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序章

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 新しい技術を紹介して練習生のレベルに合わせて、次々に習得(練習生のレベルアップ)を目指していますが、個人の特性を考慮するのが最重要と考えています。それ故に、各練習生毎に微妙な違いに対応して教え方が違います。そして重要なのは、習得途中の人には、未修得の練習生に習得途中の人が、教える様子を見て習得途中の人を指導して微妙に修正していく必要があるとの思いです。「人に教える事が一番の練習」と思いますので、その教える姿を見ながら皆で太極拳を上手になりたいです。

 


勁を足裏に落とす方法

勁を足裏に落とす方法 をより詳しく説明する。

1つ目、肩を引き上げて後ろに回す。

2つ目、胯を緩めて尾呂を入れる。

3つ目、肩井を落とす。

1番目と2番目は練習中にこの現象に気がついた。

特に3番目の「肩井」を落とすは、この方法を知ったのは「銭育才著 太極拳理論の要諦」の本のP192、193で知ったのである。今としては、「肩井のツボの位置を放鬆すると足裏の湧泉位置附近に繋がる(沈む)感覚がある。」後、練習生に教える時は、イメージとして「肩井に熟れた果実或いは溶けそうなバターがあるとイメージして、それが溶けて足裏(湧泉)の位置に落ちる」イメージで身体全体を放鬆してと教えている。これは本道ではないので、感覚としては「背骨」の補助として使用している。今の感覚では「下から上がってきた勁を大椎で分けて、首から肩の一番高い所を通って肩に動く間に肩井を通過する時に勁が少し増える感覚である。」肩井で沈んで、掤勁が少し大きくなる。

下記リンク先のページの中の「GB21」が肩井である。(胆勁)

http://www.aimy-ss.jp/TANEI.html 

下記リンク先のページの中の「K11」が湧泉である。(腎勁)

http://www.aimy-ss.jp/JINKEI.html

 


「パンダさんによる四正推手講座」で大切な重要な事

 「パンダさんによる四正推手講座」で大切な重要な事、「超入門レベル」で正しい動作を覚えたら、それを基に「初級レベル」では「勁、意、気」の本質及び使い方を練習して覚える、「中級レベル」では、「軽い虚の勁、意、気」の本質及び使い方を練習して覚える。というようにレベルによって練習内容が違う。「超入門で正しい動作」=「着熟」を適当に覚えてしまうと、以後の練習で理解できない事が多々出て来る。そして「推手」、「四正推手」には沢山の流派があり、流派強いて言えば、「教える先生、老師」によっても「違い」がある。この「違い」を見逃せば、期待した成果は得られないばかりか、実害すら有る。練習生が「頭のスイッチ」を入り切りで正しく対応できれば問題ないことであるが、それができない練習生は大変注意が必要である。他の流派、他のやり方を批判しているのではない、「パンダさんによる四正推手講座」での「推手」、「四正推手」と相性が悪く、実害が出るからである。「頭のスイッチの操作」を覚えたら大丈夫であるので、他の推手と同時並行で練習したいなら覚えるのは必須条件である。


推手講習会での事1

 この日の練習はすべてが相互協力練習であった。何種類かの練習により動作は違っていたが、すべて相互協力練習である。どれもであるが、最初にT先生と他の先生で見本動作をするのであるが、この時にT先生の相手の先生が、T先生の勁を受けて、自分で動きすぎである、これでは、自分から離れる癖がついてしまう。まあ元気の良い女性でしたから、元気良くT先生の勁に反応していたのかもしれない。 

 相互協力の練習の時に受け手のこの誇大動作は、攻撃する方に「誤った感覚」を与えるので絶対にしてはいけない。よく上手く勁が使えたら「何の抵抗も感覚も無く、相手が飛んだ」と聞くが、多くは、これは大変問題である。何故なら、「受け手が自分で飛んでいる」からであり、こんな練習をすれば、双方共に「感覚、認識の誤解」を招き迷路に迷い込むことになり、抜け出すのは大変である。「N先生」でさえ、たまに「受け手が自分で飛んでいる」ことをされますので非常に注意が必要である。相手の勁を受けて、それに従うだけである。

 攻撃する人の動作に受け手は抗わずに従うだけである。攻撃する人は最初からいきなり相手に「勁」を送る動作をしてはいけない。ゆっくり、じわじわと相手に「勁」を送る動作するのである。この事が攻撃する人の練習で、ほとんどは、受け手の練習であることを認識する必要がある。

 


基礎の四正推手について

「基礎の四正推手」は郭福厚老師の楊式推手のビデオを見て、本も読んだ。両方共に、今の筆者の悟性に照らし合わせると、隠された奥義がほんの少し、微小理解できた分を工夫と称して補った。この事で、本を出版するような作業は、例え「奥義」を隠して又は誤魔化して出版しても、読み手に悟性があれば、真髄は伝わるのだと確信した。現在の筆者の悟性の程度では、郭福厚老師の隠された奥義の万分の一も理解できていないが、四正推手の相手のすべての反撃に、捨己従人して引進落空した後に反撃する練習の「四正推手」ができた。又完全には未だ程遠いが、「意」の使い方も「勁」の使い方も、そして「勁」を使わないことも、「意」を使わないことまで理解できた。いろいろな諸事情が有って、全部が記されていない書であっても、「著者の伝えたい」との思いが伝わってくる。故に教えて頂いた「師」には感謝しなければならない、恩には報いなければいけない。と同時に強く思う。悟性がそう筆者に強く思わせる。又、「教わった内容を人に伝えなければならない」と強く思わせる。



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