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第一話 26回目の夏休み その二

 そもそもこの村にゲストが訪れるようになったのは、あの大異変とモアイ村長の失踪事件が大きく絡んでいる。モアイ村長とは、村の悪ガキたちが付けたあだ名で、本名は烏山徳之進。仮に私があだ名を付けたって、それ以外に思い浮かばないほど、イースター島のモアイにそっくりだし、侍みたいな名前どおり、めったに融通の利かない頑固なおじさんだが、村の住民たちからは絶大な信頼を得ていて、ずっと村長を務めている立派なおじさんなのだ。

 そんなモアイ村長が、村に大異変の起こったあの日、こつ然と姿を消した。さらにその後の村の状況に気づいた私たち村民は、もう大混乱! なぜなら、モアイ村長が姿を消した瞬間から、岩柿村は、その年の一ヶ月と少し前に、突然、時間がさかのぼってしまったのだから。つまり、村ごとタイムトラベルをしてしまったのだ。誰かが一時的にタイムトラベルをする、というのは、ドラマや漫画ではよくある話だけど、一つの村がまるごとタイムトラベルをするというのは、聞いたことがない。岩柿中学校の高井和先生によると、世界的に有名な物理学博士の、タイムトラベルを可能にするらしい、なんとかという理論でも、この村の現象は説明できないらしい。


 とにかく、村長が消え、時間がさかのぼったってことだけでも大変だというのに、事態はそれで終わらなかった。タイムトラベルをした次の日、村中が大混乱している最中に、村長と入れ替わるように最初のゲストが訪れ、私たちをさらに混乱させた。なんとそのゲストは、十年後の未来からやってきた人だった。以来この村は、昭和五十年の七月二十日から八月三十一日までの同じ四十二日間を、ずっと繰り返えすようになって、そのたびに、未来からのゲストが入れ替わりに訪れるようになった。


 岩柿村の大異変とモアイ村長の失踪事件。それは今から二十五回の夏休み前。この村の時間でみると、たった四十二日前。だけど、正常な時間で計算すると、ちょうど三年前の昭和五十年八月三十一日、最終便のバスが岩柿村の停留所に到着する少し前。夏の終わりの太陽が、空を夏みかん色に染め出して間もない、五時十五分頃のことだった。

 その時私は、二階の部屋で、やり残していた宿題を慌てて片付けていた。翌日にノートを渡す期待感で溢れ、本当は宿題どころではなかったから、なかなかはかどらず、机の隅のつけっぱなしにしていたラジカセのラジオも、ほとんど耳に入らなかった。だけど、無関心だったそのラジオに、突然、キュルキュルと耳障りな雑音が入ってきた。次第にその音は大きくなって、やがてザーザーと土砂降りのような雑音に変わった。さすがに気になって、周波数のダイヤルを回してみた。だけど、どこを回しても同じ状態。しかたがないからラジオを消そうとしたけど、スイッチをオフにしても、土砂降り雑音はいっこうにおさまらない。父に中学の入学祝いに買ってもらったラジカセ、まだ一年ちょっとしか使っていないのに、もう壊れちゃったかと、ちょっと焦って背面を見たり、持ち上げて底を覗き込んだり…。でも、機械オンチの私に故障の原因が解るわけがない。


 やがて下から、ワイドショーの心霊特集好きな母の、おぞましい奇声が聞こえてきた。そんな時はだいたい、何でもないことで、心霊現象だの、怪奇現象だの、と大騒ぎしているのだ。慌てて一階に下りると、台所で天ぷらを揚げていた母は、私を見るなり、

「椎子! 怪奇現象よっ!」

 わくわく顔で叫んだ。やっぱりラジオの雑音のことかと、私は一瞬思ったけれど、母はすぐに揚げたての天ぷらをつかんだままの菜箸で、窓の向こうを指した。その先には、家から七百メートルくらい離れた岩柿村のバス停があって、いつも平気で十分は遅れる遅刻魔のバスが、珍しくその時はもう到着していたのが見えたのだけど、母が奇声を発したのは、ラジオの雑音のことでも、早すぎるそのバスの到着のことでもなかった。なんと、バス停の上空に、ひとかたまりの不思議な雲がプカリと浮かんでいたのだ。


「な、何よあれ!?」

「ねっ、凄いでしょ! 本物の怪奇現象よ!」

 本当に本物の怪奇現象だった。コッペパン型をした雲が、薄ピンク色の光を放ちながら、他の雲よりもずっと近いところに浮かんでいた。

 私と母はもっと近くで見ようと、ラジオと天ぷらのことはほっといて、すぐにバス停に向かった。途中で、往診の帰りにキクちゃん商店に立ち寄っていたゴロベエ先生も「何事だ!?」と、後に続いた。私たちは、次第に広がっていくピンク色の雲を見ながら駆けた。なぜか警戒心なんてまったく起こらなかった。小学生の時に見た流星群の時みたいに、心が躍るような感覚がしていた。

 やがて私たちが、バス停まであと百メートルほどに近づくと、バスにモアイ村長が飛び乗るのが見えた。ちょうどその時、ピンク色の雲は村の上空をすっぽりと覆ったところだった。まさかそれが大異変の前兆だとは、その時は夢にも思わなかった。


 あとで分かったことだが、この時、村のいたるところで異変が起こっていたらしい。小学三年生の我が妹のれんげは、その一つ上の悪ガキ祐輔の家で、やはり一つ上の悪ガキ寛太といっしょに、特撮ヒーロー番組「ジャイアント仮面」を見ていたら、一番のお気に入りの場面で、突然、テレビが変な音をたてて画面が映らなくなった。

 いつも無表情で、小型のトラクターを飛ばしている富実蔵おじさんは、村のはずれの畑から自宅へ戻る途中で、突然、エンジンが止まったり動き出したりを小刻みに繰り返し、うっかりバランスを崩して脇の田んぼに突っ込みそうになった。


 キクばあちゃんは、私たちの後を慌てて追いかけて行ったゴロベエ先生を見送りながら、冷蔵庫に残ったアイスたちの整理を始めていた。すると、冷気が火山噴火のようにわき出し、とっさに、近くにあった空きビンケースを、次々に重ねて封をした。

 バスの運転手の小松さんは、珍しく十分も早くバス停に着いたために、時間調整と休憩を兼ね、バスから降りて、プレハブ仕立ての停留所の中でタバコをふかしていた。そしたら、乗客は一人もいなかったバスが、ガタガタと揺れ始め、閉めたはずのドアが勝手に開いた。そんなふうに、その日、バス停上空にピンク色の雲が発生した時、村じゅうの電化製品や機械が、異常な状態に陥っていたのだ。

 あの日から、もう三年になる。でも実際には少しも時間が進んでいない。私たちには三年分の記憶が残っているのに。ここがこの村のやこしいところだ。


第一話 26回目の夏休み その三

 バス停のすぐ手前で、父の自慢の腕時計を見た。ゲストを迎える日だけは私が使って良いことになっている時計。針は九時四十五分を指している。ゆっくり歩いてきたのに、いつもより十分も早く着いた。 

「停留所の中で待っていようか」

「そうだねえ」

 午後になると、蒸し風呂のようになるプレハブ仕立ての停留所。午前中は風の通りが良く、中はまだ涼しい。その入り口へ近づいた時、中で誰かの影が動いた。

「あ、やべぇ、シーコ姉ちゃんだ」

 悪ガキトリオの祐輔と寛太だ。今回のゲストのお世話係は祐輔の家だから、もしかしたらと思っていたけど、やっぱり。二人は私に気づくと、慌てて何かを踏みつぶした。彼らがコソコソしている時は、決まって何か悪さをしている。

「ちょっと、あんたたち! 何やってるのよ!」

「べ、べつにぃー」

 シラを切る祐輔の足もとに、蚊取り線香の破片がちらばっている。

「こらっ! また、時限爆弾を仕掛けようって魂胆でしょっ!」

「へっ? いきなり変な言いがかりつけないでよ、シーコ姉ちゃん」

 しかし、となりで口をパクパクさせて突っ立っている寛太の顔に、『仕掛けようって魂胆です』って、はっきりと書いてある。寛太ときたら、見た目は番長みたいな体格のくせに、気が小さいから、こんな時はすぐに顔に出る。


「祐輔に寛太!」

 キクばあちゃんが割り込んだ。

「わっ、ば、ばあちゃんっ! 口のまわり、血だらけだぞっ!」

 皮肉かと思ったら、どうやら祐輔は本気でそう思っているようだ。寛太といっしょに目を見開いて驚いている。しかし、キクばあちゃんは、皮肉に聞こえて少しカチンときたようだ。

「そんな憎まれ口ばっかり言う子には、アイスクリームは売らんでもいいようだねえ」

 と、ニタリと笑った。とたんに祐輔が、寛太と同じように口をパクパクさせて慌てだす。キクばあちゃんの脅し文句は効果絶大。そのセリフを言われたら、私だってばあちゃんのいいなりになってしまう。毎日が夏休みのこの村にとって、アイスクリームは最も重要なおやつなのだ。悪ガキたちの慌てっぷりに、私は思わず吹き出しそうになりながら、

「とにかくほらっ、早く出しなさい! 爆竹とチルチルミチル!」

 祐輔の右手を掴んだ。


 蚊取り線香を適当な長さにちょんぎって爆竹を結び、百円ライターのチルチルミチルで線香の先っぽに火を付け、数分後に爆発させる。悪ガキたちお得意のいたずら。到着したばかりのゲストを、爆竹の音で驚かせるつもりなのだ。まったく、この子たちときたら。この悪ガキトリオの中に、妹のれんげが名を連ねているのが、情けない。今日は仲間に参加していないのが、せめてもの救いだけど。

「ちぇ、しょうがねえなあ」

 祐輔が口をとがらせ、隠していたチルチルミチルを差し出すと、寛太がうなだれ、ポケットから爆竹の束を抜き出した。

「まったく…。勉強はちっともしないくせに、いたずらには頭を使うんだから」

 私の小言に、祐輔がさらに口をとがらす。

「何言ってんの! 時限爆弾、最初に思いついたの、れんげなんだぞっ!」

「なっ…」

 一瞬、私は言葉を詰まらせた。恥ずかしさで顔が火照り出す。

「と、とにかく、早く片付けなさいっ!」

 ごまかそうと、先に香取り線香のかけらの一つを拾ってみせた。ううっ、情けない。


 数分後、プレハブ小屋のまわりの木々がざわめいた。前触れだ。バスが登場する直前に、つむじ風のような、少し強い風が起こる。

「あ、キクばあちゃん、時間よ」

「おや、もうかい」

 それを聞いて、祐輔と寛太が表に飛び出した。

「あんたたち、変なまねしないで、おとなしくしててよね!」

 しっかりと釘を刺す。大切なゲストに、イタズラされては大事だ。

 バスの登場する位置はいつもピッタリ同じで、扉がどのあたりかは分かっている。私たちはゲストが降り立つあたりに移動した。やがて風が止み、私たちの目の前に、小さな光の粒が現れ始めた。

 バスが登場するシーンはいつ見ても感動的。最初はいくつかの光の粒が現れ、それが次第に増えていってバスの形を作っていく。まるで蛍の大群がサーカスをしているようで、それはそれはじつに見事な光景なのだ。やがて光の粒の大群は、強烈な閃光を放ち、一瞬のうちにバスを登場させる。

 いつものように、目もくらむまぶしさのあと、光の粒は消滅し、替わりにたった一人のゲストを乗せたバスが、姿を現した。



「おっ、来た来た!」

 祐輔と寛太が、鼻息を荒くした。

 シューッと、息を吐くような音を立ててドアが開く。ほとんどの場合、ゲストは一番後ろの席に座っている。今日もそうだ。日差しが強いせいで、バスの中が暗くてハッキリと分からないが、野球帽のような帽子をかぶっている。やっぱり、男の人にまちがいない。ドキドキする。

 ゲストのだれもが、到着してすぐには降りてこない。瞬時に知らない場所に運ばれてくるから、状況を理解できないでいるのだ。大抵はしばらくの間、固まったように座っている。彼も同じで、ようやく立ち上がったのは、四、五分ほど経ってからだった。

 私たちに気づき、バスの出口に移動したものの、階段の手前で立ち止まってしまった。扉の影になって表情は分からないが、かなり警戒しているようだ。

「岩柿村へようこそ」

 私はお辞儀しつつ、穏やかに声をかけた。

「心配せんでも良いよ。早う降りて!」

 キクばあちゃんも赤い口で微笑んだ。続けて祐輔と寛太が手招きをする。すると彼は、とまどいながらも一歩一歩ゆっくりと階段をおりてくると、やっとその姿を見せた。しかし、

「うっ!?」

 私の予感と母の期待、そしてキクばあちゃんの期待は、見事に外れた。


 顔色が悪く、腫れぼったい目に痩けた頬。カビのような無精髭を生やし、髪はボサボサ。着ているものはヨレヨレのTシャツにヨレヨレの半袖シャツ、ボロボロのジーパン、元の色が何色だったのか解らないほど色褪せたスニーカー、コケのような気持ち悪い模様が浮き出ている黒い野球帽。何もかもがしなびている。それに、はだけたような格好が、いかにもみっともない。しかも鼻をつく強烈な臭いが全身から漂っている。何週間もお風呂に入っていないのは明らかだ。さっきまでのドキドキが、いっぺんに萎んでしまった。

 私は一歩前へ出ると、もう一度お辞儀した。臭いが、つんと鼻の奥に突き刺さる。我慢して、無理に笑顔を作った。すると彼は、なぜか私の顔を驚いた様子で見入った。誰かと勘違いしたのだろう。すぐに小刻みに首を横に振り、視線を逸らした。

「お兄ちゃん、いつから来たの?」

 今度は祐輔が前に出て、鼻をつまみながら質問した。

「えっ?」

 彼は質問の意味が解らず、回答に困っている。

「こらっ、失礼でしょ!」

 私は鼻をつまんだ祐輔の指を、強引に引き離した。いくら期待外れでも、ゲストはゲスト。…とはいっても、確かに鼻をつまみたくなる。それにひきかえ、キクばあちゃんは偉い。臭いなんてちっとも気にしていない。

「よく来たねえ。ここは兄さんの時代より、少し前の時代の岩柿村っていうところなんだよ」

 と言って近づき、彼の腕を軽くタッチした。


「時代?」

 彼はますます意味が解らず、私たちとバスを交互に見ながら慌て出した。ちょっと危険信号! このままパニックになって暴れ出したりしたら大変!

「あ、あの、変な質問だと思うんですけど、今、何年ですか?」

 私は思いきって手っ取り早い質問をした。いつもは唐突に時間の質問はしないのだけど、今日は緊急事態だ。彼が何年先からこの村へタイムトラベルしてきたのかを、じっくりと説明しなければならない。それにはまず、彼がいつの時代の人なのかを知る必要がある。だけど…、

「えっ?、何年って…二〇〇九年…でしょ?」

 戸惑いながらも、ようやく質問に答えた彼の言葉に、きょとんとしているキクばあちゃんを除いて、今度は私たちが驚いて

「二〇〇九年!?」

 思わず口を揃えてしまった。


 今までは、ワンタンだかレンコンだかのファッションで、私の同級生の和則に鼻血を噴かせた「イケイケよ」が口癖の、一九九一年のお姉さんが、一番遠くの未来からやって来たゲストだった。今回のゲストはいっきに時代を越え、なんと二十一世紀からやって来た!

 とたんに祐輔と寛太が目を輝かせて、

「ねえねえ! リニアモーターカーはもう走ってるの? 」

 とか、

「あのお、火星旅行はできるのでしょうか?」

 だの、

「ねえねえ! ロボットの召使いはいるの?」

 だのと、次々と質問攻めを始めた。

 すると野球帽の彼は、悪ガキたちの勢いに押されてよろめきながら、

「ちょっ、ちょっと待って!」

 と、ポケットから四角いコンパクトミラーのようなものを取り出すと、持った手の親指だけで器用にいじり始めた。


「あ、あれっ? バッテリー切れ?」

 今度はそれを耳にあてたり、空にかざしてみたり。どうやら何かの機械のようだ。でも、いくらやっても機能することはない。この村では、ゲストが未来から持ってきた機械は、なぜかまったく使いものにならない。腕時計だって、針は止まったままになってしまう。

「いったい…どうなってんの? ここ…、どこなんだよ?」

 ぶつぶつとつぶやきながら、ふたたび親指でいじりだす。額に汗をかいて、だいぶ焦っている。いけない! なんだか危険な雰囲気!

「落ち着いて下さい!」

 私が、悪臭に耐えて彼の体を押さえようとした時、突然、パパパンッと乾いた破裂音が鳴り響いた。

「ひゃっ」

 ほとんど同時に、女の子のような悲鳴を発し、彼は白目を剥いて倒れてしまった。



第一話 26回目の夏休み その四

「みなさん、どうもすいません。息子が迷惑かけて…」

 静香おばさんが、ヘラヘラと笑っている祐輔の頭を強引に押さえながら、小さな声でみんなに謝った。寛太のお母さんの福恵おばさんも、申し訳なさそうに頭を下げている。

「二人のせいじゃないんです。私がちゃんと確かめなかったのがいけないの」

 私はもっともらしく悪ガキたちを庇った。だけど、元々はれんげの発明が発端なのだから、頭を下げなければならないのは、こっちのほうだ。

「椎子ちゃん、いいのよ。うちの悪ガキ、庇わなくたって」

 静香おばさんはそう言うと、祐輔の耳をつねった。

「イテテテテッ、母ちゃん、何すんだよっ」

 うう、心が痛む…。

「シーッ」

 ゴロベエ先生が私たちに注意すると、外で時雨れていた蝉たちが、不思議にピタリと鳴き止んだ。


 いつもは暑苦しく感じるムクゲの花が、窓から涼しそうに覗いている。 村の人口の半分くらいで埋め尽くされた公民館の広間は、まるで蒸し風呂。拭ってもすぐに汗がにじむ。ゲストの近くに置かれた扇風機が、むなしく首を振り、熱風を送っている。

「ねえシーコ、本当にあの人がゲストなの?」

 暑さを紛らわしたいのか、隣に座っていた明代姉さんが私の耳元で囁いた。

「うん…」

「私、ジャックみたいな人を期待してたのに、がっかり」

 まわりのおばさんたちほどではないものの、髪をきれいにポニーテールにして、うっすらとお化粧した明代姉さんは、苦笑いしながら肩を落とした。

 ジャックというのは、明代姉さんのお気に入りの映画スター、ジャック・ワイルドのこと。期待外れな気持ちは分るけど、映画スターと比べられては、ゲストもちょっと可愛そうな気がする。

「明代、何勝手なこと言ってんのよ。ジャックだって、アラン・ドロンやジュリアーノ・ジェンマに比べたら、全然大したことないじゃないの」

 その隣の、お化粧しなくても充分きれいな克子姉さんが、半分吹き出しそうな顔で明代姉さんを肘で突っついた。私は口を押さえて笑いを堪えた。二人のやり取りはいつだって漫才を見ているようで可笑しい。


 克子姉さんと明代姉さんは高校生。この村では兄妹ではなくても、目上の未婚の人を『姉さん』『兄さん』を付けて呼ぶ。一つか二つ年上の人の場合は、『先輩』か『さん』付け、または愛称で呼ぶから、正確には、三つ以上はなれている人が『姉さん』『兄さん』なのだ。ちなみに結婚している人はどんなに若くても『おばさん』『おじさん』と呼ぶ。いつからそんなふうに呼ぶようになったのか分からないけど、なんだか変な慣例だ。その慣例の犠牲になっているのが、広間の隅っこで、赤ん坊をおんぶして座っている美月おばさん。まだ二十歳前なのに、もうおばさんと呼ばれている。ゲストを見守っている女性たちで、お化粧していないのは克子姉さんとその美月おばさんぐらい。つまり私が何を言いたいのかっていうと、ここに座っている女性たちのほとんどは、やっぱり今回のゲストに期待してたんだなってことだ。おばさんたちの誰もが、母とどっこいどっこいの勝負で、お化粧の濃さを競っている。そこにしっかりと私も含まれているのが情けない。まあとにかく、これでハッキリと分ったことは、訪れるゲストには規則性が無いってことだ。



「心配ない。ただ気絶しただけのようだ」

 聴診器を外し、ゴロベエ先生はゆっくりと顔を上げた。

 少し距離を置いてじっと見守っていた私たちは、ほっと胸を撫で下ろす。

「起きたら、まずは風呂だな。こりゃあ一ヶ月は風呂に入っておらんぞ」

 先生は呆れ、鼻をつまむ。とたんに、静まり返っていた野次馬たちが、

「もしかしたら、二十一世紀の人間は風呂に入らんのじゃあるまいか」

「まさかあ、石器時代じゃあるまいし」

「いやいや、分からんぞ」

「臭いのがオシャレだったりして」

 などと、冗談まじりに勝手な憶測を立ててざわめき出した。

「それから、昼めし!」

 ゴロベエ先生が声を上げ、野次馬たちを静める。

「この青年、さっきから腹の虫がグーグー鳴いとる。どうやら胃の中が空っぽのようだ」

 と、自分のお腹を両手で押さえた。すると、

「私のところで、もうご飯は炊いてますから、おにぎりでも作ってきます」

 静香おばさんが手を挙げた。

「いいのかい?」

「今度の世話係ですから」

「ああ、そうだったね。じゃあ、お願いしようか」

 ゴロベエ先生がうなずくと、静香おばさんはすぐさま自宅に戻って行った。残った祐輔が、得意げにVサインを突き出す。

 

 しばらくして、野球バカトリオの一人で、熱狂的な巨人ファンの誠次郎おじさんが、

「も、もしかして未来で…、未来で勃発したんじゃないかっ?」

 唐突に立ち上がって言った。みんなの視線が誠次郎おじさんへ集中する。

「ちょっと誠ちゃん」

 言葉をかけたのは、モアイ二号こと村長代理の浩司さん。浩司さんはモアイ村長の一回りも歳の離れた弟。顔は双子みたいにそっくりだけど、性格は正反対。とても村長に相応しいと言える人ではない。だけど実の弟だし、顔がそっくりだから、とりあえず村長代理ということになっている。誠次郎おじさんとは同級生で、そこそこではあるけれど、やはり巨人が好きな野球バカトリオのメンバーである。

「血相変えて、いったい何が勃発したっていうの?」

 村長代理が尋ねると、誠次郎おじさんは拳を握りしめ、

「戦争だよ! 第三次世界大戦が起こって、日本が廃墟になって、だから…、風呂にも入れんようになって、食糧も不足してしまったんじゃないか!?」

 とんでもないことを言い出した。あまりにも話が突飛すぎて、みんな唖然となった。さらに誠次郎おじさんは、

「きっと日本は、妬まれたんだよ!」

 真顔でみんなに訴えた。

「せ、誠ちゃん、戦争だの妬まれただの、い、いったい何を根拠にそんなこと言ってるの?」

 同じ野球バカトリオのとんでも発言に、村長代理も少し動揺気味。


「だってほら、前にド派手な姉ちゃんが言ってただろ」

「ド派手な姉ちゃんって…、ああ、イケイケの姉ちゃん」

「そう、そのイケイケ姉ちゃんが、将来の日本は世界一の金持ちの国になって、他の国々から羨ましがられているって!」

「そういえばそんなこと言ってたな。日本人は、世界の宝物をいくらでもお金を出して買い漁ってるって…」

 誠次郎おじさんと村長代理のやり取りに、さすがのゴロベエ先生も、きょとんとしている。みんなも同じで唖然としたまま。話しに割って入ろうという人はいない。と思ったら、もう一人の野球バカが、二人のやり取りに加わった。


「確か、ゴッホの名画も、ハリウッドの映画会社も、日本人が買ったら大ひんしゅくまで買ったって、うまいこと言ってたね」

 私の父だ。実は私の父も二人の同級生でそこそこの巨人ファン。この三人で野球バカトリオ。彼らは歓迎会の時に、毎回、プロ野球の質問攻撃をしてはゲストを困らせている。

「そう言ってたろ!」

「言ってた」

 父と村長代理が口を揃えてうなずく。すると、

「つまりな、日本は、世界一の金持ちになったものだから、世界中の国に妬まれて、あれこれいちゃもん付けられて、きっと、戦争を仕掛けられたんだよ!」

 誠次郎おじさんはさらに突飛な憶測を言い放った。

「えぇーっ、そ、そんなぁーっ!!」

 わずかに間を外し、父が情けない顔をして驚いた。父だけではない。私だって同じだ。こんなに平和な日本なのに、将来そんなことがありえるの? みんなもそんなバカなって顔をして驚いている。だけど、

「こらこら、誠次郎! さっきから何をバカなこと言ってるんだ!」

 村のご意見番でもあるゴロベエ先生だけは、冷静に聞いていたようだ。

「で、でも…」

「でももストライキも無い! そうやってみんなを不安がらせるようなデマや憶測を言いふらすのが、一番質が悪い!」

「ひぇ、はい…」

 ゴロベエ先生に怒られ、誠次郎おじさんはとたんに身を縮めた。でもまだ良いほうだ。隣でゲストが寝ているから、怒られ方もずいぶん穏やか。本当だったら、大声でこっぴどく怒られていたはず。なにせ、ゴロベエ先生が本気で怒り出したら、そりゃあもう凄いのなんの! たとえば患者さんが言うことを聞かず、不摂生しようものなら、雷が直撃したような剣幕で怒り出す。


「だいたいお前さんたちは、巨人が最下位だからって、何でもかんでも悲観的に考えすぎる。たまには巨人のことは忘れて、頭を冷やしなさい!」

 ゴロベエ先生は腕組みして三人を睨みつけた。声は控えめでも、その目はかなり怒っている。

「す、すんません」

 野球バカトリオはしゅんとなった。

 私はプロ野球のことはよく分らないけど、父によると、夏休みが繰り返すようになる前の年の昭和四十九年まで、巨人はとても強いチームだったらしい。だけど、昭和五十年になって、『我が巨人軍は永久に不滅です』の監督に替わってから、とたんに弱くなってしまったという。だから、熱狂的な巨人ファンの誠次郎おじさんは、いつだって落ち込んで溜め息ばかりついている。機嫌が良いのは試合が無い日と巨人が勝つ日。夏休みの間に放送されている試合で、巨人が連勝するのは八月上旬くらい。あとは、たまに勝つ日をいくつか挟んで、残りはもう散々な試合ばかりらしいから、夏休みの半分近くは落ち込んでいる。


「あんた、いい加減にしないと、テレビ、もう二度と見られないように、粉々に壊しちゃうよ! この巨人バカ!」

 隣に座っていた奥さんの瑞穂おばさんが、誠次郎おじさんの腕を強引に引っ張った。

「えぇーっ!」

 誠次郎おじさんが父以上に情けない顔をすると、近くで見ていた何人かが、堪えきれずに吹き出した。それをきっかけにして、また野次馬たちが、

「それよりキクばあちゃん、布団がえらい災難だったなあ」

「こりゃあ、丸ごと洗濯しないと、染み付いた臭いが取れんじゃろ」

「はっはっはっ、それじゃあ布団ごと風呂に入ってもらわんとなあ」

「そりゃいいや」

 などと、再びざわめきはじめた。ゲストが寝ていることなどおかまい無し。それにしても、一時はどうなることかと思ったけど、やれやれ、一安心だ。


第一話 26回目の夏休み その五

 バス停のゴミ箱に捨てた蚊取り線香に、まさかまだ火がくすぶっていたとは知らず、いっしょに捨てた爆竹に引火してしまった。結局は祐輔たちの時限爆弾が、見事にタイミングぴったりで破裂したのだ。パニックに陥る寸前の爆音は、よほどの衝撃だったようで、気絶するとは夢にも思わなかった。でも考えてみたら、彼が気絶してくれて良かったのかも。あのままパニックに陥っていたら、もっと大変な事態になっていたかもしれない。


 彼が気絶した後は、久しぶりの大騒ぎだった。介抱はキクばあちゃんに任せ、私は大急ぎでキクちゃん商店まで戻ると、赤電話でゴロベエ先生を呼び出し、続けて、何かトラブルがあった場合の連絡先である、村長代理と高井和先生へ連絡した。ついでに母にも連絡し、タオルやら洗面器やら、とにかく何か役に立ちそうな物を持ってくるように催促した。


 祐輔と寛太は、畑に出ている富美蔵おじさんをダッシュで呼びに行った。トラクターを担架代わりにするためだ。富美蔵おじさんはすぐに駆けつけると、バス停から近い公民館に彼を運ぶことにした。しかし、悪臭のせいで、彼をトラクターの荷台に乗せるのにも一苦労。富美蔵おじさん一人では抱えきれず、悪ガキたちとキクばあちゃんまでもが加わって、やっとのことで彼を持ち上げた。そうやってみんなが悪戦苦闘している間に、私はキクばあちゃんの指示で、ばあちゃんの布団を二往復して公民館に運んだ。

 やがてゴロベエ先生がオンボロ自転車で駆けつけると、騒ぎを聞きつけた父や他の住民たちがぞろぞろと集まり出して、公民館のまわりは、あっというまに野次馬たちで溢れた。

 聴診器を鞄に仕舞い、ゴロベエ先生が私たちを見回す。

「さて、後は何人か付いてやって、そろそろ解散したほうが良かろう。爆竹で気絶するほどの神経の細かい青年だ。目が覚めて、大勢に取り囲まれておったら、また警戒するかもしれん」

「それじゃあ、私が付いててあげようかね」

 キクばあちゃんが、座ったまま、彼の近くにすり寄った。

「うん、そのほうが良いね。最初に会った人が居たほうが、少しは安心するだろうから。キクばあちゃん、すまんがお願いするよ」

「お安いご用だよー」

 と、キクばあちゃんは顔をほころばせる。すると、

「おれも!」

 祐輔がキクばあちゃんの真似をしてすり寄った。寛太もその後に続く。こうなったら、私も付き添わないわけにはいかない。

「じゃあ私も」

 と、手を挙げた。そしたら明代姉さんが、

「後はよろしくね!」

 私の肩をポンと叩いて言った。

「明代ったら、期待通りのゲストだったら、真っ先に付き添ってたくせに」

「あら、克子お姉様ったら、何のことかしら? おほほほほほ」

 呆れる克子姉さんを横目で見ながら、明代姉さんは笑って誤摩化した。


 結局、最初に出迎えた私とキクばあちゃんと祐輔と寛太、それから、お昼ご飯を取りに行っている静香おばさん、さらに高井和先生が加わって、彼の側に残ることになった。

 野次馬たちが蜘蛛の子を散らすように帰って行くと、それまでシンとしていた近くの柿の木の蝉たちが、思い出したようにジワジワと騒ぎ始めた。気が付くと、腕時計の針は十二時をとうに過ぎていた。



第二話へつづく…


illustration  SAKOYAN


この本の内容は以上です。


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