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©Karin Sonoyama/Sakoyan


第四話 あの、不気味な電信柱の謎が解明した。  七月二十四日


 今日は週に一度の登校日。いつものように、学校には十分前に到着。六人の生徒のうち、私は大抵三番目に教室に入る。毎回真っ先に登校するのは由美と光子。今日もすでに、二人揃っていつもの窓際の席に着いている。

「おはよう」

「おはよう、シーコさん!」

 二人の挨拶は、ハモったようにピタリと揃った。いつものように、私は彼女たちのすぐ後ろ、窓側の、前から三番目の席に着く。椅子を引きながら、机の上、右隅のイニシャルに目を通す。濃いめの鉛筆で書かれた『SY』。席は自由だから、好きなところに座っていいことになっている。だけど、ここは私の席だと決めている。理由は誰にも話したことが無い。由美と光子にも。なのに二人は、訳を聞こうともせず、私の指定席だってことを認めてくれているようで、この席を避けて、いつも前の席に着いてくれる。そんな由美と光子は幼い時からずっと仲が良い。どこかへ出かける時も、いつもいっしょ。この村に同級生の女子がいない私には、ちょっと羨ましい。そのへんのことを彼女たちも分ってくれているのか、よく三人で遊んでいた幼稚園の時以来、ずっと疎遠気味だったのに、彼女たちが中学に入学してからは、昔のように気さくに接してくれるようになった。夏休みが繰り返すようになって、さらに親しくなった。ふくれもち係の同じメンバーでもあるし、何よりも私一人だったフォークソング部にも入部してくれたのが嬉しい。おかげで、登校日には寂しい思いをせずに過ごせている。

「録音してきたよ」

 着席するなり、私は鞄からフォークベスト全集のテープを取り出した。「わあ、聞くのが楽しみ!」…なんて、二人の嬉しそうな反応を期待したのに、なんか様子がおかしい。

「ねえシーコさん、今度のゲスト、二十一世紀から来たって本当?」

 由美が不安げに言った。

「うん…」

「ほら、本当でしょ!」

 由美の肩を、光子がポンと叩いた。

「えーっ、じゃあ第三次世界大戦が起こるって、やっぱり本当なの?」

 両手で顔を塞ぎ、由美は怯えた。

「ち、違う違う!」

 私は慌てて首を振った。三日前の大騒ぎ、中学生であの場にいたのは私だけ。二人とも公民館での出来事を見てはいない。やっぱり誠次郎おじさん、あのとんでもない妄想を、光子に喋っちゃったか。実は誠次郎おじさんは光子のお父さん。公民館で相手にされなかったから、きっと娘だけは話を真剣に聞いてくれると思ったんだろう。私の父といい、まったく野球バカトリオたちときたら、あんなにゴロベエ先生に怒られたっていうのに。

「ぜーんぜんそんなことないの。ただの勘違い。野球バ…、いや、お、お父さんたちの勝手な妄想なのよ。あはは」

 私は光子に気遣いながら、由美に言った。

 誠次郎おじさんが野球バカトリオのメンバーであることは、光子も分っているけれど、公民館での一件を誠次郎おじさん一人の妄想だって言ってしまったら、さすがに彼女がちょっと可愛そうだ。ここは我が父も同罪ってことにしておこう。

「なあんだー、そうだったの」

 光子が拍子抜けすると、今度は由美が光子の肩をお返しに叩いた。

「もう、光子ったら、人騒がせなんだから」

「だってお父ちゃん、『光子、良く聞けよ。将来、日本が大変な事に巻き込まれるぞ! 第三次世界大戦が起こるぞ!』って、もの凄ーく真剣な顔して言うんだもん。丸ごと信じちゃったよ」

「私、時間が元通りになっちゃったらどうしようって、真剣に心配しちゃったじゃないのぉー。あー良かったぁー」

 心配性の由美は胸を撫で下ろした。

「うちのお父ちゃん、巨人がずっと最下位のままだから、何でもかんでも悪い方に考えちゃうのよ。一昨日も『せっかくのオールスターだっていうのに、巨人の選手だけ、誰一人ヒットを打てない』って、一晩中落ち込んでたんだから。毎回、同じ結果だっていうのにさあ。まったくしょうがないよ、あの野球バカ」

「あはは…」

 光子、アンタは偉い! 自分の親のことはしっかり分ってたか。なんか、気を遣ってちょっと損した。

 ベルが鳴る数分前に、三年の博己先輩が登校して来ると、続けて同級生の和則と元信が駆け込んで来た。これで中学生六人全員。本来なら、三十人ほどの生徒で賑わっているはずの、三年A組のガランとした教室で、それぞれお気に入りの席に着いて、先生が来るのを待つ。ベルが鳴ってもすぐに先生が教室にやって来るとは限らないから、それまで雑談したり、本を読んだり、居眠りしたり、私たちは適当に時間をつぶす。

 開けっ放しの前の扉から、ひんやりとした心地良い風が流れてくる。ふと外に目を向けると、裏山の木々が大きく揺れている。今日はいつもよりも風がある。私は風の通りをもっと良くしようと、少しだけ開いていたガラス窓を横に押しやった。向かい側の一年A組の教室から、小学生たちの声が聞こえてくる。きっと悪ガキたちが騒いでいるのだろう。

 登校日は、七月三十一日を除く毎週木曜日、一回の夏休み期間中に計五回ある。中学校の校舎を使って、小学生の登校日も同時に行う。

 村を囲む山の麓に、大きなグラウンドを挟んで小学校と中学校が仲よく並んでいる。小学校は鉄筋コンクリート三階建ての立派な校舎。だけど中学校は、昭和初期に建てられた木造のオンボロ校舎。小さな中庭グラウンドを囲むように、平屋の教室がコの字型に並んでいる。かなりガタがきている校舎だから、壁のいたるところに穴が開いている。じつに風通しが良い。

 小学校と中学校が、どうしてこうも差がついているのか、理由はよく分らない。近代的な設備ときれいな校舎で過ごした小学生の頃が夢のようだ。とは言っても、高井和先生が名付けた「タイムトラベル域」の境界線が、校舎のど真ん中をまたいでいるから、小学校は半分の教室が使用できない。「タイムトラベル域」内に閉じ込められている私たちは、その外に出られないのだ。境界線を越えたとたんに、一瞬にして越えようとしたところに戻ってしまう。今のところ人体に影響は無いが、しばらく足が宙に浮いたような不思議な感覚に陥るため、ゴロベエ先生の判断で、境界線にはできるだけ近づかないほうが良いということになった。そのため、小学生たちは中学の校舎を使用することになった。とにかく幸いだったのは、時間が繰り返すようになったのが夏だったってこと。冬が恋しくなる暑い日もあるけど、すきま風の攻撃にさらされる寒い日よりは、ずっとマシ。冬が繰り返すようにならなくて本当に良かった。

 ほどなくして、高井和先生が小脇に分厚い本を抱えて教室に入って来た。

「起立!…礼!」

 いつものように博己先輩が号令を掛ける。

「おはよーございまーす」

 挨拶は一応それなりにきちんとする。かといって、今から先生が黒板に問題を書いたり、指名された誰かが教科書を朗読するといった、通常の授業をするわけではない。

「おはよー、みんな揃ってるな」

 お決まりの先生の第一声。見れば分るから出席は取らない。そのかわり、まずは授業の前に、ちょっとした世間話を五、六分ほど交わす。第一回目の登校日の授業は、大抵は新しく訪れたゲストに関する話題から始まる。いつもだったら、和則が真っ先に口を出すけれど、今日は珍しく、

「椎子、この前はご苦労さん!」

 高井和先生が私に労いの言葉をかけて、ゲストの話題を切り出した。

「あ、いえいえ」

 キクばあちゃん、ゴロベエ先生に続き、これで三回目。こう何回も労らわれては、私もその気になってくる。キクばあちゃんの指示に従い、夢中で動いただけっていうのを、だんだん忘れてしまいそう。あと一回誰かに労われたら、たぶん調子に乗って、天狗になってしまうかもしれない。

「どうしたの?」

 振り向いて、首をかしげた由美に、

「ゲストが、ちょっとね」

 私は小声で言った。すると、

「先生、今度のゲスト、二十一世紀から来たんだって?」

 和則が割って入った。みんなには、ゲストがいきなり気絶したってことや、悪臭を放ってたってことより、二十一世紀からやって来たってことだけが伝わっている。

「ああ。確か…あれ? 椎子、何年だったっけ?」

「二〇〇九年」

「おおっ!」

 みんながどよめいた。

「ということは、今から…えーっと」

「三十四年後だね」

 無理に計算しようとしたバカな和則よりも速く、秀才博己先輩が答えた。

「おおっ!」

 みんなは更にどよめいた。そう、三十四年後! 私たちが、おじいちゃんやおばあちゃんになっている頃なの! …なんて、キクばあちゃんの姿を思い浮かべ、ヤケになってるのは私だけのようだ。ずっと先のことで、みんな、いまいちピンときていない様子でいる。

「先生、ゲストの名前、教えて」

 光子が手を挙げた。

「それがねえ、…まだ分からないんだ。なあ、椎子」

 由美が、本当なの? って顔で振り向いた。私はちょっぴり引きつった笑顔でうなずく。

「二十一世紀からやって来たってこと以外は、まだ何も教えてもらっていないんだよ。着いて早々に気分が悪くなったみたいでね、祐輔の家でずっと休んだままなんだ」

「えー、大丈夫なの?」

 心配そうに由美が声を上げた。

「どうやら疲れがたまっているらしい。しばらく休んでいれば大事はないそうだ」

 高井和先生は、ゲストを気遣っているのだろう。爆竹で気絶したことや、野暮ったい格好で悪臭を放っていたことには触れなかった。やっぱり、むやみにペラペラとしゃべるのは良くないな。狭い岩柿村だから、そのうちみんなに知れ渡るのは時間の問題だろうけど、それまで私も黙っていよう。

「そういえばさあ、小六の時、二十一世紀の自分に手紙書いたよな」

「あ、書いた書いた!」

 和則と元信が嬉しそうに手を叩いて言った。そういえば書いたっけ。二十一世紀の自分宛に夢や希望を書いて。

「ほう、作文の授業でかい?」

「ううん、卒業記念」

「卒業記念?」

 先生が首を傾げるのを見て、私は、

「卒業記念のタイムカプセルなの。二十一世紀になったらみんなで開けようって、クラス全員が自分に宛てた手紙書いて、校庭の隅に埋めたんです」

 バカな和則の説明不足を補った。

「タイムカプセルかあ。それはロマンがあって良いね」

 手を顎に当て、先生がうなずくと、

「俺、そん時の夢は宇宙飛行士だったからさあ、『かぐや姫に会ったらよろしく言っておいて下さい』って書いたんだよなあ。今思えば、火星人にしとけば良かったかなー」

「俺は新幹線の運転をするのが夢だったから『ひかり号で時速三百キロをとっぱ』って書いた! 俺も新幹線じゃなくって、リニアモーターカーにしとけば良かったよ」

 と、和則と元信が続けざまに懐かしんだ。この前、ゲストに質問していた祐輔や寛太と、なんか似たようなことを言っている。君たちの思考能力は、やっぱり小学生並みなんだな。

「おいおい二人とも、せっかくタイムカプセルに込めた夢なのに、もう諦めたのか?」

「だって先生、いろいろとやりたいことが増えちゃってさあ」

 和則、そのやりたいことって鶴光のハガキだろうに。夢の質がずいぶんと下がったものだ。まあ君には、ハガキのほうが相応しくはある。

「しょうがないなあ」

 先生も呆れて苦笑い。

「じゃあもう一回、宇宙飛行士の夢、復活させようかな」

 和則がノー天気な発言をかまし、元信がもっともらしくうなずいた。私たち女子三人はこらえきれず思わず口を押さえた。富美蔵おじさんの親戚で、いつも無表情を貫いている博己先輩も、さすがに眼鏡の奥で目が笑っている。夢を語るのは大いに自由だけど、鶴光にハガキを書くこと以外は、努力や勉強といった言葉と、ほぼ無縁の男。そんなんで宇宙飛行士になれる訳がない。それは元信もまったく同じ。なんて思ってたら、高井和先生がとどめの一発を言い放った。

「だったら、今の百倍は勉強しないといかんな」

「……!」

 先生は二人に活を入れるつもりで言ったのに、和則と元信は、

「あ、やっぱり止めた」

「俺も」

 速攻で夢の復活を諦めた。


「シーコさんたちって…、いいなあー」

 突然、由美が羨ましそうな顔をした。

「え?」

「素敵な卒業記念なんだもの。私たちのって…」

「そうそう、植樹だったんだよねえ…」

 由美と光子は顔を見合わせ、溜め息をついた。

「植樹だって良い記念じゃないか」

「だって先生、ソテツよ? 予定してた桜の苗木が枯れたからって変更になったんだけどさあ、もみの木とかポブラとか銀杏とか、ロマンチックで素敵な木はたくさんあるのに!」

「そうそう! よりによってソテツだもん!」

「ソ、ソテツだって、とても素敵だと思うけどなあ…」

「だって、いかにもぎすぎすした感じで、全然良くないわよ。ねえ」

「ねえ」

 由美と光子には、私たちのタイムカプセルが、よっぽど素敵に思えたのか、自分たちのソテツには、どうしても納得いかないようだ。

「きっと二十一世紀には、感動的な大きなソテツに成長していると思うぞ」

 二人をなだめる先生に会わせて、私も即席の笑顔でうなずく。なのに和則と元信は、

「ソテツじゃなあ」

 と、ニタニタ笑って火に油を注ごうとしている。このままじゃ埒があかない。

「ねえねえ、博己先輩たちの卒業記念って、何だったの?」

 私はとっさに、後ろの席で静観している博己先輩に話を振った。一瞬、息のつまるような妙な間を置いて、

「トーテムポール」

 博己先輩はボソッと答えた。

「あ、あれか…」

 私が五年生の時に、いつの間にか砂場の横に居座ってた、あの三本の不気味な電信柱がそうだったか。先輩には絶対に声を出しては言えないけれど、私たち下級生からは、邪魔だし気味が悪いって、厄介ものにされてたっけ。でも、おかげで、

「はあーん」

 由美と光子は納得したようにうなずき、機嫌がたちまち直った。きっと、ソテツがトーテムポールに勝ったとでも思ったのだろう。

「とにかく、記念というのは、その時に関わった人たちには大切なものだ。どんなものでも、いつかきっとその価値が分る時が来るさ」

 先生はそう言って、持って来た本を開いた。

 先生のいつものその仕草が、授業開始の合図となる。授業といっても、私たちは自習形式で勉強する。登校日の時間割りは、午前中、五十分の授業が十分の休憩を挟んで二回あって、その後は四十分のお昼休み、その後は長くて二時間ほどの部活の時間に入る。授業の大半は復習。夏休みが繰り返すようになる前の一学期に習ったことを、各学年、それぞれ復習する。もちろん、もっと勉強したいところがある時は、多少の予習はして良いことになっている。だけど、必要以上の予習はしない。いろいろと秩序を守る生活のことを取り決めた村の話し合いの時に、小学校の今日子先生と佐百合先生、中学校の高井和先生たちが中心となって、私たち義務教育の生徒たちのことも話し合われ、毎日をだらだらと過ごして怠け者になってしまわないように、それまで、一度の夏休み中に一回しかなかった登校日を、五回に増やすことになった。

 授業内容は、先のことを勉強するよりも、習ったことをしっかり身に付けたほうが良いだろうということで、復習中心の自習に決まった。もしも正常な時間に戻った場合、私たち岩柿村の生徒たちだけが、突然、優秀な生徒になっちゃったら、学校中が大混乱を起こしかねないから、ということらしい。毎回開かれる歓迎会で、ゲストに未来のことを聞くのはオッケーで、授業の予習は制限するっていうのは、ちょっと矛盾しているけれど、宴会と授業とでは、主旨が違うからってことになった。まあ、歓迎会においては、未来のことを知りたいという願望は大いに沸いてくるけれど、勉強の場合はそうではないから、反論はない。…とはいえ、これまで並の成績順位だった私、正直に白状すれば、今のうちに予習をしておいて、時間が戻った時に秀才に生まれ変わって、クラスのみんなをアッと言わせてみたいというズルい変身願望は、少しはあったりする。

 ノートに記入したところは、次の夏休みには全て消えてしまうけれど、知識はしっかり蓄積されるから、教科書を見ながら、計算式や文章をそれぞれのノートに記入していく。その間、高井和先生は私たちの邪魔にならないように難しそうな物理の本を読んでいる。もちろん、読書以外は何もしないわけではない。疑問点があれば、先生に見てもらうことになっているし、時折、一人一人をじっくりと時間を掛けて見て回ってくれる。

 今日はまだ、誰も先生の助けを必要としていない。木々のざわめきの節に乗って、カリカリと鉛筆の音が静かに踊る。そんな時間が二十分ほど流れた時だった。

「先生、例の仮説、何か進展ありましたか?」

 ふと、博己先輩が先生の読書をさえぎった。教室の隅で、先生はゆっくりと顔を上げ、

「ああ、だいぶ、まとまってきたよ」

 と、めくりかけていたページを戻した。

「良かったら聞かせて!」

「聞きたい! 聞きたい!」

 すかさず由美と光子が手を挙げる。

「俺も俺も!」

 と、和則と元信が続いた。わずかに出遅れたけど、もちろん、

「私も!」

 手を挙げた。

「よし、じゃあ久しぶりに、特別授業といくか!」

 先生の目が、本から黒板へと移動する。私たちが拍手を送ると、立ち上がってチョークを手に取った。

 高井和先生の特別授業『タイムトラベル現象の仮説』は、これまで何度も行われてきた。たまに、先生から言い出すことがあるけれど、大半は私たちが催促する。最初の仮説を聞いて以来、私たちは先生の仮説を支持するようになった。正直に言えば、私は物理学というものにはあまり興味がないけれど、高井和先生の仮説は別。この村に起きている現象の謎を、なんとか解明してほしい、っていうのもあるけれど、何よりも、そのたとえ話が面白いから、ついつい聞き入ってしまう。「あくまで、素人が考えた仮説だから」って、先生は自分で言っているし、それを証明できたことも、今まで一度もない。だけれど、妙に説得力があるから不思議だ。特別授業を重ねるごとに、その力は増していく。

 高井和先生が前に教えていたのは、英語と男子の体育。だから物理は専門外。この村に閉じ込められてから、タイムトラベルの原因を突き止めるために、物理学の勉強を始めた。自宅として使っている職員室裏の宿直室で、いつも難しい本を読んで研究している。研究書は、図書室に置いてあった数冊と、夏休みが繰り返す前に、理科の田霜先生がたまたま学校に持ってきていた分厚い本。最初はほとんど理解できなかったらしいけど、今では「もっと詳しい本が必要だ」と言っている。いつも機敏に行動していた先生が、このごろは仮説について考え事を始めたら、何時間も動かなくなってしまうほど没頭する。英語を教えていた時の先生からは、想像できない。

「この前は、どのあたりまで話したんだっけ…?」

「時間差電波のとこです」

 眼鏡を押し上げ、博己先輩が答えた。

「先生、よかったらもう一回、最初から話して!」

 光子がリクエストした。

「じゃあ、おさらいも兼ねて、そうしようか」

 そう言って先生は、黒板にチョークを走らせた。決して上手とはいえない川と笹舟の絵を描き、時間の流れを川の流れに置き換えて、解りやすく説明してくれる。

 時間というのは、まっすぐな川の流れのようなもので、私たちの世界は、その上を流されて行く、横一列に並んだ笹舟と同じなのだという。たくさんの笹舟が、まったく同じ速度で同じ方向に流されるから、笹舟に乗っている人たちは、他の笹舟へ自由に乗り換えることができるらしい。だけど、何らかの原因で、突然、川の流れが曲がってしまった。すると、曲がったところの内側に渦ができ、そこへ、たまたま私たちの笹舟が通りかかり、その渦に捕まってしまった。やがて、同じところをぐるぐると回り出して、渦から抜け出せなくなった。私たちの笹舟、つまり、この岩柿村は本来の時間から外れてしまい、他の笹舟たちへ乗り換えることが出来なくなった。渦は四十二日周期で回転し、たまたま時期が重なって、私たちは夏休みを繰り返すようになった。


 時々、時間差電波が発生するのは、時間の渦に捕まっている証拠だという。時間差電波というのは、テレビやラジオで発生する異常現象。いつもは、昭和五十年の七月二十日から八月三十一日間の、毎回同じ番組を受信しているテレビとラジオに、たまに、数年前の番組が流れることがある。過去の電波が、私たちに追いつき、時間の渦をかすめて通り過ぎて行っているらしい。

 岩柿村がその渦に捕まるきっかけを作ったのは、やはり、あのピンクの雲と、モアイ村長の失踪事件が関係しているらしい。ピンクの雲が発生したあの日、モアイ村長を乗せた最終便のバスが、岩柿村の停留所から突然姿を消した瞬間から、私たちの村は同じ時間を繰り返すようになってしまった。だから、ピンクの雲の発生と、モアイ村長の失踪事件が、時間の渦を発生させた原因だと先生は断定した。しかし、ピンクの雲の正体が何なのかは、先生は今のところまったく解らないと言っている。

 はぐれた時間の流れは、絶えず元の流れに戻ろうとしている。だけど、私たちの笹舟が元の流れに戻るには、たぶん、モアイ村長がこの村に戻ってこなければならない。そんなふうに仮説を立てた先生は、さらに、未来からゲストが訪れるようになった現象を、こんなふうに推理した。

 あの日、岩柿村のバス停に止まっていた最終便のバスだけが、時間の渦を抜け出し、未来へ流された。だけど、本当は誰も乗っていなかったはずなのに、バスが消える直前に、モアイ村長が飛び乗ってしまった。もしもモアイ村長が乗らなかったら、無人のバスだけが消え、おそらく、私たちの笹舟は時間の渦を一周したあと、また元の時間の流れに戻ったのではないか、と先生は考えた。本来はここにいたはずの村長が、バスに乗ってタイムトラベルし、10年後の未来で下車してしまった。そこへ、たまたま最初のゲストが入れ替わりに乗車してしまい、この村へ訪れる羽目になった。四十二日後、バスは再びゲストを乗せて元の未来へタイムトラベルし、モアイ村長とゲストは入れ替わった。そうして、バスは岩柿村へ戻ろうとした。ところが、入れ替わっていたのは別の時間のモアイ村長だった。その影響で、バスは別の未来へタイムトラベルしてしまった。別の時間の村長は、そこで下車してしまい、替わりに二番目のゲストが乗車し、村へ運ばれてきた。

「つまり、それを何度も繰り返すようになって、さまざまな未来のゲストが、この村に訪れるようになった、というわけだ」

 一通り説明し、先生は息を一つついた。

「なるほど」

 和則が、もっともらしくうなずく。

「じゃあ、未来には、同じ格好をしたモアイ村長が、いっぱいいるってことなんですね?」

 博己先輩が、めがねのズレを直しながら言った。

「お、良く気がついたね」

「えーっ? どういうこと?」

 元信が唸った。私の頭も次第に混乱していく。モアイ村長がいっぱいいるって、どういうことなの?


確かに、私たちが繰り返している夏休みは、同じ時間のようでまったく同じじゃない。風が吹く日だって、前回の同じ日とは、風向きや強さが微妙に違うし、夕立の日だって、降り出す時間が微妙にずれていたりする。テレビやラジオの番組だって、ほとんど同じなのだけど、言葉の一部が違っていたり、出演者の動きがわずかに違っていたりと、実は、微妙に毎回違っている。それに、何よりも、毎回違うゲストが訪れるたびに、私たちは、違う対応をして過ごしている。

「時間を繰り返すごとに、別の次元の岩柿村が増えて行く。つまり、バスが消えるごとに、別の次元の村長が、未来へタイムトラベルしているってわけなんだ」

 先生は腕組みをしながら、大きく息をついた。別の岩柿村が増えて行くってことは、別の私が増えて行くってことになる。奇妙なことなのに、今日の先生は、いつもより説得力がある。確かにそうだ、と思わせる。…だけど、どうしても気になることがある。たぶん、みんなが気になっていること。

「先生、ちょっと質問していいですか?」

 私が控えめに手を挙げると、みんなは驚いた顔で注目した。

「おっ、椎子が質問なんて、珍しいな。何でも質問してくれ!」

「あの…、本来、私たちが過ごしているはずの、正常に流れている時間、その時間の岩柿村は、どうなっているんですか? 別の岩柿村が増えているんなら、その度に、村ごと入れ替わっているってこと?」

 由美と光子が、同調するようにうなずいた。彼女たちも、やはり気になっていたようだ。すると、

「そりゃーやっぱり、穴がぽっかり空いたみたいに、何にも無いんじゃないの? おれたち、ここに居るんだから」

 和則が割って入った。元信も、当然だという顔をしている。

「それは…どうかな」

 すかさず否定したのは、博己先輩。

「入れ替わっているにしろ、穴が空いているにしろ、もしもそんな状態になっているとしたら、未来じゃ、大変なことになっているはずだよ。だから、あり得ないと思うよ」

 高岩先生のように腕を組み、博己先輩はさらりと言った。和則と元信は、とたんに唸った。どうして、あり得ないって解るのだろう。納得しかけていたのに、私も再び混乱し始めた。すると、高井和先生が、

「その通りなんだ!」

 大きくうなずき、声を強めた。

「私も最初は、別の村が入れ替わり続けているかもと思った。もしかしたら、和則の言うように、何も無いんじゃないかとも思った。だけど、もしもそんな状況だったら、日本中、いや、世界中が大騒ぎになっいてるはずなんだよ」

「な、なんで?」

 元信が呆然となった。

「ゲストの誰もが、この村のことを知っているはずだからさ。『世界で最も不思議な村』としてね」

「あ…確かに」

 光子がポンと手を打った。今までのゲストは、みんな他の都道府県から訪れている。だからどのゲストも、岩柿村なんて、未来では行ったこともなければ、聞いたこともないという人ばかり。もしも『世界で最も不思議な村』になっているとしたら、世界中のマスコミが村に押し寄せ、テレビで大騒ぎしているはず。そんな状況になっているとしたら、ゲストが知らない訳がない。確かにその通りだ。

「じゃあ…、どうなってるのっ!?」

 由美が不安そうに声を上げた。

「答えは一つ。もう一つの我々が、正常な時間に、存在し続けているってことになる」

 先生は再び腕を組み、静かに息をついた。

「それじゃあ私たち、永遠に元の時間に戻れないの?」

 由美はさらに不安になって、声を震わせた。

「いや、たぶん、最初にバスに乗った村長が、再び乗車すれば、この村に本来の時間が戻るのではないか、と思っている」

「もし、ずっと戻らなかったら…」

「う、ん…」

 高井和先生が言葉をつまらせ、由美の顔が、今にも泣き出しそうに歪んだ。

「ゆ、由美! 今の話は、あくまで、あくまで仮説の一つなんだから! 不安にさせたのは悪かった! 謝る!」

 先生は、心配性の由美を慌ててなだめた。すると、タイミングを計ったようにベルが鳴った。

「私の仮説が事実だという証拠は無いし、もしも時間が戻った場合、今の仮説のままだと、もう一つの我々と現在の我々が、入れ替わらなきゃならないっていう最大の矛盾があるんだ。だからみんな、あんまり深く考えないでくれ」

 高井和先生は、そう言って物理の本を小脇に抱えた。


 今回の特別授業、いつもより複雑で、かなり混乱してしまった。結局、なぜ、モアイ村長はタイムトラベルを続けているのか…、そもそも、この村だけが、どうして時間の渦に捕まってしまっているのか…、まだまだ謎はたくさん残っている。だけど、特別授業のたびに、先生の仮説は、次第に具体的になっていく。本当に、全て解明できるのかもしれない。そんなふうに感じさせてくれる。とはいえ、由美のように、不安を感じてもいる。このままずっと、同じ時間を過ごすことになるのかも…。混沌とした思いが、私の心の中で渦を巻きだす。もしも、もう一つの岩柿村が、正常な時間に存在しているのなら、吉澤先輩ともう一人の私は、どうなっているだろう。先輩へノートを渡している、もう一人の私の姿が頭をよぎった。机のイニシャルに目を移しながら、私はため息をついた。


 二時間目の授業は、私たちはずっと自習の時間を過ごした。その後、お昼の弁当を食べ終わる頃まで、何度も心地良い風が教室の中を吹き抜けた。今までの七月二十四日には、これほど多くの風は吹かなかった。先生の仮説通り、微妙に違う、いつもの時間が流れた。

 部活の時間になって、私たちフォークソング部は、校舎の隅の音楽室に集まった。由美の不安はすっかり消え、いつもの和やかな部活が始まった。足付きのステレオで、ボリュウムを大きめにして私のテープを聞いた。男子たちは、下の大グラウンドでソフトボールをやっているし、小学生たちは、お昼は自宅で食べるから、とっくに下校している。校舎には私たちだけだから、誰にも気兼ねなく大音量で聞いた。途中、嬉しいことに、男子のスポーツ部の助っ人として遊びに来ていた青年団の清行兄さんが、私たちのフォークグループ結成のことを聞きつけ、わざわざ自宅に戻って、モーリスのフォークギターと、音楽雑誌の付録のギターコード集を届けてくれた。しかも、無期限で貸してくれるという。元から学校にあったクラシックギター一本で始めるつもりだったから、もう、大感激!

 で、結局、私が念入りに選んだ『フォークベスト全集』より、裏面のNSPの『さようなら』という曲が、なんだか一番簡単そうだということで、全員一致で練習曲として選んだ。それから、清行兄さんのアドバイスで、ボーカル、リードのフォークギター、サイドのクラシックギターのパートに分けることにした。ボーカルは一番唄が上手な由美、リードはFというギターコードを押さえて、なんとか弦の音を出せた私が、音がかすれた光子はサイドを担当することになった。

 たった三人で、いつものんびりと、レコードを聞いているだけだったフォークソング部は、にわかに活気づいてきた。


第五話へつづく…

illustration  SAKOYAN


この本の内容は以上です。


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