目次
ユークリッド-Eukleides-
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ピエール・ド・フェルマー-Pierre de Fermat-
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ピタゴラス-Pythagoras-
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ルネ・デカルト-René Descartes-
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アルキメデス-Archimedes-
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レオナルド=フィリオ=ボナッチ-Leonardo Fibonacci-
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ブレーズ・パスカル-Blaise Pascal-
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ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ-Gottfried Wilhelm Leibniz-
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アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre
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ヤコブ・ベルヌーイ-Jakob Bernoulli-
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ジャン・ル・ロン・ダランベール-Jean Le Rond d'Alembert-
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ-Joseph Louis Lagrange-
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ピエール=シモン・ラプラス-Pierre Simon Laplace-
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ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ-Jean Baptiste Joseph Fourier-
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ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス-Johann Carl Friedrich Gauss-
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン-Georg Friedrich Bernhard Riemann-
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アンドリュー・ワイルズ-Andrew John Wiles-
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ジュゼッペ・ペアノ-Giuseppe Peano-
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オーガスタス・ド・モルガン-Augustus de Morgan-
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ダフィット・ヒルベルト-David Hilbert-
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レオンハルト・オイラー-Leonhard Euler-
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最終定理-the Last Theorem-
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「トイレかな」

「トイレはトイレだろうけど、用を足しに行ったかはわからねえな」

僕はいすひとつ横にずれて、巧のとなりに座った。「なんであんな言い方したの? 考え方までまねしなくてもさ。もっと自分を持ってもいいんじゃない?」

「俺は俺だ。しっかり分別はついてるぜ。ただ自分が認める人間のいいところ、俺が思ういいところだがな、それを吸収するのは単にまねしてるだけじゃねえ。自分をそうやって肥大化させてるわけさ。中にはあいつにも理解できないこともあるだろうけどな」

「有里は寂しいんだよ」

「そのへんはもう六年なんだから、いつまでも同じ立場同じ考え方ってわけにはいかねえだろ。人それぞれなんだ。まあ、気持ちはわかるけどな」

「幼馴染なんだからさ、もう少しつき合ってあげたら? 巧がどんどん先に行くから有里もあせってると思うよ」

「まったく、お前はお人よしだよ。善のかたまりみたいなやつだ。ちょっと有里にわけてやれよ」

「そんなことないよ。ただちょっと有里の気持ちもわからなくないな、と思うだけだよ」

「でもお前は真に理解してるんだろ?」

「仕組みとしてはね、おかしな点もないしさ。でもどれだけ頭で納得してもさ、どうしても不満がたまって声をあげるもんだよ。有里はそれが強いんだ」

「女心ってやつか?」

「いや、人情っていうんじゃないかな」


95

 老先生と有里は同時に談話室に戻ってきた。時刻は二時前だ。

「今日もよい天気だ。一服は青空の下、空気がうまい環境だと格別の味になる」老先生は満足そうだ。僕のとなりに座った老先生から、ほのかなタバコの香りが漂ってきた。とても甘く優しい香りだ。

 有里も腰を下ろした。僕と反対側の老先生のとなりだ。巧の席とはいすひとつ分離れている。現在の僕たちの位置関係を的確に表しているように思えた。

「じゃあビルなんかの喫煙室での一服はおいしくないんですか?」巧が老先生にたずねた。

「そんなところで一服したことはないから想像でしか答えられんが、きっとひどい味だろう。わざわざあんな箱の中で貴重なタバコを消費するなど理解しがたい」

「どちらにしても、僕たちにはまだまだわからない感覚ですね」僕は感想を述べた。

「君たちはタバコに興味はあるのかね?」老先生は僕たち全員を順に見てきいた。

 僕は思わず巧を見てしまった。巧も僕を見ている。感づかれたかな、と不安な視線を交えて考えるふりをして時間をつくった。

「あります」

 意外にも有里がすぐに答えた。僕と巧は老先生と有里の顔を見比べた。

「ほう。どうしてかね?」

「自然なことです。禁止されているものほど、おいしそうにみえるものはありません」

「もっともだ。有里君はじつに素直だな。とてもよいことだ」老先生は優しい表情になった。怒ったりしないことがちょっと意外だった。

「君たちはどうかね?」

 矛先がこちらに向いて、少し動揺したけど、正直に答えることにした。

「僕もあります」

「俺もです」

「どうしてかね?」

 本音を言おうと思ったけど、すでに有里に答えられてしまっている。僕は何かほかにいい回答はないかと思案した。巧も考え中の表情だ。

「そうか」老先生が言った。「べつに同じ回答でもよろしい。人と違う必要など、どこにもないのだからな」

 僕と巧はお互いに顔を見合わせて、くすっと笑いあった。やっぱり老先生は尊敬できる。


96

 巧はトイレに行くと言って席を立った。談話室から出ていくのを確認してから、僕は席を移動して有里が正面に見える位置についた。

「あのさ、さっき巧と話してたんだけど」僕が切り出すと、有里はばっと片手をまっすぐ僕のほうに伸ばして「待った」のポーズをした。

「それはもういいの。私がわがままだった」有里の声は消え入りそうに小さかった。やっぱりちゃんと気づいて考えていたんだ。

「巧も有里はちゃんとわかってるって言ってはいたんだけど」

「本当の気持ちを巧に言っても、返してくれない。答えてくれない。だからべつに言わなくてもいい」固い表情で有里はまくし立てた。

「それでいいの?」最後のつもりで僕は確認した。

「いい。私がそう決めたから」返ってきた答えの力強さを感じて、僕は頷いただけだった。


97

 巧が帰ってくると、老先生が話しはじめた。

「では少し数学をしよう。正宗君、今日でいくつになった?」

12歳です」

「では昨日までの君は11歳だったわけだ」

「そうなりますね」老先生が何を言おうとしているのか、僕にはまだわからない。

「昨日までの君は11歳として一年間すごしてきたわけだが、その一年間は、君の人生においてどれだけの割合を占めるかね?」

 僕は問題を頭の中で整理する。昨日まで僕は11歳だった。つまり僕の人生は今日でちょうど11年間ということになる。割合を考えるんだから、これが分母だ。

 次に分子に持ってくる要素が何かを考える。これは簡単だ。11歳だったころの一年を持ってくればいい。つまり、11分の1だ。

「わかりました。11分の1です」

「正解だ。ところでその一年間はどんな年だったかね?」

「ええと、それなりに楽しい一年でした。満足はしませんでしたけど」

「ほう、どうしてだ?」

「今みたいに、環境に恵まれていないというか、今ほど充実してなかったからだと思います」

「なるほど。その数字は、君の人生における11歳のときにすごした一年の感覚を表している。人生の11分の1は環境に恵まれず満足できなかったが、悪くはない年だったということだ」

 たしかにそうだ。だけど、この話はどこへ向かうんだろう。

「では君が11になったときはどうだ? つまり10歳ですごした一年の割合は?」

「それは、同じ計算方法ですから10分の1です」

「正解だ。同様にさらに遡って考えていきなさい。そしてすべて年齢の大きい順に並べてみるのだ」

 ええと、11分の110分の19分の1と続いていって……最後は1歳のときだから、1分の1、つまり1だ。

11分の1からはじまって分母が1ずつ小さくなり、最後に1が来ます」

「正解だ。ではそれらをすべて足し合わせるとどうなる?」

 足すのか。全部分母が違うから、計算がすごく大変だ。1から11までの最小公倍数を分母に持ってきて通分する。そしてそれぞれの分子を計算して足し合わせて、簡易化、つまり約分して答えが……。

「ええと、暗算じゃちょっと難しいです」僕は正直に言った。老先生はこう答えても怒ったりしない。それはもうわかっている。

「計算はしなくてもよい。式が提示できればそれでよいのだ。言ってみなさい」

 それなら簡単だ。

「式は、

 

   1/11+1/10+…+1/2+1

 

です」

「正解だ。この式は、君が人生で感じた一年の感覚の総和を表している」

 一年の感覚を足すなんて、思いつきもしなかった。でも足してどうなるんだろう。感覚の総和とは、何を意味しているんだろう。

「次に、君が中学に上がり、13歳になったときのことを想像する。12歳の一年の感覚は? きかずともわかると思うが、12分の1だ。その次は13分の1。そして14分の1……延々と死ぬまで続いていく。こうして歳をとるごとに、一年の感覚は減少していき、しかし新たな感覚として増加していく。減少しながらも増加するものを足し合わせると、いったいどうなるのか? 考えてみたまえ」

「先生」巧が手を上げた。「終わりはいつに設定すればいいですか? 俺たちはいつ死ぬかわからないんですから」

「よい質問だ」老先生はほほ笑んだ。「そう、いつ死ぬかわからない。なので、仮定として、死なない場合を考える。つまり延々と歳をとり続けるのだ。ではやってみたまえ」

 さっきと同じ要領でやれば大丈夫だ。ただ、計算に終わりがない式になってしまう。これでは答えがわからないんじゃないかな。いわゆる無限ってやつだ。

「はい、わかりました。答えは、

 

   1+1/2+1/3+1/4+…

 

になります。無限に続いていきます」

「正解だ。ではこの式の解はいくつになると思うかね? 項は無数に存在する。しかし、

徐々に減少していき、どこまでも小さくなる。この世に存在するどんなものよりも小さいが、たしかに存在し、それが無限に続いてゆくのだ」

 分母が大きくなり続け、分子が1のままだったら、たしかにどこまでも小さくなるだろう。有里のバストサイズよりも小さくなるし、リリィのトゲ一本の長さよりも小さくなる。どこまでも小さくなって見えなくなって、それでも存在するって、いったいなんだろう。なんのためにあるのかわからないじゃないか。

 巧と有里を盗み見ると、ふたりとも難しい顔をしながら頭を高速回転させているようだった。髪の毛の隙間から煙が上がるんじゃないかっていうくらい考えているに違いない。僕もそうだけど、とっかかりが見つからない。考える糸口があればなんとかなるのに。

 思案顔の僕たちを眺めて満足そうに老先生は言った。

「これぞ数学の本質。数学は無限を見捨てない。終わりのない旅人のサポート役なのだ。ほかの分野では投げ出してしまうところを、数学は投げ出さない。きちんと考える。それが数学の優しさだ」


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 老先生はまた一服と言って、談話室から出ていった。さっきと同じように、僕たちは老先生の言葉の余韻に浸る。ふたりとも遠い目をしている。

 僕は頭の中で解法を模索していた。無限に続く分数の列。どこまでも小さくなるけど、どこまでも続いていく。まるでしぼんでいくけど決して消えない記憶のかけらみたいだ。

「こりゃムズいな」巧が諦めたように呟いた。「お前らわかったか?」

「いやまだ」僕は答えた。

「私も」有里はお菓子に手を伸ばして口へと運ぶ。「全然わからない」

「どう考えたらいいんだろう」

「明確なことを整理してみよう」巧が言う。「まず俺たちは歳をとらない。だから一年ごとに、一年の感覚を積み重ねていく。ずっとだ。終わりはない。ただ、その感覚は年々小さくなっていく。だけど、数としてはたしかに存在する。つまり有限だな。有限を無限に足し合わせるんだから、答えも無限になるんじゃないか?」

 巧の考えに矛盾はない。小さくはなるけど、ゼロじゃないんだ。だから、足していくとどこまでも増えていく。だけど。

「無限に小さくなる数を足しても、積らないんじゃない?」有里が意見を言った。僕は開こうとした口をぐっと結ぶ。

「でも有限なんだぜ。ゼロじゃない」巧が自分の考えと照らし合わせて反論する。

「学校のプールに醤油を一滴入れても、全体的な変化はないでしょ? それと同じじゃない」

「いや、目で確認できない程度に水面が上昇するはずだ」

「でもなんかおかしいわよ」

「論理的に言えよ」

 ふたりの意見は両方正しいように思えた。有限項の無限和は無限だ。ただ、その有限項は無限に小さくなる。

 無限の有限を無限に。

 本当に答えなんてあるんだろうか。



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