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森田 由美恵

   懐かしく、また嬉しい唄声である。淋しく辛いテイストと、全体に望郷と哀愁に満ちた唄である。この曲は演歌系歌謡曲だが、私は確認していないが、平成20年頃のあるネットのインタビュー記事では、森田はその後はポップス系に移行したという。ともあれ、この曲は当時かなりヒットしたが、その後は徐々にメディアからフェードアウトしていった歌手である。ヒットが続かなかったこと以外、その理由は分析できないが、実力は抜群であり、とても惜しい方である。

 (なかにし礼・詞 浜圭介・曲)
 ふるさとは 遠い北の果て 潮風の吹く町 荒れた手をして 網をあむ 小さな母の肩   浜なすの花が 咲く頃に-----
(収集プロフィール)
森田 由美恵(もりた ゆみえ、1955~ )神戸出身の歌手。現在は、ボーカルスクールの講師で経営者という。
 経歴
  1969年、「全日本歌謡コンテスト」に優勝、1971年、16歳のとき、「潮風の吹く町」でデビュー。その年の各種新人賞を獲得し、実力派少女歌手と期待される。また、歯切れのよいおしゃべりで、司会やDJでも売れっ子に。しかし、歌手としてはシングル、アルバム含めて10枚出すも、翌年にデビューした山口百恵、森昌子、桜田淳子の“花の中3トリオ”の陰に隠れてしまった。
*21歳で自律神経失調症にかかり半年間、芸能界を離れた。27歳のときには歌手では食べていけなくなり、パン屋さんでバイトを。今でも歌手は続けていて、苦節33年、この秋にコンサートを開く予定。
*若い頃の苦労が今になって実になっている。とくに18年前ある塾に通って、ボイストレーニングや呼吸法を一から勉強。訓練を重ねるうちに自然治癒力が増し、それまで“陰”だった体が“陽”になった。
*2004年頃、恵比寿にスタジオが3つある「WIS ARTS VOCALSCHOOL」を設立。
*独身。結婚歴はない。自分のことを振り返る余裕もなくやってきたら、いいトシになってました、とのこと。


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最終更新日 : 2010-12-10 21:47:28

最上 由紀子

 3年程前に、取り上げる予定だったが、あれこれ手を尽くして調べても、そのときは余りにも資料が集まらず、断念した。今回、改めてトライした所、いちおうの資料が集まった。こう書いて来ると、最上が世に隠れた偉大なアーティストだったのか?と思う方もいるかも知れない。実際は、素晴らしい歌手ではあったが、名曲は一曲だけ。歌手としての活動も、2年足らずという、いまいちだった歌手である。私がここで取り上げるのは、素晴らしい実力を持ちながら、さまざまな事情でフェードアウトしていった、惜しい歌手のひとり、としてである。最上は、梢みわ、岩城徳栄、山川ユキ、牧葉ユミ、段田男、清水由紀子、などの系譜に入るアーティストなのである。
 デビュー後、1年余りは、メディアでときどき見かけたが、その後、パッタリ見かけなくなった。その2年後くらいに、病院か床屋の待合いで偶然眼にした雑誌に、最上の記事が2Pほど載っていた。それによると、彼女は、仕事上の何かのトラブルで、事務所を辞めた(芸能界では、次のプロが身請け?しない限り、普通、引退を意味する)のだという。そのときの最上は、神奈川県のどこかで働いていた(はっきりとは書いていなかったが、旅館か料亭の感じ)。そして、記者に、何とかもう一度唄いたいと、希望を語っていた。その後、最上の情報は、まったく絶えてしまった。私は、この曲は、戦後の昭和ベスト50に入れていい名曲だと確信している。
 (詞・川口文 曲・やまだ寿夫)
 山の麓の夕焼け小焼け 祭りの太鼓にひかれて踊る 好きなあの子とさくらんぼ 
 小さな口で 一粒噛めば---ハァー 思い出します  故郷の あの人 どうしているかしら 
(ウィキペディアより)
最上 由紀子(さいじょう ゆきこ、1954~ )、山形県最上郡出身、山形県立大石田高校。スター誕生からでた歌手。デビュー当時は18歳。
*泰葉にちょっぴり似ているレコードジャケットによると、当時のプロフィールは、身155cm。尊敬する歌手は、越路吹雪、都はるみ。ニックネームは、山形名産の「さくらんぼ」とかけて、さくらんぼユッ子。こぶしが見事にコロンコロン回る、おみごとな民謡歌唱。最上も、やはりロウソクの炎を揺らすことなく声が出せるのだろうか。幼い頃からいろいろな歌謡曲を口ずさんできて、「節回し」の部分はマネできても、この「こぶし」のマネは到底できるものではない。一度でいいから「こぶし」コロリンコロリン回してみたかった。
 最上のバックボーンに、民謡があったのは想像がつく。出身地の舟形町では、この年(昭和48)に「最上由紀子後援会」が結成され、会員は1170名だったそう。
作曲のやまだ寿夫は聞き慣れないお名前で、まるでローカルで活躍する先生なのかと想像最上の「初恋」は、オリコン最高37位、売り上げ枚数6.7万枚という好評な出だしだったようだが、次のシングル「初恋の里」以降はグーンと印象度が減ってしまった。
もしかして「スタ誕」ゲスト出演は昭和49年(1974)1・6放送で最後?わずかな芸能生活だ。
それから月日が経ち、すっかり最上様のことを忘れていたある日。
よくぞ、忘れられていたこの歌に光をあててくれました~って感じで。
このCDに載っている近況だと、「最近結婚ホヤホヤの幸せな奥さん」とある。
そして、今から数年前、NHK-BSで「スター誕生」の池田Pを特集した番組があり、偶然チャンネルを替えたら最上の近況が映し出されていた。残念ながら、ホントにちょっとだけ、最後の部分だけしか観れなかった。ただ、ごく普通の主婦として共働きしていて、仕事に出かけられていた姿だけ拝見できた。
「病気で寝たきりの父親を介護しながら、ご主人と警備会社で共稼ぎされている」という情報があった。 あんなに歌がお上手でも、あっさりと引退され、平凡な日々の生活に幸せを感じていらっしゃる様子だった。が、最上が再びマイクを持たれているという情報を発見。平成19年2月(土)、山形県米沢市の伝国の杜置賜文化ホールで行われた『荒井幸博と唄おう』で、30数年ぶりに歌を歌ったらしいのだ。記事によると、歌われたのは「好きになった人」、「初恋」で、30年ぶりのブランクを感じさせない唄いっぷりとある。

*デビュー曲では百恵さんの「としごろ」とほとんど遜色ない成績だったのですね。なのに新人賞レースは新宿音楽祭に出場した(銅賞)ことしか記憶にありません。
引退直後に週刊誌に手記が掲載されてたんですが、これも「今日は何も(賞が)獲れないけど歌ってくれ」って事務所から言われたんですって。こういうのって初めから決まってるんですね。わりとあっさり引退しちゃって、芸能界には懲り懲りだったみたいで、妹さんがスタ誕に応募しようとすると止めたらしいです。芸能界って想像以上に大変なんでしょう。
*昨年2月と9月に最上由紀子さんを誘い、米沢市で唄って戴きました。デビュー当時と変わらぬキーに鈴を転がしたようなこぶしは健在で聴き惚れた。


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最終更新日 : 2013-06-24 20:53:05

牧葉 ユミ

 デビュー曲の「冒険」はリズミカルで楽しいが、繰り返し出される「けっきょく5人の子供ができただけ」という、メインフレーズが愉快だ。けれど、心に残るのは、やはり「回転木馬」だ。歳のいった人には、いまいちだろうが、若い世代には、ワクワクするような内容である。すでに30年以上前の曲だが、いまの若い人達にもペアリーな唄である。明るく綺麗な女の子、のイメージがあったのだが、ジャケットの彼女は、飾り気がなくボーイッシュで、色気をまったく売り物にしていない。当時としては、珍しいプロモーションである。この曲は、不思議な曲で、その当時、メディアにあまり登場しなかったし、中ヒットまでは行かなかったと思う。あとから、じわじわと浸透してきた曲である。いまでは、かなりの人の知る名曲となった。
 (片桐和子 作詞 ベンチャーズ 作曲 1972)
 あのとき ふとさびしくて 夜の浜辺を ひとり歩いてた あなたは 岩にもたれて ギターを---不思議な不思議な めぐり逢い 夜空の夜空の浜辺-----
(ウィキペディアより)
牧葉 ユミ(まきば ゆみ、1953- )は1970年代前半に活動した女性歌手。東京都北区出身。目白学園高校卒業。テイチク→徳間音楽工業。
1971年7月、「冒険」でデビュー。同年、第13回日本レコード大賞作詞賞受賞(作詞、北山修)。ボーイッシュな外見と活発なイメージを持った歌手であった。
1973年、サイン会場でたまたま居合わせた、当時中学3年生の相本久美子を直接スカウトし、芸能界入りのきっかけを作った。
 また牧葉ユミのシングルのうち、後に「スター誕生!」で山口百恵が「回転木馬」を、桜田淳子が「見知らぬ世界」を歌い、それぞれ歌手への第一歩を踏み出すことになった。
1975年、相本久美子の移籍と前後して芸能界を引退、所属事務所も解散したという。

 

 

 

 

 


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最終更新日 : 2013-06-24 20:54:20

島津ゆたか   

 この20年近く、メディアで、ほとんどみかけないと思ったら、やはりスキャンダル(あるラジオ局で、暴言を吐く)があったとか。ヒット曲も多く、実力のある歌手だけに、残念。若い頃は、外見的には、サラリーマンぽい、おとなしくスマートで、かなり細面のイケメンだった。だから、そんな事件?を起こすとはと、ビックリした記憶がある。あとから聞いた噂では、普段からアル中に近い状態だったとか。やっぱり何かあったんだ、とは思ったが、テレビの彼からは、そんな感じは全く受けなかった。精神が、弱かったのだろうか。それ以来、姿を見なくなった訳だが。いまは何をして、いらっしゃるのだろう?ドサ回りでも、唄をつづけていると、いいのだが。ド演歌からムード歌謡、ポップスまで、自分のテイストで、自在に唄いこなせる貴重な歌手である。

 「花から花へと」 (詞・白鳥園枝 曲・むらさき幸)

 酒場女の ぐちなど誰も どうせまともにゃ---だめなのね お酒があなたを 変えたのね----

(ウィキペディアより)
島津 ゆたか(しまづ ゆたか、1947年7月- )は演歌歌手。
 経歴
小学生時代から各種コンクールで注目された。昭和45年「つかれたわけじゃないわ」でデビュー。昭和55年デビュー10周年記念の「花から花へと」が大ヒット、以後「片恋酒」「ホテル」とヒットを続け、日本歌謡大賞など次々に受賞。しかし、2002年10月にゲスト出演していた公開ラジオ番組で不適切な発言を連発、退場処分を受けた。それ以後目立った活動を行っていない。
 主な曲
つかれたわけじゃないわ (詞 中村泰士・土井郎 曲 中村泰士)
ホテル            (詞・なかにし礼 曲・浜圭介 1985)
片恋酒
女のゆりかご
くせになりそう
北から南から
ふたり道 
北から南から (詞・ 阿久悠  曲・三木たかし  桂五郎のカバー)
ふたり道    (詞・荒木とよひさ 曲・ 叶弦大 )


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最終更新日 : 2013-06-11 00:40:41

伊吹あきら(遠藤 良春)

 競作だったのか、カバーだったのかは分からないが、「旅の終わりに」を聴いてみた。冠二郎のような男っぽさは無いが、唄も上手く、要所に高音が裏返るようなコブシを効かせ、かつ全体にほのかな哀愁が漂い、なかなか良い。一般的には、冠の歌唱が優勢だが、どちらが良いかは好みの問題だろう。今回、7、8曲、試聴してみたが、この曲はとてもいい。特にさびの、風花の舞う、のすこし捻った歌唱部分が、とても印象的だ。演歌なのだが、ピアノをストリングスのように取り入れた、流麗で哀愁と浪漫にみちたメロディーも秀逸。資料によると、すでに歌謡界を引退しているようだが。また名曲に出会ったときは、ぜひまた歌って欲しい方だ。現在の歌手があまりもっていない、洒落ていて哀愁と深みがあり、さらに力強い歌唱力をもった、かつての桂五郎のような歌手である。

 「風花の町」
 いつもあなたの口癖だった 幸せにしたいおまえだけ 幸せはそんな遠くじゃないんです 風花の舞う 北の街 ああ 頬すり寄せる あなたが欲しい-----
(収集プロフィール)
遠藤 良春(えんどう よしはる、1956.6~ )北海道出身の歌手。
「GO!GO!掛布」は、関西地区を中心に126万枚の大ヒットを記録した。B面は「大きな星になれ」だった。曲は細川たかし「女の十字路」他を手がけ、当時日本の歌謡界をリードしていた中山大三郎。近年でも、天童よしみらを手がけている人気作詞家だ。遠藤良春は100万枚を超えるようなヒットはこの曲だけだが、新世界地下など関西地区を中心に、地道に活躍していた実力派の歌手だ。99年5月に 銀河に輝くタイガース/演歌阪神タイガース(詞:藤原栄之 曲:服部耕治)をリリースしている。
 主な曲
高校さすらい派
雪しんしん
ゆさぶれ青春
この俺でよかったら
こぼれ花、ボロボロ
GO!GO!掛布
大きな星になれ

*(伊吹あきら名義で)
口紅
風花の町

 


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最終更新日 : 2010-12-20 03:41:27


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