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老先生は有里なりに正義があると言った。ならまずそれを聞かないことには、何も変わらないしわからない。
「ねえ有里」僕はもう一度声をかけた。「有里の正義って何?」
ようやく有里は顔を上げ、僕をまっすぐに見た。それから巧にも視線を移して少しあごを持ち上げた。巧を見ると、有里に向かって妙な目配せをしていた。ふたりの間でなんらかのコミュニケーションがとれたんだろう。僕にはわからない。
「今は話せない」有里は言った。
「どうして?」
「しばらくしたらわかるよ。そうね、少なくとも五月中には」
今は四月の終わりにさしかかろうとしている時期だ。じゃあもうすぐ明らかになるってことか、有里の正義が。
「だから待ってて」そう言って有里は僕から目をそらした。うつむいてさらに新たにポテトチップを砕きはじめた。
僕はふうとため息をつき、巧に目を向けた。肩をすくめて両手の平を上に向けるアメリカンアクションをした。三人でいるのにふたりとひとりに分かれてしまったみたいで、どこか寂しい思いがしたけど、それは今だけだと思うことにした。
「うん、じゃあ気長に待ってるよ。こんな経験はじめてで、僕は今楽しいから」
僕がそう言うと、有里はぱっと顔を上げて僕をじっと見た。意外そうな表情だったから僕はたじろいで、何か変なこと言ったかな、と自分の言葉を反芻してみたけど、特別変なことを言ったとは思えなかった。
慌てた様子の僕を見つめながら、有里はふいにぱっと笑顔になった。
よく笑顔をたとえるのに「花開く」とか「百万ドル」とかいうけど、有里の笑顔は形容の言葉が見つからないほどに、ただ素直でかわいかった。よく考えたら有里が笑っているのを見たのははじめてだ。表情ひとつでこんなにも印象が違うんだな、と僕は認識を新たにした。
32
とりあえず有里の件は棚上げとなり、解決は五月に持ち越されることになった。
今日僕がレオンハルトへ来たのは正式に入塾を申し込むためだ。正式といっても申込書にちょろっと個人情報とサインを入力して月謝袋をもらうだけだ。小さなところだから、お金の受け渡しは口座振込ではなく月謝袋ですむみたいだった。ちなみに毎月の月謝金はたったの千円だ。習い事としては破格の値段だと思う。どんな習い事や塾でも最低四千円はとるだろう。赤字で困っているならもう少し値上げしてもいいんじゃないかな。生徒の親からは不満の声も上がらないと思うけど。
手続きをすませて、晴れて僕はレオンハルトの塾生となった。また巧と有里に一歩近づいた気がしてうれしかった。
そういえば、と思いついたことを巧にきいてみた。
「塾長って老先生のことなの?」
巧はすばやく僕のほうへと振り向いてはっはと笑った。
「当たり前だろ。そう思わねえのか?」
「いや以前の巧の話の内容からすると、塾長がべつにいる可能性がちらりと頭に浮かんだからさ。でも僕の面接は老先生がやってくれたから可能性としては無視してもいい程度なんだけど、ゼロってわけじゃないし」
「塾長は老先生で、老先生は塾長だ。逆も真ってわけだ」
僕は巧の言った意味がわからなかった。レオンハルトの人はみんな難しい。唯一情報がないあの人もそうなのかな。僕は若先生のことが気になっていた。
はじめての授業が終わった。授業形態にはじめは戸惑ったけど、すぐに慣れることができた。まわりに知っている顔がいるだけで、未知の空間に放り出されても人間すぐ馴染むものだ。それにしてもノートも教材も何も使わず、僕たち生徒は立ったまま、老先生が思いついたように口にする問題をみんなで考えてホワイトボードをひたすら黒で染めていくという授業は飛びきりかわっている。ホワイトボードを埋めていくのは生徒で、老先生は机についてたまに指摘するくらいだ。最後に全員の総意となった解答をチェックするくらいが先生の役割で、しゃべっているのは基本的に生徒のみだ。老先生は誰かに発言するように指名したりしないから、黙っていたら答えがまとまっていくから見てるだけでもいいんだけど、誰ひとりそんな態度はとらずに積極的に話し合いで自分の意見を言った。僕もみんなに感化されて自分の考えを述べた。意見がかち合って衝突もしばしばあったけど、解決に向かうためにスムーズに衝突が解消されていくのが爽快だった。
僕の学校の生徒は僕たち三人だけだった。今日来てないだけかもしれない。ほかの学校の生徒はみんなやっぱりどこか一段高く、斜に構えた印象で、こういう子供しか生徒にとらないんだろうと想像した。じゃあ僕はなんでここにいられるんだろう。
まるで今日の授業だけで本一冊読み終わったと錯覚できるほどの知識を得られた。はじめてだから全部覚えることができたわけじゃないけど、いつもより頭の中はすっきりしている。
今日は若先生は来なかった。出勤の日じゃないんだろう。いつ来るのか老先生にたずねてみた。
「御手月は来週になったら来るぞ」老先生は手の平でサイコロをもてあそびながら言った。
「じゃあ四月中には会えないんですね」
「それは違うだろう」僕のほうへと顔を向けて、老先生は片手でつんと僕の肩を突いた。
何が違うんだろう。
ああ。
そうだ、違うな。それに若先生の名前はオテツキっていうのか。なんとなく残念な名前だな、と僕は思った。
「違いました。ごめんなさい」
「正宗君、間違いとは罪ではない。すぐにごめんなさいというのはやめたまえ」
「そうなんですか?」
「そうだとも。謝罪、つまり罪を謝るとは、悪事に手を染め罪深いと認められたとき、さらに己がそれを認識してはじめて謝るべきなのだ。己の行為なり精神が罪――すなわち悪ともいえるなこの場合、だと気づき、悔い改めて相手に思いを馳せて、はじめて口からこぼれ出る。謝罪とはそんな言葉なのだ。軽々しく反射的に謝るくせは治さねばならん」
「わかりました。街中で若先生を見かけたら、僕が塾生になったと報告したいです」
「きっと見つかる。彼は市内北部、特に灰皿が置かれているところによくいるだろう」
僕は今後街中を歩くときは灰皿に目を配ることを心掛けるようにしようと決意した。
33
今日学校で体験したこと、レオンハルトでの老先生との会話を母さんに説明するのは難しかった。特に学校での有里がらみの非現実な事件については、自分でもよく理解していないから、その部分は大まかな流れと僕の心情だけを説明することにした。
「今日はたいへんだったんだねえ」話し終えたあとの母さんのレスポンスはのんきなものだった。
「まあ一言でいえばそうだね、たいへんだった」
「でもなんだか貴重な経験をしたみたいじゃない。私だって超常現象あんまり体験したことないのに」
「あんまりってことは、一度はあるわけ?」
「そりゃあるわよ。私くらいのミドルなエイジになるとね、誰でも一度はあるものなの」
「誰でも? 本当かなあ」
「あ、正宗くん私のこと疑ってますね、いけませんねえ。人を信じることが超常現象への第一歩ですよ」
「そうなの?」
「そうよ。テレビでよくやってる超能力の番組とか心霊特集とかあるでしょ。レポーターの人とか専門家の人とかが熱心にうそくさいこと語ってるじゃない。ああいうのを信じることができたら、そのうち自分にも体験のチャンスが巡ってくるんだよ」
「母さんうそくさいって言ってるじゃない」
「だってうそくさいんだもん。スプーン曲げとか心霊写真とか。たぶんあのスプーンはアルミでできてて、五歳児でも曲げられるんだよ。あと、心霊写真は全部が偽造」
「全然信じてないじゃない」
「うん。だいたいねえ、スプーンなんて両手使えば曲げられるし、今はパソコンソフトとかで画像編集できるんだから、霊らしいのが映ってても本物かどうかなんてわかんないわよ」
「母さんの超常現象体験はどんなだったの?」
「すごかったんだよ!」急に母さんのテンションが上がる。「私が高校生のときね、修学旅行で沖縄に行ったの。いろんな見学ツアーがあってね、その中でむかし戦時中に使ってたっていうね、塹壕っていうの?おっきな洞窟に入るのがあったんだ。で私入口の前まで歩いて行って、いざ入ろうってときに身体が動かなくなっちゃったの」
「現象としては僕と一緒だね」
「そんな感じ。でね、入ろうとして一歩足を踏み出した姿勢のまま動けなくなっちゃったから、友達が私を変な目で見るの。どうしたの?ってきかれたから、身体動かないの、って正直に言ったらみんな大笑いしだしちゃって。失礼な話よね」
「みんなどこが面白かったのかな」
「あとでそれ聞いてみたの。なんで笑うのよ!って。そしたらロボットみたいな姿勢のままそんなシュールなこと言うんだもん、だって!」
僕は母さんが沖縄にあるという塹壕の手前で一歩踏み出した姿勢のまま固まって困っている風景を想像してみた。なるほど、ちょっと面白いかも。
「正宗くんまで笑ってる! 何想像してるの、私の制服姿?」
「いやその塹壕の光景を。セリフもそうだけど止まってる母さんもシュールだよね」
「ひどい! 正宗くんなんかもう知らない! ばーかばーか!」
母さんは立ち上がって地団太踏みながらテーブルから離れて自分の寝室に入っていった。ドアの向こうからまだ「ばーか!」という声が聞こえる。なんだかこの頃ますます幼児退行化してきているような気がする。態度に感情が映りやすいというか、みえみえというか。子供は大人へと成長するけど、大人は子供へと後退するんだろうか。じゃあ一番大人でいられる頂点はどこなんだろう。僕はそんなことを考えているうちに、ひとつの疑問を思いついた。
母さんはどうやって動けるようになったんだろう。
僕は超常現象の専門家じゃないから詳しいことはわからないけど、僕と母さんの体験した現象はおそらく金縛りというやつだろう。今思うと、超常現象というよりも、一種の自然現象じゃないのかな。何かの拍子に脳からの信号が途絶えて身体が動かなくなるなんてありそうな話だ。想像だけど。
テーブルを片づけてからパソコンの電源を入れた。インターネットの検索サイトで「金縛り」について調べてみる。何十万件という結果をちらちらのぞいてみると、ほとんどが金縛りを心霊現象でなく生理現象だと説明していた。たぶん近年の科学技術の発達が金縛りの謎を解明したんだろう。つまり、もはや金縛りは超常現象でもなんでもなく、くしゃみなんかとかわらないんだろうという結論が僕の中で出た。
ただ、検索結果のほとんどは寝ている際の金縛りについて述べられていて、僕や母さんのケースのような突然動かなくなる現象については書かれている記事は少なかった。でもまったくないわけではない。中には全力で胡散臭い記事もあった。こういったものほど科学的裏づけから遠ざかり、説得力は痴漢の言い逃れほどに脆弱な傾向にある。テレビ番組みたいにエンターテイメントとして楽しむにはちょうどいいと思ったので、いくつか読んでいるうちに、面白い見解を持っている記事を見つけた。
その記事によると、金縛りにあったときの解決策は、「ごめんなさい」ということだとあった。
僕はレオンハルトでの老先生の言葉を思い出していた。
――すぐにごめんなさいというのはやめたまえ。
(老先生、ときにはすぐにごめんなさいということが、自分の危機を救うことがあるみたいですよ)
僕は心の中で老先生にメッセージを送ると愉快な気分になった。
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寝ている間に金縛りにあうこともなく、今朝の目覚めは爽快だった。
キッチンに出ていき牛乳を飲みながらテレビの電源を入れる。ニュース番組にチャンネルを合わせてから玄関へ新聞と取りにいった。広告を抜いて、ホチキスで新聞がばらばらにならないようにする。たたんでテーブルに置き、朝食にシリアルと牛乳とバナナのスライスを用意し、テーブルに並べた。自分の仕事を終えて、僕は歯を磨きに洗面所に向かった。歯をしゃこしゃこ磨いていると、キッチンのほうでごそごそ音がした。母さんが起き出してきたみたいだ。新聞をめくりながらシリアルをざーっとお皿に盛る音が聞こえる。母さんはシリアルをかわいくお皿に盛ってバナナスライスを美しくちらすことに朝の最上の喜びを感じる人だ。そこに牛乳を流し込んで、シリアルが牛乳でひたひたになっていく様子を眺めながら「ああん」なんて悶えたような声をあげるんだけど、常々僕はそれをやめてほしいと思いながらも言い出せずにいる。
歯を磨き終え、洗顔と寝ぐせなおしをすませてキッチンに戻ると、「おはよぅ正宗くん」と母さんがにこにこ顔で座っていた。今朝の気分はいいらしい。昨日不貞寝したままだったから、今朝の機嫌がどうか心配だったんだけど、どうやら問題なさそうだ。
「おはよう。僕はもう学校に行くからね」
「うん。いってらしてぇ。朝ごはんおいしいよぅ」
35
学校へ向かう途中、僕は昨日老先生が言ったことを思い出しながらまわりに目を配らせて、ことさらに灰皿を探しながら歩いた。今まで気づかなかったけど、街中には至るところに灰皿が設置されている。バス停やコンビニ、自販機のとなりやタバコ屋の店先にあり、突然道端にぽつんと置かれているのも見つけた。今は朝だからそこで一服している人は少なかったけど、これだけの数があるんだから喫煙者も相当いるんだろう。そのうちのひとりが若先生というわけだ。
若先生の姿は見つからないまま、僕は学校に着いてしまった。昨日の今日だからすぐに見つけられるとは思ってないけど、なんだか宝物探しみたいで楽しい。見つけたからといって何か賞品がもらえるわけじゃないけど、若先生にはなんだか宝物みたいな魅力を感じる。僕にとっては謎解きの鍵みたいな人だ。どうしてそう思うのか、自分でもよくわからないんだけど。
「なんでだろう」
「なんでだろうな」
巧に若先生のことを話して朝からふたりで首をひねらせていると、定刻にミズカツ先生が入ってきた。不必要にドアを勢いよく開け閉めするものだから、ざわついていた教室内はさっと静かになった。どうも機嫌が悪そうだ。それにしても自分の感情を職場で丸出しにするのは大人としてどうだろう。まるで子供じゃないか。
「席につきなさい」ミズカツ先生は命令形で言うので、クラスの何人かが顔をしかめた。反抗心を態度に表したのは数人だったけど、心の中では全員が先生に対して毒を吐いているだろう。
ミズカツ先生は教壇に立ち、執拗に出席簿のファイルをとんとん揃える動作をしている。もう揃っているんだから必要ないだろう。うるさいし不愉快だからやめてほしい。どうやら僕も毒を吐いている。
おほんおほんと咳払いを何度も重ねたりファイルを揃えたりして間をとりながら、ミズカツ先生はクラスを睥睨する。僕は目を合わせるのがいやだったから、視線がこっちに向けられるとすぐに顔を背けた。クラスに向けられる視線はいつものそれよりもネガティブなものだった。いつもの負の感情に加え、もっと深く濃厚でどす黒い怨恨のようなものを感じた。だからより一層教師としての生徒を見る目から遠ざかっているように思える。
「はーい、席についてくださいねえ」
急にミズカツ先生は腰砕けななよなよ声を出した。
僕を含め、今まで睨まれていた身としては、急な変化にすばやくついていけないのも無理はないと思う。みんなぽかんと口を半開きにして先生を見つめていた。僕のうしろで巧がちっと舌を鳴らすのが聞こえた。
「じゃあ朝の挨拶から。号令お願いしまーす」
「起立!」有里はことさら大きな声で号令をかけた。まるで先生へのあてつけみたいだった。みんなは有里の変わりようにも動揺し、のそのそと時間をかけながら席を立った。
「礼ぃ!」有里の声は完全に裏返った。クラスの何人かがくすくすと笑った。僕もちょっと顔を上げて有里を見た。有里はこっちを向いて片眉をひくひくと動かしながらそのまま頭を下げた。頭を下げても僕を見ていたので、その姿勢がおかしくて僕は下を向きながら肩を震わせて笑った。
「着席」全員がリラックスして腰を下ろした。有里のおかげだ。
「それでは朝の会をはじめます前に、昨日の事件についてちょっとお話ししますね」
ふたたび全員が身体を固くした。
「昨日の昼休み、教室の窓ガラスが誰かによって割られるというたいへん痛ましいことが起こりました。ガラスはひとりでに割れたりしないので、人間の手で故意に割られたということです。そして原因の調査の結果、ある生徒の犯行であることが判明しました。個人のプライバシー保護のため、その名前は明らかにしませんが、この中にいることだけ告げておきましょう。その人、仮にAと呼ぶことにしますが、Aは犯行後、先生や家族と話し合いをしたにも関わらず自分の行動をまったく反省しませんでした。まるで自分が何も間違ったこと、悪いことをしていないかのような態度をとるのです。これは由々しきことです。六年生にもなって、ガラスを割ることが悪いことだと考えられないのですから」
ミズカツ先生は一気にまくし立て、一息ついた。クラスはじっと先生の話に聞き入っている。
「今もAは私の話を真剣に受け止めていないでしょう。困ったものです。これからもAとは建設的な関係を築いて、思い出に残る六年生生活をすごしてもらいたいと私は考えているので、名前は伏せていますがあえてみんなの前でこういう話をしているのです。この先生の想いをぜひ本人には理解してもらい、今後こういった惨事が何を招くのか、またその凶悪性についても考えなおして正しい生徒になってもらいたいと思います。みんなもわかっているとは思いますが、いかなる理由があろうとも、悪事に手を染めることのないようにお願いしますね」
ミズカツ先生にしては謙虚で下手に出た態度だ。こんな話し方もできるんだな、と僕は先生の評価を改めた。
先生の話の内容に異存点はない。僕の中では窓ガラスを割ることは悪だからだ。でも老先生の話にもあったけど、この場合僕の悪の定義は正しくない。なぜなら有里の正義と矛盾するからだ。有里の中で、窓ガラスを割ることは悪ではないとされている。そこには有里の正義に基づいた理由がある。それがなんなのかはまだ教えてもらってないけど、どんな理由にしろ、僕に納得できるものだとは今のところ到底考えられない。
先生の話を受け、教室内はざわざわしはじめた。「この中の誰かが犯人?」「どこのどいつだ、そんな馬鹿は」「お前じゃねえの?」「私を疑うやつは窓から放り投げてやる」「ミズカツ今日は先生ぽいな」「四月だけど雪降るんじゃない?」「今日はあったかいから大丈夫だよ」「六年にして洒落がわからんとは哀れな」「お前は老けこみすぎだ」「でもそんな人がいるなんて危ないよね」「常識ってもんがないんだな」
次第に休憩時間みたいな空気になってきた。みんながそれぞれに好き勝手話しはじめるからがやがやとやかましい。みんな有里のことを知らないみたいだった。もし真実が明らかになれば、みんなさぞ驚くだろう。有里はぱっと見普通の女の子だし――はじめはちょっととっつきにくいけど。
「はーい落ち着いてくださーい。静かにー」ミズカツ先生はいつもみたいにファイルでばんばんするんじゃなくて、言葉で注意してみんなの関心を集めた。本当に雪が降るかもしれない。
「ほかのクラスでも朝の会の前にこのお話をしているはずなので、今日中には六年生全員がこのことを知るでしょう。各所で噂になり、そのうちに誰が犯人か聞いてしまうかもしれません。でもその子を責めたりしないように。たしかにAがやったことは悪いことです。でもだからといってAのすべてを否定したり拒絶したりしてはいけません。物事をひとつの面からだけで捉えるのではなく、多角的な視点を身につけましょう。どう考えてもガラスを割るのは悪いことですが、Aに何かしらの理由があるなら、それを聞いて本人の主張を理解するべきです。そうしたあとで、やっぱり自分が悪かったということを諭してあげることこそ、その人への愛なのです。私はみんなを護る教師です。そのことをわかっておいてくださいね」
今日のミズカツ先生が謙虚で殊勝なのは、これが言いたいからだったのか、と僕は得心がいった。朝の挨拶からもわかるように、先生はみんなにあまりよく思われていない。授業の進行とかに問題はないし、むしろじつにわかりやすい授業で、このクラスの実力は学年の中でもいいほうだろう。六年生になってから異常な頻度で行われる各教科の小テストがその事実を証明している。でも普段の態度、たとえば生徒を見つめる攻撃的な視線とか気易い話し方とかがみんなの心にかちんとくる。その些細な欠点が先生の全体を表していると僕らは思っている。つまり教師としての仕事、勉強を教えることはしっかりこなしているけど、ひとりの大人として人間が小さいから、尊敬できないし信頼できない。僕たちは先生の表現を用いるなら、物事をひとつの面からしか捉えていないことになる。先生はもっと多角的な視点を持てという。そうすれば、より有里への理解を助けると。手はじめに、自分への印象を改めろと。
それならどうしてわざわざ嫌われるような態度をとるんだろう。
そのことを先生にぜひきいてみたいけど、今は発言する空気じゃない。
「さて、それではようやく朝の会をはじめましょう」