目次
ユークリッド-Eukleides-
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4
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ピエール・ド・フェルマー-Pierre de Fermat-
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ピタゴラス-Pythagoras-
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ルネ・デカルト-René Descartes-
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アルキメデス-Archimedes-
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レオナルド=フィリオ=ボナッチ-Leonardo Fibonacci-
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ブレーズ・パスカル-Blaise Pascal-
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ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ-Gottfried Wilhelm Leibniz-
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アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre
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ヤコブ・ベルヌーイ-Jakob Bernoulli-
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ジャン・ル・ロン・ダランベール-Jean Le Rond d'Alembert-
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ-Joseph Louis Lagrange-
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ピエール=シモン・ラプラス-Pierre Simon Laplace-
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ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ-Jean Baptiste Joseph Fourier-
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ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス-Johann Carl Friedrich Gauss-
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン-Georg Friedrich Bernhard Riemann-
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アンドリュー・ワイルズ-Andrew John Wiles-
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ジュゼッペ・ペアノ-Giuseppe Peano-
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オーガスタス・ド・モルガン-Augustus de Morgan-
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ダフィット・ヒルベルト-David Hilbert-
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レオンハルト・オイラー-Leonhard Euler-
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最終定理-the Last Theorem-
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98

 老先生はまた一服と言って、談話室から出ていった。さっきと同じように、僕たちは老先生の言葉の余韻に浸る。ふたりとも遠い目をしている。

 僕は頭の中で解法を模索していた。無限に続く分数の列。どこまでも小さくなるけど、どこまでも続いていく。まるでしぼんでいくけど決して消えない記憶のかけらみたいだ。

「こりゃムズいな」巧が諦めたように呟いた。「お前らわかったか?」

「いやまだ」僕は答えた。

「私も」有里はお菓子に手を伸ばして口へと運ぶ。「全然わからない」

「どう考えたらいいんだろう」

「明確なことを整理してみよう」巧が言う。「まず俺たちは歳をとらない。だから一年ごとに、一年の感覚を積み重ねていく。ずっとだ。終わりはない。ただ、その感覚は年々小さくなっていく。だけど、数としてはたしかに存在する。つまり有限だな。有限を無限に足し合わせるんだから、答えも無限になるんじゃないか?」

 巧の考えに矛盾はない。小さくはなるけど、ゼロじゃないんだ。だから、足していくとどこまでも増えていく。だけど。

「無限に小さくなる数を足しても、積らないんじゃない?」有里が意見を言った。僕は開こうとした口をぐっと結ぶ。

「でも有限なんだぜ。ゼロじゃない」巧が自分の考えと照らし合わせて反論する。

「学校のプールに醤油を一滴入れても、全体的な変化はないでしょ? それと同じじゃない」

「いや、目で確認できない程度に水面が上昇するはずだ」

「でもなんかおかしいわよ」

「論理的に言えよ」

 ふたりの意見は両方正しいように思えた。有限項の無限和は無限だ。ただ、その有限項は無限に小さくなる。

 無限の有限を無限に。

 本当に答えなんてあるんだろうか。


99

 老先生が戻ってきた。座るのを確認してから、巧が切り出した。

「先生。俺は解が無限になると思います」

「ほう。なぜだね?」

「項がどこまでも小さくなるとはいえ、結局は有限の値です。それらを無限に足し合わせるんだから、解も無限になるはずです」

「よろしい。有里君は? どう考えたかね?」

「私は無限にはならないと思います」

「どうしてだ?」

「数学には大雑把なところがあります。たとえば円周率なんか、小数点がどこまでも続きますけど、πって記号で書きますよね。それと同じで、無限に小さい分数はゼロと見なすんじゃないかと思います。だから、ずっと足し続けていくと、ゼロをいつまでも足していくことになりますから、答えは一定値で表せる気がするんです。いくつかはわかりませんけど」

「なるほど。正宗君は?」

「僕は、その、問題が矛盾している気がしました」

「ほう。というと?」

「無限の有限を無限に足すことに違和感を持ったんです。無限を二回使うのってずるい気がして。だから解はわからないんじゃないかと思いました」

「よし」老先生は湯飲みを口につけた。「三人ともよい考察だ。各々に個性があって愉快

だな」

 僕たちは老先生の反応を待った。意見は全員ばらばらでどれかが正解かもしれないし、全部間違っているかもしれない。こういう緊張感と競争力が、レオンハルト生には自然と芽生えてくる。

 湯飲みのお茶を飲み干して、老先生は立ち上がった。ゆっくりとした動きだった。

「では、特別授業だ」


100

 談話室から教室に場所を移して、老先生の特別授業ははじまった。

「まず考える式を明確にしよう。あえて項を多く書く。第9項までがよいな」

 老先生はホワイトボードに分数を並べて書いていく。僕がさっき答えた式だ。

 

   1+1/2+1/3+1/4+1/5+1/6+1/7+1/8+1/9+…

 

「次に式に少し手を加えてやる。変形はしない。ただ括弧を挿入するだけだ。この意味をよく考えることが大切だ」

 老先生は項の間に括弧を書きいれていく。まだ僕にはそうする意味がわからない。

 

   1+[1/2]+[1/3+1/4]+[1/5+1/6+1/7+1/8]+[1/9+…]+…

 

「巧君。9分の1の括弧の中に含まれている項の数はいくつだね?」

「はい。8つです」

「正解だ。有里君。どうして8つなのか説明したまえ」

「はい。はじめの1を無視すれば、括弧の中の項数が右へ行くにつれ2倍になっているからです。9分の1の手前の括弧内の項数は4ですから、次の括弧には8つの項があるはずです」

「正解だ。正宗君。ではどうして1は無視されるのか答えなさい」

僕への質問は妙に難しい気がした。お誕生日様の効力は、ここでは無意味なものだ。

「はい。1だけ分数ではないからでしょうか」

1は分数で表すと1分の1だ。よって君の解答は正解とはいえない。ほかにないかね?」

「いえ、わかりません」僕は正直に答えた。でもべつに恥ずかしくない。答えがわからないから恥ずかしいなんて感情、レオンハルトでの最初の授業のときに捨て去ってしまっていた。

「いやこの質問はいささか難解だったな。だが仲間はずれを見つけるという方法は、様々なところで有効だ。その視点は大事にしなさい」

「はい」

「では皆にきく。どうしてこのように括弧をつけたかわかるかね?」

 さっきからずっと考えているんだけど、よくわからない。ヒントが提示されている気がするんだけど、そのかたちが掴めない。まるで空に浮かぶ雲で数式を書けといわれているみたいだ。

 巧と有里も思案顔のまま答えない。老先生は質問の答えを急がないから、ずっと黙って考え続けても何も言われない。そう理解しているから、ゆっくり考えることができる。

「おそらく様々な思索が錯綜していることだろう。指針としてひとつ授けるが、括弧内の最後の項に注目することだ」

 最後の項。はじめは2分の1。次が4分の1で、その次が8分の1だ。次は、ええと8つの項があって最初が9分の1だから、ええと、16分の1。へえ、きれいに2分の1倍になっている。この規則性が何を意味しているのか……

「先生、わかりました」巧がマーカーを置いて老先生に向き直った。

「言ってみなさい」

「括弧内の項の数と括弧内の最後の項をかけると、すべて2分の1になるように、括弧がつけられています」

「正解だ。では次にいくとしよう」老先生はマーカーを握った。正解が出たら未解答の子がいても次に進むのが老先生式だ。ついていくには理解するしかない。

「書いてみればわかるが、この先もずっと法則に従って括弧をつけていけば、つねに項数と最後の項の積は2分の1になる。ところで、最後の項は常に括弧の中で一番小さい。それは明らかだ。つまり、括弧内の項をすべて最後の項に変換してしまうと、次の不等式が成り立つ。

 

     1+[1/2]+[1/3+1/4]+[1/5+1/6+1/7+1/8]+[1/9+…]+…

   >1+[1/2]+[1/4+1/4]+[1/8+1/8+1/8+1/8]+[1/16+…]+…

 

「さほど難しくないな。ただ、この発想には数学的センスを要求される。こういった閃きを体得できない者が、数学を嫌って敬遠し、自分たちを文系と呼ぶ」

 むかし、母さんが似たようなことを言っていたのを思い出した。

「括弧内の項はすべて同一のものなので、さらに式の簡易化が可能だ。計算するとこうなる」

 

   1+[1/2]+[1/2]+[1/2]+[1/2]+…

 

「じつに簡単な式になった。12分の1を無限に足し合わせただけだ。この式の解はどうなる、正宗君?」

「無限に増えていきます」

「正解だ。ここで先ほどの不等式を思い出そう。もとの式は、この無限に増える――正確には正の無限大に発散するというが、この式よりも解が大きくなることを表している。では無限大よりも大きなものとは何かね?」

 無限大よりも大きなもの? そんなもの定義できるんだろうか。

「はい」有里が手を上げた。

「有里君」

「無限大の定義から考えて、無限大よりも大きなものはないんじゃないですか?」

「無限大の定義とは?」

「ええと、どんな数よりも大きな数を無限大といいます」有里はちょっと自信なさげに答えた。

「それでよい。たしかに一見矛盾しているように思える。ではこんな話をしよう」老先生はマーカーを置いて、僕たちに床に座るよう手で促した。

「二十世紀を生きた偉大な数学者にダーフィト・ヒルベルトという人物がいた。彼は無限論について講義するとき、こんなたとえ話を持ち出したのだ」


101

「ヒルベルト・ホテル」には0号室、1号室、2号室……と整数の番号のついた部屋が無限にある。ある晩、ホテルは満員になった。だが夜も更けて草木も寝静まるころ、ひとりの旅人が宿を求めて訪れてきた。

「あいにく満室でございます」フロント係は申し訳なさそうに言った。

「しかし時間も遅く、ほかに行くところもないんだ。なんとかしてもらえないか」

「……」フロント係は困った顔をした。

 そこにホテルを預かるマネージャがやってきた。

「お客様、お泊りですか?」マネージャは笑みを浮かべて言った。

「ああ、でも満室だそうだね。困った」

「少々お待ちください。お部屋をご用意いたします」そう言うとマネージャはフロントの電話を取ってどこかに電話しはじめた。

 旅人はマネージャが何を話しているのか気になって、聞き耳を立ててみたところ、どうやら各部屋の客に電話しているようだ。「はい、はい、申し訳ございません」と何度も謝る声が聞こえてくる。何かを頼んでいるのだろうか。

「お待たせしました」しばらくしてマネージャは電話を置き、旅人に話しかけた。「0号室のお部屋が空きましたのでご案内いたします」

「しかし先ほど満室だと」旅人は疑問に思ったことをたずねてみた。

「当ホテルの自慢は部屋が無限にあることです。お泊りいただいているお客様にお電話して、部屋をひとつずつ番号の大きな部屋へ移っていただいたのです。そうして、0号室が空きました」

 こうして、旅人は無事ホテルに泊まり身体を休めることができた。


102

「この話からわかることは何かね、巧君?」

「満室のホテルにもうひとり泊っても部屋は無限大のままですから、無限大に1をくわえても無限大のままだということがわかります」

「正解だ。ではホテルの例を考慮した上で、無限大の性質を一般化するとどうなる、有里君?」

「はい。無限大に正の数を加えても無限大ということになります」

「正解だ。そしてはじめの議論に戻る。先の不等式の右辺、つまり小さいほうは無限大だといえた。では左辺、それよりも大きなほうはどうかね、正宗君?」

「はい。無限大よりも大きいので、無限大です」

「正解だ。つまりはじめの問い、この式の解は、という質問の解答は、正の無限大に発散する、となる」

 ようやく答えにたどり着いた。誕生日の話からずいぶん離れてしまったけど、新たな知識を身につけた。これが老先生からのプレゼントなのかな。いいものをもらった。

「つまり、いつまでも生き続けられるとしたら、体感できる一年の感覚の総和は無限大ということだ。まったく、大した規模の話だ」

 つまり死ななくなると、一年の感覚がなくなってしまうということだろうか。不老不死になると、時間の概念が無意味になってしまい、時を超えた存在になるという証明のようだ。数学は、時間すら超越してしまう。すごい学問だ。

「ところで、この式だが、

 

   1+1/2+1/3+1/4+1/5+1/6+1/7+1/8+1/9+…

 

名前がついている。この自然数の逆数の和を、調和級数という。英語でHarmonic Numberだ。これは弦楽器などの弦を2分の13分の1と短くしていくと1オクターブずつ下がるとう法則からきている。素敵な響きだろう? さて、巧君」

「は、はい」あまりにも急だったから、さすがの巧も心構えができていなかったみたいで、返答がどもっていた。

「君はいくつだね?」

「俺はまだ11歳です」

「有里君は?」

「私も11です」

「君たちの年齢である11という数字は、どういう数字かね、正宗君?」

「ゾロ目ですよね」

「正解だ。だがほかにもある」

「素数ですね」巧が答えた。

「正解だ」

「素数ってなんですか?」僕は質問した。けれど、言ってから思い出した。僕は素数を知っている。こないだ読んだ本に書いてあったからだ。

「有里君」老先生が当てると、有里が僕に向かって一気にまくし立てた。

「素数とは、1とその数以外に正の約数を持たない1より大きい自然数である」

 有里の言い方がおかしくて僕がほほ笑むと、有里も少し表情を緩めた。今日はじめて有里の優しい顔を見た。

11は素数だ。次は13。次は1719と続いていく」

 老先生はそこで言葉を切って、すくっと立ち上がった。つられて僕たちも腰を上げる。

「外に出ようか」



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