目次
ユークリッド-Eukleides-
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ピエール・ド・フェルマー-Pierre de Fermat-
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ピタゴラス-Pythagoras-
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ルネ・デカルト-René Descartes-
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アルキメデス-Archimedes-
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レオナルド=フィリオ=ボナッチ-Leonardo Fibonacci-
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ブレーズ・パスカル-Blaise Pascal-
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ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ-Gottfried Wilhelm Leibniz-
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アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre
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ヤコブ・ベルヌーイ-Jakob Bernoulli-
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ジャン・ル・ロン・ダランベール-Jean Le Rond d'Alembert-
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ-Joseph Louis Lagrange-
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ピエール=シモン・ラプラス-Pierre Simon Laplace-
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ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ-Jean Baptiste Joseph Fourier-
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ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス-Johann Carl Friedrich Gauss-
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン-Georg Friedrich Bernhard Riemann-
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アンドリュー・ワイルズ-Andrew John Wiles-
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ジュゼッペ・ペアノ-Giuseppe Peano-
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オーガスタス・ド・モルガン-Augustus de Morgan-
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ダフィット・ヒルベルト-David Hilbert-
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レオンハルト・オイラー-Leonhard Euler-
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最終定理-the Last Theorem-
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 近くのベンチに座って地図をじっくりと見てみる。すごくわかりやすかった。というか、すぐそこだ。

「しょうがないな」

 お茶を一口含んで立ち上がり、そのまま鳥居のほうまで歩いていった。地図は、平安神宮の鳥居の足を示していたからだ。

 太すぎる鳥居の足元をぐるぐるまわりながら、何か落ちていないかチェックする。特に目立ったものは落ちていない。もう一度地図を確認する。たしかにこちら側の足を示している。いや冷静になれ。僕はなんでこんなことしてるんだろう。なんのために。

「このマークはなんだろう」地図には鍵のマークが記されていた。針金を曲げてつくったような古臭いかたちの鍵で、こんなもの現代で使うのは、ゲームの中だけだろう。でも今はゲームの中にいるのかもしれない。

 おそろしいことに、鳥居の足に扉がついているのを見つけた。取っ手がなくて、鍵穴がある。地図に記されている鍵の形状と一致する鍵穴だった。大きさは体育座りの僕を安置できるくらい。今は固く閉ざされている。

 どちらにしろ、僕は鍵を持っていない。これでは万事休すだ。戻って取り残したイベントを回収する必要があるみたいだけど、まさかね。

「おばあさんがキーキャラクターなのかな。話を聞いて、鍵をもらうとか」

 普段の僕なら、戻っておばあさんに話しかけたりするだろうけど、今はそんな気分になれなかった。今日はゲームをするんじゃなくて、本を読む日だと決めている。一度決めたことはやすやすとは変更しない。

 地図は持って帰ることにしてカバンにしまい、僕はバス停で待ちながら本を開いた。


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 そこからは、目についたバスに乗って終点まで本を読み、着いたらまたバスを乗り換えてという一連の行動をくり返した。乗車中は本にしか目を向けていなかったから、乗客の姿もすぎゆく街並みの風景も見ていない。ただ、終点がどこかだけ認識していた。

 鳥居のバス停から京都外国語大学へ行き、引き返すように銀閣寺へ行き、南へと向かい京都駅へ行き、バスターミナルの規模の大きさに不安になったから、名前だけ知っている立命館大学へと向かった。

 立命館大学前で降りた頃には昼の気配もとっくに遠のいて、夕方の訪れを感じた。そろそろ帰ろうか、と思ったけど、よく考えたらどのバスに乗ったら帰れるのかわからない。面倒だけど、また京都駅まで帰らなければいけないみたいだ。京都駅からならどこへでも行けるだろう。

 本はもう半分まで読んだ。これから折り返し地点だ。こんなにも集中して読書したのははじめてで、自分にこんな能力が備わっていたことに内心驚いた。もっと驚きなのは、読んでいて全然飽きないことだ。やっぱり興味のあるものに取り組むのって集中力が高まるよね。

 数学と一口に言っても、いろんな分野があるんだ。代数とか幾何とか確率とか。でも読んでいてもわかるけど、将来絶対役に立ちそうにない。よく知らないけど、大人になって働くとき、こんな数学を必要とする機会なんてないと思う。どこかお店の店員さんならおつりの勘定ができれば充分だろうし、会社員なら大きな桁の数字を数えられればいいだろうし、タレントなんて名乗っている人たちなんて数学の勉強すらしたことないんじゃないかな。

 しいて言えば、先生くらいかな。自分が理解できていないと人に教えるなんてとても無理だろう。テストの問題もつくれないし、質問にも答えられない。そういえば、ミズカツ先生は質問したらすごく的確に答えをくれる。ああいうところを巧は好きなのかもしれないな。これが、よく見ないと気づかない隠れた人の魅力だろうか。

 でもいくらミズカツ先生でも、老先生や若先生たちの域までは達していない気がする。学校の先生と塾の先生っていう立場上の性能差もあるかもしれないけど、僕には老先生たちのほうが頭のよさという点では上回っているように思える。明確な比較の要素はないんだけど、ぼんやりと僕が感じるだけだ。尊敬するなら老先生たちだと。

 そんなことを考えながらバス停でぼんやりしていると、京都駅行きのバスが来た。


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家近くのバス停に着くまで、ずっと本を読みっぱなしだったから何も考えることがなかった。さすがに家までの道では読書しなかったけど、道中読んだことを頭の中で反芻して整理しファイリングした。これでいつでも検索できる。

家に着いた頃にはもうすっかり夕方もすぎ去ろうとしていた。お腹は減っていないけど、夕食の時間帯だ。またピザかと思うと少しげんなりしたけど、おそらくしばらく食べられないだろうからと思いなおす。

 玄関のドアに張り紙があった。

――正宗くんへ 帰ってきたらインターホンを押してください

 自分の家に入るとき、インターホンを押すなんて不思議な感じだったけど、押せと言われたら、障子と電車を待っている人以外ならなんでも押していい。

 ピンポン。

 しばらく待つ。

『正宗くん? おかえり。入っても大丈夫よ。ただ十数えてからね』

 むかしお風呂から上がるとき、同じようなせりふを聞いたことがある。上がるか入るかの違いだ。

 十数えてドアを引くと、玄関に母さんが立っていた。

「おかえりぃ。お風呂? ごはん? それともにゃんにゃん?」気持ち悪いくらい表情を崩して母さんは笑う。にゃんにゃんってなんだ。

「じゃあお風呂にするよ」真に受けずに、僕は正直に答えた。

「そう言うと思ってもう沸かしてあるんだよねぇ、私ったら気が利くでしょ? いい奥さんになれそう」

「アピールする対象を間違えてるよ」

 僕がリビングへ行こうとすると、母さんが身体いっぱいを使って遮ってきた。

「何?」

「お風呂でしょ? カバンは私が持っていってあげるから、正宗くんはバスルームに直行よ!」

「いいけど」

 母さんにカバンを預けて洗面所で手を洗う。いつもはキッチンで洗うんだけど、リビングは立入禁止みたいだから仕方がない。

「着替えは置いてあるからねえ」母さんの声がドア二枚越しに聞こえた。どこまでも手まわしがいい。リビングにいったい何を隠しているんだ?

 たっぷり半時くらいお風呂に浸かり、汗を流して毒気を抜いた。一緒に緊張感とか警戒心とかも抜けてしまい、上がったときにはもう僕はまっさらだった。

 服を着ようとすると、着替えかごにメモが入っているのに気づいた。

『お風呂から上がって出る準備ができたら「上がったよー」と大声をあげて、そこで一分待ってください』

 どこぞのお父さんが言いそうなせりふだ。さけぶのもおとなりさんに聞こえたりしたら恥ずかしい。まるで、僕がひとりで頭を拭いたり身体を拭いたりできないみたいじゃないか。そう疑う人にも問題があるけど、風紀乱れる今の世の中じゃなんでもありだ。

 せっかくまっさらになれたのに、早々に心底いやな思いをするなんてな。でも仕方がない。最近なんでも諦めがよくなってきている自分に気づいた。

「上がったよー」服を着て髪を乾かしてから、控え目な声で僕は言った。充分リビングには届いただろう。

「はーい」母さんの返事が聞こえた。そんな返しをされると、ますます恥ずかしい。幼い頃お風呂上がりに母さんに世話になっていたときのことを思い出しそうだ。

 しばらく待っているとリビングのほうからどやどやと擬音語がドアを通して僕に届いた。近所迷惑以外のなんでもない騒音だ。

 ドアの向こうに満面の笑みを貼りつけた母さんがいた。

「さあ、お風呂上がりでふくふくしてるわね、じゃあリビングにどうぞ」

 言われるままに、リビングのほうへと誘導され、僕はドアを開いた。

 そこはリビングじゃなくて森の中だった。

 いや正確には森のまねをしたリビングだった。

 部屋のあちこちにこれでもかと観葉植物の鉢を置かれたら、森に迷い込んだのかと疑うのも無理はない。ちなみに母さんにガーデニングの趣味はないし、僕にももちろんない。

「どうしちゃったの? こんなにしてさ」当然の疑問を投げかける。

「サプラーイズ!」張り切った声で母さんは言った。

 僕の今の状態も、驚くと呼ぶんだろうか。どちらかというと、呆れるという表現が正しい気がするけど。

「誕生日の前倒しですよ!」母さんは僕の足元にスリッパを置いた。よく見ると、床も芝で埋め尽くされている。あとで掃除がたいへんだ。

 スリッパを履いて、リビングの中央に立つ。ホームセンターの観葉植物売場をそのままそっくりここに移してきたみたいだ。基本的に大部分はガジュマルで占められている。その隙間を埋めるように笹みたいな植物が置かれている。ソファやテーブルには人工芝のシートを敷いた上にサボテンの鉢がところ狭しと並べてある。本来なら白いはずの壁が迷彩模様に変えられている手の込みようだ。配置が非常に乱雑で、一貫性もないから、単にリビングの色調が緑一色になってしまったという印象しかない。

「で、これは何を意味してるの?」丸くてトゲの短いかわいらしいサボテンをなでながら母さんにきいた。

「本当は当日にやろうと思ったんだけど、誕生日に家からたたき出して外をほっつかせるのもかわいそうだからさ、先に敢行しちゃおうと思ったわけだよ、ワトソンくん」

 つっこむ点が多すぎるし、質問の答えになってないし、呆れるばかりだ。

 それにしても一日かけてこれを用意してたのか。お金もかかっただろうし、何より圧倒的な無意味の気配がむくむく漂う。家を森にしてどうするつもりだろう?

「では、はじめます」おほんとうそくさい咳払いをひとつして、僕をソファへと追いやり強引に座らせようとする。いやいやサボテンの上には座れないから。

 かわいらしいサボテンを床にのけて、座る場所を確保すると、母さんが遠い目をして話しはじめた。


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ある日、ある森の中を、ひとりの超かわいい女の子が散歩していました。

「こないだママに買ってもらった新しい服一式、似合ってるかなあ。誰か見てくれる人いないかしら」

 そこへ、木の陰からひょいと姿を見せたのは、大きな口にむき出た牙を持ったトラさんだったのです。

「おやおや嬢ちゃん、素敵なアウトフィットだねえ。とってもファッショナブルだよ」

「まあトラさんこんにちは。そうでしょ? おニューなの」

「とってもよく似会ってるよ。もう食べちゃいたいくらいにねえ」

「そんな、食べられてしまっては困るわ。もうお洋服が着れなくなっちゃう」

「はあはあ、むふふ、そうかいそうかい。なら食べちゃうかわりにその春色のポシェットを置いていってもらおうか」

「そんな! これはおニューなのよ、今日はじめて外に持ち出したばかりで」

「じゃあお嬢ちゃんを食べちゃうぞ、ああ食べちゃうぞお」

「うう、わかったわ。ほら」

 女の子は大層悲しみながらポシェットをトラさんの牙に引っかけてあげました。

「違う! 首にかけるんだよ!」

「ごめんなさい! そんなに怒らないで!」

 首にかけ直してあげると、トラさんはうひゃひゃと大笑いしながら木陰の向こうへのしのしと歩き去ってしまいました。

「うう、ママああ」

 女の子はその場に泣き崩れてしまいました。しくしく。


80

「あのー」僕は挙手して発言の許可を申し出た。

「ダメ! これからなんだから! 正宗くんは黙って見てて!」女の子兼トラさん役の母さんはぴしゃりと言った。

「あのさ、ただちょっと飲み物ほしいからそこのカバンからお茶だけ出していい?」

「すぐよ。もう続きやっちゃうんだから」

 僕はさっと立ち上がり、ガジュマルの足元にあるカバンから図書館前で買ったお茶のボトルを取り出して、すぐソファに戻った。

「じゃあ続けます」



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