目次
ユークリッド-Eukleides-
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ピエール・ド・フェルマー-Pierre de Fermat-
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ピタゴラス-Pythagoras-
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ルネ・デカルト-René Descartes-
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アルキメデス-Archimedes-
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レオナルド=フィリオ=ボナッチ-Leonardo Fibonacci-
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ブレーズ・パスカル-Blaise Pascal-
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ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ-Gottfried Wilhelm Leibniz-
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アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre
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ヤコブ・ベルヌーイ-Jakob Bernoulli-
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ジャン・ル・ロン・ダランベール-Jean Le Rond d'Alembert-
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ-Joseph Louis Lagrange-
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ピエール=シモン・ラプラス-Pierre Simon Laplace-
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ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ-Jean Baptiste Joseph Fourier-
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ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス-Johann Carl Friedrich Gauss-
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン-Georg Friedrich Bernhard Riemann-
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アンドリュー・ワイルズ-Andrew John Wiles-
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ジュゼッペ・ペアノ-Giuseppe Peano-
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オーガスタス・ド・モルガン-Augustus de Morgan-
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ダフィット・ヒルベルト-David Hilbert-
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レオンハルト・オイラー-Leonhard Euler-
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最終定理-the Last Theorem-
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「ヒルベルト・ホテル」には0号室、1号室、2号室……と整数の番号のついた部屋が無限にある。ある晩、ホテルは満員になった。だが夜も更けて草木も寝静まるころ、ひとりの旅人が宿を求めて訪れてきた。

「あいにく満室でございます」フロント係は申し訳なさそうに言った。

「しかし時間も遅く、ほかに行くところもないんだ。なんとかしてもらえないか」

「……」フロント係は困った顔をした。

 そこにホテルを預かるマネージャがやってきた。

「お客様、お泊りですか?」マネージャは笑みを浮かべて言った。

「ああ、でも満室だそうだね。困った」

「少々お待ちください。お部屋をご用意いたします」そう言うとマネージャはフロントの電話を取ってどこかに電話しはじめた。

 旅人はマネージャが何を話しているのか気になって、聞き耳を立ててみたところ、どうやら各部屋の客に電話しているようだ。「はい、はい、申し訳ございません」と何度も謝る声が聞こえてくる。何かを頼んでいるのだろうか。

「お待たせしました」しばらくしてマネージャは電話を置き、旅人に話しかけた。「0号室のお部屋が空きましたのでご案内いたします」

「しかし先ほど満室だと」旅人は疑問に思ったことをたずねてみた。

「当ホテルの自慢は部屋が無限にあることです。お泊りいただいているお客様にお電話して、部屋をひとつずつ番号の大きな部屋へ移っていただいたのです。そうして、0号室が空きました」

 こうして、旅人は無事ホテルに泊まり身体を休めることができた。


102

「この話からわかることは何かね、巧君?」

「満室のホテルにもうひとり泊っても部屋は無限大のままですから、無限大に1をくわえても無限大のままだということがわかります」

「正解だ。ではホテルの例を考慮した上で、無限大の性質を一般化するとどうなる、有里君?」

「はい。無限大に正の数を加えても無限大ということになります」

「正解だ。そしてはじめの議論に戻る。先の不等式の右辺、つまり小さいほうは無限大だといえた。では左辺、それよりも大きなほうはどうかね、正宗君?」

「はい。無限大よりも大きいので、無限大です」

「正解だ。つまりはじめの問い、この式の解は、という質問の解答は、正の無限大に発散する、となる」

 ようやく答えにたどり着いた。誕生日の話からずいぶん離れてしまったけど、新たな知識を身につけた。これが老先生からのプレゼントなのかな。いいものをもらった。

「つまり、いつまでも生き続けられるとしたら、体感できる一年の感覚の総和は無限大ということだ。まったく、大した規模の話だ」

 つまり死ななくなると、一年の感覚がなくなってしまうということだろうか。不老不死になると、時間の概念が無意味になってしまい、時を超えた存在になるという証明のようだ。数学は、時間すら超越してしまう。すごい学問だ。

「ところで、この式だが、

 

   1+1/2+1/3+1/4+1/5+1/6+1/7+1/8+1/9+…

 

名前がついている。この自然数の逆数の和を、調和級数という。英語でHarmonic Numberだ。これは弦楽器などの弦を2分の13分の1と短くしていくと1オクターブずつ下がるとう法則からきている。素敵な響きだろう? さて、巧君」

「は、はい」あまりにも急だったから、さすがの巧も心構えができていなかったみたいで、返答がどもっていた。

「君はいくつだね?」

「俺はまだ11歳です」

「有里君は?」

「私も11です」

「君たちの年齢である11という数字は、どういう数字かね、正宗君?」

「ゾロ目ですよね」

「正解だ。だがほかにもある」

「素数ですね」巧が答えた。

「正解だ」

「素数ってなんですか?」僕は質問した。けれど、言ってから思い出した。僕は素数を知っている。こないだ読んだ本に書いてあったからだ。

「有里君」老先生が当てると、有里が僕に向かって一気にまくし立てた。

「素数とは、1とその数以外に正の約数を持たない1より大きい自然数である」

 有里の言い方がおかしくて僕がほほ笑むと、有里も少し表情を緩めた。今日はじめて有里の優しい顔を見た。

11は素数だ。次は13。次は1719と続いていく」

 老先生はそこで言葉を切って、すくっと立ち上がった。つられて僕たちも腰を上げる。

「外に出ようか」


103

 時刻は午後三時半。まだまだ暖かい空気が、夕方の訪れを感じさせてくれない。

 老先生は自分の家に向かいあい、タバコを取り出して火をつけた。

「素数はむかしからその存在が定義されていた。数の性質を研究する数論という分野で重要な役割を担い、大活躍したのだ。素数にまつわる定理や性質が数多く発見され、数学を代表する一大役者となった。一方で、素数の不思議さについて、古くから議論されてきたことがある。それは、素数は無限に存在するのか、という疑問への答えだ。これはさほど難解な問題ではない。紀元前三世紀にすでに解決されている。エウクレイデス、英語名でユークリッドという数学者が『原論』という数学書の中で証明したのだ。この証明は今は説明しない」

 自分の家を見上げる老先生の横顔は、授業中のそれとも雑談中のそれとも異なるものだった。僕が見たことのない表情だ。だから、何を考えて話しているのか、よくわからなかった。巧と有里も不思議そうに老先生に視線を集中させている。

「その後、十八世紀に素数の逆数の和が発散することが発見された。発散するのだから、和が無限大になるということだ。つまり、副次的に素数が無限に存在することを表している。その証明に、先の調和級数が発散するという事実が用いられている。そして、これを証明したのが、十八世紀最大最高と謳われる数学者、レオンハルト・オイラーだ」

 老先生が見つめる先にはレオンハルトと書かれた看板があった。見つめる視線は暖かい空気を射貫いてまっすぐ看板の文字に届いている。老先生は、本当にオイラーを尊敬しているんだろう。

「すごい人なんですね」僕は言った。

「ふふ、そうかもしれんね」老先生はタバコを消してこちらに向き直り、やや表情をこわばめて真剣な面持ちになった。「数学者は二十代がピークだと言われている。そのためには十代での積み重ねが大切だ。何も君たちに数学者を目指せと言っているわけではないが、君たちはこのレオンハルトで数学に触れ、少なからずこの世の真理を目の当たりにした。それを生かし日々精進してこそ、本当の知性が身につくのだ」

 僕たちの肩に順番に手を置きながら、老先生はまっすぐな声で言った。

「毎日、進んでいきなさい」


104

「さて、戻ろうか」老先生は玄関のドアへと消えていった。僕も続こうとすると、有里が目の前に立ち、「ちょっと待って」とけん制した。

 有里は巧の耳元で何かささやいた。巧は笑って「老先生には俺から話してやるよ」と言って、玄関へと歩いていった。

「どうしたの?」僕は有里にきく。

「ちょっと恥ずかしいから。これからきくこと」

 珍しいこともあるもんだ。誕生日のマジックだろうか。

「あれ、どうだった?」

「あれって?」

「ほら、あの平安神宮のよ」

「へ?」

 僕はぽかんと間抜け面で有里を見た。有里は有里で、期待の表情から怪訝な表情へと変化していく。

「まさか、あんた無視したの?」

「え、じゃあもしかしてあのおばあさんって有里の」

「信じらんない!」

 有里の怒鳴り声をはじめて聞いた。すごくキーが高くて、アニメキャラクターみたいだ。将来は声優なんかどうかな、なんて言ったらゴミ扱いされるだろう。

「じゃあまさか自販機のお茶も有里の仕込み?」

「一番苦労して手まわししたのに! なんで無視するのよ!」

 怒られている。激しく理不尽だと思ったけど、正当な反論をしても、聞く耳を持ってくれないだろう。

「いやまさか、おばあさんの孫が有里だなんて思わなくてさ。そんな偶然信じなかったんだ。それにあのときは正直お茶がほしかったから。本も読みたかったし」

「受け取ってないってことは、あそこにまだ置きっぱなしになって」有里は玄関に走って「巧! 私のカバン持ってきて!」とさけんだ。忘れ物した主婦が旦那さんに怒鳴っているみたいだ。ただ巧は有里の尻に敷かれたりはしないだろう。いやな妄想してしまった。

「なんだよもう」とぼやきながらも巧はカバンを持ってきて有里に放ってよこした。

「あの馬鹿が馬鹿ミスしたから、今から行ってくる」僕を指さして有里がまくし立てた。馬鹿じゃないと主張したかったけど、有無を言わさぬ雰囲気にのどのあたりで主張はしぼんでしまった。

「なんか知らねえけど、気をつけてな」こんな状態の有里にすら気遣えるなんて、やっぱり幼馴染だな、と感心する僕に巧は、

(お前何したんだ?)

と声に出さず言った。僕は両手の平を空に向けてアメリカンアクションをとった。もうさっぱりだよとばかりに。

 ずんずんと僕の鼻先まで顔を近づけ、「行くわよ」と有里が言った。

「どこに?」僕はきいた。

「いいから来い」脅すように言われて、僕は仕方なく有里のあとを追った。


105

 賀茂川沿いの中学校前のバス停で有里と一緒にバスを待つ。とても機嫌が悪そうな上、走ってきたから興奮して肩が細かく上下している。話しかける雰囲気じゃなかった。

 黙ったまま苦痛の時間をすごしているうちに、バスが北のほうから滑り込むように停車し、僕たちはすぐさま乗車した。運の悪いことにふたりがけの座席しか空いていなかったから、僕は吊革を持って立っていることを選択したんだけど、有里が僕の腕を引っ張って無理やり僕を座席の奥に、文字通り蹴り込んだ。そして自分はそのとなりに腰かけて、ふうと息をはいた。バスは何事もないかのように発車したけど、周囲の乗客は何事かと、僕たちを見ていた。

「あんまり暴れないでよ。みんな見てるじゃない」僕は有里に向かってささやいた。蹴られた太ももが痛かった。加減せずにクリーンヒットさせてくるからとても痛い。巧はこの暴力によく長年つき合ったものだ。

「全部あんたが悪い」どすの利いたうす暗い声だった。「せっかく私が手間をかけて準備したってのに。あのくそばばに愛想振りまいて抱き込んで、パ、お父さんにかなり無理言ってちょっと脅して自販機に細工してもらったのよ」

「いやでも学外まで有里の手が及んでるなんて気づかないしさ」

「あのばばから私のこと聞いて、ぴんとこなかったの?」

「いやそりゃ名前を聞いたとき、もしかして、とは頭をよぎったけど。確認するにはおばあさんと話さないといけなかったし、そんな気分じゃなかったんだ」

「たしかにばばと話すのは面倒よ。なんか辛気臭いしゃべり方するしね。でもなんとなく感じとるべきよ」

「そんな無茶な」

「もうしゃべんな」

 バスが着くまで、有里は貝のように口を閉ざし、となりに座る僕を漬物石のように扱った。おかげで居心地が悪く、僕は諦めて黙ったまま窓の外を眺め続けていた。



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