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第一章

運玉ギルー

著者:滝川寛之

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 第一印象はあてにならない。確かそういう話を誰かから聞いたことがある。はて? それはどこでだっただろう? 昨日のトイレ回数と似ていて、なかなか思い出せない。ベッキーは、めぐる記憶に翻弄されながらも前を歩いていた。

 この町は人口の頭数よりも圧倒的にサトウキビ畑が多い。けれども住宅密集地は当然あって、一軒の大型スーパー近郊に住む彼女は、なんだか直ぐ近くの緑林というものが遠い存在にあるような気がしてならなかった。

 西原町には北南へ横に長い敷地を持つ製糖工場があ。そこから漂うべっとりとした甘さを感じる特徴的な香りはいつまでたっても慣れなかった。ケーキという肥料があるのだが、それと瓜二つというか全く同じだといっていい。そんなことはその肥料自体がサトウキビの粕で出来ているんですもの。当然ではないかしら? 誰かが発したその言葉は頭にこびりついてやまない。へえ、サトウキビの粕って黒砂糖の色をした肥料になるのね? そんなことを思いながら。

 町のはずれには小さなパプテスト教会がある。ベッキーの家族は毎週日曜日にそこへ通っていた。教会というものは白いペンキ塗装が印象的で、十字架をてっぺんに掲げる三角屋根はたいていの場合、ファンデーション色のギリシャ瓦だった。

 牧師のアンダーソンという日系人は、遠いハワイ諸島からの移住民で、ハバ! ハバ!というジョークをよくすることから察せる通り、とても陽気な大人だった。彼はケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースのような白ひげを蓄えている。年は結構なものだ。

 ベッキーはイギリスと日本人女性のハーフである。なのでアンダーソン牧師家族とは馬が合ったものだから教会は余計に楽しかった。しかしながら彼女は会話に英語を使うことを極力避けた。なぜなら学校では硬い硬い日本語を使うからだ。石ころみたいな文学を覚えるためには、日常なるたけ日本語に慣れておく必要があったのである。

 でもパパは日本語がへたくそなの。だって働いているところが沖縄で一番すごい嘉手納基地なんだもん。友達もアメリカ人ばっかりだし。でもママはね、何でも話せるのよ えへへ すごいでしょう? だからベッキーはパパと話すときだけ英語を使うのよ

 ベッキーの自慢はいつだってママだった。

 えっと……。ママはね、芸能人みたいにとってもとっても美人さんなの。誰に似ているかっていうと、中村アンていうモデルさんみたいな感じ。でもでも! 少しふっくらしている感じかしら? スリムよりもグラマーなの。やっぱりパパの食好みに合わせているせいかもしれない。ほら、アメリカ人に友達多いとアメリカ色になりがちじゃない? たっぷりチーズとサラミを乗せたピザだとか、ピクルスの効いたハンバーグだとか。でもでも! それっておいしくてやめられないのよね。わたしも大好き うふふ

 ベッキーには年の離れたお姉ちゃんがいる。四歳差だ。彼女はとてもお父さんに似ていてやや肥満児だった。フェイスは美顔なのだがふっくらしている。全体的に太っていなければ男児にもてたであろう残念な容姿をしていた。それをお姉ちゃん自身は一向に気にしていないみたいで、ベッキーはこれもそれもパパと似ているからかな? と勘ぐって何も言わなかった。

 ママに似ているのは姉妹の中でもベッキーのほう。だけどもフェイスは中村アンが外人になったようなハーフ顔で、それはそれはママ以上に美顔の持ち主なのだった。体もほっそりしており、ヒップラインは幼少の頃より美しかった。それをお姉ちゃんはうらやましがらずにもてる女は苦労するのよ。と助言だけしていた。

 

 今日があって明日があるように、明日があって今日がるようなものだ。確かにそうだろう。しかし、まだ幼少のベッキーにとってみれば、今日は今日で明日は明日なのである。それはお天道様が決めたことではない。彼女自身の判断だった。なものだから、彼女にとってみれば今日は今日の姿があり、明日は明日の姿。自身の容姿を気にすることなく、低学年では泥んこに砂遊びと言った男児顔負けの放課後あそびをよくしたものだった。

 それも小学生高学年になるとすっぱり縁を切る。今度は貝殻で乳首を隠すビーナス像を意識したように、性別的な恥じらいを覚えはじめた。きっかけは醜いわき毛と恥毛が生えてきたことによる羞恥心だった。

 もう! どうしてこんなに香ばしくていやらしい汗のにおいがする毛が脇とあそこから生えてくるの? 

 憎たらしすぎる。自身の体が憎たらしいのだ。

 ベッキーからしてみれば体毛は鼻毛のそれと同じ扱いのようなものだった。

 とにかく抜いてぬいてぬきまくってやるんだから! 

 毎晩、毎晩、彼女は小さいピンセットでわき毛と恥毛を抜いた。肌が赤くはれる。けれども構いやしなかった。痛さが快感だなんて嘘。その事については将来的にも否定するのだが、わたしはもしかしたらマゾヒストなのかもしれないなどと勘ぐりアナルを自身で責めたりもした。小学六年生がアナルに指を突っ込んでオナニーするのだ。このころから赤い血が臭う性の快楽に目覚めてゆく。

 わたしったら本当はいけない子なの。

 それがまた、たまらなく淫乱にしてゆく。

 

 嗚呼、マリヤ様。女の悦びをありがとうございます。

 

 はじめてのオナニーは飴色のおしっこを我慢するところから入った。授業中トイレを我慢しているときに偶然発見した快楽だった。

 クリトリスが擦れて気持ちが良いの。だって、おしっこが出ないように股をぎゅっとして合わせているでしょう? 女はそれがたまらないものなのよ。

 それから放尿する。全てに解放されてでるおしっこは、まるで潮を吹いたかのような赤面色だった。

 

 沖縄の空はとてもよく透き通っており青色だ。時折流れてくる千切れ雲がチェリーブロッサムのサクランボのように、丁度良くアクセントになっていてたまらなかった。

 公園の芝生に寝っころがって緑の匂いと滴の冷たさと枯葉の匂いを嗅ぎながら見上げる大空はとにかくサービス旺盛にこちらへ立派に見せつけてくれた。それにこたえるようにしてワー! 大声を出す。嬉しい方のワー!だ。怒りの、悲しみの、叫び声ではない。

「ねえ、お姉ちゃん。中学校は楽しかった?」

「ええ。もう来年は高校生になるけれど、中学校にはいい思い出がたくさんあったわ」

「中学校かぁ……。来年楽しみだなぁ

「ベッキーも楽しめるわよ。きっと。うん、きっとそうよ」

 この敷地には色んな遊具がある。ステンレス製の流しそうめんのような滑り台に、海上へぽっかりと浮いていそうな大きなボールでできたぶらんこ。鉄パイプ製の懸垂台。一枚板であろうシーソーに、大型トラックのタイヤでできた跳び箱まである。それらのうち姉妹はブランコを選択して芝生から移動した。

 お姉ちゃんは翌年からダイエットに励むわね、と話していたが果たして本当だろうか? ベッキーはそのことを記憶の片隅にだけおいて、とりあえず何も考えないようにした。中学生活が楽しみな反面、不安でならない。

 

 もし、誰か好きな人が出来ちゃったらどうしよう。わたし、本当は好きな人が居るんだもの。学君……。わたしはあなたが好き。

 

 学と言う男の子は同じ年だが、小学でクラスが一緒になったことは一度もなかった。言ってみれば会話もしたことが無い。一方的な片思いである。

 中学校からは三つの地区(三つの小学校)から学生が集まる。そんな中でこの片思いを一途にいられると言う事は中々に難しいと思ったし、ベッキーは男子児童に人気の女子だ。モテないわけではなかった。心移りは何パーセントかの確率であるかもしれない。断言はできないが、ゼロではないのだ。

 嗚呼、イエスキリストさま。私は冷水を浴びるつめたい懺悔を受けたいのです。何故ですかって? そう、冷たい水をかぶって目を覚ましたいからです。頭を冷やしたいのです。夢からさめたいのです。だってそうでしょう? わたしはいつまでお父さんの男根を材料に学君のそれを想像してオナニーしなければならないのですか? それじゃあんまりでしょう? よりによってお父さんの男根なんですもの。元々は肉親のペニスなんですものね。いけない女。酷い女。

 

 ベッキーはエロティック漫画をたまたま読んだことがある。お姉ちゃんが少女コミックスと一緒に購入していたヤングマガジンと言う漫画雑誌の中にそれがあった。お姉ちゃんは甘いお菓子と同等に大の漫画好きでもある。小学生のころからあらゆる漫画を愛読していて、そのつまみ食い(借り本)をベッキーがしているようなものだった。

 アナル責めのオナニーを覚えたのも、元はと言えば表紙からグラビア水着の淫乱写真で始まるアダルトコミックスの影響である。めくった先には尻を立てておねだりするグラビアガール。いつもながら水着から破裂しそうな豊満な胸を、背中をくねらせて更に強調するポーズで決めつけている。

 嗚呼、あなた達ったら本当によだれを垂らして勃起している男の餌だわね。でもあれでしょう? まさか女の子がこの写真を観てクリトリスを勃起させながらオナニーしているだなんて考えてもみない事でしょうね。

 ベッキーのはしたない言葉はすべてエロティック漫画から来ている。そこから言語を頂戴した。もちろんかわいい女の子が現実では使えないものばかりだ。マスターベーション、オナニー、アナル責め、バギナ、エロ、フェラチオ、中出し、ザーメン、潮吹き――。淫乱な言葉は他にもたくさんあるけれど、一通り整理してみると、自身のオナニーに必要な言葉はこれくらいのものだった。それを自分が言葉責めに遭っているかの様子を想像して毎晩オナニーをするのである。

 学君。わたしね、小学校六年生でオナニーをしているの。とっても大人でしょう? 貴男とだったらいつだってオーケーなの。心の準備はできています、ご主人様。さあ、わたしを巫女にしてください。生贄にしてください。精子を顔中に塗りたくって微笑んでビンタを張って。わたしはマゾヒストで淫乱娘。あなたのためなら何だってできます。

 

 やがて初夏から燦々の真夏になると不二家ネクターが美味い。それからそれから真っ赤かの太陽みたいなスイカだ。夏休みはエアコンが手助けしており快適である。お盆は旧盆に祝い、そのなかでもエイサー大会がとにかく楽しかった。花火大会も良い。さあさあ! と旧盆も終わりを告げると月刻がみるみる過ぎゆき外界は時間と彼岸を追って秋になる。家族そろっての墓掃除は当然欠かせなかった。そろそろこの島も冬を迎える。

 沖縄と言っても十二月から二月まで極寒となる。真冬の凍てつく寒さをこらえて登校の毎日だった。それから三か月たつと三学期を終了し卒業式がある。小学校卒業式で泣きじゃくる子はいない。皆、笑顔で紅白のカルカンと卒業証書を土産にして家路へと着くのだった。

 

 春先の四月からは制服を着けて中学校ヘ上がる。場所は小学校と正反対なのだが、住まいからは徒歩五分くらいであり、目を閉じてでも辿りつけるほど非常に近かった。西原東中学校の面積はマンモス校に比べてそれほど広くはないのだが、地理的に言えば非常に恵まれていた。最寄りのスーパーにデパート。人気の三平ラーメンからマクドナルドまで近い。海側の土地で平坦でもあり坂道は一切ないものだから、遠くから登校する子には自転車通学が許可されていた。

 ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんも進学できてよかったね! そうね、漫画ばかりで受験勉強なんかろくすっぽしていなかったけれど、まあ、わたしのばあいは元が違うから。これを機会に美容に関しても力入れてみようかしら? え? ダイエットするってこと? そうよ。去年の初夏に話したでしょう? お忘れかしら? それでね。それで、わたしはシンデレラ姫になるの どう? メルヘンチックですてきでしょう? まあ! 何ということなんでしょう! これはまるで漫画の世界みたいだわ だって、お姉ちゃん痩せればきれいだもの。全然シンデレラ姫になれるわよ。それからそれから白雪姫。白雪姫? そう、王子様のキスで目覚める白雪姫。うん、それも悪くはないわね。うふふ わたしの王子様はどなたかしら? きっといい人見つかるよ。そうだね そうよ。

 

 今日は中学の入学式だ。お姉ちゃんも同じ日に式典である。彼女らのお母さんは大変だろう。しかしながらお母さんはベッキーを優先して式に出たのだった。それに関してお姉ちゃんはなにも言わない。だって高校がバスに乗って遠くにあるんですもの。仕方ないわよ。そんな大人な彼女にベッキーは憧れを抱いたくらいだった。

 西原東中学校一年三組の第一印象はとにかくうるさいだった。ベッキーが入ったクラスのことである。廊下にはそれぞれのお母さん方が並んで立っており、教室の中を覗いていた。担当は先生机に座って何かをチェックしている様子だった。それから教壇へと移動し第一声を上げる。「皆さん、静かにして座って。はじめますよ」

 波風立たない口調に、とってもおしとやかな女先生だな。そう感じた。年はお母さんと同じくらいかしら? 勘ぐってみる。それについて確定的に知ることはなかったのだけども、そのうち分かることですものね。と、この気持をすぐに忘れた。

 入学式のあった登校初日は教科書を貰う事と自己紹介だけで学校を後にした。日曜日を挟んで月曜日から授業が始まる。この時代は週休二日制ではなくて土曜日も登校日だったわけだが、四時間授業で午前中には帰れた。それは小学校の時と同じだ。だがしかし、平日の授業はほとんど六時間授業でほとほと眩暈がするほどしんどいとおもったし、宿題も合わせると遊ぶ時間などないに等しかったものだから、お姉ちゃんが漫画で就寝前過ごすのはそう言うことかと納得がいった。

 

 ベッキーのひとめぼれは登校して最初の月曜日だった。そう、授業が始まる日である。彼の名前は浩二(こうじ)。ベッキーの机から前席である。

 土曜日の初日、教科書を最前列から配る際、顔を合わせた男子だった。

 まあ! なんてイケメンなんでしょう? これって幻かしら? 単なる偶然なの? いえ、これはれっきとした必然なのだわ。そうよ。彼は選ばれし戦士。銀の鎧を纏いていざゆかん。ベッキー姫、さあ、私からの贈り物である教科書をどうぞ。なんて素敵なんでしょう

 その日の夜。四十二度の温いシャワーから出たのち、化粧台にあるドライヤーで軽く髪を乾かしていた。それに関してはいつもの行動だ。真新しいものではない。しかしその時ときだった。ふと、浩二君の逞しい美声が脳裏に蘇る。

 彼はとても温かいのでしょうね……

 そう考えるとおもわず温風の吹くドライヤーを乳房に当ててしまう。

 わたしの乳首はピンク色よ。浩二君、おねがい。気持ちよくしゃぶって。さあ、ぶちゅぶちゅと音を立ててしゃぶり尽くしなさいな

 オナニーは煌びやかな妄想の世界。ちかちかといくつも光をはじいてはベッキーの理性を狂わせる媚薬へと変貌させていった。

 感じる、気持ちよい。わたし、わたし、あそこの毛が無いの。浩二君はとっても嬉しいでしょう? だって恥毛はとっても汚い臭いを放つんですものね。それはおしっこの臭いなのか、褐色した血の臭いなのか、それとも淫乱なバギナの匂いなのかはわからない。でもでも、バギナの匂いだけなら浩二君は嬉しいでしょう? そうよ、恥毛が無ければ淫乱なバギナの匂いしかしないものなの。シャネルのようなとっても香しい匂いよ。ほんとうなの。

 

 次の日のあさ、発情期のメス姫になったベッキーは、お母さんからのもらい物である金色のイヤリングを乳首に着けて登校した。こんなの恥ずかしくて誰にも言えやしない。けれどもなんだか浩二君は喜んでくれそうな気がした。性的欲求に飢えているメス猫の香しい声が耳元でささやくことを。しかしけっきょく声をかけられずに一日が終わると、嗚呼、ひとめぼれって酷よね。と自身に幻滅する始末だった。

 小学で知った初恋の相手である学君とはいまだに話をしたことが無い。

 すっかりわたしは心変わりしちゃったのかしら? でも、遠い恋より近くの恋というじゃない。たぶんそれよ。だからといって学君のことを忘れる勇気はこれっぽっちもない。ベッキーは一人妄想の中で三角関係を築いている。ええっとぉ、わたしは学君も浩二君も好きで、いつだってどちらが先にこのわたくしめの唇を奪って愛の復活劇である白雪姫にしてくれるのか楽しみにしているの。だってそうでしょう? わたしは彼らにとってプリンセスなんですもの。だけどおかしな話よね? 想われプリンセスが逆にオナニーをしているだなんてちゃんちゃらおかしいのじゃないのかしら。そうよ、わたしは告白します。わたくしベッキー姫はもはやイヤリングを乳首に付けた花魁巫女。毒霧を芳香して誘惑する桃色のバギナを持つ血に飢えた淫乱女なのよ。

 水圧によって激しい水しぶきを上げる温水シャワーでオナニーしたことだってある。温かいそいつを恥毛のないクリトリスへ摩擦させるのだ。もはや摩耗と言っても過言ではない。肌は段々に割れ目から皮がめくれて赤くなってゆく。勃起したクリトリスをひっこめることは困難を極めた。

 嗚呼、マリヤ様。あなたもこうしてオナニーをしていたのでしょう? 桃色の勃起したクリトリスに指をあてがって、もしくは指二本で挟み込んでクチュクチュとこすり付けていたのですね? まあ、なんて淫乱なんでしょう! マリヤ様を軽蔑します。でも、それは女の性のようでもありますよね? 発情期は満月の刻。血みどろになったバギナは思い切りよく男根を欲する。狼男のはなしも吸血鬼のはなしも本当の主人公は女性なのだわ。そうよ、そうに決まっている。

 

 毎日毎晩毎朝ベッキーのオナニーは続いた。最近では覚醒しすぎてよく寝つけないほどだ。中途覚醒という脳内覚醒だった。

 嗚呼、なんて破廉恥な女なのでしょう。それでもわたしは止めない。もう抜けられないんですもの。当然だわ。女だってエッチなの。本当は男よりもスケベで変態なのよ。ねえ、学君に浩二君。わたしの気持ちが分かるかしら? さあ、おったてなさいな。

 桃色の乳首はピークを迎えて固く勃起している。それを自身でつまんでぐりぐりに引きちぎった。それから白魚のような肌色の乳房を思い切りよく揉みしだく。

 いけない女。私はわたしにご褒美なのよ。ほうれ、クリトリスを休めては駄目よ、左手さん。これからがお楽しみなんだから あん そこ、いい……♪

 

 陽の昇る朝、今日は朝食を早めに食してから中学校へ登校した。学校へ通づる学路に沿うようにして小川がせせらと森から流れている。運玉森は与那原町と西原町のど真ん中に位置しており、やれこちらの森だ、いいやこちらの森だ。と町同士の言い争いの元になっていた。何故にそんなに重要なのかと言えば、森の反対側に位置するだだっ広いカントリーゴルフ倶楽部の税収関係についてだとか、伝説の盗賊『運タマギルー』についてだとか、要は県からの予算を多めに欲しいという理由からだ。その小川には錆びた灰色の鱗を身にまとう天然鯉が何匹も泳いでいる。

「おはよう、鯉さん

 ほうれっ! と朝食で残した食パンの耳を細かくちぎってから集団へ放りこむ。鯉はたまらずナマズみたいな鱈子唇をパクパクと水面へ浮かばせてから淡水ごと吸いこむようにして餌を食った。その様子がとても愛らしく思えていたベッキーは、時々このように餌を与えていたものだから、顔がおぼえられているように錯覚した。実際に覚えられていた。

「うふふ 可愛い鯉さんたち

 今日、家を早く出たのには理由がある。

 浩二君、浩二君。ごめんなさい。わたし、あなたを裏切って学君へ声をかけるの。校門でばったりってあるじゃない? それを狙っているの。彼、朝早く登校するから私も早く家を出なくちゃ。それで今日はこの時間なの。ねえ、浩二君。わたしね、あなたへ一途になる為に学君へ告白するのよ。それで振られてしまってようやく彼を忘れることができるの。だってそうでしょう? このままじゃ中途半端すぎて忘れることなんかできないじゃない?

「学君、おはよう――

 発せなかった。いきなり君付けで呼んだら彼は困惑するかしら? だとか、やはりさん付け? それとも、様? などと考えているうちに、学君は校門に立ち尽くすベッキーの横を群衆と共に知らん顔して通り過ぎて行った。嗚呼、嗚呼……

 気落ちばかりもしれ居られない。これから毎朝、彼が自分の存在に気が付くまで校門の前に立とう。と決めた。教室の中へ入れば、今度は浩二君に熱視線だ。男って飽きないわ、すてき などと頭の中をお花畑にしてポーッとしているとき、後方から同級生の女子がベッキーの肩を叩いた。ねえ、ねえ。

「ん? なあに? あずさ――

 梓(あずさ)とは小学の頃から仲良しだ。だがしかし、恋の相談はしたことが無い。それは警戒心があっての話なのか、梓をまだ信用していなかったからなのか? そうではなくて、只単に恋話は気恥ずかしかったのである。オナニーをする処女なのだから当然といえばそこまでだった。だがいつかは梓に相談しなきゃとは思っていたし、親友に隠すのもなんだな。と考え始めていた。梓がベッキーの耳元に唇を当ててささやいた。浩二君のことが好きなの? と。赤面したベッキーは、おもわず口を両手で隠した。

 こうなった以上、いつまでも親友の梓に恋の隠し事はできない。観念したベッキーは放課後、彼女へ相談することにした。わたしね、二人の男子のことが好きなの。

「へぇ。でも、そんな恋もあるんじゃない? なんだか不思議ね

「わたしって、浮気性か何かなのかな?」

「そうじゃないと思う。だってわたしたち女の子なんだもん」

 オナニーをしているといったら? 言いかけてやめた。話すべきではない。そう思った。今日の放課後はあの公園へ来ている。お姉ちゃんとよく来る場所のことだ。芝生の上にスカートを敷いて座っていた。沖縄の四月は初夏前の梅雨時である。だがしかし、今日は澄んだ心のようによく晴れていた。授業は六時間だったものだから今時間帯はオレンジ色へ変わりゆく夕刻である。幾分だが、冷たい夜風がさらりと軽く二人の体を吹き抜けて行った。

「ベッキーは学君から告白するつもりなんでしょう?」

「うん……。でも、駄目かもしれない。声が掛けつらいの……

 それじゃあ、わたしと一緒に学君のクラスへ遊びに行く手があるわ。休み時間に彼へ会いに行くのよ。ねえ、これって名案じゃない? うん……。元気出して 大丈夫だよ、きっと。それとも振られるつもりでいるの? それは無いと思う。ベッキーは可愛いのだから男がほっとかないでしょう? そうかな? そうよ。うん……

 翌日、学校の昼休み時間のことである。ベッキーは梓に連れられて初夏の廊下を歩いた。学校の建物は新しく建て替えられたばかりで新品の空調設備が整っていたものだから、大よそ暑さには耐えることができた。しかしながら大きな窓からくる日差しは強烈で、ダイレクトに肌へ太陽光を翳せば冷房機も太刀打ちできないほどだった。学君のいる教室へ入る。

 美女の2pairで知られる二人のことだ。違う教室へ入るなり否応なしに男子生徒らの目を引いた。少しだけざわつきのようなものが起こる。ベッキーと梓はもう慣れっこだ。中学一年に上がってから毎日のように噂の種なのである。それが窮屈で仕方なかった。常に何かしら視線を感じる。女子トイレでさえそう思うのだ。誰か覗いていないかしら? 隣から耳をあててないかしら? といった具合に。

 学君の机へ向かうのに相当時間が経過したような錯覚に陥ったベッキーは何だか嗚咽のような症状に見舞われてしまい、梓にだいじょうぶ?と両肩の真ん中を摩ってもらった。それがなんだかたまらなく温かくてうれしかった。

 しかし、居るはずの学君は机に居ない。はて、何処へ行ったのだろうか? トイレだろうか? ぼそぼそと梓がつぶやく。それなら音楽室と校舎のあいだにある広場でプーカー野球をしているよ。誰かが言った。プーカー野球とは、軟式テニスボールと似て柔らかいボールで野球をすることを意味する。女子でもそれは分かっていた。小さいころは男子児童に紛れてよくしたっけ。懐かしい記憶がよみがえる。そう、それじゃあこの教室には用が無いわね。ベッキー、行きましょう

 広場へついた。確かに学君が友達と野球を楽しんでいる。しかしながら試合中で声が掛けられる状況ではなかった。仕方なしに傍で野球が終わるのを待つ。ねえ、なかなか終わらないね……。ベッキーはその言葉を聞いて更に不安になった。ピッチャーの学君はすごいカーブの変化球を投げていて、その曲がり具合にプーカーボウルって、こんなにすごくカーブするんだ?と感心しきりなのだが、どうにもこうにも二進も三進もいかない。終いには昼休み終了の鐘が鳴るではないか。嗚呼、今日も声が掛けられなかったわね。

 落ち込んでばかりもいられない。勉強も大事ですもの。今日は桃色の乳首にイヤリングをしていなかったものだから楽ではあるのだが、学君のことを思うとおもわず体毛のない恥部がうっすらと濡れた。

 家へ帰ってからはいつものようにオナニーで締めくくりだ。最近分かったことなのだが、家の薬箱から頂戴したメンソレータムを桃色に勃起したクリトリスへ塗りたくるとヒリヒリとして気持ちよい。今夜もそいつをしたのちにホールの中へ指を手繰り寄せるつもりでいた。それから思うことと言えば、やっぱりベッキーはマゾヒストだということ。

 

 だって、ヒリヒリとしたクリトリスが馬鹿みたいに気持ちよいの! 嗚呼――

 

 学君と会話が交わせたのは、あれから三日後。気の遠くなるような日数だった。だけどもベッキーはそれをおあずけプレイに見立てて想像していた。妄想していた。

 オナニーはどんどんどんどん激しく淫乱になってゆく。そうでもなかった。浩二君への想いというものがそれを邪魔したのだ。振られたとしても浩二君がいるんですものね。全然平気よ。ちがう。本当は怖くて怖くて仕方なかった。学君に振られることが恐ろしいことだと思った。未知の領域ではあるのだが、だいたい見当は付く。だけれど、それ以上に弾けちゃったらわたし可笑しくなるかもしれないじゃない?

 

 学君は三人でするデートを承知してくれた。今度の日曜に海辺のパーラーへ行く。その店はコニードックが美味しいことで有名だった。店主のひげ親父は町で評判のほら吹きである。いつもジョークでほらを吹くひげ親父は、ときどき本当の話もしてくれた。その話のひとつとして真玉橋(まだんばし)幽霊が挙げられる。

 そりゃぁとってもとっても怖いはなしですよぅ。三人とも、いいかい? あの橋を越えたものは首をギッチョンされてしまうのさ。こりゃあ、おそろしいおそろしい――

 それはむかしむかしのはなしじゃて、琉球時代までさかのぼりますよぅ。首里の麓に大河が流れておりましたとさ。はるかかなたの東町、東風平(こちんだ)方面から訪れた献上者たちは首里城へあがるのに、この川を渡らなければなりません。皆は頭上に土産をよいこらしょよいこらしょ、与那国馬の肩によいこらしょ重ね重ね載せまして、いざゆかん! 川辺の向こうへ。そんなとき役人が思い付きましたよ。首里の独房にほうってある悪党どもを人柱にして橋を作ってしまおうと。すると、どうでしょう? まあ、なんということでしょう! こうしてできたのが真玉橋だったのです。めでたしめでたし

「ふんぎゃー!」

 ひげ親父は最後にそう叫んで三人を脅かした。

「今日のひげ親父、最高だったな!」

 学君がそう発するのも無理はない。実際におもしろかったのだから。どうもひげ親父は話術が巧みであり、聞き手の好奇心をこちょこちょと刺激するのが上手かった。来週も来ような! ベッキー、梓、いいだろ? うん……。ベッキーは思った。今日もみんなのおかげで学君と仲良くすることができた。ありがたいありがたい。今度来る時はもっといっぱいコニードックを注文して食べなきゃ お姉ちゃんとの早朝マラソンは必須だわ

 


第二章

 

 

 十八世紀初頭の西暦一七〇九年。

 わんねぇ、うんたまぎるーやいびん。あまかい、くまかい、ぬするそんどぅ。やしがて、わんにもちむぐくるあいさ。たーやてぃんしむんあらんどぅ。わんねーめあてぃがぁわ、じんむちゃーやいびん。あちゃーもてぃ、よこくじょうぐぁおくいーねーからてぃ、ぬするすんどぅ。わんねー、うんたまぎるーやいびんどー。

 

 以下、翻訳にて話を進めたいのだが、よろしいかな?

 

 時代は琉球王朝までさかのぼる。

 俺の名前は運玉ギルー。あそこの家にここの家に盗みを働いている盗賊さ。いいかい? だけども誰だっていいわけではない。そこら辺は誤解しないでくれ。俺にだって人並みの心というものはある。俺の目当ては富裕層の倉だ。あしたも盗みの予告状を差し出して盗みを働くつもりだ。俺の名前は運玉ギルー。

 

 それは昔々の話です。昔と言っても何千年も過去の出来事ではありませんでした。深い谷に囲まれたぶき屋根の下で、どうやら元気な男児が誕生したようですよ。豪雨の中での出産劇でした。それは相当難産でしてね。母親のツルはたいそう痛がっていましたよ。

 それにゲキを飛ばす父親はいませんでした。彼はうみんちゅ(海人)で漁師だったものだから毎日サメとの戦いに疲れてしまったようです。いつしか帰らぬ人となってしまいました。ツルはたった一人でうんうんぎゃーぎゃー叫びながらこの子を産んだのですよ。

「ぎ、ぎるー、あんたの名前は前々から決めて居ることさ。あんたの名前はギルーだよ」

 大粒の涙を流してはにかむその笑みは、産まれたばかりのギルーには鬼のように見えたのかもしれませんね。彼は産まれてこのかた一向に泣き止みませんでした。

「どれどれ、おっぱいから乳が出るかわからんけどもね。ほうれ、乳首をおしゃぶりよ」

 真っ黒色した乳首の先からは濃厚なミルクセーキが飛び出しましたよ。それをギルーはちゅうちゅうと美味しそうに飲むのでした。ようやく泣き止んだ。めでたしめでたし。

 

 いやいや、まだまだこの物語は始まったばかりです。今終わってはもったいない。もう少し話を進めてまいりましょうか? そうしましょう、そうしましょう。

 はてさて、どこまで話していたんでしたっけねぇ? そうそう、豪雨の夜というところまででした。豪雨と言えば家の中はやぶ蚊だらけで、どうにもこうにも三日はしかが心配です。この時代に予防接種などありませんから、麻疹と言えば、そりゃ生きるか死ぬかの問題でした。やぶ蚊のサイズもビー玉みたいにとても大きくて、刺されるとたちまちたんこぶほどのささぶくれができますよぅ。それが皮膚全体に広がると大変です。ツルはギルーに乳をあげては艾を焼いて煙を家じゅうに撒きました。蚊取り線香が高価で庶民の手に届かない時代ですからね、そりゃあ大変です。

 

 ギルーは、ふんぎゃあ! ふんふゃあ! と泣き始めましたよ。それそれ、どうやら水状のうんちを布のおむつに漏らしたようですね。替えはありません。暫くちんちんぶらりんで放っておきます。さあさあ、おむつをたらいで洗わなければなるまいて。ついでにわたしの赤いふんどしも洗っておこうか? なあに、ギルーのうんこ臭なら構いやしないさ。どうせ誰これにあうわけじゃないからねぇ。よしよし、と。

 

 連日の豪雨ですから、水に困ることなどありやしませんでした。藁の屋根からくる雨水をためる井戸が軒先直ぐにあるのです。この井戸は水が地下よりあふれ出てくるというものではありませんでした。本当に雨水専用の掘りものだったのですよ。ですからそんなにたいそう深いものではありません。せいぜい二メートルほどでしょうか? まあ、沖縄の井戸と言えば一メートルほどで水脈にありつける場所もあるのですが、そこまで行くのには手桶を担いで少しばかり歩かねばなりません。帰りは水が入っていますから片棒は酷く重いですよ。はあはあ、ぜいぜい、吐きながら命からがら戻ってくるのです。この時代は何をやるにしても命がけでした。それが一生懸命という言葉なのです。

 果たして現代人で一生懸命の日本人はいるでしょうか? 幸いなことに一人とていませんでした。皆、近代の道具で楽をしてもらえているのです。生きることの楽しさというものは、いかにして楽をするか?これがテーマとしてありますが、まさにその通りで、昔々の人たちは常日頃から夢見ていたことでありますよ。

 

 さあさあ、余談はこの辺にしておいて、ギルー家の話でもしましょうかな?

 母の黒い乳首から出るミルクセーキは本物そっくりで淡いアイボリー色でした。アイボリー色とはクリーム色ということですよ。よくトイレのタイルにある色ですねぇ? そうそう、それですよ。便器の色と言ってもいいくらいよく見かける色です。便器ではあまりにも品が無かったですねぇ? これまた失礼いたしましたよ。

 やれやれ、ようやくギルーはすやすやと寝てしまったようです。それを見計らって母親は、まだ取っていない夕食を食べてしまおうと炊事場へ向かいました。炊き出しは囲炉裏で行っているのですが、炊事場にも釜床と洗い場がありましてね。そこで自前の畑から掘ってきた紅イモを洗っては口にほおばれる大きさに包丁で切ったりするのです。

 この時代に米などという高価なものは庶民の暮らしにはなくて、それらは全部官民どもの食事でした。憎き憎き官民ども! この恨みはらせておくべきか! 農民は皆思っていたことです。

 この梅雨時期は火を起こすのが億劫でしてね、それはとてもとても時間を必要としたものだから、ギルーの母親おろか庶民は皆、生で紅イモに噛り付いて食事をとっていましたよ。それはそれは獣のようでした。官民からすれば農民など家畜みたいなものでしかなかったのです。そうとしか観ていませんでした。考えていませんでした。

 

「いいかい? ギルーよ。この恨み辛みをいつか晴らしておくれよ」

 子守歌は即興で考えます。今夜はもう寝てしまっているために歌いませんが、心の中で子守唄を作っていました。いつかこの歌を唄って踊ってめでたしめでたししたいものじゃて。さあて、わしもそろそろ寝ようか。こんな糞くらえな人生なんか寝てしまった方が極楽というやつじゃて。なあ、ギルーよ。

 やれギルー。いいかい? 逞しく生きるんだよ。負けたらあかん。戦う力を振り絞れ。さあさあ、寝てしまおうか。寝てしまおう。おやすみよ、ギルー。おっぱいが欲しくなったら泣きじゃくるんだよ。泣いて起こしておくんなまし。

 

 陽はめくりゆく、めくりゆく。おっかさんはギルーを背中にしょいこんで畑仕事の毎日ですよ。そりゃあ大そうな力仕事はできませんが、だがしかし、生きるか死ぬかの問題でもありますのでね、畑を耕さないわけにもいかず、肥やしを撒かないわけにもいかず、水を与えることもおろそかにはできないので、結局は力仕事をやってのけてしまったのです。それはそれは死んでしまった方がいいくらいに疲れ果てました。

 

 ギルーはすくすく育ち、徐々にですが離乳食をほおばるようになりますよ。この時代の離乳食は母親が紅イモを口の中でくだいてから唾液ごと口移しするのが通底していてですね。そりゃあ現代人からすればゲテモノなのですが、満足に時間を有している時代ではありませんからねぇ。生きるか死ぬかの瀬戸際ですから、これっきしの事なんかなんとも思わなかったのですよ。

 離乳食を済ませた後は、再びすやすや背中にくるまれたまんまで眠りにつきます。

 さあて、少しばかり暑いねぇ。ギルーをむこうの木陰においてから肥やしを撒こうかねぇ? さらさっさっとよいこらしょっと。ギルーよ、今起きちゃなんねえぞ。もう少しねんねしてしまいなさいて。その方が助かるというやつじゃてのう。よいこらしょっとこらしょっと。

 おっかさんが畑仕事の続きをしていると、ほうれどうしたものか、幼いギルーが起きだしてきましたよ。滑舌のままならない言葉でアンマーアンマー!(おっかさん、おっかさんやい!)叫んでいます。

 やれやれ起きだしてきたか、ギルーよ。それじゃあ今日はこの辺で帰るとしようかねぇ。まだ日が暮れてないというのに、まったく世話の焼ける子供じゃて。まあまあ、仕方ないこともあろうて。あたしゃ旦那様がおらないのだからねぇ。仕方のない事じゃ仕方のない事じゃ。よーい! ギルーよ! ここまでヨチヨチ歩きできるのかい? 生きるのは厳しいぞよ。あたしに甘えんのは来年までじゃて、はやくあるけるにこしたこたぁーない。さあさあ、ギルーよ。歩く練習してからおうちさいくだよ。今夜の晩御飯にはおっかさんお手製のみそで作った紅イモ味噌汁もついているぞい。そいつは首里のお京じゃあ田舎汁言うんだと。あんたもお京へ行く時が来るかもしれねえ。今のうちに体鍛えて戦いの世界へいくだ。男の世界は厳しいど。なあに、時期になれるってもんさ。だけどなぁギルーよ。もし負けてコテンパンに伸されてみろ、おっかーがお京まで行って紅イモ味噌汁くわしてやっからよ。あんときの田舎生活は酷いもんだったってゆってなぁ元気出すんだよ。それからもういっぺんでいい。戦え、戦い抜くだよ。ギルー。負けちゃなんねえ戦もあるもんだ。あんたが正義なら誠を通すんだよ。ほうれ、ギルーや。歩く気がしてきたかい? さあ、歩け。歩けギルーよ。歩くんだよ。歩いておくんなまし。

 今夜、ギルーはおっかさんがよそって砕いた紅イモ味噌汁をカエルの腹になるくらいたらふく食った。それはそれはおいしくてたまりませんでしたよ。紅イモにしてもこの時代は贅沢品です。何せ凶作続きの琉球末期なのですから。

 

 夜空の流星がひゅっと彼方で落ちてゆくようにして日はめくりゆくめくりゆく。嗚呼、気が付けばギルーはたくましく成長し五歳児になっていましたよ。本日も陽が上がる前から起床して朝飯の支度をしているおっかさんのお手伝いです。今朝は冷たい秋闇の霜が降りてきては幾分冷え込んでおりましてね、真夏のように紅イモを生で食べるなんてことなどもったいない。ですから残り少ない手前味噌で汁ものをほおばりましたよ。

 しみるねぇ美味しいねぇ。

 どうだい? おっかさん。きょうもおいらの火おこしは完ぺきだったろ? 

 なにをいうんだい、ギルーよ。おまえはまだまだ半人前にもなっちゃいねえよ。ほうら、この辺がまだ生だろう? もうすこしカマ吹きを鍛えなきゃなんねえ。どうだい? 今朝も煙が目にしみたかい? 

 うん、おっかさん。でも、おいらまけねえよっ! 

 んだんだ。毎日毎日負けちゃなんねえぞ。いいか? ギルーよ。今のご時世、負けた時は死ぬ時だ。村のみんな生きるか死ぬかの自分だけ面倒見るだけで精いっぱい。ここには助けなんぞ来ないぞ。もしおっかさんが倒れてみろ! ギルー、お前は一人で生きて行けるか? 

 ううん。

 そうだろう、そうだろう。だからな、ギルー。おっかさんの手伝いを一生懸命頑張るんだぞい。

 うんっ! 

 よしよし、いい子だ。ほうれ、田舎汁がもう少し残っている。全部平らげな。

 うんっ!

 

 毎日まいにち井戸から畑への水運びと肥やしになるぽっとん弁所の人糞はこび。ギルーの肩は五歳児にして大きなたんこぶができていました。てっぺんの方は血の塊で真っ黒になっています。ときどき火山噴火のように草臥れた鮮血がぴゅっぴゅっと噴出しましたよ。かわいそうにかわいそうに。

「おっかあ! 肥やしまいたぞ! 次は何する?」

「ああ、ありがとうよ。それじゃあ一緒に畑を耕してくれるかい? 鍬なら――

「いつもの場所だろ? ほら、あそこの木の下の」

「んだんだ」

 このあたりは周囲がガジュマルの密林で覆われておりましてね。むかしむかし、おとうとおっかあが水牛を使って畑を開拓した場所でありました。今となっては水牛はおっかさんの筋肉になってしまいましたがね。いや、それすらも太陽と風と塩害でほとほと削げ落ちておるのですが、まあなんとも餓死者が多数出た時代でありましたのでね、仕方がないといえばそこまででしたよ。そんな可哀そうなおっかさんの姿を見ていると、ギルーは何だか自分だけまともに肉付がいいことを叱責したくなりました。あのころからギルーはとても優しい子でしてね、親孝行は当たり前にするものだと教わらなくとも学んでいたのです。

 畑の端にあるガジュマルの木陰で食する昼飯は生の紅イモですよ。ふかしイモよりも歯ごたえがあるし水の節約にもなる。薪をかき集めるのも大変であるし何よりも凶作ですからねぇ。本当ならばネズミでも食したいくらいですが、人村に餌が無いことを知ったのかここ何年ばかりか見かけた事すらなかったのです。ヤンバルクイナも赤マター(無毒のヘビ)もマングースの餌になっておりましてね、やれネズミ科天下の琉球時代になってしまいましたよ。

「おかー! 昼飯食ったら寝といていいよ! 俺がやる!」

「おやおや、それは頼りになる言葉だねぇ。だけどもギルーよ。おまえはまだまだお子ちゃまの青二才だでおっかさんは御ねんねする暇なんてないだよ。そんなご時世ではないんだよ。やれやれ困った時代に生まれて来たもんださ。いいかい、ギルー。明日の力は残しておけ。おまえには明日もあるかもわかんねえんだからよぅ」

 さあさあ、生の紅イモを食べた後は少しばかり横になりますよ。季節は日向ぼっこに丁度良い時期。腹は満たされていなかったけれども、それでも若い幼児のギルーには深い睡魔が襲ってきましたよ。

 一体どれくらい寝ただろうか? それは目を覚ましてみれば太陽の位置で分かりました。時刻は今の時代で言うところの十四時半頃です。おっかさんは既に起きて畑をせっせと耕していましたよ。ギルーは慌てふためいておっかさんの隣に行って真似事のように鍬を振りかざしては土を起こします。時折ある小石などは取っ払ってむこうのガジュマルあたりにポーンと投げつけました。おしいっ! 木に当たらなかった。

 

 夕刻がもうすぐと言うところで畑仕事を終了します。これから向かう先は井戸ですよ。水をくむのと体を洗うことを目的として毎夕通っています。夕闇あたりは猛毒のハブが多数出没しますのでね、ことは明るいうちに起こさなければなりません。

「おっかあ! 背中流すよ!」

「その前にギルー、おまえの身体からだよ」

 火照った汚れ汗でかゆい身体をお互いに露出させて、濡らした布で磨きます。ギルーは時折、おっかさんのおっぱいをさわり、きゅんと心を打たせました。お母さんのおっぱいというものは誰にだって特別なのです。ギルーは本当のところ甘えたかった。子供らしく甘えたくて仕方がなかった。苦労しかないこのご時世。せめておっぱいぐらいはちゅくちゅくとして母乳にありつきたかった。言えやしなかった。

 ギルーはおもわず周囲の木々に目をやった。刻々と暗くなってゆく景色に今日も夜が来るのだなと感じましたよ。なんでもない、なんてことのないことだけれども、彼にとって母との戯れは一時一時がとても新鮮に感じたし、なによりも格別だったのです。

 

 今夜の夕食も紅イモのふかしと田舎汁のみ。ときどきそこら辺に茂っている野ねぎを入れてから食します。野ねぎの香りはとても芳ばしく感じました。

「ギルーや、米が無くてごめんよ。あんたが生まれてからこのかたお米など見たことが無かったねぇ。ごめんよう。長い間、凶作が続いているものじゃて、しかたのないこともあろうもん。だけどなぁ、ギルーよ。あんたがもっと大きくなって京の首里へ上京した時は、あんたもいよいよお米をごちそうになる時が来るかもわからねえ。そのときは一粒一粒かみしめて米の甘さを味わってくれよう」

 

 ギルーはこのかた甘いものを食べたことがありませんでした。凶作で取れた紅イモなど糖質が無いに等しかったのです。味はまるでジャガイモのようでした。おっかさんはせめてサトウキビをこしらえたかったのですが、それらは京へ納める税として上納される品です。とてもとても庶民の口に入ることなどありませんでした。許される行為ではなかったのです。万が一、口の中に入れてみろ。役人の手下、番人の空手家にカマで首をギッチョンされてしまうぞう。おそろしい恐ろしい噂が付きまとったほどです。

「おっかあ、空手家ってなんだ?」

「空ティー(空手)のことかい?」

「んだ。からてぃーのことだ。教えてけろ――!」

 空手とは、琉球がいまだに三山(さんざんじだいのこと)で戦が絶えない時代に作られた唐手(からてぃー、トゥーティーとも呼ぶ)であり、中国が唐の時代もしくは唐船(とうしん。中国との貿易で黒砂糖や赤サンゴなどを運んでいた貿易船)の番人として少林寺拳法を習得すべく中国渡った部族がやがて独自の型を用意て誕生させた琉球武術のことである

「武器を持たないで戦う武術の事さぁ」

「武術って?」

「あぎじゃばよ(なんだかな)。 あまり深いことは考えなくていい」

「おっかあもあまり良く知らないんだね?」

「うるさい。 怒ったら晩飯ぬきじゃぞ」

 ギルーはこの話を境に空手のことが頭から離れなくなりましたよ。

 それから京へのあこがれも芽生え始めて来たころの話です。いつかは京へ行って空手と言うやつを見物してみたい。これまで夢のなかったギルーはひとつの光を観たような気がしました。それはとてもまぶしくて、だけども星のようにどこか遠くに存在しているような、そんな感覚でした。季節はめくりめくりますよ。

 

 ギルーが十歳になるころ、彼に一つの転機が訪れました。この村は港町で、森の中核にあるギルーの家から海岸へ下れば、京ほどではありませんが人口の数もそこそこで栄えていました。ギルーは時々、おっかさんの手伝いで豆腐の油揚げを買いに出かけたりするのですが、どうやら今日はそう簡単にはいかないようでしたよ。

 この時代にもヤクザ者はいましてね、まだ組織と言う立派なものではありませんが、腕っ節のある問屋の番人連中が油揚げ屋の売り上げをカツアゲしていたのです。それはいけませんねぇ。ギルーはとても親孝行で人がいいです。そしてなによりも日頃の畑仕事で筋肉のコブは人一倍ありました。

「やい、お兄さんたちよ。見逃してやんなよ」

 誰だ、小僧。

 おいらかい? おいらはギルーってんだ。百姓の息子だ。

 百姓の息子だって? わっはっはっは! ここに貧乏百姓の買える代物は無いぞ。さあ帰んな。

 まて、おいらはあんたらのやり方が気に入らないんだ。おいらはこうしてちゃんと紅イモと油揚げを交換しに来ているのに、あんたらは天引きと来た。そりゃあ、やり方が汚いってもんだろう? ちがうかい? 

 何を言うか! ここは俺たちの島なんだよ。俺たちが掟だ。それとも小僧、一発げんこつ食らいたいのか? 

 ちょっと待っとくれよ。おいらは喧嘩しに来たんじゃねえ。でも仕方ないこともある。いっちょ力勝負しようじゃないか。

 生意気な小僧だ。それっ――

 番人の一人がギルーの頭へ握りこぶしのげんこつを食らわそうとしましたよ。すると、どうでしょう? ギルーは素早くそいつの腕っ節をつかんで、図体もろとも軽くひょいっと向こう側へ投げ飛ばしました。それを観た番人連中はおもわず身を引きます。

「小僧、おぬし只者ではないな?」

「なんだったらあんたら全員投げ飛ばして恥かかせてもいいんだぜ」

 まあ、まちねえ。小僧、気に入った。今日のところは勘弁してやる。今度会うときは問屋の敷地にある道場で、だ。俺が師範に話しつけといてやるから絶対に来い。白い飯をごちそうしてやるぞ。

 白い飯だって? 

 そうだ。

 あんたら白い飯食えるのに油揚げ屋の代金ちょろまかそうとしたのかい? 

 そう言われちゃ敵わんな。わっはっはっ!

 番人連中に気に入られたギルーは、彼らの言う道場の話を夢中で聞きましたよ。憧れの白い飯と空手について詳しく知りたかったからです。少林流空手に上地流空手。それはとてもとても興味深い話ばかりでした。

「小僧、空手を学んで番人になれば首里へも上京しやすい。そこでは学問とやらも教えている。番人から役人にもなれるってことさ。どうだい? 良い話だろう?」

 番人と役人の区別などつかないギルーにとって少々難しい話でしたが、彼にだってなんとなしにわかります。番人は守り神で役人はその上をゆくのだと。果たして番人よりもお上方とはどんな白い飯を食っているのだろう? 興味は増してゆくばかりです。

 

 会話を交わした後、ギルーは油揚げを買いわすれたまま家路へ向かいますが、道中、手荷物の紅イモで買い忘れたことに気づき、踵を返して港町へ戻ったのだけども、油揚げ屋はもうどこにもいませんでした。落陽は沈み、あたりは暗くなり始めておりましたよ。さあさあ、急いで帰らなければ、ハブがギルーの足めがけて飛んできますよぅ。いそいだ、いそいだ。

「おっかあ、いろいろあってなぁ、油揚げ買い損ねた。すまん!」

「なんだって? 油揚げが無かったのかい? なんなら、はんぺんでもよかったんだぞい? 同じくらいの価値だから、持たした紅イモの数で交換できたのに」

「そうじゃねえだ。きょう、番人とやらに出くわしてよぅ。いっちょ力比べしたんだ」

「それで、勝ったんだろう?」

「なんでわかるだ?」

「あんたが五体満足と言う事が何よりの証拠だ。投げ飛ばしたのかい?」

「んだ」

 途端、はっはっはっ! と、おっかさんは腹を抱えて笑いましたよ。よほど愉快だったのでしょうね。暫くのあいだその光景は止むことがありませんでした。

 いいかい? ギルーよ! ほんとうに、はっはっはっ! 本当におまえが、はっはっはっ! 番人連中を投げ飛ばして、はっはっはっ! やったのかい? はっはっはっ! こいつは愉快だわさ! はっはっはっ!

 ギルーは正直、こんなに笑い転げるおっかさんを観たことがありませんでしたから、それはそれは、大そう、うれしくなりましたよ。番人を投げ飛ばしたらおっかさんは笑って喜んでくれるんだな? それなら毎日、港町行って投げ飛ばしてこようか? そう真剣に頭をよぎったほどです。

「大したもんだ。ギルーよ、いいかい? 森の仕掛けにおおきな野ネズミが一匹捕まっていたからよう、今夜の汁は肉汁だぞよ。うれしいか? 嬉しいだろう? そいつは全部あんたが食べな。それでなぁ、もっともっと悪い奴らを投げ飛ばしてあたしを喜ばしておくれよぅ」

 見ると、それはそれは紅イモ二つ分ほどある大きな野鼠です。ギルーはおもわずつばを飲み込みました。肉なんてろくすっぽ食べたことが無い。確かまえに食べたのはもう何年か前の話でした。この先でありつくには再び何年後かもわからない中で、それはそれはたいそう貴重な食料に感じていましたよ。

 おっかさんは手慣れた様子で野ネズミの皮をはぎ取り腸をえぐっては、丸ごと鍋の中へほっぽりました。さあ、ぐつぐつ煮込みますよぅ。汁があふれ出ないように息吹きは慎重にです。

 ほうれ、ギルーや。少しだけ味見してみるかい? おっかさんが言うと彼は飛び起きるようにして跳ね上がりました。それから木製のお玉で、黄金色に染まった透明の汁を一口すすります。

 うんめぇ! 

 そうだろう、そうだろう。これになぁ、へそくりの手前味噌を入れるだ。尚更、美味いはずだぞい。

 味噌まだあっただ? 

 うむ。

 やったぁ! こりゃいいや!

 さてさて、いよいよ夕食ですよ。食卓のない家庭ですから、木製の食器は居間の床に置きます。食器と言っても汁だけですからね。鍋とお椀のひとつあれば済むわけです。

 ギルーは食事をしながら番人の道場についてだとかいろいろ詳しく話をしました。おっかさんは何にも答えません。黙って聞いているだけです。彼はもしかしたら話してはいけないことを喋っているのかな? と段々思い始めましたが、喋らずにはいられないために今日あった出来事をすべて話してしまいます。

「ギルーや、どうしても道場へ行きたいか?」

「そりゃあ、白い飯が食えるだど? 行きたくない方がおかしいっちゃろ?」

 おっかさんは再び黙りこくります。一体何をそんなに考えこんでいるのだろうか? ギルーには理解できませんでした。

 ギルーや、うちらは農家だ。大人はおっかさんの一人で、力仕事には当然あんたの力も必要だ。でもなぁ、もしあんたがお京へいくなら、おっかさんは何にも言わねえ。行きたきゃ行けばいい。おっかさんはな、あたし一人食う分だけなら自分一人で何とかなる物じゃてのう。だからなぁ、ギルーよ。くれぐれも中途半端な行動は許されねえだぞ。道場へ行くなら、夕方、畑仕事終わってから行け。それでなぁ、行くからにはてっぺんめざしんしゃい。おっかあの心配はいらねえよ。

 ギルーは最後の最後に取って置いた野ネズミの肉を大切に噛み砕きました。肉質はやわらかくて、それでいて噛めば噛むほどに味がある野ネズミの肉は本当にたまらないものがありましたが、何せ独り占めしているような気がしてよい気がしません。彼は何度もおっかさんにおっかあもたべるだか?とは訊くものの、おっかさんはぜんぶあんたがたべんしゃいと返してきてラチがあきません。そうこうしているうちに気がつけば野ネズミの丸ごと煮は骨だけになってしまいました。

「骨だけになっちまった……

「いいんだよ。おっかさんは紅イモだけでいいんじゃ。気にしなさんな。ギルーよ、全部食ったからには明日から尚更仕事を頑張るだぞ。それから道場。負けたらあかんよ」

「んだ! 絶対に勝っちゃるけんね! それで京へ行って役人さなるだ!」

 今宵は満月。遠い浜から流れる小波のせせらぎも、このしずかな島では山のてっぺんまで音が届きます。すやすやと寝るギルーは、今頃、何を夢見ているのでしょう。それは彼にしか分からない内緒話ですよ。

 さあさあ、ギルー伝説は始まりを迎えようとしています。これからの彼はどうなってゆくのでしょうか? たのしみ、たのしみ。おっかさんは一度微笑んでからギルーの寝顔を見つめて外の月明かりへ目やりました。とてもとても気持ちの良い夜ですよ。

 


第三章

 

 

 初夏の早朝五時半、ベッキー毎日のように食べているコニードックカロリーを消費するために近くの国道でジョギングをしていた。勿論、ダイエット中のお姉ちゃんも一緒だ。

 距離にして二キロ弱。一キロ折り返し地点には隣町のマクドナルドがある。その店舗は休みなしの二十四時間営業だった。大きな鉄塔の看板は、エムの文字に明かりを灯して、くるくるといつまでも回っていた。

 ダイエットが始まってからの朝食は決まってバナナ一本だけである。それと100%オレンジジュースをコップ一杯。育ち盛りには物足らなかったが、これも学君とうまく付き合うためだと思えば我慢できた。

 

 学校はとても近いので七時半頃に出たいのだが、学君は早く登校するので、彼に声をかけようと思い立ったあの日から早く家を出ていた。学君と朝一から会う。それだけでも会話を多くすることができるとおもうと足取りはいつだって軽かった。

 

「まなぶくん、おはよう

 

 登校してから彼の教室へたどり着いたときするいつもの挨拶は、緊張というものがほぐれてきておりサマになってきている。学君はいつもおお! ベッキーか。おはよう!と元気良く返してきてくれた。

 そんな大した話をするわけではない。会話を交わすわけではない。只、声が聴きたいのだ。声を聴いてほしいのだ。甘い音色、尖った音色、ごつごつとした音ざわり、滑らかな音感。全てが大好きだった。そこにたらないものなど存在しない。それでもあえてひとつ注文するとすれば今すぐにわたしの制服をはがして温めて愛してである。それは叶わぬ空想だ。それならばせめてキスがしたい。あなたの柔らかい唇とわたしの凍えた唇とを密接させたい。ねえ、わたしね、今すぐに接吻がしたいの。言えるわけがなかった。

 やがて他の生徒らが教室へ次々と入ってくると、嗚呼、今日はここまでね。とあきらめるしかない。それじゃあ、昼休みね 約束を交わして自身の教室へと戻った。

 ベッキーの教室も生徒らが次々に押し寄せている。親友の梓も登校してきた。

 おはよう、ベッキー 

 おはよう、梓 

 ねえねえ、今日も話ししたの? 

 うん……

 うまくいってるじゃん 

 うん……

 よかったね 

 うん……

 何よ、さっきからうんうんって。もっと自信持ちなさい 

 うん……

 またぁ! 

 ごめん……

 

 始業時刻から三限までは勉強に集中できる。実はそのあとが問題だった。このあたりからお腹がすきだす。するとどうだろう? ベッキーの妄想世界では学君の極太ペニスが浮かんでくる始末でとてもとても授業に身が入らなかった

 ふとおもう。アメリカンビックバーにチリソースとバーベキューソースを塗りたくって、それらを全て淫乱化した舌でしゃぶりつくしたらどんなにおいしいだろうと。想像しただけで膣が濡れてくる。嗚呼、たまらないわ……。いいでしょう? 学君。

 

 昼休みになる。今日は学君がベッキーらの教室へ来たのち、三人で机を囲って昼食を取る予定だった。教室の窓から眩しく光る夏の陽光に酷い暑さを感じたけれど、こちらは冷房の効いた室内だ。肌は汗だくではなく、カラカラのすべすべだった。そう言えばもうじき夏休みね。学が来たのち昼食をともにしながら三人の話題はそれひとつになる。

「夏休みと言えばやっぱり海だろ!」

「うんうん、でも夏祭りも楽しみだわ

「それからそれからキャンプとかあるじゃない?」

 キャンプ? 学と梓がそろってベッキーの顔をまじまじと見つめる。え? わたし変な事言っちゃったかしら? 一瞬思う。ああ、そうか。学君と梓は家族でそう言うことあまりしないのね? そっかそっか……

「ねえ、ふたりともわたしたち家族のキャンプに参加してみない?」

 それいいね! 

 うんうん とっても素敵 

 絶対行く! 

 わたしも! 

 それじゃあ決まりね うふふ 今年のキャンプはとっても楽しみだなぁ 花火いっぱい買ってもらわなくっちゃ

 

 後日、ベッキーと梓は夏休み用の水着を買いに繁華街へとバスで向かった。期末テストはだいぶ前に終わっていて夏休みはかなり目前だったものだから心はウキウキと白いウサギのように弾んでいた。今回は勇気を出してビキニを着る腹づもりだ。恥ずかしくて楽しみで仕方なかった。

 繁華街の那覇市はとても人だかりで国際通りの真ん中などとても歩けなかった。観光客も多いし地元の人間も多い。それから海外の人たち。正にチャンプルー(混ぜ混ぜ)した台湾のような光景がそこにはあった。

 

「ねえ、ベッキー お昼ご飯は何処にする?」

 

 ここは飲食店も多くて一つの問題でもある。一体どこが美味しいのか見当もつかないし覚えられない。これから向かう先は都市型デパートの三越だけども、その建物の一階にも飲食店が犇めきあっている。ベッキーはとりあえずデパートで買い物を済ましてから考えましょうと返した。

 那覇三越は今歩いているのとおなじ国際通り沿いにある。時刻は十一時ころだった。じりじりと太陽の光が歩いているふたりの肌を突き刺す。ベッキーと梓はお互いに母親から借りた日焼け止めクリームを塗っているのだが、それだけでは物足らなさを感じるほど熱気も伴なってとにかく暑かった。

 牧志(まきし:国際通りがある地名)の上空へ突き刺す白い那覇タワーは三越に隣接してあって、いつだって牧志中央の目印変わりだ。なので、三越を訪れるのに道を迷うことはなかった。そのタワーの土台である雑居ビルは、通称マキシ―”と呼ばれている。ふたりは三越についた。

 しごく高級で上等な気品あるエントランスには、ライオンの置物が二体、入り口を案内するようにして両サイドにある。それを通り抜けると煌びやかな都市型デパートの世界だ。ふたりは失礼の無いように、いったん立ち止まってから、お互いの身なりをチェックしあった。よし、だいじょうぶ さあ、おとぎの国へはいりましょう

 一階のエントランス内側からエレベーターに乗り込まなかったのには訳がある。ベッキーと梓のふたりは中の世界をゆっくり練り歩きながらエスカレーターで上階へ進みたかった。案の定、エスカレーターも訪問客でごった返している。しかし、それがまたウキウキと心を弾ませて楽しく感じさせた。

 四階の婦人服売り場に漂う衣類の香りは、様々な女性が芳香する化粧や香水に紛れて鼻息の中へ入る。ベッキーと梓はときどき口を開いて歓喜の声を上げたりしたけれど、なるべくおしとやかなお嬢様を演じてみせた。水着コーナーにつく。

「ねえねえ、ベッキーってやっぱりトップスはDカップなの?」

「そんなことない。大体、Cくらいかなぁ? 去年はBだったけれど……

「うらやましい! わたしなんか万年Aだよ? もうやんなっちゃう!」

 胸が大きければ大きいで肩こりだとか苦労があるのよ。言いたい。しかしやめた。今はなすべきことではない。必要のない説教みたいなものだ。分かっている。それよりも選んだ水着のフィッティングをして見なければ。ベッキーは選んだオフショルビキニを手に持ち試着室へ入って下着の上からフィッティングを済ませた。

 三越での水着購入が終わるころには正午をゆうに越えていたものだから、ベッキーと梓は建物内の飲食店が立ち並ぶテナント群へ足を向けた。そして着くと店々のショーウィンドゥを眺めて色々相談しあう。お腹はペコペコだ。

「うーん、食べたいのがいまいち決まらないわね。この店ではないんだよなぁ。ベッキーどうする? 喫茶店にしよっか? かき氷とかあるでしょ? ミルク金時なんかどう?」

「でもちゃんとしたお昼ご飯が食べたいし、いったん街に出てみようよ」

 

 そうだね うん、そうしましょう そうしましょう うふふ それでは三越さん、さよならいつか ごきげんよう また来ますね メルヘンな世界をどうもありがとう さあ、いきましょう 

 

 今日は本当に楽しかった。結局、昼食は国際通り沿いのカフェで取ったのだが、とにかくレモネードが美味しくて何杯でもおかわりしたいほどだったけれど、財布と相談して予算がオーバーしてしまうからとなんとか我慢した。白身魚フライ定食は自家製タルタルソースと相まってとても美味しかった。また来ましょうね うん また来ましょう

 

 夏の土用入りから大暑となる週末、いよいよ一学期の修了式だ。ベッキーは夏休みの宿題を片手に家路へ着く。今日は手提げかばんも何も用意しないで登校していた。持ち帰るのは宿題だけだったからだ。昨日までに教科書などは片づけている。とりあえずとても暑いので早く帰りたかったことと宿題を片手に寄り道もなにね、と、学君たちとは一緒に帰らなかった。それに皆、まっすぐ帰る予定でいたし、異議を申し出るものもいなかった。

 

 運玉森からは春先よりも野鳥の大合唱が響きわたってくる。その代わりとして真夏の街中では電線のスズメさえ神隠しがあったようにして一匹たりともいなくなってしまう。皆さん酷い暑さにやられて森の木陰へ涼しみにいっているのね 門扉をくくった玄関先でベッキーは思う。秋になったらまた来てちょうだいな 雀さん

 

 今夜の夕食はお母さんお手製のハンバーグカレー。とても美味だったし、献立的に丁度食べたい頃合だった。ベッキーの家ではカレーライスにジャガイモを使わずに紅イモを使用する。しかし今回はハンバーグカレーと言う事で芋は一切入ってなかった。あっても邪魔になるだけなのである。ルーはククレカレーの甘口でお決まりだ。蜂蜜と林檎がたくさん入っているからと母は力説していた。実際にどの口(辛口と中辛)よりも美味しかった。

 

 一夜を通り越した今年の夏休み初日。ベッキーとしてはゆっくり過ごしたかったけれど、日曜日なので教会へ家族と行かねばならず、その支度を朝からしていた。今日は花柄のワンピース。一見ありきたりだけれども、革のベルトを通せばハリウッドスターへ変身だ。ベッキーは美人ハーフなのでよく似合う。

 早朝から突き刺す太陽で外界はとても暑い。今日はとても徒歩で教会へはいけそうもなかったものだから、一家はワゴンの自家用車を使って教会へと向かった。車内はエアコンが利いておりとても快適だが、それでも車窓から光来る日差しは火傷するようにして暑く感じた。教会へ着く。

 アンダーソン牧師が教壇に立つ礼拝はいつも楽しみにしている。とても解釈しやすいスピーチ術で皆に人気だ。礼拝の合間合間に歌う讃美歌はいつだって心が洗われた。

 

 礼拝の終わった正午は牧師家族らとの会食はせず、同町にある都ホテルへ向かう。目的はランチバイキングだ。幻想的な菊栽培の電気蛍で有名な土地の一角にぽつんと存在するこのホテルはリゾートホテルと言うよりもシティーホテルタイプのもので、実際にリゾートホテルと呼ぶには相応しくない造りになっていた。このあたりは宴会や結婚式場となるホテルが無い。それを狙っての建造物である。

 ベッキーはこのホテルのクラムチャウダースープがお気に入りだ。それと点心。中華と洋食を一度に楽しめるなんてのもバイキングならではで好感を持てた。このレストランには国境がないのである。

 それからそれから肉厚のローストビーフはメインディッシュだ。その前ににぎり寿司も何貫か頂戴した。今日の昼食は腹の中満杯である。満腹だった。

 

 食事を済ませ、帰りの車内会話でのことだ。

 今日はおいしかったね。ところで、ベッキーは好きな人できた――

「やだ! おねえちゃん、急に何?」

 正直、ここで話すようなことではないと思った。素直に困惑する。

 もう、本当に困ったお姉ちゃん。でも、わざとかしら? これって公開処刑みたいなものよね。だって両親が聞耳たてているんですもの。好きな人が居るって言ったらお父さん怒るかしら? お母さんはどうなの? 

 エアコンは相変わらず快適だが、なんだか冷や汗みたいなものをベッキーは肌に感じた。車内が無口に染まる。すると、母親の大好きなカントリーが大きく聞こえてきた。意識していなかったので気が付かなかったが、どうやらアバのチキチータらしい。このグループのダンシングクイーンもよく知っている。

 

 家に帰ると、さっそく部屋のエアコンをつけて空気を冷やす。とても冷たく乾いた風がベッキーのロングヘヤーヘ向けて届く。ドライヤーの弱をしたみたいだった。きもちがよい……。瞳をとじると、心底、無に等しくなった。やがて脳天に睡魔が襲いかかる。

 少しだけ昼寝しましょうか……。うん、そうしましょう。

 白いシーツが敷かれたベッドへ横になり大きめの枕を整える。

 

 一体、何時間くらい夢を観ずに熟睡していたのだろうか? 目が覚めたのは自身を起こすお姉ちゃんの声があったからだ。

 ベッキー! 学君て男の子から電話かかってるわよ。ほら、おきて! 

 う、ううん……

 

「はいもしもし代わりました。ベッキーですけれど?」

 本当に学君なのか怪しいものだった。なので第一声は畏まって電話を受けた。

 もしもし、おれ。学だけど? 

 本当に学君? 

 ああ。

 ほんとう? 

 ああって! 

 意識が夢心地から正常に戻る。

 ごめん、今寝て居たところだったからぼんやりしてて、何度も聞いちゃった。本当にごめんなさい。

 いや、別にいいんだよ。それより電話かけたのはな――

 学君とは最近パーラーで固定電話の番号を交換したばかり。携帯でないのはこの時代にはまだなかったからである。

 学君は早めに海水浴へ行きたいようだった。その旨の電話だった。ベッキーは水着を購入しているので構いやしなかったのだが、正直言うと心の準備がもう少しだけ欲しかった。何せ少し大胆なビキニだ。学君はそれを見てなんて思うだろう? わたしの身体を見つめて何を想像するかしら? 嗚呼、わたしったらいけない女の子。こうしている間にもお風呂場でオナニーがしたくなるだなんて。本当にはしたない女だわ。

 

 学君との電話を切った後、ベッキーは梓へ電話を掛ける。海へ行くのは三人でだ。決して学君とベッキーだけの二人で行くわけではない。三人の都合にあわさなければならなかった。せかしてきたのは学君なのに幹事はわたしだなんてなんて酷い男なんでしょう。そんなことはみじんも思わない。彼が電話を掛けて来たことに対して嬉しかったし、海水浴の約束もできれば早く行きたいと内心思っていたから。

「ベッキーは平日が良いのでしょう? ほら、教会とかあるじゃない?」

「うん、そうね。その方が助かるわ。梓はいつがいいの?」

「わたし? わたしならいつでも大丈夫だよ

「学君も早く行けるならいつでもいいとは言っていたけれど……。いつにしよっか?」

「そうね……。明後日頃にしてみる? 明日じゃ早すぎるでしょう?」

「うん。それじゃ明後日……。ごめん、直ぐ切って学君に掛け直さなきゃ」

 電話を切る。学君へ掛け直してから明後日の約束をした。天気が気がかりだが、まず大丈夫だろう。梅雨明けはとっくに過ぎている。いまは真夏の真っ最中なのだから。

 

 明後日の火曜日。朝露と共に近郊の街路樹群からミンミンゼミの鳴き声が聞こえる。あるいはアブラゼミかどうかは知らない。けれども、無数に届く虫たちによる朝の挨拶みたいなものが、この時、上等のベッドに横たわるベッキーの耳へ、けたたましく、ときとしてまろやかに届いていた。

 エアコンの室温調整は二十六度。申し分なく熟睡できる環境である。目を覚ますと、だるさと共に筋肉痛みたいなものが体中を襲っている。エアコンによくあるやつだ。もう慣れていることではある。だけども、その疲れみたいなものが、ベッキーを二度寝へと誘惑するのだった。

 真っ白なシーツには黄ばんだシミが新たにできており、まるで昨夜の就寝前に吹いた潮の記録をそこにだけ刻印したみたいだった。オナニーをするようになってからというもの、逞しい男根への欲求は増大するばかりでしょうがない。もし、学君のペニスのサイズがわたしの思っていたほど小さかったらどうしようだとか、そう言うくだらないことを計算してみたことがある。ヴァギナへ挿入する指の本数の調整というやつだ。だけども、彼女の膣へは最高で人差し指と中指の合わせた二本が限界である。アナルへは小指一本だ。

 二度寝の夢遊時間から軽く瞼を開いてみると、第一に気が付いたのがクリトリスの勃起だった。朝立ちというやつである。ベッキーはおもわず利き指の人差し指を恥じらいのそいつにあてがってから何度も何度も摩擦した。

 きもちよい……。とってもきもちがよいの……! 嗚呼――! 

 昨夜のオナニーに続いて今朝も潮を吹くベッキーは、もはや人間ではなく、一つの獣へと化していたのだった。

 

 綺麗な海水浴場へは沖縄本島の中でも西海岸が良い。ベッキーの街は東海岸側である。お母さんの話では、西海岸最寄りの宜野湾市に最近できたビーチがあるという。そこにしたらどうかしら? と昨夜の食事時、会話を交わしていた。西海岸のビーチへ向かうのに自家用車は必須だ。お母さんのほうも用事が無く空いているとのことで、送迎がてらビーチパーティーをしましょう と楽しみにしているみたいだった。

 ビーチパーティーに準備するものは一切ない。電話予約の時に施設側へすべて注文していたものだから海水浴に必要な物だけで済む。着替えだとかタオルだとかシャチ型の浮き袋などだ。

 今回、お姉ちゃんはいかないという。高校生なので気を使ったのだろう。ダイエットに成功したお姉ちゃんは一体誰に裸を見てもらっているのだろう? 考えてみてもしょうがない。彼女には最近、内緒ごとが増えているみたいで、妹のベッキーに何か隠しているということは知っていたし、それについて恐らく異性がらみだろうということも当然ながら感づいていた。

 

 今朝の集合場所はベッキー家だ。梓と学君は予定時間よりも三十分早く来てくれていた。

 さあ、いきましょう 

 ああ、いこう! 

 ええ、行きましょう 

 さあ、ワゴン車へ乗ってちょうだいな お母さんの運転は丁寧よ 

 県道241号線から浦添大公園向きへと車を走らせた後、国道58号線へと出る。その頃には丘の上から西海岸一帯が眺望できていた。海は近い。

 車内エアコンは全開で少々寒気を催していたが、それでも真夏の暑さは車窓からうかがい知ることができる。陽光の煌めきがベッキーの右腕を照らしひりひりとしたけれど、日焼けなんぞしてもかまわないと思ったし、気持ちよく感じていた。

 

 宜野湾海浜公園はヨットハーバーに隣接してある大きな白浜ビーチだ。設備は当然そろっていて、シャワーはこの時代にめずらしく温水である。海面は照りつける太陽の光がギラギラしているが、その合間からうかがえる海中の青さは、特段美しく透明に色を染めているかのようだった。

「お客様の席は八番です。食材や機材などはこちらで運びますので少々お待ちください。席の使用は二時間です」

 八番はこちらから数えて向こう端あたりである。白浜のビーチ沿いだ。但し、シャワー室からは遠い位置だった。

 ウッドテーブルの六人席はこの人数に丁度良く感じる。真夏なので風はないが、もし吹いていたのならば、恐らく湿った南風で足元を弱く掬ったかもしれない。ウッドテーブルの下はそれ位にスペースが広かった。

 ベッキーと梓、それから学の三人はベッキーの母親を置いて一直線に白浜を走った。水着の上から着けていた服は、先ほど脱ぎ捨てている。

 水着に対する学君のリアクションをベッキーは知りたかったが、彼は女よりも海の方に興味があるようで、何とも肩すかしな気持ちになった。正直がっがりだった。

 学君て、もしかしたらホモセクシャルなのかしら? いいえ、それは違うわ。きっとこうよ。彼は勃起を我慢していたのよ。そう、海辺を眺めて。ほんとうはトップスの中にひそめた桃色の乳首が気になるくせに、なんてひどい男なのかしら? いいわ、そうしてないさい。こうなったら、もっと大胆に見せてやるんだから。そうよ、本番はこれからなの。うふふ 学君はまさか私が恥部を剃毛していることなんて考えてもみない事でしょうね。それとも学君だって剃っているのかしら? 睾丸を? うふふ とっても汚くてよ。わたしったら 

 それにしても学君たら、どうすればわたしの胸元へ注視してくれるのかしら? ほうれっ こうやってそうして胸を絞って振ればいいのかしら? でもあれね、わたし、まだ成長段階でCしかないから、振ったところでそんなに揺れないし。もう! どうしよう? 学君、おねがい。見て……

 なんだかベッキーの様子がおかしいことに気づいた梓が一言もらす。

 ベッキー だいじょうぶ? 胸がどうかしたの? 

 え、ええ? な、なんでもないわ。それより学君が一人だけ大分泳いで、むこうの仕切りネットまで行っちゃった。わたしたちも行かないといけないのかなぁ? 

 やだ! わたしおよげないし、向こうまでだなんて無理よ。

 そうだよね、でも向こうからじゃ胸は見えないし……

 え? い、いえ、なんでもないわ! 待ちましょう。

 そうね

 酷くがっかりしたベッキーは、一体何のためにわざわざ三越まで行ってビキニを購入したのか自暴自棄になる。梓は自身のパイ数の小さい胸元に関して気になっていない様子だったものだから、少しだけ彼女がうらやましいとさえ思った。そして考える。やっぱり学君はホモセクシャルなのよ、と。

 学君は当然ながらホモセクシャルではない。只の童子である。恋を知らない少年なのだ。彼の男根の周囲には体毛が生えていないのかとさえ思うほどに、学君は小学生のままなのである。

 きっとオナニーを知らないのでしょうね。彼って、私が思ってたよりもだいぶ幼いのかも。

 酷い幻滅により、これで恋心は消滅したかに思えたベッキーは、陸に上がりシャワー室へ向かった。もうとっとと着替えてしまいたかった。こんなビキニなんか買うんじゃなかったと怒りを覚えたほど悔しかったし、独り歩きしていた性本能に対してとても恥ずかしくて目も当てられなかった。

 

 共用の温水シャワーはぬるめの三十六度。冷たい海水によって衰弱したからだにはちょうど良く感じる。温度が高すぎてもよくない。シャワー室は個室だ。温水を浴びながらビキニを脱いでゆくと、若干だが日焼けのあとができていた。顎を上げて顔面へとシャワーを打ち付けると、皮肉れた気持ちが嘘のようにどこかへ吹っ飛んだ。

 結局、シャワー室でオナニーはしなかった。する必要もない。そう言う場所ではないのだから。しごく当然である。桃色の乳首が柔らかい指先を欲しているようで敏感に勃起していたが、それも服を着けてしまえば気にならなくなった。

 シャワー室を出てバーベキューの支度をしている席へ向かう。やはりここからは遠い位置にあるなと感じた。

「あら? ひとり? 学君や梓ちゃんは?」

 しらない――。言いかけてやめた。

 せっかく心をからっぽにしたというのに。思う。怪訝そうな表情を浮かべていると、母親が察して一言添えた。あっ! 梓ちゃんたちも戻ってくるみたいよ。ほら! 

 浜を見やる。いない。シャワー室? 視線を変えた。こちらへ戻ってくるのが遠目で確認できた。

 梓ちゃん怒っているだろうな。だって、突然、何も言わずにシャワー室へ歩いたんだもの。当然よ。何と言ってごまかせばよい? ごまかす必要なんてない。彼女なら気づいているはず。わたしは学君に対して怒っているのだということを。

 海へ入る時間帯よりも大分混みはじめたバーベキュー場は家族連れやサークルか何かのつどいのような集団が確認できる。気にはならない。そう言う場所なのだから。あたりにはもくもくと炭火でバーベキュー肉を焼いた香りが充満している。とても良い匂いだ。

 

 さて、わたしたちもそろそろ焼き始めましょうか。母親が言う。梓と学君はもうすぐそこまで来ている。肉を焼き始めるには絶好のタイミングかも知れない。それよりも、まずは野菜からだ。それと、きのこ類。炭火焼ではシイタケが特にうまい。

 あっ! もう始まっちゃってるんですか? 梓の声だ。

 うふふ そうよ さあ、ふたりとも座りなさい 

 お母さんはにこにこしているけれど、ベッキーのほっぺは膨れたフグのようだった。それもそうだろう。大好きな人がよりによって梓と、などと思ったのだから仕方がない。

 なによ! そうやっていちゃついていればいいわ。わたしはね、買ったの。あなた好みの水着を購入してやったわ。 それなのになによ! トップスをじっくり観察もせずに起きのほうへ泳いで行くだなんて! しかもとどめにいちゃつく相手は梓ですって? ふざけないで! もう離婚よ! あなたとは終わったの。出て行ってちょうだいな。ええ、そうよ。このバーベキュー場から出て行ってちょうだい!

 ベッキーはバーべキュー肉をどしどし食べた。腹が立って腹が立ってどんどん食欲がみなぎる。もうどうしようもない。

 ええ、そうよ。わたしね、もう太ってやるの。あなたに捨てられた女の末路というやつよ。それを観てせいぜい拝むがいいわ。ジーザス! と。でもね、きいてちょうだいな。わたしは太っても女なの。せめてマリヤ様とおよびなさい! さあ! さあ!

 

 何だかどうしようもなくなって涙があふれてくる。

 こんなはずではなかったのに……

 とうとうベッキーは片手で口をかくし号泣した。崩れ散った。皆は何の事だかさっぱりで、ベッキーどうしたの? ほら、泣かないで。なんで泣いているの? と肩を叩き寄り添うばかり。だっでぇえ……。だっでぇえ……

 

「ベッキー、泣いた訳を話して」

 

 バーベキュー場からすこし離れた場所で梓と二人きりになったときだ。ベッキーはまだ泣いている。見かねた梓は彼女をそっと抱き寄せた。

 お願い、もう泣かないで。そんなに泣いてたらわたしまで哀しくなっちゃう。

 ベッキーは答える。ごめんね、ごめんなさい……

 ねえ、わたしたち友達だよね? しかも親友だよ? 話してくれても……、でも、ベッキーはつらいのだものね。わたしのほうこそこんな話しちゃってごめんね。いいの、今はいっぱい泣いててくれて……。梓も涙顔になる。とうとう一滴の涙をこぼした。

 暫くして落ち着きを感じたころだ。

「わたし……、わたし、梓にやきもち焼いてたの……。ほら、海から学君と二人きりだったじゃない? それで……。でもちがう……、あなたはそんな人ではないから……。そうでしょう?」

 そっか……

 学君から聞いていないとは思うけれど、いい? ベッキー。シャワー室から出て学君と歩きながらわたし会話していたじゃない。そのとき、彼は今日あなたに告白したいといっていたわ。ここで、この海辺で。

「え……?」

 そう、そうなの。真相はあなたが思ってることとは違うのよ。だから安心して。これから学君を呼んでくるね。まってて――

 時間は果てしなく遠く感じてしまって意識を失いそうだった。確かに学君は来た。そこに梓の姿は見えない。いま、ベッキーは彼と二人きりだ。太陽は千切れ雲に隠れており、突き刺す陽光は幾分癒えた気持ちになった。

 


第四章

 

 

 ワーか(俺か)? ワーはギルーやいびん(俺はギルーだ)!

 それは昔々の話です。遠い彼方、南はさらに南の島こと(事)でしたよ。与那原と西原の村境に運玉森という丘がありました。その麓で彼は誕生したのです。おっかさんはたいそう苦労しましてね。女手一つでギルーを育て上げましたよ。それからそれから彼は大きくなりまして、こうして立派に番人の職を手に入れたわけです。

 この頃、ギルーは二十歳でしたよ。背丈も十分、伸びにのびて体格も丸太のような図体になりました。力瘤は昔よりも人一倍で、もはや喧嘩を売る者などいやしません。皆、恐れおののいて逃げて行ってしまうのです。

 

「ふんぎゃあ――!」

 

 人間というものは不思議です。この世の終わりを察した時、とうとう終わりが見えた時、決まって吐く奇声は赤ん坊の泣き声ですよ。そうなんです。人間の原点は子供なのですから、当然といえばそこまででしょう。ギルーは今日も盗人を鷲掴みにして、ぼこぼこのぼっこんぼっこんにしてやりましたよ。おそろしい、おそろしい!

 どんどん血に飢えてゆくギルーの熱を覚ますのはいつもおっかさんの仕事です。そうなんです。彼は空手のお師匠さんから上京の許可をもらっていませんでした。許可をとり紹介状を貰わなければ上京したところでまともな職にありつけないのです。

 ギルーは焦っていました。その焦りが一たびも二たびも彼を発狂した狂犬へ変貌させたのですよ。

 

 まだまだ一人前とはいかないギルー。給与の様なお手当は頂戴しているものの、それでもまだまだ裕福な生活とは無縁です。おっかさんを早く楽しにしやりたい気持ちは本物ですが、それもこれもやはり気が焦るばかりでどうにもなりませんでした。

 おっかさんは相変わらず大ネズミの仕掛けをこしらえていてですね、時にはマングースを二匹ばかりとらえたときもありましたよ。けれどもマングースーは肉付が微々たるものでしてね、一匹二匹なんぞでは大人二杯分の肉鍋は作れませんでした。そんなときは厚切りに揚げられた厚揚げ豆腐ですよ。ほら、あの出店が作っているやつ。そうそう、あれは油揚げでしたね。しかし厚揚げも作っているのです。同じ豆腐ですからねぇ。

 ギルーはおっかさんがネズミ仕掛けの様子を確認する日を知っています。畑仕事が多忙ですから、決して毎日ではないのですよ。それに毎日捕まるというものでもありませんでした。一週間に一匹くらいのものです。

 今日は土曜日。仕掛けを観に行く日ですね? そうなんですよ。ギルーは待ってましたといわんばかりにこの曜日を待っていました。夕刻の帰り際、油屋へ豆腐の厚揚げを一丁ほど買いに行きましたよ。

 

 へい、まいどありぃ!

 

 残った釣銭をしっかり袂へ入れてから家路を歩きます。転ばぬように慎重に、それでいて蟹股で堂々と、歩きましたよ。

「おっかあ! かえったぞ――!」

 家に着くと、あんらまあ、おっかさんはどっかいっちまったようです。どこさいっただ? 考えますが、それも一瞬。ギルーはそそくさと居間に上がり込みました。それから横になり少々疲れを癒します。暫くすると、ようやくおっかさんが帰ってきましたよ。

 ただいま、おや、ギルーや。きょうもはやかったなぁ?

「おっかあ、どこさいってただ? 厚揚げ買ってきたど。鍋するんだべ?」

 それなんだけどなぁ……

 ん? どうしただ? 

 いや、まあなぁ……

 なんだ、きまりわるそうに。言っておくれよ。

 それがなぁ、ネズミの仕掛けなのだけども、山猫にそっくりそのままやられちまってなぁ。それで探したのだけども、どこにも仕掛けが無いだよ。あれが無いと今後厄介になるだでなぁ。何せ、うちんところは仕掛け買う金もろくすっぽありゃしないだろう? これじゃあ、しばらく獅子肉はお預けになっちまう。それはご勘弁だろう? ギルーよ。

 話を聞くや否や、ギルーは困惑した表情を浮かべて困り果ててしまいます。

 さあ、どうするのじゃ、どうするのじゃ? 困った困った! 

 何か一つでもよい。名案は無かろうか? のうたりんの頭脳をフル回転させますが、どうにもこうにも二進も三進もいきません。やれやれ、これではとうとう獅子肉のおあずけじゃなぁ……。そのときでした。

 何やらおっかさんの表情に変化が見受けられますよ。

 ん? どうしてにたりと笑っておるのじゃ? さては――? 

 そうなのです、全てはほら話だったのですよ。本当のところは野ネズミの肉どころか山猫までとらえておりましてね。この時代に英語は使わないのですが、ギルーは思わず、ハバ! ハバ! しましたよ。やれ、焼肉パーティーじゃ! パーティーじゃ! 

「ほうれっ! 獅子かめぇ カメカメ(食え食え)ギルーや

 思わず「シシカバブエ!」などと言った日本語でない雄たけびを上げそうになったのですが、いや、それは琉球語ではないし、おかしいだろう? と、ギルーは躊躇して見せましたよ。

 

 ん? 何を言おうとした? ギルーよ? いってみんしゃい! 

 しし……、しし……、ししかむんっ(肉食う)!

 

 今宵は愉快な晩餐でしたよ。おっかさんと一緒になってこんなに笑いながら夕食を共にするのは一体いつ振りだろうか? いや、もしかしたら初めてなのかもしれないのです。人間というものは腹がいっぱいになれば自然笑顔になる物です。機嫌の悪いやつにほど飯をタンと食べさせた方がいいのかもしれませんねぇ。そうすれば日本おろか世界はもっともっと幸せかもしれません。機嫌のわるいやつというのは決まって不幸せな人間です。不幸だから機嫌が悪いのですよ。不幸ということは弱いということでして、やはり弱い人間には飯をタンと与えてやるべきなのかもしれませんね。三角ピラミッドで追い出し部屋というのはもう古い考えなのです。世の中というものは三角ではなくて四角出世で構わないのじゃないですか? ピラミッドだから強い弱いが出るのですよ。争いではなく共同体でなければなりません。

 さてさて、腹がいっぱいになったところでもう就寝ですよ。夜起きてもテレビも何もない時代ですからねぇ。相当、昔々の話なのでした。

 

 悪いことが続くこともあれば良いことが連続で起こるというのも、世の中の流れのようなものでありましてね。ギルーの場合、満腹になった翌日にそれが起こりましたよ。さあ、大変なこった大変なこった! どうなる、ギルーよ。

「えー(おい)! 門番のギルーよ、師範から直々にはなしがあるそうだ」

 はて? 何か悪さでもしたわけでもあるまいし。かといっても、毎日まいにちげんこつ見舞いして暴れておるのだけれども、まあ、それについては盗人どもに対してであって、一般人に限って手を上げるなんてことはしちゃいない。おいらだって農家の出だ。庶民の苦労はよく知っているだでな。手を上げるわけが無かろうもん。ぶつぶつ独り言をつぶやきながらお師匠さんの部屋へ向かいましたよ。

 お師匠様! 番人のギルーです! 

 風通しを良くするため襖は開いていますよ。書斎の畳間にて書物を記しているのはお師匠さんです。彼はギルーへ顔を向けることなくうむ、はいれ。言いました。ギルーはなんだか分かりませんが只々申し訳なくて頭を掻きながら書斎へあがりこみます。

 正座で座れ。注意を受けながら膝待付で座ります。

「門番のギルーよ、今のお手当は幾らだ?」

 え? 給与の話か? 少しだけ安心しましたよ。へえ、三十文ですが? それがなにか関係あるんで? 

 少ないのう……。たしか母親の面倒を見ているとか? 

 いえ、めっそうもない! おいらが面倒見てもらっている始末でして。

 暮らしはまともなのか? 

 なにがで? 

 普通にやって行けるだけの蓄えはあるのかと聞いておるのじゃよ。

 ああ、そういうことですか。いや、あいかわらず貧乏暮らしでさ。生まれたころに比べりゃだいぶましにはなったんですがね。なにしろ京が閉国ときいてやす。まともではないですわ。

 ふむふむ……

「そろそろからてぃー(空手)も腕を上げただろう? それから学問。どうじゃ?」

「いえいえ、めっそうもありゃしません。まだまだ未熟者です」

「謙虚よのう……

「あの……。それで、お手当は上がるんで?」

「うむ。それなのだがな。若頭になれば、のう……

「番頭ですか? それなら任してください! 力比べならだれにも負けやしませんきに」

「力比べだけでは頭になれないのだぞ。上に立つには頭も必要なのじゃよ」

 ちっ――! 思うけれども、今すぐにどうにかなることではありませんものね。ギルーは肩を落として一気に落胆してしまいましたよ。消沈というやつです。

 おいらだってよぅ、学問頑張ってるんだぜ? そりゃあ一生懸命さ。だけどよう、頭の味噌が足らねえみたいで、どうにもなんねえ。右から流して左に出るならまだしも、右から流して右鼻から出ちまうんだもんなぁ。全く学問ってやつは厄介な代物だぜ。

 

「はっはっはっ! おい、ギルー! どうせお前ががんばったところで無駄無駄。そんなことより番人としての役割に精を出すこったぜ。なあに、年功序列でお手当は自然上がるさ! 大丈夫、大丈夫」

 門番の相方に相談したおいらが間違ってたぜ。くそっ……。おいらはな、どうしても上へあがりてえんだ。何が楽しくて門番でてめえ(自分)の人生終いにならなきゃなんねえんだ? おいらは役人になりてえんだ。そう、どうしても役人にならなきゃなんねえ。京へ行く夢だってあるさ! そりゃあ今すぐに飛んで行きてえよ。

「京へ行きたいだって? そんな無茶苦茶な! 泥棒にでもなるってのかい? それならいつでも京へいけるぞ。わっはっはっはっ! ギルーが盗賊だってよ! こいつはお似合いすぎていいってもんだぜ。わっはっはっ!」

 盗賊だと――? 一瞬何かが閃きますが、それもつかの間。さっそく暗闇の中から獲物(忍者っぽい恰好で)たちが訪れますよ。

 こんやもひと暴れしてしまってストレス解消でしょうかねぇ? うっぷんを晴らすにはもってこいです。めでたし、めでたし。おや? まだ終わるわけにはいきませんでしたねぇ。これまた失礼いたしましたよ。

 

 あくる日の昼下がりの事でした。今日といえば、ギルーは非番で久しぶりの休日ですよ。

朝からぐうたら過ごせる日でもありました。そうでもありません。おっかさんの畑仕事の手伝いがあります。

 おっかさんは明星のあるうちから起床して水を汲みに井戸へ出かけてゆきますよ。その手伝いから今朝は始まりました。

 夜番明けのギルーにとって少々堪えてしまいますが、なんのその。自慢の腕っ節でおっかさんに水桶を一切持たせません。それどころかおんぶまでしてしまいます。それはやりすぎです、言いすぎでした。そんなことは、ない、ない。おっかさんはまだまだ一人で歩けます。骨の丈夫なおっかさんこそギルーをよいこらしょっとしたのではないですか? それも言いすぎですねぇ。

 

 昼下がりの話でした。

「おい、ギルーよ。畑の手伝いはもういいから揚げ豆腐一丁買って来ておくれ」

「もういいのか? 夕方まで手伝うど?」

 よかよか、あたしゃもうつかれたでなぁ。そろそろ帰んべ思ってただ。

 なんだ、そうか。それじゃあ行ってくんべ。

 気を付けてなぁ。

 分かってる。

 くれぐれも躓かんようになぁ、この前みたいに泥んこ厚揚げは御免だど? 洗うのに水をたくさん使っちまうでなぁ。

 分かってるって! 

 本当に気を付けておくれよう。

「まったく、いつの間にかうるせえ糞婆になっちまってからに……。そろそろおっかあも年だなぁ……。お手当何とかしなくっちゃなあ……

 独り言をぶつぶつつぶやいても仕方ありませんよぅ。とにかくとりあえずは厚揚げを無事に持ち帰ることです。ギルーはふつふつと使命感の様な士気が高まりました。そうでもない。たかだか厚揚げごときでそうなるはずもありませんでした。しかしながら食糧難な時代です。厚揚げと言っても庶民にとってみればありがたい存在。栄養価も抜群ですしねぇ。

 

 運玉森には川がありません。ですから川沿いを下るということではなくてですね。丘の中腹にある畑から町へ出るには、白い穂を束ねるススキの伸びたとても細い藪道を歩きますよ。

 その小道は土質むきだした端々が泥んこのような代物でしてね、ススキの葉で作ったわらじをはくギルーにとってはとてもとてもつるりんとすべってなりませんでした。

 いざ転ぶと頭からごっつんですよ。痛い痛いたんこぶがぷっくらと膨らんでしまいます。ギルーの髪の毛は一メートルほどありましてね、それを頭のてっぺんで巻いているものですから痛くないと思いでしょう? それがたまらなく痛いのですよ。

 

 町へ出ると道には多量の砂が撒かれていてですね、土質が多少異なっているのを草鞋の感触から察せます。

 あらまっ! 一気につるりんこしなくなったでねえか! うんだうんだ。

 出来れば砂利の方がよいのですがね、この時代には高級の代物で寂れた町にはまだ撒かれていないのです。琉球は地方の治水工事をしない国としても有名でしてね。都である首里まで行かないと綺麗な道や用水路は拝めなかったのですよ。

 

 さてさて、いよいよ目的の豆腐屋のある屋台へ到着です。

 屋台の屋根にはお決まりの赤提灯。それから笛吹きもいましたよ。ハーメルンではないですけれどもね、豆腐屋を注目させるための手段として用いられておりました。

 屋台の骨組みはもちろん木製ですよ。

 油鍋は木製とはいきませんしねぇ、ちゃんとした鉄製でした。しかも焼かれているやつです。鉄は一回焼かないと柔らかく仕上がってしまってしょうがないのですよ。

「おい! ボージャー(坊主)! 今日も余った油啜ってるのか?」

「へいぃ、この黒く濁った古い油が、品を揚げた味が染みてて一番うまいんでぇぇ」

 ほんとうに頭のおかしなやつだなぁ、アンダクエーボージャー(油食いの坊主)よ。てめえ言っとくがなぁ、豆腐屋んところの商売の邪魔なんだよ! いいかげんきづけやぁ! 

 はいぃぃ! すみませんでげすぅ! まっことかんにんしておくんなましぃ!

 田舎にはこういった乞食のような奴といっぱしのヤクザもんをよく見かけましたよ。ギルーだってずっと昔からそう言った光景を目の当たりにしてきた一人ですしねぇ。おっと、今日は仲裁に入るのが遅いんではないですか? ギルーさんよ。どうしたどうした?

「てめえの頭に小便掛けてやるよ! それとこの古くさった油にもなぁ!」

「かんにんしておくんなましぃぃ!」

 ヤクザ者は極太のペニスを取り出すと膝待付いているボージャーの頭めがけて黄色い小便を思い切りよく飛ばしまくりました。それから古くさった油へもありったけ注ぎます。

 ほうれ! ボージャーよ、小便油を飲んで魅せろや! こらぁ! 早く飲めよ! 

 はいぃぃ! かんにんしておくんなましぃ! かんにんしておくんなましぃ! 南無南無……! 

 桶の中へ入った冷めている古い黒こげ油に黄色い小便が乗っかると酷い悪臭を伴いまして、しかしながらボージャーはそれを、涙を流しつつ、ひっぐひっぐ言いながら、ぜんぶ啜って見せましたよ。 

「どうだ? 美味かったか?」

「はいぃ! 凄いごちそうありがとうごぜえます……。ひっぐ……ひっぐ……

「ヤーはチューからシーバイボージャー(小便小僧)やさ! エー(おい)! シーバイ(小便)! わかったか? ヤーはシーバイボージャーどー(だぞ)!」

 

 まったくみてられん……

 

 ギルーは見かねて仲裁に入ります。おいっ――! 

 ふひゃぁ! こりゃあ、力自慢の番長であるギルーさんじゃねえですか! どうしたんで? 

 ちょっと厚揚げをな……もう勘弁してやれ。

 えっ? しかしですなぁ! 

 良いから離してやれ。

 ちょいと悪いですがねぇ、こいつのおとっつぁんとおっかさんが何しでかしたかご承知で? 

 そんなものはしらん! 早くどかねえとげんこつくらわすぞ。

 ひっひえぇ! ギルーのだんなぁ! しつれいいたしやしたぁ――! 

 ヤクザ者は出したペニスを仕舞い込むとそそくさと逃げ帰ってしまいましたよ。

「おい、坊主。年いくつだ?」

「へ、へい! 十ばかりになりやす。ごかんべんを! うぃっぐ、うぃっぐ……

 かわいそうに……。おもう。十の頃の自分と言えばこんなにみじめではなかった。それを考えるといたたまれない気持ちになる。

 最初見かけた時は十五かそこらかと思っていた。

 しかし違ったのだな。まさかまだ十つだとは……

 苦労しすぎると表情がこけてしまって実年齢よりも老けこんで見えます。きっとそれだったのでしょうね。

「おい、豆腐屋の旦那よ。この坊主に厚揚げ半丁ゆずってやってくんねえか? なあに、代はわしが払ってやるきに。おい坊主、こいつもって帰っておっかさん喜ばしてやれ」

「うぃっぐ、うぃっぐ……。そいつはありがてえんですが、わての両親は京で盗み働きまして、それで役人にお縄やられてちまって、真玉橋で処刑されやして。もうこの世にいないんでげす、うぃっぐ、うぃっぐ……。わ、わては、このとおり住むところもない乞食で一人身なんでげす。もうぬすみははたらきません! ごかんべんをぉ! ゆるしてくだせえ! うぃっぐ、うぃっぐ……!」

 

 盗人でお縄だと? 

 

 真玉橋といえば首里にあるといわれている、生きては帰れないという人間梯子の極刑場じゃねえか――! なんてことなんだ……

 ギルーの焦点がぶれます。ゆらゆらと、だがしかし、ぼんやりと目に収まる光景というものは感じられました。いえ、感じるほど意識を向けていません。思考は脳の毛細を刺激しているわけですから。

 ギルーの脳みそは重病患者のように悪いのですが、緻密さと言えばそりゃあぎっしり詰まっておりましたよ。それもこれも豆腐のたんぱく質というやつです。それからそれから紅イモのビタミンとエネルギー。体中の筋肉だってそれらで成長したようなものですからね。

 彼は顎をあげてから上空を見つめましたよ。それからもう一度、なんてことなんだ……。心の中でつぶやきます。嗚呼、なんてことなんだ……

 

 本当にひどい酷い琉球末期時代の話です。昔はこんなんではなかったというから信じられませんでした。あちらこちらに金脈があり、海を泳げば赤サンゴ群。それはそれは豊かな国だったそうですね。

 日本の童話で浦島太郎がありますが、その話にある竜宮城とは琉球城のことを指していたのですよ。琉球のことを中国語のなまりでリュウクウと呼びました。琉球の人々も琉球のことをリュウクウといっていたのだそう。それ(その発音)に濁点を付けて詰まらせたのがリュウグウなのです。

 その童話には遥かなたの竜宮城は金銀財宝山盛りで食事も贅沢品ばかりだったと書かれています。それは実話として受け継いでもよいくらいに本当の話なんですよ。はるか昔の琉球は資産が豊富だったのです。

 それが尽きてしまうと閉国もやむなくなり人々は生きるか死ぬかの瀬戸際へと追い込まれましたよ。それが琉球王国の歴史なのですよ。ひじょうに残念なお話でした。話すべきではなかったのかもしれませんねぇ。

 さてさて、ギルーはそんな事言ってられませんよ。今を生きるにはどうしたらよいのか? それすらままならない時代に生きて居ります。ちばらんねーならんどー(踏ん張らないと駄目だぞ)。

「おい、坊主。俺についてこい」

「へっ? 旦那様についてくるんで?」

 そうだ、ほれ、厚揚げ半丁とっとと食っちまいな。食ったら行くぞ、家で面倒見てやる。

 へっ? わしを面倒見てくれるんで? 

 そうだ。坊主、明日から畑仕事の手伝いが待っているぞ。覚悟するこったな。

 へぃぃ! ありがとうごぜえやす! ありがとうごぜえやすぅ! この恩は一生忘れませんきにぃ! ありがとうごぜえやすぅ! 

 

 ギルーは思いましたよ。本当に大丈夫だろうか? この幼気なく厚揚げを噛り付く坊主を見つめながら思考は再び頭の世界へ入り込む。目の焦点がぶれる。風が吹いた。冷たい風が頭の世界で吹いたのです。それは覚めた幻影でした。おっかあの死期についてのあれやこれといった心配事ですよ。それが光の映像となって世界を征服しているのです。いっぱいいっぱいでした。まんべんなく死期のお知らせを伝えているのです。それはだれが? いったい誰が知らせているというのだろうか? わかりません。世の中に理解できない現象と言ったものは多数存在しますからね。ほら、ユフォーだって一緒のようなものでしょう? 

 ギルーは訳が分からなくなり、思わず舌打ちをしました。ちっ! するとどうでしょう? これまでの人生で一体どこで確認したというのか? それはたいそう綺麗な女の子を思い浮かべましたよ。

 

 年は確か……

 

 なぜだ? 何故におれは分かるのだ? 何故にこの女の年を知っている? 

 やはりわかりません。

 本当にけったいな格好をした女だ。もしや化け物か何かか? この女狐め! こうしてくれる! 

 女の衣をはぎ取ろうとします。

 い、いやぁ――! やめてぇ――! 

 名を申せ! 名を申さぬか! ほうれっ! もっともっと恥ずかしい目にあわしてやろうか? どうした? 名を申せといっておろう! 

 わ、わたしのなまえはベッキー。ベッキーと言います! おねがい! もう許してぇ――! 

 

 我に返る。

 ここは豆腐屋の屋台。奇妙な妄想をしてしまったな……。さあ、ゆこうか。坊主よ。

 

 豆腐屋には木の格子で囲った換気窓がありましてね。そのそばに屋台が突きだしてあるのですが、去り際にその小窓を見やると、ソテツの葉で作られた風車が飾りっ気なしにひとつ、くるくる回っておりました。

 風情よのう……。こんなにも貧しい世の中であるにもかかわらず、幼子たちはこうしてソテツ遊びをしている。おそらくはそうだろう。

 大人たちはソテツで飾り物を作ることをしない。教える身だ。ギルーは考えると、なんだかこの世に得体のしれない底力を感じました。幼子は逞しいとさえ思ったのです。

 疲弊しきっているのは幼子よりも飯の量がおとなぶん多い自分たちのほうなのかもしれない。恥ずかしくなる気持ちがこころを支配しましたよ。

 この子供はどうだ? 

 アンダクエーボージャーの表情を確認します。すると、奴は垢だらけの皮膚から満面の笑みを浮かべてこちらを見やった。それがなんだかおかしくて、ギルーはおもわず微笑する。

 ふっふっふっ……

 決して大笑いなどするものか。懸命にこらえました。

 だんなさま、どうしたんでげすか? 

 ふわっと歯垢のたまった歯茎の臭いにおいが鼻を突く。我慢できなかった。

 わっはっはっ! 

 ギルーは大声を出して笑いましたよ。

 いっひっひっ! 

 ボージャーもなんだかうれしくなったようで一緒に笑う。

 わっはっはっはっ! うんうん、坊主、おぬしは面白い。愉快じゃな愉快じゃな。わっはっはっ! 

 それはそれは、どうもすみません! いっひっひっ! 

 ギルーはボージャーの肩をポンポンと軽く叩く。「さて、おっかあが待っている。共に帰るぞ、ボージャー」少しだけ士気を高鳴らせた表情へ切り替えると、ふたりは町はずれへ向けて歩き出したのでした。

 

「おい、ボージャー。そう言えば名前を聞いていなかったな?」

 へ? わての名前でげすか? 

 そうだ。本当の名前は何という? まさかボージャーというわけではないだろう? 

 それが……。わては、わては……

 どうした? まさか自分の名前を知らんのか? 

 へ、へえ……、どういうわけだか……、どういうわけだかでげすね、どうもおかしなことに、あっしはあっしだけのことについて何にも思い出せないんでげす。

 なんだと? 貴様、記憶喪失か? 

 きおくそうしつ? 

 その説明はなしだ。しかし、かわいそうに……。不幸が続いて脳天がやられちまってたんだな……。ほんとうになんてことだ……

「あっしはボージャーと呼ばれるのに馴染んでるんで」

「俺の事は知っているのか?」

「そりゃあもう、この町で知らないものなどいやしやせんよ、ギルーの旦那様!」

「旦那様は余計だ。これからは兄貴と呼べばいい。ボージャーと兄貴の関係だ」

「へぃぃぃ!」

 今夜は肉鍋になると良いのだけどな……。ギルーは思います。けれどもおっかさんは年のせいで疲れているみたいだし、仕掛けを覗きに森へ入っては行かないだろう。

 玉森を遠目で観やると、なんだかおっかさんの大声が聞こえてきそうな気がしましたよ。

 おいっ! ギルーや! 今夜は肉鍋だぞ! はやくかえってきんしゃい! 

 

――此処がわしの家だ。はいれ」

「へぃぃ!」

 

 しっかし、兄貴の家は藁ぶきでござんしたんで? おいらはてっきり瓦ぶき屋根想像しておりやしたよ。

 言われて恥ずかしくなる。

 これ! 余計なことを言うでない! これでも立派な家じゃてのう。

 おっかさんが出てきましたよ。はて、貴様はどなたじゃ?

「へぃぃ! わてはボージャー言います! 兄貴の弟分でごわす!」

「はて? 町でなにかあったのか? ギルーよ?」

「説明は後じゃ。おっかあ、こいつに寝床と飯食わしてやってよいだろう?」

 今日は獅子肉がないだけどなぁ、まあ、田舎汁がひとり分増えたところで餓死するほど困ってはいないきに。それにしても、ボージャー言うたか? 貴様、若いよのう? いくつじゃ? 

「へぃぃ! 十つでございやす! 明日から畑仕事頑張りやすのでぇぇ!」

「ふぉっふぉっふぉっ! きさま、家なき子か。こいつはちょうど助かる。わしも年じゃけの。ギルー以外にも手伝いが欲しかったところじゃて。しかしまあ、良い拾いもんをしたものじゃな、ギルーよ」

「おっかあ、一つ宜しく頼む。わしは門番の仕事があるけんな」

「わかったよ。ほうれっ! ボージャーよ、田舎汁たべんさい。いっぱいあるけんね。おかわりしなさんな。たんとくいんさい」

 へぃぃ! ありがとうごぜえやす。それじゃあ、おおきに――! 

 今夜の晩餐はとても愉快なものになりましたよ。久し振りに談笑で盛り上がりました。ボージャーの表情からも笑顔が絶え間なく見えます。よかったよかった。ほんとうによかった。

 しかしそのときでしたよ。

 

 ごほう! ごほう! ごほう! 

 

 非常に重たく辛そうな咳払いをおっかさんがしましてね、そりゃあ、もう、うっ血しているみたいだったものだから、偉い騒ぎになりました。

 おっかあ! 

 おっかさま! 

 ギルーとボージャーはすぐさま駆け寄りまして、背中を摩りつつも横に倒して寝かせますが、それでも咳は収まりませんでしたよ。

 ギルーの脳裏にあの夢がよみがえります。幻と空想の世界のあれですよ。

 

 やはりおっかあは病気なのだな……

 

 死期はもう近いと感づきましたが、それでも力を振り絞ってその幻影を払しょくしようとします。幻は幻でしかない。そう信じたかったのですよ。

 だけれども現実はこうしておっかさんの病死をたたりのようにして押し付けてくる。もはや、やりきれないくらいの、この上ない涙が涙腺から溢れてきました。

 ぎ、ギルーよ。なぜ泣いて居る? わしゃあ、まだ死なんぞ! し、死んでたまるものか……

 おっかあ、もういいんだ。力を抜いて寝てておくんな。無理をすると咳も余計にひどくなる。なあ、おっかあ……。明日はちゃんと起きてくれよな。起きてくれるだろうよ? ええ? どうなんだい? 

 ぎ、ギルーや。おっかあはな……、おっかさんはあんたが大きくなる姿を観れてほんとうによかっただ……。せめてな、せめて、いっちょ前のあんたを見届けたかったぜよ……。ごほう! ごほう!ごほう! 

 今宵は長い長い夜になりました。月明かりが窓辺から木漏れ日のようにして炊事場を、弱しくも僅かながら照らしておりますよ。

 とうとうおっかさんの声は聞こえなくなった中で、ギルーとボージャーは呆然として、只々、老婆の表情を目視するだけです。

 嗚呼、終わったのだな。ひとつの時代が終わったんだな。

 ギルーは、精根、疲れ果てた全身で、だけど、明日も俺は、生きなければ……自身の心へそう檄を飛ばしたのです。

 


第五章

 

 

 一番星の金星である暮れ明星と満月がランデブーするころあい、学君とベッキーは梓を取り残して公園のベンチにいた。梓とは先ほど今日のさよならをしたばかりである。

 秋分の日に近い秋彼岸は数日前に越えたばかりだが、表面的な暑さをそのままにして、秋の気配があまり感じられない今年の十五夜だった。

 ベッキーは今夜、帰宅が遅いことで両親に叱られることを覚悟していたし、それでも構いやしないと思っていた。

 わたしが今すぐに帰りたくないのだからそれでいいのよ。だって、学君と幸せを感じている最中なのだし。それにね、わたしはまだ中学生だけれど、からだはどんどん大人へ変貌していっているの。ええ、そうよ。欲しているのよ、学君を。学君の汗のにおいを。欲しているの……

 今夜のキスはロッテのブルーベリー。接吻をする前には必ずガムを噛んで匂いを付けた。昨夜はフェリックスのチューインガムだった。それを学君はベッキーの口内で膨らましたものだから、割れた後の咽かえるような彼の臭いはたまらなく官能的に脳を刺激したものだ。

 

 嗚呼、大人ってこんなにもいやらしくて生々しい恋愛をしているのね……

 

 真似事でしかない二人の恋は常に手探り状態。誰もしたことが無い新しいことをしようと思っていても、それは結局、先行する掘削者がいて、只の後追いでしかないことなど教えられなくとも悟っている。それは遺伝子からなのだろうか? 分からなかったのだが、とにかく完全に真新しいとまでは思えなかった。なものだから余計に掘削したくなる。次なる欲求に駆り立てられるのだ。あたかも人類進化論のごとく、駆り立てられた。

 今夜はとても良い。

 この時期も悪くはないわね、ねえ? そうでしょう? 学君。

 さりげなく聞いてみる。

 気持ちがたまらなく幸福感に満たされている。学君は最近、遠目で何かを見つめるそぶりをする。ベッキーはそんなことなど気にしてなどいない。彼女はそのままキスの夢心地からさめやらぬ状態でうつろに甘く学君の横顔を見つめた。

「なあ、今度の休みどこ行く?」

 え? 何処でもよいけれど、そうね……。考えてみると、最近、この場所へ来てばかりだったね。だってお金がかからないじゃない? いちゃいちゃするのもちょうどいい場所だし。ねえ? それだけじゃつまらなかったりするの? 

 ちがうさ、そうじゃない。

 

「なあ、ベッキー。冷静と情熱のあいだってなんだと思う?」

 

 おかしなことを言う人ね。困惑する。しかし答えねばならないのかと思うと辛い。

 だってそうでしょう? そんな馬鹿な答えだなんてこの場にふさわしくないじゃない。わたしはね、もっとメルヘンチックに酔いたいの。それなのに学君たら……

「答えなんてエンドレスだ。無限ループと言ってもいいかもしれない……

 またおかしなことを言う。彼の話など、もう、うんざりだった。何だか今すぐに帰りたくなる気分へと落ち込む。

 学君たら、学君たら……

 だんだん腹が立ってくる。

 何故だろう? わたしはむかついているのかしら? ちがう、そうではない。少しだけジェラシーの様ななんだか特別な思いなのよ。けれどもそれって劣等感に近いものがあるわ。決して悦びの思いではないの。ねえ、学君。おねがい、しっかりして。しっかりとわたしをリードしてくださいな。

 

「いつか、いつか終わりが来るんだろうか……?」

 

 え――? 小さく風が吹く。たぶんそれは北風だろう。冷たい風だった。

 秋はもうすぐそこまで来ているのだろうか? 満月と金星は二人の表情を照らし続けている。足らない分は近くの夜光灯が手助けしてくれていた。

「御免、何でもない。忘れてくれ。今日はそろそろ帰ろう。 もうこんな時間だしな」

 うん……

 なんだか歯切れが悪い。うやむやにされた気持ちが大きいけれども、それでもベッキーは堪えて何も追求しなかった。

 今夜は最後まで行くかもしれない――。そんな気持ちさえあった。

 ペッティングの先にザナドゥが待ち受けていることなど、この年にしても誰もが知っていること。溢れ出る泉を観ておきたかった。確認しておきたかった。その世界は、一体、どんな夢心地なのだろう? と。

 

 ベンチを去り際に気が付いたことなのだが、どうやら自分らのほかにもう一組カップルがいたようで、良く確認はしていないのだが、高校生らしかった。恵。正樹。と互いを呼び合っている声が耳を掠める。

 嗚呼、わたし達と同じように仲の良いカップルね。これからペッティングかしら? 年上先輩のカップルだからどうせ最後まで経験済みなのでしょうね? こんなだだっ広い公園で、ベンチの上で交尾するだなんて、なんていやらしいのかしら? 本当にうらやましい限りだわ。

 

「今日も暗いから玄関先まで送ってゆくよ」

 ううん、いつものように一軒手前でさよならしましょう。お父さんがあなたへ説教しちゃったら困るし。

 ああ、そうだな……。なあ……? 

 なあに? 

 いや、やっぱりなんでもない。

 もう、さっきから何でもない何でもないって、もうちょっと男らしくしてほしいな はっきり言って 

 いや、本当に何でもないんだ。只、最近、詩を色々考えて居てな。よく一人の世界に潜り込んだりするんだ。

 デートの最中だとか? 

 本当に御免な。

 

 ぽつらぽつらある街灯は満月の明るさに入り混じっており、そのやわらかさの中にも日差しのような強さを僅かながら感じた。闇夜というには相応しくなく、おおよそ女子が夜道を歩くには絶好だと思った。

 もうそろそろ秋になるな……。学君のその一言にどことなく哀愁を感じる。

 そうね……。その思いに寄せてベッキーも寂しそうにつぶやいて見せた。

「じゃあ、きょうはここで。あしたね

「ああ、学校で会おう」

 おやすみなさいは、やわらかいソフトキスと共に。

 あたかも二人だけの世界。此処には学君とベッキーしかいない夢のなか。現実の彼方。

 嗚呼、それってすてきでしょう? そうなのでしょう? まなぶくん 

 ひめ。おててをはいしゃく。

 よろしくてよ 

 さあ、ともにゆかん。ザナドゥのみやこへ

 夢心地からさめる。けれども今日はもうさよならだ。その現実が両者を地面へ叩きつけた。

 

 ハアハアハア……。なぜ? なぜなの? ねえ、どうして学君は行っちゃうの? ねえ! どうして! 

 

 今宵観た枕元の悪夢は騒然だった。けたたましくサイレン音と罵声、それから奇声が交錯する。

 

 嗚呼……、わたし、もうだめ……

 

 朝、目が覚めるとおねしょをしていることに気が付く。

 なんて恐ろしい夢だったの? わたしったら、わたしったら、脳内では悪夢を恐れているのだわ。心のどこかで終焉を感じているのよ。それって悪夢以上の何物でもない。はやく、はやくこの危惧感を消滅しなきゃ! でも、どうすれば消えてくれるというの? マリヤ様、教えてください! わたしはどうすればよいのでしょうか?

 

 彼の前で裸になるのです。一緒纏わぬ姿で彼の胸元に飛び込むのよ。

 

 嗚呼、それはつまり……。セックス? 抱かれるということなの?

 

 そうよ―― あなたは抱かれて抱かれて抱かれ尽くすのよ――

 

 それはつまり?

 

 あなたはバンズに挟まったジャンクハンバーグなのよ―― 

 ジャングジャングジャング…… 嗚呼――♪”

 

 まあ! なんてことなの? それではまるっきり落ちた巫女ではないのかしら?

 

 そうよ―― 

 ジャングジャングジャング…… 嗚呼――

 

 けれども、それもわるくはないわ…… マリヤ様―― わたしは巫女になりますとも―― そうしてジャングジャングジャング…… 嗚呼――

 

 あなたはパラダイスを夢見ているのね―― けれどもそれは実際地獄なのよ―― ジャングジャングジャング……

 

 おねがい! 夢から覚めて! 夢から覚めるの! 嗚呼――

 

 もう終わったことなのよ――

 

 終わってなんかないわ!

 

 それじゃあどうする――

 

 わたしは、わたしは今スグに抱かれたくはないのよ―― 

 そう、それで解決するわ

 

 終わりはないのよ―― ジャングジャングジャング……

 

 いいえ! ジャングはもう終いよ。さようなら、マリヤ様

 

 学校へ登校する。今日は少し色っぽい下着にしてみた。お姉ちゃんから頂戴した代物だ。真紅のシルクにピンクのリボンが付いている。別に特段やりたいというわけではない。セックスをしたいという気分ではなかった。気まぐれの気分転換の様なものだ。学君へこの下着姿を見せるつもりは毛頭ない。言うつもりもない。なのに着けて登校した。

 何故だろう? 本当に只の気分転換でしかなかったのかしら? ほんとうはわたし、すこし期待しちゃってたのではなくて? たとえば校舎のトイレで、だとか。

 このおおきな県道をそこで曲がればスクールゾーン。道幅は半分になる。

 県道の歩道に並んでいた街路樹の姿はなくなり、代わりとして頑丈な白いガードレールが連なっていた。確かに見た目には悪い。しかしながら致し方ないこともあろうに。みんなそう思っていた。ベッキーもそのうちの一人で、安全第一に整備されていることなど説明するまでもなかった。もう、そう言う年頃でもない。

 

「ベッキー!」

 

 学君だ。

 やっぱり今日も朝が早かったのね。もうどうしようもない人 でも、すてき うふふ 

 手をつなぐ。そのまま門を抜けた。立っていた生徒指導の先生は何も言わない。

 お前らは特別だ。朝がいつも早いからな。わっはっはっ! 

 それが先生の言い分だったものだから、校内でもこうして堂々と交際できる。至れり尽くせりだ。

「学君、あのね……♪

 ん? どうした? 

 急に恥ずかしくなる。とてもじゃないが今日の下着はシルクの赤だとは言えない。

 しかもピンクのリボンまでついて……。キャー! どうしよう? 

 考えてみてもしょうがないではないか。着けて来てしまったのは仕方がない事。けれども理由が矛盾していることに彼女は嫌気がさしたのだった。結局、わたしは素直なシンデレラではないのよ……

 

 何もないままに学校が終わる。今日も帰りにいつものパーラーへ寄った。

 ひげ親父の店主の話はいつ聞いても楽しいものがある。今回もこけら笑ってその場を後にした。

 公園へ行くか相談しあう。今日は宿題が多いんだ。そう聞くと、嗚呼、やっぱり学君とわたしは違うクラスなのね。と現実に戻されてしまって、なんだか夢心地の放課後が台無しになった気持ちがした。

「それじゃあ、今日は此処でさよならしましょう おやすみなさい

 余裕のそぶりをしてみせているが、内心、崖下へ転落したように絶望感をかみしめていたものだから、おおよそ両手がプルプルと小刻みに震えた。

 少し寒気のような感覚に落ちやられているような、そんな表情をしているのだろうか? 果たしてどうなのだろう? 学君へはどう映っているの? お願い。しっかりして、わたし……

「まだ明るいからおやすみのキスは無しな。それじゃな!」

 えっ? どうして? どうしてキスをしてくれないの? 嗚呼、ちょっとまって! お願い、学君。わたしに背中を見せないで! 戻ってきて! シンデレラは此処にいるの! もう! どうしてわたしを置いてけぼりにするの? あんまりじゃない! それでは物語は成立しないの! だってそうでしょう? わたしは、わたしは……

 

 こんや、酷い酷い夢を見た。まさに魔物が忍び寄る悪夢そのものだ。

 世界は漆黒の真夜中で、あたかもそこにはベッキーのみ取り残されたようにして酷い孤独を感じた。

 嗚呼、わたし、わたしは此処で息絶えてしまうのだわ。此処で、この世界で死んでしまうのよ。嗚呼、一体、なんてことなのかしら? 純白のドレスを身にまとったシンデレラの結末は、緑色と黒が混じった泥を浴びて死ぬってことなのね? そんなの酷いじゃない! わたしは夢を見ていたのだわ。とてもロマンスグレイなるはかなき夢を。それなのに現実はこうして厳罰をもたらす。叩きつける。どうしてなの? ねえ、おしえて。

 はだしの足元に何やら異変を感ずる。今度は何――? おもう。そんな余裕はなかった。

 この感触はまるでぬくもりのないスライムのようでいてべっとりとしている。それでいて褐色した血液のような臭いがこの空間へ充満し始めていた。

 鼻を突くにおいに思わず怪訝な表情となりながらも思い切りよく足払いをしてみる。しかしながら、べっとりとしたそれは牛糞にたかる銀ハエののようにしてしつこい。払っても払ってもたかってくる。もう! ほんとうにうざい! その一言に尽きた。

 迫りくる恐怖。どうする? どうにもならない。この暗闇の中では想像のみが実態。気持ちの悪いこれは一体何なのか? 思考の先に廻ってきたのは、腐った死体による地獄への道連れだった。

 

 いやよ! そんなのぜったいにいやぁ――

 

 自身が素っ裸の状態だと気が付くころには、全身中、褐色血まみれだったものだから、おおよそ臭いには不自由しない。これでもかというくらいにベッキーの鼻を攻撃しまくる。

 嗚呼、臭い臭いにおいさん。わたしは天性のマゾヒスト。もっと喘ぐ全身を虐めてくださいな そして官能的に感じさせて さあ、やるのよ! やってしまいなさいな! さあ!

 

 痛い――! 

 

 突然だった。

 

 いくつものストロボが真っ暗とした上空から焚かれる。その断片的な光の中で、ベッキーは世にも恐ろしい光景を目の当たりにした。

 

 キャァァァ――! 

 

 み、右の乳首が痛いの……。ねえ、どうしてかしら? どうして得体のしれない生首がわたしの乳首をかみ切ってるの? こんなにも鮮血を吹きだしてしまって、これではあんまりじゃない……。気が遠くなる。

 勃起した左の乳首のほうにも何やら感触を得る。今度もまた生首さんでしょうね……。さあ、次はどなたかしら?

 

 ぎゃぁぁぁ――! 

 

 ストロボに導かれた幻影は、何と赤ん坊の腐った死体である。そいつが思い切りよく乳を吸うようにしてしゃぶりついているのだ。臭い臭い臭い、酷い酷い酷すぎる光景に、ベッキーはもはや完全と意識が遠のいてしまった。白目をむく。口から泡を吹く。失禁した。気を失う。嗚呼……

 

 深夜の三時半。ベッキーの寝室。ベッドの上。白いシーツ上に水状の世界地図が浮かんでいる。失禁の跡だ。痕跡だ。

 目を覚ました彼女は思う。そうか、夢だったのね。それにしてもひどい幻だった。悪夢だった。ベッドから立ち上がり、局地的に濡れた寝間着を脱ぎ捨てる。素っ裸の状態で着替えをタンスから引き出した。しなかった。

 眠い。とにかく眠いのだ。ベッキーは素っ裸の状態から項垂れるようにして床へ横になった。フローリングの床はとてもつめたい。けれども、火照った体にはちょうどよかった。

 寝る、寝る。続きの夢など見やしない。あるのは一秒後に鳴る目覚まし時計の音だけ。熟睡というやつだ。あたかも一秒しか経ってなかったかのように、夜明け時刻はとても早かった。

 

 本格的な秋はとても快適だ。沖縄地方だとなおさらそれに気づく。この時期の起床後は必ず部屋の窓を開ける。明け方に冷やされた朝の空気が、待っていましたとばかりに、弱い北風に乗って入り込む。部屋のぬくもりと外界の冷気とで交じり合った換気は、心地よい按配で全身を包み込んだ。

 ああ、そう言えば、わたし、裸体のままだったのだわね。

 誰かに見られてはいやしまいか? 構わないと思った。

 今日、こんや、わたしは大人の女性となる。どうして? それはね、今のわたしが答えているようなものなの。そうよ、裸のままのわたしが。つまり抱かれるということ? ええ、そうよ。とうとうわたしは学君へ処女をプレゼントするの。彼もきっと童貞君。それをわたしへ与えるのだわ。それってとてもすてきなことでしょう? どこでするの? まさか公園で? 砂場の上でするの? そうよ、砂場の上で脱いでしまうの。もう誰にだって見られても構いやしないわ。わたし、我慢できないの。欲しているのよ。太いペニスを。学君の匂いのするおちんちんを、欲しているの。猫の糞があるのかもよ。別にいいじゃない。糞の臭いなんて最中のアクセントになってよいものだわ。そうでしょう? それは違うと思うな。え? ちがうって、あなたは猫の糞を否定するの? 猫は猫なのよ。どうしてわたし達人間がとやかく言うのかしら? 猫にだって縄張りがあるはずよ。そこでするのだから糞の臭いなんか我慢してしまえばよくなくて? あなたは変態。マゾヒストで変態のベッキーなのだわ。そうよ、わたしは愛液にまみれた学君の肉便器。なんにでもなってやるし何とでもいうが良くてよ。

 

 朝食を済ませてから登校する。何時もの朝、何時もの毎日。異なっていることと言えば、今日も大胆な下着を着けているということ。色はシルクのレッド。ピンクのリボン付き。体育の授業はない。

 今日は何が何でもやってやるんだから! 

 意は決している。

 もうわたし、なんにでもなってやるのよ。なんでもしてみせるの。それがたとえばボルチオだったとしても。胃液を吐き出しながら、いいえ、心臓から血を吐こうとも学君のペニスを咥えこんで魅せるのよ。それから彼の顔を見つめるの。どう? とても素敵なおしゃぶりでしょうって。うふふ

 

 今日は授業に身が入らない。考えていることと言えば砂場上のセックスのみだ。

 したいしたいしたいの、わたし……。嗚呼、今すぐにしてしまいたい……

 結果、授業を抜け出して女子トイレでオナニーをしてしまった。とてもとてもくさいオナニーを、したのだ。それに何の意味もなさない。何の欲求解消にすらならなかった。

 指をかき乱せばかきむしるほどに、余計に学君のペニスが欲しくてたまらなくなる。欲求未解消というやつだ。

 もう、どうして? どうしてもっともっと欲しくなるの? やだ、もう指が止まらなくなっちゃう……

 結局、ベッキーはオナニーで潮を吹いた。アクメは膣を便器外へと向けさせ、潮はバババとばかりに激しくトイレのドアをノックした。突き刺さったのだ。

 

 嗚呼、子宮が熱い……。熱くてたまらないの……。いっくぅ――! いっちゃう! 嗚呼――

 

 聖母マリヤ様、ごめんなさい。わたし、マゾヒストのベッキーはこの汚い女子トイレでアクメを迎えました。でも、でも、とっても気持ちがよかったのです。ほんとうです。けれどもそれは神の意向に反しているということなのよね? ねえ、そうなのでしょう? マリヤ様。わたしは、わたしは、もう元には戻れません。引き返したくはないのです。たとえ本当に学君の肉便器と化したとしても、私の心のどこかは、片隅は納得がいっているのです。本望なんですよ、マリヤ様。

 

 剃毛している恥部をトイレットペーパーでぬぐい、シルクのパンティーを上げる。スカートのホックをつければ清楚な学生へ元通りだ。抜かりはない。このことは誰にも見つかってはいけないのである。便器の水を流す。潮で濡れたドアをひらいた。

 

 最近の放課後はさいしょから学君と二人きりだ。親友の梓は気を利かして別の友達と帰宅していた。

 今日もパーラーへ立ち寄る。此処のコニードックは何度食べても飽きが来ない。それからそれから怪談話。ひげ親父マスターの話術は非常に巧みで好感が持てる。

 今日も運タマギルーの話かしら? けれども何度聞いても面白い話だわ。マスターったら話すたびに少し物語をいじるんですもの。それがたまらなく好き。うふふ

 

 腹ごしらえを済ました後はいつもの公園だ。コンクリートでできた木模様のベンチへ二人して腰掛ける。寄り添うように。寄り添って。この瞬間から世界はメルヘンチックだ。まるでクリスマスのイルミネーション祭をしている広場のように、煌びやかで、温かみがあって、愛が溢れていた。沖縄に雪など降らないけれども、さむい! さむい! と発して腕へ抱き付き、思い切りよく自身のバストをこすり付けて求愛する。

 ねえ? あなたは幸せかしら? もちろん至福の時でしょうね。うふふ だってわたしのおっぱいを一人占めできるのはあなただけなんですもの。当然だわ。そうなのでしょう? 本当は陰湿で陰険で臭い学君 そんな貴方がわたしは大好きです

 

「今日はベッキーに大事な話がある」

 

 え? 突然なに? もしかしたらセックスがしたいってこと? そのことをはなしたいの? それならあそこのむこうの砂場へ行きましょう 

 なんてことは言えない。しかし気になる。学君がきまり悪そうに発したからだ。

 若しかしたら悪い知らせなのかもしれないわね。ねえ、学君。お願い、わたしを泣かせるようなことはしないで。あなたは明日銀行強盗でもするつもりなのでしょう? それともスーパーのレジ強盗かしら? いえ、ちょっとまって。学君がそんなことするわけがないじゃない。じゃあ、なに? これから全裸で公園内をダッシュすると言うことなの? そんな大それたこと、わたしは許しませんよ。これからわたしは学君のお母さんです。さあ、母乳を口いっぱいに含んで乳首をいやらしくお舐めなさいな。飲み干してしまいなさいな。さあ!

 

「今日のために詩を考えておいたんだ。聞いてくれるか?」

 

 え? それって、散文詩による恋文? 学君ってすごい! そんな才能あったんだ? なんだかとっても素敵 いいわ、聞かして

 

新しい朝

新しい昼下がり

新しい夜

新しい君がいて

新しい僕がいる

毎日は当たり前にあるけれど

一つ一つは新鮮で

必然という奇跡でもある

僕は裸の君を抱きしめたい

それがひとつになると言う事だから

愛している

 

 何と言えばよいのだろう? この詩へたどり着くまでに浮き足立っていた自分が恥ずかしく感じる。ベッキーは何だか落胆に似た失意を自身に感じた。

 だって、そうでしょう? 学君はこうしてメルヘンチックに、それでいてクールにジェントルマンで、なにげなく、さりげなく、求愛を迫っているの。それなのにわたしったら、砂場でセックスだとかシルクのパンティーだとか。しかもあれでしょう? 猫の糞まで想定内であって、その匂いも素敵ね だなんて……。本当に頭がどうかしちゃったのかしら?

 

「こんど、俺の部屋へ来ないか?」

 

 え――? 思う。

 今夜ではないの? この場所で今すぐにやると言う事ではなかったの? ちがう……。やだ! わたしったら本当に頭がどうかしちゃってたのだわ。反省しなきゃ。反省するのよ。ごめんなさいマリヤ様! ごめんなさい学君!

 

「どうなんだ? 来てくれるのか? 来てくれないのか? おしえてくれ」

 

 勿論、答えはイエス。ベッキーは一心に思う。

 少しふらふらする。この場に酔ってきたのだろう。感情が高ぶりすぎて眩暈がするのだ。こんなことは生まれて初めての経験。オナニーで感情を高ぶらせるのとは少しだけ異なる。あれは孤独感があり惨めに敗北宣言するのだが、こちらといえば歓喜と至福による極まりが満ちている。

 英語でそれをベリーベリーハッピーというのでしょうね。わたし、とっても幸せよ。

 

 学君がキスを迫る。ソフトのほうなのか、リープのほうなのか、そんな事はどうでもいいと思った。逞しさの中にある柔らかい唇と完全に火照ってしまった熱い唇がひとつになるとき、果たして夢の中ではどんな心地よさなのだろうか? ザナドゥとはいったい――? 真っ白になる。むしろ、桃色の薄紅だった。闇夜が明るい。此処だけ明るいのだ。眩しく光っている、交わしている唇より、ハイビスカスのように真っ赤な舌の中から、暖かい光を発している。ベッキーは思う。それはどういうことなの――? 

 まぶたを閉じて、鼻で息をして、無我夢中に舌を絡めた。やがて喉を通ることのないふたりの唾液が唇の端からそそる。かまいやしない。構わないとさえ思った。

 嗚呼、学君の舌って、ブルーベリーのような味がしてすごく美味しい……。彼はもしかしたらガムを噛んでいるのかも? それについては先ほどから二人で噛んできたことではないか。なにをいまさら。そう、そうよ。わたしだって学君からいただいたチューインガムを噛んでいるのだものね。ほんとうに、ほんとうに、おいしい……

 

 ふたりは横倒しの状態になる。若い男女の事だ、あす明後日まで我慢できるわけがなかった。今すぐにしてしまおう、ここで。この場所で。このベンチの上で、しよう。

 嗚呼、わたし、わたしはとうとうたどり着いてしまうのね。こうして、こうやってブラから桃色の、学君だけの乳首を覗かせてしまうのだわ。それから、そこのシルクのパンティー色に彼は果たして気が付いたかしら? そう、そうよ。わたしのきもち、その色にはわたしの純粋な気持ちが込められているの。さあ、学君。共にザナドゥの泉を泳ぎましょう 

 

 しかしどうしてだろうか? どうしたものか、行為の一つ一つに鞭打ちの様に痛みをなす。

 痛い、痛いわ。学君。いくら慣れていないからって、そんなに乱暴にしないで。おねがい、もっとやさしくして……

 突然、涙が溢れてきた。何故だろう? わからない。全く分からないのだ。

 これは歓喜の涙かしら? それとも痛みに耐える涙なのかしら――? 

 身も心も揉みくちゃになる。

 一瞬、白熱球が光を弾くようにして世界が真っ白になった。

 

 こ、これは――! 

 

 嗚呼、聖母マリヤ様。わたし、わたしは、とうとうなってしまったのですね。そう、わたしは到底たどり着けないと思っていた極みに満ちた大人の女になりました。マリヤ様、それからイエスキリストさま。あなたがたに心から感謝します。それから! それから、ありがとう。学君……

 

「今週の土曜日に、だいぶ遠く離れた中部へ引っ越すんだ」

 

 え――? 何をいきなり。おもう。一体、この人は何を発しているのだろうと。そう思った。続きがある。

 もう少し早く話しておきたかったんだけれど……。中々な、話せなくて……。でも、思い出が作れて本当に良かったと思っている。おれは、俺はお前の事、一生忘れないからな。ほんとうに、本当にありがとう。

 夢心地から鍼山の崖下へ叩き落された心境だ。我に返る。

 ちょっと、ちょっとまって! どういうこと? それってどういうことなの? 嫌よ、そんなのぜったいにいやぁ――! そうか、あの時流れた涙は、この瞬間を察知していたということだったのね? そう、そういうことなんだ……

 

 山間から冷たい北風が舞い込む。とても信じられないほどに凍てついた。寒かった。哀しかった。突然、急激な睡魔に襲われる症状を覚えた。どうしてだろう? こんなところで気を失ってしまうだなんて。ベッキーはまるで冬眠する野兎のように、心を寂しくしながらスッと呼吸をやめ、遂には息絶えてしまった。

 



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