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レコード会社との接点を作る:
しかし、ある意味で伴奏に徹する事ができずに派手なピアノを弾く私の演奏は一部関係者の注目を集めたのも事実でした。誰が弾いても大して変化の無い歌の伴奏に、いきなり違う発想を持ち込んでしまったからです。そんなわけでレコード会社の担当者には色々と声をかけられるようになりはじめ、原久美子だけでなく彼女が所属するレコード会社であるキティレコードのバックバンドの仕事が除々に舞い込むようになり始めました。またその頃キティレコードは色々な売れっ子アーティストを輩出し始めた時期でもあり、レコーディングスタジオを建てたりと右肩上がりの成長を見せ始めていました。ちょうど私はこのタイミングでキティに関わりだしたおかげで、用も無いのにスタジオやオフィスに出入りしては顔を売ったりしたのでした。
そんな活動をしながらもローランドでのアルバイトは続いていました。こちらは技術部でのハンダ付け作業から対外的な宣伝へと除々にアルバイト内容がシフトして行きました。ローランドで私を拾ってくれた技術部長は元々東京芸大のオルガン科出身で、銀座ソニービルの音の出る階段なんかを設計した人でもあります。私が「最終的に音楽製作の方に進みたい」という事を分かっていてくれた部長は「ローランドの製品を使ったレコードをレコード会社にもらいに行く」という仕事を任せてくれました。
今でこそローランドと言えば世界的企業ですが、その頃はまだまだ小さな会社で、しかも知名度が低かったのです。同社としては自社製品が使用されているレコードを上記の「ワウワウ」という機関誌で少しでも紹介したいという事情がありました。そこで私は色々なレコード会社の製作部門や宣伝部門に連絡を取り、担当者に会っては主旨を説明し、シンセサイザーが入っているレコードの見本盤を片っ端からもらって来ては中をくまなくチェックし、ローランド製品のクレジットが入っていたり、写真にローランドの名前が少しでも写っていればそれを取り上げ「ワウワウ」の編集長に報告していったのです。この作業のおかげで私はレコード会社の関係者と非常に親しくなる事ができました。
そして見本のレコードを取りに行くついでに自分の作ったシンセサイザー音楽のデモテープ類を片っ端から関係者にバラまいたのです。そうした中で、コロムビアとキングの2つのレコード会社の製作担当者が私に興味を持ってくれました。コロムビアでは「シンセサイザーが分かっていて演奏もできる」という事で作曲家の人に紹介され、テレビの「ドクタースランプ」のレコード等に参加させてもらったりしました。またキングでは当時発売されていたシンセサイザーのレコードシリーズのライナーノートにシンセサイザーについての解説を書く仕事をもらったりしました。さらにこの頃なると、ローランドも新たにショールームを作り、そこに機材を見に来た作曲家の人たちに紹介され、彼等の製作作業を手伝うようになり始めたのです。
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うる星やつらの音楽を書かせろ!と売り込む(超無謀):
そんな中で原久美子、クロスウィンドとディレクターを勤めて来た早川氏がテレビの「うる星やつら」の音楽担当ディレクターになる、という話しが持ち上がりました。私はうる星やつらの大ファンでした。実は私は最初の頃、少年サンデーは読んでいたのですが、うる星やつらは読んでいませんでした。理由は少年漫画雑誌に女性作家が、しかもSFギャグを描いてるなんてなあ...というわけでした(高橋留美子さんゴメンナサイ!)。
ところが原久美子バンドのリハーサルのあったある日、渋谷に向かう東横線の中でベーシストの奴にばったり合ったのです。彼はちょうど少年サンデーを読み終えた所で「安西さん、このうる星やつらって漫画メチャ面白いっすよ!」とすすめて来たのです。「まあどうせ渋谷まで暇だしひとつ読んでみるか」という事で読んでみたら面白い!というか奇想天外な発想にブッ飛んでしまったのでした。
ちょうどその号では「主人公あたるが間違って物質伝送機にノートと一緒に入ってしまい、ノートとあたるが合成され、あたるの顔を一枚一枚剥いていくと宿題の答えが書いてあり、クラスメートが全員で彼をペロペロとはがして行く」という話でした。この変てこな世界にすっかり魅了されてしまった私は早速本屋にうる星やつらの単行本を注文しに行ったのでした。まだその頃は最初の方の巻が出たばかりの頃で、いよいようる星やつらが盛り上がり始める前兆を見せ始めた頃だったと思います。
そんな事もあり早川氏に「うる星やつらの音楽なら俺が書く!!!」と言って自分を売り込んだのでです。実はその段階では私はまだ正式に作曲家としての仕事をしていたわけではありませんでした。もちろん音楽理論は習っていたわけですが、それらは作曲をするための骨組みを作るための技法であって、本来作曲というものは学問として勉強するようなものではありません。したがって作曲家という肩書きを持った有名な人であっても必ずしも有名な音楽大学を出ているわけではないのです。まあ、とにかくそれまでにポートピアの三金会のちょっとしたファンファーレとか程度は書いた事はあったのですが、テレビの曲をまとめて書くなんていう事は全くありませんでした。
それでも「もし頼まれればなんとかしよう」という結構お気楽な気持ちで売り込んでいました。するとしばらくして早川氏から「じゃあ、うる星やつらのBGM書いてみる?」と本当に打診が来たのです。私は二つ返事でOKしました。とは言え本当に書けるのかどうか?は実際にやってみるしかありません。唯一の救いは音楽理論を習っていた時に小舟幸二郎先生に言われた「ほら外で小鳥が2匹鳴いているでしょう?今勉強してる対位法というのはこの2匹の相互の鳴き方を音楽として捕らえたのを学問として勉強してるようなものなんだよ」という事でした。この言葉には「なるほど!」と感心させられました。「複雑にメロディーのからみ合う対位法(バッハのインベンションやフーガみたいな音楽)も小鳥達の会話を音楽で表現するとそうなるのか...」と一種の悟りが開けた感じでした。以後、仕事をしていてメロディー書きに煮詰まると庭に出て鳥や自然の虫達の鳴き声を聞いて初心に返る事にしています。
そんなわけで「困ったら小鳥の声を聞いて曲を書こう!」と思い、うる星やつらの音楽製作に取り組む事にしたのです。そして早川氏に話したのが音楽の製作方針として「ドタバタギャグであるうる星やつらにテクノポップの音楽を持ち込む」という事でした。この時期YMOをはじめとするテクノポップが全盛で、どこもかしこもコッキンカッキンと非人間的なリズムの音楽が氾濫し、それが時代の最先端という事になっていて、新しい物好きな人々はこぞってテクノカットなる髪型をして、それ系ブランドの洋服を着ていたのです。
しかし私にはこういった風潮が好きになれませんでした。まあ単にヘソ曲がりという事もあるわけですが「なんだよ!テクノとか言って偉そうにカルチャーだのなんだの言ってるけど、あんな音楽なんてドタバタアニメのBGMじゃん!」と強く思っていたのです。そこでこれを取り入れたアニメ音楽にしてみようという事で製作会議で早川氏と共に提案をしたのです。
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華々しいデビュー計画!しかし...:
この後しばらくの間、プロジェクト・グリーンとして音楽制作を行っていましたが、事務所の社長が「このグループを正式にコンピューターミュージックのグループとしてデビューさせよう」という事で企画を立ち上げたのです。これがTPOという名前のコンピューターミュージック最初期のグループとなりました。TPOではコンピューター音楽を中心に音楽制作を行いましたが、当時のコンピューターシステムはまだまだ不安定でライブ演奏には向いていませんでした。したがって、大きな仕事であってもコンサート形式で演奏するという事はほとんどあり得ず、広場恐怖でコンサートの苦手だった私には絶好の音楽活動の場となったのでした。
TPOはお披露目ライブとして当時TBSが音楽番組としてはもっとも力を入れていた東京音楽祭のオープニングの音楽を担当する事になりました。この時にはさすがに「テレビの生本番に出演する」という事で緊張しましたが、不安発作は起こらずになんとか抜け切る事ができました。
こうしてTBS系を絡めて下準備を整え正式に1983年の春からTPOとしてCBS/ソニーでレコーディングを行う事になります。これは企画を得意とする人たちが参画しただけあって中々強力な人脈が駆使されていました。その頃はTPOの打ち合わせというと、ソニーの役員向け会議室で会議が行われ、時として当時の会長だった大賀さんまで会議に参加するというえらい熱の入れようでした。丁度時期的にはレコードが無くなり「いよいよCDの時代が始まる」という時で、ソニーとしては「自社ブランドのCDプレイヤー、自社制作のCD、しかもその音源は全て最新コンピューターを駆使したデジタルミュージック、それを操るのは才能溢れる若手作曲家集団」というわけで製品戦略も含めて連日デモテープを作っては会議が行われるようになったのです。
自分としては「高校を中退し、たいした学歴もないのに、こんな日本を代表する人たちに紛れて音楽が作れるようになり、しかも使う楽器は一流のプロでも購入を躊躇するような高額楽器を2台も使えるとは、えらい人生の前進だなあ」と不思議に思っていました。
当時は本当に「なんでこんなに景気が良くて色んな仕事が取れて、思い通りになっちゃうわけ?」と思っていたのですが、その理由は、実は私たちが紹介された会社の社長が日本のポップスを作り出した重要な人脈の中の一人だったからだったのです。これについての真相は2009年末に角川書店から発売された「世界は俺が回してる」(なかにし礼著)を読んで初めて分かったのですが、要はこの本の中に登場する木村明子さんという女社長こそが、私が紹介された社長その人だったわけです。ちなみに信見さんは、この本の中でサミーというあだ名で登場しています。
とは言え相変わらず不安発作と広場恐怖の根は残っていたため、活動範囲はあくまで東京都内、しかも港区中心という状況でした。しかし幸いにも日本の音楽というのはこの時期、ほとんど港区内で制作されていました。おかげで外出不安があっても問題なく現地に行く事ができたのです。そしてこの頃から打ち合わせでコーヒーを出される事が多くなり始めました。打ち合わせでコーヒーというのはごく当たり前の話なのですが「パニック障害ではコーヒーを飲んだ後に発作を起こすケースが多い」という報告があります(貝谷久宣著「脳内不安物質」等に記述がある)。実はこの時期から私も体験的に「どうもコーヒーを何杯も飲んだ後は不安な感情に捕われる事が多いような気がする...」と感じるようになり始めていました。
コーヒーを飲んでしばらくすると何となくフラフラした感じになり、調子の悪い時には不安な感じがし、例によって脂汗とも冷や汗ともつかない物が出て来て視界が狭くなり耳が遠くなった感じで意識が遠のいた感じになるのです。この事には経験的には気づいてはいましたが「自分がパニック障害である」とは思ってもいなかったし、まだこの時期パニック障害というのは恐らく日本には病気の一種として認知されていなかったため、私としては「何か変な感じになる...」という程度にしか考えていませんでした。幸いにも高校時代に起こしたような激しい発作とは久しくオサラバできていました。
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仙台で発作!蕎麦屋を探して怪しいエリアに...:
一応なんとかアチコチのイベントには参加し、いつものパターンで会場に着くとまずは一人で逃げ込めて逆立ちの出来る場所を探し、それから現場での打ち合わせという調子で仕事をこなしました。ですが、このくらい規模の大きなイベントともなるとスタッフ数も相当な物でトラックやスタッフ待機用のバスが何台もあり、隠れて逆立ちする場所には事欠かなかったので助かりました。しかし、その中で仙台に行った時に運悪く発作が起きてしまいました。
この時は遠くへ行くのだから不安な気持ちにならないように、気を紛らす物!という事で、発売になったばかりの Apple IIc(日本で最初に買ったのが私)というコンピューターを買い、そのままそれを持って新幹線に乗り込んだのでした。Apple IIc は現在の Mac の祖先にあたるコンピューターですが、小型で軽いのが売りで、しかもゲームが沢山発売されていたので「ゲームソフトを持って仙台に行き、ホテルで遊んでいれば不安にならないだろう」と思ったのですが、いざ買って持ってみると、確かに本体は軽いのですが電源が重い!
というわけで、この重い Apple IIc ワンセットを持って、いつものパターンでなんやかんやと言い訳をして遅刻し、わざとスタッフと一緒の新幹線に乗らないように細工をして一人で仙台に向かいました。ところが Apple IIc が重くて疲れたのと、車内でコーヒーを何杯もお代わりをしたのがマズかったのか、仙台のホテルに着いてしばらくすると急に意識がフワーっとし始め、不安が襲って来たのです。地方都市のしかも全く右も左もわからない状態でこの症状になられるとえらく辛いわけで、とにかく脂汗をかきながらベッドに横になり不安が去るのを待ちました。
しかも苦労して持って行った Apple IIc はホテルのテレビにコネクター端子が無いため接続できず、気を紛らわす事も不可能でした。もちろん、この段階でもパニック障害とは知らないわけで、例によって低血糖症だと思っており、ベッドに横になる前にあわてて「チョコレートか何か低血糖症を直す食べ物はないか?」と荷物をチェックしたのですが何もなく、しかたがなく恐怖心と戦いながら部屋の天井を見つめていたのでした。
しかし、例によって30分ほどすると体が動かせる状態にまで回復してきました。いつもの通り体中が筋肉痛でギシギシしてはいましたが「しめた!このチャンスに何か食べに行けば低血糖症が治る!」と思い、あわててホテルを飛び出し、どこに何があるのかもわからない仙台の町でお蕎麦屋さんを探しました。この頃もまだ昔のなごりで「肉類は胃に負担がかかる」「ウドンは漂白剤が入っているから体に悪い」と思いこんでいたので一番健康に良いと信じていた蕎麦屋を探して仙台の町をウロウロとしたのです。
運悪くホテルの周辺には蕎麦屋がなく、蕎麦を求めて30分近くアチコチをウロついたのを覚えています。不安発作症状は治っているのですが、次にまたいつ不安になるかが心配で「とにかくお蕎麦を食べなければならない!」と痛む体に堪えながら歩いていると、しまいには怪しい街角に迷い込んでしまい、ソープランドの客引きのオッサンに腕をつかまれて「ニーチャンXXXやりに来たんやろ?安くしとくぜ!」と危なく店に引きずり込まれそうになりました。こっちはそれどころではないってのに!!!

安西史孝