プロセスをなぞるということ
最近、自分のブログのColumnを書かずに、すっかりET Luv.Lab.にお熱なのですが、まあなんて僕はこれまで自分にばかり興味の目を向けていたんだバカバカなどと思っています。取材に行くのも、撮影するのも、テープ起こしするのも、原稿チェックを待つのも、言わば初めての体験で、総じてインタビューって面白いなあとつくづく思っています。本当に楽しい。
インタビュー、とは言っても、日頃から懇意にしている方達に話を伺いに行ってるので、大した下準備もしていません。アポ取ってからボーッと、どんな話が聞けるかなあと一週間くらい妄想して、大体4つトピックを決めてノートに箇条書きにしています。で、思いついたことは一応ささっとメモっておいて、でも取材ではノートは開きません。頭の中に、何となくストーリーを作っておいて、でもその通り聞いても全然面白くないので、即興で質問しつつ、大くはただただうなずきつつ、でも終わってみると不思議と最初に描いていた青写真と大きな流れはずれていないから不思議。まあでもET Luv.Lab.のインタビューの骨格って、その方と付き合ってきて僕が見ているその方の魅力の骨格なので、あんまりずれが無いのかも知れないですね。僕を面白がらせようとして話てくれる話は、僕が面白いと思っているその人の魅力にきっと近しいので。
それと、プロセスが見えてくるというのはとても楽しい。ただ話を聞いていると理解というのはざっくりとした全像になると思うのですが、文字に起こそうとしてみると、色々自分でも考えることができるんですね。テープ起こしをする時は、iPhoneのSpeakEasyというソフトで録音したファイルをWiFi経由でPCに取り込んで、iTunesで再生と停止を繰り返したながら2時間くらい戦うのですが、一節ごとに一時停止して、文字に起こして、前後の繋がりを考えて言い回しを調整して、なんてやっていると、一節ごとの先方の思索の変化に思いを巡らせることになるんです。
一節ごとに僕は先方の思いを想像し、思索を分析し、自分の経験と照らし合わせ、それを以て自分の責任において、先方の言葉を認める。そのショートスパンの繰り返し作業が、僕自身に取っての学習という意味性において、大変密度の高い思考の反復になっている。今日び、インタビューというとポッドキャスト、場合によってはUstreamもあるわけですが、敢えて、と言うか、経験も浅いからという理由でテキストベースのインタビューサイトという形態を取ることにして本当に良かったと今思います。
学習という意味では写経や写本と似ているのかも知れません。ただ僕もそこにインタビュワーとして主体的に関わっている。だから、より一節一節に思い入れを持って向き合える、場合に拠っては丁寧にコンテンツと向き合える、ということなのかも知れません。過剰な加工や編集はしない方針ですが、それでも帳尻合わせをしなければいけなくなる。そういう塩梅の調整作業というのは、実はすごく楽しいです。
そんな話を家人と夕食中にしておりましたら、初等教育の話になりました。テストの点や合格した中学という成果も評価されますけど、10年、20年経って思い起こされるのは、そういう成果ではなくてプロセスだねと。世の中、プロセスが評価されることはなかなか難しいけど、ことに自分の人生を振り返ってみれば、教育なんかはプロセスにこそ価値があるねと。
それで気付いたのは、プロセスって当事者しか体験できないコンテンツとして楽しめない、という意味においては非常に贅沢なコンテンツなんですよね。学生時代に作った企業サイト、それを思い浮かべる前に、僕は先輩の家で制作のために泊り込み合宿を張ったことを思い出します。アーロンチェアに座らせてもらったこと、2時間でデザイン案出せと言われて出せなかったこと、徹夜後の朝、お母様にいただいた野菜とラムを挟んだサンドウィッチが飛び切り美味しかったこと、そんなことを思い出すと、今でも不思議と勇気が湧いてくる。モノを作る仕事をしているわけで、成果を出すのは大事なことですが、ことに自分の人生という意味性において考えると、僕の今を強烈に支えているのはプロセスの記憶なのだと思うわけです。
まあ、インタビューですから、一次的な体験ではないわけですが、二次的であったとしても当事者から口伝えで、その人が経てきたエキサイティングな思索と行動のプロセスを聞かせてもらうっていうのは、やはり贅沢には違いがなく、ET Luv.Lab.をご愛読していただいている方には大変申し訳ないのですが、僕が一番面白いんですよ、この企画。
そんなわけで、明日も取材です。楽しみ。本業もしっかりやっていますゆえ、ご心配なく。
聴く人
書くことについてはこれまでも当ブログでたびたび言及してきました。書くことは大事で大好きなのですが、書いているだけの人と思われるのも問題です。コミュニケーションの基本は面等向かって話すことである以上、喋ることと、聴くことも大事なわけで。でまあお恥ずかしい話なのですが、僕結構喋るの苦手でして。
1対1でとか、酒飲んで、とかだと大丈夫なのですが、人前でとか、初対面の人と、とかだと三十路にしてまだ若干の苦手意識があります。特にとうとうと人前で自分が講演している姿など想像だにできません。以前にトークセッションをUstreamで聴いていた後輩も、「あのトピックなら一家言二家言あるはずなのに、全然喋って無かったじゃないですか!」と叱られまして。
思い起こせば小学校の運動会で壇上に上がって喋る時にも、頭真っ白になってとりあえず「元気ハツラツ」と口走り失笑を買ってましたし、学生時代、初めてのプレゼンの時も、何度予行演習しても噛むので、まあ時効だと思いますが、先輩にウォッカのショット一杯煽れと渡され、それでも緊張して喋れず、開始3分で先輩が喋ることになってしまった、という苦い経験があります。今でも会議室で一人で20~30分喋り続けるようなプレゼンはままあるのですが、なかなか慣れないですね。
それでもまあコミュニケーションの仕事をやっているわけで、じゃあどうやって仕事を成立させているのかと言うと、僕基本的には聴く人間なんですね。聴くって別に誰でもできるでしょうとも思うわけですが、まあ最小限の発言で最大限の発言を引き出すみたいなことには、多分僕は能力的なものが少なからずあると思うんですよね。
就職活動のことを思い出すと、まあよく人の話を聴いてたなと思います。自分が喋った話より、グループ面接とかで他の人が喋った話や、面接官の話の設定の仕方とかをよく覚えているんですよね。基本的に就職活動って別に何か新しいことを話さなきゃいけないわけではなくて、自分のことをひたすら語ればいいわけですよ。それはすごい簡単。ただ肝心なのは、前後の文脈を踏まえているかということだと思うのですよね。面接官の話の振り方はどうだったかとか、それを受けて隣の人がどう話したかとか、そういうことをきちんと理解して適切に適正に自分の話をする。そういうのは実は喋る力より聴く力によるところが大きい。
だから天童荒太氏の『悼む人』に近いかも知れませんね、ある意味。
仕事の打ち合わせに行くと、クライアントの半分か3分の1くらいしか僕は喋っていません。基本的にクライアントから聴き出す仕事なんです。勿論、僕が提起したり提案したり押さないといけないこととかもありますけど、それをクライアントがどう思うかという話を聴き出しながら整理して行くことの方が大事。逆に言うと、喋りやすいように交通整理しながら聴く必要があります。それは最小限の発言で最大限の発言を引き出すということで。
ET Luv.Lab.はいつも録音をテープ起こししているのですが、もう笑っちゃうくらい僕喋ってないです。「あー」とか「なるほど」とか「へー」とか。たまあに、「こういうことですかね」、とか、「こんなこともありますね」、みたいな話もしますが、それも多分140文字以内の発言がほとんど。ただ、そうやって、喋りやすい流れを作っていくっていうのは、話を引き出して行くためには大事だと思うんです。別に先導するわけじゃないし、導きたい結論があるわけでもないのだけれど、ただすごく近い次の展開とそれに必要な橋渡しっていうのは経験で見えてくるものがあるんですね。
それはもう何か技術とか能力とかいうのもおこがましいのですが、ただ分類的に自分は「聴く人」なのだあと。喋るの好きですし、実際、よく喋りますけど、より良い面白い話を聴き出すために喋っているんであって。僕のできる話なんて大抵身の上話ですから。
まとめるとおまえ省エネだろ、ということにもなりかねませんが、まあ、そういう役回りですね色々と。
メディアの再定義 – スモールメディアの隆盛とマスメディアの凋落について考える
最近、恐ろしいことに気付きまして、少なくとも僕が普段鑑賞するコンテンツ、全て自室のPCの前で消費できるようになってしまったんですね。テレビ、ラジオ、映画、音楽、ニュース。ネットにはご存知の通りありとあらゆるコンテンツがありますし、最後の砦は紙の本、なのですが、Kindle、そして日本発売間近のiPadでもご存知の通り、今年は電子書籍元年とも言われているわけで。
家族でテレビを観ながら団欒なんて偶像は遥か昔に崩壊してますし、ラジオは先日radiko.jpが始まりましたし、TwitterやらUstreamやらYouTubeやらなんやら。最近改めて僕のお気に入りはPodCastでして、コンテンツを「ながら視聴」しながら仕事なんてこともしてますし、たまあにNHKオンデマンドで古い番組観ながらEvernoteに鑑賞ノートつけたり、とか。もうね、ぐちゃぐちゃなんですよ、つまるところ。とてもじゃないけど、シーンとかシチュエーションとかでコンテンツ鑑賞が切り分け得る状態じゃない、からマーケティングの世界も随分大変ですよね。いいもの作るしかない、っていう原点回帰になればいいのだけど。
そういう意味ではメディアをコンテンツを届ける方法の違いによって理解することにあまり意味を見出せなくなったというか。自分をとりまく環境があまりに多面的になって来たというか。
メディア・コングロマリットとか言いますと、すごく大きいものを想像します。News Corporationを初めとした。でもそういうものって結局図体がでかくなるわけで、今の時代観に合致しているかというとちょっと疑問。確かに大きな予算を大きなスケールで動かせるという利点はあるかも知れないですけど、贅肉を一杯はらむわけで、そういう巨像が今の細分化して複雑化して分散化した個々人のニーズに対応していけるのかというと疑問があります。
そういう意味で、僕が最近面白いなあと思っているのが、スモールメディアです。スモールメディアと言って例に挙げると叱られちゃうのかも知れませんが、スモールパッケージメディアと言いますか。小さい規模のメディアがコンテンツを多様な形で配信していて、それはテレビ局買って、ラジオ局買って、映画会社買って、雑誌会社買って、みたいなメディアコングロマリットよりも、むしろエッセンシャルでピュアでパワフルな活躍をされてるんじゃないかと思うのですよね。
具体的には日本ですと、greenz.jpとAppetizer Japan。この2つは見てて個人的に面白いです。greenz.jpはエコとかサステイナビリティ、Appetizer Japanはスマートフォンがテーマとなっているようですが、話題はそこにとどまらず、Webサイトは元より、Twitter、YouTube、Ustreamなどのネットにある様々なツール、更にはワークショップやトークショーやパーティと言ったリアルのイベント、企業との直接的な連携などによって、観ている側からも非常にダイナミズムを感じます。それをブランドと言ってしまうと、話が簡単になり過ぎてしまうのだけど、もう少し言うと「メディアのハブとしてのブランド価値を最大限に活用している」というか。
もっと単純化してしまえば「楽しそうな人達が楽しげに楽しんでいるのを誰でも楽しめる」ということなのかも知れません。楽しいって、勿論、面白おかしいということではなくて、エキサイティングだってことですよね。古くはドリフやPopeyeやオールナイトニッポンが時代の空気を作ってきたわけですが、スモールパッケージのメディアが、メディアが持つユーザへのリーチの限界に縛られず、色々なところに顔を出し始めた、そんな感じでしょうか。そういうことにインターネットやモバイルの出現は当然寄与していると思いますし、時代のトピックに敏感に反応している、というところも先を走れることに寄与しているのかも知れませんが、何より個人的にはスモールパッケージであるが故のエッセンシャルでピュアでパワフルなメディアとしての魅力、というのに惹かれています。
他にも彼岸寺などもお薦めです。エコとかスマートフォンとか仏教とか括られると、ともすればこれまでの業界紙的なものと考えられがちですが、そもそも業界をターゲットにしたものではなくて、色々な趣味嗜好がフックに含まれているので、むしろメディアとしての面白さ、コンテンツの面白さ、の方が専門性とのマッチングより先に来ます。
とは言え、今日も『美の壺』NHKで観る予定ですし、映画館で観る映画に勝るものはないですし、オペラは生じゃなきゃ成立しないとこないだ改めて思いましたし、酔った帰りに駅前で歌う青年を見るのは微笑ましいですし、radikoでラジオが大分僕の生活に身近になりましたし、任天堂は3Dゲーム出すらしいですし、iPhoneはHD対応するみたいですし、とか。良くも悪くもこういうことってそろそろどこが偉くてどこが貧粗でということではなくて、個人にとっては並列で、実はコンテンツの届けられ方って最早あまり問題ではなくて、一メディア、一コンテンツのエッセンスがどれだけ魅力的かというところに辿り着いてきてしまったんではないかと思うのです。
そう考えるとNHKがこのご時世に坂本龍馬やってるのとか面白いのですけど、本当に戦国時代か幕末維新かわかりませんが、今年は改めてスモールメディア元年でもあって欲しいなあと思うのですよね。なまじマスメディアの凋落が毎日のように話題に上がるこんな時代にこそ、スモールメディアにこそ、これからのメディアの姿がかかっているとも思える。
個人が発信するネットの情報には信頼性がないから、ネットというメディアには信用性がないみたいなことをテレビ局の人がテレビ番組で言ってたりもしますが、そもそもネット自体はメディアじゃないんですよね、少なくとも。そこにいる個人、もしくは個人の集団が発言しているわけで。そんな中でネットも十全に活用できる、スモールメディアがもっと活躍の場を広げてきたら、メディアということを取り囲むあれこれも、もう少し面白くなってくるんじゃないかと感じています。
電子書籍のソーシャル性を今のソーシャルメディアをメタファーに考える
iPad、続々と日本に上陸しているようで、Ustreamでも色々なイベントが見れますね。今日も覗いたイベントで、スペシャルゲストの西郷輝彦氏が「ページをめくる時に裏の活字が透けて見えるんですよ」と電子書籍体験を興奮気味に語っておられて、それは是非ディテールを確かめたいなあという気持ちになりました(買うかどうかはまた別だが)。やっぱり本読みとしては気になるんですよね、電子書籍。
で、電子書籍、どうなるんだろうと色々楽しみなんですが、ふと、基本的にソーシャルなインタラクションはTwitterをメタファーにすれば、ある程度予測できるのはなかろうかと思ったりしました。Twitterのコミュニケーションと言うと、基本のTweetと@とDMと#がメインになってくるかと思います。
@
特に誰かのためにお勧めしたい素敵な言葉を共有できたら楽しいですよね。
DM
言葉のギフトってロマンチック。
#
同じ本を楽しんでいる人の間でのコミュニケーションは是非とも実現させてもらいたい。
更に対象はTumblrのクリッピング対象で考えるといいかも知れない。
Link
このページはよいですよ、という目印ですね。
Quote
読書しながら線を引くような感覚で使えそうですね。
Photo
面白いエディトリアルデザインはキャプチャできたら面白そう。
Video、Audio、Chatとかは難しいですかね。でも、VideoやAudioやChatの形で本にノートをつけられるEvernote的な考え方は面白いかも知れません。以前、ソーシャルであることは、あらゆるところで編集が行われること、というようなことを書いたと思うのですが、まさに編集という形で出版物というコンテクストを活用したコミュニケーションが行われ出したらそれは非常に楽しそうだし、全く新しい読書体験になりそうだという気がします。
勿論、権利の問題とか色々難しいことはあるのでしょうが、そういうことをかっ飛ばして考えると、電子書籍元年というのは非常にエキサイティングだと思います。勿論、iPadの魅力は電子書籍だけではないのだろうし、iPadでピアノ演奏するのなどを見て、可能性を色々感じるわけですが、でもやっぱり電子書籍はiPadがもたらすキラーコンテンツの一つなんでしょうし、本が電子化される、だけじゃないその先の読書体験に期待をしてしまいます。
それは何かこう基本的には著者という一人の成果物であった書籍というものが、大きく天に放り投げられるような気がしていて。
iPadの広告なんて全く見てないのに、ソーシャルストリームで完全に頭がiPadな件
iPadが発売され日本上陸してからというもの(海外で発売されたものを日本に持ち込んでくださるパイオニアの方々のおかげ)、連日連夜、TwitterやらUstreamやらでiPadを目にするうちに、もうなんだこれは、僕がiPadを買わない理由は金欠という一点のみ!(買えないだけじゃないか)というところまで大いに洗脳されてしまったのですが、これは冷静に考えるとすごいことだと思います。AppleのサイトやYouTubeのサンプル動画にもちょっとは影響されているわけですが、多くの僕に影響を与えた情報は、一昔前の言い方をするならば、まさしく「クチコミ」なわけです。
だから、ソーシャルストリームによって、クチコミが広範に可視化されてしまったわけですね。Twitterはつぶやきと言われますが、Tweetではなく情報の質としてはDialogueで、「同時多発井戸端会議」みたいなイメージではなかったかと思うわけです。で日に日にストーリーが膨らんでいって、今までのクチコミってサポーティングパラグラフだったんだけど、最早クチコミこそがメインパラグラフだぞ、という状態。
で、掲題のことをTwitterでつぶやきましたら、@taromatsumuraにこんなメンションをもらいました。
この感覚で、製品やコンテンツが消費者とマッチングしていくのが、これからの時代ですね。
そうそう、まさしくそのマッチングの重力というか引力というか、そういうもののフィールドが今どんどんソーシャルメディアにその戦場を移しつつあって、しばしばマスメディアは、後で体良くまとめる、ことしかできなくなるのかも知れない。そこに良識や批評や見解を交えてコンテンツとして洗練されたものを提供するということは不可能ではないと思うし、取材や記者は大事だと思うけど、ダイナミズムは、そうまさしく「同時多発井戸端会議」的なダイナミズムは、ソーシャルメディアにこそあるんだろうなあと思います。
大ヒットが生まれなくなって久しく経つと言います。個人の価値観の多様化とか、ライフスタイルの変化とか、マスメディアの影響力の衰えとか、言われます。ただ情報は受容するより発信した方が収斂されるということを、人々が体感しつつあるのが今の時代だと思いますから、そういう意味で大ヒットは30年ほど前よりは相変わらず生まれにくいのかも知れませんが、10年前、20年前よりは生まれやすい新たな土壌がじわじわと形成されてきているのかも知れない。
別に大ヒットはこれからも出ないかも知れませんね。ただ、ヒットは営業費×広告費みたいなことでは作れなくなっていたこの20年を考えると、いいもの作ってワクワクさせるみたいな根源的なところに、ヒットのメカニズムが原点回帰したら、それはそれで健全なんじゃないかと思います。
昨日正午から佐々木俊尚氏の『電子書籍の衝撃』が先着1万ダウンロード限定110円というプロモーションをディスカヴァー21がやっていて、僕も読もうかなと思っていたので、正午きっかりにアクセスしたのですが、案の定と言いますか、サーバダウンして購入した書籍がダウンロードできず、すぐに読めなかったわけです。「これはひどい」と思ったわけで、そんなつぶやきもして、Twitterでフォローしあっている人にも同症状の方がいましたから、まあそういう失敗談というのは瞬く間に広まっちゃうわけですね。
ただそれが話題になったからマーケティング的に成功とか、企業のブランドが失墜したとか、そういう話をしたいわけじゃなくて、時系列で見ていたらトラブル発生後、タイミングタイミングで適切な対応をしているように見受けられて、日本では全く新しい試みをしたということも含めて、最終的には好感持てました。
僕はこのプロモーションが広まるのも、トラブル発生するのも、収束するのもTwitterだけを介して見てましたが、そうやって企業とユーザの直接のコミュニケーションにならなくとも、商品や事象に関してソーシャルメディアの中で様々な情報や意見や疑問や批判が駆け巡るわけで、そういうことって全く新しいパワーじゃないかと思うのです。
これまでもTwitter炎上とかはありましたが、それはTwitterの使い方がアコギだとかいうことであって、今回はある種のリアル炎上をTwitterが消化吸収する役割を果たしたという意味合いで勉強になった感じがします。そしてそのメカニズムは必ずしも企業側が意図して働かせたものではないと。
だからこういう勃興期にあっては、色々議論にはなりますけど、結局は「いいもの作ってワクワクさせる、真摯に親切に対応する」というような、あまりにも当たり前のことが企業ができる唯一つのことだったりするのではないかと思います。ああ、体力勝負ですね。その上で戦術的なことは色々あるとは思いますが。
話を戻すと、そういうソーシャルストリームのまさしくウネリが、今後ますます企業とユーザのマッチングに果たす役割が大きくなるのは確かだと思っていて、一方でそこには広告的にテクニカルな因子より優先するべきことが色々ありそうだ、というのが僕の見方です。とりあえず、iPadはある種今の時代を象徴する大きなプロダクトリリースだと思うので(少なくとも発売前の盛り上がり的には)、それだけで消費社会の全てを語ってしまうのも乱暴な気がしますが、もう少し小さなパッケージであっても力強いムーブメントというのが「いいもの」の周りで起こると楽しいですね。
ちなみに最近よくTwitterで見かけるのは桃ラーの話題。好きな人が今更ワイドショーで取り上げるな、どこも売り切れで入手困難なのに拍車をかけてどうするとつぶやいておりました。そういうこともあるわけですね。
趣味先進国アメリカに学んでみようと思う
そもそもアメリカが趣味先進国かどうかは定かではないのですが(前提条件がウヤムヤじゃないか!)、ただことに最近僕がアメリカのWEBサービスで気になっているのが、「趣味悠々」と言いますか、何かNHK的というかNHK教育的というか、セミプロとか、セミセミプロみたいな人を上手にすくっているサービスなんです。DIYと言うとアメリカ型のホームセンターを思い浮かべますから、あながち間違ってない気もします。アメリカに留学していた後輩から、ヘタクソなウッドデッキをホームステイ先で散々自慢されたけど、あれはあれでいい文化だと思う、みたいな感想を聞いたこともあります。その辺りがどうやら面白そうだぞという気がします。
Etsyはハンドメイドに特化したマーケットプレイスです。例えば僕が最近興味がある、陶芸なぞのカテゴリに進んでみますと、72000点の商品が登録されています。ちょっとこの量はすごいです。通常の小売はとてもじゃないですが、陶器だけでこの品数は扱えないと思います。勿論、個人によるハンドメイドですから玉石混淆です。ただ、お金を払っても欲しいものもあります。以前、Bloggingの項でも「Etsy.comって無茶苦茶面白いな」ということで取り上げていますが、このサイトは目から鱗でした。
今、日本のネットで流通しているものの多くは既製品です。ネットとは言え、商社があって、卸があって、そこから小売に流れているわけで、日本国内で流通し得る既製品という意味では、実はリアルからネットにシフトしても、商品自体は一部の例外はあっても大きくは変わっていないわけです。後はオークションなどを中心としてセカンドハンド、中古品というのがありますね。しかし、この一般人によるハンドメイドの商品、というか作品がネットで流通するというのは結構すごいことだと思っていて、先述の記事でも、こんな印象を持ちました。
オークションで本物だか偽物だかよくわからない商品を買うより、オハイオのポテト好きのオバサンが作ったマグカップを買う、みたいな方が面白い気がする
そう、なんか手に取れないリスクとか、買うに値するという品質の信頼性とかいうことより、まずもってこういうのって未体験であるが故に、商行為として面白いんじゃないかと思うんですよね、単純に。
次に趣味、というわけでは必ずしもないのですが、Kickstarterを取り上げたいと思います。簡単に言うと、小さな目的のために、小さなお金を集められるサイトです。ファンドレイジングというとカッコいいのですけど、取り上げられているプロジェクトは多分に趣味的であります。エンジェルというよりパトロン。村上ファンドというよりあしながおじさん。そんな感じです。
ただこれ面白いのは、社会のために有用だからお金ください、ってだけじゃなくて、10ドルくれたらこういう特典があります、100ドルくれたらこういう特典があります、ということをきちんと約束しているんですね。勿論、プロジェクトに関しても、プロジェクト発起人に関しても説明がありますし、ただやっぱりディールが提示されているの大事ですよね。
こういうのも詐欺師だったらどうするんだとか、正しい金の使われ方をするのかとか、信用の担保をどう取るんだとか、色々リスクをあげたらきりがないんでしょうが、お金の使い方として面白いんじゃないかと思うんですよね、単純に。
勿論、日本にも面白いサービスはあるんです。僕の部屋にはART-MeterというWebサイトで買った絵が2点あります。こんなのとか、こんなのとか。誰でも知ってる有名な画家のレプリカとかポスターとか飾るよりは、一点物に巡りあってしまった方が楽しいと思うんです。白洲正子さんも古伊万里の贋作でも気に入れば関係ないと他の真作以上に愛でたと言いますし。モノだってヒトと同じように、絶対的な価値なんかなくて、相性だと思います。芸術的価値みたいなアカデミックなアプローチをしない限り。
とは言え、多くの人にとってはモノって、芸術的な価値より、生活的な価値だと思うのです。
そんなわけで、日本にもいいサービスはあるのですが、アメリカはちょっと先行ってるのかな、などと個人的には思っていて、そこには何か面白いことを商売にする巧さみたいなものも感じます。今、ソーシャルって言うと、コミュニケーションがメインで、TwitterとかUstreamとか取り上げられているわけですが、今度はそういうことをモノにシフトして考えた時に、DIYというかセミプロというか、そういうものが流通するプラットフォームっていうのは、ちょっと新ジャンルなような気もします。
自分マネタイズ論
マネタイズって言葉がありますね。ネット周辺にいると特によく聞く言葉です。サービスとして成功していても、ビジネスとしてマネタイズできていない、みたいな話。まあ、サービスとして本当にヒットして、マネタイズできてないって話はあまり聞かない気もするのですが、逆に言うとサービスとして爆発的にヒットしてなくても、ビジネスとしてマネタイズできているものとかあるわけです。
などと考えた時に、これ個人に置き換えると、セルフブランディングと自分マネタイズ(セルフマネタイズって言っても良いんだけど、語感的に自分マネタイズかなと)みたいな関係性で考えられるのではないかということに気づきました。セルフブランディングということに関しては、僕もこれまで書いてきましたし、色々なところで偉い人が書いていると思うので、今回は自分マネタイズということについて書いてみたいと思います。これって多分、特にフリーランスを考える上で、結構大事なことかと思います。
自分マネタイズと言ってみた時に、これに関してはこれまでにかなりストイックに考えてきたなという自負があります。なんせ、独りでやっていますから、基本商材は加藤康祐という人間でしかないので、それをどうやってマネタイズするかということは、僕の仕事の工夫そのものだったりするのだと思います。
ETのWebサイトを見ますと、コンサルティング、CIデザイン、Webデザイン、印刷デザイン、執筆、撮影、イラストとサービスメニューが並んでいます。決してこの限りではなく、最近はソーシャルメディア関連やプログラミングなどもやっています。
業務的にはそれだけでもなくて、御存知の通り、営業もやるし、企画もやるし、経理もやるし、まあ色々あって、単純に自分の仕事と考えるとまだまだたくさんあるのですが、ETのサービスメニューに並んでいるものは何かというと、ようは「落とし所」なんですね。逆に言うと、僕の仕事はETのサービスメニューに書いてあるどれかをアウトプットとして持って来ないと、なかなか成立し辛い。つまりはマネタイズし辛い。
そうすると「落とし所」の受け皿は当然広い方がいいわけです。ETのスタート当初のサービスメニューってWebデザインだけでしたから、Webサイトを作りたいクライアントとしか上手にビジネスできなかった。けれども、今の体制ですと、なんとなくデザインやネットの相談をしたいクライアントに対する受け皿になって来ているわけです。
例えばスキルアップ、と考えた時に、英語、とか、簿記、とかもあるわけですが、上のような考え方をすると、なかなか優先順位が上がってこない。勿論、海外と仕事をするとか、会社を立ち上げるとか、そういう目標設定が出てきた時は大いに取り組む価値がある、というか必須になってくるわけですが、当座の僕の自分マネタイズを考えるという意味においては、まだ他のことに注力したい状況ではあるわけですね。
では受け皿を広げるにはどうしたらいいかというと、基本的には興味が持てるところにはどんどん首を突っ込む、ということでしかないです。ある後輩が僕のことを「悪食」と評していましたが、まさしくそうで、面白そうならどんどんやってみればいい。
電子書籍の時代になると言われています。でも僕は、アプリ開発とか、編集コンサルみたいなことはいきなりはどうもできそうにない。だったらと考えたのがとりあえず、自分で本を書いてみて電子出版してみればいい。アプリ開発より編集コンサルより、今の持ってるスペックでその分野に首をつっこむ一番得手を活かせそうな形って著者としての参加だと考えたわけです。
一方で後に続かなかった仕事もあります。もうだいぶ前ですが、先輩の会社にソフトウェア開発の仕事で週に2~3回、VBプログラミングを働きながら勉強させてもらっていたことがありました。これはその後、ETの落とし所にはならなかった。そういうこともあります。
ただ、それも考え方次第で、後々、WebアプリやCMSの開発・カスタマイズをするようになった時に、その時の経験が非常に役に立ちました。物の考え方とか、全体像をイメージすることとかは、技術や対象が変わっても、自分の得手とするフィールドと近しいところに持って来た時に機能し始めたりします。
意味のないことなど何もない、って言ってしまうと楽天的過ぎてあれですが、ただ、新しいことに首を突っ込むのにそんなにコストはかからないですし、他の人に迷惑かけない程度に踏み込んで、脈ないなと思ったら引っ込めばいい。僕の「悪食」というのはヒット&アウェイなんですね。なんか浮気性の男みたいな話ですが。
ただ、そうやって仕事にまでなってない段階で、ある意味、趣味として、仕事未満、素人以上のスキルを育てることを常々やっていると、時間の経過や経験の積み重ねによって、受け皿の幅は少しずつ広がっていきます。
勿論、そういうことやってると、事業コアが、みたいな話になるわけですが、ETのコアコンピタンスは、デザインではなく、企画でもなく、加藤康祐なので、一人でやってる分には全然問題なく、というよりは、一人でやっていくことのリスクを分散させていく上でも、仕事の拡張性を確保する上でも、そしてクライアントの要求に答えるためにも、そうするしかなかった、ということが言えるとも思うのです。
そういう意味では僕にとってはセルフブランディングということよりもむしろ大事だったのは自分マネタイズをするためのウグウグゴモゴモだったのかな、などとこの5年ほどを振り返ると思います。
先日、後輩に「悪食、気に入っているんですか、加藤さん」と突っ込まれたので、悪食という言葉を面目躍如するべく、支障のない範囲で正当化してみました。
ただ、セルフブランディングと言ってああでもないこうでもないとやるだけでなくて、冷静に自分の仕事と自分の市場価値を紐つけてやる作業って、なかなか考える機会がないかも知れないですけど、転職を考えてなくても、独立を考えてなくても、必要なことのように思います。
子育て 2.0 : iPadはMy First Appleになるか?
ええ、独身30歳の加藤でございます。こないだちょっと面白い話を聞きまして、週明け遂に日本でも発売されるiPadについてなのですが、友人がiPadを買う理由。僕はせいぜい奥さん用とか思ってたのですが、意外や意外、生まれてくる赤ん坊のためにiPadを注文したんだそうです。
デジタル・ネイティブという言葉があります。昨年くらいに話題になりました。僕らは成人に近いくらいでPCや携帯に触り始めたデジタル・イミグラントってな具合で、それより若い世代って、PCや携帯が物心ついた頃から世のコモディティになっていた、デジタルに対するネイティブな世代なわけであります。ちょっと今回の趣旨とは違いますが、「デジタルネイティブの台頭が、人材流動化の鍵?」という記事で触れています。
話を戻しますと、これからの時代に生まれてくる子供たちは特段の自由が無い限り、今言うところの「デジタル・ネイティブ」なわけです。では「デジタル」の入口として、今最も適したデバイスとは何かと考えた時に、友人は「iPad」という結論を出したわけですね。これは結構面白い話ではないかと思います。
2歳半で「New Toy」として存分にiPadを楽しめるわけですね。ユーザ・エクスペリエンス(=UX)という言葉がフィーチャーされて久しいですが、UXという、技術とクリエイティブの融合の証明の一つとして、この映像は驚異的なのではないかと思います。
そんな話を聞いた時に、ふと思ったのが、そしたら喋るのとiPad覚えるのと、どっちが早いのだと。とか、文字を書けるようになるのと、フリック入力覚えるのと、どっちが早いのだと。何の根拠もないですが、映像を見た感想としては、何となくiPadを使うことより、喋ったり書いたりする方が、人間の活動として高度で、それが故に、僕らの常識と逆転現象が起きるんじゃないかって、ちょっと危惧してしまいました。
まあただ時代によって色々子育ても移ろいゆくものでしょうし、僕らがPCにすんなり入った背景にはきっとファミコンがあったろうし、携帯メールにすんなり入った背景にはポケベルがあるでしょうし、時代の変化を受け入れるのは、教育という観点から見てもすごく大事だと思うのだけれども、iPadという「New Toy」には、その向こうに無限の可能性が広がっているわけで、子供の無限の可能性をまさしく拡張するデバイスに成り得ると思うんだけど、まあ自分が経験したことないだけに単純に怖さも感じます。
結局はでも親ですよね。ペアレンタルコントロールとかいう話ではなくて、もっと単純に、子供とよくコミュニケーションを取って、どういう興味を持って、どういう楽しさを発見したのか、というところをきちんと寄り添って把握してないといけませんね。せっかく、iPadは「2~3人で覗き込んで楽しめるデバイス」なわけで。
個人的には、親父が出勤前に頑張ってセットしてくれたプラレールをゴジラの如く一瞬で破壊して叱られた、みたいな経験が幼少期の教育では大事だと思うのですが、僕の同世代も子供いますから、そういう人たちがどういう子育てをしていくのかということは興味のあるところです。iPadを買う、なんてことは、ある種、子供の未来に対する親の勇気、みたいに捉えてもいいんじゃないかと。
ところで、タイトル。iPadが「My First Apple」になるか?ということ。これはAppleというブランドを考えるにあたって、意図しているかどうかは別として、すごく大きな意味合いがあるんじゃないかと思います。任天堂とかSCEとか言うより、むしろ、LegoとかTomyとか辺りの属性がAppleのブランド価値に加わるかどうか。そうするとメーカーとしてのAppleはまた新しい時代に突入していくんじゃないでしょうか。
行為が流通するプラットフォームに新しい時代を感じる
これまで、プラットフォームについては例えば、「Service As A Platform – コンテンツとネットの未来について」とか「コンテンツとプラットフォーム – 電子書籍について考える」という記事で考えてきました。割とプラットフォーム話は大好きです。最近書いた「趣味先進国アメリカに学んでみようと思う」もプラットフォームの話として読んでいただいて結構だと思います。
で、これは面白そうなプラットフォームのトピックだなと思ったのが、iUnivというサービスの話。
iUnivは「Free Flow Education」プラットホームである。
ウェブ上に存在している大学や企業、その他団体が無料で公開している学習コンテンツを集約し、オーディオやビデオにアノテーションを入れながら(特許取得技術の「Fusen」を活用)、自律学習するための教室のようなモノだ。現在、世界中の65000を超えるコンテンツがiUnivに登録されており、毎日増え続けている。これらのコンテンツとソーシャルメディアを使って、自由でオープンな学習プラットホームを構築したのだ。
このiUniv、スゴイ楽しみでベータテスタ申請してのんびり待っておるところなのですが、記事を読んで感心したのが、これは「学習という行為自体を流通させてしまうプラットフォームだな」と。勿論、これまでもソーシャルメディアではコミュニケーションが盛んに行われ、その中でも学習に関するトピックスは多いと思うのですが、人が学習する、そこで生成されるコンテンツが属人性を持って流通する、って言うのはコンテンツの消費がコンテンツを生産する、ということでもあり、プラットフォームのデザインとして秀逸だなあと。
最近、NHKオンデマンドを鑑賞しながら、Evernoteにノートを作っていくという行為がマイブームなのですが(詳細は「最近のNHKオンデマンド鑑賞法をご参照ください」)、後でブログにペーストするくらいのことはやっているのですが、基本的には自分のところで完結している行為なんですよね。こういうものが、わんさか色々な人によって行われて、それが例えば視聴コンテンツなのか、タグなのか、キーワードなのかわかりませんが、有機的に結びついて、コミュニケーションが図られて行ったら。。。ちょっと楽しくなるんじゃないですか。それこそAgoraというか。
僕は学生時代、大学の多くの授業の問題点は、課題が教授一人に見せるだけなので、大して「燃えない」というところにあるのではないかと思ってました。ブログに書いた方が全然良いし、せっかくのアウトプットがただ一人に採点されて、レスポンスもABCD評価に帰結してしまうのってつまらないですよ。勿論、1対100とか1対200とかって形で講義をするわけですから当然なんですけど、でもそれじゃあそのスタイルって限界あるんじゃないのと。いうところでiUnivとか、既存の大学よりも、むしろ可能性を感じてしまう。
プラットフォームに話を戻しますと、これまでTwitterとかFacebookとかコミュニケーションをするプラットフォームって色々出てきたわけです。iUnivも勿論、コミュニケーションが行われるのでしょうが、学習という行為が流通するというのが、このプラットフォームの可能性だと思います。「行為が流通する」って言うのは、なかなか具体的なイメージが湧きづらいわけだけれども、学習の経過、ないし成果を、教育コンテンツの二次的出力として、先程も書きましたが、コンテンツの消費がコンテンツを生産する形を取るという意味において、ただの「レビュー」やただの「まとめ」以上のプラットフォームになるんじゃないかと期待しています。で、このタイミングで恋愛でもなくビジネスでもなく「学習」っていう題材を扱うってのが面白い。実はインターネット時代の学習フレームワークって色々あれど、なかなか体系化されず、義務教育にも反映されず、ここまで来てしまったという気もしていて。
行き詰まっている日本の教育に、iUnivが新風を吹き込んでくれると、やっぱり教育って次の時代への希望だと思うので、素晴らしいなと妄想するわけです。
そんなわけで、今一番ローンチが楽しみなサービスです。

加藤 康祐