目次
ユークリッド-Eukleides-
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ピエール・ド・フェルマー-Pierre de Fermat-
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ピタゴラス-Pythagoras-
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ルネ・デカルト-René Descartes-
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アルキメデス-Archimedes-
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レオナルド=フィリオ=ボナッチ-Leonardo Fibonacci-
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ブレーズ・パスカル-Blaise Pascal-
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ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ-Gottfried Wilhelm Leibniz-
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アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre
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ヤコブ・ベルヌーイ-Jakob Bernoulli-
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ジャン・ル・ロン・ダランベール-Jean Le Rond d'Alembert-
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ-Joseph Louis Lagrange-
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ピエール=シモン・ラプラス-Pierre Simon Laplace-
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ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ-Jean Baptiste Joseph Fourier-
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ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス-Johann Carl Friedrich Gauss-
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン-Georg Friedrich Bernhard Riemann-
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アンドリュー・ワイルズ-Andrew John Wiles-
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ジュゼッペ・ペアノ-Giuseppe Peano-
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オーガスタス・ド・モルガン-Augustus de Morgan-
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ダフィット・ヒルベルト-David Hilbert-
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レオンハルト・オイラー-Leonhard Euler-
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最終定理-the Last Theorem-
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家近くのバス停に着くまで、ずっと本を読みっぱなしだったから何も考えることがなかった。さすがに家までの道では読書しなかったけど、道中読んだことを頭の中で反芻して整理しファイリングした。これでいつでも検索できる。

家に着いた頃にはもうすっかり夕方もすぎ去ろうとしていた。お腹は減っていないけど、夕食の時間帯だ。またピザかと思うと少しげんなりしたけど、おそらくしばらく食べられないだろうからと思いなおす。

 玄関のドアに張り紙があった。

――正宗くんへ 帰ってきたらインターホンを押してください

 自分の家に入るとき、インターホンを押すなんて不思議な感じだったけど、押せと言われたら、障子と電車を待っている人以外ならなんでも押していい。

 ピンポン。

 しばらく待つ。

『正宗くん? おかえり。入っても大丈夫よ。ただ十数えてからね』

 むかしお風呂から上がるとき、同じようなせりふを聞いたことがある。上がるか入るかの違いだ。

 十数えてドアを引くと、玄関に母さんが立っていた。

「おかえりぃ。お風呂? ごはん? それともにゃんにゃん?」気持ち悪いくらい表情を崩して母さんは笑う。にゃんにゃんってなんだ。

「じゃあお風呂にするよ」真に受けずに、僕は正直に答えた。

「そう言うと思ってもう沸かしてあるんだよねぇ、私ったら気が利くでしょ? いい奥さんになれそう」

「アピールする対象を間違えてるよ」

 僕がリビングへ行こうとすると、母さんが身体いっぱいを使って遮ってきた。

「何?」

「お風呂でしょ? カバンは私が持っていってあげるから、正宗くんはバスルームに直行よ!」

「いいけど」

 母さんにカバンを預けて洗面所で手を洗う。いつもはキッチンで洗うんだけど、リビングは立入禁止みたいだから仕方がない。

「着替えは置いてあるからねえ」母さんの声がドア二枚越しに聞こえた。どこまでも手まわしがいい。リビングにいったい何を隠しているんだ?

 たっぷり半時くらいお風呂に浸かり、汗を流して毒気を抜いた。一緒に緊張感とか警戒心とかも抜けてしまい、上がったときにはもう僕はまっさらだった。

 服を着ようとすると、着替えかごにメモが入っているのに気づいた。

『お風呂から上がって出る準備ができたら「上がったよー」と大声をあげて、そこで一分待ってください』

 どこぞのお父さんが言いそうなせりふだ。さけぶのもおとなりさんに聞こえたりしたら恥ずかしい。まるで、僕がひとりで頭を拭いたり身体を拭いたりできないみたいじゃないか。そう疑う人にも問題があるけど、風紀乱れる今の世の中じゃなんでもありだ。

 せっかくまっさらになれたのに、早々に心底いやな思いをするなんてな。でも仕方がない。最近なんでも諦めがよくなってきている自分に気づいた。

「上がったよー」服を着て髪を乾かしてから、控え目な声で僕は言った。充分リビングには届いただろう。

「はーい」母さんの返事が聞こえた。そんな返しをされると、ますます恥ずかしい。幼い頃お風呂上がりに母さんに世話になっていたときのことを思い出しそうだ。

 しばらく待っているとリビングのほうからどやどやと擬音語がドアを通して僕に届いた。近所迷惑以外のなんでもない騒音だ。

 ドアの向こうに満面の笑みを貼りつけた母さんがいた。

「さあ、お風呂上がりでふくふくしてるわね、じゃあリビングにどうぞ」

 言われるままに、リビングのほうへと誘導され、僕はドアを開いた。

 そこはリビングじゃなくて森の中だった。

 いや正確には森のまねをしたリビングだった。

 部屋のあちこちにこれでもかと観葉植物の鉢を置かれたら、森に迷い込んだのかと疑うのも無理はない。ちなみに母さんにガーデニングの趣味はないし、僕にももちろんない。

「どうしちゃったの? こんなにしてさ」当然の疑問を投げかける。

「サプラーイズ!」張り切った声で母さんは言った。

 僕の今の状態も、驚くと呼ぶんだろうか。どちらかというと、呆れるという表現が正しい気がするけど。

「誕生日の前倒しですよ!」母さんは僕の足元にスリッパを置いた。よく見ると、床も芝で埋め尽くされている。あとで掃除がたいへんだ。

 スリッパを履いて、リビングの中央に立つ。ホームセンターの観葉植物売場をそのままそっくりここに移してきたみたいだ。基本的に大部分はガジュマルで占められている。その隙間を埋めるように笹みたいな植物が置かれている。ソファやテーブルには人工芝のシートを敷いた上にサボテンの鉢がところ狭しと並べてある。本来なら白いはずの壁が迷彩模様に変えられている手の込みようだ。配置が非常に乱雑で、一貫性もないから、単にリビングの色調が緑一色になってしまったという印象しかない。

「で、これは何を意味してるの?」丸くてトゲの短いかわいらしいサボテンをなでながら母さんにきいた。

「本当は当日にやろうと思ったんだけど、誕生日に家からたたき出して外をほっつかせるのもかわいそうだからさ、先に敢行しちゃおうと思ったわけだよ、ワトソンくん」

 つっこむ点が多すぎるし、質問の答えになってないし、呆れるばかりだ。

 それにしても一日かけてこれを用意してたのか。お金もかかっただろうし、何より圧倒的な無意味の気配がむくむく漂う。家を森にしてどうするつもりだろう?

「では、はじめます」おほんとうそくさい咳払いをひとつして、僕をソファへと追いやり強引に座らせようとする。いやいやサボテンの上には座れないから。

 かわいらしいサボテンを床にのけて、座る場所を確保すると、母さんが遠い目をして話しはじめた。


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ある日、ある森の中を、ひとりの超かわいい女の子が散歩していました。

「こないだママに買ってもらった新しい服一式、似合ってるかなあ。誰か見てくれる人いないかしら」

 そこへ、木の陰からひょいと姿を見せたのは、大きな口にむき出た牙を持ったトラさんだったのです。

「おやおや嬢ちゃん、素敵なアウトフィットだねえ。とってもファッショナブルだよ」

「まあトラさんこんにちは。そうでしょ? おニューなの」

「とってもよく似会ってるよ。もう食べちゃいたいくらいにねえ」

「そんな、食べられてしまっては困るわ。もうお洋服が着れなくなっちゃう」

「はあはあ、むふふ、そうかいそうかい。なら食べちゃうかわりにその春色のポシェットを置いていってもらおうか」

「そんな! これはおニューなのよ、今日はじめて外に持ち出したばかりで」

「じゃあお嬢ちゃんを食べちゃうぞ、ああ食べちゃうぞお」

「うう、わかったわ。ほら」

 女の子は大層悲しみながらポシェットをトラさんの牙に引っかけてあげました。

「違う! 首にかけるんだよ!」

「ごめんなさい! そんなに怒らないで!」

 首にかけ直してあげると、トラさんはうひゃひゃと大笑いしながら木陰の向こうへのしのしと歩き去ってしまいました。

「うう、ママああ」

 女の子はその場に泣き崩れてしまいました。しくしく。


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「あのー」僕は挙手して発言の許可を申し出た。

「ダメ! これからなんだから! 正宗くんは黙って見てて!」女の子兼トラさん役の母さんはぴしゃりと言った。

「あのさ、ただちょっと飲み物ほしいからそこのカバンからお茶だけ出していい?」

「すぐよ。もう続きやっちゃうんだから」

 僕はさっと立ち上がり、ガジュマルの足元にあるカバンから図書館前で買ったお茶のボトルを取り出して、すぐソファに戻った。

「じゃあ続けます」


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 ウインドウショッピングやケーキのホール丸かじりといった楽しいことを考えて、なんとか気を持ち直した女の子は、立ち上がってさらに森を進んでいきます。

「意地悪なトラさんに、もう出会いませんように」

 女の子はプリティー全開に、お祈りのポーズをとります。これを見て惚れない男がいれば、そいつは絶対もれなくまがうかたなきまでにホモでしょう。

 しばらく歩いていくと、ふいにサボテンの隙間からとがった耳のオオカミさんが飛び出してきました。

「あらあ、えらいかわいらしいお嬢ちゃん、お散歩かい?」

「あらオオカミさんこんにちは。ええ、新しいお洋服を着てお散歩しているの」

「それはええねえ、ええのう、ええなあ。もうかわいらしすぎて噛みつきたいくらいやわあ」

「そんな、噛みつかれてしまっては困るわ。もうすぐ海開きだからお肌を傷ものにしたくないの」

「さよかさよか、ほなかわりにその薄水色のカーディガン置いていってもらおうか」

「そんな! これはおニューなのよ、まだ二回しか袖に通してないのに」

「そいだらお嬢ちゃんに噛みつくで、めっちゃ噛みつくでえ」

「うう、わかったわ。ほら」

 女の子は大層悲しみながらカーディガンをオオカミさんの耳に着せてあげました。

「なんでやねん! 耳に着てどうすんねん!」

「ごめんなさい! そんなに怒らないで!」

 背中にはおるようにかけてあげると、オオカミさんはカーディガンに袖を通してなははと大笑いしながらサボテンの隙間に消えてしまいました。

「うう、ママああ」

 女の子はその場に泣き崩れてしまいました。しくしく。


82

 海の家のかき氷やきれいな小麦色に焼けた自分の身体といった楽しいことを考えて、なんとか気を持ち直した女の子は、立ち上がってさらに森を進んでいきます。

「意地悪な肉食の人たちに、もう会いませんように」

 何度お祈りのポーズをしても、女の子は超かわいいのです。スクリーンセーバーにすれば、世界中のオフィスが女の子のかわいさに打ちのめされるでしょう。

 ふいに、こつんと女の子の頭の上で何かがはねて、地面に落ちました。やっぱりかわいく頭をさすりがら、女の子はかがんで落ちてきたものを見てみます。それはドングリでした。

「あら、どうしてこんなところにクルミが?」

 女の子は木の実に詳しくないのでした。

「ああ、どうもすみません」

 降ってきた声の主を探して女の子が顔を上げると、そこにはふっくら豊満なバストを持ったハトさんがいました。

「うっかり食料を落としてしまいまして。おケガはないかしら?」

「あらハトさんこんにちは。ええ大丈夫よ。髪のセットも乱れてないし」

「それは何よりね。あら、そのパンプス素敵ねえ」

「わかる? おニューなの」

「控え目な花模様がとってもいいわ。きっとお高いんでしょうねえ」

「そんなあ、まあね」

「あら、でもダメよぉ。そのワンピースとあまりマッチしてないんじゃない? 真っ白だからパンプスが目立ちすぎてるわ」

「そう? でもお靴がないと、お散歩を続けられないわ」

「ちょうどここに素敵なサンダルがあるの。これと交換しない?」

「やだ、それサンダルじゃなくてスリッパじゃない。いらないわ」

「そう言わないで。大人しく渡さないと、仲間を呼んで羽根埋めの刑に処してしまうわよ」

「そんな! まだ天使にはなりたくないわ。天使よりもかわいいけど、まだそのときじゃないの」

「なら羽根埋めよ、もう昇天するくらい羽根埋めよ」

「うう、わかったわ。ほら」

 女の子は大層悲しみながらパンプスを脱いでハトさんに差し出しました。

「なんで片方だけなのよ! 両方よ両方!」

「ごめんなさい! そんなに怒らないで!」

 両足とも差し出すと、ハトさんはくるぽっぽと大笑いしながらパンプスをくわえて飛び去ってしまいました。

「うう、ママああ」

 女の子はその場に泣き崩れてしまいました。しくしく。



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