目次
ユークリッド-Eukleides-
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ピエール・ド・フェルマー-Pierre de Fermat-
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ピタゴラス-Pythagoras-
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ルネ・デカルト-René Descartes-
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アルキメデス-Archimedes-
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レオナルド=フィリオ=ボナッチ-Leonardo Fibonacci-
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ブレーズ・パスカル-Blaise Pascal-
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ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ-Gottfried Wilhelm Leibniz-
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アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre
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ヤコブ・ベルヌーイ-Jakob Bernoulli-
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ジャン・ル・ロン・ダランベール-Jean Le Rond d'Alembert-
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ-Joseph Louis Lagrange-
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ピエール=シモン・ラプラス-Pierre Simon Laplace-
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ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ-Jean Baptiste Joseph Fourier-
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ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス-Johann Carl Friedrich Gauss-
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ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン-Georg Friedrich Bernhard Riemann-
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アンドリュー・ワイルズ-Andrew John Wiles-
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ジュゼッペ・ペアノ-Giuseppe Peano-
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オーガスタス・ド・モルガン-Augustus de Morgan-
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ダフィット・ヒルベルト-David Hilbert-
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レオンハルト・オイラー-Leonhard Euler-
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最終定理-the Last Theorem-
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13

 学校での昼休み、巧と一緒にいつも通り教室でたむろしていた。眼下のレインボーロードでは今日もバイオハザードが展開されている。

 巧は「今日の学校終わりにレオンハルトに行くぞ」と言った。学校は三時すぎに終わり、塾の授業は六時からだという。レオンハルトは塾長の家を教室としているので、いつ行っても先生がいるそうだ。場所はネットで見たら学校のすぐ近くだった。

 僕はトイレに行くと言って、席を立った。巧はやはり給食の牛乳を飲みながら、窓の外を眺めていた。傍目から見るとすごく絵になる。写真で切り取って額縁に入れたいくらいだ。

 トイレから出て、なんとなく僕は教室とは逆の方向に歩き出した。階段の踊り場に足を踏み入れて、屋上への道を探してみたけど、ここは最上階だし、外に通じるドアも見当たらなかった。僕は方向転換して教室に引き返すことにした。

 そのとき、廊下をまっすぐ突っ切ったところ、僕がいるところとは反対の階段の踊り場に、こちらにはないドアがあり、それが今まさに閉まろうとしているのが見えた。誰かが出て行ったみたい。あの階段はもしかして屋上に続いているんじゃないかな。

 僕は自分の教室を早足で通りすぎ、廊下の突き当たりまで急いだ。通りすぎる教室にはどういうわけか誰ひとりとして生徒の姿を確認できなかった。廊下にも誰もいなかった。

 反対側の踊り場にたどり着き、階段の下をのぞいてみた。誰もいない。振り返って人の姿を探してみたけど、本当に誰もいなかった。普段昼休みは教室にずっといるから、廊下がこんなに静かで誰もいないなんて気づかなかった。耳を澄ましても、階下や外からの喧騒が聞こえなかった。僕は世界に突然ひとり取り残されたような錯覚に襲われた。僕はひとりぼっちになってしまった。さっきまで教室に巧と一緒にいたのに、教室に戻って誰もいなかったらどうしよう。そう思うと引き返すのがこわくなった。

 さっき閉じるのが見えたドアに目をやった。「生徒は立入禁止」と大きく張り紙がされている。ぼろぼろに劣化していたから、ずいぶん前に貼られたものだとういうことがわかる。その紙質がもたらす雰囲気が生徒を遠ざけようとしているように思えた。

 僕はドアの前に立ってドアノブに手をかけた。少し回してみると鍵がかかっていなかった。僕はゆっくりとドアを外に押し開けた。


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 はじめに学校のまわりをぐるりと取り囲んで屹立している木々が見えた。外界の騒音が聞こえてきて、心地よかった。胸をなでおろしたい気分だ。左に上へ続く階段がある。現実に戻ってきて勇気を取り戻した僕は、その階段を一段ずつ上がっていった。

 屋上から見える景色は美しかった。周辺の町並みが一望できて、南にはこの街の名所である京都タワーがすごく小さくだけど、たしかに見えた。北には街を囲む山々の緑が美しく、空は澄み渡る青さで雲ひとつない快晴だ。夜ならさぞきれいに見えるだろう。

 僕は屋上を歩いた。ちょうど自分の教室の真上くらいのところまで来たとき、大きな給水タンクの陰に女の子の姿を見つけた。いすに座って本を読んでいる。いすの足の横にペットボトルがあり、黒い液体が半分ほど入っている。

 僕の気配に気づいたのか、女の子は本から顔を上げて僕を見た。その顔は間違いなく僕のクラスの号令係、巧の幼馴染である有里だった。

「何してるの?」僕は声をしぼり出してきいてみた。なんとなく返ってくる言葉がわかっていたけど、なんでもいいから声をかけたかった。

「見たらわかるでしょう。あんたこそ何してるの」その声は号令のときと同じで小さくか細く、消え入りそうだった。

「いや僕はなんとなく足が向いたから」

「ここは生徒立入禁止よ」有里は視線を僕から本に落とした。

「君はいいの?」

「だから生徒は立入禁止だって言ってるでしょう。私もそうよ」

「じゃあどうしてここにいるの?」

「あんたには関係ないことよ」有里は顔を上げようとしない。

「そうだね」僕は納得した。たしかに僕にはなんの関係もないことだ。

 有里は顔を上げず視線だけ僕に向けた。僕は彼女を見つめたままだった。


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 屋上へ続くドアをうしろ手で閉じ、僕は教室へと歩いていった。さっきと変わらず誰もいなかったけど、さっきと違って孤独感は感じなかった。たぶん有里に会ったせいだろうと自分の中で分析した。

「よう、長かったな。牛乳飲みすぎじゃねえの」戻ってきた僕に向かって巧が声をかけてきた。僕は彼の存在を認めて少しほっとした。

「屋上に行ったらさ、有里さんがいたよ。いすに座って本読んでた」僕はさっきの経験を報告した。

「へえ、屋上に行ったのか」巧はいすから立ち上がり、僕のほうへと歩みよってきた。「あいつの印象どうだった?」

「少し険のある態度をとられたけど、僕も不躾だったから」

「なんて言ったんだ?」

「何してるの、なんでここにいるのって」

「まああいつならそういう反応するだろうな。お前もすぐたずねるんじゃなくて考えてからもの言えよな」

「僕も言ってからそう思ったんだけど、なんて声かけていいかわからなかったんだ」

「かけなけりゃいいじゃねえか」

「それもそうだね。でも話しかけたかったんだ」

「そうかい。じゃあしょうがねえよな」そう言うと巧は僕の横を通りすぎてドアまで歩いていった。「俺もトイレ」

 ああ、そうか。我慢して待っていてくれたんだ。僕が帰ってきたときにひとりにならないように。つまり、僕がトイレ以外の場所に行っていたことに気づいていたんだ。通りすぎるときにできるだけ見つからないように工夫したつもりだったんだけど。

今更ながら、巧の優しさに気づいた。まったく、小学生とは思えない気のきかせようだ。でもまるで僕がさっきまで孤独感に苛まれて不安だったのを知っているかのような行動だったので、その点は少し不思議だった。


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 その日のさようならの挨拶のあと、僕は職員室に来るようミズカツ先生に言われた。つまり呼び出しだ。たぶんいいニュースではない。呼び出されて朗報を聞くなんて、ミズカツ先生がじつは男だったという可能性よりも低い。

 職員室は体育館のとなりの建物の二階にある。なぜか知らないけど、中の階段を使うんじゃなくて、外に設えられている今にもつぶれそうな階段から上って入ることになっている。理由はわからない。

 僕は外づけの階段を上っていった。一歩上がるごとにカツンと硬質の音が響いた。教室がある校舎の階段とは雰囲気がずいぶん違う。上り切ったところで姿勢を正し、ぺらぺらなスチールのドアをノック。「失礼します」と言ってドアを開けた。

 ミズカツ先生は自分の机についていて、僕を手招きした。そのしぐさがまるで中国マフィアのボスみたいで、僕は少し尻ごみした。先生の机まで歩いていき、先生の言葉を待つ。

「正宗」いきなり呼び捨てだ。

「はい」

「転校初日の自己紹介、すこぶる妙だと先生は思ったけど、どうやらうまくクラスに馴染めたようね。私もうれしく思います」

 表情を見るかぎり、まったくうれしそうではないのは僕の気のせいかな、それとも僕の観測は正しいのかな。セカンドオピニオンがほしいところだ。

「でもあなた巧と仲がいいみたいね」先生の巧の名前を呼ぶ口ぶりにはあからさまな嫌悪感があり、僕は少し不快だった。この人本当に教師なのか? 教員免許を見せてほしい。

「はい、よく一緒にいます」

「感心しないわね」先生は険しい表情をつくった。「あの子は危険なのよ。私五年生のとき担任だったから知ってるの」

 あなたの五倍は安全です、と言いたかったが、僕は黙って聞いていた。巧の何が危険なんだ? 何を知っているっていうんだ?

「どう危険なんですか」

「あなたも見たでしょう、ちょっと前に朝の会に遅れてきたときの態度」先生はため息をついた。「不良なのよ」

 あの程度で不良扱いでは、巧があまりにも不憫だ。彼はそんなふうに思われることを鼻にもかけないだろうけど、僕はこれには黙っていられなかった。

「先生、巧は不良じゃありません。とても頭がよくて賢くて、思いやりがあります。僕の友達をそんなふうに言わないでください」

「正宗、あなたは現実が見えていないのよ。先生に反抗的な子にそんなほめられる要素があるわけないでしょう。あなたもそんなふうに偏った見る目のままだとよくないわよ」

 現実が見えていないのはどっちだ。牛乳パックを投げつけてやろうか、と僕は義憤に駆られたけど、行動には移さない。心の中でめらめら燃える怒りの炎を理性という濡れ布で抑えつける。

「先生には関係ないと思います」僕は先生の目をまっすぐに見て、冷たく言い放った。

「そう。ならいいわ」意外にもあっさりと引き下がられ、僕は少し肩すかしをくらった。心の中では鎮火寸前の炎がまだくすぶっている。

「じゃあもう帰っていいですか」

「いいわよ。もういいわよ」

なぜ二回も繰り返すのかわからない。それに手でしっしとするのは、教師としてどうだろう。近くにあった金魚鉢で殴ってやろうかというバイオレンスな発想が生まれた。

「失礼します」僕は先生に背を向けてドアのほうへと歩き出した。出ていくとき、振り返って一礼したとき、先生の言葉が聞こえた。

「まったく、馬鹿な子供ばっかりで、いやになっちゃう」

 僕は職員室のドアをうしろ手で閉めてからつぶやいた。

「馬鹿な大人にこっちもうんざりしてるよ」


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校門まで歩いていくと、巧と有里が立っているのが見えた。

「よう、早かったな。お、なんかご機嫌ななめだな」巧は僕の表情を見るなりそう言った。自分ではさっきの不快なやり取りをあまり考えないようにしていたんだけど、自然と表情に表れていたみたいだ。有里は僕に一瞥くれただけで、何も言わなかった。

 僕たちは校門を出てグラウンド沿いに歩いていく。少し広い道を右に曲がり、商店街の信号を渡ったところにあるマンションの前に自動販売機があった。巧はカバンから小銭入れを取り出して、僕と有里にコーラを買ってよこした。

「いいの? ありがとう」僕は冷たいコーラを受け取って礼を言った。のどが渇いていたから、炭酸飲料がとてもおいしく感じた。こういうジュースはめったに飲まないから新鮮だ。

「なあに、今からのどを潤しておかないとあとでたいへんだからな」

自分はペットボトルのスポーツ飲料を飲みながら巧は意味ありげに言った。有里はコーラの礼も言わずに黙ってペットボトルを傾けている。というかもう飲み干していた。僕はそのスピードに驚いて思わず自分のボトルを見た。まだ八割ほど残っている。

「す、すごい飲むの早いね」僕はおそるおそるといった感じで声をかけた。「よく飲んでると次第に早くなるもの――」

「あああああああああう゛」突然有里が叫んだ。

 僕は唖然として彼女を見つめた。あまりの出来事に言葉が出ない。出てきたとしてもまともな発言はできなかっただろうけど。

 爆音のげっぷをしてしまったことを恥じらうように、有里は片手で口を上品に押さえながら、みるみる顔を赤らめていった。すぐにコーラのラベルよりも濃い赤色にほほを染めた。

「はぁぁっはははははっは!!!」これまた突然、巧が声をあげて笑いだした。

 それを受けて、有里が手に持っていたペットボトルを巧に投げつけた。しかし巧はそれを華麗にかわして、なお笑い続けた。指までさしている。有里は続いてカバンからもうひとつペットボトルを出した。たぶん屋上で飲んでいたコーラのものだろう。ボトルの口のほうを両手で握りしめ、巧に殴りかかっていった。巧は左腕で攻撃を受け止め、右手で素早くボトルを奪い取ると、ゴミ箱に捨ててしまった。武器を失った有里はわなわなと震え、泣きだすかと思いきや巧の顔めがけて蹴り技を繰りだした。突き蹴りじゃなくて回し蹴りだから驚いた。スカートを履いていることもかまわない潔い動作に、僕は慌ててあさっての方向に顔を向けた。

 しばらく巧と有里のバトルは続いていた。有里の蹴りを受け止めて両手ではっしと捕らえてそのまま足を持ち上げ、スカートの中を凝視する巧の姿はまるで小学生低学年、いや幼稚園児のレベルまで落ちていた。有里はといえば、下着が見えることを気にする様子もなく、巧のぎらついた両眼に眼つぶしをしかけて、巧がそれをかわした隙を突いてもう片方の手を広げて巧の股間を捕まえようとした。巧は有里の足を解放して、バッとうしろに下がり距離をとった。お互いの目から不可視の光線が飛び交い、けん制しあいながらじりじりと時間をとって緊迫した空気をつくっている。間に割って入れば最後、ミンチかひき肉にされてしまうだろう。あ、一緒か。

 しばらく睨みあったのち、どちらからともなく視線を外して落ち着きを取り戻した。その間僕は完全にほったらかしのオーディエンスと化していたわけだけど、巧の幼い部分と有里の意外な行動を目の当たりにして、ちょっとうれしい気分だった。頭はよくても基本的に子供なんだな、と納得できたことは収穫だ。

 ほほ笑ましいものを見守る僕の視線に気づいたふたりは、僕に向かってほぼ同時に言った。

「なんだよ」「何よ」

 お互いがまた顔を見合わせたところで、ようやく僕も声を出して笑った。



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