電車に乗っているしかなかった。
 こっち側の扉が開いたのは、お兄さんの言った通り終点の駅だった。
 急いで電車を飛び降りて引き返したのだが、時間のロスは大きく、仕事には大幅に遅刻してしまった。トホホホホ。
 次は夕方のラッシュ時、けっこう混んでいたのに運良く座れた私は、立っている大勢の人から垣間見える前の座席のおばさんを、なんということもなくボケ~っと見ていた。おばさんは口を開けてぐっすり眠りこけている。よくもまぁ、公衆の面前でここまで熟睡できるもんだと、その脱力しきった姿に私はなかば尊敬の念を持ち始めていた(いや、実は人のことは、あまり言えなかったりするのだけどね)。
 と、彼女がガクッと舟を漕(こ)いだそのとき、握りしめていた切符が手からヒラッと足元に落ちたのが目に入った。前に立っている人が気がついて拾ってくれるだろう、としばらくは放っておいたのだが、どうもその気配がない。
 こういうとき、したんぷりできない性分の私は「しょうがないなぁ」と腰をかがめたまま、人をかきわけて切符を拾い、まだ眠り続けているおばさんの手の甲をトントンと軽くたたいて起こそうとした。
 彼女はハッと目を覚まし「ここはどこ? あんた誰?」というような顔をして、私を見ている。
「あのっ、これ、落ちましたよ」
 切符を差し出すと、おばさんは面倒くさそうに、
「どうも」
 と受け取った。
 そして次の瞬間! このおばはんは信じられない行動をとったのだぁ!
 なんと、彼女を起こすために私が触った方の手の甲を、汚いものでもぬぐうかのように、ゴシゴシと自分のスカートにこすりつけたではないか!
 私は、我が目を疑った。『なっ、なんなの、この人~っ!』
 いやっ、たぶんおばさんは無意識についやってしまったとか(善意に解釈すれば、よ)、異常に潔癖性の人だったとか、ひどく寝起きが悪いタイプだったのかもしれないが、どっちにしたって私はものすごく傷ついてしまった。
「しっ、しどいっ、許せんっ」と憤慨しながら席へ戻ろうとしたら、私の座っていた所には、すでに制服姿の中学生がちゃっかり腰かけていた。
 また、ある夜の山手線の車内では、はた迷惑な大酔っぱらい男と遭遇してしまった。
 年の頃は四十代後半ってことの、酔ってなければキチンとしたやり手のサラリーマンに見えそうなガタイのいいおっさんだったのだが、とにかくこいつの声がばかデカかった。
 ひとりで電車になだれ込んで来て、いきなり車両中に響き渡る声で「だいたい今の総理大臣はだねぇ」と政治の話をしだしたかと思うと、いつの間にか「許せんのは、サリンガス」。まぁこれは同感できるが、「なんだあの、ナタデココってやつはよぉ」とやたらと守備範囲が広い。これを聞いただけでは「けっこう笑えるキャラクターじゃない」と思う人がいるかもしれないが、実際に遭遇してみるとそんな甘いものではなかった。
 このおじさんのいちばんイケナイところは、「他人に話しかける(それもつんざくような大声で)」という点だった。よくいる、無害なモノローグタイプの危ない人ではなかったのだ。
 私は三、四人離れた扉の所に立っていたからまだ良かったが、目の前に座っている女の子は、
「なっ、なっ、そうだろっ? えっ?」
 と顔を覗き込まれるように話しかけられて、どうしていいのかわからずイヤそうにずっと下を向いたままだった。
 吊り革につかまりながら、そのおやじがブンブン体を揺らすので、左右に立っていた男の人たちも怖がって少しずつ間を開け始めていた。
 そしてこいつが、
「ギャアアアア! ハッハッハッハア~!」
 という笑いとも奇声ともつかぬ声を発したとき、『もうっ勘弁ならんっ、ちっとは人の迷惑も考えろっ』。私の怒りは最高潮に達した。
「うるさいっ! 静かにしろっ!」
 と怒鳴ってやろうかと思ったが、さすがに怖かったのでそれはやめた。
 その代わり精一杯眉間に皺を寄せて、思いっきり「キッ」と、酔っぱらいおやじの背中にガンを飛ばしてやった。まっこれが、私にできるせめてもの抵抗だった。
 だがちょうどそのとき、運良くというか悪くというか、おやじがこっちを振り向いた。バチッと目が合ってしまった!
『ゲ~っどうしよう?! 怒らせてしまったかも?』。私は、とたんに怖けづいてオタオタした。案の定おやじは顔を真っ赤にして、
「なんだぁ! テメェ!」
 と身を乗り出してきたではないか!
『キャ~、もう絶対絶命、だっ誰か助けてえ!』。心の中で叫びつつ、私はズリッと後退りした。
 ところがこのおやじは大声で、思わぬことを言い放ったのだ。
「なんだぁ! テメェ! 『宮沢りえ』みたいな顔して睨みやがってぇ」
「…………へっ?!」。車内は水を打ったように静かになった。
 天と地がひっくり返ったって、『宮沢りえ』に似ているとは思えない私は、振って湧いたようなこのおやじの発言に、クラクラとめまいがした。
「こりゃ、ギャグかよ?」と、恥ずかしさのあまりうつむいていたら、こっちの気もしらず、おやじはフラフラと扉の方へやって来て、次の駅でさっさと降りようとしている。
 そして振り返りざまに、
「じゃあなぁ! 宮沢ぁ!」
 という捨てゼリフを私に残し、消えていったのであった。
『なんなのよぉ、いったい!』。私は、おちょくられたような怒りを覚えた。
 しかしその一方で、
『まっ、サラリーマンもいろいろと大変なんだろうなぁ。たぶんあの人も相当ストレス溜まっちゃってるんじゃないの? ちょうど中間管理職って感じだしぃ』
 とおやじをかばう気持も、なぜかフツフツと沸き起こってくるのだった。
 目的地へ着いて、電車を降りる頃には、
『それにしても、あたしが宮沢りえだって! だいたい年がいくつ違うと思ってんのよ、あははは。…………。案外イイヤツだったかもしれない』
 という結論に至っていたのである。女ごころってぇのは、わからないもんだよねぇ。



所変われば、具も変わる

 急に、スキヤキが食べたくなった。
 よしっ、早めに仕事が終わったら、スーパーで買い物して、おうちで作って食べよっと。
 スタジオのロビーのソファで出番待ちをしていた私は、ほかほかの湯気を出してグツグツいってるスキヤキを思い描いて、ひとりニヤニヤしていた。
 エートぉ、何が入ってるんだっけねえ、スキヤキって。ん~、まずは、牛肉だろ、しらたき、焼き豆腐に、春菊、それから……ん?
 あと何だっけ? めったに鍋物なんかしない私は、どうしても思い出せない。たまたまそばにいた某プロダクションのマネージャーに助けを求めることにした。
「ねっ、Sくん、スキヤキってどんなものが入ってるんだっけねぇ?」
「やだなあ、なにひとりで真剣な顔してんのかと思ったら、晩ご飯の心配してたんですかあ」
「なんだか、無性に食べたくなっちゃたのよねえ」
「エ~、スキヤキですかあ。スキヤキっていったら、やっぱり、肉ですよ。まっ、普通はマトンか豚肉ってとこですかねえ」
「……」。マ、マトン?
「えっ? マトン、入れませんか?」
 彼にひるむ様子はない。
「ちょ、ちょっと、あなた、もしかして出身は……」
「はい、北海道です」
 やっぱりだ。羊肉の本場といえば、なんといっても我が故郷、北海道である。
 しかし、豚肉はまだしも、マトンのスキヤキなんて、聞いたことも見たこともなかった。少なくとも、うちは違った。
「や~、僕んちでは、昔っから、マトンだなあ。友達の家で食べたときも、たしかそうだったと思うけど」
「じゃ、初めてお店で食べたとき、変だなあって思わなかった? あっ牛肉だ、って」
 私は素朴な疑問をぶつけてみた。
「べつに。だってほら、家庭料理とよそゆきの外食じゃ、使う材料が全然違うことってあるじゃないですか」
 ごもっともである。我が家でも、鳥肉ではなく、なんとなくいつも冷蔵庫の中にあるハムやベーコンで、ケッチャップと炒めたケッチャップごはんが「チキンライス」と当たり前のように呼ばれているし、シーフードサラダも、蟹缶よりもっぱら安くて手軽なカニカマボコが活用されている。洒落(しゃれ)たレストランでは許せないことも、家で食べるぶんにはいっこうに差し支えなく、それどころかかえってその味のほうが好きだったりする。
 そう、家は家、外は外なのだ。
「ねっ、あとは? あとはスキヤキに、どんなもの入れるの?」
 もしかしたら、マトン以上にとんでもないものが出てくるのではないかと、私は興味津々だった。
「そんな、普通ですよ。春菊とかあ、玉ネギとかあ」
「ふーん、なーんだ、野菜類は普通なんだ」
 私がつまんなそうに言うと、向かい側に座っていた女の先輩(ちなみに三代続いた江戸っ子)が、
「ちょっと待ってよ」と、話に割り込んできた。
「黙って聞いてたんだけど、あんたたち、普通スキヤキに、玉ネギは入れないでしょう! 昔から、長ネギに決まってるのっ」
 いきなり喧嘩腰である。
「ええ、長ネギも入れますけど、玉ネギも入れるでしょ、ねぇ?」
 私は隣のSくんに同意を求めた。
「はい、うちは玉ネギだけですけど」
 マトンでは、袂(たもと)を分かったふたりであったが、広大な玉ネギ畑を見ながら育った北海道ペアは、ここへ来ていっきに結束した。
 カレーに必要不可欠なように、私にとってスキヤキの中のそれはけっこう重要なポジションをしめていたのだ。
「そんな、玉ネギを入れたスキヤキなんて邪道よ!」
 先輩は怒り出した。
 私たちは、「だ、だって、入れるんだもん」とオロオロするばかりである。
 そこへ、新人の女の子が、横から、
「あの~、モヤシも入れますよねえ、普通」
 と探るような目で言い出したではないか。
 私が「えぇぇ~?!」と動揺していたら、今度はうちのマネージャーが、
「白菜を忘れちゃ困りますよ」
 と自信満々の発言である。
 それから先は、「いや、うちは、きのこ類や豆腐は入れません」という人がいるかと思えば、「えのき茸もシメジも入れる」「たけのこは、絶対入れてほしい」と言う人もいたり、「そんなのは、聞いたこともない」と突っぱねる人もいれば、「あっ、それ今度入れてみよう」と言う人もいて、いつの間にかスタジオのロビーは、スキヤキの具の話題でもちきりである。
 しかし、話はそこで留(とど)まらず、具を食べ終わったあとの「第二ラウンド」の論争へと移っていった。
「煮詰まった割り下に、からめて食べるうどんがたのしみでねえ」
「オレは、餅のほうがいいなあ」
 私は、年配の役者さんふたりの会話を聞きながら、
『我が家は、最後は何にも入れないで、次の日、残った具の上に卵をのっけて、スキヤキ丼にして食べてたっけなあ』
 と思い出して、生唾をゴックンと飲み込んだ。
 すると、今まで静かに台本のチェックをしていた男の子が、すくっと顔を上げ、
「えっ、それは、大根のほうがいいですよ」と、きっぱり言ってきたのだ。
「うちは、いちばん最後に、大根を入れるんです。翌日は、味が染みて、それはうまいんです」
 なるほど、美味しそうである。さらに彼は続けた。
「あれっ? 普通、ほとんどの家では、そうしませんか?」
 これ、これ、これよ。みんな、自分ちの「スキヤキ」を「ごく普通の」と、はなっから決めつけているのだ。
「大根ねえ…………」。あまりの突飛な具の出現に、私たちは何も言い返せなくなった。
 いや、もちろん、スキヤキに大根を入れてもいいし、モヤシを入れてもいいし、その家のオリジナリティや地方色が出てても、それが家庭料理っていうもんで、まったく構わないことだと思う。だいたい、何が正統派か、なんてなかなか言えるものじゃないしね。
 でも、こうまでみんなが「我が家こそが一般的」と思い込んでいることに、私は驚いてしまった。そういう自分も、長年食べ続けてきた「玉ネギ入りスキヤキ」が「当たり前」だと、確信していたひとりなのだが。
 スキヤキでこれだけの珍説が出てくるのだから、こうなると他の料理も調べてみたくなる。
 料理だけではない。もしかしたら、家庭という一種の密室で、その家族だけが「普通」だと思っている、ものすごく「変なこと」が実は、行われている可能性だってある。
 よそんちを覗いて「それ、オッカシ~」ってなものを発見して、ガハハと笑い飛ばすのも、けっこう楽しいかもしれない。
 意外に自分ちが、いちばん変わってたりして……。ゲッ。


 


カンユ泥棒

「カンユ」というものをご存知だろうか?
 先日、二十代前半の男の人に聞いたら、
「知らない」とあっさり言われて驚いた。
「えっ?! 幼稚園で毎日食べなかった? カワイのカンユ」
「いいえ、ぜんぜん。それって、どんな食べ物なんすか?」
 反対に聞き返されてしまった。いつ頃から幼稚園では、子供に「カンユ」を与えなくなってしまったのか? なんだか私は、「カンユドロップ」を知らずに育ったその若者が、とても気の毒になって、どうにか感じをつかんでもらおうと、やけに、ムキになって説明した。
「あのね、きれいな濃いピンク色をしたゼリーでね、ちょっと弾力があるんだけど、グミってほどじゃないのよ。大きさはマーブルチョコぐらいで、外側に白い粉砂糖がまぶしてあるの。周りが固くて、噛むとグニュっと柔らかいあの感触がよかったのねぇ。歯にくっついたりもしたけど。とにかく、甘くて、ほっぺたが落ちそうなくらい美味しかったのよ、これが」
 うっとりして語っていると、その彼は食べてみたいと思ったらしい。
「へーっ、じゃ一度買ってみようかなぁ、それってどこで買えるんすか?」
「えっ? ど、どこって……」。私は答えに詰まってしまった。そんな! カンユを買うなんて大それたこと、考えたこともなかった!
 あれは、幼稚園の先生が毎日一個(ごくたまに二個)くださる貴重な品で、そんじょそこいらでは売っていないもんだと、五歳の頃からずーっと思っていた、愚かな自分に気がついたのである。
「大人の人が(もう気持ちは幼稚園児)、鳥目に効くって言ってたから、たぶん薬局にあるんじゃないの。だって、スーパーやお菓子屋さんで見たことないもん」
 そうだ! だから、あれは特別なルートでなければ手に入らないのだと、子供心に思い込んでいたに違いない。
「じゃあ、ビタミン剤みたいなもんか」
 若者は言った。
『あぁ、私の神聖なるカンユドロップにそんな言い方するなんて……』
 そして先日、タイミングよく私の所へ六十粒入りのカンユが一缶、送られて来たのだ。それは、芸能人健康保険組合(っていうのがあるんです)が黒字還元で会員にプレゼントしてくれた「健康食品セット」(ビタミンC剤とかクロレラとか)の中のひとつとして入っていた。
 まさに、憧れの「カワイのカンユドロップ」である。缶の裏には、「成人は一日三粒」と書いてあったが、一度でいいから口いっぱいに頬ばってみたかった私は思いきって十粒ぐらいを手のひらに載せてみたのだが、どうしてもいっぺんにパクッと食べることができない。
「カンユを一度に食べると鼻血を出す」と言っていた子がいたのを思い出したのだ。私はちびちびと一個を時間をかけて味わうことにした。
 広がる甘い香りとともにカンユにまつわる懐かしい話も、昨日のことのように蘇って来たのである…………。
 毎日午前十時頃に決まってそれは、幼稚園の先生の手から厳(おごそ)かにひとりひとりに配給されることになっていた。たった一個しかもらえなかったから、いとおしそうに周りの粉砂糖だけをまず舐(な)める。手がベタベタになりながら、しゃぶっていても、あっという間にお腹へ入ってしまった。当時、園児の誰もが『いつかカンユをムシャムシャと、お腹いっぱい食べてやる!』という大いなる野望を抱いていたに違いない。
 その日の午後、皆はもう帰り始めているというのに、私はトイレへ行きたくなって、ひとり出遅れてしまった。
「もう誰も残ってないだろうなぁ」と思いながらカバンを取りに教室へ戻ってみると、A子ちゃんがぽつんと上を見上げて立っていた。
 彼女の目線の先をたどってみると、果たしてそこには棚のいちばん上に置かれた、カンユの大きな缶があった。
『こんなに近くに、こんなに無造作に、大事なカンユが置いてあったなんて』
 私は驚いた。『なんで今まで、気がつかなかったんだろ?』。
 A子ちゃんはポカンとした顔で、ずーっとカンユの缶を見ている。
「ねっ、もしかして、アレ、食べたいの?」
 と私が聞くと「うん」とA子ちゃんは頷いて、すがるような目で、こっちを向いたのだった。その眼差しは、「なおちゃん、お願いっ、きっとあなたならできる!」と訴えかけているようだった。
「なぁーんだ、それなら私が取ってあげる」
 ええかっこしいの私は、つい胸を張って、言ってしまったのだ。
 そして棚の前へ椅子を置き上へのって、思いっきり背のびをしてカンユの缶へと手を伸ばした。しかし、もうちょっとのところで届かない。
「がんばってぇ!」A子ちゃんは下から応援してくれている。
「う~んっ、う~んっ、それっ」と、何回か飛んだり跳ねたりした甲斐あって、指先が缶に当たったそのとき、ガラッと扉が開いて、担任のすみれ組みの先生が入ってきたのだ。
「ゲッ、まずいっ」と、私はとっさに伸ばしていた手を引っ込めた。でも、椅子の上でアタフタしている姿は、どうみてもウサンくさかった。
 観念してガックリとうなだれていると、髪を後ろでひとつに束ねたトワ・エ・モア(懐かし~)の白鳥英美子さん似の先生は、意外なことに、
「あらっ、まだお教室に残っていたのね」
 といたって優しい口調で、話しかけて来たのだ。そして、こうのたまわれた。
「じゃ、なおこちゃんとA子ちゃんには特別に、カンユでもあげましょうかねぇ」
 その唐突な発言にアッケにとられながらも、私たちふたりは無邪気に喜んで、トワ・エ・モア先生からそれぞれ二個ずつカンユをご馳走になったのだった。
「なんかわかんないけど、ラッキー!」というのが当時の私の感想であったが、今考えると相当図々しい。
 それに引きかえ、怒られて親に連絡されてもしょうがないことをした私に、神様のごとき温かい手を差し伸べてくれた、あのトワ・エ・モア先生はなんと偉大な人であろうか! あれから一度の万引きも経験せず(威張ってどうする!)グレることなく生きて来られたのは、彼女のあのときの優しさのおかげのような気がしてならない。
 今頃先生はどうしているのだろう。きっと、とても良いおかあさんになっているんだろうな。


ハワイ親孝行旅行

「そうだ、たまには親孝行でもするか」
 と思い立ったのは、一昨年の春のことだった。
 北海道から東京へ出て来て早十数年。親と離れての暮らしも、それだけ経ったということになる。
「昨日うちの母親とデパートへ行ったんだけどねぇ……」
 自宅から通っている子がこんな話をするたびに、けっこう羨ましがっている自分がいた。
 母が上京して来たときになぜかいつも仕事が立て込んでいる私は、開拓しておいた好物のそば屋へもいつまでも連れて行けないでいた。様子を見に慌しくやって来て、また慌てて父の元へ帰っていく母とここしばらく仕事にかまけて、落ち着いて話もしていなかったことに気づいたのだ。
「よしっ、旅行にでも連れてってやるかあ」
 私は母娘水入らずの旅行を計画することにした。
 しかしこの思いつきを後悔する日がほどなくやって来ようとは、このときの私にはまだ知る由もなかった。
「どこへ行きたいの?」と電話すると、即座に母は、
「ハワイがいい」と答えた。
 仕事の都合上、五日しか休みが取れなかったので、
「ハワイは日付変更線を超えるから、実質三泊ってことになっちゃうの。グアムかサイパンにしたら? それにおかあさんは海外旅行初めてだから、飛行機の中の七時間ってこたえると思うよ」といくら言っても、
「いやっ、絶対ハワイがいいっ」と聞かない。
 なぜ彼女はそれほどまで「ハワイ」にこだわったのか?
 そのわけはハワイ親孝行旅行の一日目のディナーショウのときに、明らかになったのだった。
「ダニー・カレイキニショー」は、私たちの宿泊先から車で十五分ほど行った「カハラヒルトンホテル」で毎夜開かれている、フラダンスのコーナーもある観光客向けのものだった。
 ハワイの「杉良太郎」と呼ばれているダニーさんの歌うハワイアンソングと巧みな話術を、母も十分満足してくれるだろうと、これを前に一度見たことのあった私は確信していた。
 さて、ステーキのフルコースをふたりともきれいにたいらげ、
「このあとフラダンスがあってね、それからいよいよ、ダニーさんの歌だよぉ」
 と私はわくわくして言った。すると母は、
「ちょっとトイレ」
 と席から立ち上がったのだ。
「ひとりでわかる? 大丈夫?」
 私は心配して声をかけた。
「大丈夫よ。ここは日本語が通じるんだから」
 母はやけに強気で、レストランを出て行ったのである。
 そしてそのまま、三十分以上帰って来なかったのだ。
 レストランの照明は落とされ、客席はほとんど真っ暗になり、とっくにフラダンスは始まっている。
 知り合いの旅行代理店の人が気をきかせて、私たちをいちばん前のテーブルに着かせてくれていた。だから、ぽっかり空いた母の席は舞台の明かりに照らされて、やたらと目立ってしょうがなかった。
「真っ暗で自分のテーブルがわからなくなったんじゃなかろうか?」
 周りに目をこらしたが母の姿はなかった。
 ドンドコドンドコドンドコというフラの太鼓のリズムに合わせて、私の心臓の鼓動も速くなってきた。
「遅すぎる……」。フラダンスを楽しむどころではない。
『まさかとは思うけど、トイレで何かあったのでは……?』『どこから見ても間違いなく典型的日本のおばさんである母は、トイレで日本人=金持ちと思っているギャングかなんかに、誘拐されたってこともありうる!』。物騒なことばかり浮かんで来て、私はいてもたってもいられなくなった。
 するとその様子を見て、胸の内を察してくれた日本人系のボーイさんがそっと「おかあさんがトイレから帰って来ないのか?」と、英語で耳打ちしてきた。
「イエース、イエース。」なんとなく意味がわかった私が答えると、彼は「自分が行って来る」と胸に親指を立てるゼスチャーをして、にっこり微笑んだ。そして「Don't worry!」と言うとすぐ、母を捜しに行ってくれたのだ。
「異国の地 触れる情けに フラダンス」と一句が浮かんできそうなほど、彼の親切がありがたかった。
 だってここで私まで席を立ってしまったら、すでに真ん前で歌い始めているダニーさんに「つまんないから帰る!」と言ってるようなものだ。同じ舞台に立つ者としてそのショックが身に染みてわかってる私には、とてもそんなことはできなかった。それに、なんてことなく母が帰って来た場合、このショーのために払った二〇〇ドルがもったいなさすぎるっ! と、この場を離れることに躊躇(ちゅうちょ)していた(私ってケチ?)。
 しばらくすると、さっきの親切なボーイさんが帰って来て、私に向かって悲しそうに首を振った。そしてもうひとりのボーイさんと一緒に、またレストランから消えて行ったのだ。
「げーーっ、いよいよヤバイッ!」
 ダニーさんには悪いが、歌なんてもうどうでも良かった。私はあからさまに後ろを向き、薄暗い店内に母の姿を捜した。
「よしっ、ショーは諦(あきら)めた。私もここを出て捜そう」
 と膝のナプキンをテーブルへ置いたときだ。ふたりのボーイさんにエスコートされて、母が入口からひょっこり現れたのだ。
 かなり注目をあびたにもかかわらず、平然と客席についた母に、ボーイさんが身をかがめて「お嬢ちゃん、泣いてた、シクシク」と手振りを交えて冗談っぽく言ってくれた。
 しかし母は、少しも動じることなく、
「あらヤダ、アンタ心配してたの?」
 とぬかしたではないか! 怒りで爆発しそうだった。あんなに母の身を案じてやきもきしていた私に向かって、「アンタ、心配してたの?」はないでしょーーっ!!
「今まで何してたのよっ!」
 ショーの最中であることを多少は気にしつつ、小さくしかし語気は荒く問いつめた。
「えーっ、ちょっとホテルの庭を散歩してた」
 母は悪びれずに言う。
「さっ、さんぽしてたあぁぁぁ?!」
 その声はレストランに響き渡り、私は舞台の上のダニーさんから「キッ」と睨まれるハメになったのだ。
「話はあとっ」と母は言うと、テーブルのワインをグイッと飲み干し、舞台に向かってにっこりしたのだ。
 ショーが終わって、泊まっているコンドミニアムへ向かうリムジンの中で私たちはひと言も口をきかなかった。
 母のために、移動はすべて高級リムジン、ハワイでいちばん良いコンドミニアムのそれも三十二階の海も山も見えるスィートルームをキープして、ふたりだけのプライベートツアーという贅沢な旅行に私は大枚はたいたのに、
「初日からこの仕打ちはないでしょーー!!」
 私の怒りは、部屋へ着いてからも収まらなかった。
「ねっ、なんで?! なんでショーの最中に散歩してるわけ? タダじゃないのよあれは!! ねっ、そこんとこわかってんの?!」。もうヒステリー状態である。
「だってぇ、ワインに酔っちゃってぇ、少し酔いをさまそうと思って、夜風に当たりに庭へ出たら迷っちゃってねぇ、どうしよう? って思ってたらボーイさんが捜しに来てくれたのよ。ねっ、菜桜ちゃん、ハワイの人って親切よねぇ、ホント」
 母には反省の色がまったくない。
「あのねぇっ、あの真ん前の席で、私がどういう気持で座ってたと思う? ダニーさんだって、あのあと私たちが険悪だから、イヤそうにこっち見なくなっちゃったじゃないのよっ! あれは相当怒ってたと思うわよっ。だいたい、このショーは、ハワイの『杉良』だっていうからお母さんも喜ぶかなって、わざわざ予約したんじゃないのよっ」
 そう、母は杉良太郎さんの大ファンでファンクラブにも入っているくらいなのだ。
 ある日、函館の実家へ帰ったら、「やあ、おかえり」と胸にSR(Sugi・Ryotaro)と刺繍(ししゅう)がしてあるジャンパー(ファンクラブの通販で買ったらしい)をそうとは知らずに着ている父に出迎えられ、オルゴールを開ければ『すきま風』が鳴り出し、やれやれと寝る時には桜吹雪の杉良サイン入りの毛布を掛けられるという、杉良太郎さん一色の我が家に驚いたことがある。
「それが余計なことだっていうのっ」。母はそう言うと、そっぽを向いた。
『余計のことって何??』。母に詰問した。
「ハワイの杉良なんて、そんなニセ者ぜんぜん見たくなかったのよっ、最初っから」
『えっ? 熱狂的ファンとはそういうものなの?!』
 複雑な中年女性の心理に納得しかけたが、いやいやそれで許すわけにはいかない。
「じゃ、なんで初めからイヤだって言わないのよっ」
 私はショーの代金二〇〇ドルがますます惜しくなってきた。すると母は子供のように呟いたではないか。
「カハラヒルトンには行ってみたかった。杉さんのハワイの家がカハラ地区にあるっていうから」
 開いた口がふさがらなかった。
 つまり、こういうことらしい。
「ハワイに来たいと言ったのも、そこに杉さんの家があるからで、彼が家族をそこに住まわせるほどに気に入っている場所を、一度自分もこの目で見てみたかった」と。
 で、
「もしかしてカハラヒルトンの庭に出れば、それらしい家でも見つかるのでは?」
 と考えたというのだから、あきれる。
「あのさぁ、カハラったって広いんだからさぁ」
 私がホノルルの地図を出して来て言うと、
「ううんっ、ほんとは家に行きたいわけじゃないの、それは家族の人の迷惑になるから」
 と目を潤ませた。これではまるで、恋する乙女である。
 母はただ、「ハワイに着いてカハラに来た。杉さまの家に近づいた」というだけで、十分満足したらしい。こうなるともう、これ以上「なにをかいわんや」である。
 私はグッタリ疲れて、倒れるようにベッドへ横になった。
「あぁーっ、菜桜ちゃん、お風呂場の窓の景色もきれいよぉーっ!」
 遠くの方からする母のはしゃいだ声を聞きながら、残された日程の間に間違いなく起こるであろう珍事を憂慮しつつ、私は深い眠りへ落ちて言ったのだった。



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