目次
まえがき
最初に
生まれてから〜幼稚園の頃
誕生:
当時の流行、習い事:
小学生の頃(最初の不安症状?)
喘息の発作・母親のパニック発作(らしきもの):
理科系な思考・マニアック人生に走って行くワタクシ:
祖母の病気・電子回路に興味を持ち出したキッカケ:
電子音楽ごっこを始める:
最初のハッキリした不安症状(多分パニック発作):
受験戦争・またまたマニアな収集癖:
中学〜高校中退
受験に失敗して入ったのに当たり学校だった:
神父様を騙してバンドを始める!:
問題の起こり始め:
病気を作りに病院に行く:
学校に行かれなくなる:
激しい発作〜ローランドに紛れ込む
自然食療法に断食道場:
一番ひどかったパニック発作:
もしかして、これが救いの道?:
小さな挑戦・私にとっては大きな挑戦:
冷や汗かきながらアルバイト
高校中退で重役出勤:
ヤマハ資料室での勉強:
コンテストで入賞する:
日本初のシンセサイザー・デモンストレーターになる:
当時の私の笑っちゃう恐怖心克服法:
かなり本格的にレコーディングの仕事に関わる:
恐怖の大阪出張:
上智ニセ学生〜音楽業界に紛れ込む
黒人ギタリストのバンドに誘われる:
原久美子のバックバンドを結成:
レコード会社との接点を作る:
作曲家と知り合う:
バンド苦闘時代
まことちゃんでグワシ!
フュージョン/ロックバンドへの参加:
六本木や◯ざスタジオ事件:
レコード会社に冷遇される:
初めて音楽担当したアニメが大ヒット
うる星やつらの音楽を書かせろ!と売り込む(超無謀):
若気のいたりでベテランの意見を無視!:
いよいよテレビの音楽を書く・私流の作曲技法:
ドキドキの番組スタート!:
1200万円の楽器をタダで使えるようになる
新しいメンバーとの出会い:
夢の楽器フェアライト:
1200万円の元を簡単に取る方法:
1200万円の楽器を、もう一台買ってもらう:
華々しいデビュー計画!しかし...:
久々の発作:
筑波科学万博のテーマ曲を担当
日本一大きな仕事か?!:
仙台で発作!蕎麦屋を探して怪しいエリアに...:
高級マンションを借りてみる:
病人状態で NY へ〜新たな問題=失明
憧れの音楽家から仕事を頼まれる:
どんどん故障した人になる:
気持ちが高揚していると不安が和らぐ:
もう一つの異変・網膜剥離:
日本ではハズレ、アメリカでアタリ!:
一応結婚してみた
ハワイの挙式が怖くて...:
左目だけで子供を抱っこする恐怖:
自分がパニック障害だと知る
え?これって病気なんすか?:
初めて心療内科に行く:
Jasrac のドタバタ会議でも平静を保てるようになる:
色々な挑戦をする
高い所、映画館、美容室:
箱根に挑戦:
ラジオの生番組やコンサートに出てみた
永六輔さんの生番組に出演:
コンサートに出演してみる:
アメリカに行ったらテロが
たまたまアメリカに送ったデモテープから:
薬の量2倍の効果:
テロ前日のニューアークへ:
癒される場所はあると実感:
で、帰れるんすか?:
で、その後
で、その後:
サンダーバードを作った本人と仕事をする:
役に立つかどうか分からないサゼッション
私のパニック障害/広場恐怖克服のアイディア
言い訳しない:
あとがき
最後に:

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華々しいデビュー計画!しかし...:

 この後しばらくの間、プロジェクト・グリーンとして音楽制作を行っていましたが、事務所の社長が「このグループを正式にコンピューターミュージックのグループとしてデビューさせよう」という事で企画を立ち上げたのです。これがTPOという名前のコンピューターミュージック最初期のグループとなりました。TPOではコンピューター音楽を中心に音楽制作を行いましたが、当時のコンピューターシステムはまだまだ不安定でライブ演奏には向いていませんでした。したがって、大きな仕事であってもコンサート形式で演奏するという事はほとんどあり得ず、広場恐怖でコンサートの苦手だった私には絶好の音楽活動の場となったのでした。

 TPOはお披露目ライブとして当時TBSが音楽番組としてはもっとも力を入れていた東京音楽祭のオープニングの音楽を担当する事になりました。この時にはさすがに「テレビの生本番に出演する」という事で緊張しましたが、不安発作は起こらずになんとか抜け切る事ができました。

 こうしてTBS系を絡めて下準備を整え正式に1983年の春からTPOとしてCBS/ソニーでレコーディングを行う事になります。これは企画を得意とする人たちが参画しただけあって中々強力な人脈が駆使されていました。その頃はTPOの打ち合わせというと、ソニーの役員向け会議室で会議が行われ、時として当時の会長だった大賀さんまで会議に参加するというえらい熱の入れようでした。丁度時期的にはレコードが無くなり「いよいよCDの時代が始まる」という時で、ソニーとしては「自社ブランドのCDプレイヤー、自社制作のCD、しかもその音源は全て最新コンピューターを駆使したデジタルミュージック、それを操るのは才能溢れる若手作曲家集団」というわけで製品戦略も含めて連日デモテープを作っては会議が行われるようになったのです。

 自分としては「高校を中退し、たいした学歴もないのに、こんな日本を代表する人たちに紛れて音楽が作れるようになり、しかも使う楽器は一流のプロでも購入を躊躇するような高額楽器を2台も使えるとは、えらい人生の前進だなあ」と不思議に思っていました。

 当時は本当に「なんでこんなに景気が良くて色んな仕事が取れて、思い通りになっちゃうわけ?」と思っていたのですが、その理由は、実は私たちが紹介された会社の社長が日本のポップスを作り出した重要な人脈の中の一人だったからだったのです。これについての真相は2009年末に角川書店から発売された「世界は俺が回してる」(なかにし礼著)を読んで初めて分かったのですが、要はこの本の中に登場する木村明子さんという女社長こそが、私が紹介された社長その人だったわけです。ちなみに信見さんは、この本の中でサミーというあだ名で登場しています。

 とは言え相変わらず不安発作と広場恐怖の根は残っていたため、活動範囲はあくまで東京都内、しかも港区中心という状況でした。しかし幸いにも日本の音楽というのはこの時期、ほとんど港区内で制作されていました。おかげで外出不安があっても問題なく現地に行く事ができたのです。そしてこの頃から打ち合わせでコーヒーを出される事が多くなり始めました。打ち合わせでコーヒーというのはごく当たり前の話なのですが「パニック障害ではコーヒーを飲んだ後に発作を起こすケースが多い」という報告があります(貝谷久宣著「脳内不安物質」等に記述がある)。実はこの時期から私も体験的に「どうもコーヒーを何杯も飲んだ後は不安な感情に捕われる事が多いような気がする...」と感じるようになり始めていました。

 コーヒーを飲んでしばらくすると何となくフラフラした感じになり、調子の悪い時には不安な感じがし、例によって脂汗とも冷や汗ともつかない物が出て来て視界が狭くなり耳が遠くなった感じで意識が遠のいた感じになるのです。この事には経験的には気づいてはいましたが「自分がパニック障害である」とは思ってもいなかったし、まだこの時期パニック障害というのは恐らく日本には病気の一種として認知されていなかったため、私としては「何か変な感じになる...」という程度にしか考えていませんでした。幸いにも高校時代に起こしたような激しい発作とは久しくオサラバできていました。


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仙台で発作!蕎麦屋を探して怪しいエリアに...:

 一応なんとかアチコチのイベントには参加し、いつものパターンで会場に着くとまずは一人で逃げ込めて逆立ちの出来る場所を探し、それから現場での打ち合わせという調子で仕事をこなしました。ですが、このくらい規模の大きなイベントともなるとスタッフ数も相当な物でトラックやスタッフ待機用のバスが何台もあり、隠れて逆立ちする場所には事欠かなかったので助かりました。しかし、その中で仙台に行った時に運悪く発作が起きてしまいました。

 この時は遠くへ行くのだから不安な気持ちにならないように、気を紛らす物!という事で、発売になったばかりの Apple IIc(日本で最初に買ったのが私)というコンピューターを買い、そのままそれを持って新幹線に乗り込んだのでした。Apple IIc は現在の Mac の祖先にあたるコンピューターですが、小型で軽いのが売りで、しかもゲームが沢山発売されていたので「ゲームソフトを持って仙台に行き、ホテルで遊んでいれば不安にならないだろう」と思ったのですが、いざ買って持ってみると、確かに本体は軽いのですが電源が重い!

 というわけで、この重い Apple IIc ワンセットを持って、いつものパターンでなんやかんやと言い訳をして遅刻し、わざとスタッフと一緒の新幹線に乗らないように細工をして一人で仙台に向かいました。ところが Apple IIc が重くて疲れたのと、車内でコーヒーを何杯もお代わりをしたのがマズかったのか、仙台のホテルに着いてしばらくすると急に意識がフワーっとし始め、不安が襲って来たのです。地方都市のしかも全く右も左もわからない状態でこの症状になられるとえらく辛いわけで、とにかく脂汗をかきながらベッドに横になり不安が去るのを待ちました。

 しかも苦労して持って行った Apple IIc はホテルのテレビにコネクター端子が無いため接続できず、気を紛らわす事も不可能でした。もちろん、この段階でもパニック障害とは知らないわけで、例によって低血糖症だと思っており、ベッドに横になる前にあわてて「チョコレートか何か低血糖症を直す食べ物はないか?」と荷物をチェックしたのですが何もなく、しかたがなく恐怖心と戦いながら部屋の天井を見つめていたのでした。

 しかし、例によって30分ほどすると体が動かせる状態にまで回復してきました。いつもの通り体中が筋肉痛でギシギシしてはいましたが「しめた!このチャンスに何か食べに行けば低血糖症が治る!」と思い、あわててホテルを飛び出し、どこに何があるのかもわからない仙台の町でお蕎麦屋さんを探しました。この頃もまだ昔のなごりで「肉類は胃に負担がかかる」「ウドンは漂白剤が入っているから体に悪い」と思いこんでいたので一番健康に良いと信じていた蕎麦屋を探して仙台の町をウロウロとしたのです。

 運悪くホテルの周辺には蕎麦屋がなく、蕎麦を求めて30分近くアチコチをウロついたのを覚えています。不安発作症状は治っているのですが、次にまたいつ不安になるかが心配で「とにかくお蕎麦を食べなければならない!」と痛む体に堪えながら歩いていると、しまいには怪しい街角に迷い込んでしまい、ソープランドの客引きのオッサンに腕をつかまれて「ニーチャンXXXやりに来たんやろ?安くしとくぜ!」と危なく店に引きずり込まれそうになりました。こっちはそれどころではないってのに!!!


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