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もくじ

 

・テラ取り物語―――――――  前編

          ―――――――  後編

 

・宇宙法廷審理中―――――  第1話

              ―――――  第2話

              ―――――  第3話

              ―――――  第4話

 

・PDSジェネレーションズ――― XYZ

                  ――― PDS

 

あとがき

 

 




「テラ取り物語」のあらすじと抜粋

【あらすじ】

大人のためのおとぎ話。ヒトという種が犯している、地球規模での大ルール違反を風刺的に描き、告発する書。

 

【作品からの抜粋】

 さて、テラ取り、つまり、この惑星を奪い取ってしまった気になっているヒトという種は、これから先どうなるのでしょう? 

 そのヒトたちにも、ちっちゃなお子さんや赤ちゃんがいたりします。本当に、そのお子さんや赤ちゃんたちのためになることを、やっているのでしょうか? 何かを言葉で名付けたために、その何かが見えなくなっている。そんな気がするのです。

 名付けたものは、全部自分のもの。全部知っているはず。全部分かるはず。全部自分の言うことを聞くはず。今のところは、ちょっとしか分からないものもあるけど、いつか絶対に分かる。言うこと聞かないものの、いつかは自分の前でひざまずくに決まっている。ひょっとして、ヒトはそんな思い込みをしているのでは――。そんな気がしてなりません。

 

     *

 

 脳ブームが続いています。そもそも、うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんの脳の中で、何かがズレちゃった、本能が壊れちゃった(※これを「本能寺の変(=ほんのうてらのへん)」とか言うとか言わないとか)。そのせいで、ヒトになっちゃった。そんな説があるそうです。どうりで脳にこだわるわけですね。執念を燃やすわけですね。

 どうにもとまらない、だめだこりゃ状態が常態になっているのも無理はない。ノー・モア・ノーズ(= No more 'no's. )。脳はもう結構ざんす(=脳に悪いことばかりしようぜ)。でも、ワナ・ノー・モア(= Wanna know more. )。もっともっと知りたいのだ。これは、ヒトに仕掛けられた「欲望という名(な)のワナ(※やっぱり、ここでも名が付いて回るんですよー、どうあがいても無理なんです)」かも知れない。ワナは、電車のようには止まらないのでしょうか。

 

 ワナ、ナワ、ワナ、ナワ。

 禍福(かふく) or  吉凶(きっきょう)は糾(あざな)える縄(なわ)のごとし。

 ジンセイ、ラクありゃ、クもあるさ。グッド、ラクック。クラクラクラ。ラクラクラク。

 ワナナワワナナワワナナワ。

 

 失礼いたしました。これでも、言霊をお招きし、祈りをささげて、我流の御祓(おはら)いをしていたのです。そうせずには、いられなかったのです。本気です。正気だという意気も勇気も元気も根拠もありませんが、本気です。

 

 さて、ヒトの欲望という名のワナに話をもどしましょう。

 滅亡へのワナかもしれない――。そうだとしたら、わなわな震えるしかないのでしょうか。イヤ、無理だ。駄目だ。有り得ない。アンビリバボ。インポシボ。そんなのヤだ。だから、ヒトは頑張る、気張る、踏ん張る、威張る――てなことは百も承知ですけど、やめませんか、そろそろ。

 

 しるしるちしる、しるかけて、つばつける。

 

     *

 

 ところで、「おまじない」を、漢字をまじえて書くと「お呪い」となりますね。これじゃ、「呪(のろ)い」と同じではありませんかー。ああ、怖い。ヒトは呪われた生き物ではないか、と思っちゃいます。

 さて、上のおまじないの出だしの部分に「漢字=感字」を当ててみましょう。

 

 知る領る地知る

 知る知る知知る

 知る領る血知る

 知る知る血知る

 知る痴る血汁

 

 恐ろしい、お呪いですね。悪マジ無い、という「感じ=感字」です。ちょっと、ここで、上記の「当て字=感字」の説明をさせてください。

 

 地(ち)に「しる=汁=おしっこ」をかけて、その場所を「知る」

=「領(し)る(※広辞苑に載っています、「自分の領地にすること」です)

=「痴(し)る(※これも広辞苑に載っています、「痴(し)れる」とも言い、「頭がおかしくなること、変になること」です)」という具合に、

 

自分の「なわばり=縄張り=テリトリー」を作ろうとか拡大しようとするマーキング行動は、
ワンちゃんやネコちゃんや他の生き物たちの行動だけでなく、ヒトにもあると言うよりも、

むしろヒトが最もエスカレートした大規模なマーキング行動を行っている、


と言えそうです。

 

 要するに、どうやらヒトは、知り=領り=痴りすぎたようです。

 

 しり過ぎたのね、あなた。

 

     *

 

 また、ヒトは、土地(ち)や物を名付けることにより、

 

「しる=知る=知(ち)=知識」を得て、

 

その争奪戦のさなかに、

 

おびただしい量の「血(ち)(※ヒト同士の間で、また他の生き物を相手に)」を流すことにより、

 

「テラ=地(ち)=大地=地球」をいわば「テラ取り」して、

 

テリトリーを拡大してきたと言えそうです。

 

ち、ち、ち。

 

 ヒトのマーキング行動は、単に「おしっこ(=汁)をかける」とか、「唾を付ける」なんて、生やさしいものではありません。

 

 ということは、

 

ち、ち、ち、

 

は、

 

地、知、血

 

と感字で書けるわけです。

 

 したがって、

 

しるしるちしる、しるかけて、つばつける、の出だしは、

 

知る領る地知る

知る知る知知る

知る領る血知る

知る知る血知る

知る痴る血汁

 

とも書けるのです。

 







「宇宙法廷審理中」のあらすじと抜粋

【あらすじ】

地球に生息する一部のサルの脳内で異変が起きた。コンピューターを使用したシミュレーションによって、宇宙法廷が脳内異変事件を審理中であるという珍説。 

 

【作品からの抜粋】

 何が起こったのでしょう?

 

 ヒト自身もいろいろ考えてみたもようです。「脳の中でとてつもないズレが生じてしまった」とか「本能が壊れてしまった」などという説もあります。いずれにせよ、結果的にどうなっちゃったかと申しますと、「ヒトが用いている言語や貨幣に代表される、表象とか象徴と呼ばれる仕組み」を、うだつのあがらない種類の尻尾のないおサルさんが、なぜか獲得してしまったみたいなのです。

 宇宙には、多種多様な生物および非生物が存在し、多岐にわたる仕組みが働いています。「表象や象徴と呼ばれる仕組み」とは、そのうちの一つにすぎません。

 原理はきわめて単純です。

 

「何か」の代わりに「その何か以外のもの」を用いる。つまり、代用する。

 

 これだけです。その最たるものが言葉です。たとえば、「花というもの」を「花という言葉」で代用する。または、「○○という言葉」を「××という言葉」で代用する。そんな仕組みです。

 お金も代理です。お金があれば、その額面で何でも買えます。ということは、お金がいろいろなものに化けるとも言えます。さらには、お金はありとあらゆるもの代理であるとも言えます。

 以上のように、実にシンプルなのですが、これが数を増しますと、途方もなくいろいろなことができるようになります。言葉や貨幣つまりお金だけでなく、地位や能力や知力やスキルや権威や権力や腕力や魔力や武力などといった多種多様な代理・表象・象徴は、どんどん増殖していくメカニズムを備えているのです。

 

     *

 

 以上述べたことを、もう少し詳しく説明しましょう。

「「何か」の代わりに「その何か以外のもの」を用いる。つまり、代用する」という仕組みは、知覚器官を備えた地球上に生息するほとんどすべての生物に共通して備わっています。

 知覚という仕組みとは、生物の周囲にある物や現象を、知覚器官が「情報=データ=信号」として受信し、シナプスを通して伝達し、脳細胞に送り込むというシステムです。言い換えると、知覚器官から脳にいたるまでの各所で生じている信号あるいは情報の伝達と処理という形でしか、生物は自分の周りの環境を知覚できないのです。


 つまり、知覚の仕組みとは代理の仕組みとほぼ同じというわけです。


 これは生物にとって生存に不可欠な良く出来たシステムであると同時に、生物にとって免れることができない限界であるとみなすこともできます。

 さて、ヒトも、基本的には生物と同じ知覚のシステムを備えているわけですが、そのシステムが過剰で途方もない量とレベルで機能しているのです。なぜなら、他の生物に比べて脳が異常に発達してしまったからです。

 そのために、ヒトは自らの生存に最小限必要な周りの情報だけでなく、世界、宇宙、森羅万象までを知覚し認識できると確信する能力を獲得してしまったとも言えます。誤解のないように言い換えますが、「思い込みする能力」という意味です。

 ですから、知覚も認識も、しょせん「情報=信号」という代理および象徴を、脳が受け取る仕組みにすぎないことを忘れてはなりません。それにもかかわらず、ヒトは知覚と認識が代理であることを、しばしばうっかりと忘れたり、あるいは故意に忘れようとする傾向があります。

 

 要するに、ヒトは自分たちが世界、宇宙、森羅万象を直接的に感知していると、つい思い込んでしまう、あるいは信じたがる習性があるということです。言い換えると、表象つまり象徴を現物と取り違える、あるいは現物にきわめて近いものとして認識するという、かなり鈍感で杜撰(ずさん)で無神経で大胆な勘違いをしがちだということになります。

 これは、不遜と傲慢さに満ちた行動につながります。現に、目下宇宙法廷の審理の一環として、シミュレーションの下で生息しているヒトは、自分たちが地球の支配者だと思い込んでいます。危険ですね。うだつのあがらない種類の尻尾のないおサルさんの脳内異変事件を審理中の宇宙法廷が、この危うい事態に対して大きな懸念をいだいているとの情報が法廷外に漏れつつあります。

 

 話が前後しますが、かつて、地球という惑星でうだつのあがらない種類の尻尾のないおサルさんの脳が「知覚という仕組み」を逸脱した「表象つまり象徴という仕組み」を獲得した時点で、宇宙に散在する生物および非生物たちは、うだつのあがらない種類の尻尾のないおサルさんが恐るべき可能性(=危険性)を手にしたことを察知していたのです。

 というわけで、そのリスクをはらんだ仕組みが、地球という惑星に生息する他の生物および非生物にどのような影響を与えるかをシミュレーションという形で実験してみようということになりました。

 たった今、簡単に述べた経過は、実はもっと込み入った話なのです。あまりにもややこしいので、半分、いやそれ以上は嘘になるくらい、あっさりと簡略化して説明したことを、ここでお断りいたします。とにかく話を進めましょう。

 






「PDSジェネレーションズ」のあらすじと抜粋

【あらすじ】
西暦2085年。幾たびかの核兵器を用いた戦争によって人口が激減し、さまざまな異常に見舞われている人類。ある家族の日常を通して、殺伐とした世界をミクロとマクロの両面から描く。人類は愚行と悲劇を繰り返すのか? 

 

【作品からの抜粋】

「――すみません。申し訳ございません」
 サカモト・リョウは、ニュー・カワサキの治安組織であるポリースの取調室で、何度も同じ言葉を繰り返していた。
「つい誘惑に負けて、薬を飲まなかったのです」
「はい、よくできましたね、おじいちゃん」からかう口ぶりで捜査官が言った。「それだけを、検事と裁判官の前で繰り返してくれればいいんだ。少し休もう」と、事務的な口調に戻る。
 捜査官は、カメラの死角の壁にもたれて居眠りをしていたもう一人の捜査官の肩を揺すり、一緒に取調室から出て行った。
 十分ほど前にようやく薬を飲むのを許されたリョウは、いつもの落ち着きを取りもどしつつあった。自分がビデオの前で供述し署名したことの意味についても、あらためて考える心の余裕ができてきた。
 六十六歳になったばかりのリョウは、ニュー・カワサキではかなりの高齢者だ。Zジェネレーションに属してはいるものの、核兵器が使用された最後の戦争中に子どもだった者たちに対する世間の目は、比較的寛大だ。
 薬剤が効き出し次第に明晰になっていく頭で、リョウは世の中について、そして自分の置かれた今の立場について考え始めた――。

 

 二〇八五年。世界政府の役割を果たしているソリダリティの推定では、世界の人口は五億人弱に激減したという。放射能に汚染された地域が多いために、特定の少数の地域に人口が密集している。放射能を出来る限り除去した、そうした地域はスポットと呼ばれている。
 世界各地に散らばっているスポットの間を、放射能を遮断する金属で防備された小型ジェット機で移動することだけが、幾たびかの大戦を生き延びた人々にとっての人的交流である。あとは人工衛星を介しての無線のネットとわずかに残されているケーブルを利用してのネットが、スポット同士をつないでいる。

「とんでもない世界になったことは確かだ」リョウはつぶやいた。「とんでもない話だ」
 リョウの思いは、監視カメラ付きの取調室に取り残されている自分へと向かった。行政府によって無料で支給され、一日三回の服用を義務づけられているイエローのカプセル。あれを飲まないでいるときの、甘美で淫らな夢想。若かったころを思い出させる、ぞくぞくする快感。自分はそれに負けた。だが――。
「わたしは、犠牲者だ。こんな体になったのは自分のせいではない」

 二〇三〇年代半ばから頻発し始め、長々と続いた数々の紛争。おびただしい数の大小の核兵器が使用された。放射能のせいなのかどうかは、まだ結論が出ていないようだが、どうやら人類の脳と身体に大きな異変が起きたらしい。
 Xジェネレーションと呼ばれる、零歳からほぼ二十歳の人類には、凶暴性と残酷性が顕著に観察される。Yジェネレーションと呼ばれる、二十歳前後から四十歳くらいまでの人類には、うつや躁といった気分障害がみられる。Zジェネレーションと呼ばれる、四十歳を過ぎた人類の間では、著しい小児性愛の傾向が症候として報告されている。説明のつかない、そうした現象が世界的規模で起きている。
 言語獲得以来の人類の大異変だと騒ぐ学者たちもいれば、天罰だとわめく宗教家たちが多数いるのは、リョウも知っている。

 

「天罰? 罰? そうだ、大変なことを忘れていた」
 リョウは震えた。XYZの各ジェネレーションに対し、ニュー・カワサキの行政府は、意図的な薬剤の中断に対して重罪を課すことで世界中に知られている。スパルタン・スポット――古代ギリシャの時代に厳格な規律と教育で知られた都市国家にちなんで、ニュー・カワサキはそう呼ばれている。
 世界の男女の平均寿命が六十五歳を切ろうとしているらしいことは聞いている。六十六歳の自分が、寛大に見られていることも日々感じている。しかし――。
「息子を呼んでくれ」リョウは、天井に備え付けられた監視カメラに向かって叫んだ。「息子と連絡を取りたい。息子の勤め先は、医療管理センターだ」








テラ取り物語――前編

 大昔のことです。尻尾のないおサルさんたちが、たくさん森に住んでいました。なぜ、森に住んでいるかというと、手先がとても器用で、木登りや、木から木へと飛び移ったり、枝にへばりついた木の実を採ったりするのが得意だったからです。その手の器用さは、木登りが上手なクマさんやリスさんたちとは比べものにならないほど、すごいのです。尻尾のないおサルさんたちの中には、小枝や葉っぱを細工するものまでいました。


 その尻尾のないおサルさんたちの中で、体毛が薄く、あんまりぱっとしない感じの種類のグループがいました。手先は抜群に器用なのですが、力がとても弱くて、おとなしく、またうじうじした性格なので、ほかの尻尾のないおサルさんたちや尻尾のあるおサルさんたちから、かなり馬鹿にされていました。
 ところが、そのうだつのあがらない種類の尻尾のないおサルさんたちのグループに、変なことが起きました。森にある食べる物を取り合う競争にも負けて、グループのメンバーの数が減ってきたのですが、その残ったメンバーたちが、やたらずるいのです。それにすることなすことが、とっても変なのです。やることが変で、しかも、ずるいメンバーの血を引くものたちだけが残ってしまった。そんな感じです。

「ずるい」と「賢い」は似ています。「ずる賢い」なんていい言葉もありますね。どうして、そのうだつのあがらない種類の尻尾のないおサルさんたちを、このお話で「ずる賢い」と言っているのかと、不思議に思っている方もいらっしゃるに違いありません。
 その理由は、さきほども少しお話ししましたように、このうだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんたちが、ちょっとというか、そうとう変だったからです。ほかの種類の尻尾のないおサルさんたちや、尻尾のあるおサルさんたちや、おサルさん以外の生き物たちに比べると、することなすことが、どう見ても変なのです。普通じゃないことばかりするのです。
 ちなみに、なぜ、尻尾の「ある」と「ない」にこだわるのかというと、一般的に「ある」ほうより、「ない」ほうがずる賢いからです。体も大きいです。英語で尻尾の「ある」ほうをモンキー(= monkey )、「ない」ほうをエイプ(= ape )といって、区別するくらいです。たぶん、趣(おもむき)が違うんですね。

 

     *

 

 さて、うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんたちの、変な行動の中でも一番変なのは、口の中で何やらモゴモゴやることです。木の実や草の実なんかを食べている音とは違うのです。
 その変なモゴモゴを仲間同士でやり合って、森の中でのいろいろなルールに反することを始めました。前代未聞とか空前絶後というやつです。どうやら、モゴモゴは、仲間うちの合図のようなのです。その合図によって、かなり込み入った連絡も取れるみたいなのです。
 モゴモゴによって連携プレーをして、ほかの生き物たちの食べ物を横取りする。もともと手がすごく器用ですから、連携プレーで、棒切れを使って、ほかの生き物たちをいじめたり、殺しちゃう。そのうち、石を使ったり、土や泥をこねて悪さをしたり、わざと森で火事を起すまでになりました。火は、ほかの生き物たちが最も苦手とするものでした。つまり、怖いのです。
 どうやら、うだつの上がらない尻尾のないおサルさんは、その火を手なずけ始めたようなのです。そうそう、一つ忘れてはならない、大切なことがあります。モゴモゴをするようになってから、このグループのおサルさんたちの外見に大きな変化があらわれました。どういうわけか、恥しがり屋さんになっちゃったんです。

 

 もともとが、このグループのおサルさんたちは、体毛が濃いほうではありませんでした。ほかの尻尾のないおサルさんと並ぶと見劣りがする。ぱっとしない。ひ弱で華奢(きゃしゃ)。そんな感じだったからか、どうかは分かりませんが、モゴモゴが始まったころから、体、特に腰の辺りを覆い隠すようになったのです。
 これも、森の重大なルール違反の一つです。木の葉や、枯れ草をつなぎ合わせたり、半端じゃなく器用な手先を利用して草木の茎なんかを編み、腰みのみたいなもので腰を中心に覆う。これは目立ちますよ。怪しまれないようにわざとサングラスをして、かえって目立つようなものです。
 その腰みのを着けるようになったのと同時に、もう一つ大きなルール違反が起こりました。このグループのおサルさんたちは、年がら年中、エッチをしたがるようになったのです。普通、生き物たちには、特にエッチをしたがる一定の期間があります。発情期とも言いますね。
 ところが、もうそんなルールは、このグループのおサルさんたちには通用しません。困ったものですね。はーっと、ため息が出ました。

 

     *

 

 ところで、みなさん、腰みのやパンツを身に着けた野生の動物さんたちがいるというお話を、聞いたことがありますか? 動物園やサーカス団に閉じ込められている一部のお友達やペットなど、「うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさん」の子孫たちによって飼育されている動物たち以外には、まず、いませんよね。
 これまでお話してきた数々のルール違反のせいで、もはや「うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんたち」とは呼べなくなってしまいました。
「元うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんたち」は、森から草原まで出て行き、モゴモゴをフルに使って、さらに多くのルール違反をするようになっていきました。うじうじした性格など、もはや影も形もなくなりました。
 草原では、何と後ろ足だけで立って歩いたり、たったったったー、どころか、さっさっさっさーと走れるようになりました。ここまで来ると、ルール違反が増えすぎて、もう「ずる賢い」とは言えません。「ずる」を取って「賢い」と言っても、「ま、いっか」状態になりました。

 

     *

 

 さらに、長い長い年月が過ぎました。年月と言いましたが、半端じゃなく長いんですよ。千年とか万年単位で考えてください。その半端じゃなく長い間に、半端じゃない変化が起きました。
 何と、例のずる賢い、じゃなかった、賢い、うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんたち、じゃなかった、元うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんたちは、ものすごいでかい顔をして――大きな顔という意味ではありませんよ、偉そうにしてという意味です、念のため――森、草原、川原、海辺、湖畔、砂漠といった、ありとあらゆるところに出没するようになりました。
 それだけではありません。木や石や粘土や干した植物などを器用に利用するだけでなく、ほかの生き物たちの皮なんかを剥(は)いだりして、それはそれは見事な巣――住居とか家とか屋敷とか宮殿とも言います、ついでに、これと似たもので墓とか社(やしろ)とか寺とか聖堂とか言う豪華な建造物もあります――を作るようになっちゃったのです。
 外見も、腰の辺りだけでなく、体のいろんなところにいろんなものを着ける、つまりお飾り――衣服とか帽子とか靴とかアクセサリーとか化粧とかカツラも含まれます――なんてものも身に着けるようになりました。

 

     *

 

 なお、ここから、「元うだつの上がらない種類の尻尾のないおサルさんたち」を、ヒトと呼びます。短くてチャーミングな名ですよね。「な、いいだろう?」って感じです。また、モゴモゴもモゴモゴって呼ぶのは、言いにくいのでやめます。言葉って名をつけましょう。「な、いいだろう?」って感じです。「賢い」は「賢い」でいいでしょう。「悪賢い」って言いたい気持ちもしますが、「ま、いっか」って感じでいきます。


 さて、賢いヒトが言葉を使って、森だけでなく、草原、川原、海辺、湖畔、砂漠などで、数えきれないほどのルール違反をするようになったのですが、このルール違反に共通する大切な「ヒトだけの間のルール」が出来始めてきたのです。それは、何かを目にしたときに、「これは全部、わたしのものだ。わたしに任せとき」と主張する、というルールです。
 森だけでなく、草原、川原、海辺、湖畔、砂漠などに古くからあるさまざまなルールは、もうルールではなくなってしまったのです。したがって、これからは「ヒトだけの間のルール」を、単にルールと名付けます。「な、いいだろう?」って感じです。
 もうヒトにとって怖いものは、だんだんなくなってきました。何しろ、悪賢い、じゃなかった、賢いうえに、もごもご、じゃなかった、言葉を使うことで、過去にいろいろ覚えたことを代々伝えてきています。知識が蓄積されてきたということですね。そのために、ものすごい勢いで賢くなっていきました。

 

     *

 

 ここで、一つ謎々を出します。

 

 ヒトがどんどん賢くなるにつれて、だんだん増えてきたものがあります。それは、何でしょうか?

 

 みなさん、よーく考えみてください。みなさんも、知っているし、使っているものです。みなさん一人ひとりにも付いています。あっつ! 今のは大ヒントです。今の「付いている」で答えが分かっちゃったかな? もう一つ、おまけの大ヒントをあげましょう。

 な、いいだろう? です。

 そうです。大当たり。答えは、名(な)――つまり名前です。ヒトは、自分が何かを目にしたときに、「これは全部、わたしのものだ。わたしに任せとき」と言うと同時に、モゴモゴの子孫、言い換えると言葉を使用して、名前を付ける癖というかルールを知らず知らずのうちに身に付けていたのです。
 ヒトは、「これは全部、わたしのものだ。わたしに任せとき。な、いいだろう?」と言ったあと、「これを○○と呼ぶ。な、いいだろう?」と付け加えるのが習慣になりました。名前のないものに名前を付けることで、自分のものになる。これがルールとなったのです。


 名って、なんて素晴らしいルールなのでしょう。いったん、名を付ければ、その名はどこへでも、持って行けます。ほかのヒトたちに対して、「これは、わたしのものだ」と宣言するさいの印(しるし)みたいなものにもなります。
 この印で、知る、つまり、知識を得たり、蓄えたり、伝えたりすることができるのです。自分が死んでも、子や、その子や、またその子の子たちへと次々と、そして延々と残すことができます。ヒトって、賢いですね。すごいですね。まるで魔法じゃないですか。

 

     *

 

 この魔法もどきには、おまじないの文句があります。

 

 しるしるちしる、しるかけて、つばつける

 

 というのですけど、広辞苑あたりで「しる・知る・領る」「しる・汁」「マーキング」「しるし・印・標・徴」「唾を付ける」を引いてみてください。辞書を引いているうちに、ハンコを始め、知(ち)も地(ち)も血(ち)も出てきますよ。出血大サービスです。

 

 ハンコ、ペタペタ、ちっ、ちっ、ちっ。

 

 なかなか含蓄のある文句です。こうなると魔法もどきじゃなくて、立派な魔法です。
 これって、半端じゃないですよ。な、いいだろう? 「いやー、名前って、本当にいいものですね」って感じですね。

 

 しるしるちしる、しるかけて、つばつける。

 

 蛇足ではありますが、このおとぎ話は、単なる与太話です。したがいまして、いかなる科学的、および、学問的根拠に基づくものでもありませんので、その点をどうか、よろしくご理解並びにご了承願います。


(つづく)







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