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三 桜三月散歩道

 

「どうだ。入力の方は順調か?」

 

 博士は研究員に向って問い掛けた。

 

「はい。予定通りに進んでいます」 

 

 これまでパソコンの画面を凝視していた研究員が顔を上げた。

 

「期限は、二月末までだぞ」

 

 博士の声は相手の意見を聞き入れようとしない強い調子だった。

 

「わかっています」

 

「我が国に与えられた期間は三月の一か月だけだ。この期間中に、新地球に移動しなければならない。そうしないと、我が国の国民全体が新地球にいけなくなってしまう。そうなれば、新地球では、我が国の国民のDNAが存在しなくなってしまうのだ。よりすぐれたDNAを新地球に送るためにも、この選抜システムが必要なんだ」

 

 博士は研究員のパソコンの画面を一瞥した。

 

「わかっています。ですが、何故、三月にしたのですか。この国では、三月は、学校の卒業シーズンであり、会社を始め、大学や高校の進路が決まる大事な時期で、特に慌ただしく、かつ、バタバタしていて落ち着かないじゃないですか」

 

 研究員は大きく頷きながらも、ふと疑問を口にした。

 

「だからこそ、三月にしたんだ。君も知っている通り、我が国において三月は、別れの時期でもあり、出会いの時期でもある、四月からの新たな人生の始まりに向けた重要な助走期間なんだ。この助走期間中に新地球に行くんだ。四月からは、新地球で、選抜された国民のみが新たな生活を送ることになる。これまでの過去を捨てて、新たな未来に生きていかなければならない」

 

 博士は自明のこととばかりに、窓から、この研究室からは見えない新地球の方向に顔を向けた。

 

「この地球を、この国民を捨てるんですね」

 

 男は洟をかむとティッシュをごみ箱に投げた。ティッシュは勢いが弱いのか、ごみ箱に届かずに手前に落ちた。

 

「よいしょ。面倒くさいなあ」

 

研究員は椅子から立ち上がった。

 

「だから、何事も一発で決めないと後が大変なんだ」

 

「わかっていますよ」

 

 研究員はティッシュを拾うとごみ箱に入れた。

 

「それに、捨てるんじゃない。さよならするだけだ。蝶がさなぎの殻を破って、羽を広げて飛び立つだろう。その後には、さなぎの殻が残るじゃないか。その殻と同じだ」

 

「つまり、この地球と選ばれなかった国民は、さなぎの殻と同様に用済みだというわけですね」

 

 研究員はティッシュを一枚取ると鼻に押し当てた。

 

「いや、用済みではない。自転が遅くなり、地球の気候は大きく変動していっている。この地球の最後の最後まで、我々は研究を続け、地球を見守り続けなければならない。それが、人類が数十年万年以上もお世話になったこの地球に対する我々の敬意だ。そして、その最後に、人間たちがどういう行動するかも記録する必要がある。その研究成果を新地球に活かすのだ」

 

「結局、地球も選ばれなかった国民も実験材料に過ぎないではないのでしょうか」

 

 研究員は、再び洟をかむとティッシュを思い切りごみ箱に投げた。今度は、ティッシュはごみ箱に命中した。博士は大きく頷いた。

 

「そうかもしれない。だが、今、政治も経済も混乱し、私利私欲まみれの政治屋や商売人どもはあてにできない。唯一、冷静にかつ客観的にこの事業を進められるのは我々科学者だけなのだ」

 

博士は新地球を見つめていた目を閉じて、静かに瞑想の時間に入った。そんな博士の姿を見て、研究員が入力する手を止めた。

 

「博士。私たちが選ばれないこともあるのでしょうか?」

 

目を閉じていた博士が目を開いた。

 

「君の入力に間違いがなければ、大丈夫だ」

 

その頃。街では。

 

「噂でが、新地球には、選ばれた者だけしか行けないそうだ」

 

「じゃあ、選ばれなかったらどうなるんだ。そのまま、この地球に残されるのか」

 

「こんな暑いところには住めないわ。灼熱地獄よ」

 

「移動するしかないのないのか」

 

「いや、地球の反対側は、凍りつくような寒さだそうだ」

 

「そんなところへは行けないわ」

 

「じゃあ、このまま蒸し焼きになるのか。それが嫌なら氷漬けか」

 

「政府はどうなっているんだ」

 

「政治家はどこだ」

 

「大統領を探せ」

 

「俺たちも新地球に連れて行け」

 

「自分たちだけ助かる気つもりか」

 

「政治家や政府の役人たちは最後の列車に乗れ。高齢者や子供たちを先に移住させろ」

 

立て看板やスピーカーを持った群衆が街を練り歩く。最初のうちは、十人ばかりであったが、次第に、数十人、数百人、数千人と磁石に引っ付く砂鉄のように大きな塊となっていく。国会議事堂や政府の官庁舎を取り囲むデモ隊。

 

その頃、政府内の首脳陣の部屋では。

 

「群衆を何とかしろ。これでは俺たちが銀河列車に乗れないではないか」

 

「まずは、有識者が新地球に行くべきだ。あいつら群衆が行っても、新地球の秩序は保てない。役に立たないぞ」

 

「役に立たないどころか、足を引っ張るだけだ」

 

「そうだ、その通りだ」

 

「じゃあ、どうする?」

 

「新地球は、まだ、不完全な状態なので、まずは、その状況を把握するために、政府関係者が、安全を確認するために行くというのはどうだ」

 

「そんな新地球になんか行きたくないな」

 

「真に受けるな。嘘も方便だ。そうしないと群衆は納得しないからな」

 

「科学者によると、銀河列車は何回も往復するけれど、どれくらい耐性があるかわからないそうだぞ」

 

「じゃあ、急がないと。選良民の俺たちだけでも生き残らないといけないな。そうしないと、我が国の国民が一人残らず滅びてしまう」

 

「それじゃあ。国家滅亡じゃないか」

 

「誰か、群衆を説得しないと」

 

 烏合の衆の視線がこういう時だけ一点に集中する。

 

「仕方がない。大統領の私が説得しよう」

 

大統領と名乗った男は、首脳陣の視線を受けながら会議室を出た。その後ろを確認するかのように首脳陣がついて行く。大統領は中庭に面した三階の廊下の窓ガラス越しから、これまでの人生で最高の笑みを浮かべながら、ゆっくりと手を振りながら、群衆たちに演説をした。

 

「国民の皆様、安心してください。皆さん全員が新地球に行くことができます。誰も、この地球に残ることはありません。ただし、まだ、新地球は稼働して間もないため、安全性が保証されていません。ですから、まずは、それを確認するために、代表者が先に行く必要があります。そのため・・・」

 

その演説を聞き終わらないうちに、中庭からあふれんばかりの群衆たちがこれまで以上に騒ぎ出した。

 

「嘘をつけ」

 

「自分たちだけが新地球に行きたいんだろう」

 

「俺たちを見殺しにする気か」

 

 大統領に向って、卵や石や小銭が投げられた。だが、強化ガラスの窓のため、大統領の顔には直接当たらない。卵は、大統領の顔の目の前で割れると、殻がぐしゃっとつぶれ、中から黄身と白身が一生混じることはないかのように、それぞれ分かれて垂れていった。

 

「いかん。群衆どもは、こちらの手の内を読んでいるぞ」

 

「群衆のくせに、少しは知恵が回るようだな」

 

「とにかく、説得の作戦は失敗だ。他の手を考えよう」

 

 大統領を始め、首脳陣は会議室に移動した。そして、窓ガラスにぶつけられた卵が割れるのと同時に、この騒ぎは街中に飛び火した。

 

「大変です。暴動です。市民たちが街で暴動を起しています」

 

「今までなら、声を上げるだけだったのですが、石を投げ、商店街の窓ガラスを割り、勝手に商品を略奪し始めました」

 

 秘書官たちが慌てて報告する。首脳陣が、ああでもない、こうでもないと結論を出さずに、会議を躍らせている間に、状況は着実に悪化していったのだ。

 

「何、すぐに機動隊を派遣しろ」

 

首脳陣の一人は、そんなことは自分たちで解決しろと言わんばかりに部下を怒鳴りつけた。

 

「駄目です。機動隊も、自分たちを先に新地球に移転させろ、と、群衆たちと一緒になって行動しています」

 

「それなら、軍隊を出動させろ」

 

「軍隊も微動だにしません。自分たちの移転の順番が明確になるまで、新地球行きが保証されるまで、命令には従わないそうです」

 

「軍隊、お前もか・・・」

 

大統領を始め、首脳陣は、自分たちでは何もできずに、口をあんぐりと開けたまま立ち尽くすのみだった。

 

「それならもういい。我々だけでも、先に新地球に移転するのだ」

 

首脳人の一人が名案を思い付いたかのように、ほくそ笑んだ。

 

「そんなことをすれば、市民たちが余計に逆上するぞ」

 

「なあに、ここには、我々の身代わりを置けばいいのだ。こういう時のために、身代わりのロボットを作っていたのだ。そして、移転先の新地球からこの身代わりロボットを遠隔操作すればいんだ」

 

「それはいい考えだ」

 

 市民を鎮める方法には答えを出せなかったものの、自分たちの身の安全に関しては、答えを出すのは早かった。

 

「さあ、いくぞ、ぐずぐずしていたら、俺たちも新地球に行けなくなってしまう」

 

首脳陣は官邸の裏から抜け出した。その時だ。官邸の空の上に、轟音とともに銀河列車が飛び立っていった。

 

「あれは、俺たちが乗るはずの専用の銀河列車ではないのか」

 

「そんなわけはないだろう」

 

首脳陣は当惑したまま、互いに顔を見合わすだけだ。その時、再び、秘書官が慌てて報告する。

 

「大変です。銀河列車が乗っ取られたそうです」

 

「何だと。軍隊が警備していたのではないのか」

 

「その軍隊の一部の者が暴動の民衆と一緒になってクーデターを起こし、銀河列車を発進させたそうです」

 

「なんということだ」

 

首脳陣たちは希望に満ちた空を絶望の気持ちで見上げる。

 

「こんな時のために、専用機はもう一台あるはずだ」

 

「とにかく、駅に急ごう」

 

 すると、再び、銀河列車が空に向かって飛ぶたった。

 

「あれは、予備の専用機じゃないのか」

 

「予備機さえも奪われたのか」

 

 首脳陣の駅へと向かう足が止まった。その時だ。空が爆音とともに、急に明るくなった。銀河列車が二機ともに爆発したのだった。

 

「何と言うことだ・・・」

 

首脳陣たちはそれ以降の言葉が続かなかった。あの専用機と予備機には自分たちが乗るはずだったからこそ、驚きは倍増した。

 

「どうしたことだ」

 

ようやく我に返った首脳陣の一人が秘書官に尋ねた。

 

「予期せぬ爆発です。あの爆発の様子では、爆弾でも仕掛けられていたのでしょう」

 

「何故だ」

 

「暴動の一味が、政府関係者に反発したのかもわかりません」

 

「よかった。あれに乗らなくて」

 

「だけど、俺たちが新地球に行く手段はなくなったぞ」

 

首脳陣は、銀河列車の爆発で真っ暗になった空をじっと見つめていた。

 


この本の内容は以上です。


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