目次
ユークリッド-Eukleides-
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ピエール・ド・フェルマー-Pierre de Fermat-
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ピタゴラス-Pythagoras-
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ルネ・デカルト-René Descartes-
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アルキメデス-Archimedes-
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レオナルド=フィリオ=ボナッチ-Leonardo Fibonacci-
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ブレーズ・パスカル-Blaise Pascal-
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ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ-Gottfried Wilhelm Leibniz-
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アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre
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ヤコブ・ベルヌーイ-Jakob Bernoulli-
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ジャン・ル・ロン・ダランベール-Jean Le Rond d'Alembert-
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ-Joseph Louis Lagrange-
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ピエール=シモン・ラプラス-Pierre Simon Laplace-
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ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ-Jean Baptiste Joseph Fourier-
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ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス-Johann Carl Friedrich Gauss-
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン-Georg Friedrich Bernhard Riemann-
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アンドリュー・ワイルズ-Andrew John Wiles-
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ジュゼッペ・ペアノ-Giuseppe Peano-
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オーガスタス・ド・モルガン-Augustus de Morgan-
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ダフィット・ヒルベルト-David Hilbert-
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レオンハルト・オイラー-Leonhard Euler-
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最終定理-the Last Theorem-
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 ここは学校。図書室のドアの前に僕は立っている。中から人の気配はしない。

 僕はひとり。そばには誰もいない。

 引き戸を開けて中に入る。受付にすら誰もいない。でも書棚の隙間に押し込まれるように置かれた机には人がいた。

 眼鏡をかけた髪の長い女の子が座って本を読んでいる。僕の知らない顔だ。少なくとも有里じゃない。だってその女の子は僕よりも年上に見えるし、制服を着ているんだから。

 まわりをよく見まわしてみる。ここは、どこの図書室だろう。もしかして、よその学校の図書室に僕はいるのかな。だとしたら、どうして?

 彼女に近づいていく。絶対ドアの気配や足音で僕の存在を認識できるはずなのに、彼女は顔を上げようとしない。まるで、僕が見えないみたいに。この世界の人間じゃないみたいに。

「こんにちは」僕は声をかけてみた。

「ここは落ち着くわね」透き通るような、か細く美しい声が聞こえた。声が耳に届いた瞬間、さらさらの水になり、そこに留まってこだまするような感覚に陥って、不安だけどうれしいみたいな妙な気分になった。

「僕、正宗っていいます。あなたは誰ですか?」

「私はあなたのパートナーよ」

「僕のなんのパートナーなんですか?」

「あなたがそう願ったんでしょう? さあ、踊りましょう。ずっと待っていたのよ」

 彼女は立ち上がり、僕の目の前に立つ。頭ひとつ分くらい僕より高い。靴のせいかな、と足元に視線を落としてみたけど、彼女はありふれた上履きを履いていた。普通に、とても背が高いんだ。

「踊るってどうやって? 僕踊り方なんて知らないし、音楽もないよ」

「ただ、こうしてゆらゆらしていればいいの。踊りとはそういうものよ」

 彼女は僕の両手をとって、自分の背にまわし、そっと自分を抱きしめさせた。僕の目線がちょうど彼女の肩くらいの高さだから、顔をどこにやっていいかわからず、しきりにごそごそしていると、彼女が頬を僕の頭のてっぺんに押しつけて動きを止めてきた。僕が大人しくなると、彼女も僕の背に両手をまわして抱きしめた。傍から見たら、抱き合う男女の拙いダンスだろうけど、もう少し僕の背が高くないと絵にならない。これではまるで、泣きつく弟と慰める姉の一風景だ。

 ゆらゆらと彼女と踊るうちに、なんだか眠たくなってきて、彼女に体重を預けるようにしながら、肩に顔をうずめて目を閉じた。紺色のセーター越しに彼女の温かみを感じ、身体の芯から力が抜けて僕は立っていられなくなった。

 僕のひざが崩れ落ちるのと同時に、彼女も僕を抱きしめたままかがんで支えてくれた。

「どうしてだかわからないけど、力が入らないんだ」僕は顔を押しつけたまま、呟いた。

「大丈夫よ、大丈夫」彼女は優しく僕の頭をなでて手を添えた。「このまましばらく落ち着くまでこうしていましょう」

「なんだか眠いよ。目を開けてられないよ」

「いいのよ。あなたは私の中で眠るの。ずっとこうして。時が止まるまで、ずっと」

 僕の中の僕は、彼女の腕の中で眠る。僕が死ぬまで。彼女は死なない。僕を抱えたまま、ずっと生き続けるだろう。学問って、そういうものだ。


73

 バスは今どこを走っているんだろう。

 あれ? 僕はなんでここに座ってるんだ?

 いつの間にか、窓側の席に移動していた。たしか、奥に誰か先客がいたから、僕は通路側に座ったはずなのに。

 僕が席を立たないと、窓側の人はバスを下りられない。でも僕は立ち上がった覚えはない。無意識のうちに僕は席を移ったんだろうか。

 窓の外を眺めると、軽い既視感に襲われた。ここを曲がるとたしか……。

「次は京都会館美術館前、京都会館美術館前。終点です」

 またここに来てしまった。いやべつにいやじゃないけど。

 終点と言われたら降りるしかない。本をカバンにしまい、下車の準備をした。

 バス停はちょうど巨大な鳥居のすぐ近くだった。琵琶湖疏水に架けられた橋の上をたくさんの人が行きかっている。人力車を引くお兄さんがいい汗を流しながら、おのぼりさんにしか見えない乗客に解説していた。

 ちょうどお昼時だ。そろそろどこかに落ち着いて昼食にしよう。

 鳥居の下をくぐって平安神宮のほうへと歩いていく。信号を渡り、ベンチがいくつか設えてある広場に入った。ここも混んでいた。家族連れがもっとも大きな割合を占めているみたいだ。

 運よく空いているベンチを見つけた。そこに座って一息つく。外の空気がおいしかった。今日みたいな青空から降ってくる空気が一番おいしい。

 爽やかな風が吹いている。髪の隙間に入り込んで僕の頭をふわふわにした。

「母さんは今頃何してるんだろう」四歳くらいの子供の両手を握ってぶんぶん振り回している母親の姿を見て、ふいにのぼってきた言葉がそのまま口から出ていった。

 すっかり冷めたピザをかじりながらコーラを飲む。

 本を読みながら頭の中で展開された物語について考えてみた。

 これが、老先生の言っていた経験っていうやつなのかな。

 でも老先生は一瞬にして、頭に閃きが走ったって言っていた。僕の場合は一瞬の閃きじゃない。ゆっくりダンスまで踊ったんだ。彼女の温かさを感じる余裕もあったし、少しだけど会話もできた。

 今でも、僕の中の僕は彼女の腕で眠っているんだろう。そして彼女は僕が死ぬまで僕に話しかけ続けるんだ。

でも僕は答えない。眠り続けている。

それでも僕は彼女の言葉を聞いている。

そうやって僕は学んでいく。

これからそうやって数学を学んでいくんだ。

彼女は、数学の女神なんだ。


74

 昼食を終えてぼんやりしていると、遠くから見覚えのある顔が近づいてきた。

「またお前さんか」平安神宮で会ったおばあさんは、そう言って僕のとなりに腰かけた。

「こんにちは。いい天気ですね」

「お前に天気のよしあしがわかるのか」

「そう言われると、わかった気がしてただけかも」

「そうじゃ。誰が晴れだといいと決めたんじゃ?」

「さあ。たしかに雨でも怒らないし、雪でも泣いたりしませんね」

「勝手に決めつけてはいかん。本質を見抜くことじゃ」

「おばあさんはここによく来るの?」

「この歳になるとな、ほかに行くところがない。家にこもっていては腐ってしまうからの」

「そんなもんかな」

「お前さんにはまだまだわからん話じゃ」

 なんでも歳のせいにされたらたまらない。ふいに不満感を覚えて、僕はコーラを全部飲んでしまい、新しい飲み物を買うため図書館のほうへ行くために立ち上がる。おばあさんに「じゃあ」と言って立ち去ろうとした。

「ばばの孫とよう似とると言うたじゃろう」うしろから声をかけられて振り返る。おばあさんはこっちを見ずにぼんやりと空を見上げながらひとり事のように話した。

「むかしはばあちゃん子でかわいいやつだった。じゃが最近ではばばに会いに来ようともせんし、連絡もよこさんようになってしもうてな。ばばも寂しい思いをしよる」

 僕に話しているのか自分で口にして確認しているのかわからなくて、僕はその場に立ち尽くしていた。次の句がないようなら、こっそり去ろうと思ったけど、そうはいかなかった。

「今の孫が何をして何を考えとるかは知らん。お前さんはまだかわいかった頃のゆうに似とる。ゆうというのは孫の名前でな。小さい頃はゆう、と呼ぶとばばのところまで駆け寄ってきてくれたもんじゃ」

 終わりが見えそうにないから、一言だけ申し添えて、もう離れることにした。

「じゃあそのゆうくんによろしくね。おばあさんもお昼まだだったら何か食べたほうがいいよ。こんなあったかいベンチでたくさんしゃべったら、お腹すくから」

「ゆうは女の子じゃぞ。有里のゆうじゃ」

 かなり驚いたけど、やっぱり僕はもう行くことにした。


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 信号を渡り、図書館前にある自販機にコインを入れながら、ちょっとだけ考えてみた。

 おばあさんから有里の面影は感じない。有里からおばあさんの面影なんて感じない。

 こういう偶然は、お話の中じゃ定石なのかもしれないけど、現実にはどれくらいありふれているのかわからない。僕はうっかり遭遇してしまったとき、素直に信じるんじゃなくて、とりあえず疑ってかかることにしている。理由は、間違っている確率のほうが高いからだ。それにもし偶然の一致だとしても、それで得られるアドヴァンテージというか、つまり得することは何もないからだ。

 たまたま友達の親族に遭った。それだけだ。

 有里って名前は、それほどひねってひねりつぶしたようなへんてこな名前でもないし、この街に僕の有里以外にたくさん有里って子はいるだろう。おばあさんからさらに情報を得ていたら、僕の有里かどうかくらい特定できたかもしれないけど、そうまでする努力を僕は持たない。

 さっきコーラは飲んだから、お茶を買うことにした。ボタンを押して受け口に出てくるボトルを取り出す。

 どういうわけか、お茶は入っていなかった。かわりに丸められた紙が、ボトルに入れられている。

 僕は自分が押したボタンを確認した。たしかにお茶のボトルの下に位置している。見本のボトルに紙なんて間違っても入っていないし、「じつはお茶ではなく紙なのだ」なんて注意書きもない。

 キャップを開けて中の紙を取り出し、開いてみた。宝の地図みたいだった。

「いつの間に僕はゲームの世界に紛れ込んじゃったんだろう」

 不本意にもRPGを無理やりやらされているみたいで気分が悪い。だいたい僕は宝よりも今はお茶がほしい。

 仕方ないので、またコインを入れる。今度は違うところを押した。出てきたのは普通のお茶だった。

「お金を返してほしいな」それが正直な感想だった。


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 近くのベンチに座って地図をじっくりと見てみる。すごくわかりやすかった。というか、すぐそこだ。

「しょうがないな」

 お茶を一口含んで立ち上がり、そのまま鳥居のほうまで歩いていった。地図は、平安神宮の鳥居の足を示していたからだ。

 太すぎる鳥居の足元をぐるぐるまわりながら、何か落ちていないかチェックする。特に目立ったものは落ちていない。もう一度地図を確認する。たしかにこちら側の足を示している。いや冷静になれ。僕はなんでこんなことしてるんだろう。なんのために。

「このマークはなんだろう」地図には鍵のマークが記されていた。針金を曲げてつくったような古臭いかたちの鍵で、こんなもの現代で使うのは、ゲームの中だけだろう。でも今はゲームの中にいるのかもしれない。

 おそろしいことに、鳥居の足に扉がついているのを見つけた。取っ手がなくて、鍵穴がある。地図に記されている鍵の形状と一致する鍵穴だった。大きさは体育座りの僕を安置できるくらい。今は固く閉ざされている。

 どちらにしろ、僕は鍵を持っていない。これでは万事休すだ。戻って取り残したイベントを回収する必要があるみたいだけど、まさかね。

「おばあさんがキーキャラクターなのかな。話を聞いて、鍵をもらうとか」

 普段の僕なら、戻っておばあさんに話しかけたりするだろうけど、今はそんな気分になれなかった。今日はゲームをするんじゃなくて、本を読む日だと決めている。一度決めたことはやすやすとは変更しない。

 地図は持って帰ることにしてカバンにしまい、僕はバス停で待ちながら本を開いた。



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