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まえがき

  

 現在、あふれかえるほどの本が出版されています。ドキュメンタリー・小説・随筆・伝記などジャンルはさまざまです。また、日本人が出版したもの、外国人がその母国語で出版したもの、また、つい最近刊行されたもの、書かれて1千年以上が経過するものなどいろいろです。 

ところで、芥川賞・直木賞などを受賞した作品には、何百万部も売れ、ベストセラーにもなるものもあります。現代の日本のこれらの作品を読み感動することはすばらしいことだと思います。一方、長い時代をとおして人々に読まれ続けてきた「世界の名著」と呼ばれるものを手に取り読むこともまた大事なことだと思います。「世界の名著」といえば、学生時代に世界史や倫理の授業で著者と作品名を覚えたことを思いだす人もいらっしゃることでしょう。例えば、ダンテの『神曲』、ボッカチオの『デカメロン』やギリシャ思想のところでは、プラトンの『ソクラテスの弁明』や『饗宴』などがそうです。しかし、これらの本を実際に読んだことのある人はどれぐらいいらっしゃるでしょうか。今でも著者とタイトルは覚えているが、その内容は全然分からないという人がほとんどではないでしょうか。無理もないことだと思います。仮に書店の訳本コーナーでそれを見つけて、ページをめくってみても、その内容が分かりにくく面白く読み進んでいけないからです。翻訳者が原文に忠実に翻訳しようとして、訳本の内容をかえって複雑にしてしまったり、専門的訳語を使うことにこだわったりするために、一般の読者が読むにはあまりにも難解な訳本に仕上がってしまっているからです。語学に習熟して原文を直接読める人は、原文では理解できるのに訳本となるとかえって分かりづらくなるという話を聞いたことがあります。 

 そこで私は、著者の本の内容をできる限り変えずかつ大胆に、われわれが通常耳にする日本語を使い、簡単に読める内容に改めました。完訳本を読んだと同じぐらいの理解と満足感を短時間で得られるように努めました。通勤・通学の電車の中でも気楽に読め、頭に入るものをめざして書きあげました。まずは、読むことによって、過去の偉大な思想家の著書に直接ふれてそのすばらしさを味わっていただきたいと思います。-誰でも読めるシリーズ-として順次刊行していきますので、どうぞ手に取ってお楽しみいただければ幸いです。  

 

 

 


 先日、道を歩いていたら、ある一人の知り合いが、「おい、ちょっと待ってくれよ」と、後ろから声をかけてきた。そして続けて彼は「ソクラテスが出席していたという宴会の様子を教えてくれ、とくにそこで愛について語り合ったと聞いている。是非その場の詳しい状況を知りたいんだ」と言ってきた。そして彼は続けて、「君以外の人からその時の話の中身を多少聞いたが、要領を得ない。そこでその宴会には君も出席していたと聞いたので、是非その時の様子を詳しく知りたいと思い声をかけたんだ。確かに、君はそこにいたんだよな」と言ってきた。
 そこで私は「ずいぶんいい加減な話だな」と言い、続けて「その宴会は相当昔の話で、その出席者には今はもう死んでしまった人もいるし、その頃、ぼくはソクラテスとは何の関わりもなかったんだよ。第一、ぼくの子供の頃の話だから、自分はその宴会になど出ていないんだ。だからぼくが話せるのもあくまで聞いた話に過ぎないよ。ただ、その宴会についての話の中身は、ソクラテスの熱烈な敬愛者から聞いたものであり、後にぼくがソクラテス自身に確認し、彼が真実だと言っているから、間違いはないと確信しているよ」と答えた。すると彼は、「それなら、道すがらでいいからその話を聞かせてくれ」と言うのでぼくは、歩きながら彼にその宴会の状況とそこでなされた愛についての話を始めたのだ。
 その話を今からここでしようと思うんだ。宴会自体はかなり昔のことではあるが、つい最近道すがらその人に話したことなので、ここであなたがたに話せるだけの準備は十分にできていると思うよ。君たちがこの話を聞くことを強く望むなら、ぼくは報酬などなくても喜んでこの話をするよ。ぼくにとって、愛について語ることは、うれしくてたまらないことなんだ。たとえば、これが金儲けの話などなら全くもって話題に触れることさえいやなんだがね。「それなら是非聞かせてくれよ」と彼らが言うので、「これはその宴会に一緒に出席したソクラテスの弟子から聞いた話なのでそのつもりで聞いてくれ」とことわってぼくは話しを始めた。

 ある日私は、身支度を整え靴をはいているソクラテスに出会った。ソクラテスにしては珍しいことなので私は彼に、「どこに出かけられるのですか」と尋ねた。するとソクラテスは、「友人であるアガトンのところへ行くんだ。昨日も行ったんだが、あまりに客人が多くて途中で早く帰ったんだ。するとアガトンが連絡をしてきて、今日はしっかり歓待するので絶対に来てくれと言ってきたので、また行くことにしたんだ。なんなら君も一緒に行くかい」と言われたので私もお供することにした。しかし、私が行くには何か理由が必要ではないかと思い、そのことをソクラテスに話すと、彼は「それじゃ、行く道すがら一緒に考えよう」とおっしゃった。ところが、ソクラテスは行く途中、そのことについて話をするどころか、ひたすら黙って考えごとをしているんだ。あげくのはてには、私に先にアガトンのところに行っておいてくれという始末なんだ。やむをえないから先にアガトンのところに一人で訪ねたんだ。すると、そこにはもうすでに多くの客人が集まり、彼らはまさに食事を始めようとしているところだったのだ。
 まもなく、主のアガトンが出てきて、「いいところに来たね。是非一緒に食事をしよう」と歓待してくれた。そして続けて「実は昨日も君を招こうと思って、方々探していたんだ。ところで、なぜソクラテスは一緒ではないんだい」と尋ねてきた。そこで私はあらためて後ろを振り返ったが、そこにソクラテスの姿はなかった。私は、「彼に誘われてここに来たのですから、当然いるはずなのですが。私にも彼が今どこにいるのか分かりません」と答えた。すると主のアガトンは、給仕にソクラテスを捜しにいかせた。そして私を部屋に招き、席に座らせてくれたのである。別の給仕が私の足を洗い終わった頃、ソクラテスを捜しに行った給仕が帰ってきた。そして「ソクラテスは隣の家の玄関前にいらっしゃいました。そこで、こちらですからおいで下さいと何度も申し上げたのですが、全く見向きもされないのです」と告げた。アガトンは「何を言っているんだ。ともかくもう一度行ってどんなことがあってもお連れしなさい。そのまま放っておいてはいけませんよ」と言った。すると、ソクラテスをよく知る客人の一人が、アガトンに「いや、放っておいたほうがいいよ。ソクラテスにはよくあることなんだ。間もなく来るよ。それまでは彼の邪魔をしないほうがいいよ」と言った。「君がそういうなら、そのとおりににしよう。それじゃあ、給仕たちよ。ご馳走を持ってきてくれ」とアガトンは答えた。
 それでわれわれは食事を始めたが、その後もソクラテスは一向に姿を見せないので、アガトンは再度給仕にソクラテスを呼びにいかせようとしたが、その都度先ほどの客人は止めた。食事があと半分ぐらいになった頃、ソクラテスはやっとやってきた。それに気づいたアガトンは「ソクラテス、私の隣に座ってくれ」と迎えた。そしてアガトンはソクラテスに「あなたが、隣の玄関先で熟慮されて得られたものを、どうぞ私に教えてください」とお願いした。するとソクラテスは「アガトン君、ぼくは光栄だよ。水は毛糸をつたって水位の高いコップから低いコップに流れるように、知恵も多い方から少ない方に流れ込んでいく。君のように何万人をも前にして演説をできる若き知者に近づけるということは、まことにありがたいことだ。こんないかがわしい私をいろいろとご教授いただきたいものだ」と言った。そこでアガトンは「ソクラテス。あなたは口が悪い人だ。それではともかく、その話は後回しにして食事を食べましょう」と答えた。
 食事を終え、食後の儀式がすむと客人たちは酒を飲み始めた。すると一人の客人が口を開いた。「昨日もしこたま飲んだうえに、今日も飲むのか。今日はゆっくりと気楽に飲みたいものだ。どうだろう、気楽に飲めるような趣向をみんなで何か考えてみないかな」と。するとほかの客人の一人が「全くそのとおりだ。僕も昨日はすっかり酒にひたるほど飲んだ。あなたの言うように今日は気楽に飲みたいものだ」次にまた別の客人が口を開いた。「僕もそうだよ。だけど主人であるアガトンさんの意見を聞くべきじゃないのか」と。するとアガトンは、「僕も飲みすぎているよ」それを聞いて、アガトンに尋ねた客人は「酒豪の君たちがそのように言うのだから、僕らは限界に近いのは確かだよ。ただ、ソクラテスは別だよね。彼は、自分をコントロールできる人間だからだよ。彼は別にしても、今ここにいる人々は、今日はそれほど酒を飲まなくてもいいという人が多いみたいだ。だから今日は深酒もしないし、人に酒をすすめることもしない宴会にしよう」と言い、多くの客人もそれにうなずいた。彼は続けて「酒を飲むことが目的でなくなったから、どうだろう、お互いに演説をしあいそれを酒やごちそうのかわりにするような会にしたらどうだろうか。もしよければ、その演説のテーマも提案したいと思うがいかがなものか」と言った。みんなが賛同したので彼は続けて「それでは、愛の神であるエロスのすばらしさを賛美する演説を順番にしていこうじゃないか」と言った。するとソクラテスが「君の提案に反対する人などいないよ。自分も含め、愛の神であるエロスとは何でありどんなものなのか分かっていない人が多いからな」と言った。そして多くの客人がソクラテスに賛同して演説を始めることになった。
 一番手が演説を始めた。「愛をつかさどる神であるエロスは偉大である。なぜなら、エロスの神は多くの神々の中で最初に誕生していた神々の中に属するからだ。ゆえに、エロスの神を生み出した両親は存在しない。さらに、エロスの神は、我々に人生における最大の幸福をもたらしてくれる。愛する対象を持つこと以上にわれわれにとって幸せなことはない。善く生きようとするものには、愛はその道しるべを与えてくれる。愛なくして人間の偉業などはなされなかったであろう。愛するものの前では恥ずかしい行為など、人にはできない。もし、愛する男たちと、愛されるもので構成される国があるとしたら、男たちは戦場で恥ずかしいことはできず、死に直面しても恐れることはないであろう。また、人は愛するものを見捨てることなど決してしない。そのような国こそ世界で最強の国となるのである。愛する人のために、人間は自分の命をも投げ出しきたのである。過去多くの人々がそのようにして、尊敬の念を受けてきた。エロスの神とは最も根源的な神であり、我々に幸福をもたらす、最も権威のある神なのである」
 二番目の演説者が演壇に立って演説を始めた。「このような題目の設定では、愛の神エロスを賛美せざるをえなくなる。しかし、愛の神は一人とは限らない。複数存在する可能性もある。そこで、私まずエロスの神について探究し、その後その中のどの愛の神を賛美するかを決めて、それから愛の神に関する演説を始める。私が考えるに、エロスの神には二つのものがある。一人は、年長の天の娘である神、もう一人は年下の万人向きの娘である。まず、後者の万人向きの娘であるエロスの神がもたらす愛について考えてみよう。この愛は多くの人の間で偶然によって始まる。男女間の恋愛がその典型である。彼らは、魂よりも肉体を求める。肉体的欲求が主なものであるから、愛する相手の行為が立派であるかそうでないかは眼中にない。相手が賢いかどうかも関係ない。むしろ愚者を好む場合が多い。なぜこの愛がこのような形となってしまうのか。それはこの愛のエロスの神がまだ年少で未熟だからである。それに対し、もう一人の年長者である愛の神エロスがもたらす愛は、理性に富むもの、人格的にすぐれたものに対すする尊敬に満ちた愛である。この愛をささげるものは、その愛する対象から一生離れることはない。たとえその対象の容貌は醜くても、高貴で優秀なものを愛するというすばらしいものである。まさに、年長のエロスがもたらすゆえの愛である。この愛のためなら、それ以外のものを得るために使うことは非難されるような手段を用いても、多くの場合世間からは許される。むしろ、そのようにしてまで、愛を成就させようとする姿勢には、逆に多くの人の賞賛さえも受ける。しかし、肉体を愛するような愛には賞賛などない。愛する対象の肉体が衰えるやいなや急速にその愛は失せていく。そのような愛に、人々の賞賛など存在するはずがない。それに対し、魂を愛するものは、変わることなく愛し続けるため多くの人から賛美されるのである。つまり、まことの愛、徳のためになされる行為、その愛に対して答える行為は、その愛が正しいものであれば、どんな手段であろうと賞賛されるが、打算でなされる愛やその他の目的のためになされる行為は恥辱であると判断されるものである」以上で彼の話は終わり、三人目の演説者が壇上に立った。
彼は、医者である。「前の演説者が愛の神エロスは二人人いるといったが、まさにそのとおりである。まずこのことを医学的な見地から証明してみよう。身体には健康と不健康の二つの状態がある。前者は体がもつ健康の要因、つまり善いものに従って生活して得られるものであり、後者は不健康をもたらす要因、別の言い方をすれば悪いものに従って生活したゆえにもたらされたものである。医術とは二種類の要因をいかに体内で調和させていくかという施術である。熱いものと冷たいもの、甘いものと苦いものなどの塩梅が重要なのである。音楽の世界も同じであり、相対立する高音と低音がありそれら自体では相いれないものであるが、両者が音楽家により和音とされた時、融合し快い響きとなるのである。天上のエロスがもたらす愛をさらに育て発展させ、年少のエロスがもたらす愛が快楽のみに走ることのないように監視し律していかなければならない。なぜなら、この二人のエロスがもたらす愛は、すでにわれわれのうちに要素として存在しているからである。季節においても同じで、暖と冷、乾と湿の相互の調和が必要である。年少のエロスのみが優勢となれば、その調和は崩れる。エロスはこのように多くのものにその影響力を持っている。このエロスの神こそ我々に最上の幸福をもたらすものである」以上で彼の話は終わり、次の演説者が話を始めた。
 「みなさんの話を聞いてきたが、今までの演説者には、まだ本当の意味での愛のすばらしさが分かっていない。世の中の人々もいまだその偉大さを理解していない。まず、エロスの神がもたらす愛が人間にとって最高の幸福であることを理解するためには、人間とは昔どのようなものであり、どのような経歴をたどって今日のようになったかを知らなければならない。
 原始には、実は人間には3つの性があったのである。一つは男性(男男)、そして二つ目は女性(女女)、これに加えて、両性を結合した男女という第三の性があった。人々の形は球形で手が4本、足が4本、顔が2つという、ちょうど今の二人の人間が背中あわせでくっついたような姿をしていたのである。そして彼らは直立し、行きたい方向に前後どちらにも移動できた。ただ、急いでいる時には、その4本の足と4本の手を器用に使って、ころがって移動したのである。なぜ、三つの性があり、このような丸い形をしていたかというと、男男は太陽から女女は地球からそして男女は月から生まれたからだと言われている。彼らは強大な力を持ち、気位いもひじょうに高かった。そのため、彼らはついに神に挑戦しようとしたのである。神はその者たちの不遜な態度に怒った。だからといって、これらのものを滅ぼしてしまうことはできないし、またこのまま見過ごすこともできなかった。そこで神は、人間をこのまま生かしはするが、弱くしてその凶暴性を失わせ、かつその数も増やすことにした。数を増やすということは、神に対して敬意をはらうものが増えるということでもあるからだ。そこで神は、人間を二本の足で歩くように真っ二つに切ることにした。そして切り口の方に顔を反転させた。なぜなら眼下にたえずその切り口が見えるようにして、温和な性格となるようにするためであった。そして、四方八方から皮を切り口の正面まで伸ばして、巾着のように一つの口で締めた。そのなごりがへそなのである。それゆえ人間は、自分から切り離されたもう一つの半身とたえず一緒になろうとするようになったのである。それで人々は、切り離された半身を捜し、見つけるやいなや互いに抱き合い、そのまま労働もなにもせず、動くことさえもしなくなったため、そのままその多くが死んでしまった。また、切り離された自分の半身が死んでしまっているのを見つけたものは、ずっとその自分のかつての半身にまとわりつき同じように死んでいったのである。神はこの状態を憐れんで、それまでは後ろ側にあった性器を前側に持ってきた。性器が後ろ側にあった時は、セミのように子孫を大地に産み落とすしかなかったが、前になったために異性に出会ったときは抱擁しあい男性が女性の中に子孫を生産するようになった。一方、同性に出会ったときはそれを感じず欲望は静まり、人々は仕事に励むようになったのである。このように愛とは昔から新たな生を生み出し、かつ人間をよりよい活動に向かわせる原動力なのである。人間は過去、割符のように分けられたがゆえに、もう一方を探し求めるのである。だからかつて男女であったものの男は女好きであり、男好きの女もこの男女の片割れである。一方、女女が分けられて生まれた女は男には興味を示さず、女に興味を持つ同性愛者となる。同様に、男男が分けられて生まれた男も同性である男性を好む。ただ、この同性を求める男は女性的な男ではなく、もともと男男であったがゆえに、最も男らしい男なのである。自分と同じ勇敢さを持った男を愛する、勇敢なる男なのである。多くの政治にたずさわってきた男こそ実はこの男男が別れた男なのである。彼らは、社会の慣習上女性と結婚し子供をもうける場合もあるが、男性とともに生き、友情を持ち続け一生を過ごせればそれで満足するのである。もし彼らがかつての半身と出会ったなら、感激におそわれ一瞬たりとも離れようとしないであろう。このような心情が起こる理由を彼らに尋ねても彼らには答えられない。なぜならこれこそ自分たちの昔の姿から生じている本性だからである。この憧れと追求の本性こそがエロスの神がもたらしたものなのである。神々に対してまた不遜な態度をとれば、我々はさらに半分に引き裂かれかねない。そうならないためには神を当然エロスの神も敬まわなければならない。そこで、われわれはかつての半身と出会う可能性も生じてくるのである。そして、分割される前に一緒だった者とともにあることこそ、人間にとっての最高の幸福なのである。その幸福をもたらすエロスの神こそ、我々が最高に賞賛しなければならない神なのである」と演説はそこで終えた。
 次に主のアガトンが演壇に立った。「大勢の前で演説する時よりも、今ここで少数者ではあるが賢明な人々の前で話を始めるのは、怖いぐらい緊張するものである。私は愛の神エロスが我々にもたらす多くの幸福を中心に語るのではなく、まず最初にエロスの神とはいかなるものであるかを語っていこう。この神はこの世の中で最も美しく、最も優れた神である。エロスは神々の中で最も若い。ゆえに、愛の神エロスは若きものに宿り、老齢からは迅速に逃げ去る。まさに似たものに近づくゆえにエロスは最も若い神である。また、柔軟でしなやかであるがゆえに、人間の柔らかな心情の中に場所を持つ。なぜなら柔らかくなければそこに宿ることはできないからである。またエロスは優雅な物腰で血色も美しく花の中に住んでいる。なぜなら、花のない花のしぼんでいるところにエロスは腰をおろさないからである。エロスに強制という言葉はなじまない。すべての人はエロスに自らすすんで奉仕するのである。人がすすんで行ったことはすべて公正なことであるはずだ。またエロスには、自制という言葉が最もなじむものである。愛こそがこの世で最上の快楽である。だからこそ最も自制する力がなければならない。また、愛は人間を最も勇敢なものとする。また、エロスの神はすべての人間を詩人にもする。エロスはすべての芸術を創造する。すべての生き物を誕生させ、成長させるのもエロスの神である。エロスのないところには闇しかない。いろいろな技術も音楽などの芸術もすべてエロスから生まれたものである。神々の世界もエロスの神が宿ると同時にあらゆる善事が生ずるようになったのである。エロスの神こそ最高の賛辞を受けるべきものである」以上でアガトンの演説は終わった。
 最後にソクラテスが演壇に立った。「果たしてぼくにあれほどすばらしい演説ができるであろうか。アガトン君の話にはほんとうに引き付けられ、次に私が話さねばならないと思うとここを逃げ出したいくらいだ。しかし、私は愛について正しく語らねばならないと思っている。確かにあなた方の話は、愛を賛美しているものではあるが、果たしてそれが真実であろうか。私はあなた方のように愛を賛美する仕方を知らないし、弁舌も巧みではないが、今から語るのは真実のみである。それでは話をさせていただこう。ただ、その前にアガトン君にいくつか質問をしようと思うがそれを許してもらえるだろうか。そう言ってソクラテスは質問を始めた。

 

ソクラテス:

「アガトン君、エロスとはある者への愛なのか、それともそうではないのか」
アガトン :

「もちろん、ある者への愛だ」
ソクラテス:

「それなら、エロスとは自分がそれを向けた相手を欲求するものなのか。それとも欲求しないものなのか」
アガトン :

「もちろん欲求するものだ」
ソクラテス:

「それではその欲求とは愛するものをすでに所有している時に起こるのか。あるいは、所有していない時に起こるのか」
アガトン :

「多分、所有していない時に起こるのだと思う」
ソクラテス:

「多分ではなく、欲求するということは、それを欠いている時であって、それを欠いていない時は、欲求することなどないと言い切れるのではないかい」
アガトン :

「確かにそのとおりだ」
ソクラテス:

「つまり、すでに大きいのに大きくなりたいとか、強いのに強くなりたいと思うような人はいないのと同じだね」
アガトン :

「今までの話の流れからいくとそのとおりだ」
ソクラテス:

「現にそうなのだから、さらにそうなる必要などないはずだ」
アガトン :

「間違いない」
ソクラテス:

「もし仮に今持っているものを持ちたいという人間がいたとしたら、我々はその人に向かって、今持っているものを将来失うかもしれないから、そのために今後失わないようにするために確保しようと望んでいるのだねと問うのではないか」
アガトン :

「そのとおりだ」
ソクラテス:

「ということは、今持っていないものを持とうとする望みと今持ってはいるが将来ともに失わないように持ち続けたいという望みは同じであると言ってもいいな」
アガトン :

「もちろんだ」
ソクラテス:

「つまり、欲求や愛とは、今持っていないもの、あるいは欠けているものに向けられるのだな」
アガトン :

「そのとおりだ。愛とは欠乏しているものに対して向けられるものだ」
ソクラテス:

「ところで君は先の演説で確か、醜いものに対する愛など存在しないと言ったね」
アガトン :

「確かにそう言ったし、そのとおりだと思っている」
ソクラテス:

「そうすると、愛とは美しいものに対するもので、醜いものに対するものではないということだね。ところで、エロスの神も自ら欠いていて所有していないものを愛し求めるということでいいね」

アガトン :

「それでいい」
ソクラテス:

「ということは、エロスの神というもの自体は、美を欠いていることにならないかい」

アガトン :

「そう言われれば、そういうことになるな」
ソクラテス:

「ということは、君たちは今まで美しくないものを美しいと言ってきたわけではないか」
アガトン :

「そのようなつもりではなかったのだが」
ソクラテス:

「まだ、エロスは美しいと言うのかい」
アガトン :

「何か自分が言ってきたことが分からなくなってきた」
ソクラテス:

「まあ、君の演説は立派なものだったよ。それはそれとして、もう一つ聞いてみるよ。善いものは美しいものだよな」
アガトン :

「はい、そのとおりだ」
ソクラテス:

「となると、エロスは善くないものでもあることになるのではないかい」
アガトン :

「あなたの言うとおりだ。反論はできない」
ソクラテス:

「いや、私に反論できないのではない。私への反論など簡単なものだ。人は真理に対しては決して反論できないのだ」

 

 ソクラテスはアガトンを席につかせ一人で話を始めた。「実はアガトン君のしたような愛の賛美の演説を、かつて私はある博識な婦人の前でしたことがあるのだ。するとそれを聞き終えた彼女は、今私が述べたようなことを言ってきたんだ。今からはその婦人とのやりとりを紹介するので聞いてくれ」と言い、ソクラテスは再び話を始めた。次に記したのはその時のソクラテスと婦人の会話である。

 

ソクラテス:

「どういうことですか。それでは、エロスの神は醜くて、悪いということなのですか」
婦人   :

「罰当たりなことを言うものではありません。あなたは、美しくないものは醜いに決まっているとでも思い込んでいるのですか」
ソクラテス:

「もちろんそうです」
婦人   :

「それなら知恵のないものは無知なのですか。知恵と無知の間にあるものにあなたは気づかないのですか」
ソクラテス:

「それなら、その間にあるものとは何なのですか」
婦人   :

「正しい意見、見解です。なぜなら正しい意見はその正しさの根拠を示すことができないから知恵とは言えないが、それは真実そのものであるから無知とも言えません」
ソクラテス:

「あなたのおっしゃるとおりです」
婦人   :

「美しくないものは醜いということではありません。エロスの神の場合も同様です。エロスの神は、美と醜、善と悪の中間に位置するものです」
ソクラテス:

「しかし、すべての人がエロスの神を偉大なすばらしいものだと認めていますよ」
婦人   :

「あなたの言うすべての人とは知識のない人のことですか。それとも識者も含めてのことですか」
ソクラテス:

「識者も含めたすべての人です」
婦人   :

「しかしソクラテス。エロスを神として容認しない人たちは、エロスを偉大な神として認めるはずがありません」
ソクラテス:

「その人たちとは誰のことですか」
婦人   :

「その一人はあなたでもう一人は私です」
ソクラテス:

「それはどういう意味ですか」
婦人   :

「あなたは、すべての神は幸福で美しいと考えていますよね。ある神は美しくもなく、幸福でもないなどとは思ってもいませんよね」
ソクラテス:

「神に誓ってそんなことはありません」
婦人   :

「そしてあなたが幸福だというものは、善いものや美しいものを所有するものでなければならないと考えていますよね」
ソクラテス:

「そうです」
婦人   :

「確かあなたは、エロスの神は善いもの美しいものを欠いているがゆえにそれらを欲求するものだということを認めたのではなかったですか」
ソクラテス:

「はい、認めました」
婦人   :

「それなら善くも美しくもないものがなぜ神と呼べるのですか」
ソクラテス:

「神とは呼べないように思われます」
婦人   :

「それみなさい。あなたもエロスを神だとは思っていないのですよ」
ソクラテス:

「それなら、エロスの神とはいったい何なのですか。滅ぶべきものなのですか」
婦人   :

「決してそんなことはありません」
ソクラテス:

「ではいったい何なのですか」
婦人   :

「滅ぶべきものと滅びざるものの中間に位置するものなのです。偉大な神霊なのです。なぜなら、すべての神霊的な者は神的なものと滅ぶべきものの中間にあるからです」
ソクラテス:

「それなら、その神はどんな能力を持っているのですか」
婦人   :

「それは、神と人間の間で両者を媒介する役割を持ちます。人間から神には人間の祈りや犠牲を、神から人間には神の命令や報償を伝え仲介します。その結果、両者は結合することができるのです。エロスの神がいるからこそ儀式も占いも成り立つのです。この神がいるからこそ人間と神は対話できるのです。このように両者を仲介する神はほかにも多くいますが、エロスの神もそのうちの一つなのです」
ソクラテス:

「ではそのエロスの神の父と母は誰ですか」
婦人   :

「エロスの神は、ポロスという勇敢・豪強でかついろいろな術策をろうする神を父親として、貧乏できたならしい路上で寝るようなベニヤという名の神を母親として生まれたのです。だからエロスは両者の性質を引き継ぎ、富裕でも困窮でもなく、知者でも無知でもなくその中間にいるのです。ところで知恵のある者は、知恵が欠けていないので知恵を欲求しない。また、無知の者は、知恵が欠けていることを悟れないので知恵を欲求しない。だから知恵を求めるものは、その中間にある者だけだということが言えるのです。これと同じように、エロスの神は美しいものでもなく、醜いものでもなくその中間に位置するから美を求めるのです。どうやらあなたは、エロスの神は愛されるものだと思っていたので、愛されるからには美しくなければならないと考えたのでしょう。だからあなたにとって、エロスの神は美しくなければならないと、勝手に決めていたのです、しかし違います。エロスの神は、愛されるのではなく愛するものなのです」
ソクラテス:

「わかりました。それではエロスの神は、人間にどんな良いことをもたらしてくれるのですか」
婦人   :

「それについて答える前にあなたに聞いてみましょう。人は美しいものを愛する場合、そこに何を求求めているのですか」
ソクラテス:

「対象が自分のものになることを欲求しているのだと思います」
婦人   :

「それでは美しきものを手に入れると、いったいその人には何の得るものがあるのですか」
ソクラテス:

「それについては即答しかねます」
婦人   :

「それでは聞き方を変えてみましょう。人が美しいものではなく善いもの愛する場合、それは何を求めているのでしょう。」
ソクラテス:

「同じように、その善いものが自分のものになることだと思います」
婦人   :

「それでは、人は善いものを手に入れると何を得ることができるのでしょうか。」
ソクラテス:

「それならすぐ答えられます。幸福を手にすることができるからではないでしょうか」
婦人   :

「幸福な者が幸福であるのは、善いものを所有しているからです。幸福になりたいという人に対して何のためにですかともはや尋ねる必要はありません。ここで話は終極に到達したのです」
ソクラテス:

「そのとおりだと私も思います」
婦人   :

「それではあなたは、これらの愛や願望はすべての人に共通で、すべての人は善いものを永遠に所有することを望むのでしょうか」
ソクラテス:

「私は万人に共通だと考えます」
婦人   :

「すべての人が同じようなものを同じように愛しているなら、一部の人は愛しているが他の人々は愛していないなどということがあるでしょうか」
ソクラテス:

「現実にあることが不思議でなりません」
婦人   :

「それはこういうことなのです。われわれは、愛の中からある一定の種類だけを取り出して愛と呼び、あとは別の名前で呼んでいるからです」
ソクラテス:

「もう少し具体的におっしゃって下さい」
婦人   :

「たとえば、芸術家が活動する創作分野とは、絵画や音楽・演劇などたくさんの分野・種類がありますね」
ソクラテス:

「はい、そうです」
婦人   :

「ところが、われわれが創作家と呼ぶものは音楽の旋律をつくるものだけです」
ソクラテス:

「たしかにそうです」
婦人   :

「このことは愛の場合も同じなのです。たとえば、善きもの・美しきものを手にし、幸福を求めようとすることをみんなは愛と呼びますが、それが蓄財を目的としているような場合は、決して愛とは呼びませんね。つまり、ある特定の限られた方向のみに向かうものをわれわれは、愛と呼んでいるのです」
ソクラテス:

「実際、そのとおりです」
婦人   :

「ある人は、昔、神により分割された自分のもう一つの半身を求めることを愛と呼んでいるらしいが、私はそうは思いません。人間は自分の手であろうと足であろうとそれが自分に害悪をもたらすとすれば、すすんでそれを切断するはずです。自己が持つものが善きものとは限らないからです。ともかく人間が欲求するのは善きものだけなのです」
ソクラテス:

「私もそう思います」
婦人   :

「つまり愛とは、善いものを永久に所有しようとするために向けられたものだということですね」
ソクラテス:

「はい、そのとおりです」
婦人   :

「愛はそのようなものです。それでは愛するとは、どのような行動になるのでしょうか」
ソクラテス:

「私には分かりません。それを知りたいがためにここに来たのです」
婦人   :

「それでは教えてあげましょう。愛の行動とは、肉体的意味においても精神的意味においても、その美しいものの中に何ものかを生み出すことです」
ソクラテス:

「もう少し、分かりやすく説明してください」
婦人   :

「分かりました。そもそも人間は肉体的にも精神的にも何ものかを生み出す種を持っています。そして年頃になると人間の本性は、それを使って何ものかを生み出すことを欲求するようになります。ただそれは、美しいものの中だけで実現することができるものなのです。それは神的なものなので、美しいものに対してだけ心がおどり生産しようとするのです。もし、醜いものなら心は沈み生産しようとする気は起らない。ゆえに、生産したいという欲求を持つものは激しく美しいものを求めそれに興奮するのです。愛の目的とは、美しいものの中に生産することなのです」
ソクラテス:

「なるほど、そうかも知れません」
婦人   :

「それでは、人間はなぜ生み出そうとするのでしょうか。それは、自分が滅ぶ身であるため、生み出すことに不滅性を見いだすからです。愛の目的が善いものを永久に保持することなら、愛の目的は不死につながるものを手に入れることではないかと思われます。ところで、ソクラテス、あなたはこの恋愛や欲求の原因は何だと思いますか。生物は、生殖欲におそわれ、交尾に興奮し、子供を持つ。そして次には生まれた子に対して自分のどんな犠牲もいとわない。なぜだと思いますか人間は理性を持ち思慮することができるからこのような行動ができるのだとしても、動物にまでそれがあるのはなぜだと思いますか」
ソクラテス:

「残念ながら私には分かりません」
婦人   :

「それが分からなくて、愛を語る資格などあるのですか」
ソクラテス:

「いえ、分からないからこそ、ここにきてお尋ねしているのです。どうか教えてください」
婦人   :

「それでは、お答えしましょう。死を免れることができないものは、不死を求めるものなのです。そして生物にとってそれができるのは、生殖だけなのです。たとえ個体は滅びても、それが産み出したものは、生き続けるのです。われわれ自身でさえ体は赤ちゃんの時と今では、肉体自体は新しくなり、ほとんどが入れ替わっているのに同一性を保っています。気性も変わってはいきすが、人格としての同一性を認識し続けています。生が別の個体に受け継がれていくこととそれほどの違いはないと思います。ともかく滅ぶべきものは、何らかの仕方で永遠なるものを求めるのです。そのためにどんな生物にも愛が贈り物として授けられているのです」
ソクラテス:

「あなたの話はなるほどだと思いますが、それは真実なのですか。」
婦人   :

「いかに過去から多くの人が、名声を永遠に残そうとして命さえも投げ打ってきたかを考えてみればわかるはずです。優れた人間ほど永遠なるものを望むのです。さて、肉体に対して不死を願う者は、その欲求は婦人に向かい、一方、精神的なものの不死を願うものは、不朽の名作をつくることに向かう。その生産は美しく、すぐれているものの中に求められる。また愛の対象が美しく、優れたものであり続けることを願う。そして、子供ができてもその愛する者とのつながりはより深くなり、多くの人が立派な子孫を残したのである。当然、多くの偉業も精神的なものとして永遠にたたえ続けられます。それではさらに、愛についてもっと深淵なお話をしましょう。正しい道を歩もうとする者は、若い時から一つの美しい肉体を追求しその中に美しい思想を産み付けねばなりません。そして次には、美しい肉体とは決して一つではなく他にも多く存在することを知り、さらにはどんな肉体も同一不二の美を持っていることを悟り、今までのただ一つへの熱烈な愛を冷まさなければなりません。そして次には、精神的な美が肉体的な美より価値があることを悟らなければなりません。そしてこの精神的な美さえあれば、肉体的な美はそれほどでなくても満足できるようになるでしょう。そして仕事や学問の中にも美があり、これらの美は互いに結びついていることを認識しなければなりません。そして、肉体的な美の価値とはわずかのものであるということを知らなければなりません。こうなることにより、限られた一部のものへの愛のみに埋没するのではなく、広く限りない愛を持ち、そして多くの崇高なものを生み出し、自分自身も向上させ、究極の愛を認識できるまでに成長していかなければならないのです。それではこの愛の美の極致とはどんなものなのでしょうか。それは、生まれたり、滅びたりせず、常に存在するもので、どこから見ても、いつ見ても、誰が見ても美しいものです。さらにそれは、肉体にあるものでもなく、学問的なものでもなく、独立して存在するものです。ところが、他の美と言われるものは、移り変わるものです。ゆえに、この愛の極致ともいえる美そのものに人間が到達したら、その人間は終極的な目的に到達したと言ってもいいのではないかと思います。だから人間は一つの美しい肉体から二つのそして他の多くの肉体へ、さらに精神的なものである職業そして学問の中の美に、そしてついには究極的な美そのものに至るのです。そしてその「美そのもの」に至れば人間は人生に生きがいを感じ、地上的な美には夢中になることなどはなくなります。そしてそこに真の徳が生み出されるのです」

 

 このように彼女は話をしめくくりました。以上が私、ソクラテスが申し上げたい愛についてのお話です。私は彼女の話に納得をしたがゆえに、それを多くの人々に広めているのです。それと同時に、私自身が真の愛の道を歩めるよう日々努めているのです。何か異存がある人があれば言っていただきたい。
 ソクラテスがそう締めくくった時、突然ドアをたたく音がした。アガトンは給仕に「ちょっと見てきてくれ。そしてもし知り合いだったら招き入れてくれ。もしそうでなかったらもう宴会は終わったと言って帰ってもらいなさい」と告げて見にいかせた。すると玄関前から「この酔っ払いを仲間に入れてくれないのか。追い返すつもりなのか」と大きな声で叫ぶ声が聞こえた。さらに「酔っぱらってはいるが、昨日来れなかったので、今日わざわざ足を運んだんだ。どうか中に入れて、その話に加わらせてくれ」と言った。客人たちは、喝采をして彼を招き入れた。彼は家の中に入り、アガトンとソクラテスの間に何も知らず座った。そして横を見るとソクラテスがいるのに驚いて「ソクラテス、こんな所にいらっしゃるとは驚きました。しかも主のアガトンのそばに座るなんてたいしたものですね」と言った。そこでソクラテスは、「アガトン、彼の行動には注意してくれよ。私に対する愛の嫉妬心から彼は何をしでかすかわからないからな。私が彼以外の人間に心遣いでも見せようものなら、私に対してさえ暴力さえふるいかねない人間だからね」と言った。すると、彼は、「今の言葉に対するお返しはいつかさせていただきますよ。言論ではでは万人を負かすあなたにはかないませんからね」と答えた。そして客人たちに向かって話を始めた。
「君たち、もう酔っぱらってしまったのか。もっと飲まなければだめだ。今からこの会の座長を私にやらせてくれ。給仕よ。大きなさかずき、いやそこにある桶でいいからそれを持ってきてくれ」(それは、ふつうの大きなさかずきの8倍はあろうものであった。彼はそれに酒をなみなみとつがせ、そしてすべてを飲み干した。そしてその桶をソクラテスに渡した)
「ソクラテスはすすめられればいくらでも飲みますよ。それでも酔っぱらうなど全くない人です」と言った。ソクラテスは、すぐさまそれを飲み干した。するとある客人がその酔客に「あなたはこの宴会を酒を飲むだけの会にするつもりですか」と聞いた。「いや、あなたの言うとおりにしますよ」とその酔客は答えた。そこで、先ほどの客人は、「君が来る前、我々は愛の神エロスに対する賛美を順番に述べてきた。だからまずは、君も愛の神についての賛辞を述べてくれ。そしてそれが済んだら、今度は君が新たな演題の題材を提供してくれ」と言った。それで酔客は「しかし、ぼくは酒をしこたま飲んでしまったから、君たちと同じようにうまく話ができるかどうか分からない。それと、今ソクラテスの演説がなされたと聞いたけど、その感想はどうだい。実は真実は彼の言ったことの反対なんだよ。そしてもし、彼の面前で他の人間の演説をほめようものなら、彼は私に殴りかかってくるようなやつなんだ」と言った。そして会話と演説は始まった。

 

ソクラテス:

「そんな話を聞くのはもうたくさんだ」
酔客   :

「心配無用ですよ、ソクラテス。あなたの前で他人はほめませんから」
他の客人 :

「それじゃあ、ソクラテスをほめたらどうだい」
酔客   :

「え、ソクラテスをですか。あなたは私に彼におそいかかって懲らしめてやれとでもいうのですか」
ソクラテス:

「おい君、私をなぶりものにするためにほめるとでも言うつもりかい。どういうことなんだ」
酔客   :

「いえ、私は真実を語ろうと思っているのですが、果たしてあなたが許して下さるかと思って述べたのです。」
ソクラテス:

「もちろん真実を語るなら、許すどころか、積極的にすすめるよ」
酔客   :

「それなら始めます。ただしソクラテス、私がもし真実でないことを話したら、どうぞ話をさえぎって「それは嘘だ」と言ってください。もちろん私は故意に嘘をつくようなことはしませんが、ただ思い出すままにあれこれと話をしますので、その点は了解しておいてください。それでは、ソクラテスについて語りましょう。皮肉を言ってからかうつもりなど毛頭ありません。彼を賛美したいのです。彼はかつて有名な彫刻家が彫った、笛吹の像にそっくりです。姿形もそうですが、それだけではありません。笛吹は口から奏でられる笛の音で人を魅了します。しかし、ソクラテスはその話で人を魅了します。その話があなたからなされようと、それを聞いた人が間接的に話そうと関係ありません。誰もがその話に心奪われるのです。雄弁家の話を聞くと、なるほどすばらしいと思うことはあっても、彼の話のように感動して涙することはありません。もちろん時には、心をかき乱され腹立つこともありました。自分はこんなことでいいのかと思わされることもありました。自分という人間がはずかしくなることさえもありました。私は、ソクラテスが命ずることをする必要はないと言うことができません。一方では私はあなたの近くにいたくありません。いっそあなたなどいなくなればいいと思うことさえあります。しかし、もしほんとうにそうなったら自分がどれほど悲しむかも私は分かっています。私はソクラテスに対してどのように接したらいいのか分かりません。もう一つ、ソクラテスがどのような魅力を持っているか聞いてほしい。みなさんは、本当の彼を知らないのだと思います。彼は、人のためになることは、どんなことも夢中で行います。知ったかぶりなど決してしません。自制心はひじょうに強く、世俗的な美やお金などには全く興味がありません。彼の実生活については、ほとんど他人に見せないですし、語らないのでその中身を私は知りません。しかし、彼の内部はすばらしく神々しいものであることを私は知っています。そこで、私は彼が望むことなら何でも実行するようになりました。そして私は、ソクラテスが自分の若さに惚れてくれて、何でも教えてくれるのだと信じまし。ある時、私は彼と二人きりになりました。彼が私を特別に重要な人間として扱ってくれることを期待しました。しかし、彼の態度は普段と何一つ変わらなかったのです。それ以降も二人きりになった時、あの手この手を繰り出して、彼が私に特別な関心を抱くように試みたがだめでした。そこで、恋人を誘惑するように食事に誘い、その後も自分のところに留まるよう促したりいろいろと努力をしました。そしてある夜、給仕たちもいなくなり、ついに私とソクラテスは二人きりとりました。そこで、私はソクラテスに「眠っているのですか」と聞きました。彼は「いや起きている」と答えました。私は彼に、「今、自分がどんなことを考えていると思いますか」と聞いてみました。すると彼は「分からない」と答えました。そこで私は、「ソクラテスは私が愛する唯一の人です。あなたも私に対して同じような感情を持ち、私に対してそのことを打ち明けるかどうか悩んでいるはずです。私があなたに求めているのは私をあなたが優秀な人間に導いてくれるからです。あなたの意に添うようにします」と言いました。するとソクラテスは「君は自分の美しさでもって私から真の美を得ようとしている。それはおかしいのではないか。青銅でもって金を得ようとたくらんでいるのと同じことではないか。第一ぼくは、価値ある人間などではないよ。真の価値を見抜く目は、肉体的な視力が落ちてからが鋭くなるものだよ。君はまだ若くそこにまでは至っていない」と答えました。「それではどのようにしたらいいのですか」と私は彼にせまりました。「それではそのことをこれから考えていこう。そしてそのとおりに行動しよう」と言いました。私はさらに彼にせまりましたが、やはり彼は私の若さなどには全く興味を示しませんでした。私は、彼に侮辱されたと感ずる一方、彼の自制心の強さにさらに引かれました。彼はお金には全く興味を示しません。一方、戦場での労苦に耐える力において彼にまさるものはいませんでした。酒はいつもおいしそうに飲むが泥酔したところは見たことがありません。寒さにもひじょうに強く、氷のような地面の上を平気で裸足で歩きます。ソクラテスは、一日中思索にふけり、翌日の日の出まで一か所に立ち続けたことがありました。一方、戦場では勇敢で、私を助け出してくれたこともありました。その時私は指揮官に、ソクラテスに感謝状を送るべきだと主張したほどでした。彼は戦場では、どんな不利な状況でも泰然自若としていました。ほかにもソクラテスについて語りだせばきりがありませんが、少なくとも彼ほどの人間を今も過去においても見つけることはできません。彼の話は最初は滑稽に聞こえ、笑わずにはいられませんが、じっくりと聞いているうちに、それはすばらしいものを内に持っていることが分かります。
以上がソクラテスについての話ですが、ぼくのこの一途な思いを彼は受け入れようとはしてくれません。アガトン君、君も同じような目に合わないように気をつけたまえよ」
   
 ソクラテスは、アガトンに「この酔客は酔っぱらってなどいない。ぼくとアガトンが仲良くなることが許せないらしい。彼には気をつけろよ」と告げた。アガトンも納得した。ちょうどその時、大勢の酔っ払いがこの家にやってきて、演説どころではなくなった。その後、多くのものは、寝てしまったがソクラテスとアガトンともう一人の客人はその後も飲みながら議論をしていた。そしてアガトンもついに眠りにつくと、ソクラテスは静かにそこを立ち去った。      
                                          

 


この本の内容は以上です。


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