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友だちの送迎

―あ。来た来た。おーい。

 駅の通りぬけに派手な帽子をかぶった男とその連れが一人。僕が読唇術を心得ているわけではないが、近づいてくるパシリを目にしてアツシがそう言っているだろうな、というのが手に取るようにわかった。今日のパシリスト(パシリとして働く任務の内容で、僕は勝手にそう呼んでいる)は駅から弟様のお友だちをお家まで一緒にお見送りすることだ。普段は気にしている八重歯を嬉しそうにちらつかせながら、勝手にトランクを開け、荷物を詰め込む。少し日焼けした顔は、まだ海外旅行のノリが抜けておらず、すれ違う不景気な顔のサラリーマンとすれ違うたびになぜかこっちがヒヤヒヤした。

「うえーい!オレ、卒業旅行から帰ったどー。」

「はいはい、お帰り。と、こんばんは。」

 一家の大黒柱のお帰りだぞー!並みに偉そうに車へと乗りこんでくるアツシ。その後には、この一週間ですっかり疲れ果てたお友だちが続いた。食事が合わなかったのか?それともアツシに生気でも吸われたか?…間違いなく後者だな。そう確信した僕はそんな不幸人間の顔を拝んでやろうと後ろを向いた。そこにはアツシとは同じ系列にいるに違いないが、明らかに線の細い男の子が申し訳なさそうに座っていた。僕の視線に気づくと、今度はその様子を悟られまいとこなれた調子であいさつする。

「こんばんはー。今日はよろしくお願いしまーす。」

「はいはい。近くに来たらナビしてね。」

 何だかアツシのいる世界では、いつもこんな調子でいなければならないようだ。こりゃあ面倒くさい。内心うへぇと思いながら、僕はゆっくりと車を出した。 

 家に着くと、お友だちは僕に何度も頭を下げて「ありがとうございました」と「おやすみなさい」を繰り返しながら、中へと入って行った。やれやれ、素が丸見えだ。でも、別に嫌な感じはしなかった。むしろあれくらい腰が低いはにかみ屋さんの方が大人ウケはいいと思うのだが。まぁ、いいか。ひと足早く家に帰還した彼の後ろ姿をぼんやりと目で追いながら、僕とアツシは全く別の話をしていた。

「なぁ、兄ちゃん。コーヒー買ってやるよ。缶だけど。」

「缶かよ!」

「いいじゃん。旅行代のせいで貧乏なんだよ。車そこに停めて。自販機あるから。」

「おぉ。」

 ケータイのボタンをたたく音が耳に入る。後ろでメールでも打っているのだろう。ほの暗く青白い光に包まれたアツシの顔がバックミラー越しに見える。僕はこの時のアツシの顔が少し苦手だ。瞬きを忘れた目は何だかうつろで、ぽっかりと口を開けて…僕たち家族の知らない、別の顔。一通り返信を送ったのか、手に持ったアイテムはいつの間にかケータイから缶へとかわっていた。

「オレ、あいつ嫌いなんだよね。」

 缶コーヒーのタブに苦戦しながらアツシはつぶやく。

「は?何言ってんの。」

「えー。あ、開いた。ハイ、兄ちゃんの。」

「おぉ。ありがと。そこのキーパーにさしといて。」

「了解。」

 カコン、とプラスチックにスチール缶のぶつかる音。アツシはケータイを開き、フゥとため息をついた。

「何かさ、全部オレに決めさせんの。そのクセ決まったことには文句言うしさ。この味は無理とか、クオリティーの割に金取る店だとか。旅行中、イライラしっぱなしだったよ。」

 ここで一つの疑問が浮かんだ。それは自分でも驚くほど素直に口をついて出る。

「何でそんなヤツと卒業旅行なんか行った?」

「え?」

「何で嫌いなヤツと会う必要があるんだ?」

「はぁ?兄ちゃんは嫌いな人間とは付き合わないの?」

 何を言っているのか全く理解できなかった。

「てか、嫌いな奴と海外旅行って!そいつに金と時間つぎ込んだのかよ。お前どんだけMだよ。」

 信号が赤になった。速度をゆっくり落として止まる。アツシは黙ったままだ。カーステレオから流れる音楽が耳に障る。高校に入ってから好きになったと勧められて一方的に僕の車に置いておかれているもので、彼がこの空間にいる間はいつも聞かされる。そしてどれが好きかとか、どの歌詞が泣けるとか色々言われるのだが、僕にはまだこのバンドのよさが今一つわからない。いつだったか、正直全部同じに聞こえると告白した時は「やっぱ恋愛経験が乏しいオタにはわからんか、このよさが」的なことを言われてムッとしたので、もうただのBGMとして流すことにしている。

 聞こえるか聞こえないかくらいの低くて小さい声がした。

「そんなんできたら…兄ちゃんみたいにできたら苦労しないよ。」

「え?」

「いや、何でもない。寝ていい?家に着くまで。」

「おぉ。」

 車は夜の道をすべるように走る。途中、鼻をすする音が聞こえたので、BGMのボリュームを少し上げ、静かに窓を閉め、エアコンをつけた。そのズズッというのはなかなか止まなかったが、しばらくすると隣りからはこちらにまで心地よさが伝わってくるような寝息に変わった。

 家に着くと、

「今日はゴメンな。迎えに来てもらって。コレ、土産。兄ちゃんだけは迎えに来てくれるってわかってたから特別な。みんなには秘密な?」

「おぉ。何か悪ぃな、逆に気ぃ遣わせたみたいで―」

 可愛いところもあるじゃあないか。そう思いながら手渡された紙袋を開けると、そこからはボールペンが一本転がり出てきた。そのフローティングボールペンは、傾けるとボンテージ姿のブロンドねえちゃんが裸になる細工のやつだった。急いでそれを袋にしまい、横をにらみつける。さっきまでそこにいたはずのアツシは、荷物を持って玄関まで走っている途中だった。振り返ると、いたずらっぽく笑って言った。

「オクテだからタマってんじゃないかと思って。オレ、超兄孝行!」

「おま!バカにしてんのか!」

「ははっ。冗談だって。もー、おカタいなぁお兄ちゃんは。早く入ろうぜ、飛行機の中超暑くてさ、チョコが溶けてるかもしんないんだ。」

 家に入ると、アツシはリビングでテレビを見ていた父さんと母さんにあいさつをしていったん部屋へ戻り、両手いっぱいのお土産を持って下りてきた。心配していたチョコレートは溶けておらず、安心したと何度も言っては飛行機で見た面白いおっさんのこととか、現地で出会ったタクシーの運転手の覚えていた下世話な日本語のこととかをデジカメで撮った写真を見せながら話している。嫌いな奴との旅行だったとはいえ、よほど嬉しかったのだろう。その表情はいきいきとしている。その様子を眺めながらチョコを食べる。

 

 やっぱりいつまでも僕の知っているアツシでいてほしい。いつまでもお調子者で、大好きな友だちにだけ囲まれてリーダーを気取るちょっとウザい人気者。誘われたのを断れずに、嫌いな奴と無理して旅行に行くような、そんなことをしてまで続けなければならない人間関係に一生懸命しがみついて欲しくない。大人になるにつれて、これからもっと苦しくなる環境が待っているというのに、そんなに早く苦しむ必要があるのだろうか。できれば今だけでも楽しくいてほしい。そう思うのは僕のワガママだろうか。

 

 次の日に、母さんに買い物を頼まれて車に乗った。昨日の夜のままになっていたカーステレオからはあの賑やかなバンドの歌が流れる。いつもなら不快になってCDを替えたり電源を切ったりするのを、今日は何を思ったか放置してじっくり聞いてみることにした。タイミング良くアツシイチオシの曲が始まる。やっぱり同じようにしか聞こえない。何だか悔しいのでリピートボタンを押し、数年前に練習した英語のリスニングテストの要領で何度も聞き返した。そして何度目かで急に聞き取れるようになってハッとした。その曲は、生きることに疲れて傷ついた人間に向けられた、全部包み込んであげるよ、と言う癒し系応援ソングだったからだ。

 今日もまたパシリだ。お使いの帰りに掛ってきた電話を運悪く取ってしまったので、にわか雨に打たれたアツシを駅で拾うハメになった。通り抜けに入ると、屋根のある出口から一人のオシャレ少年がこちらへと駆けてくる。いつも僕をバカにして笑っているアツシの顔からは雨が滴り、今日は何だかいつもより小さく、泣いているように見えた。


DVDを借りに

 深夜にテレビをつけると、見覚えのある女の子キャラが水着ではしゃいでいた。この茶髪に尋常じゃない胸の大きさ…間違いない。アツシのお気に入りちゃんだ!僕はアツシの部屋まで駆けて行って、声を掛けようとした。でも、部屋の前まで来て、何を言ってどうするのか冷静に考えてみると…何も出てこないことに気付き、何だか笑えてやめた。考えてみれば懐かしいものだ。もう半年も前のことだったのか。

 

 世間では「お兄ちゃん」と言い兄を慕う女の子に注目が集まっているが、残念ながら生物学上でXの隣りにYを勝ち取ってしまったのが僕の弟だ(まぁ僕もそうなんだが)。もし妹だったら。アツコと仮定しよう。僕よりも背の高い妹が、家に僕の姿を見つけるたびに「そこまで送って」とせがみ、ケータイでつかまろうものなら「迎えに来て」とあの忌々しい呪いの言葉を述べる。容姿?今のアイツとつき合っている女の友人の格好を思い浮かべれば十分だ。でっかくてオシャレ街道まっしぐらな妹。ミニスカ?ニーソ?いや、ちっとも萌えないね。こうした類のときめきは、ないものねだりの幻想に過ぎない。僕は店長オススメの妹に萌えるアニメDVDをそっと棚の目立たないところへしまい、ハーレム系の学園ものをそのかわりに並べた。そんな僕がいるのはビデオ屋。もちろんアツシにアシにされた。

 

「兄ちゃん、オレ眠れない。DVD借りに行こう。」

 運動会での興奮状態が収まらないのと、一日中陽にあたっていたせいで体がじんわりと熱を帯びているせいでベッドに入っても目がらんらんとして一睡もできないと主張するアツシ。真夜中に兄貴の部屋のドアをたたくに至った理由を述べながら、パーカーのフードについたヒモをいじっている。なるほど、「ちょっとそこまで出かける」支度はばっちりというわけだ。明日が(厳密に言うと今日なのだが)代休だからと調子に乗っている。いい気なもんだ。

 

「何、兄ちゃんそんなん見るの?」

「は?」

「オレは…その茶色の髪の子だな。そう、その巨乳の。兄ちゃんは?」

「は、え?」

「うーん。兄ちゃんはなぁ、当ててやるよ。えーと…この子!このメガネのいかにもおねーたま系の。」

「いや(いや確かにドンピシャだけど!)、おま…(お前、人が見てて恥ずかしくないのかよ)!」

 同じコーナーに一組のカップルがやってきて、僕たちの姿を見てクスクス笑っている。アツシにとってはそんなの気にもならないだろうが、注目されることに慣れていない僕は顔から火が出そうだった。そこで、我が弟様がかしこらしく何か言っているのそっちのけでアニメコーナーから退散することにした。

「やっぱ長男は甘えたい気持ちが強いんかな~。今度それでレポート書くといいよ…って、ちょっと!どこ行くの、兄ちゃん。」

 いずれにしても、僕は場違いなところへ来る運命にあるらしい。次に迷い込んだのはラブストーリーコーナーの樹海だ。後から追いかけてきたアツシがぼやく。

「ちょっとー、可愛い弟置いて逃げるってどういうことー?深夜のビデオ屋に未成年放置はマズいよー。」

「うるさい。さっきまで一人でウロウロしてたじゃん。それに―」

「おあー!」

「な、何だよ?」

 いちいち声の大きい弟だ。小さい頃に美術館や図書館で恥をかいてきたのを思い出す。今では体までデカくなって、兄としての威厳がまるで保てなくなってしまった。はたから見ると、僕たちは兄弟じゃあなくて…親分と子分。もちろん僕が…うん、これ以上は悲しくなるのでやめよう。

「これさぁ!前に言ってたんだよ、ケイ君が。すっげぇ泣けるって。」

「どれ?」

「これぇ!何かめっちゃヤバいらしい。知ってる?」

「え、これ?」

 映画好きを自負する僕は、何だかんだ言いながらあらゆるジャンルの映画を観まくっている。ちょっと借りるのが恥ずかしいこのラブストーリーの棚も、実は女子たちがいないであろう時間を狙っては足を運んでいるのだ。そんな僕から言わせてもらうと、アツシの手にしているDVDは…、

「これ、僕観たけど…ただの恋愛モンじゃあないぞ。」

「え、何で?」

 この作品は、もっと深いところがある。少なくとも僕はそう解釈している。

「人間の嫌なところがモロに出てるエグいやつだって。」

「何言ってんの?純愛って書いてあるじゃん。きっと甘々だね!何なら帰ってから検証会してみる?」

「おぉ、望むところだね!」

 どうやら僕はこれから家に帰って、自分の弟と並んで恋愛モノのDVDを観ることになってしまった。何やら変てこな展開になってしまったけれど、まぁアツシさまさまのたってのお望みだ。兄として叶えてやらなければならないだろう。

「じゃあオレ、これとこれ、借りてくるわ。兄ちゃんはそのCDだけ?」

「おぉ。」

「じゃあ一緒に借りてきてやるよ。やっさしー、オレ。」

 レジに並んでいるアツシが僕に手招きする。自販機でジュースを買っておいてという指示だった。手のセンサーで開く、僕の苦手なタイプの自動ドアを何とか出ると、外はシンとしていた。この不夜城を除いて、街はもう眠っている。不快なくらいこうこうと光を放つ店内の照明。駐車場の街灯にたかるでっかい蛾や、名前を知らないひょろ長の虫たち。その明るい光に吸い寄せられ、必死に羽を動かしている様は、夜に何か刺激を求めて街を徘徊する若者さながらだ。僕とアツシは車に戻り、それぞれのジュースを飲んだ。ふと、虫ってどうやって水を飲むのかななんて聞いたら、アツシは僕をファーブル兄さんとからかって笑う。その顔は短い期間にいっきに陽に焼けたせいで、酔っ払いみたいに赤くなっていた。

「今夜は寝かさねぇよ、ファーブル兄・さ・んっ。」

「キモ!何だそりゃ。」

 家に帰り、DVDプレイヤーのある僕の部屋にこっそり入る。エアコンとテレビのスイッチを入れ、観賞会ならぬ、検証会が始まる。昼間に照らされたアスファルトからじんわりとあがってくる熱と、秋の始まりにはふさわしくない湿気。部屋にどんよりとたちこめるそれを払しょくするかのようにエアコンから涼しい風が流れ出る。心地よい冷気を感じながらアツシを見ると、さっき僕が持ってきたコーラを嬉しそうに飲みながらすっかり見入っている。何が悲しくて弟とラブストーリーを見ているのだろう?若干の気まずさは、ある。ちょっとエロいシーンがあるからな…なんて思いながら、僕はコーラを一口飲み、映画に集中することに決めた。

 

 もう一度アツシの部屋の前に立つ。よく見ると、まだ電気はついているようだ。ドアの隙間からもれる光を足元に確認した僕は、静かにノックした。思った以上に廊下に響く木と骨のぶつかる音は、引っ越し前でナーバスになっている弟の心臓をさぞ刺激するものだろう。来週にはこの部屋から出て行き、新しい土地で新しい友だちと新しいことを勉強する。物理から解放されることをひどく喜んでいる一方で、胸中にはきっと計り知れない不安も共存しているに違いない。できるだけ今は…出発までの時間は、兄らしいことはできなくても、アツシを笑わせてやりたい。

 引っ越しが終わって、手伝ってくれた家族のみんなが車に乗り込み、帰って行くのを見送る。自分はその車内に乗り込まずにただ見送る。家族の一員でありながら、その瞬間は家族でなくなる自分。今まで望んでいた「自立」や「ひとりぼっち」が、ただの「孤独」に変わる瞬間だ。その時が来ても、4月初旬の強い風のような冷たい寂しさを心の隙間に入れさせないために僕は…。

 足音が近づいてくる。それが板一枚挟んで自分と向かい合わせになって、ドアを開けるのを待つ。言いたいことはもう決まっている。

「あ、兄ちゃん。ちょ、もう夜中ですけどー?」

「何か今日、眠れなくね?ドライブ、行かないか?上着、取ってこい。」


この本の内容は以上です。


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