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プロローグ

 塀の上に、一人座っていた。

“あなたの名前は、何ですか?”

尋ねると、それは答えた。

“広く、ハンプティ・ダンプティと呼ばれているよ”

  と。

“広く?”

  そう疑問符を投げかけると、ハンプティ・ダンプティは言った。

“僕が、誰であろうと君は構わないし、関係のない話だね”

 次に、ハンプティ・ダンプティにこう聞いた。

“何故、塀の上に座っているのですか?危ないですよ”

  ハンプティ・ダンプティは答えた。

“僕は、塀の上が好きなんだ。危ないかどうかは、君個人の見解だろう”

  と。何も言えないでいると、ハンプティ・ダンプティは続けた。

“君は、塀の上に座っている僕に興味を抱いた。それは、僕が君にとって、きっと君達と違う奇怪な行動を取っている様に見えるからだろう。例えば僕が塀から降り、君の後ろを歩いていたのだとしたら、君は僕になんの興味も示さなかっただろうね”

  実に面白い主張だと思い、ハンプティ・ダンプティに質問した。

“あなたは、私達と同じだと言いたいのですか?”

ハンプティ・ダンプティは答える。

“相違はないよ”

  やはり滑稽な返答だと思った。

“あなたは、何者なのですか?”

  問う。

“さっきも言ったけど、僕が何者であろうと君は構わないし、関係のない話だろう。君は僕が何者なのか知って、どうするつもりなんだい?”

  と、ハンプティ・ダンプティ。

  返事に困っていると、ハンプティ・ダンプティは、一人続けた。

“僕は君に対して、何も関心がなかった。何故なら、君も他の人達と同様に、僕の足元を僕に気付かず通り過ぎて行くだけだと思っていたから。だが、さっきから君はなんだい?僕に対して質問ばかりするじゃないか。僕に気付いただけでは飽き足らず、疑問ばかりだ。たまには、今日の天気についてだとか、今朝焼いたクッキーの出来がどうだったとか、そんなつまらない話をしてみたらどうなんだい?”

ハンプティ・ダンプティ、本当は饒舌なのかも知れない。

“今朝、クッキーは焼いていないけれど、あなたが饒舌なのはよくわかりました。そして、傲慢だという事実もね”

  ハンプティ・ダンプティが、悲しそうな顔をした。

“君は、もう僕が塀の上に居る理由を知ったじゃないか”

  最後まで、ハンプティ・ダンプティは傲然たる態度を崩さない。

 

 塀の下に、一人座っていた。

“あなたの名前は、何ですか?”

  尋ねると、それは答えた。

“広く、ハンプティ・ダンプティと呼ばれているよ”

  と。

“広く?”

  そう疑問符を投げかけると、ハンプティ・ダンプティは言った。

“君は、もう僕が何者なのか知ったじゃないか”

  ハンプティ・ダンプティは、続けた。

“君は、僕が塀の上に座っている時だけじゃなく、僕が塀の下で座っている時にまで、疑問ばかりだ。しかも同じ質問ばかりする。たまには、明日の天気についてだとか、明日焼くケーキの種類についてだとか、そんなつまらない話をしてみたらどうなんだい?”

  ハンプティ・ダンプティも変化のない主張ばかりする。

“やはり、あなたは私達と相違ないのですね”

  ハンプティ・ダンプティは、哂った。

“僕が君達と相違ないかどうかは、君個人の見解だろう?”

  ハンプティ・ダンプティは、相変わらず傲慢だ。

“あなたが塀の上に座っている時、あなた自身が私達とあなたは相違ないと言ったんですよ”

  抗議すると、ハンプティ・ダンプティは、こう返した。

“それは、ハンプティ・ダンプティ個人の見解だ。じゃあ、君は何故僕が塀の下で座っていると思うんだい?”

  返事に困っていると、ハンプティ・ダンプティは、構わず続けた。

“ハンプティ・ダンプティが、ハンプティ・ダンプティであるのは、塀の上にいたからなんだ。僕は塀の下に来て、ようやくその事に気が付いたんだ。だから僕の言う相違ないと、君が言う相違ないは、相違あると言う事なんだよ。だから、質問の答えはね、僕がハンプティ・ダンプティでなくなったという事実に繋がるんだ”

  ハンプティ・ダンプティの傷を指差す。

“あなたは先程、あなた自身のことを、広く、ハンプティ・ダンプティと呼ばれているよ、と答えたじゃありませんか?”

  ハンプティ・ダンプティが、困った顔をした。

“ハンプティ・ダンプティという固有名詞が僕を指すと言うのも、真実の一つだからね。ハンプティ・ダンプティがハンプティ・ダンプティで無くなった時の固有名詞を、僕はまだ知らないんだ”

 展開は、ハンプティ・ダンプティが塀の上にいようとも、塀の下にいようとも変わらないなと思った。

 

 ただ一つ変化があるのだとしたら、ハンプティ・ダンプティは壊れてしまったんだという真相だけ。

 ハンプティ・ダンプティは塀の下に居たのではなく、塀の上から落っこちてしまったのだ。

  ハンプティ・ダンプティは、塀の上から落っこちて、壊れて初めて、明日の事を気にするようになったのだ。

  ハンプティ・ダンプティは、塀の上から落っこちて、壊れて初めて、ハンプティ・ダンプティはハンプティ・ダンプティだけの世界だったと気が付いたようだ。


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MISSION 1

 

 

 パープルアイと名乗る人物から、入社希望があったとのこと。

 

 

 そのパープルアイなる人物の入社試験の為、俺、正しくは俺達二人は今まさにN空港の某カフェにて、珈琲を飲みながら時間潰しの最中だった。この店の看板である男か女かわからない人形の顔が緑の円の中で、にんまり笑いながらお客を見下ろしている。

 

「そろそろ現れるんじゃないかな?飛行機は、予定通り到着しているみたいだから」

 

 俺の若干斜め前に腰掛けた男、永塚要(ながつかかなめ)が、キャラメルフレーバー珈琲を飲みながら呑気に言った。パープルアイとは、このカフェで待ち合わせらしい。

 

「稲葉(いなば)、君はパープルアイについて知ってる?」

 

 永塚は、つまらなさそうに、そう問うた。

 

「さぁ?」

 

 大して知り得ない。俺の貧困な情報量では、答えるにも面倒な質問だった。

 

「今から十数年前、露国の小さな村で、虐殺があったんだ。奇跡的に生き残ったのは、子供一人だけ。強盗目的の殺人だったようだけど、あまりにも困窮な現状に、被害が大きくなったんだと言われているよ。その生き残った子供が証言したのが、村を襲ったのは紫の眼を持つ男だった。というもの。パープルアイと呼ばれる由来だ。けれど、その証言すら今は危うくも遠い昔話だし、その子供も、保護されて直ぐ行方不明になったそうだよ」

 

 暇潰しついでに、尋ねてもいない永塚のパープルアイ談に、耳を傾けた。そして、返事代わりに一言呟く。

 

「殺人鬼ってやつか」

 

「そう、殺人鬼ってやつだね」

 

 殺人鬼様が、就職活動とは。世の中どれだけ不景気なんだ。

 

 その、パープルアイなる殺人鬼を社員に迎えようとする、クレイジーな会社の諜報部に配属しているのが俺達である。

 

 今回、会社からはこのパープルアイの入社試験を指示されている。諜報部と言えど、会社の裏側で働く人材が少ないので、諜報活動以外の仕事もさせられるのが現実だ。

 

 ハンプティ・ドロ。が、会社名だ。卵に手と足を生やしたシュールな金ピカ男が、シルクハットを被り、ステッキを片手にスキップするマスコットキャラクターを売りにしている。ハンプティとは、ハンプティ・ダンプティからの拝借であり、文字通り卵男と謎掛けを意味する。そして、ドロはイタリア語で金の意味を持つ。直訳すると、金の卵男だ。

 

 金というだけあって、この会社は金に関する商売を生業としている。ここで言う金とは、ゴールドではなくマネーの方である。自社で開発した、株、為替のトレーディング解析ソフトの販売、株、為替のレート情報や手数料等のサービスキャンペーンに関するメールマガジン配信サービス、検索エンジン、広告サイトの運営、有価証券の売買、投資ファンド。ざっと挙げると、こんなところである。

 

 俺が珈琲を飲み終えたタイミングで、スーツケースを手にした小柄な女が、俺達の前に現れた。クラッシュデニムに、鎖骨の大きく見えるルーズシャツ、赤毛のパーマ掛かった髪を後ろでアップに纏めている。顔に似合わない大きなサングラスを少しだけずらしながら、女は赤いグロスを塗った唇を開いた。

 

「貴方達、ハンプティの方?」

 

 永塚が「えぇ」っと頷くと、女は自己紹介を始めた。

 

「パープルアイ。シルバー・フォックスと申します」

 

 永塚と俺は、視線を合わせた。噂上、パープルアイは男ではなかったか。

 

「ハンプティ・ドロ。永塚要です。こっちは、稲葉剣悟(いなばけんご)」

 

 フォックスと握手をした。指に残る幾つかの硬い跡から、この女が曲がりなりにもパープルアイである可能性は否定出来なさそうだ。

 

 N空港から、車で一時間弱。

 

「来て早々悪いが、あんたの入社試験だよ」

 

 とある高級マンションの前で停車した。

 

「履歴書って必要かしら?」

 

 履歴書が書けるくらいなら、もっと別の仕事を探したらどうなんだと思う、俺の心情を察したのか、フォックスはつまらなさそうに「冗談よ」と、付け足した。

 

「稲葉と二人、ターゲットと示談しに行くんだよ」

 

 と、永塚。

 

 俺は車から降りると、トランクから営業鞄と黒いトレンチコートを取り出した。フォックス側のドアを開け、彼女に降りるよう指示を出しながら、トレンチコートを投げ渡した。

 

「これを着ろ」

 

 フォックスは、車から降りると、大人しくそれに従った。

 

「ついてこい」

 

 俺は、ぶっきらぼうにそう言うと、高級マンションの中へと入っていった。

 

 オートロックの、部屋番号と呼び出しボタンを押す。

 

『はい』 

 

 案の定、初老男の声がした。

 

 ターゲットと考えて良いだろう。本日有給休暇にて、家族の出払った部屋で一人の時間を堪能中。趣味は、自宅での映画鑑賞と読書。いつも映画鑑賞には近所のレンタルDVD屋を利用しているし、読書には同じく近所の図書館を利用している。午前中は、レンタル屋に行き、帰りに図書館に立ち寄る。家族がいない日は、行きつけのラーメン屋で昼食を済ませてからの帰宅。そして、ターゲットの部屋の玄関に設置された、テレビドアホンは、一週間程前から壊れて映らない。全て調査済みだ。

 

「こんにちは、お忙しいところ失礼します。私、Y保険会社の坂田(さかた)です。新山(にいやま)様が加入している生命保険の事で、ご提案がありまして、近くを通りかかったので寄らせて頂きました」

 

 何の疑いもなく、オートロックは開けられる。ターゲットの部屋の前に着くと、フォックスに呼び出しボタンを押させた。チャイムが鳴ってから、その余韻が消えない間に、扉は開かれる。扉を開けた初老男は俺の顔を見、驚きのあまり目を見開いたまま開けた扉を閉めようとして止めた。俺の突き出した拳銃に気付き、俺達が部屋の中に入ることを受け入れたのだ。

 

 やはりターゲットであった初老男は、両手を挙げながら俺の突き付けた拳銃の先を見つめ、後退りながらリビングへと入っていった。

 

「殺すのか?」

 

 と、震える唇で声を出し、ソファの端に足を引っかけ、派手に転んだ。

 

「否、死んで貰うんだ」

 

 俺が言い終わるのが早いか、新山の額から血が吹き出し、奴は白目を剥きながらひっくり返った。

 

「これで、いいかしら?」

 

 俺は返事の代わりに、口笛を吹いた。

 

 フォックスは、サイレンサーの取り付けられた銃を手慣れた手つきでバッグの中へと片付けた。

 

「永塚、入社試験は終わりだ」

 

 車に戻ると、俺は永塚に告げた。

 

「それで」

 

「合格」

 

 永塚が会社に連絡を取ると、会社から今度はフォックスを再びN空港へ送れと指示があった。フォックスにもなにやら会社からの指示が来たようで、彼女は面倒そうな顔でスマホを確認していた。

 

「ところでさ、さっきの仏さん。どーなるの?」

 

 N空港に着く少し前に、フォックスが聞いてきた。それに、永塚が答えた。

 

「会社が掃除に来るんだよ」

 

「ふうん」

 

 自分から聞いといて、興味なさそうに返事をするな。

 

 

 翌日、俺達はニューオーリンズに移動するよう指示が来た。そこで次の指示を待てとの事だった。

 

 


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