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算命学余話 #R114 (page 1)

 ソ連時代のロシア人は、世界で一番読書をする国民は自分たちであると自負していました。実際、平均的なロシア人家庭には文学全集がひと通り揃っていたし、街中のベンチや地下鉄の車内で分厚い本を熱心に読むロシア人は、老若問わず日常的に見かけられたものです。ソ連時代は娯楽が少なかったという事情も、こうした読書熱を後押ししていました。
 現在はスマホの普及で日本同様、ロシア人の読書時間も減少傾向にありますが、世界的には依然として高い読書時間を誇っており、特に文学作品に割く時間が多い。トルストイやドストエフスキーといった古典的大著は勿論、現代作家の新作も幅広く読まれ、大きな文学賞を獲ったりノミネートされたりした作家の作品はベストセラーとして店頭に並び、外国語にも翻訳されています。また日本を含む海外の人気作品もロシア語に翻訳されています。

 

 ソ連時代を含むロシア人が自らを世界一読書する民族だと豪語するのには、当然知的水準が高いという自負が込められています。ソ連という国は最終的には経済(=禄)の衰退により立ち行かなくなりましたが、宇宙技術や核開発で知られるように学術レベルは非常に高く、そのレベルを維持するだけの教育や研究に、国家が予算を割いていました。国を動かす立場にある人間が、それだけ知性(=印)を重視していたということであり、その下で暮らす一般庶民もそういう意識で読書をしていたということです。
 知的栄達が金儲けに結びつかなかった国でしたから、知性は経済からは独立していました。印が禄に剋されない位置に立つためには通干する官(=名誉)が必要で、知的水準が高いという国民の自負はそのまま名誉に繋がるものだったのです。

 

 旧ソ連の構成国キルギスに暮らし、キルギス人の読書習慣のなさに驚き呆れていますが(学校に図書室がない、町に図書館がない、本屋もない、首都でさえ本屋が数軒しかない!)、そもそも僅かな口承文学しか持たなかったキルギス人には、歴史の積み重ねとしての文字文化がなく、それが歴史に対する意識の希薄さに繋がっているようです。
 端的に言って、キルギスには語るべき歴史がいくらもなく(歴史は勿論あったはずですが、文字にしたためなかったことで伝承があやふやになり、資料がなさすぎて学術的検証もできない)、いくらもないから敢えて反芻しない。要するに、過去を振り返らない国民性が形成されている。キルギスの学校の歴史の授業が事実上ロシア史になってしまっているのは、既に公用語として定着しているロシア語の話者としての基礎知識であるからという事情以上に、学ぶべき歴史、より正確に言うなら、「学ぶことのできる歴史」がキルギスにないからなのです。

 

 文字で記録するという作業をしなかったキルギス人にとって、歴史とは伝説や昔話といくらも差がないので、そんなフィクションじみたモヤっとした絵空事をわざわざ学ぶ必要はないし、人生の中で時間を割くことでもない。だから歴史を顧みないし、歴史の部分的な証人である本も読まない。こういうことではないかと、私は推測しています。こういう話は、それこそロシア人の知識人が嬉々として乗ってきそうなテーマです。

 というわけで、今回の余話のテーマは歴史についてです。しばらく思想的な話から遠ざかっていたので、上述のような堅い導入に続き、算命学的に考えた場合の歴史の意味について考察してみます。鑑定技法の話ではありませんが、歴史という目に見えない概念が人体図にどう反映され、それをどう解釈するかというお話です。


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最終更新日 : 2019-11-25 00:09:40

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